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2,「私たちには、美味しいパンを焼けるだけの力があるのに」


 フローレンスの騎士たちと、合同の訓練をした。
 武器を使っての演習ではなく、体力の測定に近い。力にかなりばらつきがあるというのが、アナスタシアの感想である。このまま戦場に出すとしたら、体力ごとに編成を分ける必要があるだろう。そのことは、フローレンスにも伝えた。特に城仕えの騎士たちは、徴用兵にくらべればまし、といった程度か。
 バルバラの麾下十数名だけが、異彩を放っていた。こちらは霹靂団の平均をはるかに上回り、旧霹靂団から合流した古強者たちと比べても、遜色ないくらいだった。
 さすがは、常時賊との戦いに駆り出されているだけある。体力しか見なかったが、武具の扱いも一流だろう。当のバルバラも大して汗をかいた様子もなく、今は真冬の白い息を眼鏡に吐きかけながら、その曇りを拭っていた。
 意外にも、フローレンス自身はそれなりの持久力があった。先の戦の後、走り込んできたのだという。華奢な見た目通り膂力はまだないが、戦の指揮に耐えうる持久力はありそうだった。疲れにくいということは、それだけ戦場で冷静な思考力を保つことにも繋がる。疲れは、まず思考を奪うのだ。
 アナスタシアの周囲でいくつか、火が焚かれる。これから例によってアナスタシアの武具の講義が開かれるわけだが、汗をかいた後にじっとしていると、風邪を引きそうな寒さである。スラヴァルと違い、ここでは良い防寒具も見つけにくかった。兵の動きに耐えられるものが、少ないのである。
 人が集まったところで、アナスタシアは声を上げた。フローレンスたちが早速、書き付けを手に真剣な眼差しとなる。
「では、今日も武具の話をしていきます。今回から徴用兵に限らず、戦場でよく見かける武器についてとなりますが、まずはこれ、メイスです。騎士の方々は、これの訓練をしたことがあると思われます」
 立てかけた武器の中から、鎚矛を手にする。
「棍棒を、補強した形に近い。ご覧の様に頭の部分は、分厚い金属の板を組み合わせ、頑丈な角を多く備えた格好です。ただ楕円形の金属のものもありますが、より衝撃が大きくなるため、そういったものは柄まで鋼鉄製だったりしますね」
 今までは人型を使ってきたが、よく考えれば人の背丈程の太い杭と、板金で威力については充分伝わるはずだった。なので今回はその形で用意していた。修理するより解体した方が良いという鎧が、もうなくなってしまったという事情もある。
「短い武器ですが、かなり重たい。先端付近が重いので、余計そう感じるのですな。振りやすさより、威力を重視した形状です。この種の重たい、かつ刃のついていない武器全般に言えることですが、重くて頑丈な武器がもたらす衝撃は凄まじく、板金鎧なとものともしません」
 板金をしばりつけた杭に、鎚矛を一振りする。派手な音を立てて、板金は大きく凹んだ。後ろの杭も、折れかけている。
 兵たちから、大きなどよめきが聞こえる。今更ながらどうも、アナスタシアの武器の扱いは、兵を感嘆させるようである。
「威力は、なかなかです。相手の頭部にまともに食らわせれば、兜ごと頭蓋骨を粉砕できます。まあこの重さゆえ、速度重視で強く振り込むと、そうそう相手の弱いところに狙いをつけるのも難しいですが。ただこの威力ゆえ、とりあえず身体の中心付近に当てようとすれば、結果多少のずれがあったとて、それなりの威力が期待できます。次は、これですが」
 片手用の、戦鎚を取り出す。
「ウォーハンマー、戦用の金槌です。この金槌の部分で敵を打つのが、まずは基本です。メイスと比べ頭の部分の重さに欠けるため威力が、そして打ちつける面積が少ない分衝撃力に劣るように見えますが、戦鎚は片手用のこれでもそこそこの長さがあり、遠心力を使えば殺傷力に遜色はありません」
 新しい杭に、一撃を加える。鎚矛と同様の結果に、兵たちも納得したようだ。
「この武器は、もう一つの使い方があります。鎚の反対につけられたこの大きな突起、ピックですね。ご想像の通り、この尖った先端の一撃は、板金をたやすく貫通し、敵の肉体に深く突き刺さります。が、注意しなくてはならないのが・・・」
 ピックを、再び杭に打ちつける。板金などなかったかのように深く突き刺さったが、引き抜くのには、アナスタシアでも両手を使わなくてはならなかった。
