pbwtop22

プリンセスブライト・ウォーロード 第22話

「誰もが正しく、結果、誰もが間違う」

 

1,「俺が初めて本気で惚れた、英雄ですので」

 戴冠式の翌朝に即軍議というのは、どこか彼らしいという気がした。
 もっとも、ジルがバルタザールの、いわば正体を知ったのは前日であり、彼のことをほとんど知らなかったにもかかわらず、何故かそう感じたのだ。やはりその秘めたる炎に無意識に惹かれていたのか、バルタザールが玉座から曙光を睥睨していた姿を見て、ジルはその想いに確信を得ていた。
 驚いたのは首邑レヌブラントとその周辺だけではなく、レヌブラン全域を独立させたというその規模の大きさであり、バルタザールがアングルランドに挑むという構図自体には、ジル自身がそれをずっと察していたかのような、不思議な据わりの良さのようなものがあった。イポリートのような無能な息子を後継としていたことは諦念と、アングルランドに対する恭順を示しているかのように見える一方、ゲオルクとアーラインという異色の客将が長く滞在していたことや、レーモンやヴィクトールのような有能な将が、何かしらの希望に燃えているように映ったことに対する違和感は、確かにあった。
 軍議の行われる広間には、既にバルタザールとその側近たちの姿があった。卓に広げた地図を睨み、ひそひそと、それでいて熱のこもった議論を交わしている。入室の際にジルが敬礼をすると、バルタザールはわずかに目を細めて手を上げた。初めて誰かの配下になったような気がしてジルは格式張った挨拶をしたのだが、どうももう少し肩の力を抜いてもいいらしい。
 一夜にして主従が逆になったわけだが、ジルはそれを自然に受け入れられた。諸侯の半分程は顔を知っているので、見知らぬところに放り込まれたような感覚もない。暖炉に火を入れてから大分経つのか、部屋の端に陣取ったジルの場所でも、ほとんど石壁が剥き出しの広間を、寒いと感じることはなかった。予定の時刻より大分早く来たのだが、バルタザールたちは夜明けにはここに集まり、軍議の打ち合わせをしていたのだろうか。
 ヴィクトールが入ってきて、バルタザールの話の輪に加わる。その距離感の近さにおかしなところを感じず、あらためて、あの男はバルタザールの隠し子だったと確信する。そして確証は、すぐに得られた。
「ヴィクトール殿は、陛下のご子息です。ジル殿は、もうご存知でしたか」
「いや、そうだとは思っていたが、誰かからそうであると口にされるのは、初めてだ。今後、彼にはそう接して良いのかな」
 その上級騎士は頷くと、視線を二人の方へ向けた。快活なヴィクトールの笑いに、バルタザールが凄みのある、不敵な笑みで応えた。親子だな、とジルは思った。
 結局のところ刻限より前に、召集のかかった全ての諸公とその部下たちが集合した。
「ジル、お前には一軍を率いてもらう。近くに来い」
 バルタザールにそう言われ、広間の端から進み出る。やはり、自分は将として扱われるらしい。バルタザールにほど近い席に着座したが、ゲオルクやアーラインよりも上座に近い。いくらか尻込みしそうになるが、他の面子同様、話し始めたヴィクトールの方に顔を向ける。
「皆さん集まったようだし、軍議をはじめましょうか。陛下、それでは」
 重々しく頷いたバルタザールが、言葉を継ぐ。鋼を形成しただけの簡素な略式の王冠が、強い朝日を浴びてなお、鈍く、暗い光を放つ。
「元来、我々が決起できるのは来年の春以降と目されてきた。が、同盟を組むノースランドが、我々に一手、動く時を与えてくれた。降雪までには、一ヶ月ほどあろう。その間に遂行できる作戦の立案が、本日の議題だ」
 来春の独立が当面の予定だった口振りだが、ノースランド側、もっといえばハイランド城に関する情報は、逐次入っていたのだろう。そうでなければ、教皇が密談の後しばらく、ここに残っていた理由が立たない。さすがにノースランド側があれだけ素早くアングルランド軍を撃退することを予想できなくとも、あるいはということで様子見をしていた可能性が高い。つまるところ、あちらとの情報交換は相当に密か、あるいは恊働で動く忍びの組織があるのだろう。いくら近場とはいえ、話が届くのが早過ぎるのだ。ジルが総督府でアングルランドから知らせを受ける以前から、バルタザールは諸公に召集をかけていた。
