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2,「自分の歩き方しかできないと自覚しているから」


 港の混乱振りは、あるいはこの街始まって以来のものかもしれない。
 軍艦から小舟に乗り換え、ライナスは桟橋を目指した。すれ違った水先案内人が、橈を握ったまま、舟の上でぽかんと口を開けている。
 港に集まったカレーの野次馬たちをかき分け、市長とその護衛たちが波止場へと向かってくる。護衛が戟を携えているのを見て、ライナスの供回りたちもそれとなく剣帯の具合を確かめていた。
 桟橋に上がると、ライナスは市長らしき男の前に進み出た。
「この街の、市長を任されている者です。その、あなたはもしや」
「アングルランド宰相、ライナスです。事前の通達が間に合わなかったこと、まずはお詫びさせて頂きたい。ところで、カレー伯は」
「今は、街を離れておりまして・・・」
 海賊に襲われることすらここ数十年はなかったであろう、二剣の地最大の港、カレーである。市長は、狼狽え切っていた。ライナスの背後に控える軍船は、七十隻を越える。
「それで、その、どういったご用件で」
 口にした市長は、その言葉の場違い振りに、自分でも情け無い笑みを隠せずにいた。
「カレーに、レヌブランの侵略の手が伸びるという話がありましてな。かの新興国は、二剣の地でも容赦なく版図に加えていく構え。この街が戦火に塗れてはいけないと、駆けつけてきた次第です。街の防衛は、どうか我々にお任せを」
 この街を占拠する方便であることは、市長もわかっていることだろう。この季節に脂汗を額に浮かべているこの男の様子は、見ていて不憫になるほどである。ライナスの言葉を聞いて、野次馬たちから大きなどよめきが起きていた。
「しばし、街に軍を置かせてもらいます。船に、兵を多く乗せています。下船の許可を頂けますかな」
「宿はいくらか空いておりますが、兵舎は大きくありません。アングルランドの皆様を、お迎えできるだけの施設は・・・」
「街の外に、野営する。こちらも、許可を頂ければ。必要なものは、全て購わせて頂く。この街の防衛を機に、カレーともより親密な関係を築ければと、我々としては考えております」
 なんとか軍の上陸を避ける為の方策をひねり出そうとしている市長の後ろで、野次馬の一人、痩せた中年の女が大きな声を上げた。
「アングルランドの兵隊さんが、大勢上陸するってよ! ほら、みんな、忙しくなるよ。兵隊さん相手に、がっつり稼いでやろうじゃないか!」
 女が手を叩くと、野次馬たちはあっという間に港の持ち場へと散っていった。
「兵の下船に関しては、とりあえずわかりました。まずは宰相と供回りの皆様方だけでも、市庁舎にご案内致します」
 趨勢に呑まれた市長は、肩を落として中央通りの方へ向かった。そちらについて行く前に、ライナスは先程野次馬たちをたった一言で操った女に近づいた。軽く手で合図し、供回りは二人が話すところを、さりげなく周囲から隠す。
「キャシーか。助かった。カレー伯の居所は、わかるか?」
 囀る者の一人、”魅惑の”キャシーは、変装の達人である。なのでこれが彼女という確証はなかったが、絶妙過ぎる人心掌握は、手練の忍びの仕業であると、すぐにわかった。
「朝から、近くの森で、狩りを。夕刻には戻ってくると思われます」
 女の声は、聞き慣れた若い忍びのそれに戻っている。キャシーである、そのことを伝える意図があるのだろう。
「一応、それとなく護衛をつけてくれ。伯の許可を取ってこの街に軍を置くという体裁だけは、整えたい」
「五人、つけておきます」
 それだけ言い、キャシーは港の人混みに消えていった。
 桟橋の方から罵声が聞こえてきたので振り返ると、アングルランド王女の一人にして提督の、エリザベスが小舟から下りるところだった。ライナスの姿を見つけ、エリザベスは従者の少女の首輪につけられた鎖を激しく振って、こちらに追いついてきた。
「殿下、鎖が絡まって、パンジーが苦しそうにしております」
「そ、そんなことより、宰相。今作戦の私の貢献、ちゃんと評価して下さいますの?」
 息を切らせながら、エリザベスは言った。船団の多くは彼女に任せており、そのまま船に残ってほしかったものだが、はっきりと出した命令以外は、あまり聞こうとしないのも、彼女の特性である。特にライナスは軍人としては陸軍の人間であり、乗船させた兵たちにこそ指揮権があるものの、海軍所属のエリザベスには、軍務省からの命令を伝えたという形に過ぎない。彼女に何か言えるのは、全ての省を束ねる宰相の立場からに過ぎず、それも直接彼女を動かすのは、要請という格好になる。
