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3,「勝つわ。そう決めたもの」


 合同訓練の前に、主立った指揮官を紹介されることになった。
 フローレンスが主体となって編成した、いわば新レザーニュ軍の指揮官たちである。
 調練場を見渡せる街道沿い、マロン川の畔で、アナスタシアはそれぞれの名前を聞き、握手を交わした。一人、おやと思える程に、遣える者がいる。バルバラという女で、レザーニュ領北東の領境線で、賊の相手をしてきたのだという。
「指導も頼まれているが、お前には何も教えることがなさそうだ。自覚しているだろうが、飛び抜けて強い」
「あんたより強いってことはないだろうけどね。それは、私にもわかる。武人としても教わることは多そうだけど」
「得手は、斧か。それに関しては、もう独自の境地に達してるんじゃないか。少なくともそれに関して、私から教えられることはないだろうということさ」
 バルバラは焦げ茶色の髪の、かなり体格のいい女である。使い込まれた具足に、そこだけ浮いた、緑色の縁の眼鏡をかけているのが特徴だ。
「けど軍って規模の兵を扱うのは初めてでね。十人、多くて五十人程の兵しか率いたことがない。相手してきたのはせいぜい百人程度の賊の集団で、細かい指示は出来るけど、私の声の届かない場所にいる兵をどうやって動かすのかとか、わからないことは多い。一応、戦闘語は一通り知ってはいるけどさ」
 野性味たっぷりに、バルバラが笑う。声も大きく、道を挟んだ調練場の端で鍛錬に励んでいた霹靂団の何人かが、こちらを振り返っていた。
 このバルバラに、歩兵を預けることになっている。剛胆さは余りある程で、指揮の仕方だけ教えれば、後は演習を繰り返すだけで自然といい将になりそうだ。
 もう一人、これもかなりの使い手であると感じたのは、騎馬を任されるクロードという男だ。長い黒髪に、憂いを含んだ表情を崩さない男で、こちらは先の戦でも騎馬の一隊を率いていたと聞く。騎馬全てを統轄するのは初めてだそうだが、まずまずソツのない指揮官にはなりそうだ。無論、初見でわかるほどの何かがないというだけで、こちらの見立て以上の指揮官になる可能性はある。
 本隊の副官は、ジョフロワという古参の上級騎士と、その娘ニノンとなる。ジョフロワはいかにもといった真面目そうな騎士で、その娘はくすんだ金髪以外に外見上の特徴を受け継いでいないが、中身は父親以上の生真面目さを持っていそうだ。
「この鎧は、フローレンス様が街一番の職人に作らせたものです。戦場の経験浅く、不肖の身ではありますが、誠心誠意、フローレンス様にお仕えする所存でありますっ」
 同じ職人に作らせたのだろう、確かにニノンの鎧は、フローレンスのそれと意匠がよく似ている。ついでにぱつんと切り揃えた前髪も、その主とよく似ていた。
「今日は顔合わせ程度、実践的な調練はある程度、騎士や家士を中心とした兵が揃ってからという話でしたが、フローレンス殿、何か彼らに教えることがあれば、この機会にでも。何もなければ、このまま兵舎の施設のご案内に入らせてもらおうと思いますが」
 フローレンスに問うと、彼女は四人の方を振り返った。
「みんな、聞きたいことがあったら。パリシ解放の英雄に、色々と教えてもらう、いい機会です。あの、アナスタシア様、どういったことを、どこまで教えて頂けるのでしょう」
「いや、特に隠しているようなことは、ほとんどありませんよ。金の流れですら、大株主のフローレンス殿には定期的に報告しているわけですし。あそこに見える、ノルマランの城壁の中のことは、さすがにドニーズ殿の許可がなければお教えできませんが」
 どこか落ち着かなげなフローレンスの様子を見て、アナスタシアは首を傾げる。
「手続きや段取りのいいあなたにしては、少し歯切れの悪い展開ですね。聞きづらいことがあるのですか」
「ああ、その、ちょっといいかい」
 バルバラが、助け舟を出す。
「フローレンス様が集めた私たちはさ、実を言うと、どう兵を編成したらいいかとか、そういうのがさっぱりなんだわ。旦那のジェルマン伯についてる連中が、長年その辺りを取り仕切っていたらしいんでね。私はまともな戦にも出たことがない田舎者、ジョフロワは先代から信頼されてるけど、全体的な、たとえば補給線の組み立てなんかは知らないし、クロードも一部隊を率いていただけ。フローレンス様は徴兵までの手続きはできても、兵に何を持たせたらいいかとか、それをどのくらい用意したらいいかとか、そういうのがわからないんだよ」
「あ、あの、その通りなんです。パリシ攻防戦にも参戦しておきながら、大変お恥ずかしく・・・」
 顔を真っ赤にしながら、伯爵夫人が俯く。
「木材加工が特産の村々に、攻城兵器の作成を依頼しておりますっ。その辺の準備は滞りなくっ」
 ニノンが、何故か張り切って言う。フローレンスは唇を振るわせて、涙目になっている。兵に何の武器を持たせたらいいのかもわからないのに、攻城兵器も何もないだろうとは、アナスタシアでなくとも思うところであろう。
「すみません。必要となりそうなもので、まずはこれというものは、既に発注しております。急に用意できそうもないものからです。産出と流通に関しては、以前から把握しておりますので。それと、街道の整備も。前回のように遅参することなきよう、徴兵した者たちは、速やかに馬車で移動できるよう、はい」
「その辺りは、さすがです。フローレンス殿は国で言えば宰相のような役割を担っているのでしたね。要は、軍務大臣に当たる人間とその幕僚を解任したので、戦の手配に困っていると。何を用意すればいいのかがわかれば、すぐに手配できる体制は、整っているといった感じでしょうか」
「は、はい。ゲクラン様の西進に協力するなど、大それたことを言ってしまった手前、申し訳ありません・・・」