「当面の戦略目標は、領土拡大である。南に広がる二剣の地の征服が、その主な標的となろう。が、そのまま南を攻めたところで、東のアヴァランに対する防備が薄くなる。二剣の地をある程度制圧したところで、すぐに兵力増強ともいくまい。が、ハイランド城の鎮圧に失敗したことで、アングルランドが今年中にこちらに攻め入ることもあるまい。一手、動けるのはそこまでだ。献策ある者は、手を上げよ」
 地図にはレヌブラン周辺の情報に加え、兵力を示す鉛の兵士の駒が並べられている。鉛の兵一体当たり、兵力千といったところか。
 パリシ攻防と併行して行われた対アヴァラン戦で、レヌブランが召集した兵は三万。潜在的には四万徴兵できるとあの時のレーモンに言われたが、実際の兵力は十万をいくらか超えるようだ。ジルが総督府にいた時は首邑レヌブランの防衛を含めてせいぜい五万と聞かされていたので、倍近い差がある。徴兵に際し、諸侯とは実際はそういった取り決めがあるのだろうか、ともあれこれが隠し持っていた兵力というわけだ。
 無論、総督府がレヌブラン諸公から供出される情報を鵜呑みにしていたわけではない。”囀る者”たちはもちろん、流しの忍びも調査員として雇い、レヌブラン各地の情勢は調べさせていた。それでなおジルの認識とここまでの乖離があったのだ。物資の蓄積状況等についても、これから明らかになっていくものが少なくはないのだろう。
 ジル同様、じっと黙って軍議の成り行きを見守っている者もいるが、概ね、自由に意見が交わされ、卓上のやり取りは活発である。遠慮しているわけではないが、ジルはここに集まった者たちの中で、将としては最も未熟だろう。先日総大将としてレヌブラン軍を率いた身としては恥ずかしい限りだが、アングルランドからの意向を伝えて兵を動かしただけの上位下達のあのやり方は、実際のところ軍議と呼べるものではなかったのだと、痛感する。
 ある諸侯の提案にバルタザールが同意の頷きを返しても、すぐにそれを真っ向から否定する意見も出る。それはバルタザールが了承したことに異を唱えることになるはずだが、そういった忖度はこの場では不要のようだった。実際バルタザールも、そのことを意に介した様子もない。どの諸侯の話にも、大きな彫像のようにじっと耳を傾けていた。この粘り強さもまた、この男の本質である。なにせ、レヌブランがアッシェンに帰属していた頃から、バルタザールはこの地の独立を画策していたのだ。
 やがて、細かい点に相違はありつつも、二剣の地のどこを攻めるかについて、意見がまとまりつつあった。
 ジルもここらで口を開くべきかどうか、逡巡した。初めての戦を終えて以来、ジルの頭の中にはひとつの作戦があった。戦後、レーモンとそのことで少しだけ話し、先日の教皇とバルタザールの密談の際には、マイラとその話になりかけた。具体的な作戦の話にならなかったのは、何か意図してそれを避けたわけではなかったことを考えると、運が良かったとしか思えない。
「ジル、何か言いたげだが」
 小姓が運んで来た茶を口に運びながら、バルタザールが問う。通常のティーカップは、この男が手にするとショットグラスくらいの小ささに見えた。
「そもそも、アヴァラン領の脅威が消えれば、南、そしていずれ先日の敗戦から情勢を立て直してくるアングルランドに、充分抗しうると思うのですが」
「確かに。だがこちらからアヴァランを攻めるには、お前も見た通り、東の山地が邪魔をする。北から海を回り込み、船で港を叩くこともできようが、海軍力に大きな開きはない。取れたところで犠牲も大きく、その後の南への侵攻、そしてアングルランドの反転攻勢に、充分な戦力を残せるとは思えない」
 ジルがこの場に慣れていないことを配慮してか、バルタザールは意外なくらいの饒舌さで、ジルに情勢をあらたて説明してくれた。自分でも情け無いくらいに、そのことが嬉しいと感じてしまう。こういう場でもそんな感情が沸き立つ辺り、恋を知らなかったこれまでのツケといったところか。
 頬が熱くなるのを感じ、ジルはひとつ咳払いをして、なんとか自分を取り戻した。
