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4,「あたしはな、あのアウグスタが欲しいと言った軍人なんだぞ」


 互いに小さく兵をまとめ、まともにぶつかった。
 強いな、とリッシュモンは端的な感想をもらした。グライー軍とやり合うのは何年振りか、セブランは当たり前として、まずグライー軍自体が強かった。犠牲はまだ出していないが、こちらも一騎も落とせていない。馳せ違い様にリッシュモンが剣を振ったのは二騎だったが、一人の剣を折り、もう一人の胸甲に派手な傷をつけるので精一杯だった。ただの一兵でも、右へ左へと簡単に斬り伏せられる相手ではない。
 どちらが先に動いたのか、あるいは合わせたのかが分からないくらい同時に、両部隊は大きく広がり、再びぶつかり合った。
 一騎、斬り伏せることができたが、おそらく致命傷ではないだろう。剣ごと鎧を断ち割ったが、手が痺れていた。落馬の際に首でも折ってくれないかと期待したが、振り返ると今斬った兵は、自らの馬を追いかけて隊から離脱していった。すぐに合流するか、傷の手当に本陣へ一度戻るかは、あの兵の判断だろう。
 縦列に隊を整え、直接セブランの首を狙う。先頭のリッシュモンは少し足を落とし、兵の中段に紛れる。それはいくらかセブランの虚を衝いたようだったが、敵は少し道を開ける形で、こちらの突進のほとんどをやり過ごしていた。
 単騎飛び出し、セブランに斬り掛かる。兜越しにもわかる涼しい顔で、セブランはその一撃を受け流した。リッシュモンの鋸状の刃は鋼とぶつかると激しい火花を大量に撒き散らすが、今の攻防で上がった火花は一つだけだった。最速最短の一合。一瞬、目が合う。目元だけでそれとわかる美男子で、寄越した刹那の目礼一つに、充分な余裕を感じた。
 舌打ちしつつ、反転する。リッシュモンが最後尾で、再びの反転時には、先頭となる。
 今度は先方もしっかりとこちらを迎え撃った。セブランとはまともにやり合わないよう兵には伝えてあるが、繰り返すもグライー軍そのものが強兵である。五、六騎を馬上から消したが、こちらも視認しただけで二騎ばかりやられている。こちらが仕掛け、あちらが受けた形であることを考えると、やり返されたといってもいい。この後、攻めた側に敵が付け入る隙が生じるからだ。
 反転すると思ったのだろう、こちらを囲い込もうとしたセブランを突っ切り、そのまま突進する。左手に折れてマルト率いる歩兵に一撃加えようかと思ったが、マルト自身が供回り含めた五百騎を率いている。歩兵を突き抜けた後にあれの餌食になるのは御免だった。
 本当の狙いは、ソーニャである。先程前進の指示を出し、かつリッシュモンが最後尾。今先頭を駆けているのが誰かはわからないが、リッシュモンの意図は汲み取っているだろう。強いことはもちろん、その練度において、この戦場でリッシュモン軍より練度の高い部隊はないと自負している。
 鞍から落ちかけるくらいに身を乗り出し、前方騎馬隊の、ソーニャの顔を確認する。五千の騎馬隊は、こちらのそれの二倍以上。まともにぶつかっては被害が大きい。ソーニャは一瞬突撃の構えを見せたが、不意に急旋回したこちらの動きを見極めようと、上げた手を振り下ろさずにいる。
 旋回の弧は後ろに向かって大きくなり、リッシュモン隊は鞭のようなしなりで、後続からソーニャたちに襲いかかった。もっともしなるのは、最後尾のリッシュモンである。
「ソーニャ」
 勢いのまま、ソーニャに斬り掛かった。横薙ぎの一撃を、ソーニャは盾で受け流す。木片が飛び散り、革張りを裂く音が、どこか耳に心地いい。盾の奥から突き出された剣を、かろうじてかわした。もう一撃、剣と剣がぶつかり合い、花火のような火花が、周囲に飛び散った。
 馬首を返し、ぐるりと回ったこちらの先頭と合流する。セブランが、もう近くにいる。馳せ違う。手応えはあったが、どんな兵を斬ったのかまではわからなかった。隊を広げ、さらに反転。今度はセブランと直接打ち合った。一合で決着が着く相手でないことは、双方がわかっている。
 馬蹄の響きが、入り乱れている。束の間リッシュモンは次の手を決めあぐねたが、部隊は既に次の獲物、あるいは突破口を見出したらしく、騎馬隊の動きに少しの逡巡もない。後方に控えていたリッシュモンは、しばらく部隊の動きに身を任せた。
 土煙から見え隠れする、ソーニャの部隊。五千という騎馬が、巨大な獣のように蠢いている。マルトの歩兵が、槍を構えたまま横から距離を詰めてくる。セブランの姿は、リッシュモンの位置からは把握できない。
 足を使い過ぎているな、とリッシュモンは思った。替え馬は、こちらの方が早く使うことになるだろう。その時までにソーニャ、セブランのどちらかに痛撃を与えておきたい。さもないと、馬を替える隙さえ見出せないだろう。
 ソーニャもセブランも、駆け合いの中で出し抜ける。その自信はあるが、二人の天才を同時に相手にするのは、やはりしんどかった。
 遥か後方、おそらくクリスティーナと思われる銀髪の指揮官が、じっとこちらを見つめていた。お前の前で必死に踊り続けるあたしを、お前はどんな目で見ている?