「後ほど、軍務省の方へ、私自ら話を通しておきましょう。船団の指揮、お見事でした」
「そうですの。そういうことでしたら」
 言って、エリザベスはライナスの隣に並んだ。軍務省の上に立つライナスに対して、今作戦の提督であり、かつアングルランド王家の一員であることも誇示する、絶妙な立ち位置である。この娘は、人の支配構造に関する嗅覚に優れていた。ぼんやりと、ただ偉い人の命令を聞かなければと考えてしまう大多数の人間とは、権力というものの理解度が、大きく違う。
 周囲を行き交う住民を胸を反り返らせて見下ろす振る舞いは、自分がこの街を支配したと言わんばかりである。市長の背中を追いかけつつ、エリザベスは続けた。
「宰相、お忙しいことでしょう。この港は、私が治めさせて頂きます」
「ええ、近々殿下にその任をお任せするつもりでした。ですが、表向きはカレー伯を立てて下さい。それと陸軍の兵に関しては、私が派遣する者に任せますが」
「もちろん、伯より前に立たず、彼を傀儡とすればよろしいんですよね。それと私は、海軍の将です。陸のことは、お任せしますわ」
「海に生きる、そう定められたのですな」
「ええ、海は広く、邪魔する者も少ないですからね」
 エリザベスは、今でも碌に泳ぐことすらできないだろう。華奢で、逞しい海の女とは程遠い娘だが、海軍でのし上がるという意志は固く、それを隠そうともしなかった。功を競う相手が少ないというのが海軍を選んだ理由だと、本人から直接聞かされていた。
 この王女の評判は、充分に把握している。まったくもって、性格が悪い。人を見下すことを喜びとする性向も、持ち合わせているようだった。野心も手柄もひけらかす。奥ゆかしさとは、対極にある娘だった。
 ただライナスは、そういった振る舞いを続けるこの娘に、ある種の清々しさを感じていた。性格の悪さは庇いきれない水準だが、自分がのし上がる為に人を出汁とするようなことをせず、他人の陰口も叩かない。王女として、そして提督に許された権限にあるものは全て自分のものと捉え、時に乱暴に、あるいは意図的に他人を貶めることすらするが、失態を誰かのせいにするような卑怯さとは縁遠く、かつ自分の権限を逸脱しない理性も持ち合わせていた。
 寂れ切った鉱山町の娼婦宿で、彼女がリチャード王の血を引く一人だと告げた時、この器量の悪い娘ははっきりと、それならば自分は女王になれるのかと訊いてきた。正妻の子であるエドナとラッセルが太子となることを暗に拒絶し、名目上はどの庶子にも王位継承権があることを伝えると、エリザベスははっきりと、それなら自分は女王になると口にした。
 本当に、あの権力欲から程遠いリチャードの子かと疑う程に、エリザベスは野心に満ちていた。一方で他の野心家と異なるのは、他人を蹴落とすのではなく、ただ自分が昇りつめて行こうとする有り様だろう。それがある種の誇りに似たものを生むのか、エリザベスはその分だけ弱い人間に容赦がない。そして周囲を、全て敵とみなしている。ある意味、見上げた根性だとも言えた。ライナス相手にも媚びる様子は一切なく、あくまで昇進を果たす上での道具のように扱ってくる。自分はこれだけのことをした、機会を与えろ、といった書簡が、ライナスの元に頻繁に届けられていた。
 エドナやラッセルに、この小さな暴君の野心の十分の一でもあれば、とは常々思わされる。特にエドナ元帥は、ライナスが認めるまでもなく人の上に立つべき人間だった。軍の頂点で満足してもらいたくない、大器である。桁の外れたものを持つリチャードは例外として、王としての器を元々備えているのが、野心とは無縁のエドナであることは、アングルランドにいくらかのひずみを生んでいた。
「あら宰相、私の犬が、何か嗅ぎ付けましてよ」
 エリザベスが鎖を引っ張り、従者のパンジーをライナスの前に引きずり出す。この従者に手荒な真似をしないよう、何度か苦言を呈しているが、彼女は聞く耳を持たなかった。それは宰相としての命令か、どんな法的根拠でそれを為すのかと聞いてくる。確かにライナスにそれを咎める権限はないものの、艦隊を指揮してくれという要請にはちゃっかり応えるのだ。
「パンジー殿、何か」
 そしてこのパンジーという娘には、謎が多い。エリザベスを見つけた時から、彼女の、最底辺にいた若過ぎる娼婦の、召使いのようなことをしていた。それだけでもあからさまに不自然で、パンジーの身元調査は、囀る者たちに徹底的にさせた。
