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プリンセスブライト・ウォーロード 第26話

「勝つという意志が、時に自分の死すら撃ち殺す」

 

1,「誰も見つけられないような、暗く、狭い道だろうよ」


 風に、潮の香りが混じってきた。
 街道脇の森に、二十名程連れてきた部下たちを待機させ、マグゼはゾエを伴って木立を出た。
 西から、つまり海から吹きつける風は、強い。左手の眼下には、二剣の地最大の港町、カレーの街並が見えた。帆を畳んでいる船舶の帆柱の列は、先程までいた冬枯れの木立を思わせた。
 坂道を上り、灯台を目指す。そこを海沿いに少し行った場所が、これから会う、レヌブランの忍びとの待ち合わせ場所になっていた。流しの忍びを使って、連中は連絡を取ってきた。
 灯台の北、500m程か。向こうはまだこちらを視認した程度だろうが、マグゼの瞳は曇天の下、崖の近くで海風に外套をはためかせている、二人の女を捉えていた。エルフ程ではないが、ハーフリングの視力は人間のそれに比べて、遥か遠くを見る。
「若いな。もっと、老練な連中を想像していたが」
 半ば独り言だったが、ゾエはそうした言葉をよく拾う。
「二人・・・いるのでしょうか。私にはまだ、かろうじて人影として認識できるだけです」
「背の高いのと、低いの。顔は似てないが、姉妹のような距離感だな。背の高い方が、姉貴分といった感じか」
 やがて先方もマグゼたちであることに気づいたのか、こちらに手を振ってきた。
 レヌブラン側は、頭領を出すと言ってきた。なのでマグゼも、ゾエを伴って自ら出張ってきたわけだ。今こちらに手を上げている長い黒髪の女が、その頭領かもしれない。もう一人、小さい方の身長は、おそらく150cmに満たないだろう。が、ここからでもわかるくらいに、尋常ではない気を放っている。
 海沿いの崖に、隠れられるような所はない。灯台を通り過ぎてからは蛇行する海岸線に沿って歩いてきたので、岩壁に伏兵がへばりついてないことは確認済みだ。足元の枯れ草と冬でも葉を伸ばす逞しい雑草は、せいぜいくるぶしの高さである。所々、溶けきれず残った雪の残滓も、人が隠れられるようなものではない。
「初めまして。私の名はスピール。頭領自らご足労頂けるなんて、有り難い話だわ」
「マグゼだ。あんたが、レヌブランの忍びの、頭領かい? ビスキュイを、ノースランドの宮廷に送り込んだ」
「頭領は、私を含めて三人。ここにいるリュゼと、ビスキュイを含めた話し合いで、大まかな戦略を決める。実地の指揮は、それぞれの判断でやるの」
 スピールが差し出してきた手を、軽く握る。ちょっとした挙措から、こいつの戦闘力はかなり高い部類であるものの、ゾエはもちろん、マグゼより弱いと感じた。と言っても彼女の評価が下がるわけではなく、諜報や全体指揮に長けた者なら、兼ねてこれだけの戦闘力は、厄介な存在である。
 その後ろ、リュゼという忍びは、素人目にもわかるのではないかというくらいの、使い手である。子供っぽい大きな瞳に太く短い眉、ぽってりとした厚い唇の持ち主だ。ひっつめた短く茶色いポニーテールも、この娘を幼く見せるのに一役買っていた。その背の低さとはち切れそうな筋肉の固まりを纏った体躯は、あるいはドワーフの血でも入っているのではないかと勘ぐってしまう程だ。
「リュゼだ」
 娘は短く言い、マグゼとゾエの手を仕方なしといった態度で握った。愛想の欠片もない。その様子に、スピールが溜息混じりの微笑を浮かべる。
「あなたが、”牙足姫”ゾエね。スピールよ。噂以上の腕前のようね」
「お、恐れ入ります」
