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4,「商売の世界にもいるんだな、そういう化け物は」


 リッシュモンの民の排除は、完了したとのことだった。
 これで、ベラックの時のように、城を内側から崩されることはないと、クリスティーナは胸を撫で下ろした。もっとも対アッシェン南部軍に対し、これで懸念材料の一つを潰せたに過ぎない。
 昼食を一人で済ませ、クリスティーナは城外の調練場へ向かった。護衛の者たちは柵の所で待機させ、幕舎の柱に寄りかかって、全体の調練を眺めているソーニャの元へ向かった。具足の上に外套を着込んだ背中を、それでもなお以前よりも小さく感じたが、後ろ姿からして、常に美しい佇まいである。
「どう、あらためて、傷の具合は」
 リッシュモンに斬られた傷が、完全に塞がっていることはわかっている。ただあの日以来初めて寒空の下で指揮を執ることになったので、そういうものが傷に障らないか訊いたのだ。
「思ったより、響かないですね。元から、寒いのには強いですから。明日から、兵に混ざって調練をしたいと思います。昨晩ちょっと走りましたが、体力も覚悟していた程は落ちてなく。まあ、実戦勘みたいなものは、年明けまでには何とかなるでしょう」
 振り返ったソーニャが、太陽のような笑みを向けてくる。
「夜に走るって、珍しいわね」
「ちょっとの間、漫画を描くのはお休みです。手が描くことを忘れないよう、寝る前に軽くクロッキーくらいはやってますが」
 夕食後、あるいは日が落ちてからの軍議。それが終わるとソーニャは一切の軍務から関わりを断ち、緊急の案件以外は部屋に籠って漫画を描き続けるのが常だった。そのソーニャが自由な時間を鍛錬に向けるということは、それだけ彼女も今回の戦に期するものがあるのだろう。
「ああ、アメデーオさんが言ってましたけど、ラステレーヌの時からの傭兵を除いては、この地でこれから傭兵を増やすのは、難しそうですって。十人、二十人の小規模な隊に声を掛けても、上手くいかないみたいですね。今は北、二剣の地に行ってますが、あまり期待しないでほしいと」
「南部の傭兵は、今までだって同じアッシェン人相手に戦うのは抵抗があったでしょうに、加えて私たちは劣勢だからね。以前からの傭兵も、彼がラテン諸国から連れてきた者たちや、グランツまで脚を伸ばして集めてきた者たちばかりでしょう? まあ人たらしのアメデーオで無理なら、仕方ないと割り切れるわ。せっかく備蓄に余裕があるんだから、兵力の増強は為したかったけど」
 しばし、二人並んで調練を見つめた。
「マルトは、もう動きに問題ないみたいね。こうして離れた所から見ると改めて、兄に劣らない指揮官だとわかる。彼女も、重傷だったと聞くけど」
「なんでもリッシュモン様から、エルフの万能薬を譲ってもらったそうですね」
「一つ、リッシュモンには借りができたわね。戦のない時に、それを返せたらと思う」
「ただ、そのせいで城を一つ失いました。先方としても、それでチャラなんじゃないですか」
「他の城から片付け、マルトが死ぬのを待つ手もあった。それをあんな貴重なものを交渉の材料に使うなんて、人が好過ぎるところがあるのかしら」
 ソーニャの方を見やると、彼女は軽く肩をすくめた。
「そのくらいじゃなきゃ困るという事情が、私にはありまして」
「ああ、リッチモンドの民ってことね。母さんから聞いたわ」
「隠し立てするつもりもなかったのですが」
「ええ。私も書類を見た時に、そこに思いが至らなかった。あなただけがリッチモンド出身ってわけじゃないし。けど、指揮官ではあなただけだったわね」
「実際、いい人だと思いました。品のない振る舞いも、彼女なりの照れ隠しなのでしょう。本人は、ある人への憧れと言ってましたが。領主としても軍人としても、私が思っていた以上の人物でした。かつての戦場では、そこまでは見抜けなかったのですが。一度騎士団領に行って、きっと人間として一回り大きくなられたのでしょうね」