 確証には至らなかったが、パンジーがあるいは、かつてこのパンゲアの支配、それに伴う破壊を目論んだ”新世界秩序”の人間である可能性が浮かび上がってきた。
 大陸五強と共に新世界秩序と戦ったライナスはしかし、パンジーの記憶はない。ただ新世界秩序が次代を託すべき存在として秘かに育て上げていた、”恐るべき子供たち”の一人であるとすれば、彼女の特殊性に、いくらか整合性が取れてくるのだ。
 いずれパンジー自身にこのことを問い質したいと考えているが、常にエリザベスが傍にいる為、表立ったそれは叶わずにいる。もしエリザベスが何らかの法を侵すことがあれば、パンジーをエリザベスから引き剥がすことができるかもしれない。そう考えるとパンジーがエリザベスの傍にいるのではなく、エリザベスこそがこの少女を常に手元に置いているとも取れる。
 ただ”恐るべき子供たち”は扱うのが難しい問題で、なので今はライナスにしては珍しく、この件に関しては保留、静観している状況だ。
「あ、あの・・・怪しい人が、さっきあの門から入ってきました」
 怯え切った子犬のようなパンジーの声はか細く、街の喧騒に流されてしまいそうだ。
「怪しい。ふむ、どのような怪しさなのですかな」
「た、多分、忍びの人だと思います」
 近隣にいたレヌブラン、あるいはゲクランの忍び”鴉たち”が、カレーの異変を嗅ぎ付けて、潜入してきたのだろう。
 それにしても、とライナスは目を細める。多くの人が行き交うこの街の広場の、さらにずっと先の、東門。言われるまで、その門の存在すらライナスに視認できるものではなかった。なんとか人影を認識できるあの門を出入りする人間の一人に、パンジーは異変を感じたのか。
「放っておきましょう。こちらも、それなりの忍びを以前から放っております。危険とあらば、すぐに排除します。ですが、忍び同士は明らかな工作の気配を感じない限り、互いに不干渉とする不文律があります。見つける度に捕えていては、逆にこちらの忍びも同じ目に遭いますからな」
 パンジーは、小さく頷いた。異変というなら、そして最も怪しい人間は、パンジー自身だろう。魔法使いでもない彼女が、何故そんなことを感知し得たのか。当代最も優れた忍びであるマイラにすら、こんな芸当はできないだろう。さらに言えば常に目立つことを避けようとするこの娘が、ことさらライナスの関心を引くような真似をするのも、不自然である。
 実際、このパンジーには見えたのだろう。道端に綺麗な花が咲いているといった軽い感覚で、エリザベスにそれを告げたのか。今は、そういう特殊な人間として、彼女を捉えるしかない。野心も手の内も隠そうとしないエリザベスに対して、その全てが謎にゆらめく少女。
 何か、二人は合わせて一人であるという気がした。一体の妖が化けて二人の人間になっているといった、単純な話では当然ない。この二人の結びつきはまさに余人の窺い知れない深さと、得体の知れない闇に包まれている。
 広場につくと、市長が怒鳴るように役人と小間使いたちに指示を出し、急な、招かれざる来客の歓待の準備に入った。ライナスは供回りたちと市庁舎の待合室に案内されたが、ここでもやはりそこが自分の席であると誇示するように、エリザベスが隣りの席に腰掛ける。長椅子だが、こうした場で待機する場合、ライナスが呼びもしない誰かを隣に座らせることはない。娘のマイラですら、こちらから呼ぶ形でしか、ライナスの隣に着座することはないのだ。困惑する供回りを、ライナスは苦笑で了承させる。その彼女の後ろ、壁際にはパンジーがひっそりと控えていた。
「殿下、顔色が優れませんが」
「酔い止めが、切れましたの。船酔いには、まだ慣れなくて」
「長く船に乗っていると、下船した際に陸酔いを起こすことがありますな。地面が揺れるような感じがするなら、あるいはそれかもしれません」
 パンジーが素早く、背負い袋の中から水筒と薬の入った包みを取り出し、エリザベスにそれを飲ませた。
「パンジーは、よく気が利きます。二人は、いつからご一緒で?」
 それとなく、探りを入れてみた。エリザベスは眉間を押さえたまま、こちらも見ずに答えた。
「子供の時に、この子を拾ったんですの。故郷の町の外れで、泥まみれになって倒れていて。野良犬よりも大人しそうだと、この子を飼うことにしましてよ。犬を飼うのが、その時の望みだったので」
 いくらか、隙があったのだろう。忍びたちに探らせてもわからなかった二人の出会いが、実にあっさりとその口をついて出た。パンジーは苦悶する主の様子を、おろおろとしながら見つめている。