「あたしらについちゃ、調べがついてるようだな。こちとらレヌブランの忍びについては、大した調べがつかなかった。てっきり、”囀る者”に、顎で使われてると思ってたんでな」
 マグゼの挑発に、スピールは困ったような笑みを返しただけだが、リュゼの方は鼻を膨らませてこちらを睨んだ。今にも、その黒革の忍び衣装を、膨張した筋肉がぶち破ってしまいそうだ。
「それなりの、規模はあるわよ。そしてレヌブランとアッシェンが同盟を結んだ今、私たちも協力できるところはしたいと思ってね」
 本来はこちらから接触を謀りたかったのだが、先に手を差し伸べられる格好になった。一歩先んじられたことは、認めないわけにもいかない。
「で、協力って? ある程度の情報共有は、やぶさかじゃないがね」
「先日、マイラがこちらの網にかかったわ。網ごと食い破られてしまったけど」
「へえ、早速やり合ってんのかい」
 忍び同士は、作戦がかち合わない限り、やり合わないのが暗黙の了解になっている。
「餌は、方々に仕掛けておいた。なのに生き餌だけを正確に見分けて、食い破ってくれた形ね。捕え損ね、こちらも相当の犠牲を出した。いくらか、情報も抜かれたでしょう。作戦は失敗だったけど、けどそれなりの収穫もあったと思ってる」
「あたしのいる方にかかってくれりゃあ、確実に仕留められたんだが」
 リュゼの声は甘ったるい響きがあり、これもまた幼さを感じさせる。この娘も頭領の一人と聞いたが、忍びとしては感情を表に出し過ぎる。ただマグゼもゾエという朴念仁を傍に置くことが多い手前、あまりリュゼを責める言い分はない。リュゼもまた潜入や諜報を主戦としない、完全な武闘派なのだろう。
「マイラと、やり合ったことないだろ? やめとけ、お前を見くびるつもりはないが、あいつの強さはあたしが今まで見てきた連中の中で、間違いなく一番だ。奴を暗闘で仕留めるのは、大陸五強を暗殺することより難しいと心得な」
 マグゼの言葉にリュゼは食ってかかるかと思いきや、予想外にもその分厚い唇を尖らせて赤面し、俯くのみだった。
「でも、あたしがいれば、マイラを逃がしたにせよ、犠牲は少なく出来た」
 不貞腐れたように言う少女を見て、スピールは笑った。
「仲間想いなのよ、この子は。純粋なところがある。それなりに手を汚してきたけど、人として大切な何かを失っていない。それは純粋な強さよりもっと、希有な才能だと私は思ってるんだけど」
 なお艶やかな笑顔を向けてくるスピールに、マグゼは肩をすくめた。
「にしても、レヌブランの忍び三頭領は、若いんだな。これまでの潜伏の見事さから、老獪な頭領を想像してたんだがな、そこには素直に驚かされた」
「なら、もっと若い変装をしてくるべきだったかしら。三人の中で、私はそれなりに年嵩なのよ」
 強い風に長い黒髪を押さえたスピールの外見は、二十代前半の娘に見える。マグゼをしても、変装の痕跡はほとんどわからなかった。外套の下は東洋趣味の忍び装束であり、それが似合っていることも含め、これが素の彼女だと思い込まされていたのかもしれない。が、今までの言葉こそ陥穽で、あるいはリュゼよりも若いという可能性もないわけではない。この女の言葉は、ぺらぺらとよく喋る分、真偽が計り難い。
「で、協力体制って? マイラを殺す手伝いをしてほしいってか?」
「そうねえ。真っ先にとは言わない。マイラの順番は問わないわ。ただ、アングルランドの忍びは、一人残らず潰す」
「へえぇ、そりゃまた。忍びが忍びに、真正面から喧嘩を売るかい」
 不文律を破ることになるが、そもそもが復讐の連鎖を防ぐ為の慣習である。本当に最後の一人までやり合うと腹を決めたのなら、それはそれでいいのかもしれないと、常々マグゼは思っていた。そこまでの覚悟に見合う代価が、今まではなかったに過ぎない。暗闘が続けばその分、本来の任務である敵領土の情報収集、分析、工作に割ける人員は減る為、割に合わないのだ。
