前のページへ  もどる  次のページへ

 

2,「互いを理解することが、男の友情なのかもしれない」


 執務室の扉を叩く音は、控えめでありながらも、力強さを隠せていない。
「どうぞ、お入り下さい」
 具足こそ着けていないものの、黒い外套の軍服に身を包んだエドナが、凛とした挙措で入室する。左腕の袖の端から、白いものが見えた。
「傷の具合はどうですかな、元帥」
「なに、ほとんどは浅傷です。この左腕も」
 少し袖口を上げたエドナは、真新しい包帯をライナスに見せた。
「意外と深く斬られていたのですが、腱に影響なく。この後、医師に抜糸してもらう予定です。どこで斬られたのかまったく覚えていないのですが、おそらくセイディとやり合った時でしょう。具足の上から、斬られていたのですよ。私相手にそんな真似ができるのは、あの場では二人しかいなかった」
「ウォーレス殿は、健勝そうでしたか」
「首を、獲られかけました。あるいは生け捕りを狙って、あれでも手を抜いていたのかもしれませんが」
 エドナは、実に落ち着いた調子で話した。ここロンディウムに帰還後、応急処置をしてあった傷口をあらためて診る医師の傍で、戦の顛末については軽く聞いた。翌日には、彼女の直筆でその詳細の報告書も上がってきた。あれから三日が経ち、事実のみが明記された完璧な報告書とはまた別の所感が聞きたいと思い、エドナを呼んだ。その旨も、既に伝えてある。
「今日は戦の機微、どちらかというと定性的な話を求められているのでしたね」
「定量的な報告は、充分なものを元帥から頂戴しました。もう少し微妙な、行間を読むようなお話を聞かせて頂ければと思いましてな」
「私が見たもの、感じたものでよければ」
 それにしても、とライナスは思う。あらためてエドナは、その立派な体躯以上の、剛胆な将であった。ウォーレスと正面からぶつかったのみならず、あれだけの軍を大敗させたという責任を感じてもなお、堂々としていられた。どちらの事象も、並の将であったら心を折られていても不思議ではない。半ば師とも仰いでいたウォーレスに首を獲られかけ、アングルランドの威信を懸けた大軍をもって一日と保たずに敗走した。鈍さとは無縁の将がしかし、こうして今まで通りの軍の頂点としての威厳を保っている。勝ち続けることで強さを証明する将もいれば、こうして負けてなお泰然自若としていられる強さが、エドナにはある。
「見事に、負けましたな。私自身、ノースランド軍を、どこかで甘く見ていた。兵の弱さが、ウォーレス殿の足枷になるはずだと」
「敗因については、まだ今の私に気づけないものも、いくつかあるのでしょう。一つ大きいのは、私がウォーレス殿の軍略を、超えようとしてしまった」
「超える、とは」
「付き合っても、まして先を読もうとしても、負けると感じたのですよ。ならば、超えるしかない。抽象的な話になってしまいますが」
「構わない。そういう話が聞きたくて、お呼びだてしたのです」
「ノースランド軍は籠城しているにも関わらず、一週間とかからない速戦を狙っていると感じました。ならば、こちらはそれ以上をと。先方の狙い、その矛盾を解きほぐすだけの材料が、私にはありませんでしたからね。結果、こちらにとってそれは悪い形で噛み合い、予想外に早期の決着となってしまいました」
「まだ、ハイランド城を攻囲できるだけの兵力は、充分保っていたわけですが」
「大半は、戦意を大きく削られていました。仮に攻囲に成功しても、春までの陥落は不可能、敵援軍の姿を確認しての撤退が確実ならば、足掻き、凌いでも互いの負担にしかならなかったでしょう。思えば、こう私が考えることが、ウォーレス殿の狙いであったと、今にしてわかります。何故速戦を選んだのか。そしてレヌブランが独立を画策しているとわかっていたなら、もう少し粘るのも手だったかもしれません」