 レザーニュの権力闘争には興味はないが、ゲクランとの協力には、何かしらの抵抗があった者も少なくなかったのだろう。辞めたか、辞めさせたのかもわからないが、今こうしてフローレンスが軍の実権を握り、それでいて大きな戦を回せる幕僚がいないということは、政変に近いことが、レザーニュでは起きていたということか。ただ、今目の前にあるのは結果で、いずれにせよフローレンスが新たに軍を編成し、指揮できる権限を持っているようだ。
「いや、私の様にそれを知っていても、流通まで通じていない者がほとんどです。私も副官たちと手探りでそれをやっていますが、今後合流予定のフリスチーナという者が来たら、任せるつもりでいます。まあ、私も旗揚げ後はそれなりの苦労していますから、そちらも新たな陣容でわからないことも多いでしょう。そういえば先日も、歩兵に持たせる武器は何が適切か、相談されていましたか」
 思えば、あの蜜蜂亭のやり取りの頃から、フローレンスはそういったことに思い悩んでいたのだろう。夫であるジェルマン伯爵の息のかかった者たちを遠ざけた結果、レザーニュ軍にはいくつか、専門の知識を持った者が欠けてしまっている。
 またも、バルバラが手を上げた。大きな戦のないこの女が、どうして一軍を任されることになったのか、その強さを抜いてもアナスタシアにはわかりかけてきた。この女には遠慮がないが、配慮がある。
「フローレンス様はさ、今までのレザーニュ軍みたいな、てか聞くところによるといかにも寄せ集めって感じの軍じゃなく、新レザーニュ軍として、ある程度統一された組織を作りたいんじゃないかな。今まで通りジェルマンの旦那についてる連中を使えばそれなりの形は作れるだろうけど、先の戦じゃ弱兵なんて言われてたみたいだろう。一度そういうもんを解体して、一から作り直す。つっても、大なり小なり、戦自体は知ってる人間が集まってる。ただ、それぞれ自分のやり方しか知らない連中でもあるから、まあ、本当に基礎的なとこから、教えてもらえると助かる」
「ありがとう、バルバラ。アナスタシア様、領内で彼女の武名は大変誉れ高く・・・」
「いや、そういうのいいって。おっと、あんま砕けた調子でいると、クロードに睨まれるな」
 実際に、騎馬隊長のクロードは、険のある目でバルバラを見つめていた。憂い顔を、初めて解いた瞬間でもある。真面目そうなジョフロワ親子以上に上下関係にこだわりがあるのか、あるいはフローレンスに対して、特別な思いがあるのかもしれない。
「事情は、わかった。どう編成し、どんな装備をさせるか、私が目録を作ってもいいが、それだとレザーニュ軍に対して、私の介入が過ぎるな。一度、武器の特性から説明してもいいかもしれない。皆武人であり、自分の扱う武器には成熟しているだろうが、逆にそれ以外はほとんど扱ったことがないだろう。まして、兵が持つ武器など。それをある程度理解できれば、編成の際に、あるいは普段の調練で兵に何をさせるかが、よりはっきりすると思う」
「お、話がまとまってきたねえ。まだ時間もある。ここの施設の案内までひとつ、アナスタシアの講義の時間にしてもらいたいものだね」
「全て網羅するには、それなりの時間をくうぞ。武器の種類は、基本的なものだけでも結構多い」
「じゃあ、絞るよ。兵に持たせる飛び道具は、何が最適かね。レザーニュ軍は、いざ戦となると、ほとんどが徴用兵だ。素人にも扱えなくちゃ困るな」
「わかった。今までの話を踏まえ、ここにある物を使って、私が実演していこう」
 バルバラは、話の回し方が上手い。筋骨隆々とした身体に眼鏡が似合っていないと思っていたが、理知的な面を見せられると、途端に似合って見えてくるから不思議だ。この者こそ副官とも思ったが、前線で暴れさせたい武勇もある。
 道を横切り、調練場に入る。少し離れた所に控えていたフローレンスの供回りも、騎乗したままついてきた。兵舎の近く、アナスタシアは人型の周りで訓練をしている兵たちに声を掛けた。
「何人かで、武器庫にある飛び道具を一式、運んで来てくれないか。ああ、銃はなくていい。それと、修理予定の鎖帷子と、板金鎧も。的にするので、上等なものじゃない方がいいな。板金鎧は、胸当て以外ほとんど壊れていたヤツがあったろう」
 すぐに十人程が、兵舎の北の方、森の手前の武器庫まで駆けて行った。
「団長が、使うんですか」
 残った兵の一人が、打ち込んでいた手を止めて言った。
「ああ。飛び道具は、得手じゃないがな。武器の特性を説明するだけだ。私の腕でもいいだろう」
「そりゃ、珍しい。他の者たちにも、声を掛けてきます」
「おいおい、見せ物じゃないんだぞ」
 制止の声を聞かず、その兵は兵舎の中へ走っていった。
「アナスタシア、人気あるんだねえ」
 バルバラが、拾った小石をマロン川の方へ投げながら言った。一瞬、向こう岸まで届いてしまうかと思った程の、鋭い振りだ。
「お前なら、飛礫で人が殺せそうだな」
「実際、森ではよく使うよ」
 歯をむき出しながら、バルバラは笑った。
「レザーニュにはお前のような、今まで表に出てきていないだけで、猛者と言える者は、結構いるのか。レザーニュは、イル・ダッシェンよりも広く、人口も多いそうだが」
「どうだろうね。私の知ってる限りじゃ一人、中々の奴がいる。以前一度手合わせしたが、組み打ちじゃ敵わないと思った。武器を持っての戦いじゃ、いくらか上回れるとも思ったがね」
「ほほう。名は」
「ブリーザの、アネット。ドナルドとか言ったかな、田舎騎士の家士をやってる。その時私のとこで働かないかと声を掛けたが、叔父であるそのドナルドとやら以外に、仕える気はないってさ。もったいないとも思ったが、そんな事情で、あまり表に名が出ない奴はいくらかいるだろう。あいつが先の戦に出たかどうかも、私にはわからない。そういう私も中央のことに興味はなかったが、しょっちゅうやってる山賊退治の噂を聞きつけて、フローレンス様が直接口説きにきてね。兄弟を差し置いて父の名代として、今ここにいるってわけ」
