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3「この瞬間、まさに歴史に立ち会っているのだ」

 大聖堂の天窓からの光が、アンリの身体を光の帯で包んでいた。
 そういった演出が働くよう、このランス大聖堂は見事に設計されている。アナスタシアは感心してその光景を眺めていた。演劇場の派手な舞台演出はこれまでも何度か見てきたが、そういったものとは方向性の違う、何か神の奇跡に触れているような荘厳さが、そこにはあった。跪いて戴冠を待つ少年王の姿は、一幅の名画のようにも見える。諸侯の息を呑む音だけが、さざ波の様に広がり、聖堂を満たした。
 その金髪の頭に、教皇自らが、王冠を恭しく載せる。立ち上がり、こちらを振り返ったアンリの姿は、まさに王そのものだった。背中越し、ステンドグラスを通した七色の光が、王そのものから発せられた光に感じる。諸侯から、今度こそ感嘆の声が上がった。アナスタシアも思わず、ほう、と溜息を漏らす。
 聖歌隊の合唱、枢機卿、教皇の祝福。全ての儀式が終わる頃には陽も暮れ始めていたが、アナスタシアはそれを少しも退屈だとは感じていなかった。この瞬間、まさに歴史に立ち会っているのだという、実感がある。
 閉会となり、集った諸侯や王に縁のある者、おそらく三百人前後が、王の元に駆け寄ったり、あるいは方々で話に花を咲かせていた。
「どう、アンリは。剣を捧げたくなった?」
 人混みを掻き分けて、ゲクランがこちらにやって来て言った。アナスタシア同様具足姿ではあるが、彼女の鎧は元々、ドレスアーマーとも言われる典雅なものであり、こうした場では特にそれは見映えの良いものであった。
「この地の諸侯に生まれていれば、元よりそうしていたことでしょう。ともあれ、素晴らしい式でした。お招きに与り、光栄ですよ」
「素直じゃないわね。けど私は、私の王なんだって、あらためて思ったわ。そういえばもう、アッシェンに籍は移したの?」
「ええ、ここに来る際に」
「これであなたも、晴れてアッシェン人ねえ」
 番号札と引き換えに、聖堂の外の天幕で、預けていた手荷物を受け取る。諸侯たちは外で控えていた小姓たちにそういった物を持たせているので、大体は手ぶらであった。ゲクランも、そうである。
「まだアッシェン人だという、実感はありませんがね。役所の手続きは、随分楽になると思いますよ。何かまとまった書類を役所に提出したり、あるいは用意してもらうにも、いちいちパスカル殿か、城代の署名が必要でしたので。ドニーズ殿が新城主になってからは大分手間が省けるようになりましたが、それでもやはり、私がアッシェン人であった方が、都合はいいので。そういえば、パスカル殿は」
「さあ、さっきまでそこにいたけど、見当たらないわね。後で、宴席で話せばいいんじゃないかしら」
 挨拶自体は、ランス到着時に済ませてある。ただその時に国籍を得たことを話しそびれたので、これまでのことも含めて、あらためて礼が言いたかっただけだ。ゲクランの言う通り、後で宴の場で話せば良いことでもある。
 パスカルはゲクランの配下であり、アンリ王に直接剣を捧げたわけではないので本来この場には招かれないはずだが、アナスタシアがそうであるように、パリシ解放軍に参加した指揮官たちは、王の配下でなくとも特別に、この場に招かれている。
 一度別れたが、厠を出ると、ちょうどゲクランもそこを出たところだった。
「あら、今日は縁があるわねえ。この後の予定も一緒でしょ。さ、お色直しといきましょうか」
 ゲクランの後について、アナスタシアは聖堂外の、大幕舎へ向かった。サーカスでも開けそうなくらいの、大天幕だ。これから宴席だが、その前にドレスや正装に着替える者たちの為に、用意された施設である。
 大天幕の中は、香水の匂いと女たちの熱気でむせ返るようだった。侍女が二人、ゲクランの元へ駆け寄ってくる。着替える場所と鏡台を、既に確保したとの話だ。逆に言えば、侍女やお付きの者たちで、そうした場の奪い合いがあったのだろうか。
「アナスタシアは、ドレス持参したの?」
