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プリンセスブライト・ウォーロード 第18話

「それなのにあの女は、途方もなく強いのだ」

 

1,「他人の面倒が見れるようになって、ようやく一人前だ」


 一応、兵舎はもう機能していると言って良かった。
 まだ幕舎から運び込んだままの備品や、新たに揃えなくてはならない物もいくらかあるが、新兵舎での業務は、既に始めていた。
 今、アナスタシアと工兵長グラナテがいるのは、その兵舎の裏である。東、すぐ目の前には森があり、その森と兵舎の間には、厠の列があった。
「やはり、もう少し森を開くか。グラナテの言う通り今はいいが、夏場は厠がこの位置だと、多少臭う気がする。先の話になるが、今から始めていい話でもあるだろう」
「この森は、御料林じゃったかのう」
「いや、ノルマランの所有だったと思う。いずれにせよ庁舎か、城代に相談しなくてはならないが」
 新たに兵となった者は四百名程だが、兵舎で働く者はもちろん、川岸の酒保、娼婦たちにも開放しているので、六百人前後の者が、この兵舎の厠を使っていた。
 溝を掘り、その上に木造の長屋状の小屋を建て、溝が糞尿で一杯になったら、次の溝の上に長屋を移動させる。幕や衝立てが長屋となっただけで、要は戦場の厠と同じ形の厠である。
「どっちにせよ、あの城代がなんとかしてくれるじゃろ。お、噂をすればというやつじゃ」
 松葉杖をついたドニーズが、こちらにやってくる。
「ああ、ドニーズ殿。もう酒気は抜けましたか」
「まだちょっと、残ってる気がするわ。昨日はもっとひどい状態で、フローレンス様たちの接待をしなくちゃならなかったし。でも、あの人がいい人で助かったよ。むしろ、こっちが気を遣わせちゃったみたいで」
 一昨日、ドニーズはアニータと共に蜜蜂亭にやってきて、散々飲んだ。昨日、この城代と顔を合わせる機会はなかったが、自領に帰り際のフローレンスがここにやって来たので、二日酔いに苦しむドニーズの話は聞いていた。
「今日はこの後、こちらから伺おうかと思っていたのですが、ちょうどいい。森を少し開きたいのですが、ここは確か、ノルマランのものでしたよね」
「そう。ん、トイレの数増やすの?」
「ええ。それに厠は移動させていくので、常に土地に余裕があると助かるのですが」
「いいよ。ああ、見たとこ、戦場みたいなトイレなんだね。長屋にしてるわけか。排泄物が溜まったら、すぐ埋める感じ?」
「いえ、せっかく糞尿が集まるのですからね、堆肥として近隣の村に提供できればと思っています。それなりの質のものが、作れます」
「へえ、どうやってやんの?」
「ひとつ、作りかけのものが。あちらです」
 三人で、糞尿の溜まった溝に移動する。それは湯気を放ち、独特の臭気を放っていた。
「ん、これか。臭いはするけど・・・なんか排泄物の臭いとも違うね。あまり臭いって感じもしない。いや、好きな匂いじゃないけど。なんかこう・・・雨上がりの土の匂いの、もっとキツい感じ?」
「ごみや落ち葉を焼いた灰や、同じく焼いて砕いた骨などを入れ、熟れさせています。日に当て、先程のものを定期的に入れてよく混ぜれば、こんな感じのものになります。発酵させるのですな。その熱で、寄生虫や微小動物も殺すことができます」
「微小動物って、目に見えない小さな生き物のことだよね」
「ゴルゴナの研究では、これが病の原因となることが多いという話もありますね。種類も多く、謎だらけですが」
「なんじゃおぬしら、実物を見たこともないのか」
 ドワーフのグラナテが、少し胸を張って言った。
「ドワーフの里では、微小動物を見ることができるという、顕微鏡というものがあるのか」
「そういった発明の多くはドワーフのものぞ。それは置いておくとしても、アナスタシアのこのやり方は、正しい。青流団でも長く一カ所に留まる時は、このように糞尿を処理していたしな。近隣の村の者にも喜ばれた。混ぜ物が少ないと良い堆肥は作れないが、ここはごみやら何やらが、よく出る。農村でやってるのも、概ねこんなもんじゃろうが、こちらの方が質は良い」
「へええ。私はこういうの、よく知らなかったよ」
 ドニーズが感心しながら、溝を覗き込む。戦場の厠を経験しているので、話の理解は早い。