「なるほど。そういえばレザーニュの領内には、あのアルク村も含まれているよな」
「ああ、伝説の”剣聖”がいるとかって噂の?」
「姫の青空教室があると聞いて、我らもやってきました」
 その話の途中で、ボリスラーフが、旧霹靂団の者たちを引き連れてやってきた。アニータや、その他の将校たちも、次第に集まってくる。
「アニータ、お前まで。何なんだ。どんな話になっているんだ」
「えっ、大陸五強の一角たる”陥陣覇王”アナスタシア団長が、その超絶美技な射撃の腕前を、ついに解禁するって・・・」
「短い間に、話が大きくなり過ぎだろう。それに私は射撃は得意な方ではないぞ。くそ、こんなに大勢に見られていたら、緊張するじゃないか」
 いくつもの弓がアナスタシアの前に運ばれた時には、兵の半分近くが集まっていた。むしろフローレンスたちが遠慮して、川岸の方へ寄ってしまっている。
 彼らを手招きし、兵たちには静粛を促した。
「今から見せるのは、レザーニュ軍指揮官たちへの、武器の説明だ。入手、製造のしやすさや、運搬、携行する際の注意点なども話す。これらを手配する者たち以外には、退屈な話だ。飽きたら、帰っていいぞ。むしろ帰れ」
 返ってきたのは、歓声と指笛の囃し立てる音色である。アナスタシアは溜息をついて、まずは短弓を手に取った。次いで兵たちに指示を出し、三体の人型の内二体に、それぞれ鎖帷子と板金鎧を着せてもらう。アナスタシアはフローレンスたちの方に向き直った。
「前置きはいいでしょう。まず基本の飛び道具として、短弓をご紹介します」
 距離は、30m弱といったところか。矢をつがえ、狙いを定める。三体の人型に、一本ずつ矢を放った。剥き出しの木の人型、やが胸の位置に篦深く刺さる。鎖帷子のそれには矢尻は半ば程度、そして板金鎧は矢を弾き返した。小さな、どよめきが起きる。どういう意図の声か測りかね、それを無視してアナスタシアは話を進めた。
「威力と特性は、ご覧の通りですね。短弓は基本の射撃武器ですが、相手の装備次第では、一撃で人を殺すだけの威力は持っています。板金鎧を短弓で貫くことも可能ですが、弓そのものが強弓か、射手の腕前次第といったところでしょうか」
 実際のところ、アナスタシアはこの弓と矢でも、あの板金鎧を貫ける自信があった。が、それをやると話の主旨から外れる。技を持っていない兵に支給する武器としての話をしているのだ。
 フローレンスたちはともかく、兵たちが黙って話を聞いているのは、何とも居心地が悪い。野次馬が沈黙していると、不気味な圧迫感がある。
「利点の多い武器です。まず、矢を含めて比較的安価な点。連射が利くという点。欠点は、ある程度の練習が必要といったところでしょう。本職が狩人ならともかく、徴用兵のほとんどが、初めて手にして扱える武器ではないでしょう。もっとも、戦場では人一人分の大きさの的ではなく、集団、敵部隊に対して放ちます。集めた兵を訓練する期間があるのなら、一週間程度で、部隊という大きな的に向けて放つくらいのことはできると思います。曲射も可能ですが、的を狙うのは難しくなります。これも、調練にどれだけ時間を割けるかによりますが」
 熱心に頷き、書き付けに羽ペンを走らせるフローレンスの傍で、バルバラが手を上げる。
「ウチの領地の兵たちは、ある程度使える。森で賊を狩るのに使ってるから、そこそこの腕だと思うんだけど」
「なら、専門の部隊を編制してもいいな。散兵としての調練を積めば、森や木立から一方的に敵を攻撃できる。さて、運搬や携行が容易だというのも、短弓の利点の一つです。弦を張っていない状態なら、杖一本と大きさ、重さは変わりませんので。それと弓の特性として、もうひとつ。誰か、あの矢を抜いて来てくれ」
 鎖帷子の人型からは容易に矢は抜けたが、木が剥き出しの人型から矢を引き抜くのに、兵は苦労している。やっと抜けた時には、傷口となる場所は、大きく抉られていた。
「矢にはこのように、矢尻に返しの部分があります。これのおかげで一度深く刺さった矢は、たやすく抜けません。無理に引き抜こうとすれば、あのように傷口を大きく広げてしまう。この小さな矢尻の傷とは思えないくらいの、大怪我と言っていい。腕や脚に深く刺さった矢は矢柄を途中で折り、そのまま身体を貫通させて抜きます。その際に太い血管や腱を傷つけてしまえば当分その兵は戦えず、戦後も後遺症が残るでしょう。胴体に刺さった矢は貫通させるわけにもいかず、傷口を広げて抜き出すのですが、まあ八割型の兵はそれで死にます。矢を抜いた時は生きていても、傷口が腐ることが多いのです。特に腹、胸より下に矢を受けた兵は内臓を傷つけているので、百人に一人、生き残ればいいといったところです」
「な、なるほど。弓とは、実は恐ろしい武器なのですね・・・」
 青い顔をして、フローレンスが言う。まだ実戦の経験が少ないと言っていた副官のニノンに至っては、唇が震えるのを必死にこらえているようだ。
「後方から指揮をしていると、ぱらぱらと断続的に放たれる短弓の矢は、迫力が感じられず、何かどうでもいい攻撃に見えてしまうのですがね。実際は槍や剣でやり合うよりも、殺傷力は高い。それと近接武器と違って、飛び道具のほとんどは、手加減が利きません。目の前で戦意喪失している相手が膝をついていれば、槍の石突きや剣の柄で殴っておとなしくさせればいいのですが、遠方の相手に放つ矢は、そうもいきませんからね。ええと、次は・・・ああ、同じ短弓で、矢を替えてみましょう」
 取り出したのは、先端が錐のように真っすぐに尖った矢である。
 弓を引き絞り、それぞれの人型に放つ。木のそれはもちろん、この矢は鎖帷子にも剥き出しのそれと同じように、板金鎧にもそれなりに深く矢は突き刺さった。