 馬首を返す。すぐ目の前に、セブラン本人がいた。とっさに身を屈めると、首があった場所を必殺の一撃が、閃光と共に走り抜けていく。思わず、背中に手を回した。舞い上がって逃げ後れた後ろ髪を、20cm以上切られた感じだ。さすがは、”一閃の”グライー。
 前方、ソーニャの部隊が大きく広がって、こちらを包囲しようとしている。縦隊を作り馬腹を蹴ると、隊が二つに分かれ、一隊の先頭がこちらに近づき、併走する形になった。
「ソーニャ。腕を上げたか」
「リッシュモン殿も。騎士団領での戦は、さぞかし熾烈だったんでしょうねえ」
「余裕こきやがって。言ってろ」
 一合だけ刃を交わし、両部隊は弾かれるように距離を開けた。横から、不意でまともな一撃を受ける。とっさにかわした兵が多かったが、部隊を二つに割られた。
 突っ込んで来たのは、マルトの五百騎か。セブランという名声ある兄に隠れているが、この地味な妹の用兵は、兄と何ら遜色ないことを、リッシュモンは知っている。寡兵の一撃で命拾いしたが、寡兵だからこそ、その接近に気づけず、後続に反撃を食らわせることもできなかった。致命傷ではないが、こちらの完全なもらい損である。兵力の多寡による強みも弱みも、あの娘は知り尽くしていた。
 三人だな、とリッシュモンは思い直した。
 三人の天才の相手をするのは、さすがにキツい。

 

 これが、天稟に恵まれた者たちの戦か。
 クリスティーナはほとんど、その動きにも意図にも、ついていけなかった。
 リッシュモンとセブランが併走していたかと思うと、いきなり両者は弾き飛ばされたかの様に別々の方角へ走っていった。そのリッシュモンとソーニャが真正面からぶつかり合おうかというところで、同時に反転し、反対の方向に走る。いや、ソーニャの部隊の一部分が、リッシュモンの隊に食らいついている。
 花が開くように大きく広がったリッシュモンの部隊は、振りほどいたこちらの騎兵に、一斉に襲いかかった。が、次の瞬間にはそれを諦め、部隊の半分が蛇の様に絡み付き、マルトの五百騎とやり合っている。リッシュモン率いるもう半分が土煙の中から飛び出し、取り残された兵たちに襲いかかっていた。
 どこまで先を読み、どの瞬間に方針転換しているのか。人一人の組み打ちとは違い、指揮官から指示は出ているはずだ。それが全体に伝わり、やがて兵が動き出す駆け合いとは、まるで次元が違う。双方共に練度が高過ぎて、指示よりも先に兵が動いているとしか思えない。しかしその動きにばらついたところはなく、自在に姿を変える獣同士が、互いの喉元に食らいつこうとしているように見えた。
 鶴翼、蜂矢、方円、長蛇。一瞬そうと見える陣形が、次の瞬間には見たことのないものに変貌を遂げている。
 なるほど、とクリスティーナはあらためて、先日の戦を反芻した。こんな戦をする指揮官なのだ、あのリッシュモンは。クリスティーナの率いる部隊を懸け合いで潰走させることなど、彼女にとって赤子の手をひねるようなものだったのだろう。
 リッシュモンとはこれまで何度か戦場で相対しているが、今までは母の命令を待って突撃するだけの、楽な戦しかしてこなかったのだと痛感する。常勝将軍と噂される彼女の戦は、どこか遠いもので、これまで直接ぶつかり合うようなこともなかったのだ。
 左前方、ソーニャの部隊に明らかな動揺が広がった。ほとんど潰走しかけた騎馬隊をソーニャが上手くまとめ、こちらに引き返してきた。土煙が晴れると、そこには整然と槍を並べる歩兵の戦列があった。先程からリッシュモン本人の動きにばかり目が行っていたが、なにもリッシュモン軍は、騎兵ばかりの軍ではない。事実、あの歩兵にクリスティーナは軍を潰走させられたようなものだった。
「いやあ、やられました。傷ついた馬も結構いるので、一度替え馬使います」
 一言かけて通り過ぎようとする副官を、クリスティーナは呼び止めた。ソーニャに構わず、騎馬隊五千は後方の本陣に向かって駆けている。
「どう、リッシュモンは」
「あらためて、さすがはアッシェンの誇る常勝将軍。強過ぎますね。こうして久しぶりに剣を交わらせると、思ってた以上です。数年前より、確実に腕を上げてますよ。仕留めるのに、ちょっと時間がかかります」
 言い残し、ソーニャは騎馬隊の後を追った。ソーニャに負傷の様子はなかったが、汗で前髪が額にへばりついていた。
 重騎兵をまとめ、熾烈な騎馬の駆け合いが行われている戦場越しに、敵歩兵と正対させた。牽制だが、機があればクリスティーナ自身も突撃を敢行するつもりだった。槍を構える歩兵の二列目。先を尖らせた丸太を抱えた兵たちが見える。重裝騎兵は兵科としての破壊力は随一で、槍を並べた歩兵くらい正面から踏み潰せるが、敵にはいつでもそれに備える準備ができていた。尖った丸太の馬防柵は、軽重問わず、騎兵を確実に止められる数少ない手立ての一つだ。
 嘆息していると、敵歩兵の右列が、馬防柵を一斉に立て始めた。杭を打つ歩兵が味方の中に逃げ込むのと同時に、角を曲がりきれなかった馬車の様に、馬群がほとんど横向きにそこへ突っ込んでいった。人と馬の悲鳴。ここまで聞こえてくる。馬から放り出された兵が馬防柵越しに槍で突かれ、あるいは血まみれの両手を上げて降伏している。馬の下敷きになって動けない者もいた。