 今三人がいるのは南北に長い兵舎裏手の南側、マロン川に近い場所だが、今の厠のさらに北側では、兵たちが新しい溝を掘っていた。そちらに目をやった城代に、グラナテが説明する。
「ま、工兵の鍛錬代わりに、今は彼らが溝を掘り、新しい長屋を建てておる。ここで働く人間がもっと増えれば、工兵どもには実戦的なことをやらせようと思っとるぞい」
「今は、何人くらいがこれ専属で働いてるの?」
「まだ、二人ですね。ほら、あそこの二人です。先日の選抜試験に落ちた者と、その妻です」
 二人は最南端の溝を、長い櫂でかき混ぜていた。ドニーズが興味を示したので、そちらへも向かう。
「どうだ、仕事は順調そうだが、キツくないか」
「ああ、これは団長。もう少し人が増えればと思いますが、今のところは私どもでなんとか」
 言った男が、妻と共に笑顔で頭を下げる。二人とも五十代半ばで、妻はそもそも入団試験を受けていないが、夫の方は実戦経験こそ豊富なものの、兵としてはさすがに歳を取り過ぎていた。だがこの堆肥の作り方はよく知っていたので、すぐにここの担当として雇うことになった。
「厠の数は、増やす方向だ。人も、近々増やせればいいと思っている」
「本当に、団長にはお世話になっております。私まで雇って頂いて、おまけに兵舎にまで住まわせて頂いて。本当に、どう御礼を申し上げてよいものか」
 妻が、再び頭を下げる。
「働いてもらっているのだ。礼を言うのはこちらだろう」
「いえ、私まで雇って頂いて。おまけに、こんなにお給金も出して頂けるなんて」
 ドニーズが、アナスタシアに目を向ける。
「この手の仕事は、大体日給で銀貨八枚がいいところですからね。彼らにはそれぞれ、銀貨十五枚出しています。兵舎の一室と、大浴場での入浴、食堂での三食の食事付きで」
「ああ、それで二人とも嫌な顔ひとつせずにやってるのね。ちょっと納得」
「つらい仕事です。堆肥作りだけではなく、厠の掃除も二人だけでこなしてもらっています。お前たち、人が増えたら、ここの監督的な立場でやってもらうからな。もう少し給金も出してやれるし、そこまで身体も酷使せずに済む。それまではもう少しだけ、辛抱してくれ」
 夫婦はとんでもないとばかりに何度も頭を下げているが、ドニーズは松葉杖に体重を預けながら、しばし思案顔を続けた。
「これ、結構な量の堆肥が作れるよね。ならひとつ、ノルマランの近辺で開墾できる土地を探して、農地を拡大してみようかな。それならこの先兵士が増えても、余らせるようなことはないでしょ」
「それは、助かります。余るようだったら、単に埋めていけばいいかと思っていましたが、せっかくです」
「いや、やっぱそれはもったいないよ。ノルマラン近辺は、森のあるところを除いては、基本的に痩せた土地なんだよね。農村部の収穫量は、他と比べてもずっと少ない。マロン川の交易でできた町だしさ。荒れ地の開墾は、ゲクラン領では推奨されてる。中央に相談すれば、それなりに専門の人とか派遣してくれたり、石灰を融通してくれるって話だしさ。ウチには関係ない話かと思ってたけど、これはいい機会かも」
「そんな制度が、ここにはあったのですね」
「あんまここでだけ堆肥作られても、町に糞尿を汲み取りに来る農村の人たちもいなくなっちゃうでしょ。あっちはこちらがお金出す分、誰も来なくなることはないだろうけど、そこ差し引いても良質の方が良いととなったら大変だし、そもそもの必要量が増えれば、問題はなくなるからね。余所から定住してくれる人も増える」
「その辺りは、お任せします。森については、どの程度拓いてよいものでしょうか」
「ああ、そうね、それは役人と、林業の組合の人間を、後で連れてくるわ。森も財産なんで、拓き過ぎても良くないし。夕方近くになっちゃうから、アナスタシアはもう蜜蜂亭に行ってる頃か。誰に立ち会ってもらえばいい?」
「そのことなら、わしが立ち会おう。厠と兵舎が近過ぎると言い出したのは、わしだからな。団長、それで良いかな」
「任せよう」
「じゃ、私は一旦城に戻るよ。あそこのトイレ、借りてくけど」
「それはご自由に。そういえばここには、何か用事があって来たのでは?」
「視察って名目で、息抜きに来ただけ。けどひとつ大きな仕事ができたから、来た意味があったね。それじゃ、アナスタシア。グラナテ、後で頼むね」
 後ろに結んだ髪を軽快に揺らしながら、ドニーズがその場を去っていく。
「良い城代に恵まれたのう」