「これは、鎧専用の矢ですね。貫通力が高く、この距離なら板金鎧でも貫けます。ただ矢尻に返しがないので、そのまま刺さった方向に引き抜くことができ、当たりどころによっては期待したほど敵の戦闘力を奪えません。いや、実際どこに当たろうとそれなりの怪我には変わりないのですが、戦場では血が滾っていて、痛みをほとんど感じない時がありますからね。急所や太い血管を撃ち抜けなければ、敵を止める力はさほどありません。軽装の兵相手なら、むしろ殺傷力は低い武器です。重武装の相手専用の矢ですな」
 兵の輪の中に、シュゾンの姿も見えた。彼女は最近、弓の鍛錬に励んでいる。いくらか、見本になる射撃ができていればいいのだが。
 次に、弩が運ばれてきた。何となく、兵たちのこの辺りの手際が良くなり始めている。
「アッシェンで一番使われている射撃武器が、これと聞きます」
「兵全員に持たせるには高価な武器で、しかし我々レザーニュはこれを多く用意できるだけの財力がありますっ。在庫も。けど今の説明を聞いていると、短弓をたくさん用意した方が、良いのではないかという気がしてきましたっ」
 ニノンが先程の同様をかき消すように、元気よく意見を述べる。
「確かに、まずそれなりに値が張るのと、何より運搬、携行に不便、まあ重い、かさ張る、壊れやすいと、欠点の多い武器ですな。このように・・・滑車を使って弓を引くので、連射も利かない」
 鐙に足を架け、弩を身体に寄りかからせながら地に立て、取っ手を回して滑車を動かし、弓を引き絞っていく。
「短弓は扱えるようになれば十秒と掛からず一矢、慣れれば狙いをつけても五、六秒に一矢放てますが、弩はこのように、私の様に慣れた者でも、一度弓を引き絞るのに十秒以上かかります。素人で、戦場でまごつくような者なら、二、三十秒はかかるでしょう。基本的に、連射は利きません。おまけに距離が離れる程に威力が落ちます。直射、曲射との違いは後に説明しますが、真っすぐに相手に向かって撃つだけと、距離の調節も難しい。最も有効な射程は、30m前後、5、60m程でもそこそこの威力はありますが、以後は急速に矢は力を失います。が、それら数多ある欠点を補って余りある利点が、この弩にはあります」
 弩専用の太矢を溝に乗せ、狙いを定める。
「まず、こうして矢の位置に目線を合わせて構えることができるので、極めて命中精度が高いこと」
 木の人型の、眉間に当たる位置を撃ち抜く。手早く滑車を回し、鎖帷子と板金鎧の人型は、胸の中央を撃ち抜いた。
「さらに、威力もご覧の通りで、この距離なら板金鎧でも撃ち抜ける。矢はこのような短い太矢で、返しが小さいので通常の矢のような大怪我を負わすことはできませんが、歩兵、騎馬問わず、敵への牽制にもなります。私自身、騎馬を率いて敵歩兵に突撃する際には、その部隊が弩を携行しているかどうかに、まず目が行きます。素人でも適性距離なら、板金鎧を撃ち抜く矢を、たやすく命中させられる。これが、弩の利点ですね。騎手を狙わなくとも、馬を狙えばさらに命中精度は上がる。騎兵には特に、恐ろしい武器ですね」
 憂い顔の騎士クロードが、腕を組んで盛んに頷いている。アングルランドの弓兵は長弓が主だが、時折、弩を携行している部隊もいると聞く。彼らとやり合った際に、痛い目を見たことがあるのだろう。
「徴用兵が主力となるなら、一時間程度の訓練、というより扱い方の説明と、試射ですな、本当に短期間で一応扱えるようになる弩は、費用や運搬にかかる輜重隊の数を増やすことになってなお、充分に魅力的な武器です。徴用兵を主力とするアッシェンで広く使われているというのも、頷ける話ですね。素人が、使い方を知っただけで、訓練され鎧も身に着けた相手を一撃で倒しうる武器というのは、他にはそうそうありません。剣や槍などは、相手が玄人だと、逆にやられてしまうわけですからね」
「ああでも、命中精度っていう部分は、団長が実践するとわかりづらいですよねえ。短弓でも、さっきから狙ったとこにびしばし当たってるみたいですし」
 アニータの茶々に、兵たちの輪から笑いが漏れる。彼女なりに場を和ませようとしているのだろう。そうであると信じたい。
「いくら私が射撃を得意としなくとも、30m程か。この距離なら外さないよ。なんだ、失敗するのを見たいのか。ならあの鎧を持って調練場の、そうだな、あの岩の辺りまで行ってこい。次は、長弓をやる」
 鎧を抱えたアニータが、調練場を駆けて行く。アナスタシアが指し示した腰の高さ程の岩を通り過ぎ、人の頭程の石が落ちている地点に、鎧を置いた。もっと手前の岩だとアナスタシアは手で示したが、アニータは見えていないのかその振りをしているのか、その鎧が置かれた場所から距離を取って、こちらを見ている。
「・・・では、長弓を試しましょう。アングルランド軍には大抵これの部隊が配備されているので、フローレンス殿もこの武器との戦いは体験済みと思います」
 先の戦の記憶が甦ってきたのか、彼女にしては珍しく、なんとも苦々しい顔をしてフローレンスは頷いた。
「利点の多い武器ですが、まず欠点から。なんといっても、習熟に時間が掛かります。50mから100m程の的に当てるのに、一年程の修練が必要でしょう」
「そ、それほどに」
「ただ短弓と同じく、狙うのが的ではなく部隊単位であれば、そこまで時間は掛からないかもしれません。もっともこの武器が真の威力を発揮するのは、他の武器の様に基本まっすぐ目標に向かって撃つ直射ではなく、曲射、空に向かって射ち、放物線を描いて的に当てる時です。緩やかに落下させることで矢自体の重さも使うことができ、その威力は通常の矢でも板金鎧をたやすく撃ち抜きます。射ち方も、独特です。私もほとんど見よう見まねですが、まずは矢をつがえていない状態でお見せしましょう。具足を身に着けた状態では、多少不格好になりますが」