 しばらく経って、それがセブランの騎馬隊の一部だとわかってきた。駆け合いの中でリッシュモンの罠にかかり、尖った杭と槍の壁に、突っ込む破目になったのだろう。ただ、現場の凄惨さに比べ、失った兵はそれほどでもなかったのか。倒れ、捕えられた兵は、五十騎程と思われる。一瞬あれで、五百騎は失ったかとも見えたのだ。
 クリスティーナのすぐ横を、馬を替えたソーニャの騎馬隊が駆け抜けていく。轟く馬蹄の響きは、ソーニャのいつにない気迫を感じさせた。土煙が風に流されるともう、先頭でソーニャとリッシュモンがやり合っていた。
 負けないで。
 誰に言うでもなく、クリスティーナは呟いていた。

 

 静かな目元に激情をたたえたセブランの一撃は、先程までよりずっと重い。
 腕が痺れ、肘の方まで痛みが上ってきた。馳せ違い様でなかったら、斬られていただろう。あのセブラン相手に二合、三合と打ち合える自信が、今のリッシュモンにはなかった。指先に、ようやく感覚が戻ってきた。よく剣を落とさなかったと、自分でも感心する。
「ブルゴーニュ軍、もう少し南に詰めさせろ! こっちの戦場が狭くなってる」
 大声で伝令に伝え、リッシュモンは馬首を返した。これだけ戦場が入り乱れていると、伝令の兵はそれを遠巻きに見る形になり、命令、いや要望を伝えるのにいちいち伝令の近くに向かわなければならない。
 そろそろ、馬が保たなくなってきている。どこかで馬を替えたいと思っていた機で、本陣から絶好の援軍が駆けつけてきた。フェリシテが率いる、軽騎兵千騎だ。
「すまねえ、馬を替えてくる」
「二、三十分は耐えてみせます」
「寡兵だ、無理すんな。ダミアンを頼れよ。十分以内に戻る」
 背中を預け、リッシュモンはほとんど最後の力を振り絞って、本陣に駆け込んだ。今回リッシュモンの騎馬隊は二千で編成しているが、既に二百騎程を失っていた。下馬し、帰ってくる兵たちを出迎える。
「傷の深い奴は、すぐに医療班のとこに行け。なに、傷が癒えたら活躍の場はある。おう、今日はご苦労さん。ほら、さっさと行け」
 腕の辺りをかなり深く斬られた兵の背中を軽く叩き、リッシュモンは自分の天幕へ向かった。水袋の水を半分飲み、残りは頭から浴びた。たっぷりと顔に着いた返り血を洗い流し、乾いた布で拭き取る。手鏡を見て、傷の有無を確かめた。右目の上を少し斬られていたが、ほとんど血は止まっている。今浴びた水で、血が眉に少しにじんだ程度だ。これをやったのはソーニャだったか。ひび割れた唇に血色がよく見える色付きの軟膏を塗り、リッシュモンは天幕を出た。
 ちょうど櫓から降りてきたアルフォンスが、こちらに駆け寄ってくる。
「リッシュモン殿、ご無事ですか」
「何、ちょいと化粧を直しただけだ。下りてきちまっていいのかよ」
「北側はフェリシテが上手く、膠着に持っていっています。グライー軍が、替え馬を使いに下がったようですしね。南側は少しだけ下がらせました。ブルゴーニュ公自身が先頭に立って、獅子奮迅の活躍を見せています」
「戦下手の癖に、あいつ個人は無茶苦茶強いからなあ。二、三度まともに斬られても、かすり傷みたいなもんだろう。あっちの指示は、引き続き頼む」
「替え馬はあちらです。どこへ」
「厠だよ。レディにそんなこと聞くなっつうの」
 実際にもよおしてもいたのだが、便座に座るより先に、リッシュモンは吐いた。ほとんど胃液しか出て来ないが、出せるものは出しておく。胃が暴れ回るような不快感があり、吐かずに我慢しておくべきだったかと、少しだけ後悔した。便座に腰掛けると、二度と立ち上がれないのではないかと思うくらいに、消耗していることに気づく。
「すまん、それくれ」
 厠から出て最初に会った兵の水袋を受け取り、うがいをする。煙草に火を着けてから、柵の中の替え馬を検分した。良さそうな馬の何頭かを、兵が残しておいてくれていた。これまで乗っていた愛馬も柵の端で馬具を外され、汗や返り血を拭われている。
「またしばらくしたら、走らせる。軽く動かしておいてやってくれ」
 馬匹に声を掛け、リッシュモンは新しい馬に跨がった。活力充分と鼻を鳴らし、こちらまで元気をもらえそうだ。
 戻したばかりなのに腹が鳴り、リッシュモンは苦笑する。次に馬を替えに来た時には、麦粥の一杯でも搔き込んでおいた方がいいかもしれない。身体が受け付けなくなってからでは遅い。食い物は、確実に身体に力を呼び戻す。
 兵が揃ったところで手綱を握り、戦場へ戻る。ソーニャの五千相手に、フェリシテは犠牲の出ない立ち回りをしてくれたようだ。とはいえこの短時間で相当無理な駆け方をさせたらしい。早くも泡の汗を流している馬がいる。
「十分過ぎちまったかな、悪りぃ。腹の調子が悪くてよ」
「ここは、修羅場ですね。あと五分、保たせる自信がありませんでした」
 鼻の頭だけでかろうじて踏ん張っていた眼鏡を所定の位置に直しながら、フェリシテが憔悴した様子で返す。
「次の替え馬の時も、頼む」
 言い残して、リッシュモンは抜き身の剣を握り直した。リッシュモンと同時に馬を替えに行ったであろうセブランの騎馬隊は、こちら同様切れ味を取り戻したといった感じだ。戦場と右手の森の境に、五十人程の敵兵が武器を奪われ縛られている。あれを換金可能な捕虜にしておけるかどうかは、この後の戦次第だ。