 さらに聞きたい欲も出たが、今はこれ以上詮索の意思を見せない方がいいだろう。本来二人の小娘の関係性などライナスにとって些末なことであるはずだったが、王位継承者と恐るべき子供たちの二人組は、看過できない危険な取り合わせだった。確実に、かつ慎重過ぎるほどに事を進めるべきだろう。
 市長に呼ばれ、ライナスたちは席を立った。エリザベスの手を取り、気遣う。
「ごめんあそばせ。紳士なのですね、宰相は」
「この程度。疲れが出たのでしょう。殿下も、ご自愛下さいますよう」
 主に代わり、パンジーが何度も頭を下げる。彼女に微笑みかけながら、ライナスも空いた手でこめかみに手をやった。
 考えるべきことは、他にも山積している。やるべきことは、その倍以上か。彼女たちが、これ以上の頭痛の種にならなければよいが。
 目元を強く揉み、ライナスは広間へと入った。

 

 降り積もった雪の為、全体調練は軽いものになった。
 雪上の訓練は必要ではあるが、新生霹靂団には新兵も多い。なのでおかしな怪我人を出さぬよう、移動や隊列の組み直しといった、基本的なものに終始した。雪上に慣れる、ここ数日のそれだけでも、実戦ではいくらかの経験値になっているはずだ。
 雪上でいつも通りに演習でぶつかり合えるのは、旧霹靂団の者たちを含めても、数が限られている。特に今日はレザーニュの将兵も来ている為、余計怪我人に気をつける必要があった。
 が、どうもフローレンスたちがやって来ている際に恒例の、アナスタシアの武具講座については、今日も開催の流れである。今回は鎧をやるつもりだったが、あれは足運びを見せなければ意味がない。くるぶしの上まで積もった雪の上では、満足にそれを見せることもできないだろう。
 焚き火の代わりに薪ストーブが設置される中、両軍の兵たちはアナスタシアのそれを、期待を込めて待っていた。自覚がない上に今更だが、大陸五強とやらに数えられたせいで、アナスタシアの試技には人を集められるだけの価値があるらしい。
「今日は、朝からこんな調子ですからね。調練で温まった身体が冷えきる前にいくつか、主に傭兵たちが扱う、ちょっと変わった武器を紹介して、さくりと終わることにしましょう」
 木箱の中からアナスタシアは、掌に収まる程の石を、いくつか取り出した。いつも溌剌としたフローレンスの副官ニノンが、力一杯鼻を啜る音が聞こえた。
「まずは、最も原始的な武器と言える、石です。刃物や鈍器と比べると、これらをそう呼ぶのもおかしな気がするかもしれませんが、石、特に投げられたそれは、時に立派な武器ですね」
 軽く振りかぶり、アナスタシアは板金の立てかけられた柱に向かって、石を投げた。がん、という軽くも重くもある音が寒空に響き、板金に大きな凹みを作る。
「まあ、鎧を着た相手には効果が薄いですが、生身の部位に当たれば、相手の骨を砕くことくらいはできます。そして優れた使い手なら、これで怪物も倒せると聞きます。セシリア・ファミリーのフェルサリ殿などは、まさにその優れた一例でしょう。彼女の放つ飛礫は、板金鎧にもたやすく穴を開けると。ほとんど、銃弾のようなものでしょう」
「あ、あの、アナスタシア殿も、本気で投げれば、あるいはできるのではっ」
 またも盛大に鼻を啜りながら、ニノンが問う。具足の上から巻いている毛糸の襟巻きがやけにかわいいと、アナスタシアはしばしそれに目をやった。
「思い切り投げれば、おそらく。ただ私はこれの優れた使い手ではないからな。砕けた石の破片がどこに飛んで行くかまで計算できないし、ここでは軽く型を見せる程度だ」
 ちり紙で鼻を押さえながら頷くニノンの、指先は真っ赤である。他の兵と比べても、寒さには弱いのかもしれない。
「この投石ですが、もう一つ、さほど力が強くない者でも、必殺の武器に仕立て上げる道具があります。それが、この投石紐です」
 アナスタシアは片方の端に小さな輪、中央に石の入る口のない小袋を備えた紐を取り出した。輪の中に人差し指を入れ、石を装填する。輪のない、もう片方の端を親指の腹と曲げた人差し指の側面で挟んだ。
「このように石を装填したら、これを頭上で振り回します。腕を使うというより、手首と肘の回転で遠心力を生み出す要領ですね。そこのお前たち、少し的から離れてくれ」
 木の板に、アナスタシアは狙いを定める。ちょうど頭の位置くらいに、誰が描いたのか、何重もの円が描かれている。