「一つ、アヴァランを取れるかもしれない作戦を、以前から温めておりました。雑な案であることは承知の上です。陛下や指揮官の皆様方に、この作戦がどこまで実行可能なものか、検討頂きたい」
 ジルは鉛の兵を一つ取り、進軍路と想定する道筋に、その人形を滑らせた。諸侯の何人かから、唸るような声が聞こえた。バルタザールはじっと、その鉛の兵が止まった場所を見つめている。
 最初に、笑いと共に口を開いたのは、老ゲオルクである。
「まったく、ジルは相変わらず突飛なことを言い出すのう。が、儂は面白いと思うぞい」
「褒められたのか。言い出した私が言うのもおかしいが、補給が、どうにもならない。そしてこの作戦は、速さが命だ。軽騎兵のみ、輜重隊すら足手まといになる。しかし輜重隊を使わないとなると、騎馬に積んだ携帯食糧だけでは、一週間程度が行動の限界だろう」
「絶対に、そこを取る。速戦で、陣を張ることなく奇襲、そして開戦即占領といけば、あながち不可能な作戦でもあるまい」
 バルタザールが、獰猛な笑みを浮かべて言った。
「完全な奇襲と、なりうるでしょうか。事前にアッシェンに対して、宣戦布告を為す必要があります」
 この辺りの外交的な手続きについては、ジルも総督だった人間である。無知ではない。
「そこは、我々に任せておけ。そろそろ周辺諸国に大使を派遣しようと思っていたところだ。それにアヴァランが取れれば、アッシェンそのものを完全に封殺する策も取れる」
 バルタザールの中では、アヴァランを取れた後の展開も組み上がったらしい。アッシェンを動けなくする一手というのは、ジルにはまるで思いつかなかったが、追々、その話にもなるだろう。今は、この作戦が可能であるかどうかだ。
「軽騎兵、五千といったところでしょうか。それも、我が軍の精鋭を投じることになる。しくじれば、失った兵力以上の損耗となります」
 ヴィクトールが言う。諌める提言であるはずだが、その目は輝いていた。副官のような立場上の発言なのだろうが、実際は乗り気なのだろう。
「ただ、面白い、とは思いますね。敵はこの手には無警戒でしょうが、それでもなお五分の賭けだ。ここは俺が指揮を執り、可能性を六分か七分に引き上げたいと思いますが」
「いや、ヴィクトール殿、私の思いつきで、貴殿を失うわけにもいくまい。貴殿はその、陛下の後継者、いずれ時を見て王太子になられるのだろう?」
 この発言に、誰も反応を寄越さなかった。つまりはその部分も、諸侯の間で了承済みなのだろう。いくらか、嫡子のイポリートを不憫に思う。
「ここは発案者の私に、任せてほしい。ただ欲を言わせてもらえば、実務に長けた副官を一人、付けてくれないか。私はこれが、ほとんど初の実戦と言っていい。強行軍の指揮や注意点といったものに、私は対処できないだろう」
「と、ジル殿は仰ってますが。陛下、どうされましょうか」
「ジルの副官として、このヴィクトール、そしてレーモンを付ける。二人とも、異存はないな」
 いわばレヌブランの核となる将のはずだが、決断が、異常に早い。言い出したジルが、狼狽してしまうほどだ。
「ヴィクトール殿はもちろんのこと、レーモン殿は陛下の股肱の臣といっても良いはずです。このような博打じみた作戦で、両名を失うわけにはいかない」
「息子、臣、精鋭の騎兵のみならず、一人一人がこの国の貴重な財産だ。誰を失っても痛い。それでもこの賭けには乗らざるをえないと、俺は思っている」
「しかし、それはあまりに」
 思わず、この件に関してまだ口を開いていないアーラインの方を見る。が、ケンタウロスの表情を見るに、とても助け舟にならないことは明確だった。
「戦となると、人が変わったように臆病になるのだな、ジルは。己があまりに強過ぎて、かえって兵が信頼できないのか。そのくせ、こんな突拍子もない作戦も思いつく。ああ、ともあれ、私とゲオルクも、この作戦に参加したい。バルタザール、構わないよな?」
 その口振りから客将としてのアーラインはむしろ、バルタザールと対等に近い関係だとわかった。ゆえにこその、客将なのだろう。
「ふむ、構わん。やり遂げてこいよ」
「陛下、よろしいですか」
 レーモンが、短く刈り込んだ白い顎髭に触れながら言った。