 南の空を見て、ソーニャはいつもと違う、やわらかい笑みを浮かべた。
「今更だけど、彼女と斬り合うのはやりづらかった?」
「いえ、殺す気で戦って、ようやく捕えられるかというところですから。私の方が強いですけど、戦場では常に有利な立ち位置でぶつかってくる。ああ、手加減は、本当になしですよ。腕の一本でも斬り飛ばして、強引にリッチモンドへ連れ帰ってやろうと目論んでるんで」
 ちょっとおどけた顔のソーニャの、どこまでが本気なのかは、クリスティーナにはわからない。
 目の前の演習に一度決着が着き、将校が二人、こちらへやって来た。下馬の必要はないと手で制すると、二人は次の指示を仰いでくる。
「ここは、ソーニャに任せているから、彼女に」
「じゃあ次は、旗を奪い合いましょう。旗持ちの部隊は歩兵のみで丘に布陣、奪う軍は騎馬五千、歩兵五千で、原野の・・・あの辺りに。三十分、旗持ちの軍がそれを守り切ったら勝ちとします。演習再開は、十五分後。余った四千の兵は、軽い怪我人や体調の悪い人を外して待機させて下さい。水飲みたい人、トイレ行きたい人は、ちゃっちゃと行かせて下さいね」
 二人の将校が駆け去っていくのと入れ違いに、銀の具足の娘が一騎、こちらにやってきた。馬上からひらりと飛び下りる姿は、以前と変わりないように見える。
「マルト、怪我は大丈夫?」
「お気遣い、感謝しますです、元帥。今朝、兄セブランが、乗馬訓練を再開したとの報告がありました。次の戦で自ら剣を取っての駆け合いまではわかりませんが、兄様についている騎馬千を率いて、こちらに援軍を向かわせることはできそうだとのこと」
「まあ。何とか一命は取り留めたと聞いたけれど。彼が馳せ参じてくれるだけでも、頼もしい。城に籠る前に一戦、野戦で当たることになるけど、くれぐれも身体に気をつけてと伝えて。彼の軍略は何も、野戦でのみ発揮されるものではないと思ってる。籠城の際の指揮だけでも、充分以上の戦力になる。私たちがアッシェン軍の包囲を凌ぎきれれば、春以降でも、そしてもし敗れたとしても、彼には今後、北での活躍も期待してる。くれぐれもご自愛下さいと、伝えて頂戴ね」
「重ねて、お心遣い感謝しますです、元帥」
「あなたもよ、マルト。無理をしすぎないように」
 そばかすの浮いた頬を赤くしたマルトは、軽く頭を下げ、鞍に飛び乗った。
「そういえば戦の想定、もうかなり詰めてるんですよね」
「ゴドフリーとね。敵の出方次第だけど、あの丘の連なる辺りが、戦場になると思う」
「なるほど。大分、面白い戦いになりそうです。複雑な駆け引きが多くなり、各部隊の指揮官の質が問われますね」
「敵はアルフォンス、何よりリッシュモンという知将がいるけど、その下の指揮官の質では、こちらが勝っていると分析している。ソーニャ、あなたにも一部隊を丸ごと任せるわ。私に足を引っ張られることなく、存分に暴れて頂戴」
「またまた、そういう言い回しは、他の部下の前でしない方がいいですよ?」
「もう、しちゃってるわよ。私は、皆の能力を信じてるから」
「まあ、そうやって部下を焚き付ける方法もありますね。それがクリスティーナ様の総大将としての新しい有り様なら、私もそうであるとして従いましょう」
「新しい?」
 次の演習の為、兵たちが最集結を始めていた。
「ええ。クリスティーナ様は、戦の度に、変わられますね。二度と同じ負け方をしないんだろうなって思います。そしていずれ、どんな負け方もしなくなるんじゃないかって」
「そうありたいわ。ただここで負ければ、私の元帥職は解任でしょうね。もう、二度の大敗をした。そしていつも、次に負ける時は死ぬ時だと、覚悟している」