 が、スピールたちの考えは、敵を潰せばその諜報活動を阻止でき、かつこちらも自由に動き回れるという腹なのだろうか。かかる犠牲を無視すれば、それはそれで合理的なやり方でもある。
 それよりも気になったのは、マグゼが水面下で進めているマイラの暗殺計画に、このスピールたちが気づいているかどうかだ。そうと知れていれば、足元を見られることになる。マイラ暗殺に向けた共闘は、マグゼとしては涎が出そうな、おいしい話なのだ。
「私たちは、他のパンゲアの勢力の忍びたちと、あまり交流を持ってこなかった。たまに、流しの忍びから彼らのやり方や流儀を小耳に挟んだ程度でね」
「レヌブランの忍びは、我流を貫くってことかい。そういや、あんたらをなんて呼べばいい?」
「”無名団”。忍びになった時から名を捨てるので、歴代のレヌブラン領主は、私たちをそう呼んでいるわ。私のスピール(溜息)も、彼女のリュゼ(狡猾)も、通り名ではなく、今の本当の名前」
「あんたは、溜息が似合ってる感じがする。そこのお嬢さんも、案外狡猾なのかい?」
 マグゼがそちらを見やると、リュゼは顔を真っ赤にしてこちらを睨んだが、やがてぽってりとした唇を開いて言った。
「あたしは、もっと狡猾になれって、言われ続けてきた。一人前になって新たに名を与えられる時に、戒めの意味を込めて、リュゼと名付けられたのさ」
 名を奪われ、日々過酷な鍛錬を課される幼かった頃のリュゼが、なんとなく想像できた。同じく暗い道を歩むマグゼが思うことではないだろうが、あまり人道的な扱いを受けて来なかった人生と見える。スピールとリュゼは、外見も性格もまるで似ていないが共通して、どこか荒んだ空気を身に纏っている。
「にしても、あんた強いなあ」
 リュゼが、ゾエの長身を見上げながら言った。さすがにハーフリングのマグゼ程ではないが、この娘も人間としてはかなり小さい。そしてその認識を常に持っていないと、リュゼは大きな女であると錯覚しかける程に、圧が強い。でかい人間が寄ってくると思わず道を空けたくなるような圧力が、矮躯のリュゼにはあるのだ。
「牙足姫ってあだ名通りなら、得意は蹴りかい」
「蹴拳闘を、やっておりましたので」
「にしちゃあ、下半身がどっしりしてるな」
「組技を捌く必要もありますので。体術も、一通り嗜んでおります」
 小さいが反り返るように胸を張るリュゼと、大きな身を屈めて応対するゾエは、ある意味絵になる好対照だ。
「あたしは、自分より強い人間に、初めて出会った。ゾエ、たまに稽古してくれるかい? あんたとなら、本気でやり合えそうだ」
 リュゼの純粋さは、素直な部分としても出るらしい。武を修めてきた者が、それを内心認めていたにせよ、口に出して相手が強いなどと、まして本人相手に中々口に出せるものではない。リュゼも頭領の一人であるというのなら、尚更だ。
「はあ。あの、大きな怪我をしない程度なら。リュゼ殿も、相当にお強い。そしてこれからさらに、強くなられるでしょう」
「そうかい? あんた程の達人にそう言ってもらえると、ちょっと嬉しいな」
 少し険しい顔をして、リュゼは白い歯を見せて笑った。たまにいる、眉間に皺を寄せて笑う類の人間だ。
「で、マグゼの返事はどう?」
 二人を眺めながら、スピールが問う。
「協力したいって話か。それも本格的な共闘の。囀る者たちを潰せるっていう、勝算は?」
「勝ち筋が見えないと、仲間を犠牲にできないって話?」
「いや、この仕事に犠牲は付き物だし、時に部下を犬死にさせることもある。今更それを逡巡するほど甘い生き方はしてこなかったつもりだが・・・」
 無名団とどこまで深い付き合いをするべきか、判断の難しいところだった。油断のならない相手で、味方にすれば心強いが、規模によってはこちらが呑まれてしまうこともある。
