前のページへ  もどる  次のページへ

 

2,「案ずるな。お前ある限り、俺は死なぬ」

 兜を取ると、冷たい風が首の後ろを打った。
 外套の襟を立て、アナスタシアは馬から下りた。汗だくだが、風でそれを乾かすには古傷に障る季節になっていた。
「どうだった、お前の目から見て」
 腕を組んで調練を眺めていたボリスラーフが、その甲冑以上に重々しく頷く。
「今の駆け合いに関しては、ほぼ互角かと。いい指揮です。もっとも様子見の姫と、実力を見せたいアリアンでは、本気度に違いはあると思いますが」
「私も、それなりに本気だったよ。あいつの木剣は、具足越しでも身体に響く。できれば、まともな一撃は受けたくないな」
 霹靂団を二つに分けて、実戦に近い演習を行っている。大将はこちらがアニータ、相手はグラナテと、不慣れな二人が務めたのだが、今回は主に騎馬隊を率いさせた、アリアンの動きを見る目的があった。アナスタシアも騎馬を率い、先程まで五分の駆け合いをしていたのだが、アニータの本隊が崩れたところで、一度決着ということになった。
 エルフのアリアンには、騎馬隊の一つを任せたいと思っている。それも統括的な立場だ。が、本人の弁と先日の青流団副団長ベルドロウの話を照らし合わせてみるに、この男には指揮官として、何かが足りない。
 人付き合いは得意ではないようだが、部下から厭われる水準ではなく、孤高の指揮官がいることを考えれば、何か性格的なものが問題になっているわけでもないようだった。これも先日の述懐通り、アリアンには何かが足りないという言葉に、アナスタシア自身も引きずられている感はある。
「今度は、お前が相手してくれ。私はここから、見極めることにする」
 頷いて馬に乗ったボリスラーフを視界に入れながら、水筒の水を飲む。一口のつもりが二口三口と続いてしまう辺り、感じていたよりもずっと、激しい戦いだったようだ。アリアンから振り下ろされた木剣を一本、アナスタシアは篭手で叩き折ったが、実戦では腕が飛ぶか、腕甲越しに骨をやられていたかもしれない。こと剣技に関しては、やはり並の腕ではない。
 しばし休憩を入れた両軍が、再び動き出す。といっても総数四百弱を二つに分けているので、ごく小さな部隊同士のぶつかり合いといったところか。
 歩兵の本隊から、アリアンの騎馬隊は大きく離れようとしない。一方ボリスラーフは盛んに騎馬を動かし、アリアンを挑発するような動きをしていた。重々しく落ち着いた言動の歴戦の老兵であり、アナスタシアは歩兵を預けることが多かったボリスラーフだが、戦場ではどちらかというと動の男である。こうして騎兵を率いさせれば、よりそれが顕著となる。
 一度アリアンが隊列を長くし、ボリスラーフに巻き付くような動きを見せたが、それを突き抜けた老将は反転、エルフの首を獲りにいったが、アリアンはそれを軽くいなしていた。
 悪くない判断である。冷静で居続けるというのも、指揮官として大切な素質だ。青流団での長い経験が、彼をそうさせたのかもしれない。人間の見た目では二十代半ばくらいに見えるのでつい若い指揮官として見てしまうが、アリアンの戦歴は、アナスタシアはもちろん、ボリスラーフよりも長い。
 元々持っているもの。それを見極めようとアナスタシアはアリアンの動きを目で追っているが、やはり今ひとつ、掴めない。アナスタシア同様、ボリスラーフとも互角の駆け合いをしている。
 実戦で立ち合えば、アナスタシアとボリスラーフは、あの男を斬れるだろう。紙一重の剣の腕が、実戦ではあっさりと一合の馳せ違いでの決着となることもある。が、その想定はここではあまり意味がない。この傭兵団にとって重要な、軽騎馬隊を任せられるか。いくつか騎馬の部隊を編制することがあっても、その中核となれるかどうか。
 いずれはこの騎馬隊を旧霹靂団でアナスタシアが率いていたような、驃騎兵とする予定でもある。散開、集結を一部隊で数多くこなす驃騎兵は、相当の練度と指揮力が問われる。アリアンに、その指揮ができるか。あるいは驃騎兵をアナスタシア直属とし、彼には青流団でやっていたような、流れるような、それでいて基本を外さない軽騎兵の動きを求めた方がいいのか。アリアンに騎馬隊を任せるなら、彼の適性次第で、騎馬隊の編制自体が左右される。
