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3,「目の前のこれは、どんな怪物よりも怪物である」
 

 真の主を持たぬ諸侯は、つまるところ地盤が脆弱である。
 特にアッシェンにおいては、王の、あるいは大貴族の庇護の元にあるからこそ、力を持てるのが貴族である。ゆえにこの二剣の地の諸侯たちは、権力の源泉に危ういものを持っていた。アッシェン、アングルランド両王に剣を捧げる形はひとつの国の形に縛られない、半ば独立した存在とも言えるが、同時に両王国から半ば以上に見捨てられているとも言える。
 もしこの二剣の地、旧アッシェン北西部に充分な力をもった諸侯がいれば、他領を次々と併呑し、一王国、ないしは公国くらいは打ち立てられたであろう。今でも教皇庁との繋がり次第でそこまではできそうな諸侯はいるが、その後に両国から侵攻されることを考えると、それを跳ね返す程の圧倒的な諸侯の存在は、まだないということだった。
 その都度強い方に靡き、戦乱が過ぎ去るのをじっと待つ。その精神はまるで民草であり、よってまさにその民草につけ込まれている領主も、少なくない。自身の持つ権能だけで絶対的に君臨できる領主は、やはり少ないのだ。
 ゲクランが積年の夢である西進において、どこを最初の一歩とするかは、マグゼですら知らないことだった。つまり、ゲクラン自身がまだそれを決めていない。
 ただ二剣の地には、大海に浮かぶ孤島の様に、いまだアッシェンにのみ忠誠を誓う領主と、戦乱で後継者を失い、アングルランドに直接支配されている土地がある。ゲクランが狙うのは当然後者なわけだが、ゲクラン領に隣接する地域にそんな場所はなく、二剣の地という陸の海を越えて、その島々に辿り着くことになる。
 その二剣の地の調査と領主、ないしはそれに匹敵する力を持つ者との裏交渉役として、今のマグゼは動いている。自分の領土にゲクラン軍とその同盟軍たるレザーニュ軍、そして新生霹靂団を通せという話だ。野営が主になるとはいえ、疾病など場合によっては、兵に宿を提供してもらうことにもなる。事前の根回しは欠かせない。交渉成れば、最後にゲクランが正式な書簡を送る手筈である。
 銀貨二枚、入城の通行税を払いながら、マグゼは言った。
「二剣の地の連中は、自分らのこと中立だとか言ってるらしいぞ。まったく笑わせる話だよな」
「中立とは聞こえがいいですが、風見鶏にも思えます。そもそも、中立とは一体何なのか、自分の頭ではちょっと、わかりかねます」
 応えたのは、マグゼの護衛役として付き従う、ゾエである。この女の戦闘力は”鴉たち”の中でも群を抜いて一番だが、忍びとしての技量には心許ないものがある。なので町のそこかしこに、既に鴉たちの連中は入り込んでいた。
「中立ってのは、弱い方に味方する奴のことを言うんだ。大柄な男と小柄な女が取っ組み合ってるの見て、私は中立ですからってそれを黙って眺めるつもりかね。そりゃ大柄な男に加勢してるのと変わらない。まあ自分で中立とか抜かす連中は、大抵強い方の味方をする卑怯者だよ。信用できないよな」
「なるほど、勉強になります」
「にしても時化た町だなここは。これはマフィアにつけ込まれるってのも頷ける」
 クロシューという町の大通り。一応小さな町として最低限の機能は備えていそうだが、行き交う、あるいは店先に立つ人間の顔に、拭いようのない暗さがある。
 事前の報告通りなら、夜の裏通りの方が、活気に満ちていることだろう。それはそれで健康的とも言えるが、裏の人間が町を牛耳っているとなれば、話は変わってくる。暑いくらいの陽気と裏腹に、陰気な町並みであった。
「ここらの町は、実質マフィアが支配しているようなものだそうですね」