 充分に遠心力が得られたところで、アナスタシアは紐の片方を離した。飛礫は投石とは思えない勢いで空を裂き、そのまま的の中心を貫いた。おお、というどよめきは、投石紐の思わぬ威力か、あるいは運良く的の中心を打ち抜いた、アナスタシアの一投によるものか。
「威力はご覧の通りですが、的の中心を射抜けたのは、半ば運ですね。久し振りにこれを使うかもしれないと先日練習したのですが、こうも上手くいきませんでした。これは兵の一人から借りた紐ですが、それなりの訓練が必要な代物です。ただ騎兵で相手の傭兵の歩兵集団に近づく際、たまに見かけたことがあります。上手い者が扱えば、近距離では弩並の威力を持ちます。さすがに板金鎧を貫くことはないにせよ、飛礫はいわば、高速で飛んでくる鈍器です。腕甲で受けたとしても、当たり所が良ければ中の骨を砕くくらいの威力はあります。兜があっても頭に受ければ、即落馬でしょう」
 兵たちの中には早く暖かい場所に帰りたいものの、同時にアナスタシアの技も見たいと、揺れている者が多いと感じた。少し、話を巻いて行く必要があるだろう。
「投石の利点は、行軍中、時に乱戦中でも手頃なものが落ちているくらいに、入手が楽なこと、欠点はいくつも持ち歩くには、嵩張るし重過ぎるということですね。次は飛刀、要は投げナイフを。これは実を言うと、各武器の中でも相当に扱いの難しい武器です。先に利点を上げておくと、かなりの数を携帯しても、その軽さはもちろん、専用のベルトに挟めば、嵩張ることもない。多い者で、十本近くを携行する者もいます。これは、鍔のない、飛刀専用のナイフです」
 飛礫と同じく、板金を貫くのは達人の技である。なのでアナスタシアは、立てかけられた木の板に向かった。
「まずは、失敗の例をお見せします。使い始めは皆、こんな形になるはずです」
 板に向けて、無造作に飛刀を放っていく。ほとんどの飛刀は板にぶつかると、跳ね返されて地面に散らばった。木の板に刺さったのは、十本中、二本である。
「ご覧の様に、飛刀はそれそのものを回転させて放ちます。なので、このように・・・」
 飛刀の回転の軌跡を、両手でそれを回して再現する。
「的に対して、こう、ちょうど切っ先が振り下ろされる形にならないと、的に刺さることがないのです。曲芸師がやるのを真似て、酒場などで試したことがある方も、中にはいらっしゃるでしょう。が、的までの正確な距離と飛刀の回転数が噛み合ないと、これが突き刺さることはないのです。適当に狙って投げても、刺さるかどうかは運次第、まあ、四、五本に一本といったところでしょう」
「噂では、南の戦線で戦われているリッシュモン様が、これの名手であるとも」
 ニノン程ではないが、寒さに身を震わせているフローレンスが、書き付けを手に口を開いた。整った鼻の頭が、赤くなっている。
「”鋸歯の”リッシュモン殿ですな。私も聞いたことがあります。馬上でも、これをたやすく扱うとか。自分も的も高速で動く中で、これの正確な距離感を掴むのは、実に難しい。私もこれは一、二本携行して戦場に臨むのですが、一瞬の集中力が試されますな」
「では、アナスタシア様も、これの名手で」
「いえ、たまに使う程度ですが、一応練習は、時々しています。では、今度は的に当てていきましょうか。板よりも刺さりにくい、あの人型を狙います」
 兵が拾ってくれた飛刀を手に、アナスタシアは人型に向かった。そして横に歩きながら、飛刀を放つ。一本目は、眉間に当たる部位。そこから股下まで、十本の飛刀を等間隔で突き刺していく。一本目から微かに上がったどよめきは、最後の一本を放つ際には、大きな歓声となった。
「おわ、団長、それも得意だったんですかー!?」
 こういう時に乗ってくるアニータが、一際大きな声で言う。
「ああ、お前の前で見せたことはなかったかな。得意というほどでもないよ。慣れだ」
「なんか、コツとかあるんですか」
「いや、ほとんど呼吸だな。戦場では、自分も相手も動いているわけだしな。相手まで何mだから、飛刀の回転数はいくつ、などと計算できるわけもないだろう。けどそうだな、まずは止まった状態で、自分の投げる飛刀の威力が落ちない距離までなら、確実に切っ先が刺さる練習をする。後は歩いたり走ったりしながら放ち、力加減を覚えて行くしかないよ」
 実際、飛刀を戦場で使うとなると、完全に感覚の問題であり、その感覚をどこまで研ぎ澄まさせることができるかだと、アナスタシアは思っていた。理屈を理解するよりも、投げてきた飛刀の数が、そのまま使い手の技量となる。あるいは、これを扱える、特異な才能か。どんな武器にでも言えることだが、最初からその武器を上手く扱える者というのは、いる。全般ではなく、何故かその武器だけは得意という者が、時折いるのだ。