「前の城代も、悪くなかった。ただドニーズ殿の方が積極的にこちらに関わってくれる分、こちらの要望を伝えやすくはある。あの行動力は、若さかな」
「ハハ、団長と一つしか違わんだろうが。わしから見れば、二人とも小娘じゃ」
「そういうグラナテも、ドワーフではそれこそ小娘といった年齢だろう? 三人の中で一番若く見えるし」
「それもそうじゃった。人間といると、どうもそういうことを忘れがちだのう。厠で働くあの夫婦の方が歳上なのに、どうも人間と見れば、大抵子供に感じてしまう。それでは、わしは兵の元へ戻るぞい」
 手を上げ、アナスタシアは兵舎に向かった。今日は時間に余裕があるので、食堂へ向かう前に一度、調練場に顔を出してみることにした。原野の東端にある兵舎から西、城壁近くまでが調練場である。
 全体の調練は、昼前に終わっている。調練場の一角では、木製の人型や丸太相手に剣を振っている者、組み打ちをやっている者、それらから離れた中央付近では何の競技だろうか、球技をやっている者たちがいた。それぞれ、二、三十人の集団である。全体調練の後は自由時間であり、個々の鍛錬に励むも、遊戯に興じるも自由にしていた。北の森近くの射撃場ではおそらくシュゾンだろう、華奢な黒髪の娘が他の兵に弓を教わっている様子だった。
 特徴的な足音に振り返ると、ドニーズが少しばつが悪そうに手を振った。別れの挨拶を交わしたばかりだが、厠に入っている間にこちらが追い越したのだろう。
「野外のトイレだから、もっと綺麗じゃないと思ってた。快適で、ちょっと驚いたよ」
「風通しを良くしてあるので、匂いもあまり籠らなかったでしょう? 冬場は、手洗い所に薪ストーブを用意できればと」
「松葉杖携えたままでも、使いやすかった」
「今後、戦場で手足を失う者は出てきますからね。脚の悪い者の為の手すりはもちろん、片手で何かを成しやすいようなものは、兵舎の至る所に施してあります」
「はああ。なんか私がいた、あえて言えば正規軍っていうの? そういうのとは、全然違うんだねえ」
「傭兵団が、みんなこういうことをやっているわけではないでしょう。私は父から受け継いだ部分が大きいですし。青流団も、似たようなことをしていました。大所帯の傭兵団となると、どこか組合的な相互扶助の組織になりがちかもしれませんね。一つ仕事をこなす度に死者や不具者を生むわけですから、助け合おうという気持ちがなければ、組織として保ちません」
「なるほど。大所帯の傭兵団は、職人の組合みたいになっていくのか」
「戦が仕事の職人ですので」
 不意に悲鳴のような声を聞き、二人は振り返った。木剣を振っていた兵の集団。女の兵が一人、尻餅をついて倒れている。単に調練中のやり取りなら無視しても良いが、見下ろす兵たちの剣呑な雰囲気は、見過ごせるものではなかった。案の定、倒れた女の背中を、男の兵がつま先で小突いている。
「職人以上に屈託の多い人間の集まりなのが、傭兵団の難しいところですかね。様子を見てきます」
「ほら、立てよ。そんなんで俺たちの足引っ張らないでいられんのか」
「どういうことだ。説明しろ」
 アナスタシアが姿を現すと、兵たちは敬礼、あるいは直立する者と、一様に緊張した様子を見せた。ドニーズが追って来る気配がある。
「いや、こいつが足手まといなんで、ちょっと鍛えてやってるところです」
 兵の一人、髭面で大柄な男が言う。
「こんなやり方で、強くなれるとは思えんけどな。追い出すか、心を折って屈服させようとしているように見える。鍛えるなら、ちゃんと戦い方を教えてやれよ」
 倒れていた娘が、立ち上がる。名は忘れたが、華奢というよりひょろりとした長身の娘で、見た目はあまり良くなく、かついつも困ったような、弱気に見える顔つきをしていた。娼婦か傭兵か。シュゾンと同じように食い潰してここに来た一人だが、背の高さと見た目以上の膂力で、村の男に代わって二度も徴兵に取られたと、そんな経歴であったことを記憶している。一応、実戦経験はある。
「いや、こいつがいつまでもここに慣れねえ感じだから・・・」
「お前同様、私が選んだ兵だ。文句があるなら、直接私に言ってこい」
「い、いや、文句ってわけじゃあ・・・」
 大柄な男の後ろに、取り巻きらしき数人がつく。娘の方は、今まで以上に不安そうな目でこちらを見つめていた。