「タチが悪い連中なんだろうよ、この陰鬱な感じから察するに。マフィアが牛耳ってても、貴族が支配するより活気のある町や、人が暮らしやすい所もある。悪法のさばる町なら、法の外の連中が正しいこともあるだろうさ。ま、こっちとしては、良かろうが悪かろうが、そういう連中と話つける方が、無能な領主と話をするより楽だけどな・・・にしてもこいつら、よっぽどあたしのことが珍しいらしいな。ただの余所者を見る目つきじゃないぞ。じろじろと珍獣みたいに見つめやがって」
 大都市と違い、ハーフリングの姿は、やはりこの町では目立つようだった。隠密で潜入する時は大抵子供の変装をしているが、今のマグゼはそれをしていない。黒い外套に、黒革の忍び衣装。冒険者か、用心棒か、ともあれ多少の物騒さは醸し出しているだろう。裏社会の人間とも取れるが、忍びと気づく者は少ない。そもそも、忍びの存在自体、一般社会で生きる連中には知られていないことが多いのだ。
「私が目立つのかもしれません。すみません」
 一方のゾエは身長185cmと、女としてはかなりの高身長である。男の180cm代は単に背が高いという印象しか与えないが、女の180cm以上は、華奢な者でも何故か巨大に映る。ゾエが外套越しにもわかる鍛え抜かれた身体をしていることを考えると、身長より更にでかい女と見られていても不思議ではない。
「気にすんな。あたしもそうする。で、ええと、ここだな。そのマフィアの牛耳ってる店のひとつだ。入るぞ」
 大通りの端、雑貨屋の二階。広場の枯れた噴水の向こうに、市庁舎が見える。本来は雑貨屋の住居だったのか、脇の外階段を上り、まだ明るい内から営業しているその酒場に、マグゼたちは入った。扉の鈴の音は軽やかで、この場にはそぐわないような気がした。
 客は、まだいないようだ。にも関わらず開けているのは、ただの酒場ではないということだ。微かだが、阿片の匂いがした。従業員と思しき男女が数名、外とはまた違った意味で、珍しいものを見る目つきでこちらを見ていた。ハーフリングと長身の女というより、一見がやってくるような店ではないということだろう。加えて、女二人で来るような店でもない。
「よう、やってんだろ? 席に案内してくれよ。いや、ここがいいな」
 何が可笑しいのか、卓の一つに腰掛けたマグゼに、冷笑が向けられる。
 中央にオリエント風の腕のない裸婦像、壁紙とカーテンはおそらく以前はどぎつかったであろう、くすんだ赤。いくつかの卓をそれぞれ半円のソファーが囲む、どの町の裏通りにもある店構えだ。もっともこの店は、表通りの市庁舎前に堂々と看板を出しているわけだが。
「あの石像、重そうだな。特に台座。床抜けたりしないのか?」
「どうだろうね。さて、ウチには水の他にはカクテル用のミルクしかなくてね、お嬢ちゃん。どちらが好み?」
 三十代に入ったかどうかという、厚化粧の女が応対する。マグゼは胸を持ち上げてみせた。
「ガキに見えるかい? ビールでいいよ。お前は?」
 ゾエの方を向くと、彼女もそれでいいというふうに頷いた。
「メスガキが冷やかしに来るところじゃねえぞ。ミルクが欲しいなら、さっさとママのとこに帰んな」
 この店の、おそらく指名一番だろう、容姿の整った女が、年嵩の女の隣りに座る。二人ともけばけばしい色合いの、胸の大きく開いたドレスを着ていた。
「へへ、お前も接客する気満々じゃないか。ビールなんかじゃなくて、他のもんがいいかな。お前に酒を注がせたい。ボーイ、この店で一番高いのは何だ? 遠慮なく持ってこい」
 カウンターの傍に立っていた男が、思案顔になっている。澄ました給仕の格好をしているが、チンピラとしてはまずまず優秀な方だろう。こちらが何者か、どれほどの力があるのか、懸命に測ろうとしている。
「二人とも、お客様に失礼がないように。この店で一番高いものとなると、ボトル一本金貨一枚程のブランデーとなりますが」
「アッシェン金貨でだろ? いいよ、二枚払うから、適当なつまみも持ってきてくれよ。ブランデーなら、果物の盛り合わせとかがいいな」
「本当に金持ってんのか? 食い逃げするつもりじゃねえだろうな」
「この女、どうしてさっきからあたしに絡んでくるんだ? ハーフリングに親でも殺されたのか?」