「では最後に、投げ斧を。ハチェット等、半ば専用の投げ斧もありますが、これは木こりが枝を切り飛ばす時に使うような、ありふれた小さな斧ですね。まあ、殺傷力はどちらも大して変わらないでしょう」
 投げ斧を手に、アナスタシアはそれを板金に向かって、投げた。金属の板を貫き、斧頭は篦深く後ろの柱に刺さっている。
「明確な難点は持ちつつも、実はかなり万能性の高い武器です。膂力次第ではあのように板金も貫けますし、さほど力に自身のない者でも、目標物に届きさえすれば相手の盾等に大きな損傷を与えられます。生身に当たれば、肉を斬り裂くのは言うまでもなく。この武器最大の利点は、見た目に反して命中精度が高いこと、かつ飛刀と異なり、目標物にほぼ確実に突き刺さる点にあります。先程と同じように、解説しましょう」
 投げ斧の両端を掴み、空中で回転して行く様子を再現する。斧頭は回転しつつも、水平に宙を走らせる。
「飛刀はそれ全体が回転しながら目標に向かいます。回転の中心は、投げナイフの真ん中にある。ですが投げ斧はこのように・・・重い斧頭を中心に、その回りを持ち手が回転しているのです。これがまず安定した軌道を生み、かつこの重さが勝る形で、仮に持ち手が先に当たろうと、勢いで斧頭が目標に突き刺さる形になります。稀にちょうど良過ぎる角度で持ち手の先端が当たり、弾き返されることがありますが、それはほとんど偶然です。大抵はどこが先に当たろうと、重さと勢いで結果として斧頭が相手にしっかりと突き刺さります」
 斧の使い手であるバルバラは頷いているが、他の者たちからは大きな反響があった。実際に使うと感覚的にわかるものだが、扱ったことがない者は、例え傭兵経験が長くとも、原理までは理解していなかったようだ。
「それ単体では飛刀に勝る点が多い投げ斧ですが、はっきりとした欠点があります。まず、重い。一本ならともかく、二本以上は、恐ろしく嵩張ります。腰に下げるのが通常ですが、斧頭に革の覆いをしておかないと、腰や手、脚を傷つけますし、覆いを外す手間がある分、咄嗟に投げることも難しい。近接戦での飛び道具は、いかに素早く、かつ不意を打てるかも重要ですから、その意味でも意外と使いどころが難しい」
「使いづらい武器と、単にそういうわけではないんですよね。実際徴用兵の多くが、これを持参すると聞きますし」
 ペンを持つ指先に息を吐きかけつつ、フローレンスが問う。
「まあ、やはり使い方ですね。徴用兵のそれは護身用の短剣のように投げずに使うか、あるいは乱戦時に思わず投げてしまうか、そんなところでしょう。霹靂団では今後これを支給し、バイキングたちが使ったような戦法を使おうと考えています」
 兵たちから、いくらか声が上がる。
「歩兵同士でぶつかり合う際、直前に、これを一斉に放つのですな。盾を狙ってです。投げ斧の当たり外れは、飛刀と違い、ほとんどが上下のぶれです。盾を狙って、目測を誤って敵の膝や脚に当たるのなら、まあそれでも良いと。上に投げ過ぎても、まだ盾を構えていない、後ろの隊列の誰かには当たります。盾を狙うのは、これが革張りの木の板に、よく刺さるからです。運良く一発で盾を使い物にできなくなれば僥倖、ただ突き刺さるだけでも、斧頭が篦深く突き刺さったままの盾は、持ち手の消耗をもたらします。今まさにぶつかり合う寸前なら、それを引き抜いている余裕はないでしょう。互いに槍を激しく突き出している状態ですし」
「なるほど。まさに、使い所であると」
「他にもいくつか、使い所は考えています。この辺りは、兵の練度次第ですね。今の運用法は、フローレンス殿も使われると良いですよ。ともかく携行にも連射にも問題がありますが、これ単体として考えれば、命中精度、威力共に、最強の投擲武器と言えます」
 そこでアナスタシアは周囲を見渡し、軽く肩をすくめた。
「では、今日はこれでお開きとしましょう。風邪をひいてもいけませんし」
「ええーっ、団長、オチはないんですか」
「ないない。今までだって、なかったろうが」
 アニータの抗議を無視し、兵に散会を命じる。兵の後に続くが、ふと、まだ踏みしめられていない雪に足を入れてみる。
 別にスラヴァルが年中雪景色だったわけではないが、それでも足元で雪が軋んでいく音は、いくらかの郷愁をアナスタシアに思い起こさせる。浮かぶのは、大して意味のない日常的なものばかりである。兵舎の玄関ロビーで具足を預けている間も、その音はしばらく、耳の奥から離れなかった。