 日が、最も高い位置にある。昼か。あっという間だったが、リッシュモンの策を発動させるには、簡単だったはずの条件が、あと一つだけ揃わない。優勢であること。最悪互角なら、それをもって敵を納得させ、一時撤退の形を取らせること。どちらでも構わない。日が落ち、一度兵を引かせるというのでもいい。なんでもいいから、とにかく敵を下がらせることだった。潰走じゃなくていい。こちらの猛攻をいなす為に、軍を一時下げるだけでもいいのだ。いつもならたやすいそれが、今回だけはたまらなく困難だった。
 南を見ると、意外にもブルゴーニュ軍がキザイアたちを押していた。方々に人馬が転がっているところを見るに、虎の子の重裝騎兵が、最高の機を掴んで突撃を敢行できたのか。この辺りのお膳立ては、アルフォンスの采配だろう。ブルゴーニュ軍の作戦参謀をしていた時は、事前にジョアシャンに作戦を提案こそすれ、現場では彼に命令を下す立場になかった。物見櫓から指示を出すアルフォンスからの命令は多少の時間差こそあるものの、チェスの様に相手を上手く詰めていったのだと思われる。それこそ、総大将の仕事だった。
 スミサ傭兵隊も、犠牲はあまり出していないようだった。兵を失ったのは、緒戦の長弓斉射の時くらいだったのだろう。隊の後方で、モーニカが震えながら前方を凝視していた。後頭部を叩いたら、あの大きな目が顔から飛び出しそうなくらいに、目を見開いている。
 ザザかポーリーヌ、どちらかが戦場にしてくれれば。独立した部隊を任せられると判断しての編成だったが、戦上手のあの二人がここにいないことが、いかにも痛い。思っても仕方ないが、それでもリッシュモンは後悔した。クリスティーナがあそこまで腹をくくれる人間に成長することを、予想できなかった。君子豹変するとは、東の言い回しだったか。そこを読み切れなかった綻びが、今やリッシュモンの作戦全体に亀裂を生じさせていた。前回は寡兵で圧倒できた相手である。今回はこちらが兵力で上回り、さらに兵力を削いでやれば野戦での優勢は間違いない、はずだった。敵は全軍をこの原野に集結させ、こちらは精鋭一万を遠くの森で遊ばせている。この劣勢も、当然の成り行きだった。戦略で、負けているのだ。
 見ると馬上のセブランが、見本のような謹厳な刀礼を寄越して来た。仕切り直しということか。リッシュモンも仕方なく、剣を掲げて返礼する。この男がリッシュモンに合わせて馬を替えに行かなければ、フェリシテの部隊は半壊していたかもしれない。引き返す前、グライー軍の馬はまだ、多少の余力を残していると感じていた。あえて万全のリッシュモンと、万全の状態でやり合いたいと考えたのか。今の刀礼を見るに、フェリシテを潰してからリッシュモンを追いつめるより、あくまで騎馬の駆け合いでこちらを上回る方を選んでいる。
 真の敵はリッシュモンと、正々堂々決着を着けようと、何かそんな騎士道めいたこだわりを、あの男から感じる。うんざりする話だ。
 一応自身も叙勲された身ではあるが、リッシュモンは騎士道とやらをあまり信じていなかった。弱き者を守るのが騎士というなら、アングルランドはそもそも国力で劣るアッシェンに攻め入るべきではない。アングルランドの騎士は全て、今すぐに剣を置くべきだ。
 いや、と束の間リッシュモンは、セブランの勇姿を見つめた。百年戦争開戦当時、お前の祖先は争いを避けるため、アングルランドのどこぞの姫君と婚姻を結んだんだっけか。それでアッシェン王の不興を買い、仕方なくアングルランド側についた。あたしの祖先はアッシェンに攻めようとしたアングルランド王を諌め、領地を奪われた。あたしの祖先は、”正義の人”って呼ばれてたんだぜ。真の騎士、とも。経緯はどうあれ、二人の祖先はこの戦を止めようとして王に楯突き、互いに敵国につくことになった。騎士道に正しくあれと振る舞った先祖たち。その子孫たる二人がここで剣を交えるのは、なんとも皮肉な話じゃないか。
 騎士と言えば、先日まで滞在していた騎士団領のことを思い出す。あそこの連中はとんでもない怪物を相手にして、国を守っている。アッシェン辺境伯領と連合して、デルニエールから押し寄せる怪物の群れを、今日も撃退しているのだ。他の国から評価も援助もない状態で北ユーロ、いや人間世界の防波堤になっている彼ら彼女らこそが、真の騎士だ。人間同士の争いに持ち出される騎士道なんて、あれに比べればままごとみたいなものだ。
 騎士団領統轄、アウグスタ。リッシュモンがこれまでの人生で唯一、軍略で勝てないと感じた女。あんたなら、この劣勢どう見る? ようやく身体があたたまってきたとか、そんな感じかい?
 アウグスタに雇われてデルニエールで戦っていた時は、常に寡兵だった。地の果てまで続くかというオークやゴブリンの大軍を、騎士団領の兵たちは物ともせずに屠っていった。二万で、百万の軍を潰走させたこともある。あそこでは寡兵、劣勢から始まる戦なんて、当たり前というよりも大前提だった。
 あのパンゲアで最も過酷と言われる戦場で、しかしリッシュモンは戦果を上げ続けた。お前なら、私の右腕になれる。流浪をやめ、騎士団領に居を定めないか。ある日、アウグスタに言われた。過分な評価に、リッシュモンは生まれて初めて恐縮した。それもいいかもしれないと、半分本気で考えた。
 パリシ奪還は難しそうだ。そんな噂が聞こえて来なければ、まだリッシュモンは騎士団領に留まっていただろう。契約期間も残っていた。それを破棄し、快くアッシェンに戻してくれたアウグスタへの恩を、リッシュモンは生涯忘れることはないだろう。
 そうだった。あんたならこの程度の戦況、危機でもなんでもないよな?