 ゴドフリーと編んだ、次回の作戦。まずは野戦から始めるつもりだが、そこで大敗するようなことがあれば、クリスティーナの命は危ないだろう。アッシェン軍に痛撃を与えて、城に籠る。相手が並の大将なら痛撃はともかく、一撃与えて城に戻ることは、難しいことではない。が、相手は”白い手の”アルフォンスであり、”鋸歯の”リッシュモンだ。どれだけ作戦が練れても、上手くいくのは五割がせいぜいだろう。しかし野戦抜きでは、敵の戦力を削ぐことは出来ず、籠城にも限界が出てくる。本国からの援軍が不透明な情勢では、特にだ。
 だから次の作戦は、各将の能力に賭けた。少なくとも緒戦では、確実に主導権を握れるのは間違いない。それを、敵大将二人は、どう盛り返してくるのか。負けたくないし、そうするわけにもいかない。だが、毎回度肝を抜く戦でこちらを粉砕してきた二人である。今回もそれができるのなら、見てみたいとも思っていた。そしてあまりに鮮やかにそれが決まれば、今度こそクリスティーナの命はないという気がする。
「クリスティーナ様、あまりそんな顔しないで下さいね」
「あら、言い回し以外に、何かおかしなところがあった?」
「すごく、いい顔してました。まるで、死地に赴く肚を決めてしまったかのような」
「そうね。ただたとえ一兵卒でも、そういう覚悟はあるものでしょう?」
「そんな、晴れやかな顔はしませんよ。皆、もし負けても、生き残りたいと思ってます。勿論、私もです」
「もう、あなたを失いそうになるような真似はしない。負けることより、自分が死ぬことより、今はあなたたちを失うことの方が、怖いのよ」
「老成し過ぎています。十七歳の若過ぎる総大将が、考えることではありません」
「言われてみると、そうかも。ただ、安心して。私は勝つ気でいるから」
 クリスティーナは笑いかけたが、ソーニャは曖昧な笑みを返しただけだった。

 

 アルフォンスたちとは、城の中でばったり出くわす形になった。
「よう元帥。早いじゃないか。遅いけど」
「いや、どっちなんですか」
 細い目をさらに細めて、アルフォンスは頭をかいた。横のフェリシテは、小さな敬礼を寄越すのみである。
「先触れで今日中に着くって聞いて、夕方くらいかと思ってた。朝食後に出くわしたのが、意外でね」
「部隊はポーリーヌ殿に任せて、私とフェリシテ、その供回りだけで日の出前に出発した次第です。早く、実地で集められた資料に触れたくてですね。部隊の方も、昼には着きますよ」
「そう。初めてだろ、このポワティエ城は。どうだい、綺麗な城だろう?」
「ええ、確かにそうですが、自分の城のように言わないで下さいよ」
「まあまあ。今日からここが司令本部だ。細かいことは、ザザに聞いてくれ。まだ食事中で、ほら、あそこの今あたしが出てきたところにいる」
 二人のその後は見届けず、リッシュモンは城の練兵場に向かった。ベラック城で受けた傷も、癒え切っていないものの、骨はしばらく前から繋がった気配だ。ソーニャを解放した時には既に、軽い鍛錬も始めていた。しかし見比べると、やはりまだ左腕の方が細い。
 兵舎で与えられている部屋に行き、具足姿に着替える。鏡の前で唇に紅を引き直し、城内の練兵場へ出た。
 隊列を組んで槍を突き出している一団に手を振ると、皆それぞれの動きで挨拶を返してくる。それを横目に、リッシュモンは城壁沿いにゆっくりと走り始めた。具足姿でこれをやるのは、ラステレーヌの城を出る前以来だ。
 中を軽く一周しただけで、寒気を押し退けるように汗が噴き出してきた。さらに速度を落とし、目標である三十周を目指す。鎧の重さもそうだが、久し振りに具損姿で駆けたせいで、革の当たる部分の皮膚が、布地越しにも擦れて、痛い。皮膚の弱さもそうだが、やはりどこかで、具足姿での駆け方を忘れているような気もした。ここを三十周、楽に走れる頃には、皮膚も強くなり、身体も正しい駆け方を思い出しているだろう。練兵場の端に通りかかる度、城門を出入りする早馬の姿が見えた。