 まだ決着は着いていないが、一度両軍が睨み合うような形となった。アニータがボリスラーフに指示を出す一瞬前に、アリアンの騎馬隊は飛び出した。向こうの大将、グラナテの指示を受ける前で、この判断はいい。不意を衝かれたボリスラーフの騎馬は不十分な隊形のままその突撃を受ける形となり、自ら潰走を選び、被害を最小限に抑えている。
 その隙に、グラナテがアニータに襲いかかっている。アニータが剣を奪われたところで、この一戦の決着となった。
「やれやれ、一本取られました。私も後ろでふんぞり返って、偉そうなことばかり言ってられませんな」
 引き返してきたボリスラーフが、面頬を上げて汗を拭う。
「アニータに、気を遣わなくていいぞ。調練だからと、あいつの成長を促したのだろうが」
 ボリスラーフ自体は、アリアンの突撃を予期していたであろう。が、大将からの指示を待つことで、部隊自体に動揺はあった。なるほどしかし、アナスタシアも先程はこんな動きをしていたのかもしれない。アナスタシアは明確に、アニータの判断力を引き上げたいと思いながら動いていた。
「ただそこを差し引いても、実力的にはニーカとそう変わらないと、私は感じた」
 ニーカとは、旧霹靂団で軽騎兵を任せていた、かつての副官の一人である。旧霹靂団壊滅時の兵の生死はほぼ全員掴めているが、ニーカだけはあの後、まるで消息を掴めない。男の多かった霹靂団にあって、女の、それも指揮官だったニーカは、例え死体の山に埋もれていたとしても、埋葬の際にそれとわかるはずだった。ゆえにこそアナスタシアは、ニーカがどこかで生きていると信じていた。
「ですな。纏う雰囲気や言動も、少し似ている気がします。最もニーカは守りに強く、アリアンは攻めに強そうですが」
「試しは、他の指揮官候補でも行っていく。十人程度の、ごく小規模な傭兵隊長出身者は、どれも筋がいい。あれはどういうわけだろう。一人で流れていた強い奴に、誰かが声を掛けて、集団でついていった感じなのかな」
「姫も今回、そんな形であったのでは」
「言われてみると、そうだ。経緯はそれぞれだろうが、まあ付いてくるという人間の面倒は、見ないわけにもいかないしな。話を戻すと、そういった者たちで頭角を現してくる者がいなければ、騎馬隊はアリアンに任せてもいいかなと思う。追々、騎馬を驃騎兵にできればとも。それこそ、ニーカがいれば一から教えられるのだが」
 ニーカはポルタ出身で、驃騎兵の中でも最強と言われるポルタのフサリアの一員だった。アナスタシアも、彼女から本格的な驃騎兵の指揮を学んだのだった。
「まあ、今いない者の話をしても仕方ない。きっとどこかで生きていると、ニーカに関してはそれで良しとしよう。アリアンについてだが、これはもう実戦を見てみないと、わからないような気がしてきたなあ」
 そんな話をしていると、そのアリアンが馬を引いてこちらにやってきた。
「団長、俺に足りないものは、わかったか。立て続けに、団長と副団長と、当たった。二人とも戦上手だったので、逆に手応えがなかった。二人より数段劣っている、それだけはわかったのだが」
「いや、二人ともお前に押されていたよ。まだ仮になってしまうが、当分お前に騎馬隊を預けようと思う。騎馬隊独自の調練も、私やボリスラーフが見れない時は、お前に一任する」
 アリアンは、顔色一つ変えずに頷いた。元々、表情の変化は薄い。兵が飛ばす冗談には微笑を浮かべるが、軍を離れれば総じて口数は少なかった。
「まだこの規模の騎馬隊だ。副官的な、指揮の順番についても、お前が決めておいてくれ」
 自分が倒れた後の指揮、その者が倒れたら誰と、それを事前に決めておくのも指揮官の仕事である。また部隊を一時的に細かく分ける時には、それぞれが分隊の指揮を執る。
「わかった。何人か、これはという者たちがいる」