「当たり所が良過ぎると、今の様に深く刺さり過ぎるのです。威力は申し分ないが、武器を持っていかれてしまう可能性がある。一騎打ちならそれすなわち敵に重傷を与えているので構わないのですが、戦場では大抵、目の前の敵を倒してもすぐ、次の敵が現れます。次の武器を用意するにしても、隙が生まれる。なので、使い所の判断が必要になってくるでしょう。状況が許せばこのピックを使う、そうでないなら金槌の部分を使う、と」
「はいっ。アナスタシア殿は、戦鎚を戦場で使ったことがあるのでしょうかっ」
 フローレンスの副官ニノンは、すっかりその適切な質問で、話を回す役割を担っている。
「あるよ。馬上が多いのでこの片手用のはあまり使わないが、下馬して戦わなくてはならない時に、二度程これを使ったことがある」
「ピックが深く食い込み過ぎたことも、あるのでしょうかっ。あった場合は、その対処法をっ」
「腕で引き抜こうとするのではなく、相手の身体を蹴り飛ばした。後ろの奴ごと倒れて体勢を整える間が取れたが、正直ひやりとしたな。敵の数が多い時は素直に、金槌の部分を使った方が良いと、あらためて思った。その時の相手が強く、一撃で倒す必要があったんだよ。が、賭けのような立ち回りになってしまったと、反省したものだ」
 書き付けにペンを走らせ、ニノンが何度も頷く。こちらの話している言葉より明らかに多くを書き込んでおり、一度何を書いているのか見せてもらおうとも思った。
「似たような扱い方の武器として、二つの変わり種を用意しました。一つは、見たことのある方もいるでしょう、モーニングスターです。メイスより柄が長く、頭の部分は球体に、このようないくつもの突起がついております。メイスとピックを合わせたような武器ですな。ただ突起はピックより短く、深くは刺さりません。中は空洞で、実は見た目ほど、重さで衝撃を与えられるわけでもない。また先端がいくつも刺さってしまう分、威力も分散してしまう。板金鎧を着た相手には見た目ほど凶悪な性能があるわけでもないのですが、軽装の相手だと話が変わってきます。戦場用の頑丈な衣服はもちろん、刃を通さない硬く仕上げた革鎧でも、猛獣の鉤爪の様に引き裂き、大きな痛手を負わせることができる。そこそこの重さゆえの、そこそこの貫通力。さらに振り抜くことができる長さと、使い所を間違わなければ、結構強力な武器です」
 兵たちが唸り声を上げて頷く中、同種の武器の最後として、アナスタシアは鉄鞭を取り出した。
「これは、この辺りでは珍しい武器ですな。鉄鞭といいます。遥か東、ターハンの武器です。見たところ鍔に持ち手と、小剣と形状が似ていますが、刃の部分が太い鉄の棒になっています。バランスは相当に悪い為、棒の部分も短めなのでしょう」
 二度、三度と宙を斬る。低い笛のような、不気味な音がした。
「剣のような刃があるわけでもなく、メイスほどの重さも利用できない。初めて手にした時は、両方の武器の利点を潰したような、奇妙な武器だと思いましたが、これが使ってみると、意外にも・・・」
 杭を前に、鉄鞭を一閃させる。頭くらいの大きさにに引きちぎられた杭の先端が、宙高く飛んだ。兵たちからは、驚きの声が上がっている。
「剣とメイスを、合わせたような武器だったのです。ただ、扱うのにかなりの腕力と、技量が必要だとわかりました。力の伴わない者が振ると、木の杭程度でも反動が自分の方へ返ってきて、腕を傷めてしまう。ある兵など、思い切り振ったせいで、肩を外してしまった。二つの武器の利点があるものの、誰にでも扱える都合の良い武器ではないということです」
 特殊な武器であり、この武器の紹介は余興のようなものだったが、むしろ兵たちは関心を示したようだった。ちなみに先日の合成弓同様、これもボリスラーフの所蔵品の一つである。
「一時、剣の代わりにこれを携えていたことがありました。が、都合のいい武器である分、使い慣れてくるとどうもこの武器に引っ張られるというか、鍛錬時の剣の扱いが下手になっていることに気づいたのです。打ち出す刃の角度を、考えなくなってしまうのですな。鉄鞭を扱うのなら、これを伴侶とする覚悟で鍛錬に励まなくてはならない。半年程で持つのをやめましたが、極めれば、最高の武器の一つとなるかもしれません。特に、相手の剣などはたやすく折ることが出来、メイス等に比べれば小回りも利く。が、バランスが悪いため疲労が激しく、技術と膂力の他に、持久力まで要求されます。癖の強過ぎる武器ですね」