「南の戦線と呼ばれるアッシェンとアングルランドの戦、崩壊しかけた戦線を押し戻したのは、名将リッシュモンの乾坤一擲の戦振りでした。ノースランドもアングルランドとの実質的な緒戦で、ウォーレスが賭けのような戦をして、勝ち切ったとの話です。これが我らの緒戦となるならば、我々もこの一戦にこそ、しくじる可能性を捨てて全力を傾けて当然かと愚考致します」
 堅実なはずのこのレーモンの一言が、作戦決行の最後の一押しとなった。
 ジル一人なら、どんな強敵と向かい合ったところで、恐怖はない。が、人の命を預かる戦というものはやはり、ジルを寄る辺ない心持ちにさせる。味方を、殺してしまう恐怖。アーラインの指摘を待たずとも、その怖さは自覚していた。
「この作戦に沿って、戦略も新たに練り直すとしよう。順序が逆だが、おかげで面白いことを思いついた。細かいことは、俺とレーモン、ヴィクトールで詰める。仔細については、翌朝の軍議で。以上だ。異論なければ、ここで解散とする」
 諸侯に、声を上げる者は誰もいなかった。
 席を立ったジルが懐中時計に目をやると、既に正午近くになっていた。一時間も経っていないと感じていたが、それまでの白熱した議論が、ジルに時を忘れさせていたようだ。
「おう、今日もいつもの席で、昼飯だろう?」
 扉を出たところで、アーラインが声を掛けてくる。ゲオルクの姿がないが、厠にでも行ったのだろう。
「そうだな。昼飯を取ったら、その後はどうしたものだろう。一軍を率いることになった。暇であるはずがないのだが、何をしたらいいか、わからないんだ」
「そういうことは、有能な副官に任せておけ。実は私たちも、今は大してやることがない。が、明日以降は、寝る間もないんじゃないか。この作戦はそもそも、実現が難しい」
「やはり、無理なのか。ならば何故皆、この作戦に乗ったのだろう」
「無理じゃないよ。あくまで、難しいだけだ。だからその実現に向け、相当に忙しくなるだろうということさ。明日、バルタザールたちが計画を策定した後は、現場を預かる我々が、それを詰めていくことになる。それこそ、行軍中にもやることが山ほどあるかもしれない」
「なるほど。そういえばアーラインは客将としてここに留まっていたわけだが、以前にも戦の経験があるのか? 二人で冒険者をしていた頃の話は、随分聞いてきたが」
「南の辺境伯領と、東のグランツで、少しな。傭兵みたいなもので、実際に傭兵を指揮したこともあった。ずっと昔の話だ。二、三十年前か。お前が生まれる前の話だよ」
 下半身は毛艶の良い白馬、上半身は女神のような美しさのアーラインは年齢がどうだとかを超越しているので忘れがちだが、老ゲオルクよりもずっと歳上の、八十代半ばである。分厚い鋼の盾を扱うという人外の膂力からしても、老いているのかどうかすら人の尺度では測れない。
「兵を預かり、調練だけは請け負ってきたものの、指揮は、先日の対アヴァラン戦が、本当に久しぶりの実戦だった。まあ、一応勘は取り戻せたかな」
「なるほど。話は変わるが、陛下の言っていたアッシェンを封殺する策、最後に言っていた面白い手、というのに心当たりはあるか。聞く機会を持てなかった。お前なら、何か知っていそうだが」
「いや、さっぱり。お前の方が、そういうのには詳しいんいじゃないか。総督殿だったんだからな。まあ、明日になったらわかるさ。今は、バルタザールに任せておけ。それとジル、あいつに惚れてるんだったら、陛下なんて堅苦しい呼び方はやめておけよ。あの男は、媚びる者を嫌う。まあ、軍議の場では仕方ないが」
 そんな話をしていると、小姓の一人が、ジルに駆け寄ってきた。
「そんなに慌てた様子で、なんだ、私に急用か」
「いえ、まあそんなところですが。私自身に言いつけられた用事が多いもので」
「お前の都合か。私の用件には、さほど緊急性はないのかな」
「そうですが、早めに対処した方がよろしいかと。実は総督府の兵が二人、どうしてもここに留まりたいと」
「ほう。理由は」
「ともかく、ジル殿の元に残りたいと言うのです。無理にアングルランド行きの列車に乗せてもいいのですが、一応、ジル様には知らせておくべきかと。総督府の前で、待機させております」
「わかった。その者たちと会おう。沙汰も、私が決めておく。時間を取らせて悪かったな。お前の仕事に戻ってくれ」