「そこまで見えていたか。うぅん、お前に何が足りないのか、やはり今の私ではわからないなあ」
 パイプに火を着け、アナスタシアはアリアンの佇まいを、もう一度見つめ直した。あえて言えば、風格のようなものか。それがこのエルフには足りない気がするが、実戦で一部隊を任されたという経験がないのだ。風格などなくて当然だとも言えるし、経験すれば勝手に身につくものでもある。
 こちらにやってきた兵たちを前に、アナスタシアは言った。
「今日の調練は、ここまでにしよう。昼飯を食ったら、自主訓練だ。事務方はボリスラーフに任せて、今日は私がお前たちに稽古をつけてやるぞ」
 兵の中から、歓声が上がる。全体はともかく、個人の訓練の面倒は、これまであまり見て来れなかった。パリシ解放の立役者となったからか、あるいは大陸五強の一人に数えられてしまっているからかはわからないが、ともあれアナスタシアの名を頼りに集まってきた者たちだ。食堂や風呂では近くにいる兵になるべく話しかけるようにしているが、やはり、傭兵なら剣を交えて、あるいはそれを教えることを求められているのだろう。
 騎馬の兵たちを先導して、厩へ向かう。蜜蜂亭の出勤時間を考えても昼食後、二時間程度は時間が取れるはずだ。風呂は、手早く済ませてもいい。
 馬の汗を拭っていると、馬体越しに、アリアンが他の兵に話しかけているのが見えた。指揮官としての自覚が芽生えたのか、以前には見られなかった光景だ。
 立場が人をおかしくしてしまうこともあるが、概ね立場は人を作る。
 あのアリアンも後者であってほしいと、アナスタシアは思った。

 

 アングルランド軍侵攻の報に、城内は異様な雰囲気を漂わせていた。
「兵が、殺気立ちすぎている気がする。いつも、こうなのか」
 ウォーレスは城壁の上、隣で共に中庭を動き回る兵を見つめている、マドックに訊いた。編成についてはもう決めてあり、ハイランド公ティアその人を除けば、この軍の総大将はウォーレスということになる。副官として娘のセイディと、この歴戦のマドックを置いていた。
「今までは、遊撃戦が主だった。一撃離脱ではなく、決着が着くまでまともにぶつかり合う。そんな経験をしているのは、俺も含めて、南の戦線に駆り出された経験がある奴だけだ。この、”ノースランド軍”・・・」
 マドックは両の人差し指と中指を折り曲げ、ノースランド軍がかぎ括弧付きの存在であると強調した。
「としちゃあ、実質まともな戦は初めてだ。戦そのものの経験はあるから、浮き足立ってはいない。が、呑まれちまってる奴は、確かに多いな」
 髭をしごきながら、マドックは続ける。
「なに、お前が派手に暴れてくれりゃあ、そんなもんは消し飛ぶ。残った奴で城を守るのは、任せてくれ。が、本当に打って出るつもりか。アングルランド軍は、七万前後をこの短期間で集めたと聞く。対して俺たちは周辺に散っていた連中全て集めて、一万五千だ。ただ城に閉じ籠るにしたって、分が悪い。この冬だけ乗り切れれば、ノースランド本島を中心に、それなりの援軍が期待できそうなんだが」
 エドナ率いるアングルランド軍がこのハイランド城を落とすのは、時間をかければそう難しいことではないだろう。七万は、確実にここを落とせる数である。
 マドックはどこまで粘れるかを、基本的な戦略としていたらしい。”雄牛”などとあだ名されているが、堅実な男である。援軍が期待できるなら、まず間違いのない考え方だろう。
「城から出せる数は、多くない。なにも緒戦で大打撃を与えようとは考えていないさ。が、攻囲軍をある程度削れれば、冬を越してまでの包囲は、諦めるかもしれない」
 このハイランド城には、周囲に三つの砦がある。南から攻めて来るアングルランド軍に対し、南東、南西の両砦を攻撃、北西の砦は予備兵とはまた違うものの、ここぞという戦力を配備する予定だった。ハイランド城の城下町は城から大きく西に向けて広がっており、北西の砦からの奇襲には、機を見る必要がある。早過ぎても敵に捕捉される一方、敵も北西砦の動きを見るには街を迂回しなくてはならない分、本陣への情報伝達に遅れは出る。