 鉄鞭の付き合いづらさについて語っているつもりだが、兵たちの何人かは、明らかにこれに興味を示したようだった。
 弓兵を除き、兵には基本の武器として槍を持たせているが、第二第三の武器については個人の自由としている。傭兵経験の長い者もいるのだ。いざという時は、最も慣れ親しんだ武器で戦った方がいい。
 加えて、ここに来て新たな武器の扱いに励んでいる者たちも、少なくない。手にしたことのない武器も紹介していくというのは、彼らの生き残る手札を増やす結果になればいいとも思う。希望者の多い武器は支給出来る形にし、するとさらに多くの職人が必要となってくるだろう。
「次は、斧といきましょう。これこそ、メイスの重さと剣の鋭さを合わせた、利点多い武器ですな。重さと遠心力ゆえ、当たろうが外れようが、意図せず振り抜く形になってしまい、躱された後に体勢を整えづらい、というのがあえて言えばの欠点ですか」
 片手斧を持ち、板金に叩き付ける。刃が食い込んだが、刺さっているわけではないので、引き抜くのにさほど苦労しない。
「徴用兵は、自前の武器としてこれを携行する者も多いことでしょう。薪割りに耐えられるような構造です。頑丈な武器で、多少刃が潰れたところで、そう威力の落ちる武器でもない。片手用でも両手で扱えるだけの柄の長さがあれば、もう片方の手を頭付近に、振り下ろす時に持ち手の方へ滑らせれば、あまり力もいらず、操作性も増します。薪割りと同じ要領です。薙ぐ、振り上げるという使い方は、ある程度の訓練が必要でしょう。柄のとても長い、そもそも両手斧として作られたものについては・・・バルバラ、試しをやってみるか?
 おそらくフローレンスの幕僚の中で最も強いのは、この女である。そしてバルバラの得物は長短二つの斧であり、アナスタシアがそれをどう使うか、いつも以上の関心を持ってこちらを見ていた。
「え、私? 何をすればいい?」
 が、アナスタシアは斧の達人というわけではない。傍に達人がいるというのなら、兵の為にもバルバラの扱いを見ておく方が良いと思った。
「あの杭を、両断してみてくれ。できるだろう?」
「了解。フローレンス様の部下の前で、ちょっとは強いってとこ、見せておかないとな」
 言い方から、歩兵の隊長を任される予定であるにも関わらず、バルバラはあちらの騎士たちにはあまり評価されていないのかもしれないと感じた。レザーニュ領としては、田舎の出身でもある。その分実戦経験が豊富なのだが、身分や格のようなもので、一段劣ると取られているのか。社交的な性格であるにも関わらず、何となく、彼らの間では浮いているような気もしていた。
「ああ、そこのみんな、ちょっと下がってて。アナスタシア、両手斧だけど、片手で使ってもいいかな。その方が、慣れてる」
「好きにしてくれ」
 頷くと同時に、無造作にも思える自然な動作で両手斧を振り上げたバルバラは、そのまま躊躇なく杭の真上から刃を振り下ろした。
 巨岩がすぐ傍に落ちてきたような衝撃を、地面から感じた。思わず目を閉じてしまった兵もいたようだが、それを開けると一様に驚いた顔をしている。フローレンスも丸い目をして、口に手を当てていた。
 両断された杭と板金が、左右に転がっている。切り口はバターを切ったように、鮮やかなものである。
「敵としてお前と出会っていたら、私も本気で臨まなくてはならなかったな」
「そうかい? そりゃ何よりの褒め言葉だ」
 どうだと言わんばかりの笑顔で、バルバラはフローレンスの麾下たちを見つめた。
「斧の重さ、竿の長さの遠心力、そしてバルバラの膂力を持ってすれば、鎧を着た人間でも、同様の有様でしょうな。バルバラ、斧はいつから得手としている?」
「剣の振り方も、碌に教わる前から。子供の頃から背は高い方だったが、ひょろひょろの痩せたガキでね。薪割りがいい鍛錬になると聞いて、一時は城で使う薪の全てを全部私が割ってた時期もあった」
「肉が、つきにくい体質だったのか?」
「よくわかるね。太りにくくもある。今じゃ、こんな有様だけど」
 バルバラが笑って作った力こぶは、人の頭ほどある。男ですら滅多に見られないような筋骨隆々とした肉体だが、肉のつきにくい体質であることを考えると、気の遠くなるような鍛錬を繰り返さない限り、このような肉体にはならない。加えて女でもあり、膂力の強さが見た目に出にくいはずでもあった。