「いえ、手持ちがないと言うと、宮廷の方で手配すると言われまして」
「貸衣装屋が、とこかにいるんでしょうねえ。ああ、あの一角、そうじゃない?」
「とりあえず、あそこに行ってきます。また、後ほど」
「化粧は、私の所でするといいわ」
「すみません、お言葉に甘えて、着替え次第、伺います」
 ゲクランと再び別れ、アナスタシアは幕舎最奥の、人が集まっている場所に行った。受け付けで名前を確認し、吊り下げられたドレスから好きなものを選び、後は衣装係に手伝ってもらって着替える、という手順のようだった。十人程の列の一番後ろに並び、順番を待った。
 目の前の娘、肩の辺りで切り揃えた髪に、エルフの長い耳。その後ろ姿に見覚えがあり、栗色の後頭部をじっと見つめていると、何気なしに、娘が振り返った。
「あれ、団長じゃない? あっ、団長って言ったらいけないのか。いやいや、今は新しい団長だから、やっぱり団長だぁ」
 ほんわかとした喋り口に、かわいらしい、なのに大人っぽさのある笑顔。このエルフは、よく覚えている。青流団にいた者だ。あの戦の最中、三、四度食事の席で一緒だったことがある。エルフゆえに若い娘に見えるが、五百歳を超えていたはずだ。印象に残る娘だが、どうにも名前が思い出せない。”昼行灯”という、不名誉なあだ名だけはすぐに思い出せたのだが。
「お前は、確か」
「”昼行灯”サーシュリンだよぉ」
 段々と、細かいことも思い出してきた。一兵卒だったが、その器量良しから男はもちろん、世話好きでもあることから、女の兵に特に人気のあったエルフだ。
「どうして、お前がここに?」
「青流団から二人だけ、招待されてるの。もう一人は、ベルドロウ副団長だよ。そうそう私、大隊長に昇格したの」
「ほほう。腕を上げたのか?」
「まさかぁ。ロサリオン団長が、ルチアナちゃんを大隊長から降ろしちゃったの。で、私が大隊長だって。どうしてこうなったかは私にもわからなくて、で、私はルチアナちゃんに副官になってもらったの」
「ふむ、色々あったんだな。大隊長は、大変か?」
 兵としては馬術に長けていたことを、記憶している。隊形を目まぐるしく変える際、必ず何人か、剣や槍を振るうよりも、その隊形の維持に努める兵が要る。サーシュリンは、そうした兵の一人だった。調練の時、さりげなくそれをこなす彼女に、何度か目を丸くしたことがある。その一点については、青流団の練度高い騎馬隊の中でも、随一のものは持っていた。
 それは大将の資質ではないが、平時においてもこのサーシュリンは、人を惹き付けるものを持っていたのも確かだ。
「ううん、そりゃ兵でいる時よりはって感じだけど、ルチアナちゃんが有能過ぎて、そんなに大変じゃないんだよね」
「ルチアナは、細かいからな。ロサリオン殿とは、上手くいかなかったのか。大隊長から降ろされたということは」
「わからないけど、団長はともかく、ルチアナちゃんは団長に怒ってるかも」
「つくづく、あいつらしいという気がするなあ」
「そういえばそっち行ったアリアン君やグラナテちゃんたちは、元気にやってる?」
「ああ。皆、既に団の中核を担っているよ。よく、働いてくれている」
「アリアン君は、ちょっとぼうっとしたところがあるからなあ。少し、心配だよ」
「お前に言われるようじゃ、あいつも焼きが回ったな」
「えぇっ? どういう意味ぃ?」
 そんな会話をしている内に、サーシュリンの番が回ってきた。後ろから手続きの様子を眺める。アナスタシアの番が来たが滞りなく手続きは済ませ、ドレスを選ぶ段になった。まだ三十着程のドレスが吊り下げられているが、身体に合いそうなものはあまりなく、結局なるべく飾りの少ない青いドレスを選んだ。それでも、自分にとってはやや派手だなとも思う。具足と着ているものは預け、用意された桶で化粧を落とし、間仕切りの中でドレスを着るのを手伝ってもらう。
 鏡台の数は少なく、受け付け以上の行列になっていたので、予定通りゲクランの元へ行くことにする。行きがけに一言、サーシュリンに声を掛けた。
「ゲクラン殿のところの鏡台を使わせてもらうことになっている。お前もあっちを使わせてもらえるかどうか、訊いてくるよ」