「お前のような細身でも、ああいうでかい男を一撃で倒す技がある。教えてやろう」
「い、いや、団長。さすがにあんたが相手じゃ、俺みたいな一兵卒は殺されちまう。確かに、こいつも団長が選んだ兵だ。今回のことは、謝ります」
「組み打ちでいいかな。怪我させないよう手加減してやるから、本気でかかってこい。なに、お前だって私が選んだ兵だ、安心しろ。打ち込んでこないなら、こちらから行くぞ」
 アナスタシアが軽く拳を構えると、観念したのか、男は自棄になった感じで掴み掛かってきた。その動きは速く、実戦慣れしているとすぐにわかる。虚勢ではなく、実際にある程度の強さを持った兵だ。
 伸びてきた手に襟を掴まれる寸前に一歩下がり、その股間を蹴り上げる。男はくぐもった悲鳴を上げて倒れ込んだ。
「今度舐めた真似をされたら、隙を見て金的を蹴り上げてやれ。全体の調練中でも構わんぞ。お前に関しては、私が責任を取る」
「は、はいぃ。その、すみません・・・」
 泣き出しそうな娘の肩を叩き、まだ地面に這いつくばっている男の方に声を掛けた。
「確かに、お前は強いな。取り巻きがつくということは、それなりに人を惹き付けるものもあるのだろう。なら、お前から見て弱そうな奴がいたら、守ってやれよ。ここに不満があって鬱憤をぶつけたいのなら、私や他の指揮官たちに相談するなり、喧嘩を売ってこい。少なくとも私は、お前の話を聞くぞ。が、今回のような卑怯なやり方をしていたら、次は容赦できるかわからないなあ」
 髭に付いた泡を拭いながら、男が苦し気に立ち上がる。
「ちょ、ちょっと調子に乗ってました。すみません」
「私より、彼女に謝れ」
「わ、悪かった。団長の言う通りだな。お前が強くなるまでは、俺たちが守ってやらなくちゃならなかった。すまねえ。これで勘弁してくれ」
 取り巻きたちも、頭を下げる。アナスタシアは、集まっていた三十人程を見渡して言った。
「お前たちの兵としての質には、まだばらつきがある。自分から見て弱い、不甲斐ない兵が隣にいれば、不安になることもあるだろう。ならそんな不安が消し飛ぶくらいに、一人一人が強くなれ。そして隣にいる弱い奴を守れ。弱い奴は守られていることを自覚しながら強い奴に追いつくか、その助けとなれるよう己を鍛えろ。部隊として動く際、周囲の味方の強弱がわからない奴は、真っ先に死ぬぞ。もっと悪いことに、そいつは大抵、周りの味方をも殺す」
 こういった形で一席ぶつのは得意ではないが、皆が注目している今は、伝えておくべきことは伝えるべきだろう。まだ、生まれたばかりの傭兵団だ。
「まずは個々が、生き残れるだけの強さを身につけろ。自分の面倒が見れるようになって、なんとか半人前といったところか。他人の面倒が見れるようになって、ようやく一人前だ。この中には既に、一人前の傭兵を自覚している者も、少なくないだろう。なら、やることはもうわかっているな」
 何人かの兵が、力強く頷く。これで、ここに集まった者たちは良い兵になるだろう。それにこうした話は、ここにいない兵たちの間でも共有されていく。
 元々、全体の調練を終えてもここで鍛錬に励んでいた者たちだ。向上心は高い。個々の強弱はあるが、それはある程度、時間が埋めてくれる。
「今後は私も、時間がある時にはここに顔を出す。稽古をつけてほしい奴は、気軽に声を掛けてくれよ」
 言って、アナスタシアはその場を離れた。並んだドニーズが、何度か感嘆のため息をついている。
「ここで、お別れですね。夕方、グラナテたちと森の件、よろしくお願いします」
「はあぁ、やっぱアナスタシア、大陸に名を轟かせる傭兵団長なんだねえ。一昨日蜜蜂亭で、エロい下着を透けさせてた人とは、まるで別人だよ」
「同じ人間ですよ。今晩は、水色の下着を着けていく予定ですが」
「あはははっ。いつかまたアレ着てきてよ。じゃ、また今度」
 笑顔のドニーズは、厩の方へ去っていった。
 ぐう、と腹が鳴り、アナスタシアはまだ、昼食を摂っていないことを思い出した。静まり返って自分の言葉に耳を傾けている兵たちの前で、鳴らなくて良かったとも思う。食堂が開いてから、大分時間が経っている。まだ、シチューにちゃんとした具は残っているだろうか。
 そんなことを考えながら、アナスタシアは兵舎へと引き返した。

 

 

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