「力自体の強さもそうだが、速度と正確さにも目を見張る。いい筋肉を身に纏ったな」
「いやあ、そこまで褒められると、さすがに照れる」
 眼鏡の位置を直しながら、柄にもなくバルバラははにかんだ。
「バルバラの凄さがわかったところで、今日はお開きとしましょう。次回も、近日中に」
 終了後に皆で食堂に向かうというのも、恒例になっている。ただ今回、アナスタシアの元に真っ先に駆けよってきたのは、バルバラだった。
「なんか、気を遣ってもらっちゃったみたいで、悪いね」
「お前の技を見たいと思っただけだ。斧では、独自の境地に達している」
「これで、あいつらの私を見る目も、ちっとは変わるかな」
「素人でも強さがわかりそうなお前を、馬鹿にする奴がいるのか?」
 察するところはあったが、ここは本人の弁で確認するのがいいだろう。
「田舎者でね。立ち振る舞いなんかで、多少見下された態度は取られるんだよ。わかるかな」
「強さを買われて、お前はフローレンス殿に見出された。気にするなと言いたいところだが、そうもいかない環境なのかな」
「レザーニュ城じゃ、少し肩身の狭い思いをしている。たださっきのアレで、見方も変わってくれると思う。感謝してるよ」
「貴族の娘だ騎士だとかの前に、お前は戦士だよ。だが戦場に出る前に他の騎士たちの信頼を得られるのなら、それに越したことはないよな」
「その通りだ。にしても戦士だなんて、照れるね。もう少し自由な身だったら、あんたの旗の下で戦いたかったと思う」
「それは、私にとっても充分な評価だよ。歩兵の隊長を誰にするか、悩んでいる。まだこれという者が出て来ず、このままだと結局ボリスラーフに任せることになりそうだ。お前がいれば、迷いなく任せられたのにな」
「またまた。いやあ、ホント照れる」
 頭を掻きながら、バルバラは本当に嬉しそうに笑った。

 

 この競技は、戦に通ずるものがある。
 ラグビーという運動競技を見ながら、ゲクランは思った。実際、着想もそこから来ているのだろう。
 観覧席、隣のパスカルに目をやると、大声で声援を送っていた。この皮肉めいた男がこのように声を張り上げるのは、戦場をおいて他にない。
 あらためて、ゲクランは競技場に目を移す。陣営を分け、一つの球を奪い合い、所定の場所に移動させるのが球技の基本と言ってよく、このラグビーは選手同士の押し合い、ぶつかり合いが見所の一つになっている。球は投げても良いが、味方同士では自分より前の選手に球を回せないという縛りが、いい味付けになっていた。
 追手を振り切り、楕円形の球を抱えて駆ける選手が、敵陣と目される白線を超えて、飛び込む。三千人の観衆が一斉に歓喜と、あるいは落胆の声を上げた。観衆も、両陣営のどちらかを応援している。
「ゲクラン様、そろそろ次の競技場に」
 小姓の一人が言い、ゲクランは席を立った。名残惜しそうに競技場を見つめ続けるパスカルの袖を引っ張り、同行を促す。
「最後まで見たい? あなたの町のチーム、このまま勝ちそうじゃない?」
「いえ、まだ前半を終えただけですから。一度休憩ですし、この後がらりと流れが変わることも多いのですよ。まあ、今回は仕事です。他の競技も見て回らないといけませんからね」
 心底落胆した様子で、パスカルは言った。
 ゲクランたちの帰り支度に気づき、何人かの観客がこちらに手を振っていた。それに軽く応え、裏門から簡素な作りの競技場を出る。
 新ゲクラン城の、郊外である。城下町の周辺に、民間で行われている運動競技の祭典を催していた。各競技場のみならず、原野には屋台や掘建て小屋が乱立し、目当ての競技の前後では、こうして酒や食事を楽しんでいるようだった。
 パリシ解放軍の大軍を思い起こすような、見渡す限り、人の海である。競技者、関係者、観衆を含め、二十万前後の人間がこの郊外に集まったという。
 供回りを掻き分けるように、何人かの新聞記者が集まってくる。彼らを通すように伝えると、記者たちは書き付けを手に、ゲクランの前に並んだ。左腕に、こちらが発行した腕章を着けているのを確認する。ほとんどがゲクラン領の記者だが、二人ばかり、パリシの新聞社の者もいるようだ。
「ゲクラン伯、今回の大会は、大成功に終わりそうですか」
「まだ初日よ。けど、三日間でそれなりの人は集まるでしょうね。鉄道客車の予約も、いっぱいだと聞いてる。駅馬車も、総動員だと聞くしね」