「アッシェンとレヌブランの同盟は、期限付きだ。レヌブランの野望がアングルランド打倒に留まらないことも、薄々気づいてる」
「アングルランドを倒した後、私たちが潰し合うことを懸念してるのね。その時は、その時じゃない? そもそも私だって、アングルランドに恨みがあるわけじゃない。敵になった。それだけよ」
「随分とまあ、さばさばしてるんだな」
「陛下の意向次第だけど、アングルランドを倒した後、すぐにアッシェンに噛み付くかは、わからない。アッシェンとは新たに同盟を結び直し、アングルランドから奪った海軍力を使って、開拓地、あるいはエスペランサに食らいつくような気がする。もしくはアッシェンと協力して、グランツ帝国を分捕っていくとか」
「アングルランドを潰して即、敵同士になるとも限らないってことか」
「ノースランドの独立にも、協力してきたわけだしね。叛乱まで起こさせて、さらにそこを潰すってのは、おかしな話でしょう? それに私たちだって、元を辿れば同じアッシェン人だったんだもの。次の百年戦争をアッシェン人同士で始めようなんて、私だったら思わないけど」
「おいおい、独立して真っ先にアヴァラン領を落としやがったその口で、何を言ってるんだか」
「でも、すぐに返したでしょ?」
「やれやれ、溜息つきたいのはあたしの方だぜ。が、あんたらの戦略は、なんとなくわかった。嫌いじゃないね。組むなら、賢い連中に限る。少し、考えさせてくれるか。五分程でいい。頭の中を整理したい」
 二人から距離を取り、マグゼはゾエと向かい合った。唇を読まれないよう、口元を隠す。
「いかがいたしましょうか」
 手を組むかというよりゾエは、ここであの二人を始末するかを訊いている。元々悪い目つきが、さらに険を増す。物騒な考えがそのまま顔に出てしまうのが、この女の悪い癖だ。
「あいつらの護衛は、結構近くにいる。気づいたか?」
 身を伸ばしたゾエが、灯台の方を見つめる。
「あそこでしょうか。大勢が潜める場所とも思えませんが」
「いや、奴らから50m程北の、少し地面が盛り上がってる所だ。いくつか、不自然な凹凸がある」
「言われてみれば。近いですね」
「あたしも、連中が話してる時に気がついた。まったく、油断ならねえ連中だ。あまり、そっちを見るなよ。伏兵に気づいて屈したとなりゃあ、都合が悪い」
「リュゼは、強いです。今の彼女なら確実に殺せますが、二、三年で並ばれる危険があります」
「お前が言うんだったら、その見立ては正しいんだろう。てか、なんであいつのことを真っ先に口にした? そういうとこだぞ。お前、あいつに好意を持っただろう?」
「すみません。正直、好感は持ちました。悪い娘ではないと思います。殺すなら、これ以上、情が沸く前にと」
「ほだされんなよ。狙ってやってんなら、リュゼもその名の通りの狡猾さだな。ま、あいつの性格じゃ、計算してできるもんでもないが」
 もしレヌブランの忍びが接触してきた場合、協力者である王の忍びのマティユーからは、交渉を一任されている。その時点でレヌブランの忍びは小規模であるという想定だったが、現実は予想外の戦力だった。今こそあの人を食った親父に相談したいところだが、あいにくマティユーたちは今頃ずっと東、グランツとの国境付近にいることだろう。今ほど、魔法使いの念話とやらを羨ましく思ったことはない。あいつならこの状況でどう動くか、本当に半々といったところだ。
 無名団の二人の所に戻り、マグゼは口を開いた。
「囀る者たちを、どうやって潰すつもりだ? 一人一人炙り出して潰すってのは、舞台がレヌブラン、その独立を隠し通したからこそ、できたことだろう?」