「兵の選別が終わりました。あの・・・」
 セイディが、城壁の上に登ってきて告げた。表情には現れていないが、語尾に何かしら迷っている様子は窺える。
「どうした、何かあったのか」
「いえ、何と、お呼びしたら良いのかと」
 アングルランド軍にいた時は確かに、いざ戦となれば、セイディはウォーレスを階級名で呼んでいた。当たり前の話だが、しかしこのノースランド軍では厳密な階級は定めていないようだった。制度そのものがないのではなく、今この軍が叛乱軍であることが影響しているのだろう。指揮官に序列はあるものの、誰の下についている将校、といった、少し曖昧な位置づけでもある。
「俺はウォーレスのことを、たまに大将なんて呼んだりしてるけどな。ほとんど、単にウォーレスと呼んでいる。娘のお前も、好きなように呼んだらいいんじゃないか」
「マドックの言う通りだ。好きに呼んだらいい」
 セイディはしばし、胸の前で指を揉み合わせた。
「その、父さん、ではいけないでしょうか」
 戦時、軍務中にそうした私的な関係を持ち込みたくないウォーレスではあるが、そもそも娘から感じ取れる私情自体が、ウォーレスの守りたいものでもある。またそんなウォーレスの流儀を知っているセイディが、あえて父と呼ぶのなら、そこには何かしらの理由があるのだろう。ウォーレスのこだわりや流儀など、セイディの情に比べれば、どうということもない、ちっぽけなものだった。
「わかった。お前とは今後、父と娘として轡を並べよう」
 戦時では、常にセイディを一人の優秀な指揮官としてだけ見ようと、努めてきた。セイディは、そうではなかったのかもしれない。
「ありがとうございます、父さん。ご報告申し上げた通り、外に出る兵、第一陣の選抜が終わりました。皆、よく馬に乗ります」
 根がどこか素直なのか、あるいは組織立った調練の経験が少なかったからか、ここ一週間の調練で、ノースランドの兵たちは驚く程ウォーレスの指揮に順応した。おかしな色が、ついていなかったとも言えるのか。さすがにウォーレス麾下やアングルランド正規軍には遠く及ばないものの、とりあえずウォーレスの思う通りに動いてくれるだけのものを、ノースランド兵は身に着けていた。
 もっとも、いちいち指揮官が指示を出せず、各将校の瞬時の判断が求められる場面では、練度の低さが露骨に出てしまうだろう。セイディ以下、指揮の執れる者たちにはその辺りを、よく言い含めてあった。各自が判断することの増える、複雑な戦法は期待できない。
 とはいえ、志願、それも叛乱という身の危険を顧みず集まった者たちである。個人個人の力量は、決してアングルランド正規軍に劣るものではなく、何より士気が高い。
 三人で一度、城内へ戻る。軍議を行う大広間では主立った将校はもちろん、ティアにラクラン、グリア、そして忍びのビスキュイもいた。
「ア、アングルランド軍の陣容をぉ、ご報告にぃ」
 忍びが青白い手で、書き付けをウォーレスに渡す。敵の部隊の各指揮官と率いる兵の規模が、そこには記されていた。
「いずれも、知った名ばかりだ」
 ウォーレスが言うと、ティアが訊いてくる。
「エドナ以外に、ウォーレスがこれと思う将は」
「元帥の弟の、ラッセルは手強い。俺が、直々に鍛えたからな」
 ちょっとした冗談のつもりでウォーレスは言ったのだが、周囲の反応は思いの外、鈍かった。初めての正面きっての、それも決着が着くまで続く戦いに、これまで遊撃軍を先頭で率いてきたティアですら、緊張の色を隠せていない。ラクランだけが、暗い眼差しにどこか余裕の笑みを浮かべているが、この男はそもそも、ウォーレスに一騎打ちを仕掛けて来るような、命知らずである。
「後は、まずまずの粒ぞろいといったところだろう。指揮官の水準は高いが、本当に傑出しているのは、エドナ元帥だけだ。ラッセルは受けに強いが、攻めてを得手としていない。迂闊に手を出さなければ、そこまで怖い存在でもないだろう。俺とセイディなら、この男が敷く堅陣を破れると思うが」