 若い女が、醜く顔を歪める。上客には普段、どんな顔を見せているのか。
「まあまあ。この子はちょっと人見知りでね。他所から来た人を警戒してるんだよ。悪かったわね。すぐにお飲物も用意させるから」
 年嵩の女が言う。こちらを警戒してるのは、この女の方だろう。いきなり、物腰がやわらかくなっている。
 ビールは取り消したつもりだったが、まずはそれが出てきた。店の造り以上に安っぽいビールを飲み干し、一息つく。隣りの年嵩の女に話しかけた。
「あんた、ここで働いてどれくらいになる」
「四年ってとこかしらねえ。その前も、同じような店で働いていたわ」
「ここよりマシな店だったか?」
「ふふ、意地の悪いこと聞くのねえ。前はどうあれ、今はここが私の家みたいなものよ」
 よく見ると、女の目の下には厚い化粧でも隠しきれない隈ができていた。肌も、年齢以上に荒れている。重労働か、薬か。いずれにせよ無理を重ねている様子が見て取れた。
「この町の生まれで、子供は二人。旦那は死んだか他の女のとこに行った。当たりかい?」
「まあ、魔法使い? 占い師? 夫は死んだわ。よくわかったわねえ」
「じゃないと、こんな店で働かないって。大分身体にガタが来てるな。仕事の一つも、紹介してやれないこともないんだが」
「おい、ナメたこと抜かしてんじゃねえぞ。この店のどこが悪いんだよ」
 若い方が、また口を挟んでくる。
「お前が、指名ナンバーワンってとこだろ? ただそれだけじゃ、ここまで粋がれねえわな。ここの店長か、用心棒の頭か、どっちかのスケだな。そいつの腕っ節の強さを、自分の力だと勘違いしてる」
 マグゼが葉巻を取り出し、先端を切り落とす。すかさず、厚化粧の女がマッチに火を着けた。
「メスガキが、半人前のくせに、そんなもん偉そうにくわえやがって」
「だから、ガキじゃないって言ってんだろ? 頭が悪過ぎるぞお前。そこら辺に頭の中身が落ちてないか、一緒に探してやろうか?」
「てめえっ」
 女が立ち上がる。同じく立ち上がったゾエが、殺気を伴った壁となって、その女を見下ろした。
「な、なんだよお前は。そこをどけ!」
「ゾエ、どいてやれ。何をするのか、見てみたい」
「ちょっとそこまで! お客さん、これはこっちが一方的に悪い。お代は結構ですので、今日のところは店を代えてもらえませんか」
 給仕が慌てた様子で制止に入ったが、その口調と裏腹に、目には有無を言わせぬ殺気を漂わせている。
「いや、そもそもここに用があってね。けどさ、この女、なんであたしのこと目の敵にしてんだ? さっきのあたしの話、ひょっとしてマジ? ハーフリングに恨みがあんの?」
「チビが、一丁前に客の振りしていい場所じゃねえんだよ、帰れ!」
「だってさ。いや冗談抜きで、その本心聞きたいわ」
「小人が。吊るしてやろうか」
 ふう、と一つ息を吐き、マグゼはいつの間に運ばれていた、果物の盛り合わせに手を伸ばした。注がれた酒は銀貨でお釣りが来るくらいのお粗末なものだが、これはいける。ちょうどいい具合に熟れた桃をフォークに突き刺しながら、マグゼは思わず苦笑した。
「おい、さっきからなんで黙ってやがる」
「いや、これ結構美味いぞ。お前も食えよ。ゾエ、その葡萄取ってくれる?」
「ふざけてんじゃねえぞ、小人!」
「待て。待て待て。まずは落ち着け。今までのことは、聞かなかったことにしよう。ハーフリングにとって、今までの言葉は立派な侮蔑だぞ。あたしは暴力が嫌いでね、それと慈悲深い。だから今までのことはチャラにしてやる。お前が単なる差別主義者とわかって、なんかシラケちまったよ」
 どこにでも、いや中央から離れれば離れる程、異物をただそれだけで汚物のように扱う輩はいる。異物に対する警戒心をこじらせて、それの排除を正義と思い込んでしまう阿呆どもは、自分がどんな顔をしてそれを為しているのかに気がつかないのだ。
「ただ次言ったら、多分後悔することになるよ。これは脅しじゃなくて、警告な」
「言ってろ小人」
 ゾエが、またも威圧感たっぷりに席を立つ。