 小姓が駆け去った後、ケンタウロスと顔を見合わせる。
「残りたいとは、一体何なのだろうな。アーラインには、見当がつくか?」
「お前を慕って、残りたいんじゃないか」
「まさか。初めは厳しく当たり、見限ってからは調練の時も連中とはまともに口を聞かなかった。なんだろうな、アングルランドへ送還される前に、一発くらいは殴らせろということかな」
「なら、殴らせてやれ。そういうことじゃないと思うがな。ゲオルクが戻ったら、食堂のいつもの席にいる。時間が合えば、そこで落ち合おう」
 手を振ってケンタウロスと別れた後、ジルは総督府に向かった。ふと、すれ違う者たちの態度が、昨日までとは違うことに気がついた。総督だった頃は、ジルの顔を見ると大抵の人間は敬礼か、胸に手を当てた恭順の意を示してきたものだ。あるいは、目線が合わぬよう、それとなく避けられるか。今は目が合う者は軽く手を上げるか、目礼を寄越してくるようになっていた。剣呑な雰囲気もなく、要はレヌブランの将として受け入れられているようだ。ちょうど少し前方にレーモンの背中があるのだが、彼に対する周囲の態度とジルのそれは、よく似ている。逆にこちらも余計な気を遣わず、また遣わせることもないということか。
 城を出て、総督府の兵舎に向かった。練兵場では既に他の諸侯たちが、実戦に近い演習をしていた。
「お前たちか、私を待っていたのは」
 兵舎の玄関前にいたのは、確かに総督府の兵の格好をした男女である。
「はい。俺、どうしてもジル様の元に残りたくって」
 男の方が、目を輝かせて言った。名前は忘れたが、この若い男はよく覚えている。顔にあどけなさを残しているものの、充分二枚目の部類に入り、そういう者はいやでも目立つ。淡い金髪に、目鼻立ちのはっきりした顔立ち。
「お前も、この男と同じでいいのか」
 横にいる娘に問う。こちらは地味な娘で、見たことがあるといった程度だ。おそらく、ちゃんと言葉を交わすのも今が初めてだろう。
「あ、あの、はい。私も・・・」
 言った娘が、男の袖を掴む。前髪が長くほとんど目を隠しているものの、不安そうな表情はそれ以外の部分からも存分に伝わってきた。
「至らぬ大将でな。お前たちの顔と名前が一致しない。あらためて、名をきこう」
「俺は、ハーマンです。騎士の三男坊ですが、一応、俺も叙勲されています」
「騎士の家系か。三男にまで叙勲があるとは、父君は上級騎士かな。私に着いてくれば、国はもちろん、家も裏切ることになる。大丈夫なのか」
「どうでしょう。ですが、家督は継げないでしょうし、帰国の際にはあらためて、正規軍に入ろうと思っていました。ああ、本当は俺がここに赴任したのも、ジル様が総督になられると聞いて、兄貴たちを押し退けてこの職を譲ってもらったんです」
「私目当てで? 一体何故」
 聞いて、ハーマンは大きく目を見開いた後、爽やかに笑った。
「大陸五強、”弾丸斬りの”ジル。パンゲアで、その名を知らない者はいませんよ。そして俺みたいに剣で成り上がりたいと思っている者全ての、憧れです」
「全て、は言い過ぎだと思うがな。それにこんなちっぽけな娘で、がっかりしたことだろう」
「いえ、逆にそれが凄いと思いました。俺みたいな普通の体格の男でも、ひょっとしたらって。いや、さすがに大陸五強とまでは望んでいませんが、自分が想像しているよりも、もっとずっと強くなれるかもって」
 150cmに満たないジルの矮躯を見て、それが希望になることもあるのか。このハーマンという男を、今までは単に顔の良い男としか見てこなかったが、話すと、どこかこちらの心を揺り動かす青年でもあった。
「わ、私は、モイラです。私は、その、この人に、付いて行きたいって・・・あ、いえ、ジル様も、その・・・」
 ハーマンとはまるで逆の、このモイラという娘は華やかさとは無縁の娘だった。見た目の良し悪しも性格も、まるで反対に見える。
「ハーマンとモイラは、恋仲なのか? いや、確か名簿に妻帯者はいなかったし、同じ指輪をしているから、そう思っただけだが」
 二人は顔を見合わせ、ハーマンが照れくさそうに頭を掻いた。モイラは、顔を真っ赤にして俯いている。