 本来、どんな相手でも油断を招くような発言は控えるのがウォーレスのやり方だが、今この時は、それを少し曲げる必要があるようだ。味方を鼓舞するのも、軍を預かった者の務めである。それにここまで緊迫していれば、どれだけ有利な点を強調したところで、気が緩んだり敵を軽んじることもないだろう。
「外は、俺に任せてくれ。補給はしばらく必要ないが、場合によっては間隙を突いてそれを受け取ることもある。その際の受け渡しには、兵を出してくれ」
「おうよ。出迎え時には、俺も城から打って出る。後はお前の指示ない限り、亀の様に閉じ籠ってやるわい」
 マドックもまた、多少実戦から遠ざかっていたものの、戦には慣れている。南の戦線も、経験していた。この男とその麾下が、城内は上手くまとめるだろう。戦略だけ共有できれば、後は指示ひとつでその意図を汲み取ってくれる将の存在は、あらためて大きいと感じる。
「各砦への物資の搬入、完了致しました」
 広間に入ってきた、将校が告げる。
「アングルランド軍、南方12kmの峡谷で、一部が野営に入った様子。二万程の部隊です」
 斥候の報告も、次々上がってくる。七万を三つか四つにわけての行軍だろうが、それにしては移動速度が速い。農耕に使っていない原野が多く、街道から大きく膨らんだ形でやや強引に進軍しているのだろう。あのエドナの軍だ。急ぐ必要があれば、どこまでも急げる。
「にしても、この機を窺っていたかのように、アングルランドの連中の手は早い。ウォーレス、先日までそこにいて、こうした話は聞いていたのか」
 マドックが卓の上に広げられた地図を眺めつつ、言う。
「いつでも、ここを落とす準備は整っていたといってもいい。が、肝心のハイランド公の留守を狙ってハイランド城を落とすのは、ノースランドの民の心象が悪かろうと、自重していたのだ。ティアがここに現れ、かつ周辺の兵も集結しているとなれば、攻めぬ手もないのさ。アングルランド軍は、大半がエドナ元帥の野営地まで、三日以内の距離に散っていた。つまりいつでもここを落とす準備はあり、本格的に軍を進める際には、第一の戦略目標であった。七万、という数は少し意外だったがな」
「ちなみにここハイランド城攻略の指揮は、父さんが執る予定でした」
 セイディが言葉を継ぐと、ラクランだけが乾いた笑いを寄越した。ティアは神妙な面持ちのまま、ウォーレスを見上げる。
「同盟者の力なくしては、いずれアングルランド軍に押し潰されると覚悟していた。しかし実際は我らが考えていたよりずっと、危機はすぐそこまで迫っていたのだなあ」
「その同盟者だが、今回俺たちがアングルランド軍を追い払えたのなら、いい加減姿を現してくれるのだろうな」
「おお、きっと間違いなく。この戦の勝利こそが、北の動乱の狼煙となろう」
「北の。同盟者、その勢力はさほど遠くない地にいるのか」
「もはや、ウォーレスを疑う者などここにおるまい。その時までは側近以外には秘密にしておく約定だったが、既にウォーレスは、私の半身と言ってもいい。ウォーレスなくして、この戦は戦えぬ」
 そこでティアは、ビスキュイに目をやった。異形の忍びが、頷く。ビスキュイは現在ノースランドの忍びとしてティアに仕えているが、真の主はその同盟者であり、その者から派遣される格好で、この場にいるのだ。逆に言うと、ビスキュイにはその主の正体を明かすかどうかの、権限がある。
「ではあらためて、ウォーレス。その同盟者というのは・・・」
 ティアは細い指で、地図の一点を指差した。思わず、ウォーレスは唸った。
「・・・なるほど。盲点だった」
「これをどう見る、ウォーレス」
「もしここでアングルランド軍を退けることができたのなら、なるほど、ノースランドの独立も絵空事ではないな。ふむ・・・」
 ウォーレスはしばし、黙考した。同盟者の位置とその勢力の規模を加味した上で、もう一度戦略を練り直す。目を開けると一同は、ウォーレスの次の言葉を待って、じっとこちらを見つめていた。
「方針を変えよう。この戦、速戦で決める。その方が、同盟者も動きやすかろう」