 汗が引く前に具足の手入れをし、城の自室で熱い風呂に入った。やはり肩や腰周りの皮膚が、びりびりと痛む。身体を拭く間、女給が長い赤髪に布を当て、丹念に水分を抜いてくれる。普段は自分のことはなんでも自分でやるが、人に世話されるのも悪い気はしない。旅暮らしの領地なき領主だが、案外どこかに腰を据えて領主然としているのも、性に合っているのかもしれなかった。
 一応はこの南部軍の作戦参謀として、軽い昼食を挟みつつも、日暮れまでは細かい書類に目を通し、物資や徴用兵に関する書類をまとめた。軍議の際に、アルフォンス、フェリシテにすぐ渡せる形にしておく。
 本格的に、かつ具体的に作戦を話し合うのは、明日となる。今夜は夕食前に徴兵と輜重に関する、包括的な話をするだけだ。晩課(午後六時)の鐘を聞いて、リッシュモンは書類の束を手に、広間へと向かった。
 大広間は、白い壁に青く塗られた柱、垂れ幕も金糸で飾られた濃紺と、まるでおとぎ話に出てきそうな内装だが、直線の多い構成に、自然と背筋が伸びるような気がした。
「アングルランド軍は、近隣の兵糧のかなりの部分を、トゥールに運んでしまいました。まだ民が冬を越す分に不足はないそうですが、蓄えがないことは民の間でも噂になっていて、小麦を主とし、作物の値は上がりつつあります」
 今晩だけは城主であるザザが上座に座り、アルフォンスたちに現状を説明する形になる。そのアルフォンスが、口を開いた。
「頂いた資料によると、少し脚を伸ばせば、今まで通りの値で兵糧を入手することは、可能です。少し、というか輜重だと片道一週間はかかりますが」
「二、三割の上昇なら多少無理をしてでもこの周辺から食料を集めようとも考えましたが、それだと近隣住民のさらなる不安を煽ると、文官たちから嫌な顔をされました。戦があるというだけで、民は神経質になっている。加えて食糧難では、おかしな刺激を与えかねないと。幸い、ここポワティエでは私の帰還を待っていてくれた民が多く、さすがに叛乱とまではいきませんが、徴兵、徴発にはいくらか支障も出るでしょう」
「一週間っつってもさ、その町の食いもんが、すぐに運び出せればって話だ。実際にはかき集めるのに、早くて一ヶ月、悪けりゃ三ヶ月以上ははかかるんじゃないか」
 リッシュモンが言うと、皆が一様に俯いた。全くもって建設的な意見ではないが、厳しい現状を各自が認識し直す必要はあった。アルフォンスたち本隊が連れてきた輜重隊はあくまで正規の兵が消費する分しかない。野戦には充分だが、そこでアングルランドに勝ち、かつ周辺の兵の大規模動員をかけて攻城戦を行うには、まるで足りなかった。
「現状この南部軍の兵力は、元帥他各指揮官のものを合わせ、三万二千。徴用兵の入れ替えはあったものの、ラステレーヌの頃の五万三千より、大きく減らしています。対するアングルランド軍は・・・常備軍が多いとはいえ、いまだ五万弱を維持できると推測しています。こちらは寡兵ではあるものの、敵も守備兵は城に残さなければならない。これまでの戦振りから、野戦では充分撃破可能といえます。寡兵で戦うことが多かったことで、かえってこれが当たり前になったという部分もあり、士気は高い。勝ち続けた軍でもあり、敵は負け続けた軍です。が、野戦で撃ち破ったとして、その後の攻城戦が不可能では、戦を為す意味を失います」
「つくづく、キザイアの奴にやられちまったと思う。あれを、読み切れなかったあたしの落ち度だ」
「いえ、それなら元帥である私に第一の責任が・・・」
 言い掛けたアルフォンスを、リッシュモンは手で制した。
「今は、誰かの責任って話をしたかったわけじゃない。あたしはあたしの落ち度で、キザイアの動きを読めなかったし、前回の戦で無駄な犠牲も出しちまった。悪いのは全部、リチャード王だよ。維持張ってあいつに付き合っちまったせいで、あたしの部隊も四千を再編成するのでやっとだ。あそこでクリスティーナを捕えてりゃ、この南部戦線の戦は終わってたんだ」
「アルベルティーヌの部隊に犠牲が多く出たのは、俺の落ち度だ。俺にも、責任が・・・」