「国に帰ったら、モイラと結婚できるよう、親父を説得するつもりでした。駄目なら、駆け落ちしてもいいかなって」
「大胆だな。そもそも、結婚に障害があるかのような口振りだが」
「身分が違うとかって、親父は言いそうなんですよ。貴族なら良し、最低限騎士の家系の娘にしろと、以前から」
「モイラは、それに当たらないのだな。総督府の兵は、貴族の子弟がほとんどだったが」
「はい・・・商家出身ですが、家もあまり大きくなくて・・・」
 商家の子弟も、ある程度の数はいた。家が貴族との繋がりを求めたり、直接ここに送り込まれた者たちが接点を持ってもいい。そんな狙いで、金を積んでくる者たちもいる。
「ハーマン、お前が帰らなかった理由の一つに、これがあると思っていいのだな」
「はい。けどモイラとの出会いがなくとも、俺はジル様について行ったと思います。俺が初めて本気で惚れた、英雄ですので」
「恋人の前で、そんなこと言うなよ。ちょっと、お前は思い込みの激しいところがありそうだな。まあ、私がこんなことを言ったと聞いたら、ゲオルクたちに笑われそうだが」
 ジルも、彼らからしたら、方向性こそ違うものの、こんな風に自分の思いをいつも優先する娘に見えていたのだろうか。実際、まだまだ狷介な娘であると、自覚はしている。
「お前たちのことは、ある時期から見放していた。当然誰も私のことなど慕っていないと思っていたのだが、お前のような者がいることを知って、申し訳なかったとも思う。希望者だけに、稽古をつけてやっても良かったんだな。詫びに、お前たちが望むなら、互いの時間のある時に、稽古をつけてやろう。それくらいしか、気持ちの返し方がわからないのだ」
「ほ、本当ですかっ。うわ、俺、残るって決めて、心底よかったって思います。おお、興奮してきました。ジル様、あらためて、よろしくお願いします!」
 今一撃をもらったらこの男の腕でも避けきれないと感じくらいに、ジルはその真っすぐな瞳に気圧された。少し頬が熱くなるのを感じながら、モイラに話を振る。
「モイラは、あくまでハーマンについていきたい。そういうことでいいのかな」
「はい、その、消極的な理由で、すみません。けど私、一生懸命働きますから」
「消極的でもないさ。好きな男の為に、ここに残った。それも立派な選択だと思いたい。家のことについては、大丈夫なのか」
「元々、父が無理をして、私をここに送ったんです。私、一人娘で、その、商家の仕事を継ぎたかったんですけど、お前はいい婿を迎えて、子供をたくさん産めばいいって言われてきたので。あの、私はそんな人生を望んでいないですし、ハーマンみたいな素敵な人が、私を選んでくれたので・・・あ、ええと、話が混ざっちゃって、申し訳ありません。こんなの、戦に出る人間の言葉ではないと、わかってはいるのですが」
 興奮しているようだが一方で、自分の話の理路がおかしくなりつつあったことを、自分でわかっている。肝が据われば、意外と頭の切れる娘なのかもしれなかった。
「いや、いいんじゃないか。私がここに残ったのも、同じ理由さ。少し前の私だったら、何と言っていたかな。色恋が戦う理由になることなど、想像もできなかったからな」
 何気なしに言ったことだったが、二人とも一様に驚いた顔を見せる。
「ええっ、ジル様も、好きな人の為に」
「そうだよ。それが大切な想いだと気づいたので、ここに残った。もっともお前たちとは違い、片想いだがな。先方は、私の気持ちに気づいてもいまい。好きだと告げたが、場が場でな。もっと広い意味の好きと捉えられてしまった節がある」
 昨晩の、あの聖堂での告白は、生涯忘れることはできまい。あれが愛を告げる言葉と取られなかったのは、むしろ幸運である。あれだけ大勢の中で言ったからこそ、周囲も単に慕っていると捉えたのだ。
「ジル様の好きな人、気になります・・・」
 モイラのそばかすの浮いた頬は、ずっと紅潮している。
「まあ、私の話はいいだろう。ともあれ、お前たちの面倒はみる。それに私も、いずれは自前の副官が欲しいと思っていた。次の戦はレーモンとヴィクトールという戦上手が私の副官になるが、いくら上等でも所詮は借り物だし、それが高価過ぎて、荷が重いとも感じる。私にある程度の兵が与えられた暁には、お前たちを副官としたい」