「確かに、そうだが。そもそも可能なのか。本島からの援軍が来るまで持ち堪えるというのですら、我らにはぎりぎりの戦に思えるのだが。まして」
「こちらが押されている状態では姿を現せなかったというのも、頷ける。それを怯懦と断ずることもできまい。潜み続けることが、この同盟者の戦いであったろうしな。ノースランドは、この戦に再独立を懸けている。ビスキュイ、この同盟者は、叛旗を翻した後に、どんな展望を持っている?」
 ウォーレスをノースランドに抱き込もうというのも、このビスキュイの策らしい。慧眼であると、今は言えよう。あるいは、この同盟者の戦略の一端なのかもしれない」
「はいぃ、王として立つ準備は、整えておぐどぉ」
「それは、つまり」
「教皇に、話はつけてあるということだ」
 ティアの言葉に頷き、ウォーレスは再びビスキュイの方を振り返る。忍びは、同意の頷きで応じた。ラクランが、軽く手を上げて注意を引く。
「まあ、そういうことだ。にしてもウォーレス、速戦といったが、今までの方針と真逆だ。いくらあんたでも、急にそんなことができるのか」
 その問いには、セイディが答えた。
「戦は、戦略に沿って為すものです。それがまったく不可能である場合を除いて、できるかどうかではなく、必要があるかどうかなのです。勝つも負けるも、その戦略に沿って。もっとも父さんが軍を率いているので、局地的な勝利は、こちらが望む場合は前提にしてもよいかとも思います」
「俺もその同盟者の規模がわからなかったゆえ、犠牲なく、一冬かけてここを守り切るのが最善と考えていた。が、真に冬となれば、その同盟者も最初の一手を打ちづらかろう。よって、その同盟者にも一手打ってもらう為、速戦が必要と考え直した。編成に、変更はない。その範囲内で、速戦に持ち込める戦略を、先程練り上げたところだ」
 おお、と一同が声を上げる。ウォーレスは、そのまま続けた。
「それに、既に教皇を抱き込んでいるというのなら、アングルランドの”囀る者”は、いずれその関係性に気づくだろう。その意味でも、時間は掛けられない。ただ二点、多少の猶予はあるかもしれないと思わないわけでもない。一点目は、相手が教皇なら、アッシェン王とその世継ぎを次々と暗殺したような、あのような強引な手は打てないということ。もう一点、ライナス宰相は押す決断力も、引いて待つ胆力もある。ここまで正体を隠し続けてこれたのならいっそ、同盟者がその勢力の全貌を現してから叩けばいいと、肚を据えているかもしれない。だとすれば一冬の籠城も悪くない手だが、これはあくまでも俺の希望的な観測に過ぎない」
「どちらにせよ、ここは速戦が吉ということだな。にしては、こちらはあまりにも寡兵だ。全軍、城から打って出るか」
 マドックが、赤い鼻を擦る。この男の肚の決め方も、悪くない。
「いや、先程言った通り、編成に大きな組み替えはない。ただ俺がここと思った時に、指示を出す。その時は、大いに暴れてくれ。ティアの戦車部隊も当初はあくまで予備軍と考えていたが、これも戦力として考える。ともあれ、機は俺が作る」
「稀代の名将にそこまで言われて、奮い立たない俺たちではない。勝ち筋は全く見えんが、お前を信じて俺たちは全力で戦おう」
 マドックは傑出した将ではないかもしれないが、この軍には珍しい、成熟した指揮官である。むしろこの男に背中を預けられるからこそ、ウォーレスは存分に暴れ回ろうという気にもなった。どんな将と轡を並べるにしてもウォーレスが先程描いた戦略は変わらないが、それが有能であれば、戦術面はさほど複雑にせずに済む。
 今度は、セイディが軽く手を上げた。
「かつてのマドック殿とその麾下を除いて、ここにはこれまで父さんの指揮下で戦った者はいません。マドック殿も、当時置かれた立場からは、父さんと作戦立案の話はされてこなかったでしょう」
「確かに。ノースランド軍は常に傭兵隊と並んで、軍議では末席だったからな。決定した作戦を、ただ聞かされるだけだった」
「父さんは必ず勝つ、これは前提としていいと私は言いましたが、時にそれは、撤退の形を取ることもあります」