「さすが団長、気が利くねえ」
「いつものお前もな。ちょっと、待っててくれ」
 手荷物だけを抱え、迷路のような衝立てや間仕切りをかわしながら、ゲクランの元へ辿り着く。周囲の喧騒に負けずサーシュリンのことを話すと、すぐに侍女の一人がそちらに向かった。
「サーシュリンねえ。よく覚えているわよ。”昼行灯”。青流団との付き合いは、結構長かったんだから」
 既に化粧も終えているゲクランは、煙管を吹かしながら、懐かしそうに目を細めた。アナスタシアが化粧を直していると、鑑越しに、サーシュリンがこちらにやってくるのが見える。二人は軽く抱擁し、旧交を温めていた。
 宴は先程戴冠式が行われた礼拝堂以外の、ほとんどの施設を使って催されていた。中庭や大部屋にいくつか卓があるが、概ね、立食パーティである。
 諸侯の何人かに、挨拶をされる。先日のパリシ解放の礼を言われたのが、ほとんどだった。先方からわざわざ声を掛けてくるくらいなので、アナスタシアに対して居丈高に振る舞う者もいない。逆に言えば、国籍をこちらに移したとはいえ、まだスラヴァル傭兵としてアナスタシアを快く思っていない者たちは、そもそもこちらにやってくることもないわけだ。
 途中、フローレンスとも会った。パスカル同様こちらも到着時に挨拶は済ませているが、彼女はその悪辣な旦那のジェルマンとは、行動を別にしているようだった。アナスタシアはこのフローレンスに好かれており、今まではアナスタシアと同じ場では常に自分の近くにいた彼女だが、この場では色々と忙しいらしく、以前話していた霹靂団とレザーニュ軍の合同演習のことで軽く打ち合わせた後、すぐに他の諸侯たちのところへと挨拶へ向かった。
「ではアナスタシア様、また後ほど」
 両手をぎゅっと握った後、フローレンスは名残惜しそうにこちらを何度か振り返っていた。
 こうして他の諸侯と話しているフローレンスの様子を遠目に眺めていると、時に大きく目を見開き、口元に手を当てて上品に笑ったりと、実に如才なく振る舞っていることがわかる。これぞ本来のフローレンスの姿なのだろうが、アナスタシアからすると、少し新鮮な感じがあった。
 知った顔が周囲から消え、あてどなく聖堂内を彷徨っていると、やがて中庭の回廊で篝の火に当たっているドワーフの姿を見つけた。
「ああ、ベルドロウ殿。サーシュリンから、こちらに招かれていると聞いていた」
 老ドワーフの古参兵は、パイプを持った手を上げて、アナスタシアに笑いかけた。
「アナスタシア殿、お久し振りです。どうですかな、新生霹靂団は」
「練度はまだまだだが、旗揚げと考えれば、上々だろう。にしても、少し驚いた。アングルランド側は、駐在大使以外の出席はないものと思っていた」
「今はアングルランドに雇われているとはいえ、我々青流団が、パリシ奪還の最大の功労者ですからなあ。代表二名の招待状が来ましたので、私、そしてあの戦にもいた新大隊長のサーシュリンを伴ったわけです。団長は当時いませんでしたし、彼女なら、こうした場でも如才なく振る舞えると思いまして」
 人が多いので、話しながら場所を移す。正門前の長椅子に腰掛け、二人並んで出席者たちの様子に目をやった。
「お召し物、大変お似合いです。ドレスの青に、その美しい銀髪が、よく映える」
「そういうお前も、如才ない。が、素直に褒め言葉だと受け取っておくよ。ちょっと、腰回りがきついんだが、余計苦しくなりそうなので、コルセットは断った。まあ、馬子にも衣装と言うしな」
「それは、ご自身に向けて言う言葉ではありませんよ、ホッホ。ともあれ次に会う時は戦場と、覚悟しておりました」
「いずれは、そうなってしまうだろうな。その一点だけは、残念に思う。しかし今のベルドロウ殿は、あの時よりも若返ったようにも見える」
「やはり、しっかりと上に立つ者の補佐が、向いているのです。心労は、大分軽くなり申した。最後にもう一花、咲かせてやろうという気概に、満たされておるところです」
「ロサリオン殿は、私と比較にならないだろう? 積み上げてきた戦歴も年月そのものも、何より二人が築き上げてきた絆が違う」