 ブルゴーニュ公が言うと、ザザが続く。
「何より、ここは私の領地です。攻囲軍の編成でここに来て支障が出たのは、まさに私の失態と言ってよく・・・」
「だーっ!! そういう話はいいんだ。クソ、どいつもこいつも責任被ろうとするんじゃねえ!」
 手続き上の責任は、勝とうが負けようが元帥のアルフォンスが引き受ける形だが、作戦参謀としてこの軍にいる以上、知恵競べで出した損害は、全て自分の責任だとリッシュモンは思っていた。が、それを少しでも口にすると、誰もが自分の責任を言い出す。よくある責任のなすり付け合いなど、まるでない。まったく、ここにはできた人間が多過ぎる。
 人の好い連中が集まったというより、こんな連中だから劣勢が続いた南部戦線を維持しようとし続けたのだろう。日和見の連中は、なんやかんやと理由を付けて、この戦線から離脱している。その意味では長く続いた南部戦線は、できた人間の坩堝のようになってしまっている。偶然ではなく、必然的にそんな人間しか残らなかった。
「あたしの聞いた話だと、連中のこの地での傭兵募集は芳しくなく、アングルランドは最終的に四万五千前後になりそうだ。城攻めには最低敵兵力の三倍、つまりこっちは追加で十万以上を徴用することになる。野戦の直後にはいてもらわなくちゃいけないから、もう徴募はかけてる。ザザ、あれから進捗は?」
 これまでの戦と決定的に違うのは、ザザというこの地の大領主が領地を取り返したことで、周辺の民の一挙動員が可能だということである。
「傭兵も合わせてならば、十万以上の動員は可能かと。あくまで兵糧の心配を脇に置いてですが。少し、意外でもありました。その、私が思っていたよりも・・・」
 そこで、いつも落ち着き払っているこの将は、短い銀髪を耳の後ろに乗せた。言い淀んだ領主の言葉を、リッシュモンが継ぐ。
「ザザを、待っている民が多かった。当時は”ラ・イル”の勇名で鳴らした暴れ者だったのに、不思議なもんだ。まあ、治政は良かったってことだな。そのおかげで徴用そのものは、予想外にすんなり行きそうだ。であればこそ、最初の問題に打ち当たるわけだよな」
「はい。それだけの兵を賄える兵糧が、集まりません。近隣の地はアングルランド軍が、ほぼ倉を空にして去っていったので」
「あたしがここまでの城を落とし続ける間、ちょっとでもそんな素振り見せてたら、多少時間食っても敵の退路を断つように動いてたんだがな。いや、気づいてても結局、ここ近辺でのキザイアの動きを止められなかったか。焦土作戦ってほどエグイわけじゃないが、鮮やかなもんだ。こちらがここで、アングルランド南部軍最後の拠点を諦めりゃ、簡単な話だってな。ふざけやがって。元々ここはアッシェンなんだぞ。あと一歩で、諦めきれるか」
「確かに。土地を奪い、占拠し続ける相手を見過ごすことは、平和とはなりません」
「今年は凶作ってわけじゃなく、少し足を伸ばせば、食いもんがないことはないんだ。が、あたしらには時間がない。予定じゃ、年内に大動員の布告、年明けすぐにトゥールへの進軍の予定だった。急な十万の大動員は、農閑期の今だからできることでもある。同じ好機は、来年の今頃まで待つしかねえ。アングルランドはノースランドの叛乱、レヌブランの独立で、てんやわんやになってるのは、想像に難くねえ。けど一年後、この南部戦線の状況が好転してる保障もない。兵も入れ替わるだろうし、そもそもウチらが現状の兵力を維持してるってだけで、軍費はかさむ。アッシェン本国に予算の請求ができるとしても、一年南部の兵を遊ばせとく余裕は、宮廷にはないだろうよ」
「何としても、この冬で決着を着けるということですね」
 思案顔のフェリシテに、リッシュモンは応えた。
「最低限、城を取り囲むところまではな。が、その前にクリスティーナも野戦で応じ、少しでもこっちの兵力を減らしにかかるだろうよ。ここで犠牲がかさめば、その後動員する十万は、烏合の衆になりかねない。包囲してから一ヶ月、長くて三ヶ月以内の落城を目指しているが、春まで敵が持ち堪えりゃ、今年の収穫量は激減し、二度目の大動員は何年も先になっちまうかもしれない」