「いいんですか、俺たちなんかで。指揮の経験もないんですが」
「私と同じで、今は指揮官としては卵にすらなっていないだろう。共に、学んでいければいいと思っている。なに、立場が人を作る。総督なんかをやって私が一番学んだのは、多分それだな」
 ハーマンが、弾けるように笑った。モイラも前髪でほとんど隠れた小さな瞳を、それでも大きく見開いている。
「ジル様ってこうしてお話ししてみると、本当は気さくな方なんですね。私、もっと怖い人かと思ってました」
「顔が、怖いからな」
 言って、ジルはここしばらく、自分の顔にあまり劣等感を抱いていない自分に気がついた。つい先日まで、この怒りの面が張り付いた相貌が、嫌で仕方なかったものだったが。
 無論、まったく気にしていないわけではない。今朝、軍議に出る前に化粧をしていた時も、この怖い顔が少しでも穏やかに見えるようにと、眉の描き方に苦心していた。だが鏡を覗き込んでいる時に、以前のような嫌悪感は少なく、単にこれが自分の顔だと受け入れた上で、その欠点を補おうとしていた気がする。いつの間にか、自分の顔と自然に向き合えるようになっていたのだ。
 練兵場から、鬨の声が上がった。部隊の一方が、勝利したらしい。勝敗の基準が何だったのかはわからないが、両軍共に半数近くが座り込んでいる。まだ立っている兵の身体からは、具足越しに湯気が上がっていた。
 ジルは手に、白い息を吹きかけた。もう、こんな季節になっている。
「明日、この国最初の戦の概要と編成が告げられる。二人くらい増えても、問題ないだろう。軍議に、ついてこい。未来の副官候補として、二人を紹介する。元総督府の兵だという説明が、先になるかな」
「ジル様、もうそこまでレヌブランの人間の信頼を得ているのですか」
「そもそも、今回の作戦の立案者が、私なのだ。責任を取る意味でも、私が指揮を執ることになる。が、先程言った通り、レーモン、ヴィクトールという猛者が、私の副官としてついてくれる。それと、ゲオルクとアーラインも同行するようだ。こちらは私たちも調練の相手になってもらったので、知った仲だよな」
「両将軍に加えてあの二人まで一緒とは、心強いです。何度か、声を掛けて頂きました。それにしても、いきなり大きな戦があるんですね。俺、ジル様の足を引っ張らないよう、死ぬ気で戦います」
「命のやりとりだ。死ぬ気は大いに結構だが、実際に死ぬなよ。詳細は明日聞くことになるが、降雪までには完了する、速戦となる。行軍から、厳しいものになるだろう。ゆっくりできるのは今晩が最後かもしれない。今の内に、しっかり英気を養っておけよ」
 二人は、揃って敬礼した。まだ弱兵だが、妙に頼もしく感じる。
「そういえばジル様、昼飯はもう済ませられたのですか。俺たちはまだで、兵舎の食堂も閉まってますし、良かったら俺たちと一緒に、城下の方へ行かれませんか。いい店を何軒か、知ってるんです」
「先約がある。いや、ならお前たちも私についてこい。ゲオルクたちが待ってるんだ」
「おお、新しくできた城の食堂を使わせてもらえるんですね。それは、俺も楽しみです。ぜひ、ご一緒させて下さい」
「お前の言う店も、気になるな。晩飯は、三人で城下に出るか。いや、夜は私が一緒だと、二人の都合が悪いか」
 ジルは、モイラの方を見て言った。恋人たちの逢瀬を邪魔するつもりはない。
「い、いえ、私もジル様とご一緒できたら、うれしいです」
 どうやら本心から言っているようなので、安心した。まあ、晩飯くらい一緒に食べたところで、二人の時間を大きく奪うこともないのだろう。食事を終えたら、ジルもさっさと城へ戻るつもりである。
 ジルからすると、実感として初めてできた、どこか通じ合う部下たちと共に、できるだけ長い時間を過ごしたかった。行軍中は、指揮官と兵として接することになる。二人の素顔を知る時間は、思っているよりも少ないだろう。
 おそらく今回の戦は、数週間と経たずに終わっている。それも、短期間とは思えないくらいのつらい作戦となるだろう。
 一ヶ月後、この二人とまた卓を囲むことができればいいと、ジルは心底願った。

 

 

もどる  次のページへ

 

 

inserted by FC2 system