 この運動競技を一同に会させた大会、ゲクラン杯は、既にして成功と言っていいだろう。記者たちの前では涼しげな微笑を崩してはいないが、内心パスカルに抱きつきたいくらいの達成感である。ここにいないアルネストが、運営に当たって大きく貢献していることは、あまり知られていない。彼をこそ、今からその領地まで飛んで行って、抱き締めたい。
「この大盛況です。早くも、次回大会を望む声が出ています」
「やるわよ。ただ、時期はずらそうと思ってる」
「と、言いますと」
「クリスマスが近いからね。年末商戦に、水を差す懸念がある。ゲクラン鉄道の開通に合わせてこの日取りになってしまったけど、次回は十月か、遅くとも十一月くらいにしたいわね。ここまで人が集まるとは思ってなかったから。それは私の計算違いだったわねえ」
 多少の無理をしてでも人を集めようとしていたのだが、駅馬車を探すのも難しい現状にあっては、むしろ集まり過ぎたと言ってもいい。鉄道を超える利が上がっているという駅馬車については、先にそちらの交通網の増設を図っても良かったという反省がある。アルネストをして、良い意味での計算違いだったのだ。しかし全ての責任は、彼らに一任したゲクランにある。
「ああ、それと可能なら、年二回の開催にしたいわね。走り回るような競技はいいにしても、ゴルフや・・・あと野球だっけ? ああいった、じっとしている所から一瞬で全力を振り絞るような競技は、寒い時期にやってくれるなと、指導者たちから怒られちゃったわよ。怪我人が出るんですって。だからそうね、春と秋、そんな感じで出来たらいいんじゃないかしら。室内で行うものについては、別途考えるわ」
 記者たちが頷き、ペンを走らせていく。一人が挙手し、ゲクランは質問を促した。
「アングルランドのロンディウムでも、そのような形で大会が開かれていると聞きます。伯は、敵国の真似がしたいと?」
 領内の新聞には、ゲクランの治政そのものに否定的な論調のものもある。他領だったら圧力をかけているところだったろうが、ゲクランは彼らを好きにさせていた。のみならず、その活動に助成金すら出している。批判的な言論は、質が高ければゲクランにとって貴重な諌言になるからだ。それにいくら治政が上手く回っているように見えようが、民の全てが満足することはない。
 批判的な新聞は、声なき声を拾う。それぞれの仕事に満足していれば、ゲクランが役人から、民の声を聞くことすらない。不満を掬い上げるのはこうした新聞の役割であり、ゲクランもそれらに目を通すようにしていた。
 ただ、目の前の記者の詰問は、質が高いとは言えない。なのでここは、軽くいなしておいた方が良いだろう。
「二番煎じって言いたいの? ゴルゴナみたいに年中大きな大会が、民の力だけで開催できれば、それが最高なんだけど。ああ、この話は論旨からずれるわね。敵が美味しいパンを食べているのなら、私たちが不味いパンを食べる必要はないわよね? 私たちには、美味しいパンを焼けるだけの力があるのに」
 いくらか鼻白んだ様子で、その記者は書き付けを続けた。今の質疑は、それぞれの記者が聞いている。どう料理してくれるか、明日の新聞が楽しみである。
「後は、今日の大会が終わってからでいいかしら。明日の記事に間に合わないと思うけど、日が落ちてからなら、時間は取れる。今は、お腹がすいてるのよ。次の競技がゆっくり食事しながら観戦できるものだといいんだけど」
「お食事は、どんなものを」
「え、そんなことまで聞きたいの? その辺の屋台で買うわよ。どんなもの出してるのか、抜き打ちで試させてもらうわ」
 ゲクランが手を振ると、供回りたちがやんわりと記者たちを追い出していく。
「ええと、この後は・・・野球という競技なのね。ゴルゴナや開拓地で流行ってる、団体競技だったと記憶してるけど。ルールは一通り読んだけど、わかりづらいわ。守備側が投げた球を、棒で打ち返し、塁を攻略していく。戦術的な競技が多い中、これは戦略的な競技なのかしら」
「見てみると、意外と面白いですよ。娘は、結構好みだったようで」
 パスカルは、この競技を見たことがあるようだ。
「ドニーズね。脚のことでゴルゴナを訪れた時に、観戦してるのね。そうそう、ノルマランでも三つ四つ、競技チームが作れるんじゃない? 霹靂団がいるんだもの。大きな街三つ分くらい、運動の得意な人間が集まってる」
「ハハ、なるほど。次の書簡で、娘に持ちかけてみます」