「ああ、あたしがやる。その為に席を立ってくれたんだろ? よいしょっと。姉ちゃん、名前聞いてなかったな」
「あぁん? ジャンヌだよ、ガキ」
「うわっ、聞くんじゃなかったぁ。よくある名前とはいえ、あたしの主と同じ名前かよ。じゃ、馬鹿な方のジャンヌ、後悔しな」
 座ったままの女の髪を掴み、卓の角に叩き付けた。そのまま頭を床に投げ落とし、顎を思い切り踏み潰す。鮮血と一緒に、白い歯が何本か、床に散らばった。
 すぐさま、横に向かって飛刀を放つ。給仕の男の手から、短刀が乾いた音を立てて転がり落ちた。
「先に抜いたのはそっちだからな。あーあ。もっと穏便に話をつけたかったんだがなあ」
「うぅああぁっ! ひぃっ、あっがあぁぁっ!」
「痛めつけられても、なおうるさい奴だな。黙らせておいた方が良かったか」
 騒ぎを聞きつけたのか、奥の扉から屈強な、あるいは物騒な感じの男たちが出てきた。五人。
 床に突っ伏してくぐもった悲鳴を上げ続ける女、手の甲に飛刀が突き刺さったままの給仕。最後にマグゼたちの方を見て、男たちの顔に緊張が走る。男の一人が火搔き棒を手に前に出ようとしたところで、別の男、おそらく連中の頭目であろう中年の男が、それを制した。
「お客さん、只モンじゃないですね。どこの町のモンです?」
「ああ、マフィアじゃないんだ。シマを荒らしに来たわけじゃない。通りすがりの喧嘩っ早い冒険者ってわけでもない」
「ならここで殺されても、誰も文句は言わねえわけだ」
「いや、文句を言う人間はいるが、それはあんたらのボスと会うまで、秘密にしときたい」
「・・・素性のわからないあんたらが、簡単に会える相手じゃないんですがね」
「お前ら全員ノシてもいいけど、こっちとしちゃあ、血を見ずにそうしたいんだよねえ。あ、この女はあたし、のみならずあたしらハーフリングを侮辱したから、仕方ないな。そこのボーイはあれだ、先に剣を抜いた」
「これだけやられて、こっちにも面子ってもんがあります」
「わかるよ。それをこれ以上潰したくはないね。わかりやすい脅しは好きじゃないんだが・・・おいゾエ、あれ蹴っ飛ばしてくれるか」
 マグゼが指差したのは店の中央に鎮座する、古代オリエント風の彫像である。安物だが、一応石でできている。土台もしっかりしていて、強く押しても倒れる感じじゃない。あれを素手で、いや足で叩き割るゾエを見れば、連中も少しは大人しくなるだろう。
 つかつかとそれに歩み寄ったゾエが、石像に蹴りを入れる。重力を無視して真横にすっ飛んだ裸婦像は、そのまま店の窓を突き破って通りの方へ落ちていった。
「ば、馬鹿っ! 下に人がいるかもしれないじゃないか!」
「す、すみません! 軽く蹴ったつもりだったのですが」
 慌てて、二人で通りを見下ろす。幸い、誰も石像には当たらなかったようだ。通りすがりの若い男が二人、腰を抜かしてこちらを見上げている。
 振り返ると、マフィアの男たちは明らかに動揺しているようだった。いや、恐怖か。
「ま、まあそんなわけだ。ああなりたくなかったら、あたしらに喧嘩売んな。店は後で弁償する。ともあれ、今晩八時、もう一度来るから、お前らのボスを呼んどいてくれ。じゃあな」
 店の外に出て、一息つく。想定とは大分違ったが、これでこの町のボスとは、会談を取り付けたと思っていいだろう。
「あ、吸いかけの葉巻、置いてきちまった」
「取ってきましょうか?」
「いや、いい。さすがに格好がつかないわ」
 頭を掻きながら、外階段を下りる。通りに出たところで、マグゼは今度こそまるで想定外の事態に出くわした。
「マイラ」
 思わず、名が口をついて出る。先方も全くの予想外だったのか、束の間、その目が大きく見開かれた。
「マグゼ。奇遇ね」
 金のない冒険者か、武装した行商か、とにかくマイラはそんな格好をしている。アングルランドの忍び”囀る者”。その頭領たる女が、今、目の前にいる。
「こんな所で、何してんだよ」
 マイラの、暗殺。今なら、できるかもしれない。傍に、ゾエがいるのだ。