 弦をやや引き、上方を狙う。一気に腰を下ろしながら弦を引き絞り、体全体をばねとし、何かを投擲するように身体を伸ばし、弦を指から離した。びん、という心地よい音が、耳の傍で鳴り響く。
「あのくらいの距離を狙う時は、こうした特殊な動作で射ちます。槍や、大きな石を遠くに投げる形に似ていますね。真っすぐ構えて短弓のように射るのは、敵までの距離が100mを切った辺りからです」
「ほほう。実を言うと、長年戦塵に塗れていたにも関わらず、初めて見ました。敵の長弓兵は、こんな射ち方をしていたのですな。身体が屈伸するように上下するのは、それとなくわかっていたのですが」
 古兵の副官、ジョフロワが言う。彼は何度もアングルランドの長弓兵とはやり合ってきたはずだ。
「この射ち方はかなり敵との距離が開いている時なので、味方でない限りそうそう目にすることもないでしょう。動作の正確性、再現性を身につけるのに時間が掛かるわけですが、これまでの射撃と決定的に異なるのは、動作の都合上、目線が激しく上下するので、狙いを定めるのが非常に困難だという点です。初見で扱うことはまず不可能で、何百何千と射つことにより、このくらいの反動をつければこの位置に落ちる、ということを身体に覚えさせるのです。こんなことができる兵が、アングルランド軍にはどこも部隊単位でいると聞きます。連射速度は落ちますが、それでもなお敵が近づいてくる前に相当の矢を浴びせかけることができるでしょう。さて・・・」
 矢を取り、アナスタシアはアニータの置いた鎧に目をやった。外す確率が低くなるよう、150mほどの場所を指示したのだが、鎧はその倍以上、350m程の所に、豆粒程の大きさで鎮座している。本当に恥をかかせたいのか、思わずアニータの方を的にしてやろうかとも思う。弦を、何度か指で弾く。この弓なら、射程ぎりぎりだろう。
 多分外れると口に出しかけたが、自らを追い込む為に、あえてやめた。本当に当てる気持ちをもって的を狙えと、兵たちには言ってきたのだ。
 風を読む。ほぼ真西の方角の的に対して、北西からの、少し向かい風が予想された。これは、やりづらい。南北どちらかの風だけなら照準を左右にずらせばいいが、向かい風や追い風が入ってくると前後の読みとなり、力の加減が難しいのだ。加えて曲射であり、上空でどれだけ風が巻いているかの判断に実戦でも一矢を使いたいところだが、アニータが残したおかしな雰囲気のおかげで、場は既に一矢も外せぬ射的大会の決勝戦である。
 小さく息を吐き、心気を澄ませていく。雑駁な考えを捨て、ただ矢を当てることに集中する。弓を引き絞りながら、腰を落とした。伸び上がらせ、一瞬浮いた身体が大地を踏みしめる前に、矢が耳元をかすめて飛んで行く。
 吸い込まれるように、そしてここまで聞こえて来る程に音高く、矢は鎧に命中した。
 鎧を頭上に掲げたアニータが、調練でも滅多に見せない必死さで、こちらに駆け戻ってくる。
「団長、弓でも天才ですかあ。みなさん、これ見て下さい。ど真ん中ですよ。魔弾の射手アナスタシア、ここに爆誕!」
「それ、最後に大切な一矢を外すという戯曲の題名じゃないか? 不吉なあだ名をつけるなよ」
 沸き上がる笑いを余所に、アナスタシアは肩をすくめた。自分でも当たるとは思わなかったと、言える空気ではなかった。
「ともあれ、長弓は習熟に時間が掛かる武器です。アングルランドでは村の祭の際に、よく射的大会が催され、国から賞金も出ると聞きます。なので狩人でもないのに長弓を扱える者はそれなりにいて、かつ中でも有能な者が特別に編成されての、長弓隊です。今のは、余興みたいなものでしたね。ともあれ、これをこちらの兵に持たせるのは薦めません。素人が扱える武器では、決してない。ただアングルランドから流れてくるような、専門に扱える傭兵隊がいたら、雇っても良いかといったところです」
 アナスタシアが言った以上のことを書き付けているのだろう。こちらに何度も顔を上げつつも、フローレンスの書き付けの手は止まらない。ニノンも、難しい顔をして気づいたことを書き付けているようだ。
「ん、まだあるのか。今ので場が盛り上がったし、ここらで幕にしようと思ったのだが」
 兵が持ってきたのは、合成弓である。専用の箱に入った、一点ものだ。手垢か経年による色の劣化か、材質が何なのかすらよくわからないが、他の弓の様に弦を張っていない状態で真っすぐな棒状をしているわけではなく、弧の中程からまた弧が広がるような、独特の形状をしている。
「これも余興になってしまいますが、我々もいずれ腕の立つ者にはこのような合成弓を持たせたいと考えているので、兵たちに見せる意味でも、どんなものかくらいは説明しておきましょう。と、バルバラの領地の兵は、弓を使う者が多いそうだが、合成弓を使ってる者もいるよな?」
「ああ、そこそこ。けどそれ、やたらと年代物じゃないか。形状も、初めて見る形だよ」
 バルバラが初見からアナスタシアに砕けた調子を崩さないのは、互いに何か通じ合うものがあるからだろう。自分はもちろん、ちょっとバルバラには、人を殺すことに慣れている、荒んだ何かがあるのだ。
「おそらく、ブルガンのものじゃないかな。かなり古い。今の、東の騎馬民族の彼らのものというより、第四世界帝国、大ブルガンの戦士たちが使っていたものかもしれない。と、それ以前に合成弓とは何かと言いますと、元の木の弓に、動物の腱、角等を張り合わせて作る、強弓です。すぐに製作できるものではなく、膠で糊付して、何年も寝かせるようなものもあります。同じ規格でいくつも用意するのは困難でしょう。ただ、隊列を組んで射つのではなく、森などに潜む散兵にはうってつけの武器ですし、このように小型のものなら、騎射に使ってもいい。実際にこれは、ブルガンの騎馬兵のものでしょうね。個人的に扱える者がいたら、そのまま携行させればいいでしょう。にしてもこれ、誰が武器庫に置いた? 少なくとも、ゴルゴナ金貨十枚以上の代物だぞ」