 供回りたちと共に、出店を見て回る。食べ物はこの時期によくあるような屋台ばかりだが、選手の似顔絵の版画や、ぬいぐるみを売っている一画が目についた。ゲクランが姿を現すと、どこの店主も恐縮したり愛想笑いを浮かべている。民と触れ合う時はなるべく気さくにと心掛けているが、先方はそうもいかない場合が多い。
 繁盛していそうな店に入る。急ごしらえの小屋だが、棚に並べられた商品は多い。
「ねえこれ、こういうの売ってるって、選手は知ってるの?」
 ぬいぐるみの一つを手に取りながら、ゲクランは主人に訊いた。若い男だが、やり手であろうことが、その佇まいに漂っている。
「あ、いえ、知っている者は、知っていると思います。許可を得たわけではありませんが」
 いくらか、才気走るところがありそうだ。先回りして、訊いていないことまで言葉にしている。
「結構売れてるみたいだけど、儲けの一部を、少し選手側に回してもいいかもしれない。著作権みたいな。肖像権という法が、ゴルゴナにはあるけど」
 店主は、多少狼狽えている。何かの法に触れていないか、必死に頭を回しているのだろう。
「ああ、驚かせて悪いわね。ただ運動競技を興行として成り立たせるのは、大変だと聞いている。今は、こちらで援助してる形よ。チームか、あるいは競技のお墨付きをもらうってのは、どう? 選手なんか、競技に出るのに手弁当で集まっていると聞くし」
「私どもも、選手や競技の人気にあやかって、商売をさせて頂いております。儲けの一部でも、援助できる時には、させて頂きたいと思いますが」
 若い主人は、話に乗ってきた。後はきちんとした形にしていけばいい。
「援助や寄付を、強制はできないわ。そこの判断に口を出せないし、私がやることでもある。でもたとえば、この子・・・サッカーのユニフォームの十一番の子、これが売れたらこの子の利益になる方が、やる気にも繋がるんじゃない? 精神論を言いたいんじゃなくて、いいプレイを見せる、動機になるというか。選手もあなたも、損な話じゃない。お墨付きっていうのは、そういう話よ」
「ははあ、確かに。お墨付きとあれば、何も選手を模したものじゃなくても、売れるかもしれません。応援する時の三角旗に、チームや選手の名前を入れるとか。勝手に作っている身としては、さすがにそこまではできないというものがありましたし」
「そもそも、ここで商売をする税は取ってるんだから、税の二重取りは避けなくちゃいけない。けどこういう商売に限って税を半分にする代わりに、残りを選手やチームにやってくれと言ったら、どうかしら。額は同じでも、ひとつ手間が増えちゃうけど」
「まあ、儲けを直接還元できるわけですし、負担額そのものが同じなら、多少の手間は」
 その競技に対する助成金を減らしつつも、彼らにかかる負担を減らすことで、儲けを出させる。そうなれば各々の負担が減りつつも、税収は増えるのだ。ゲクランの狙いがわかったのか、若い主人は納得の笑みを浮かべた。
「わかりました。悪い話じゃありません。一人二人雇うことになりそうですが、それでもお釣りがきそうです」
「後で、役人をこちらにやるわ。彼と相談して、どんな形がそれぞれに損がないか、話し合って頂戴。上手く行きそうだったら、新法として施行する」
 ふと、棚の前でぬいぐるみを物欲しそうに見つめている少女が、目に入った。五、六歳といったところか。
「あなた、何が欲しいの? 買って上げるわよ」
 身を屈めてゲクランが聞くと、少女はしばし逡巡した後、口を開いた。
「んー・・・こ、これが欲しいの」
「迷ったわね。本当はこれとこれ、二つ欲しいんじゃない」
「そ、そう」
「主人、これは何の競技の選手? 手に、網の付いた棒を持っているわ」
「テニスですね。お一つ、銀貨三枚です」
「テニスは・・・二日目だったかしら。まあいいわ。二つとも頂戴」
 少女の目がぱっと輝き、ぬいぐるみを受け取ると、それを抱き締めた。ぺこりと頭を下げ、屋台の長椅子で談笑している男の一人に駆け寄る。父親だろう。
「ま、そういうことで、色々協力してもらえると嬉しいわ」
「わかりました。それにしても伯は、どうしてこの店に」
「大きな商会に入ってるわけじゃなさそうなのに、儲けてそうだからよ。それに、商品の、質がいい。テニスなんて、あの子、知らないんじゃないかしら。ぬいぐるみがかわいかったから、欲しくなった。それだけのものが、作れている。子供は、素直ねえ」