 セブラン。追憶から戻ると既に、必殺の気迫を伴って、その部隊が突撃を開始していた。馳せ違うであろうその先には、ソーニャが回り込んでいる。アウグスタのことを思い出し、その存在に励まされることがなければ、これはまずいと思ったかもしれない。先程までの、弱気なリッシュモンならだ。
「あまり、あたしを舐めんなっての」
 声に出して、言った。
「あたしはな、あのアウグスタが欲しいと言った軍人なんだぞ」
 リッシュモンは、馬腹を蹴った。セブラン。互いが駆けているので、猛烈な勢いでその姿が大きくなる。
 二人の剣が、唸る。大量の火花を浴びながら、その剣をへし折った。すぐ後ろにいた兵の頭を、返す刀で叩き潰す。突き抜けた。待ち受けるソーニャが、せり上がるように側面から襲いかかって来た。
 併走するソーニャに、飛刀を投げる。三本同時に放ったが、いくらか不意を衝けたのだろう、一本が彼女の左肩に刺さった。そこへ、渾身の一撃を叩き込む。一合、二合。三合目で、盾を破壊し、四合目で剣を根元から斬り飛ばした。一旦距離を置いたソーニャを無視し、旋回した勢いのまま、グライーの歩兵に突っ込んだ。
 次々と突き出される槍を何度か食らったが、全て具足の上からである。槍の穂先を斬り飛ばし、ついでに腕と首をいくつか飛ばした。突き抜ける先には、マルトが騎兵をまとめて待機している。足を止め、敵歩兵の中心で、リッシュモンは暴れ回った。もう、そろそろだろう?
 背後から、悲鳴が上がった。振り返るとダミアンの歩兵が、グライーの歩兵に襲いかかっている。潰走する敵歩兵に混ざって、リッシュモンは包囲を脱出した。
 こちらに向かってくるセブランに背を向け、敵後方、クリスティーナの元へと驀進する。クリスティーナの重騎兵が、前に出てくる。あれが加速する前なら、軽騎兵でも正面からやり合える。
「と、さすがだな。頭のいい奴だ」
 反転した。右前方。リッシュモンたちが駆け抜け、立ち上った土煙。
「あそこにいるぞ。びっくりすんなよ」
 周囲に声を掛け、リッシュモンは土煙の中に飛び込んだ。
 いきなり、ソーニャの顔が見える。瞠目した彼女をやり過ごし、リッシュモンは次々と視界に現れる敵兵を斬りまくった。
 この鋸状の刃に斬られた敵は、ぞっとするような苦痛の声を上げる。なので普段はなるべく一撃で殺してやるようにしているが、今はそんな余裕はない。目に入る敵を、手当り次第に斬りまくった。目の前が、火花と血飛沫で染まる。点滅する照明に照らし出された腕や首が、血の尾を引きながら方々に飛び回り、趣味の悪い出し物を見ているようだった。
 土煙が風に流される前に、左前方へ突き抜けた。
「よし、ビンゴ」
 ちょうど、セブラン隊の背後を取っている。隊前方のセブランが振り返ったが、一手も二手も遅い。
 刃の届く範囲の敵を、馬上から消して行く。敵を背後から断ち割り、潰走させた。
「次は、お前だったなあ」
 真横から突っ込んで来たマルトの隊を、広がるようにして受け止めた。束の間、マルトと一騎打ちのような形になる。
 一合、五合、十合。噛み合ない鋸と槍の交錯が、それでもぎこちない合奏を繰り返す。突如繰り出された槍が、リッシュモンの耳元をかすめた。
 あらためてリッシュモンは、マルトの周囲からの評価を哀れんだ。美丈夫の兄と対照的な顔つきの悪いこの妹は、軍略、武術共に、セブランと何ら遜色ない。このまま打ち合えば、いずれこちらがやられる。
 飛刀を放ち、マルトがそれを弾き返している間に、馬首を返した。後ろを見ずに、もう一刀。当たったのか避けたのか、金属音はない。確かめる余裕もなくリッシュモンは全速力でその場を離脱した。
 森を背にしたダミアンの歩兵の傍で隊をまとめ、しばし馬を休ませる。敵も体勢を整える為、一度部隊全体を下げていた。
 ぎざぎざの刃に絡み付いた外套の切れ端や血の着いた髪の毛を指で取っていると、ダミアンが馬を寄せてきた。
「姫、耳元から血が滴っております。他にお怪我は。返り血が多くて、よくわかりません」
「ああ、これね・・・耳は、まだついてるな。他は全部鎧で受けたが、左脇腹はこれ、折れてるかもしれねえ。嫌な痛みが、馬が地を蹴る度に、頭の上まで突き抜ける。雑兵どもにやられた。ったく、一兵残らず強兵揃いだな、特にグライーのとこは。おっと水袋、破れてるじゃないか。誰か、一口譲ってくれないか。口の中がじゃりじゃりする。うがいの分だけでいいよ」
 兵の一人から水袋を受け取りながら、南の様子を眺めた。ちょっと意外なくらいに、ブルゴーニュ軍は善戦を続けている。やはりアルフォンスが指揮を執ると、一味も二味も違う。今は膠着だが、南北に大きく広がったスミサ傭兵隊の長槍に、血の着いた敵の外套や衣服の一部がぶら下がっていた。兵列の間隔を相当に開けているということは、あの隙間から重裝騎兵が飛び出しているのだろう。後方の歩兵の中には、膝をついたまま動けない者もいる。怪我というより疲労でそうなっているようだ。そういった、激しい激突があったということだ。