 少し苦労しながら弦を張っていると、腕組みをしたままのボリスラーフが、悪戯っぽい目をしながら手を上げた。
「お前か。よくこんな物を持ってるな」
「騎射にちょうどいいと、若い頃に東から来た商人から購入したのですが、ゴルゴナ金貨で二十枚もしましてな。貧乏性で、つい実戦で使うのを躊躇っていまして」
「武器の収集を、昔はしていたんだっけな。子供の頃に、よく見せてもらった。ちょっと興味が沸いてきたぞ。壊したら、二十枚以上払う。使わせてくれ」
「使える者がいたらと、持ってきたのです。どうぞ、使ってやって下さい。最後に試射したのは、五年程前になりますが」
 張り終えた弦を、何度か弾く。この長さの弦とは思えないくらいに音は深く、胃の腑に響くようだった。名弓である。
「さてと、合成弓に関わらず、強弓と呼ばれるものは、使い手を選びます。部隊単位の運用というより、個人的な武器になることでしょう。これも長弓同様、扱える傭兵団がいたら声を掛けてもいいかもしれません。五人、十人単位でも。強弓を扱える十人は、徴用兵に短弓や石弓を持たせた百人よりも、おそらくいい仕事をします」
 再び、三体の人型に狙いを定める。引きが、恐ろしく強い。下手な射ち方をすれば初動はもちろん、反動だけでも右の耳を斬り飛ばしてしまいそうだ。
 剥き出しの木、鎖帷子、板金鎧と、ほとんど装甲を感じさせず、矢はいずれも的に篦深く刺さった。
「取り回しの良さも含めれば、最も優れた飛び道具の一つでしょうね。この弓なら直射で石弓以上の有効射程を誇るでしょう。曲射も可能ですが、私もこの弓を使ってそれなりの訓練が必要です。特にこの弓は、かなり癖が強い」
「疑問ですっ。弩以上の有効射程がありそうなのは見ていて、何となくわかります。けど弩自体も滑車を使わないと引けないくらいの強弓ですよね? むしろ弩の方がそうだと言える気がするのですが、どういう仕掛けでありましょうかっ」
 ニノンのはきはきとした質問に、アナスタシアも少しだけ首を傾げた。
「エルフや吸血鬼ではないので私の目で確認できるわけじゃないが、おそらく初速が関係してるんじゃないだろうか。弩は発射された直後が最も速く、以後は射手からは離れる程に、遅くなる。弓は全体的に射った直後より、射手から離れてからむしろ、矢は加速しているように見えるな。あくまで、体感的なものだが」
 輪になった兵たちの中にエルフのアリアンを見つけると、彼は同意を示して頷いた。一応、この考え方で大きく間違ってはいないようだ。
 不意に、兵舎の方から上手そうな匂いが漂ってきた。今日はフローレンスたちの出迎えもあり、全体の調練は少し早めに切り上げていたのだが、そろそろ昼飯時に近いようだった。ノルマランの町から微かに聞こえる鐘の音は、六時課(正午)のものだろう。
「今日はこの辺りにして、細かい話は兵舎の食堂でいかがでしょうか。出資頂けたおかげで、ここは兵舎としてはそれなり以上のものが出せています。フローレンス殿の、お口に合えば良いのですが」
 書き付けから顔を上げたフローレンスが、昼の日差しに負けない眩しい笑顔で頷く。
「はい。今日のお話とアナスタシア様の試技、とても勉強になりました。後日、また別の装備についてもご教授願えますか」
「ええ、フローレンス殿の都合のいい時に。では、参りましょうか」
 並んで歩き出したフローレンスの、身体が近い。互いに具足姿なので、何度か甲冑がぶつかり合った。もしやと思い振り返ると、憂い顔の騎士クロードが、恨みがましい目でこちらを見ていた。
 異性としてフローレンスに惚れているのか、崇拝とも言っていい忠誠心か、どちらにせよあの男はフローレンスに相当入れ込んでいる。ジョフロワかニノン辺りに、これについて聞いておいてもいいかと思った。
 横を見ると、フローレンスは満面の笑みをこちらに向けている。

 


 徒歩ではあるが、十人程の供回りを連れた物々しい一団が、こちらに向かってきていた。
 率いているのがクリスティーナとわかり、バッドは疑問より先に舌打ちした。何の用件か知らないが、あまり仕事の邪魔をされたくはない。
 トゥールの街の城下、貧民街である。クリスティーナが直接ここに来る用事があるとは、どうしても思えなかった。
「これは、元帥。こんな汚い所に、何の用ですかい」
「ここトゥールが、最終的な防衛戦となるでしょう。だから、そろそろ下見くらいしておこうと思って」
 小首を傾げながら周囲を見渡すクリスティーナの横顔は、美しいがどこか作り物じみていて、あまりバッドの好みではない。ただ、性的な魅力を感じずとも、繊細な絵付けをされた陶器の壷や、職人の粋が結晶した宝飾品のような美しさを、この娘に見ることはできる。
「しかし、こんな所にまで足を運ぶこともないでしょう。っと、おい、そこのお前、荷物集めたんなら、さっさと歩け」
 リッシュモンの民である初老の女が、道端で会った知り合いらしき女と出くわし、話し込もうとしていた。が、バッドの怒声を聞くと、しぶしぶ城門の方へ歩き出したようだ。
「ちょっと、あのおばさん、かわいそうじゃない?」
 口を尖らせて、クリスティーナがこちらを睨む。咎めているよりも、どういうことか聞きたい様子でもある。面倒くさい娘だと、バッドは市壁に背を預け、腕を組んだ。
「こっちはこっちで、急いでるんです。この一画の調べは、今日中に終わらせないと。なに、彼女たちも今生の別れってわけじゃない。会いたきゃ、いつでも会える」
「だからって、あんな声上げて」
「声がでかいのは生まれつきでね。俺だって、自分のお袋くらいのご婦人を怒鳴りつけて、気分がいいわけじゃないんですがね」
 不意に、クリスティーナはバッドに初めてみせる、悪戯っぽい顔をした。