 セイディの表情はあだ名通りの”鉄面”だが、こうした場では話し方にそれなりの抑揚はつける。感情から来る強弱というよりも、いかに相手が聞き取りやすいかを求めたもので、将校に上がった時、その話し方の練習に、ウォーレスは毎晩付き合っていたものだった。
 この感情を見せない、それでいて相手に訴えかける話し方が、聞いた者たちに奇妙な自信を生んでいることを、セイディは自覚しているだろうか。特に今のような劣勢、かつ急激な方針転換に戸惑う指揮官たちに対して、その口振りがもたらす効果は高い。
「この城を捨てる、セイディはそう言っているのでしょうか」
 今まで黙って話を聞いていたグリアが、初めて口を開く。
「最悪そうなろうとも、アングルランド軍は、打ち払う。その為に、城を出た時にはもう、ここを守る動きは捨てて下さい。頑丈な本陣がある、くらいに考えて、撤退の必要があれば、またここに戻ることもできると。ただ、ここを守ることは既に戦略目標から外れています。勝てば結果として、この城を守ることになる。もはやハイランド城を守ること自体が、戦略目標ではないのです」
「一応、ここを放棄する前提で動いていないことは、俺から伝えておこう。本当に守り切るのは、ティアの命ひとつだ。ティアがこの城から移動した際には、ここの守りの重要度は野戦の本陣程度、落とされれば痛いものの、目の前の勝利を捨ててまで固執することはないということだ」
 一同の目に、微かに炎が宿る。弱気な部分は、大分なくなってきたといっていい。
「多少の犠牲を出してでも、勝ち切る。細かいやり方は都度、実際に敵の布陣を見てからだな」
 敵、ということばが、微かにウォーレスの胸を刺す。アングルランドというより、エドナや、よく鍛え上げたその弟のラッセルを斬らねばならぬことに、痛痒を感じないといったら嘘になる。情を捨てて、戦場に臨もうとは思わない。情があるからつらく、そしてそれがあるからこそウォーレスは今、ティアの元にいる。
「言うのがあんたじゃなかったら、俺も多少は不安になっていたところだ。まあ、俺は指示通り暴れるだけだ。命は預けた。よろしく頼むぜ」
 目元にどうしようもない暗さがあっても、ラクランは基本的に清々しい男だった。もう少し鍛えてから戦場に出したい指揮官だったが、今は生き残ることを神に祈るしかなかった。この男は武に明らかな天稟があるものの、その向こう見ずな戦い方は、自分より強い者と出会った時に、あっさりと命を落とす危険がある。
「細かい話は、明朝にでも詰めていくことにしよう。俺とセイディ、マドックで、戦術面についての選択肢は、ある程度練り直してみる。各自、それぞれ受け持つ部隊を休ませるもよし、最後の調練をするもよし、宴を開いて英気を養うのもいいだろう。では一時、散会とする」
「ウォーレス」
 ティアが、少し潤んだ瞳で、ウォーレスの袖を掴んだ。指先が、震えている。
「ティア、不安か」
「おぬしがいるのだ、負けるはずはないと思っている。だが勝利と引き換えに、おぬしを失うようなことがあったら、私は耐えられない」
 勝利の為に、あるいは自らの命を差し出すような動きも、時に必要かもしれないと、ウォーレスは考えていた。楽な戦ではない。エドナは間違いなく、現在のアングルランド軍で、最高の指揮官である。伊達に、並みいる将を押し退けて、元帥という頂点にいるわけではない。
 ウォーレスにしても、自分を最もよく使いこなす上官は、エドナ以外にいないと考えている。それは、今後も変わらないだろう。
 最悪、刺し違えても。しかしそんなことを口にして、この新たな小さい主を不安にさせたくはなかった。ティアは自身をウォーレスと同格と位置づけているが、この地の王たるにふさわしいのは、言うまでもなくこの娘だった。自分は、武という狭い世界で頂きにいればいい。
「案ずるな。お前ある限り、俺は死なぬ」
 ウォーレスが言うと、ティアは自らを安心させるように、小さく笑った。

 

 

前のページへ  もどる  次のページへ

 

 

inserted by FC2 system