「それを忍びに聞く? あなたこそ、いえあなたがいるってことは、ゲクラン伯の西進の話は間違いないわね。進軍路の視察、ついでに橋頭堡を作りに、ここに来たんでしょう?」
 こいつを殺す為の準備を、水面下で進めている。まだ、暗殺部隊の人選を進めている段階だ。その精鋭を、ゾエが鍛え上げる。
「ま、そんなとこだよ。こんな話は、そこらの行商だって勘づいてることだろ」
 マイラ。一人に見える。ただこちらも二人に見えて、十人をこの町に連れてきている。多少散っているが、口笛一つで五人はすぐに駆けつけてくるはずだ。
「どこを攻めるかまでは、わからないのよね。せっかくだから、あなたに聞いてみましょうか」
 マイラが、顔を近づけてくる。マグゼは握った手を両頬に当て、芝居がかった可愛らしい仕草で応じた。
「そんなに見つめられたら、恥ずかしいわん」
「うぅん、決まってないみたいね。決まってたら、あなたが知らないわけないから」
 腰の短刀を抜き様、その腹に致命傷を喰らわせられる間合いである。もっとも、”打骨鬼”の拳の方が、いくらか速いだろう。
「あぁ、私のことなら、大きな音がしたので来た。本当にそれだけよ。あの石像が、あそこから落ちて来たのね。壊れ方からして、投げたんじゃなくて、ほぼ平行にあの店からぶっ飛んできた。ゾエの蹴りかしら。当たり?」
「あたしのデコピンだって言っても信じないだろ。こっちの分析はいい。さっきあたしが訊いたのは、この町にいる理由だよ」
「大した用事じゃないわ。通りがかっただけ。あなたたちと」
 マイラは大通りの奥、パン屋の辺りに目をやった。
「その手下が来てるって知ってたら、避けてたわよ。今の私たちに、当面やり合う理由はないでしょう? それが遠くない未来だとしても」
「ま、そうだな。同じ作戦でかち合わない限り、無駄にやり合わないのは忍びの暗黙の了解みたいなもんだよな」
 こちらにはマイラ、お前を殺す理由がある。先を見越せば、こいつの存在は確実にゲクランにとって、邪魔だ。
「じゃ、ここは互いに不干渉で。とは言っても、忍び同士がせっかくこうして顔を合わせたんだもの。等価で、情報交換でもしとく?」
 マイラの挙措に、仲間の存在を示唆するものはない。ただこの落ち着きようは、やはり手下を町に忍ばせているのか、あるいは一人でも襲撃を躱せる自信があるのか。
 マグゼの見立てでは、この女は大陸五強の誰よりも強いと思っている。低く見積もっても、大陸五強の最強とされる”熱風拍車”ウォーレスと互角くらいか。まずまず見目のいい、多少身体を鍛えた女。外見はそんな感じだが、目の前のこれは、どんな怪物よりも怪物である。
「やぶさかじゃないね。何が知りたい」
 もっともこちらとて、平場でやり合えばそのマイラを殺せる程の化け物を従えている。ゾエ。ここでなら、やれるか。通りに、通行人の数は少ない。これが有利に働くか、否か。邪魔が入らず戦えるだけの広さは、逆に言えばマイラの逃走のたやすさでもある。
「ノースランドの、同盟者」
「それを調べてんのか。同盟者がいるってこと自体、初耳だね。ま、ウチが西進を成し遂げるまで叛乱が保ってくれりゃあ、ゲクラン様はハイランド公に喜んで協力するだろうさ。まだ、合力には遠過ぎる」
「残念。そっちは何か?」
「大して役にも立たなかっただろうが、あたしは炉端の神の名において、真実を語った。だからお前も本当のことを言ってくれ。ゲクラン様の、暗殺を企てたことがあるか?」
 しばし、両者の間に立ち合いのような気が満ちた。ゾエが傍にいることを、これほど心強く思ったことはない。
「・・・ないわね。今後のことはわからないけど。ただ宰相は、ゲクラン伯を非常に高く評価してる。アッシェンを併呑した後は、彼女にあらためてアングルランド元帥職を与えると思う。アッシェンの残党を指揮できるのは、彼女以外にいないだろうし。けどこれは、あくまで今の方針。今後アングルランドが苦境に落ち、その際にゲクラン伯の暗殺が最も効果的な一手と見積もれば、どうなるかわからないわね。どう、納得いく答えだった?」