「皮肉なものだ。ウォーレス殿の思惑通り戦が決着したことで、長らく謎であったノースランドの同盟者が、その姿を現す結果となった。そしてハイランドから手を引くのが早かったおかげで、大半の兵が摩耗する前に、その守りに使えることにもなりました」
「痛み分けたことが、今はこちらにとっても最悪の状況を避けたようにも見えます。が、レヌブランが降雪までに一手打つ時間ができたとも取れます。宰相は、これをどう見ますか」
 そこで茶を運んで来た給仕に軽く会釈し、エドナは怪我をしている左手でカップを口に運んだ。書き物の多い人間の癖であり、同時に左腕の負傷が重くないという証左でもある。
「さしあたっては、南の二剣の地の征服に乗り出すかと。レヌブランが領土拡大を求める国となるならば、時間は少しでも欲しいところです。もっとも、今の時点で先方から大使が派遣されているわけでもなし、あの新しい国が何を目指すのか、正直言うとわかりません。こちらと、今度は対等な関係で手を結び、アッシェンの領土を侵食していくことも考えられる」
「逆もまた、然りと。ともあれ叛旗を翻し、再びアッシェンへの帰属を目指さなかった時点で、本邦、そしてアッシェン双方に、刃を向ける形にはなっていますね」
「その話は、またいずれ。ともあれ、こうして元帥が大した負傷もせず、また兵の損耗も少なく、ここロンディウムに帰還できたのは、僥倖なのかもしれませんな」
「ウォーレス殿の覇気は、戦う者にとっては、毒です。私はともかく、将兵は今回の戦で、いくらか心を蝕まれたでしょう。初めて敵として対峙して、私はそれを痛感しました」
「元帥自身は、いかがですか」
「私より軍人としても武人としても上であることは、わかっていました。なので、特に痛痒もなく。勝とうとするなら、あくまで兵力だけで勝負すべきでした。軍略で凌駕されても、耐えきれるだけの兵力を預かった。どこかで、ウォーレス殿と張り合う気持ちが先行していたのですね。予想された、行軍中の奇襲もなく、挙げ句城の前の原野でも野戦がなかった。あの時から、私はウォーレス殿がどんな策を練っているのかを考えるのに、こだわり始めた。自分が、どう戦うべきかではなく。これは間違いなく、敗因の一つだったと思います」
「なるほど、他にも何か」
「兵に、慢心がありました。兵力差がそれを生み、それを諌められなかった私の落ち度があります。ウォーレス殿が幕僚であった時には、まるでなかった軍の緩みです。単に強い男が一人、あちらについたというだけではなくなっていたのですね。大きなものを失ったと、それを事前に止められなかったことを痛恨に思います。ああ、そういえば、私の元帥職は、どうなります? 敗戦の責は、負わねばならぬと感じていますが。私は最善を尽くしたと言えはしますが、さすがにこの負け方は、示しがつかない」
「軍人としての矜持はあっても、地位や名声に拘泥しないところは、さすがに陛下のご息女といったところですな。編成はお任せしましたが、そもそもの兵の展開や物資の補給路は、宰相府が軍務省に直々に命じて手配したことです。宰相たる私の責もあるでしょう。現場を任された責任が元帥にあり、任せた責任が私にある。なに、この辺りの沙汰は、お任せ下さい」
「せめて、元帥職を辞すべきかと思いますが」
「代わりが、いないのですよ。それができるのは、ウォーレス殿だけだった。南のクリスティーナは、まだ雛です」