「ごめんなさい、ちょっとあなたをからかってみたくなったのよね。わかってる。嫌な仕事を押し付けて、申し訳ないわ」
 この娘とまともに会話をしたのは先日、主たるゴドフリーと共に、リッシュモンの民を連れてきた時が、ほとんど初めてといっていい。互いに南の戦線は長いので、キザイアの部下だったクリスティーナと、ゴドフリーの副官であるバッドは、軍務の連絡等で何度か実務的な会話はしている。付き合いだけで言えば、意外と長い仲でもあった。
 そのゴドフリーをして、クリスティーナは元帥に任命されてから、確実に変わったと思わされることが、しばしばであった。容姿通り無機質な人形のような娘が、総大将となって妙に張り切っていたのか、初めは肩肘を張り過ぎている印象だった。二度の敗戦後は人が変わったように気さくとなり、ゴドフリーはおろか、こうしてバッドにまで声を掛け、その様子を見に来るようになった。忙しさは以前の比ではないだろうが、それでもどこかで時間を作り、一人でも多くの将兵と接しようとしているようだった。
 最初の敗戦の後、この娘はベラック城の城門の脇で、帰還する兵の一人一人を敬礼で出迎えていたか。あの時、この娘はバッドの方にもしっかりと顔を向け、敬礼の形を崩さないまま、何かを言っていた。敗走の兵を引き連れ、そのまま城門を潜ったバッドだが、あの時の詫びるような、加えて訴えかけてくるような紫の瞳は、そうそう忘れられるものではない。あの時、そしてその後の敗戦でも生き残った者は皆、あの瞳を忘れていないだろう。
 初めは必要以上に硬く、そして今はその反動の様に物腰のやわらかくなったクリスティーナだが、後段の変化の兆しは、あの時からあったのかもしれない。母のキザイア同様、周囲に感情を見せない娘であったが、あの日を境に、どこか砕けた。
「ま、こちらの仕事は概ね順調です。それなりに数が多く、方々に散ってるもんで、洗い出しにはある程度時間を食いますが。先日の二人の言葉通り、リッシュモンの民ってのは、召集がかかったり作戦に参加していない時は、強い忠誠心を持って動いているわけでもないみたいですね。こういう奴がいるかと聞かれりゃ周りも指差しますし、本人も否定しない。町の外に放り出すのに、おかしな苦労はしていません」
 市壁の外に、長屋をいくつか建て、それをリッシュモンの民の収容所としていた。そこを出て再びトゥールの街に入ることは許されないが、他の町へ出ていく分には、好きにさせていた。要はこの街から連中を放り出せれば良く、過程が荒事になってこの街の人間の反感を買わなければ、なお良かった。
「収容所では、ちゃんと面倒を見ているのよね」
「寝床と、食事の配給くらいですかね。入浴はその辺の川の水を樽に汲んできて、適当にやってるみたいです。が、元々が流浪の民だけに、長居する連中は半分程度で、後は旅の空に戻っちまってるみたいです」
「そう。揉め事や、他の問題は?」
「連れ出す時に、一悶着ある場合も、くらいですかね。俺以外が恨まれないよう、それなりに気をつけてるつもりですが」
「損な役を押しつけてるわね。私が恨まれる分には構わないし、そもそもこの南部軍の責任者でもあるし」
「総大将が住人の反感を買っちゃ、ここを拠点とするのも難しい。汚れ仕事は、俺みたいな人間に任せときゃいいんです」
「重ねて、申し訳ないと思ってる。そして、あなたのことを見直したわ」
「下の人間に世辞を言って、どうなります。俺からはびた一文出ませんぜ」
「本心を言ったまでよ。ううん、私の方こそ、今まであなたのことを勘違いしていたのね。嬉々として手を汚す、怖い人だと思ってた」
「いや、その見方はあながち間違ってませんよ。元帥の見立て通りの男です」
 それにしてもこの娘は、いつまでここにいるつもりだろう。バッドは具足姿とはいえそれとなく着崩し、街の風景に溶け込もうとしているが、クリスティーナ含め漆黒の鎧と外套に身を包んだこの集団は、貧民街では通り二本向こうまで噂になっているだろう。現に野次馬が集まり、遠巻きにこちらを眺めていた。
「後は、俺たちに任せて下さい。それとも、俺自体にまだ用でも?」
 追い払うつもりでそう言ったのだが、頷いたクリスティーナは、本当に用事があってここに来たようだった。
「ここまでは、本国の情報が届くのが、遅い。なので現地では一週間程前の情報になるけど、エドナ元帥率いる軍が、ノースランド軍とぶつかったそうよ。ハイランド城に籠るティアとその軍に対し、攻囲するに充分な兵力を持って元帥は臨んだそうだけど、わずか一昼夜で敗退。当面、ノースランド軍に対して、手が出せなくなった」
「へえ。ウォーレス殿が向こうについたことで、ますますおかしな展開になりましたな」
「あまり、驚かないのね」
「ウォーレス・・・もう敬称はつけなくていいか、あの人の強さは、身に沁みてわかっています。元帥よりも長く、あの人の下にいたもんでね」
「え。ウォーレスの配下だったの?」
「直接ってわけじゃないですよ。ウチの親父が騎士だった頃、剣を捧げた領主があの人にまた、剣を捧げてましてね。親父の従者だった俺も、この南の戦線にはしょっちゅう駆り出されていたんです。臣の臣は臣ならずで、俺は言葉も交わしたこともありませんがね。ウォーレスがここ南で戦った戦の多くに、俺は参戦しています。あの人が総大将の時は特に、負ける気がしませんでしたね。そして戦略上撤退が布石となるような戦場ではほとんど犠牲も出さず、鮮やかに軍を退いた。ウォーレスがエドナ元帥の軍を避けずに戦ったってことはつまり、最初からウォーレスに勝つ勝算はあったってことです。いや、その計算ではなく、勝つと決めた戦はどんなに不利な状況でも勝ってしまうのが、あの人の怖さかな。できるかどうかじゃない、勝つと決めたら、勝つ男です。まあその一昼夜での決着ってのは、その話だけで俺が想像できることはありませんがね」