「充分だ。感謝する。早く、戦が終わるといいな」
「全て終わったら、一杯付き合ってよ。私は私で、あなたのことを高く評価してる」
 いや、お前は殺す。あらためて、マグゼは思った。仲間を大勢殺されたことに対する面子、そして多少の恨みはあるが、あらためて、この女は危険過ぎる。先程の返答、宰相ライナスの気まぐれ次第では、今後ゲクランを殺すと言っているようなものだ。
 手を振って町を出ていくマイラの後ろ姿を見つめながら、マグゼは決意を新たにした。
「やらなくて、よかったんですか。好機のようにも感じました」
 ゾエが言う。マグゼは首を振った。
「いや、手を出さなくて、正解だったな。ここからだと、よく見える」
 城門へ向かうマイラの前後には、いつの間にか十人程が合流していた。一人一人が言葉を交わすことはなく、格好も目的も全く違うように見えるが、マイラを中心にしてそれとなく、一定の距離を保っている。
 仕掛けていれば返り討ち、よくて差し違えといったところだろう。忍びの勘か、あるいはマグゼ自身の怯懦か。迷ったが、ぎりぎりのところで踏みとどまれたのは、どこかで今は仕掛けどころではないと感じていたのだろう。
 額を拭い、マグゼはそちらに背を向けた。
 今は、この町でやることに集中したい。

 

 進軍の準備は、滞りなく進んでいた。
 ベラック城攻略の先遣隊として、まずはザザの五千、同じくポーリーヌの五千が、それぞれベラック北東と南東の砦を目指す。こちらの西からの攻撃に対して備えられるのはこの両砦のみであり、二つを陥落させてしまえば、ベラック包囲はたやすい。無論、ベラック城を締め上げるだけの総兵力には欠けているものの、そこはリッシュモンの策がある。
 先遣隊からおよそ半日程遅れてリッシュモンを含めたアッシェン南部軍本隊が進発するわけだが、アングルランドが両砦にどれだけの兵力を割くかによって、本隊の中央突破の難易度は変わってくる。
 アングルランドが一度野戦で迎え撃つか、初めから籠城かで戦のありようは大きく変わるのが表向きの見方だが、どう出るにせよリッシュモンの策は発動する。仕込みはほぼ出来上がってるという報告もあり、成功は間違いない。が、可能ならリッシュモンは、クリスティーナに一度野戦で応じて欲しいと思っていた。その方がおそらく、互いに見なくてはならない血の量は違うはずだ。籠城されると、ちょっと凄惨な戦になる。
 ラステレーヌ城の中庭、自軍の状況を副官のダミアンと確認していると、アルフォンスの副官、フェリシテがやってきた。
「そっちはどうだ? 元帥付きの副官となると、やることも今まで以上に多いだろう」
「前回で慣れました。スミサ傭兵隊を含めて、こちらは滞りなく。後は進発まで特にやることもないので、こちらの様子を見に来ました」
 眼鏡の位置をよく直すのがフェリシテの癖だが、疲れた様子も見せずにそんな気障な仕草を見せられると、この女は本当に有能だと思い知らされる。短く、それでいて洒落た感じに切り揃えられた黒髪と相まって、いかにも才女然としていた。
「こっちも、もう終わったようなもんだ。後はダミアンに任せる。ちと早いが、飯でも食いにいくか」
「いいですね。ああ、二人でというのも、珍しい」
「お前がいつも、あたしを避けてるからなあ」
「避けてませんよ、人聞きの悪い。丁度良かった、以前から訊きたいことがあったのです。兵舎の食堂のような、あまり騒がしい場所でないと良いのですが」
「今から町に出て、静かな店を探すのも億劫だな。ならその辺の屋台で適当なもん買って、人の少ないとこで食えばいい」
「そうですね。それでいいです」
 食堂の他、城の中庭でも兵への配食が行われているが、兵相手に町の人間が軽食を売る屋台も出ている。その一つでリッシュモンは豪快にかぶりつける、バケットに肉と野菜を挟んだものを頼んだが、ちょっと意外なことに、フェリシテも同じ物を注文した。慣れていない様子でもなく、いつも澄ました感じを崩さないこの女の、別の一面を見たような気がする。木のカップに出涸らしとしか思えない薄い紅茶をなみなみと注いでもらい、二人は壁際の、傷んだ長椅子の上に腰を下ろした。