「確かに。今のアングルランドで私かそれ以上の指揮官となると、もうロサリオン殿くらいしかいない。実力だけなら彼こそ適任と思いますが、さすがにこの国に籍も置かぬ傭兵団長が国の軍を預かっては、諸侯の離反を招きますか」
「仰る通りで」
「わかりました。しばらくはのうのうと今の地位に居座る不名誉こそ、私が甘受すべき罰なのかもしれませんね。そういうことでしたら、承ります」
 ライナスが紙巻き煙草を取り出しても、エドナはそれをなんとなく眺めているだけだった。
「手持ちがなければ、一本いかがですか」
「いえ、しばらくやめることにしたのです。ウォーレス殿を討ち取った後に、また始めてもいいかなと」
「そうでしたか」
「鎮魂の一服が、まずい煙草であってはいけませんからね。久しぶりの一本は、さぞ美味でしょう。悲しみを紛らわすに、充分な程には」
 寂し気な微笑を浮かべ、エドナは紫煙の行方を目で追っていた。
 ウォーレスを最も慕っていたのは、おそらくこのエドナである。そしてこれだけの敗戦を喫してもなお、エドナにはウォーレスを討ち取る確信があるようだった。自信ではなく、責務からくる覚悟だろう。
「そういえば、元帥からご要望の件、サンドウィッチ伯からは、色よい返事が頂けました。アンジェリア殿も、乗り気であると」
「宰相府というより、宰相自ら掛け合ってくれたのでしょうか。まあ、マイラに言伝を頼んだのは私ですが。だとしたら、ありがたい」
「伯はともかく、奥方はいずれ中央からお呼びがかかると、信じていたようです」
「私自身は、彼女が結婚してから、書簡ですら碌なやり取りをしていないのです。私の夫の葬儀の参列も、彼女は当時身重だったと聞きますし。宰相は、最近の彼女をご存知で?」
「当時と、少しも変わっていませんよ。もっとも私は、軍にいた頃の彼女の記憶はほとんどなく、元帥のご学友であられた時と、その後の宮廷に出仕する彼女の印象が強い。子を成されて、いくらか落ち着きを得ましたが、内面がぐらぐらと煮え立っている様子は、あのかわいらしい御顔を見ていると、その落差に驚かされてばかりでしたが。おっと、もうかわいらしい等という褒め方は、いささか礼を失したご年齢でしたか」
「彼女が宮廷に出ている時は私が南に駐屯している時で、すれ違いだったのです。ただ私にとって数少ない、友と呼べる存在でした。地位や立場ですっかり疎遠となってしまいましたが、再び彼女と轡を並べられるとしたら、心強い」
 この部屋に入って初めて、エドナは屈託のない笑顔を浮かべた。
「それと、新たな副官候補の件も、マイラから窺っております。三人、候補として上がりました。こちらが、その資料です」
 三つの書類の束を、エドナに手渡す。しばし、それに素早く目を通していたエドナだったが、やがて顔を上げた。
「せっかく宰相が同席しているのです。この中で、これはと思う人物は」
「”チーキー”チェリーですかな。会って、話をしたこともあります。三人の中で最も扱いづらいのが、副官としてはどうかと思いますが」
「なるほど。面白そうな人物です」
「ですが、今は王弟殿下と共に、ハイランド城の捕虜となっています」
「そのようだ。ラッセルからこの娘の話を聞いたことはありませんが、弟の部隊にいたのですね。いわば在野に近いところからの抜擢なのでこの三人に目立った軍功はないようですが、宰相が良いと感じた点は」
「あだ名通り、”生意気な”ところですかな。かなり才気走るところが上官に好かれない理由の一つですが、何より相手が誰でも、自分の思ったことを言わずにはいられない」
「問題児のようだ。しかしまさしく、私の求める人材です。まだ十代ですか。若さもいい」