「色々考えてるとしか、言いようがないわね。まだ秘密にしたいのではなく、どの作戦も煮詰めるところまで行ってないって話よ。そうだ、二剣の地で、アングルランドが接触か暗殺を目論んでいる、領主や有力者はいる?」
「いないことはない。かち合いそうなとこは、いくつかある。こっちが守りを固めているところを見せりゃ、手を引くだろうが」
「そこで一つ、彼らを引き込んで、一網打尽にできないかしら。その話を提供してくれるだけでいいし、あなたたちが主導したいのなら、こちらが矢面に立っても構わない。そちらの忍びに犠牲が出ないよう、かつ喧嘩を売ってるのは私たちだって相手に思わせるよう、立ち回ってもいいわ」
 やはり、旨味のある話である。無名団の目的が囀る者たちを潰すことにあるのなら、翻ってこちらに罠を張るとも考えづらい。しかし譲歩しているように見せかけて、マグゼの狙いに気づき、こちらに踏み込んできているという見方もできる。スピールは相変わらず、心根を読ませない微笑を浮かべるだけだ。
「・・・わかった。一つそこで、共同作戦といこう。以後も協力していくかは、その作戦の結果次第でいいか? あたしらはともかく、部下同士の馬が合うかは、組んでみないとわからないしな」
「慎重なのねえ。理由はともかく、まだ組むに値する相手と評価されていないのはわかった。ただ私たちが組めば、対アングルランド自体の勝算は、ぐっと上がる。忍び同士の話ではなく、国としての話よ」
「あたしはアッシェンってよりも、ゲクラン様の忍びなんだがな。まあいい。さっきあんたらは、勝算有る無しを抜きにして、囀る者とはやり合いそうな勢いだったな。もう、始めちまってもいるし」
「勝てるから、やるんじゃない。レヌブランの独立は、そもそもそういうものでしょう?」
「将来を悲観してるみたいな言い草だな」
「勝てるかどうかではなく、勝つのよ。その為に長い間、力を蓄えてきた」
「なるほど、計算じゃなくて、自信か。いや、それすらも違うな。勝つという意志が、時に自分の死すら撃ち殺すという、覚悟かな」
「もう、レヌブランは動き出した。そして囀る者の多くを手に掛け、その秘密を吐き出させた。レヌブランが負けたとして、彼らが無名団を生かしておくと思う?」
「自ら、死地に飛び込んだわけか。それは、バルタザールの命令かい?」
「いえ、私たちで決めた」
 スピールの瞳が一瞬、鋭い光を放つ。
「若い娘三人が、いささか向こう見ずにも感じるがね」
「つい最近まで、経験豊かな二人が、団を率いていたの。私は三番手で、いわば次の世代の筆頭候補だった。次代がどう動いてもいいお膳立てをして、二人は道を譲った。決めたのは新体制の私たち三人だけど、つまりはそう動いても勝てる道筋は整っていたのよ」
 今までのやり取りからわかるように、実質的な指導者は、このスピールなのだろう。ビスキュイがどんな性格かは知らないが、横にいるリュゼに関しては、団の方針をこの女に委ねているように見える。
「囀る者たちから吐き出させたって情報、ぜひとも教えてもらいたいもんだねえ」
「それは、正式に手を組んでからにしましょう。ただその中でも一つだけ、飛び切り大きい話を見せる為に、あなたをここに呼んだのよ」
「ほう。何を見せてくれる?」
 スピールは西の海、その水平線に目をやった。
「そろそろ、のはずなんだけどね」
 港近くには、何隻かの船が行き来している。いずれも大型の商船で、二剣の地の貿易の中心であるカレーの港では、今日も目がくらむような大金が踊っているのだろう。
 不意に、うなじの毛が逆立った。
「あなたのハーフリングの目には、もう見えているのね。何隻? こちらの情報では、五十は下らないと聞いたけど」