 思わぬ長口上となってしまい、バッドは自らに鼻白んだ。別にこの娘に、自分とウォーレスのことを知ってもらいたいわけじゃない。部下に指示を出した後、さりげなくその場を離れ、狭い広場の一画にある焚き火に当たった。クリスティーナは鈍いのか意に介していないのか、バッドの後をぴたりとついてくる。
「そうだったのね。私もあの人の指揮下で何度か戦ったけど、母さんを通じての指揮だったから。話したことはあるけど、事務的な話以外したこともなかったし。その強さも、南部戦線の総大将なら、きっとそんなものなのだろうと、自然と受け入れてしまっていた。期間はともかく、あなたより近い位置にいたはずなのに、私はあの人を理解できなかった。そもそも人を寄せ付けない雰囲気があったし、いつも何かに思い悩んでいるようで、声を掛けづらくもあった。それができる近さにいたし、もっと、あの人を知ろうとしても良かったと思う。実際、何度もそうしようと思っていた」
 確かにウォーレスはそんな空気を醸し出していたが、魔法で動く機械仕掛けの人形のようだったクリスティーナが、当時そんなことを考えていたとは、驚きだ。もっとも、半ば忍びのように諸侯を内偵していたバッドは、この娘が今は亡き恋人の前でだけは、年相応の娘らしく振る舞っていたことは知っていたのだが。
「それと、もうひとつ。ハイランド戦の直後に、レヌブランが独立した。アモーレ派の教皇に根回し済み、正式な戴冠式も済ませた、正真正銘の王国よ。アッシェンへの玄関口がいきなり敵国、の認識でいいのかしら。アッシェンに対してどんな態度で臨むのかは不明だけど、あらたな勢力の台頭のみならず、北のノースランドと挟撃の形になり、一夜にしてアングルランドは危機に陥った」
「・・・へえ」
「これも、驚かないのね」
「いや、驚き過ぎて、絶句していたんです。本国は挟み撃ち、二剣の地の占領地も、半ば孤立した格好ですか」
「そうね。私たちと同じ。もう、援軍には期待できそうにないわね」
「こればかりは、心中お察しします。元帥においては、目の前の橋が崩れ落ちるような衝撃だったでしょう」
「あなたは?」
「俺の役目は、殿についていくことです。天下国家を論じ、案ずる立場にありません。ま、アングルランド本国が滅びることは、ないでしょう。各地の戦線から全て兵を引き上げ、本国に集中させりゃあ、元々島国みたいなもんだ、守り切ることはできるんじゃないですかね」
「なるほど。本国が本当に追いつめられたら、私たちにも帰還命令が出るかもしれないわね」
「その知らせが届くまでは、せいぜい足掻いてやりましょうや。俺たちに出来るのは、それくらいしかない」
「それも、そうね。ただ私は、本国の援軍なしに、この戦線を押し返すつもりでいる」
「へえ。それこそ、驚きです。捕虜をダシに、この南じゃ既に多くの城を奪われました。連中がポワティエに到着する頃には、戦の趨勢は決まっているような気がするんですがね」
「私たちも、あと一戦を勝ち切ればアッシェンの南部戦線を崩壊させるところまで行って、二ヶ月足らずでこの有様よ。アッシェンには、リッシュモンの五千の援軍しかなかった。その民は別としてもね。あの手がなくとも、負けていた。逆に、私たちにも同じことができるかもしれない。アッシェンには、それができた」
「二度も、大敗を喫しておいてですか。おっと、これは大変な失言でした」
 さすがに言い過ぎたが、若い元帥は、はっとするような笑顔を向けてきた。
「信じさせてあげられなくて、ごめんなさいね。けど、私は本気よ。まだ戦えるだけの兵力は残っているし、母さんも、いずれソーニャも、アメデーオも、そしてゴドフリーとあなたがいる。心強いわ。私は、私だけが何とかしなくちゃと思ってた。あ、これは言い過ぎね。最初からリックを頼っていたし、本当はもっと、周りにも助けを求めるべきだったのよね。そもそもこんなにも頼りがいのある将兵に、囲まれているんだもの」
 言葉には出さなかったが、今度こそバッドは心底驚いた。戦も、国の動向も、どこか遠いものだとバッドは捉えていた。主ゴドフリーの命をこなしていれば、いやそうすること以外は、深く考えないようにしていた。
 認めたくないがそれでも、バッドはこの若すぎる総大将を勝たせてやりたいと、初めて思った。軍属という立場では上官だが、この娘はバッドの直接の主ではない。戦に倒れ、大将首がすげ替えられたところで、特に思うことはないはずだった。できればその時に、ゴドフリーが新たな総大将になってくれればと望んではいた。その意味ではこのクリスティーナが二度の敗戦時に、死んでいてくれればとも思っていたのだ。
 暗い胸の内をこれ以上かき乱されまいと、バッドは顔を上げた。
「雪です。南にしちゃあ、ちと早い」
 粉雪が一つ、バッドの頬に触れる。
「南といっても、ここは大分北に近いけどね。この街より北は、もう二剣の地よ。敗走を重ねて、いつの間にか本国に近づいてきてしまったわね」
「まあ、この雪は降り積もる前に溶けちまいそうだ。北は、どうですかね」
「同じようなものでしょう。本格的な冬となる前に一手、レヌブランは動くという気がする」
「ほほう、何故です」
「一手動けるよう、ウォーレスはアングルランドとの決着を急いだ。そう思えるからよ。そしていつでも立ち上がれるよう、レヌブランにもその準備があった。ここで動かないのは馬鹿よ。私でも降雪前に一手、絶対に動く」
 幼くも見えたかつての人形の顔が、今は総大将のそれとなっている。バッドにとってはこの変化こそが、今日の驚きの中で最大のものだった。
「勝てますかね、俺たちは」
「勝つわ。そう決めたもの」
 灰色の空を見上げるその澄んだ横顔に、バッドは心動かされていく自分を、今度こそ自覚せずにはいられなかった。

 

 

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