 食堂で配食を受け、レザーニュの面々が来る際にはいつも囲むことになる、暖炉脇の大きな卓へ向かった。
 そこには珍しく、ノルマラン城代の、ドニーズの姿があった。彼女自体は役所が絡むような仕事の際に、つまり週に一度は顔を合わせるのだが、この兵舎の食堂で会うのは初めてかもしれなかった。
「ここ、外部の人間でも使えるんだってね。銀貨一枚でこの質と量、運営大丈夫なの?」
「儲ける為にやっているわけではないですからね。材料費と施設の維持費、従業員の給金が出せれば充分といった程度で。ビュッフェ形式とはいえ、この大人数です。同じ料理を大量に作るので、意外と経費はかかっていないのですよ。後で、内訳の詳細を、書類でお出ししましょうか」
「ああ、いずれ食品安全性の査察が入るはずだから、その時でいいよ。ここ立ち上げ時にも、検査は入ってるはずだし、後で当時のものを見てもいい」
 フローレンスたちとは、以前に挨拶を済ませている。それ以来の幕僚たちにも、ドニーズは軽い挨拶で済ませていた。彼女の脚が悪いことは、立てかけてある松葉杖を見なくとも、皆知っている。
「それで、城代自ら、今日はどうされました」
 ホワイトシチューにパンを浸しながら、アナスタシアは尋ねた。
「先日、新ゲクラン城の郊外でスポーツ大会やったって話、聞いた?」
「やるという予定までは。結果はどうでした?」
「大盛況だったみたい。次回からは年一回じゃなくて、二回以上は開催したいって。ほら、冬に向かないスポーツもあるじゃない?」
「確かに。逆もありますな」
 今日は運動量が少なかったせいか、シチューを妙に塩辛く感じる。元から塩の多い食べ物ではないのに、だ。悪天候でも、平日は常に全体調練はやるので今まで気づかなかっただけで、土曜日曜は、厨房の方で塩の量を減らした料理を出しているのかもしれない。逆に言えばそういう指示を出さずとも、厨房ではこういった調整が出来ているということだ。
 厨房は選抜試験に落ちた元傭兵たちを中心に雇っているが、ある意味町の料理人よりも、こういった部分を気遣ったものを出しているのかもしれない。野営の多い傭兵はそもそも、乏しい食料でも身体が求める食事を作ったりできる者が、意外と多いのだ。
「で、年二回以上の開催なら、各競技の顔見せ的な興行じゃなく、数を絞った競技を何日にも渡って見せる、リーグ戦やトーナメント形式とかで、もっと盛り上げられそうって話なの」
「なるほど。少し話を先回りさせてもらうと、霹靂団からもいくつかチームを出してほしい、そんなところですか」
「話が早い。乗ってくれる?」
「体力の有り余っている連中もいますし、今でも調練後にはラグビーやフットボール・・・サッカーと言った方がよいのでしょうか、ともあれそんな競技を遊びでやっている連中は、大勢いますよ。どんな競技が求められているかを教えて頂ければ、募集はかけてみましょう」
「助かる。中央には改めてこっちから問い合わせて、目録を送ってもらうよ」
「面白そうですね。レザーニュでも、運動競技の興行は、小規模ながらよく行われています。こちらでも、いくつか参加チームを募りましょうか」
 フローレンスが、話に乗ってきた。軍の編成にいくらか苦戦を強いられている彼女だが、元々民政に手腕を発揮する人間である。
「あ、それはいいかも。それも、事務局の方に問い合わせてみます。フローレンス様、その時はあらためて、よろしくお願いします」
 幾らか身を乗り出して聞いていた、フローレンス副官のジョフロワに、アナスタシアは話を振ってみた。
「ジョフロワ殿も、何かスポーツを?」
「いえ、私は騎士ですからな。若い時はもっぱら、馬上槍試合と、それに類する武芸大会ばかりで。先代までは、レザーニュでも年一回、そうした競技が行われていたのですよ。集団戦で一度、勝ち残ったこともありました」
 フローレンスが、いくらか驚いた様子で手を合わせた。
「まあ、それは初耳です。先代までは、そうしたことがあったのですね」
 馬上槍試合となると、大抵は領主とその奥方が観覧席の中央に座するものである。フローレンスがレザーニュに嫁いできてからもそれはあったはずで、逆に言うと、こちらに来て当初は幽閉のような扱いをされ、夫のジェルマンに虐待されていたという話が、真実味を帯びてくる。
「ええ、私はもう歳なので難しいですが、娘には一度くらい、騎士の大会に出してやりたいと思っています。パリシやゲクラン領では、今でも年に一度、そうした競技は健在です。次の戦で武勲を立て、フローレンス様の推薦が頂ければ」