「ダミアン、お前のとこも腹が減ったり、便所に行きたい奴もいるだろう。隙を見て、一度本陣に帰れ。本隊かジョアシャンのとこから、少し歩兵を回してもらおう。ったく、一応戦場が膠着することは頭にあったとはいえ、まさかここまでとはなあ」
 一気に押し切れる芽がないのなら、やはり日が落ちるのを待つしかない。ここまで激しいぶつかり合いだ。日が落ちれば一度城に戻ろうとはするだろう。とにかく一度敵に下がる動きをさせなければ、リッシュモンの策は発動させられない。
 アウグスタの顔を思い出し、リッシュモンは弱気な心を追い払った。頬を、何度も叩く。さりとて、無謀な戦はしない。
 命を捨てるのは、本当に大切なものができた時。アウグスタに出会うまでリッシュモンに最も大きな影響を与えた、ジャクリーヌがよく口にしていた言葉だ。幼少期の臆病なリッシュモンが、強く憧れた女。今も怯懦を拭いきれない彼女を、いつだって勇気づけてくれる存在。ジャッキー姐、今もあたしの傍についていてくれるか。
 顔を上げると、クリスティーナがさらに軍を下げていた。
 そのまま城まで引いてくれ、とリッシュモンは願った。

 

 まったく、鬼神のごとき強さである。
 あらためて、クリスティーナはリッシュモンの戦い振りに戦慄していた。
 一度治療の為に本陣に入ったソーニャが、パンをくわえたままクリスティーナに馬を寄せてきた。
「肩、大丈夫?」
「動かせます。腱がやられなくて、幸いでした。血も止まりかけてますし、問題ないですよ」
 左肩にきつく縛られた包帯からは、血が滲んでいる。それがみるみる広がることもないので、ソーニャの言う通りなのだろう。
「ちょっと、苦戦してますね。まあ、敵の損耗もそれなりにあります。結局、籠城になっちゃいますかねえ」
「それを諦めさせるくらいに、敵を減らしておきたかったけれど・・・」
 犠牲は敵と同数なら最低限の戦果と思っていたが、実際にそうなりつつあった。が、まだ戦況はどちらかに大きく傾いているわけではない。ここまで来ると欲になってしまうが、可能ならリッシュモンかアルフォンスの首は獲っておきたかった。その為の、全軍出撃である。現状、できないという戦況でもない。
「そろそろ、敵の援軍を斥候が捕捉できる頃合ですかね。今の内に、南北の砦からの道に、兵を配置しておきますか」
「アメデーオとゴドフリー卿のところから千五百ずつ、出させておいて。二人の部隊に、損耗はほとんどないという報告よ。それだけ出しても、まだ二人には八千ずつ残る。ソーニャ、あなたが直接指示を出してきて。母さんの部隊の消耗が激しいようだったら、二人に付いている正規軍の兵と交代させて」
「軽い編成替えですね。わかりました。しばらく留守にしますね。軽騎兵は、私がいない間も必要に応じて指示出しといて下さい」
 言って、ソーニャは単騎で南の軍へと駆けて行った。入れ違いに早馬が一騎、こちらにやってくる。
「伝令。馬上にて失礼。周囲の村や集落の者が、城の中に避難したいと申し出ておりますが」
「えっ」
 思わず、声を上げた。
「避難したい者は、もう全て収容したんじゃなかったの?」
 二、三日前から、そういった者たちがかなりの数、家財を携えて避難してきている。追い出すと敵軍だけでなく土地そのものを敵に回すことになるので、そういった者たちは全て、ベラックで匿っていた。家族が、ベラックにいるという者も少なくない。市の終わった後にも町に留まる者はいて、宿はどこも満室だ。城内の練兵場まで解放し、さらに天幕まで貸し出していた。
「はあ。私も、そのように聞いておりましたが」
 振り返る。開け放したままの城門の前で、守兵と民の集団が、押し問答を繰り広げていた。民の数は、二、三百程度か。
「今頃になって、おかしいんじゃない? 本当に、この近隣の者たちなの?」
「私には、詳細はわかりかねます。確かに、おかしな状況でもありますが」
 うなじの毛が、逆立っていくのを感じる。目前の善戦に気を取られていたが、クリスティーナたちはまだ、リッシュモンがほぼ同兵力でベラック城を落とす策を、ことここに至っても看破できていない。ゆえにこそ、どんな策があってもいいよう、敵本隊を一気に叩きたいのだが・・・。
「受け入れるとして、これ以上、どこに・・・いえ、そういうことじゃない。他の城門はちゃんと、閉めてあるのよね?」
「確認してきます。別の者が、また報告に上がります」
 何か、猛烈に嫌な予感がする。
 前方に目を戻すと、敵本陣の動きに、今度こそ心をかき乱された。思わず、銀髪の巻き毛の先をいじっている自分に気づく。攻城塔。三基のそれが物見櫓より高く、今にも組み上がろうとしている。ベラックの胸壁に届く高さ。
 何だ。今から? まだ野戦をしている最中だぞ。あれを今から、こちらに引っ張ってくるのか? いや、そもそも城門は開いているのに?