「・・・見えているだけで、早くも五十前後か。後続もありそうだ。全て、軍船か。一体どういうことだ? まっすぐこちらに向かってきやがる。ここは、二剣の地だぞ?」
「アングルランド宰相ライナスは、やはり馬鹿でものろまでもないということよ。船団の手配は、陸のそれに比べて、遥か以前から準備がいる。最近は珍しくアングルランドの宮殿に籠っていたと思ったけど、打つ手はもう、おそらくレヌブラン独立の報が届いたその日にも、打っていたんじゃないかしら」
 西からの強い風を受け、アングルランドの旗を掲げた軍船が、カレーを目指して進み続ける。もう、人間の目にもはっきり映っていることだろう。出航しようとしていた商船が慌てて、海の道を空けている。
「直前に掴んだ情報だけど、これはもっと前にわかっていたとしても、防ぎようがなかったわね。出航前の船を何隻か燃やして、嫌がらせと牽制ができたかってとこかしら」
 そこでスピールは、その名の通りの大きな溜息をついた。
「頭のいい人間の作戦というのは、動き出した時にはもう、詰んでいるのね。”戦闘宰相”ライナス。可能なら、その首も獲っておきたいところだわ」
「何気に大それたことを言うな、お前は」
 カレーに、おそらく抵抗の術はない。中立という名の日和見が、この街から危機意識を摘み取っていただろうことは、想像に難くない。
 二剣の地であるここを落とすことはそのまま、レヌブランに対する宣戦布告には当たらない。が、対レヌブランの橋頭堡としてこの地を落とすことは明白であり、かの国独立に対する、極めて敵対的な応答と言えた。
「これは、いいもん見せてもらった。情報は、正確さと同じくらい、速さも大事だしな。先程の話だが、こちらも二剣の地で近々、アッシェンに好意的、いやぼかして言うのも馬鹿らしいな、ゲクラン様の西進に協力を約束している領主の一人が、囀る者に狙われてる場所がある。追って、連絡させてもらうよ。窓口は、ここにあたしらを導いた、流しの忍びでいいかな」
「こちらから一人、連絡役を出すわ。人質代わりと思ってくれてもいい。監視を疑われても困るから、適当な距離を保って頂戴。それと共闘の見返りは、こちらも追々。できれば長く、いい関係でいましょう。王家の忍びマティユーと、霹靂団のラルフにもよろしく」
 スピールが、どこか切なそうな顔で笑う。数少ない、この女の素顔が見えたか。が、今度はそんな顔をした内心がわからない。
「あなたたちは私たちが最初に組む、そしておそらく最後になるであろう相手よ。背中から刺すような真似はしたくない。少なくとも、私たちの代ではね」
「お前たちが引退した後も、私はまだ鴉たちの頭領をやってるだろうけどな」
「長生きの種族は、いいわねえ。私もあと五年もしたら、十代の美少女に化けることが、難しくなってるのかしら」
 瑞々しさの溢れる頬に手を当て、スピールはそこでも溜息をついた。年齢不詳のこの女には、見た目以上にわからないことが多いが、関係性が深まれば、自然とわかることもあるだろう。
「土産話には、充分だろう? あたしは、あんたらと組みたいと思ってる。この発案は、あたしのものだ」
 リュゼが言い、マグゼはいささか虚を衝かれた。スピールはさらに溜息を重ね、こちらに向けて肩をすくめた。
「リュゼの名は、まさに戒めだな。てっきりこの忍びの同盟は、スピールが主導だと思い込んでた。もっと、狡猾に振る舞えよ。馬鹿な振りをしているだけでもいい」
「あたしは、あんたらと組めば、互いの犠牲が少なくなると判断した」
 三頭領の中でスピールが真の頭領という考えは、改めることができた。言った通りの、格のない三頭領か。そしてこのちょっと抜けた小娘もまた、対アングルランドに対して、独自の展望を持っている。その意図を残りの二人が聞き入れ、今日の会談に至ったのだろう。