「あ、あの、その十万と共に、野戦を戦うのは?」
 スミサ傭兵隊のモーニカが、おずおずと手を上げる。
「んー、そこで徴用兵中心に狙われると、そもそも攻囲ができなくなっちまう。集まった連中守りながら、戦えるかね。いくら圧倒的な兵力差といってもさ。あたしが相手方だったら中核の部隊は無視して、その集まったばかりの徴用兵を殺しまくる。フェリシテやジョアシャンのとこみたいに、この激戦をくぐり抜けてきた徴用兵は、肝が据わってる。ただ今回ザザが集めるのは、しばらく戦の経験から遠ざかっているか、そもそも戦の経験がない奴らばかりだ。攻城戦となりゃあ兵の質より人海戦術になるから、こいつらは活きる。野戦で一度崩されると、すぐに瓦解するんじゃないかって、あたしはそこを心配してる。それと、早めに集められた兵は、ここの防衛を任せるつもりでいる。トゥールとポワティエは、近い。空にしちまえば、別働隊で落とすのも充分可能だろうよ」
「わ、わかりました。緒戦の野戦は、ここまでの戦いを生き抜いてきた精兵で戦うということで」
 周りの注目が集まり、それだけでモーニカは顔を真っ赤にして首をすくめた。
「まあ、モーニカの言うことにも、一理はある。選択肢に入れておくよ。ここの防衛以上に早く兵が集まったら、多少は連れて行くことができるだろう。話戻すと、ここでアングルランドの連中を追い出せないと、次の機会は色んな意味で仕切り直しになっちまう。アングルランド本国がこのまま倒れてくれりゃいいが、数年後に立て直してこっちに大規模な援軍寄越してくるなら、またここは泥沼になるぞ。それがわかってて、クリスティーナは他の城を捨て、戦力を一点に集中させてんだ」
 指揮官たちが暗い顔を見合わせる中、アルフォンスだけがこちらを見ていた。
「今リッシュモン殿が話されたことは、最悪の想定ですよね。おそらく・・・野戦でアングルランド軍に痛撃を与える、策があると見ました」
「へえ、どうしてそう思う?」
「私に隠し事をしている時の顔が、なんとなくわかるようになってきたからですよ。元帥の私にも内緒なんて、水臭いじゃないですか」
「けっ、食えない男だな。お前が敵じゃなくて、良かったよ。これは明日話そうと思ってたことだが、取って置きの策なら・・・」
 一同がこちらを熱心に見つめる中、リッシュモンはおどけた顔で応じた。
「ああ、あるよ」
 卓越しに顔を近づけてくるジョアシャンを押し戻し、リッシュモンは続けた。
「いや、まだ仕込み段階でね。ただ、感触は悪くない。明日の軍議の時にアルフォンスに許可を取り、正式に書簡をしたためるつもりだった」
 少しだけ、場の空気が緩む。実際これを避けたくて、直前まで伏せておきたかった話でもある。兵糧不足は、喫緊の課題である。
「先に言っとくが、あたしの策が嵌れば、さらに兵糧は足りなくなる。軍資金もな。さっきあたしが言ってた、最低三ヶ月の攻城戦は、これを前提とするなら、絶対に一ヶ月以内に済ませなきゃならない。もったいぶって悪いが、詳細はホント、明日にしてくれ。ベラックじゃ結果としてあたしの策は嵌ったが、ザザとポーリーヌに無駄足踏ませちまったせいで、策の発動以前に負けることもありえた。リチャードの介入っていうおまけもあったしな。だからあたしは、この策が上手く行かなかったことを前提に、基本的な作戦を立てたい。上手く行きゃ、敵は城に籠ったとこで、一ヶ月保たないと予想してる。そしてあたしの策は、兵糧不足を解決するものでは全くない。どっちにしても、何をするにもまず兵糧が必要だ。ザザ、現状の物資で、トゥールを包囲できる期間は?」
「十二、三万で包囲して、半月といったところでしょう」