 起こっていることの一つ一つが、全く繋がらない。異常なことが起きているのがこうもはっきりわかるのに、その意味がわからない。こちらを、惑わせる為か。いや、クリスティーナが混乱したところで、戦の趨勢にそう影響はない。各将には、命令を待たずに動くよう通達してある。ここでクリスティーナが錯乱して森に逃げ込もうと流れ矢に当たって倒れようと、戦は滞りなく進むはずだ。その為の副官としてソーニャがおり、二人が倒れたらキザイアと、総指揮の順位付けは済んでいる。
 そのソーニャが、攻城塔を眺めながら、ゆっくりとこちらに戻ってきた。敵援軍を迎え撃つ為の部隊が、それぞれ南北の森に向かっている。
「いやあ、何でしょうね、あれ」
 のんびりとした口調で言ったソーニャだが、目元は鋭い。
「意図は、わかる?」
「城を、落とす。なんつって。いや、ふざけてるのはあっちですよ? これは私でも、全く意味がわかりません」
 しばらく無言で、二人はそれが組み上がっていくのを見つめていた。膠着になった南の軍も、互いに兵を引いてあちらを眺めている様子だった。
「あれもわからないけど、ソーニャ。付近の住民が、城に避難させてくれと言ってきている。おかしいわよね」
「ああ、あれはそういう。確かに」
 東門。住民の代表と思われる者と守兵が、激しくやり合っている。
 そこで、先程とは違う伝令がやってきた。ほぼ同規模の民たちが、西、そして南北の城門に集まってきているのだという。同時に現れたのではなく、南門では少し前からそんな問題が起きていたようだ。
「敵に大規模な忍びの部隊がいないであろうことは、”囀る者”たちから聞いてる」
「少人数の忍びが先導して、近隣の者たちを城に集めようとしているとか?」
「でも、何故? 物資は充分過ぎるほどあるし、今更千人程度受け入れたところで、食糧に困るという程でもない。何も全員があそこに残りたいわけじゃなく、折りを見て自分の村に帰りたいと思う者もいるだろうし、そもそも町から疎開したいって者もいたはずだし・・・」
 クリスティーナは前回の戦の、あの一瞬にして自軍が側面を取られるという、手妻めいたリッシュモンの戦い振りを、実際に体験していた。いつの間にか、だった。今回もその意図に気づけないまま、水面下で何かが進行している気配がある。いや、やはりどう考えても、兵力同数でこの城を落とそうとしていることが、そもそもおかしい。
 戦場には、不気味な静けさが漂い始めていた。ひそひそとした兵同士の話し声、不機嫌そうな馬の嘶き。先程までは怒号と馬蹄の轟で埋め尽くされていた戦場で、聞こえなかった音が耳に入ってくる。
「あの者たちは、西の砦に行かせましょう。すぐ近くですし、千人くらいだったら、楽に収容できます。食糧や日用品も、後で必要に応じて運ぶとして」
「ソーニャも、やはり不穏なものを感じているのね」
「あれが全て民に偽装した敵兵だとしても、武装もしてない千人くらいじゃ、大したことはできないんですけどね。念の為です。ベラックから、離しておいて良いかと」
「伝令。今ソーニャが話した通りよ。守兵を使って、彼らを西の砦の一つに案内して。委細は任せる。くれぐれも、丁重にね」
 これで、問題のひとつは片付いたのか? 腑に落ちないまま、クリスティーナは守兵に連れられて門を離れる、老若男女を見つめていた。
 思わず、天を仰ぐ。
 からりとした秋晴れに、見えない暗雲が立ちこめているかのようだった。

 

 ダミアンの歩兵と入れ違いに、アルフォンス自らが本陣の歩兵を連れてきた。
「なあ、あれ、何?」
 リッシュモンは、攻城塔を指差して言った。
「煙幕みたいなものです。花火を打ち上げるよりは、意味深でしょう?」
「意味深過ぎて、あたしにもわからない」
「ほら見て下さい。戦場そのものが、呆気にとられています。その隙に、ダミアン殿の部隊に補給をしてもらいます。弩が大量に欲しいと言ってきたので、ついでに自分たちで取ってきてもらおうと」
「ああ、それは助かる・・・つうか、それくらい運んでやれよ。ええと、それだけ?」
「ベラックに、近隣から住民が避難してきているようなのです」
「なっ・・・斥候や伝令使って、戦火に巻き込まれることはないって、事前に振れ回ったんだよな?」
「そうなんですけどねえ。いやはや、我々も信頼がない。人数からして、全員ではないでしょうが」
「あたしらが同国人相手に略奪なんか働くかっつうの。アングルランドも、ここまでその辺りは慎重過ぎるくらいにやってきたはずだぜ」
「我々よりもずっと前の世代では、略奪は横行していたそうですから。そういった恐怖は、代々語り継がれていくものなのでしょう」
「他人事みたいに言うな」
「彼らがベラックに向かっていると聞いて、急いで攻城塔を組み上げました。何かあからさまに怪しい動きに、彼らは近隣の住民を、ほら、見えますかね、ベラックに入れなかったようです」
「そっちが狙いなのな。引き止めるのに兵を割く余裕はなかったからな。あいつらが町に入ると、ややこしいことになる。策がバレちまう可能性があったよな。にしても、急に攻城塔を組み立てるなんてな。あたしすら混乱したから、敵は尚のことそうだったろうよ」
 敵陣は、戦前からそうであったかのように、隊列を組み直していた。それはつまり、理解を超えたこちらの行動に、最大限の警戒を払っているということでもある。
「何でも良かったんですよ、敵の目をくらませられれば。私が最前列で裸踊りをすれば敵が混乱するというのなら、やってやろうかと思ってたくらいです。私も、一肌脱ごうかと」
「らしくもない、つまんねえ冗談が出るとこみると、お前も相当焦ってたみたいだなあ。じゃあ今からひと踊りしてこい。その白い手袋だけは外すなよ。お前があの”白い手”だって、敵には分かんねえかもしれないからな」
「わかりました。ではひと踊り・・・」
 上着を脱ごうとしたアルフォンスの手を、力を込めて止める。
「やめろ。味方の動揺の方が大きい」
 周りの兵が笑い出したので、リッシュモンは息の合った小芝居を幕とした。
「結局、あの攻城塔はどうすんの」
「後で、使い道を考えましょう。まあ一応、城を攻める用意はあるぞと、敵に知らしめることになりましたし」
「お前が敵じゃなくて良かったよ。敵の騙し方が、私と真逆だもんなあ。直前まで手を明かさないあたしのやり方と、敵味方問わず混乱させるお前のやり方じゃ、あたしの方がドツボに嵌る感じがする。お前とやったことないけど、ポーカー強いだろ」