「ちょっと、お前のことが好きになりかけてきたよ、リュゼ。お前より小さく弱いあたしが、その目にはどう映ってる? その気になりゃいつでも殺せる、取るに足らないハーフリングの年増ってとこか?」
「どうして、そんな意地の悪い口を聞くんだ。マグゼ、あんたはこの世界じゃ、伝説の忍びだ。あたしはずっと、あんたと話がしたいと思ってたんだ」
 人は挑発すると、どんな些細な形であれ、本音を出す。余裕のない者はにやついた笑いでごまかそうとすることも多いが、リュゼは真っ向から食って掛かってきた。
「へえぇ、そりゃまたどうして」
「だから、今言った通りだ。あんたみたいな忍びに、あたしはなりたいんだ。今のあたしがあんたに勝ってるのは、まともに戦った時の強さだけだろう。あたしには足りないものが多過ぎるって、自分でわかってる。あんたと組んで、あたしも成長したい」
 思わず、変な声が出そうになった。こそばゆい。同時にリュゼの大きな栗色の瞳を、たまらなく愛おしいものに感じた。
「その素直さは、あたしにゃいくらか眩しいね。共闘はあらためて、前向きに考えておく。スピール、こいつの世話は大変だろう?」
「かわいいところがあるから、苦にはならないわ。そもそも彼女、かわいいものが好きなのよ」
「な、スピールの姉貴、その話は全然関係ないじゃないか」
 上気した頬を膨らませるリュゼを見て、マグゼたちは笑った。
 マイラの暗殺計画をこいつらが気づいていようといまいと、良質な共闘関係が築けるのなら、その作戦に無名団を引き入れてもいいと思った。あるいは無名団がマイラの命を狙う時に、相乗りしてもいい。忍びが欲しいのは武勲ではなく、結果である。
「今回は有益な情報、ありがとよ。あ、リュゼがかわいいもの好きって話な」
 何か言い掛けたリュゼに背を向けて、マグゼたちは岬を離れた。
「とても、真っすぐな娘です、リュゼは。ますます、好意を抱きました」
「すっかり、ほだされやがって。ただ珍しいな、あの純朴さは。それを失わずに、あんな強さを身に着けた。スピールの言う通り、そっちの方が、希有な事例かもしれないな」
「あの純粋さが、人を惹き付けるのでしょう。まだ頭領として、未熟ではあるのでしょうが」
「お前が言うかね。ま、惹かれる部分があるってのは、あたしも同感だ」
 木立に戻り、部下たちと合流する。一人をそのままカレーに向かわせ、二人、カレー急襲の報をゲクランに伝えさせるべく、離脱させた。
「にしても、いるところには、いるもんだ。ゾエ、お前みたいな怪物を捜すのにも、あたしらはそれなりの手間と時間を掛けたんだぜ?」
「恐れ入ります。リュゼはあの強さを、どこで身に着けたんでしょうね」
「誰も見つけられないような、暗く、狭い道だろうよ」
 それ以上言わず、マグゼは溜息をついて、苦笑した。スピールの癖が、乗り移ったかのようだ。
 街道に入る前に部下を半分に散らし、元の任務に戻す。マグゼを含めた数人と巡礼者の一家の格好に着替え、旅を続けた。黒革の忍び衣装が見えないよう、傷んだ外套をしっかりと羽織る。このままカレーに入るつもりだったが、アングルランドが占拠する以上、囀る者たちとかち合うこともあるだろう。マグゼやゾエがあの街に潜入するのは、事態が落ち着いてからだ。予定を変更し、東へと引き返す。
 父親役をやっている忍びの後ろで、マグゼは誰に言うでもなく、呟く。
「少し、楽しみになってきたな。無名団との共闘だが」
「珍しいですね、頭領のそういった物言いは」
 男が振り返るが、顔は遠方を何の気なしに眺めたという形を崩さない。
「だな。私も意外に感じてる」
 言って、マグゼは曇天を見上げて笑った。

 

 

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