「あ、ありがとうございます」
「あの子が自分の小遣いだけで、欲しい物を買える土地を目指してるの。ここだけじゃなく、他の店もね。この意味は、あなたも仲間たちと考えてみて頂戴」
 それ以上商売に踏み込んだ話は、為政者の自分がするべきではない。ゲクランは、店を後にした。
 供回りたちと、ゲクランの姿を認めて、時折上がる歓呼の声を聞くだけでも、この大会はその税収だけでなく、評判の面でも成功を収めたと確信する。金回り自体は、既に大会前から相当のものが動いているのだ。
 金は、回せば回す程、膨らんでいく。かつてパスカルが、そして今はアルネストが度々口にする、経済の鉄則である。
 ゲクラン領の今年の重要政策として、鉄道、報道、運動競技の三つを挙げていた。
 鉄道は、なんとか年内に開通できた。数年掛かりの事業であり、ゲクランがここの盟主になってからの、悲願でもあった。有事、平時両面に対応した作りとなっており、今後のゲクラン領の、基盤となる事業だろう。鉄道そのものの儲けより、これがもたらす経済効果は期待が大きい。物流を発展させるだけでなく、これに伴い馬車網にも大きな需要が見込めそうなのだ。新しい事業をやり始めて旧来の商売が潰れるのでは、結局経済の規模を縮小させる為、最新の注意を払って進めてきた。
 報道に関しては元々自由な土地柄でもあったが、今年からは毎月、日刊で千部以上、週刊か月刊で五百部以上のある新聞社、印刷所を兼ねたそれらに、最新の活版印刷機を導入する助成金を出した。
 ゲクランに批判的な新聞社の社長たちが狼狽したという話は、今でも痛快である。先程も思い返した通り、不平不満は、ゲクランの聞きたい話である。ゲクランの幕僚は忠義厚く、執政に対する批判は、なかなか聞こえて来ない。それとなくゲクランの出した案と反対のものを提案され、ゲクランもそれを採択したりするのだが、それがより良い案なのか、ゲクランに対する反対の意なのか、わかりづらいものもあるのだ。反対意見がないというのは領内の頂きに立つものとして、これはこれで寄る辺ない気持ちにさせる。間違っている時にはっきりそう言われないというのは、不安になる時もあった。預かっている命が多くなればなるほど、その不安は大きくなる。
 なので批判的な論調の新聞社には、民の代表であることを自覚して、民の声をよく聞いてほしいとだけ要請した。結果それがゲクランへの罵詈雑言に溢れていたとしても、それで構わないというより、それを自分の評価として受け入れると、それだけは彼らに伝えた。
 そして自由な意見を表明できる空気感は結局のところ、多くの人を惹き付ける。領主の悪口一つで首が飛んだり、村八分になるような土地に、わざわざ住みたいと思う者は、少ないはずだ。この自由な気風で、急速に発展し過ぎたが故の人手不足を、さらに人口そのものを拡大させることが、狙いの一つである。そして実際、他領から商売や季節労働で流れてきた人間の定着率は、想像していたよりも、高い数値になっている。
 それらの総決算として、今日の運動競技大会があった。
 ゴルゴナやアングルランドでは、運動競技の興行だけで、かなりの金が動くということは、調査済みである。娯楽の振興だったら何でも良かったのだが、運動競技はやるにしても見るにしても、民が参加しやすいという利点がある。娯楽を提供しつつも税収の上がる効率のいい政策で、なるほど、ゴルゴナやアングルランドでそれがなされているのも理にかなっている。
 ゲクランは郊外に集まった民たちを見て、あらためて思う。二十万前後か。戦でこれだけの徴用を為せるとしたら、領地の存亡を懸けた時しかありえないが、真に楽しむことを求めれば、これだけの人間が吸い寄せられるように一同に会するのだ。当初は良くて五万、天候や告知の良し悪しで最低一万とも見積もっていたが最良の見通しの、何倍もの民が訪れた。
 三週間前、直近の推計が出た時には、それこそ近隣の土木組合全てに声を掛け、大急ぎでそれだけの人間が用を足せるだけの厠と、簡易宿泊所を建てさせた。臨時の出費となったが、それはその分、周辺の民に金を配ったことにもなる。そして彼らがまたこの大会の入場者数を増やし、金を使ってくれる。
「全てが、上手く回ったわね」
 ほとんど独り言だったが、パスカルが苦笑混じりに反応する。
「確かに。この一年は、領内の政治全てが、上手く回りました。パリシ奪還を成し得たのが、大きかったですな」