 フェリシテがどんな話をしたいのかわからないが、聞かれたくない話をするには充分なくらい、周囲の人間は少ない。忙しなく移動する兵や荷馬車からも、距離はある。
「で、聞きたいことってのは」
「何故、リッシュモン殿がここの元帥にならなかったのです? そしてアルフォンス様をそれに選ばれた理由は」
「単刀直入だな。アンリ王が、そう決めた。辞令も見ただろ?」
「過程の話をしています。庶民から王になられたばかりの陛下が、アルフォンス様のことを知るはずがない。ポンパドゥール宰相もおそらく、書類上でしかあの人を知らないはずです。そしてゲクラン元帥なら、まずはあなたを推したはず」
「ああ、そういう話ね。確かに初めはあたしに決まりかけたけど、南にはアルフォンス準男爵っつう知恵者がいるからあいつに任せたらいいって、進言したのはあたしだよ。別に隠すようなことじゃないから、言っておくけど。ゲクランも、賛成だったよ」
「あなたが推挙されたということは、わかりました。そしてアルフォンス様にそれを務め上げる力量があることは、何より私が知っています。何故というのはもうひとつ、あなたがあえて元帥を辞退した理由です」
 あまり質のいい肉じゃないが、このパン自体は美味い。肉の、タレがいいのだ。
「その話な。あたしは以前にもここで何度か総大将やったけど、なんつうか、向いてないと思ったよ。てかそれ食べないの? タレがイケるぞ」
 両手で上品にパンを持つフェリシテだが、目線は話の続きを促している。
「向いてない理由はだな、あたしには自覚してる、明確な弱点があるんだよ。性格っつってもいいけど。ゲクランにはできて、あたしにはできないことがある」
 それは、とフェリシテは口元を隠して咀嚼しながら、目で問いかけてくる。
「負けられないんだよな。小さな、あるいは局地的な戦でも、負けを選べない。ゲクランなんかはほら、大局的に見てここはひとつ退こうとか、負けるのがわかってても時間稼ぎや敵を引きつける為にここにひとつ戦場を、みたいなことができる。てかフェリシテ、食べ終わるまで話さないつもり?」
 紅茶に口をつけ、フェリシテは次の一口を頬張りながら、頷いた。リッシュモンは行儀を気にせず、食べながら話を続けた。
「アッシェン二人の常勝将軍、一人はあたしで、もう一人のゲクランは、戦の数だけ見ると、意外と負けてるんだよな。けど最後は必ず勝ちを拾う、戦略眼を持ってる。だから負けてる印象がない。小さい負けなんて織り込み済みっていう、大きさだよな。あたしはさ、戦略眼で引けを取るつもりはねえが、負けそのものが許せないんだよな。負けていい、負ける為に兵を戦場に出すってのが、どうにも我慢ならない。もし同数でゲクランとやり合ったとして、奴に負けるつもりはないよ。けど負ける時は、立ち直れないほどの惨敗だろうな」
「それで、アルフォンス様を?」
「あいつは負けながら、兵を生かす術を知ってる。それにあいつの命令なら、あたしも部隊を下げる、まあその一戦を敵に譲るってのができそうな気がしてな。ゲクランがこっち来るってんなら、あいつでもいい。ゲクランは総大将だった時に、あたしを負けさせる戦場には決して向かわせなかったが、退けと言われたら、それができた気がするよ。総大将がそう言うんなら仕方ないってな。で、あいつがこっちに来ないと聞いた時に、アルフォンスのことが思い浮かんだ。あの男になら、ここは負けておけと言われても、まあいいかなって、そう思える気がしてな」
 食べ終わったフェリシテは、それでもしばらくの間、口を聞かなかった。手を温めるように、紅茶のカップを両手で包み込んでいる。
「・・・アルフォンス様に、総大将の器を見ていたと」