「まあそこそこ。閃きでは、リッシュモン殿の方が上じゃないですか」
「そうありたいよ。けどこんなやり方は、あたしじゃ決して思いつかねえ」
 不意に訪れた戦闘の小休止に、リッシュモンは一服する機を得た。紫煙を吐き出しながら、敵陣をじっと見つめる。
「このまま、膠着もありかもなあ。少しは押しとかないと、不完全な形になりそうだけど」
「ああ、そういえば、朗報がありました」
「なんだよ、それ早く言えよ!」
「まだ何も言ってませんよ。ザザ殿が、森の中に進軍できそうな道を見つけたと。地元の狩人だけが知る道が、あったようです。さすがに輜重は捨てることになりそうですが、直前まで敵に見つかることなく、おそらく夕刻には、敵の背後を急襲できる望みありと」
 ポーリーヌよりも、ザザの方が見通しについては慎重である。そのザザができるというのなら、本当に敵兵をすり抜け、ベラック北の森にひょっこりと現れる可能性は高い。
「おお、そりゃ願ってもない朗報だ。ツキがあるな。よし、俄然やる気になってきたぜ」
「こういうことも、あるんですねえ。ともあれそれですら、最初の想定から片翼をもがれたような状態です。やはりここは我々だけで、押し込んでおかないと」
「だな。そもそも、この野戦で勝つことが前提だった。ザザとポーリーヌは念押しみたいなものだったしな。ここに敵全軍が集結してたってとこが、計算違いだったわけだけど」
「潰走とまではいかなくても、押し込むところまでは苦労しないはずだったんですがねえ」
「でもまあ最悪、膠着でも勝てる見込みは充分できた」
 城に入ろうとしていた近隣の住民は、もう姿を消していた。
「ともあれ、何かと助かった。あと一度、派手に駆け回ったら、また馬を替えにいく。その際に麦粥一杯でいいんで、腹に何か入れておきたい」
「わかりました。機を見て、フェリシテを出します」
 言って、アルフォンスは供回りと共に歩兵の方へ戻った。
 リッシュモンも隊を小さくまとめ、敵の出方を窺う。

 

 先程までの激しさはないが、それがかえって不気味ではある。
 リッシュモンはこれまで通り、ソーニャ、セブラン、そして時にマルトの相手をしながら、しかし犠牲を避けるように戦場を駆け回っていた。ああもいなす動きを徹底されると、さすがに討ち取れる敵兵は少ない。
 アルフォンスの歩兵との連携もよく、こちらも迂闊に追い回すような動きができないでいた。目の前に最も獲りたい二つの首が並んでいるわけだが、二人の動きにまだ隙らしいものは微塵も見出せなかった。ソーニャもセブランも敵に隙を見出せず、じれったい思いをしていることだろう。
 どこかでその戦いに介入するつもりだったが、ここまでクリスティーナは、その機を掴めずにいる。歩兵たちには、その場で軽く脚の運動をさせた。ここまで動かないと、急に動き出した時に肉離れ等の怪我をする者が現れかねない。皮肉にも、よく鍛えられた兵程、そういった不意の怪我に襲われるのだ。
 クリスティーナの重騎兵も十騎ずつ、後方を軽く駆けさせる等して、脚を慣らしている。ただ、すぐ目の前で激戦が繰り広げられているのである。クリスティーナは後方に下がらず味方の前を何往復かしただけだが、不自然なくらいの疲労を覚えた。いつ斬り結ぶかわからない緊張感が、予想以上の消耗をもたらしている。
 リッシュモンと入れ違いに、敵本陣から騎馬隊が出てくる。またフェリシテの騎馬隊だろう。そういえば敵歩兵は先程までアルフォンス自身が指揮していたはずだが、いつの間にかリッシュモン軍の歩兵と入れ替わっている。兵装が違うのですぐにそれとわかるのだが、交代は土煙で視界が遮られている間に行われたのだろうか。じっと前方を見ていたにも関わらずの、鮮やか過ぎる用兵である。初めは噂程に切れのある用兵をしない指揮官だと拍子抜けするくらいだったが、これだけ見ても、”白い手”が並の指揮官でないことは、よくわかった。
 フェリシテと、ダミアンの、連携もいい。フェリシテの兜に面頬はなく軽装で、眼鏡の似合う才女といった風貌だが、動きはリッシュモンと同じくらいに激しい。静の印象を崩さなかったアルフォンスと違い、動の人だということは、よくわかった。
 ただひょっとしたら、フェリシテは騎兵よりも、歩兵を指揮する方が得意なのかもしれない。ソーニャとセブランという格上を相手にしている部分もあるだろうが、動き出す前に、少し相手を見るところがある。駆け回るが、あまり直線で長い距離を走らせない。
 歩兵指揮といっても指揮官は供回りと共に騎乗するので彼女自身の馬の乗りこなしは見事なものなのだが、それがどこか、麾下数十騎以上の騎馬隊の動きとしては、ぎこちない感じがする。評判通りの知能の高さで的確な指揮は執れているものの、長くやり合えばソーニャ、セブラン相手ではいずれボロがでるという気がする。相当な剣の使い手だが、ソーニャたちと直接剣を打ち交わすことは、最後までしなかった。
 ソーニャ、セブランも、本当の敵はリッシュモンと思い定めている。フェリシテ相手に無理に駆け回ることはしていない。ここで消耗すると、リッシュモンが出てきた時に、余力を残せなくなる。
 こちらが態勢を整えた機を見計らって、フェリシテの隊は逃げるように本陣へと戻っていった。入れ替わりに出てきたリッシュモンと、馬上で音高く手を叩き合う。
 前回までのやや憔悴した様子はどこへやら、リッシュモンの全身に気迫が満ちていることが、ここからもよくわかった。歩兵と並び、腕を組んでこちらを見ている。
 リッシュモンが抜けた隙に半数の馬を替えに戻っていたセブランが、クリスティーナのすぐ近くを通りかかる。
「あれは、元帥を狙っています。今度ばかりは、ご用心を」
 ほとんど返り血を浴びていないが、敵兵は多く斬っている。その爽やかな、それでいて労るような笑みに、クリスティーナはいくらか勇気づけられる。
「わかった。あなたも、気をつけて」
 もう一度こちらに笑いかけ、セブランは銀色の兜の面頬を下ろした。そのまま、自軍の方へ駆けていく。
 重騎兵の間隔を狭く、横三列に並べた。歩兵は、平行するようやや右前方へ。
 やられる前に、やってやろう。
 そう、クリスティーナは思った。

 

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