「本当に、そう。春先に負けていたら、今頃どうなってたかしら」
「案外パリシなくしても、それなりの成果はあったでしょうな。アングルランドのライナス宰相が、お嬢様の支援者になっていた可能性も、高く。アッシェンが一つにまとまれなくなった際には、残党式はお嬢様以外に、ありえないでしょう。おっと、これは失言でしたかな」
 パスカルに、お嬢様と呼ばれるのは久しぶりな気がした。戦時は単に伯、ゲクラン様と呼ばれるが、平時にはお嬢様と、よく呼ばれていたのだ。余所では、我が主と呼んでいるらしい。
「領内で王家に剣を捧げているのは、私だけ。あなたは私の臣下なんだから、好きに言っていいのよ」
「臣の臣は、臣ならず、ですな」
「そう。アッシェンという国があろうとなかろうと、あなたは私の幕僚よ。王家への忠義は、その主たる私だけが背負えばいい」
 正直、幼い頃のアンリに光を見出していなければ、アッシェンがアングルランドの属国になったとしても、それはそれで良いと思っていたかもしれない。ゲクランは愛国の士ではなく、あくまで郷土愛に生きる人間である。領主はより高い頭ではなく、地に根ざした足に仕えるべきだとも思っていた。人の、命を預かっている。
 そしてその郷土愛が一刻も早く、失った遥か西の故郷、旧ゲクラン領を取り戻せと言っている。悲願である。
 アッシェンという国の安寧と発展を考えれば、真っ先にゲクランがそこを目指し進軍することは、ある意味国益に反するとも言えるのだ。特に、アッシェンが王の号令で軍を編成する際、その軍の元帥を任されるゲクランの立場からすれば、国を軽んじた私利私欲とも取られかねない。
 アッシェンがどうなろうと、生まれ育ったモン・サン・ミシェルは取り返す。しかしそう思い定めてしまう程には、アンリを見捨てられない、希有な王でもあった。アッシェンというより、彼の治める国を支える。共に目指すべき行動指針であり、両立はゲクランにすれば余計なものを背負い込んだ格好になるが、逆にアンリがいることで、アッシェン中枢に助力を求める道筋ができたとも言える。父の戦友だったボーヴェ伯に、宮廷を動かす力はない。ただ、ここにきて窓口として活きてきたとも言える。
 先王が生きていた時代には、彼とポンパドゥールが仕切る宮廷に足掛かりはなく、ゲクランは戦の時のみ重用される、彼らにとって都合のいい存在でしかなかった。発言の機会がある議会でも、煙たがられていたのだ。
「アヴァランが取られた時は、この競技大会も、さすがに開催が危ぶまれたものね。この城が、最前線になってしまうから。レヌブランと早期の交渉が為せたのは、不幸中の幸いかしら」
「それどころか西進に対し、レヌブランの助勢も期待出来ようかというところです。アヴァラン伯には不幸でしたが、こちらの都合は良くなりました」
「直接組む機会は、あるかどうかってとこかしらね。ただレヌブランは南に向けて支配領域を広げているし、私の西進があることで、アングルランドは二つの戦線を新たに構築せざるを得なくなった。ノースランドの叛乱、南の戦線で、合わせて四つ」
 さすがの”戦闘宰相”ライナスも、全てを相手にするのは無理だろう。が、ここに来てようやく、アングルランドを凌駕できたと確信できるくらいに、彼岸の国力差には、開きがあった。あらためて、パリシ奪還は、僥倖であったと言える。幸運の最たるは、アナスタシアのパリシ再訪だった。
 ライナスはどこを捨て、そしてどこを潰しにかかるか。まだ知らせが届いていないというだけで、おそらく既に動いていることだろう。
「西進は、必ず成功に終わりましょう。まずはこちらも、第一戦を、確実に勝つことですか」
「戦だからね、何が起きるかはわからない。あの戦、戦略で負けたと感じたライナスに勝ってしまって、余計に戦は怖いと思ったわ。完璧な戦略を立ててなお、油断はできない。だからこそ」
 もう一度、ゲクランは原野を見渡す。各競技場からは、鬨の声のような、大歓声が聞こえていた。
「民たちには、私の夢に付き合ってもらうことになる。ゆえにこそ、充分に報いてやらなくちゃね」
 パスカルがどんな顔をしているのか、あえて目をやらなかった。
 ゲクランはただ、西の空を見上げるのみである。

 

 

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