「まあ、しっくり来るというのが正直なところですな。やりやすいという意味では。が、あの時も申し上げた通り、アナスタシア殿とロサリオン団長、二人が轡を並べるところを見たかったと、あらためて思いましたぞ。団長も、酒の席での雑談ではありますが、アナスタシア殿となら、団長は二頭体制でも良いと言っていました」
「子供の時に、会って以来だ。今のロサリオン殿と私で、上手く意見が一致するかはわからない。だが、その話は悪くないな。そういう未来もあったかもしれないと、夢の話としては悪くないよ」
「敵味方に別れていなければ、とも思います。私は私で、もう一度アナスタシア殿の指揮を補佐したかった。とても、新鮮でしたよ。武人の立ち合いに喩えれば、常に脱力し、いかな状況にも対応するロサリオン団長の指揮とは違い、抜きと入れの、緩急の落差が大きいアナスタシア殿の指揮は、面白かった。二人の平時の様子を見るに、それは逆である印象があるのですが、不思議ですなあ。武人としての本性というか、そういうものは、まるで違う」
「意識して、できるものではないさ。ともあれ、今の霹靂団では、青流団の相手はできそうにない。ぶつかるまでに、仕上がったと思えるようにはしておきたい」
「ホッホ。楽しみにしておりますよ」
 しばし二人は黙り、何かを噛み締めるようにパイプの煙を見つめていた。先に、アナスタシアが口を開く。
「そういえば、アリアンを何故、大隊長、少なくとも中隊長に置かなかった? 本人は、ベルドロウ殿に、何かが足りないと言われ続けたそうだが」
「何なのでしょうな。ただ、同じことを考えませんでしたか?」
「言われて、そうかもしれないと思い始めた。調練以外で進んで兵たちと接触を持つ性質でないことはわかったが、孤高でも人を惹き付ける指揮官はいて、アリアンもまたそうではないかとも思う。兵には、慕われているよ。どこを指して足りないと言われたのかは、ボリスラーフたちと、よく話している。が、私もその言葉に引きずられてか、何か物足りないような気がしてきたのだ」
「私では、それを見極められませんでした。アナスタシア殿なら、あるいは」
「気づいてやれれば、軽騎兵を任せてもいいと思っている。調練時の実力は、申し分ない」
「確かに。彼自身もそれを見極めたくて、アナスタシア殿のところに行ったのでしょう。ロサリオン団長ならそれを見抜けたかもしれませんが、今のあの人とはすれ違いになってしまった。二人は同郷で、若い時のアリアンを団長は見ていますが、当時は一兵卒で、隊長うんぬんという実力は持ち合わせていませんでした。ここ数十年で、急激に伸びたのですよ。人間程の成長速度ではありませんが、エルフにしては、短時間で大きく伸びた」
「アリアンについては、今後も見守っていくよ。彼は新天地でよくやってると、彼と親しかった者たちに伝えてくれ。グラナテや、他の者たちも同様だ。引き抜くような形になって、申し訳ないが」
「契約満了で、隊を出た者たちです。自分の傭兵団を持ったり冒険者になったりと、第二の人生の選択は様々なのは、ご存知の通り。話は聞いておりますぞ。傭兵をやめるつもりだったアナスタシア殿に強引についていって、よくぞ面倒を見てくれたと、感謝したいのはこちらの方です」
「短い付き合いだったが、ボリスラーフとは違った意味で、ベルドロウ殿は最高の副官となってくれた。二人が並んで私を補佐してくれていたらと、いまだに思う」
「最高の褒め言葉ですな。アナスタシア殿に、そう言って頂けるのは」
「互いに生き残ったら、私の店に来てくれよ。両国のどちらが勝つにせよ、この百年戦争に決着が着いたら、私は引退して店を開く」
「約束しましょう。老後の楽しみが、増えましたわい」
 しっかりと手を握り合って、二人はその場を離れた。
 次に会う時は、戦場となる。

 

 あの銀髪の男が、きっとそうだろう。
 具足姿ではないが、どこかの騎士の正装という雰囲気を醸し出している。マグゼの”鴉たち”、そして王の忍びの目をこうも易々と躱してこの場にいるというだけで、超一級の忍びであることはわかる。その男は今、グラスを片手に大聖堂の中へ入ってきたところだった。