「頭の回転の速さだけでしたら、南の”コミック”ソーニャとそう変わりません。指揮もまた、彼女に比肩するだけのものは持っている」
「それだけの逸材が、軍曹止まりですか。その生意気さ以外に、何か問題が?」
「武人として、まるで見るべき点がない。平たく言えば、弱いのですな。軍はやはり、腕っ節のある者が、ある程度の敬意を集めます。が、その点で弱すぎる彼女が、周囲はおろか上官にすら地頭の良さをひけらかす。もう少し大人しくしていれば、出世もできたことでしょう。辞める辞めないの問題や、彼女を襲おうとした他の兵と刃傷沙汰も起こしています。実を言うと」
 一度、まだ温かい紅茶に手を伸ばし、ライナスは一息ついた。
「二十歳まで正規軍に在籍するようだったら、私の軍に抜擢できればと思っていました。素質に関しては、保証しましょう」
「では先に失礼して、このチェリーとやらを、私の元で育ててみましょう。加えて、”爆弾娘”とあだ名されたアンジェリア。じゃじゃ馬二人を乗りこなせるか、試されているのは私かもしれませんな」
 赤い髪を掻き上げながら、エドナが笑う。やはり、エドナは器が大きい。元帥はもちろん、今でも王位継承権第一位という血筋以上に、リチャードの跡を継ぐに充分な資質がある。
 もっとも、本人にまるでその気がなく、非嫡子を含めたふさわしい者が次の王になるべきだという意見は、彼女が若い頃から主張していることで、一代限りの時限立法だが、法もその形で整備した。
 リチャード王には嫡子、非嫡子を含めて、現在十五人の子が確認されている。が、一人を除いて全員に、玉座への野望がない。これも、望まずして王となった、リチャードの血か。
 ただ、七番目の子であるエリザベスだけが、王位に強い関心を持っている。非嫡子の中で最も出自に、もう少し踏み込めばリチャードの子であるかに疑問符がつくのがこのエリザベスだったのだが、彼女は今、王族であるということを利用して、海軍の提督への道を探っている。その動向から、目を離せない王女だった。期待や注目ではなく、野放しにしてはいけない人物で、常に一人以上の”囀る者”が、秘密裏に行動を監視している。
「宰相とマイラに、手間を取らせました。話も一段落したし、茶も頂きました。他に何もなければ、私はこれで。マイラに、よろしくお伝え下さい」
「こちらこそ、宰相府までご足労願い、多忙な身に負担をかけました」
「いえ、捕虜返還の交渉まで、宰相府にお任せしている身です。そちらに、進展は」
「使者が、もう着いている頃でしょう。ハイランド公と捕虜返還の交渉をするのは初めてですが、ウォーレス殿が新たに選んだ主だ。おかしな要求はしてこないでしょう。元帥の手を煩わせることなく、滞りなく進めていくつもりです」
 席を立つエドナを、扉まで見送る。入室時の堂々とした振る舞いに違いはないが、その足取りは心なしか軽く見えた。
「元帥、どうかお大事に」
「お心遣い、感謝します。北のみならず、東からの脅威にも、対処して見せます」
「レヌブランはこちらで何とかするつもりですが、元帥のお力を借りることもあるでしょう。その際には、よろしくお願いしたい」
 北は、こちらが一歩引く形で当面の間、膠着だろう。東のレヌブランの対処は、アングルランド喫緊の課題である。
 東に対して新たな元帥職を設けるか、ライナス自身が指揮を執るかを熟考しているところだが、いかんせんレヌブランの、あのバルタザールの動きが読めない。両国に挟まれて貝になるのなら、そもそも独立した意味がない。何か、仕掛けてくるはずなのだ。
 椅子に深く腰掛け、ライナスは大きく息をついた。
 しかしその溜息はこんな状況でも、ここ数日で最も軽いものだったかもしれない。