 今でこそジョフロワはフローレンスの副官としてレザーニュでも一廉の人物となったが、ジェルマン治政では中央から遠ざけられていた。二人は穏やかな笑顔で会話しているが、期せずしてジェルマン時代の暗部が語られる格好になっている。そのジョフロワの娘ニノンも、相変わらずの勢いで話に乗ってきた。
「はいっ! フローレンス様のお許しあれば、レザーニュとアグノー家の名誉を掛けて、出場したいと腕を磨いておりますっ」
「ニノンがその気なら、喜んで。戦が終わったら、推薦させて頂きますね。」
「レザーニュの名誉をかけてというのなら、ぜひ私が」
 憂い顔の騎士クロードも、珍しく話に加わった。この勝利をフローレンス様の為に、などと宣いそうな男である。
「すみません、アナスタシア殿が訊いてくれたのは、そういう話ではありませんでしたな」
 話が脱線し始めたところで、ジョフロワは軌道修正に入った。さすがにフローレンスが副官に選んだだけあって、流れをよく見ている。
「私の治める村でも、そういう運動競技に勤しむ者はいます。あくまで遊び程度ですが。ただ私自身、町に出る時にそういったものを見るのは好きです。ゲクラン殿の競技大会にも、いずれ観客の一人として足を運びたいものですな」
 その日の昼食はひとしきり、競技大会の話に終始した。
「いやあ、レザーニュまで巻き込めたら、もっと面白くなりそうだね。アナスタシア、色よい返事、ありがとね。フローレンス様もご協力の申し出、感謝致します」
 立てかけてあった松葉杖を手に取り、ドニーズは食堂を出ていった。
「さてと、今日はこれでお開きとしましょう。次回は・・・そろそろ、クリスマスですか。フローレンス殿も、町の仕事で忙しいでしょう。年明けとなりますかな」
 そしておそらくその辺りには、ゲクランの西進の日取りも出ていることだろう。正確な日付はアナスタシアとフローレンスにしか知らされないだろうが、徴兵の準備、そして兵たちの移動がある為、一月末、あるいは二月頭辺りの出征なら、年明けすぐにでも動き出さなければならない。
 ゲクランの敷設した鉄道に加えて、レザーニュでは徴用兵を迅速に運ぶ道路整備を始めているとも聞く。あるいはアナスタシアが考えているよりも、徴募から出征までは、短い期間で行われるのかもしれない。
「はい。年内にもう一度、私と供回りだけでも、ノルマランに来ることもあるかと思います。アナスタシア様、クリスマス当日のご予定は?」
「二十日で年内の全体調練は締めますので、前後は蜜蜂亭で昼から働く予定です。霹靂団でも有志でパーティをやるらしいので、こことあちらの往復で、忙しくしていることでしょう」
 少し残念そうな面持ちで、フローレンスは頷いた。暇だったらあるいは、彼女の誘いがあったのかもしれない。
 食器を片付けると、アナスタシアとアニータで、一行を厩まで見送った。
「じゃあ、戻ろうか」
 声を掛けたアニータは、調練場の方を見ていた。二十人ばかりの兵が、雪合戦をしている。投石紐で雪を放っている者もおり、アナスタシアの講義は思いの外、兵たちに影響を与えているのかもしれないと思った。フローレンスたちに武具の話を聞かせるのが主題であり、それを見に来た半ば見せ物としてやっている感覚があり、楽しんでくれる者がいればいいといった程度だ。命令は一切出していないので、あくまで見たい者がいれば、という話である。
 雪で作った腰程の高さの防壁に隠れて、シュゾンがせっせと雪玉を握っている。どうしようもない屈託を持った娘が、それでも他の兵たちと馴染もうと努力する姿は、これまで何度か見かけてきた。
「はあ。こんな生活が、いつまでも続くといいんですがねえ」
「だな。私もこんな時代じゃなかったら、何かのスポーツ選手をやっていたかもしれないな」
「料理人じゃなくてですか?」
「そこで稼いだ金で、今頃店を開こうとしていた気がする。活躍できればだが。まあ、結局やることは一緒だ」
「うぅ、せっかく市井に戻ろうとしていた団長をまたこの道に引きずり戻して、恨んでたりします?」
「いや、お前じゃなくても、ゲクラン殿やフローレンス殿に、結局戦場に立たされていたような気もする」
「団長、意外と流されやすいんですよね。マイペースなのに」
「自分の歩き方しかできないと自覚しているから、逆に周りの求める声を聞こうとしてるんだよ。お前も、似たようなものだろう?」
 それには応えず、アニータは口元まで襟巻きを引き上げた。

 

 

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