「よう、あんたがラルフだろ? あたしはマグゼってもんだ。自己紹介しなくても、わかってるよな?」
 通り過ぎようとしていた銀髪の男が、振り返る。にやりと笑って、空いた手を差し出してきた。人間の男にしては背が低く、マグゼも背伸びをする必要がない。
「アナスタシアの、護衛で来ている。お察しの通り、ラルフだ。挨拶くらいは、こちらからしておくべきだったかな」
「潜り込んでるってだけで、あたしらには充分な挨拶と受け取った。それでも一応紹介しとくか。こいつがあたしの副官のイニャス。同副官のゾエ。そっちは王の忍びの、マティユーとシモーヌ。全員、顔と名前は一致してたか?」
「マティユーは、以前パリシで見かけた時と、印象が違う。ほとんど同じ格好をしているのにな。あんたとやり合うことになると、厄介だ」
 マティユーが黒縁眼鏡の奥の瞳に、不敵な笑みを浮かべる。
「なに、若いの。多分暗闘じゃ、お前の方が強い。それぞれ、得手不得手ってもんがある」
「アナスタシアの護衛は、充分じゃなかったかもしれないが、お前が来るまではあたしらがやってた。敵同士ってわけじゃない。協力できるところは、協力したいと思ってるんだが」
 ラルフは形の良い顎に手をやり、しばしマグゼたちを値踏みするように見つめていた。
「互いに不干渉と考えていたが、ゲクラン殿にうちの主が世話になってるわけだしな。アナスタシアが良ければ、それでいいだろう」
「なら私、聞いてきますね。先程、隣の部屋にいましたから」
 シモーヌが、早速そちらに向かう。人は多いが、避ける様子もなく廊下の方へ消えていった。裾の大きく膨らんだスカートのドレス姿だが、誰一人その裾の先にも触れさせていない。
「アナスタシアが良いと言うとして、俺に何か協力できることがあるのか?」
「俺たち、だろ。何人使ってるのか知らないが、少数だな。できることは限られているだろう。なに、対アングルランドに関して、時々情報交換ができればってところだ」
「数人加わったところで、大した戦力になるとも思えないが。特に、情報収集は数がものを言う」
「お前たち独自の視点ってもんがあるだろ。調べてることも違うだろうしな。よし、お近づきの印にってヤツで、あたしから一つ、情報提供しよう。マイラって知ってるか?」
「ライナス宰相の娘、”囀る者”の首領だと聞いている。まだ、実物をこの目で見ていないが、相当の腕だと聞いた。あだ名は打骨鬼」
「よく知ってるな。ま、この業界じゃ有名か。具体的に、どの程度の腕前と踏んでる?」
「アナスタシアが、自分以上と」
「そうか、直接やり合って生き残っている人間の証言があるんだったな。こりゃ教えてやるつもりが、案外お前の方が知ってたりしてな」
「身長と年齢、拳闘のような体術を使うことしか知らない。教わることは、少なくなさそうだが」
「じゃああいつのとこに連れてってやる、とはいかないところが、つらいな。後で人相書きをやるよ。それが素顔だが、あいつは変装してることも多い。素顔で来る時はおそらく暗闘で、こちらを殺す算段がついている時だ」
「顔を知ってるってことはあんたも、奴から生き残ったことになるな」
「まあな。集団戦じゃ、別にどちらかが全滅するまでやり合うってこともないし。有名過ぎて今更、顔を見られたからと相手を殺すような小物でもなくなった。無駄な殺し合いをしないのも、ここらの忍びの流儀だ。んなわけで、平時にもあいつとは何度か顔を合わせている。お前もあるいは、そういうことがあるかもしれないな。向こうから接触してくることも、あるだろう」
「俺やアナスタシアを、殺す時以外に?」
「結構気さくな奴だよ。忍びにしてはって意味だが。絶対に自分は殺されないっていう、余裕もあるかな」
 シモーヌがもう、こちらに引き返してきている。どこの令嬢かと男たちから声を掛けられるが、それらを華麗に、体躯ごといなしていた。
「アナスタシア様、特に問題なしとのことで。けど一応、こちらに来てもらいました」