 

 ハイランド城の塔の一つに、ラッセルは幽閉されていた。
 古い螺旋階段を上り、ウォーレスはその塔の一室に向かった。番兵に目礼し、訪いを入れると、すぐにいらえがあった。
「傷はどうだ、ラッセル」
 三つ、横に並べた寝台に腰掛けていたラッセルが、こちらを振り返った。リチャード王の血を色濃く受け継いだ、この巨体である。応急処置を済ませて運び込む際にはウォーレス自らが担いで、この部屋に連れてきた。
「おかげさまで、大分。捕虜に対するこの厚遇、あらためて感謝します」
 部屋はこうした身分の高い捕虜に対して用意されたもので、狭いながらも一応快適に過ごせる造りにはなっている。
「許可を頂ければ今日辺り、少し中庭を歩かせて頂ければと思っていたところです。虜囚の身には、過ぎた要望かもしれませんが」
 ラッセルはリチャードの若い頃と変わらない巨躯でありながら、その目元も心の奥底まで戦士とは程遠い、優しいと一言で言えるような男である。
「捕虜とはいえ、俺とお前の仲でもある。解放までのお前の扱いは、俺に一任されている。今日は天気がいい。望みなら、外を、少し歩くか」
「それは、ありがたい。ウォーレス殿には昔から世話になってばかりです。こうして、敵と味方に分かれても」
 扉を出て、また狭い螺旋階段を降りていく。怪我もあるだろうが、この狭さが、ラッセルにはつらいようにも見えた。
「傷は、癒えつつあるのだな」
「おかげさまで。父程ではありませんが、傷の治りは他の者と比べて、ずっと早い。それとここの者たちに、手厚い看護も受けまして」
「頭や肩に、おかしな痛みはないか」
「さて。傷むのは、この斬られた跡くらいですが」
「お前を担いでここを上る時、散々壁にぶつけながら上ってきてしまったのだ。途中で本城の一室に運べば良かったと思ったが、この狭さで引き返すこともできなくてな」
「ハハ、なるほど。その時、微かに意識がありました。頭や肩を小突かれ続けているような感覚があったのですが、そういうことでしたか」
 二人で中庭に出ると、ラッセルはその巨体をふらつかせ、いやぐらつかせた。肩を貸すと、荒い息をしている。
「まだ、歩くのには早かったのではないか」
「傷は、もう塞がっているのです。血が、まだ足りていないのでしょう。今朝から、肝をすり潰したものを、スープに入れて頂いております。じき、血も作られていくはずです」
 ガウンの間から、真新しい包帯が覗いている。鎖骨の辺りから腰の上まで、袈裟に斬り下ろされた傷口が、その下にはある。セイディの一刀による負傷だった。ラッセル特注の分厚い鎧を斬り裂き、生きるか死ぬかの傷を負わせた。娘曰く、生け捕りにするつもりで斬ったということなので、セイディの剣技の冴えたるや、今やウォーレスとそう変わらない域まで達しつつあるのは間違いない。
「セイディ殿は、日に日に強くなっていきますね。一合目で大剣を弾き飛ばされ、二合目で斬られました。少し前まで、五合は渡り合える自信があったのですが」
「実戦だ。実力差がなくとも、一合で首が飛ぶこともある。セイディはお前の並外れた頑健さに合わせて一撃を放ったようだが、少し深く斬り過ぎたかな」
「内臓や、それを守る膜のようなものをぎりぎり傷つけない一太刀だったと、医師が言っておりました。今のセイディ殿にとって、私など動かぬ木偶を斬るようなものだったのでしょう。命を救ってもらったと、そう感じてもいます」
「あまり、自分を卑下するな。お前は、充分強い。相手が悪かったということだな」
「ハハハ。いつも、自分を卑下してはならないと、言われておりました。部下の前では気をつけておりましたが、つい気が緩んでしまったようだ」
「先の戦、緒戦でお前とぶつかったな。あの時、俺はお前の首を獲ろうと、本気の一撃を放った。お前はその一撃を、凌いでみせた」
「大剣をへし折られ、馬から吹き飛ばされましたが。しかし、あれはウォーレス殿の本気でしたか。何が起こったのか、落馬してから気づく有様でしたが、咄嗟に反応できたのなら、なるほど、ウォーレス殿の本気を一撃でも凌ぎ切れたことは、確かに自信になります」
 中庭の長椅子の一つに、ラッセルを座らせる。かなり頑丈な造りのようで、ぎしぎしと悲鳴を上げながらも、それはなんとかラッセルの重さに耐えてみせた。
「部下たちも、丁重に扱って頂いていると聞きました」
「降伏した者はな。お前の部隊は粘り強く、かなり斬り伏せるまで降伏しなかったと聞いている。互いに、負けられぬ思いが強い戦だった。短期間にしては犠牲が多く出たのは、仕方ない」
「将である以上、避けられない悲しみですね」
「お前は特に、根が優しすぎる。将としてのお前の欠点は、まずそこだろう。しかしそれは人というものにとって、一番大切な部分でもある」