「頭がいいからな。馬鹿な奴の命令は聞きたくないっていう、あたしのこだわりもある。その意味じゃフェリシテ、お前でも良かったんだよ。アルフォンスがいなければ、あたしはお前を推してた」
「わ、私ですか。私など、父の名代で兵を預かっているだけの、ただの騎士に過ぎませんよ。元帥付きの副官をしていること自体、身分不相応だというのに」
「そういうとこだな。それがお前をもうひとつ、大きくするための障壁になってる」
「買い被り過ぎです。ただリッシュモン殿が私のことを思いの外、高く評価して下さっているのはわかりました。御礼申し上げます」
「それにお前はいち早くアルフォンスの才に気づき、自らの兵を預けるといった思い切りの良さがある。お前が大将、アルフォンスが副官でも良かったかもな。なに、ジョアシャン、ブルゴーニュ公を差し置いての今回の人事だ。アルフォンスの準男爵だって一番下の爵位だし、やっぱお前が元帥ってのもアリだったと思う。アングルランドみたいに、能力と軍功だけで階級を決めるってのもいいんじゃないか。ホント、お前が元帥でも良かったと思う。ま、アルフォンスの方が遠慮のないところがあるから、やっぱあいつが適任か」
「あの人は、誰に対しても遠慮がちな態度を取っているように見えますが」
「そりゃ、誰に対しても遠慮してないのと同じだよ」
「まあ、そういう見方もできますね」
 フェリシテが微笑する。見た目を比べると、そのきりりとした態度と相まってリッシュモンより歳上に見られることも多そうだが、将軍格では若いと自認しているリッシュモンよりもさらに二つ歳下、まだ二十一歳の彼女である。笑うと、仮面の下にまだ残している少女の面影が、垣間見えたりするものだ。
「聞きたかったのは、これでいいかい?」
「ですね。なるほど、あなたは負けられないと」
「誰かの、命令がなくちゃな。アルフォンスやお前が退けと命令すれば、あたしは奥歯を噛み締めながらでも、撤退する。どうか、赤っ恥になるような撤退命令だけは、出さないでくれよな」
「胸に、留めておきます」
 言って、フェリシテはもう一度笑った。
「ああ、そうだ」
 一礼して立ち去ろうとする彼女を、呼び止める。
「アルフォンスとは、付き合わないのか? お前が押せば、簡単に落ちそうな気がするんだけど」
「ちょ、一体何の話ですか」
「ぐずぐずしてると、あたしが襲っちゃうぞ」
「な、まさか、あなたも・・・」
「いや、あたしはあいつなら悪くないって程度。あたしをそうと言っていいのなら、貴族同士の結婚だ。恋愛よりも利害とか相性だよな。その点あいつなら充分だって、あたしは思ってる」
「あ、あ・・・そうですか。私が口を挟む問題ではないと思いますが」
 フェリシテは、動揺を隠せずにいる。白いうなじにてをやって、唇を尖らせていた。
「口を挟む問題だろ。あたしは今言った理由でアルフォンスを夫として悪くないと思ってるが、あいつに惚れてる女を押し退けてでもって話でもない。貴族同士の結婚に、恋愛感情があるってんなら最高じゃないか。お前があいつに想いを告げるってんなら、あたしはその背中をいくらでも押してやれるし、結ばれりゃ一族上げて祝福する。ただその想いを秘めたまま通すってんなら、邪魔だ。道を空けてくれ。これはそういう話だよ」
 しばらくの間、頬を紅潮させて眉間に手をやっていたフェリシテだが、やがて大きく溜息をついた。
「あなたなりの、激励と受け止めておきます。ただ、この南の戦線が落ち着くまで、時間を下さい。私にも、色々と事情があります」
「縁談、全部断ってるって話だしな」
「そこまでわかっていて、人の悪い。私も家の事情がありますし、あの人も奥方を失って日が浅い」
「わかった。ま、あたしも他に誰かいい男見つけたら、あっさりそいつと結婚するかもしれないしな。じゃ、この話はしばらく預けとく。フェリシテ、応援してるぜ」
 頷いたフェリシテは、逃げるようにその場を走り去っていった。

 

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