 そのアナスタシアは他の淑女たちのスカートを踏まないよう、立ち止まったり、声を掛けたりしながら、人の波を少しずつかき分けてくる。青いドレスが、よく似合っていた。胸が大きく張り出しているが、身長は高くなく、童顔である。あらためて、マグゼはその挙措を観察した。美人でも、佇まいに凛としたものがあるわけではないが、こういう娘が好みという男も、少なくないだろう。
「ああ、ラルフ本人が来ていたんだな。それとなく護衛をつけると聞いていたが。マグゼ、私はいいぞ。ラルフもそれでいいか」
「あんたが言うなら」
 二人の関係性に、少しだけマグゼは驚いた。距離感が、ないのだ。自分とゲクランのような、主従ではない。雇用主と雇用者だが、この銀髪の二人はほぼ同等の関係だとわかった。
「じゃあ、それで行こう。マグゼ、そこの二人は、お前の部下か」
「イニャスと、ゾエという。こっちは、王家の忍びの・・・」
「ああ、二人なら知っている。昨日、パリシの宿に訪ねてきた。シモーヌと・・・マティユー、でいいんだよな」
「おや、そうかい。手の早い親父だな。なら、ラルフも二人を知ってたのか?」
「いや、昨晩は別の者がアナスタシアの護衛についていた。王家の忍びの二人が接触したとは、無論聞いていたが。俺は数日前からここに先行して、忍びか暗殺者がいないか、調べていたんでな」
 なるほど、今朝早くからここにいたマグゼたちよりも早く、潜入していたのか。どうりで、潜り込んでくる気配に気づけなかったわけだ。
 アナスタシアはいつも通りの、どこかぼんやりとした顔で、ゾエを見上げていた。ゾエは赤面しつつ、身をのけぞらしている。
「どうされましたか、アナスタシア殿」
「いや、こんなに強い者が、マグゼの部下にいたんだと。すまない、じろじろと見てしまって」
「い、いえ、恐縮です」
「一対一だったら、マイラとそう変わらないな。どちらも、私より強い」
「いえいえそんな。大陸五強と謳われるアナスタシア殿より、強いだなんて」
 マグゼは、ゾエの尻を叩いた。
「そこで謙遜してどうすんだ。アナスタシア、多分平場でサシでやり合えたら、こいつはマイラより強い。が、いかんせん忍びとしちゃ三流でな。暗闘ならマイラに負けるだろうし、戦場でも素人同然だろう。が、殺気には敏感だ。今のところ、要人の警護くらいにしか使えないんだが」
 マイラ暗殺の秘密兵器。そこまで、アナスタシアに明かす必要はないだろう。
「なるほど、忍びというより、武人なんだな。得意なのは体術か、ゾエ」
「はあ。蹴拳闘なら、誰にも負けない自信はあるのですが」
 頬を紅潮させながら、長い身を折ってへこへこと頭を下げるその様子は、どちらが強いのか、わからなくなってくる程である。
「暇な時に、胸を貸してくれ。組み打ちでいいかな。私も長い間、自分より強い者と戦っていない。なので時折、日々の鍛錬が私を強くしているのか、不安になるんだ。ノルマランに来ることがあったら、声を掛けてほしい。そちらの任務に、支障がなければだが」
「は、はあ。マグゼ様、いかがなさいましょう」
「お前に隠密は期待してない。そっちに行くことがあったら、多少目立つことをしても構わないよ」
 マイラ自身も、ゾエの強さには気づいているはずだ。もっとも、まさか自分より強いとは思ってもいまい。今更ゾエがアナスタシア相手にその実力を知らしめたところで、作戦に支障はない。マイラ自身が暗殺の対象であることが知られなければ、どんな話が相手に伝わろうと、それを利用できる。ゾエとマイラが一騎打ちになる状況を作るのが作戦の基本線だが、ゾエを必要以上に警戒してもらえれば、隙をついてマグゼがマイラを暗殺することもできる。
「ありがとうございます。ではアナスタシア殿、いずれ必ず」
「ああ、よろしく頼む」
 二人が、拳を合わせる。その強さを感じ取った上で、ゾエと素手でやり合おうなどというアナスタシアも、大陸五強の名に恥じない化け物だと痛感する。
「じゃ、ラルフ。そういうことでいいな。マグゼたちとも、上手くやってくれ」
「ああ」
 アナスタシアたちに倣い、マグゼも拳を突き出す。
 銀髪の忍びは、それに軽く拳を合わせてきた。

 

 

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