 王の長男として産まれていなければ、ラッセルは市井の心優しい大男として人々から慕われ、幸福な人生を送ったという気がする。姉のエドナは、元帥となってしかるべき尚武の気質の持ち主だった。比較してこの弟は、戦士の気質には程遠い。だが一方でこの男の大らかさと人を思いやる性分は、多くの兵に忠誠を誓わせる魅力もあるのだ。この将についていけば安心と思わせるエドナに対して、この将を守らねばと兵を奮い立たせるのも、どちらも将としての資質なのかもしれなかった。
 二人を見て気を利かせた小姓が、白湯の入った杯を運んでくる。冬だが、今日の日差しはこうして日の当たるところに立っていると、じんわりと汗が出てくる強さでもあった。
 しばらく二人で、中庭の様子を眺めていた。少し離れたところで、犬舎の犬たちが元気に駆け回っている。一頭がこちらにやってくると、残りの犬たちも周囲に駆け寄ってきた。
 ラッセルはその大きな手で、犬たちの頭や背をなで回した。この男はそのそびえ立つような巨体にも関わらず、動物や子供たちから好かれる。
「ここは、平和に見えます。俺たちはこうした平和を、どれだけ踏みにじってきたのでしょう」
 悲しい微笑を浮かべながら、ラッセルが呟く。
「ノースランドの独立は、俺にもっと力があれば、そうあるべきだと思っていました。地位ではなく、発言力、説得力が、俺にはない。ウォーレス殿がこちらにつかれた理由が、俺にはわかります」
「その為に、より多くの人間が倒れることとなる。やるせないが、それでも俺は、虐げられてきた者たちの側についた。この身にノースランドの血が流れていなかったのなら、どうだったのだろうな。ハイランド公ティアと俺が接触することもなく、何も見えないまま、ノースランド人たちを斬っていた気がする。初めから義によって、こちらについたとも言い切れないのだ。ただ、俺に助けを求める者たちがいて、俺もそうするべきだと思った。散々、悩んだ挙げ句にな」
「互いに、大義がある。今パンゲアで行われている戦のほとんどは、そうでしょう。誰もが正しく、結果、誰もが間違う」
「あの、”陥陣覇王”アナスタシアが敗れた戦は、俺たちの中でも何度か話題に上がったよな。彼女を敗ったグランツのフーベルトは、己が野心によって戦をしていると広言してはばからないそうだ。自身の野望の為だけに戦を起こし、多くの人を死なせる。いわば悪といってもいい存在だが、俺はそれに、どこか清々しさすら感じてしまうのだ。実際に、領民を強く惹き付けてもいるらしい。まったく、人の世とは複雑だな」
 言うと、こちらを見上げたラッセルが、一層悲しげな笑みを返す。
「かの御仁は、自分を偽らない。それが、人を惹き付けるのでしょう」
「人には、そういう魅力もあるな。ああいった相手を斬るのなら、俺も戦に逡巡しなくて済むのだろう。正義を気取るつもりはないが、そういう男だったら斬るのに躊躇わないと思ってしまう辺り、俺も大義に囚われているのだな」
「人を殺すのに理由を失ったら、人ではなくなってしまう気もします」
「そうだな。そして互いが正しいと信じているからこそ、最後には殺し合いになってしまう。因果なものだ」
 ラッセルとはいつも、こんな会話をしていたような気がする。取り留めもなく、その場の答えしか出ない問答。それでいてふと、この男とはわかり合えたという気がするのだ。今更だが、ラッセルとは友だったのだろう。師弟関係を離れた今だからこそ、そういうものが見えたのだった。
「今になってお前を、友と感じる」
 思ったことがそのまま、口を衝いて出る。
「俺もです。しかし男の友情は、離れていても、敵と味方に分かれていても変わらないと、そう聞いたことがあります」
「その意味で、やはりお前は友なのだな。互いを理解することが、男の友情なのかもしれない」
「だから、道を違えてもいいのです。しかし俺が戦場で倒れる時は、ウォーレス殿の刃であってほしいと、そう望む俺もいます」
「そうだな。俺は自身が斬られることを、あまり想像できない。だから、誰に斬られたいとも思えないのだが」
 ラッセルは泣き出しそうな顔で笑い、手で膝を打つ。
「ハハハ。それでこそ、ウォーレス殿だ」
 立ち上がったラッセルに、ウォーレスは外套を投げ渡した。ラッセルの顔色は良くなりつつあるのだが、唇が青くなっている。
「やはり、もう外を出歩くには冷える季節だな。風が、冷たい。部屋に戻ろう。お前を送った後、俺にはまだやるべきことが多い。話の続きはいずれ、この戦が終わってからにしよう」
 外套を肩に掛けながら、ラッセルは今度こそ屈託なく笑った。
 その笑顔だけが、稀に見せるエドナのそれと、よく似ていた。

 

 

前のページへ  もどる  次のページへ

 

 

 

inserted by FC2 system