「だよな。策以前に、戦を決行できるかの問題になっちまってる。食いもんは、とにかく何とか知恵を絞って集めなくちゃいけない。ここに、一発逆転の妙手はない。当面一週間分、二週間分って、積み上げていくだけでもいいんだ。いっぺんに食っちまうわけじゃないからな」
 そこで、伝令の兵が広間へと入ってきた。ザザに耳打ちし、彼女はわずかに目を見開いた。
「ユイル商会のシュザンヌ殿が、リッシュモン殿に会いたいと言ってきています」
「へ? あの有名な”銀車輪”か? なんであたしに?」
「さあ。ただこの町の有力者を介しての話です。軍議中に通していい話ではないはずですが」
 軍議の場に使者を通すとは、そいつは相当の実力者なのだろう。ただそいつがいくらこの町で幅を利かせようが、パンゲアにその名を轟かせるかの大商人シュザンヌとは、格が違い過ぎる。シュザンヌがその実力者に働きかけたのなら、そいつもこんな非常識な伝言を断りきれなかったのだろう。
「明日の朝、ポワティエ南門付近で、待つとのことです。まるで事情が飲み込めません。これが、リッシュモン殿の策ですか」
「いや、全く関係ない。ただ、ハンザ同盟の盟主の一人で、パリシの大商人だ。物資調達の助けに・・・なってくれないか」
「ハンザ同盟、特にかの”銀車輪”は、戦に介入することはないとか」
「ダメ元で、頼んでみるわ。情報だけでもいい。向こうにどんな用事があるか知らないが、交渉はしてみる。足元見られなきゃいいが」
 実地での作戦に関してはリッシュモンの策と合わせ、明日の軍議で話し合うことを確認し、散会となった。
 翌朝、リッシュモンの到着を待つ為、南門を出た。具足姿で兵も率いているが、彼らは街道から大きく外れた原野で調練させる。到着が遅いようなら、そちらでしばらく調練に参加してもいい。待たされるのは、あまり得意ではなかった。朝の何時かまでの、指定はない。戦の最中の指揮官に、時間を潰させるのだ。それなりの礼は期待したい。
 リッシュモンは門兵の詰所を借りて、しばらく茶を飲んだり紫煙を燻らせつつ、原野でぶつかり合いを繰り返す、自軍の兵を眺めていた。城塔の窓は小さく、切り取られた光景がどこか遠い世界の出来事にも感じる。三時課(午前九時)の鐘の音が、町の方から聞こえてきた。
 やがて、なだらかな丘の稜線に、二つの騎影が浮かび上がった。旅人にしては、こちらへ向かう速度が速い。先頭の馬の乗り方も中々手慣れたものだが、後方の一騎はすぐにそれとわかる名騎手である。遠眼鏡を通して見ると、二人とも女だということがわかった。
「あの二人かもな。すまん、食器片付けといてくれ」
 詰所を出て、リッシュモンは少し街道を歩いた。荷馬車が一台、護衛の兵を連れ、おそらく周辺からなんとかかき集めた食料を乗せ、城へと急いでいる。街道から少し離れた木立の近くににちょうどいい岩を見つけ、リッシュモンはそこに腰掛けた。あの二騎も、こちらへ駆けてくる。
「その風貌、あなたが”鋸歯の”リッシュモンで、間違いないわね」
 風に踊る銀髪に水色の瞳を持つ女が、馬上から言った。
「”銀車輪”かい? 人を待たせる時は、時間くらい指定するもんだぜ?」
「悪かったわね。あなたに贈る物の、準備をしていたのよ」
「へえ。そっちの気も知らず、悪いことを言ったかな」
「いえ。呼び出しに応じてくれて、感謝するわ」
 下馬した女が、手を差し出す。不機嫌そうに見えるが、単に普段からこんな顔をしている娘なのだろう。
「あらためて、シュザンヌ・ユイルよ。こちらは、用心棒のエンマ」
「よろしく。噂に聞くアッシェンの常勝将軍とやらに会えて、光栄だよ」
 もう一人の、背の高い女。握った手は、身長に比べても、さらに大きい。対照的に、眼鏡の似合う知的な顔立ちでもある。
「ちょっと、見ないような強さだな。あたしも、護衛を連れてくるんだって、後悔した。聞かない名だが、誰か名のある人間の親族だったりする?」
「母は、”掴みの”ニコール。セシリアファミリーの一人だと言えば、わかるかな。私も、その二つ名を継いでいる」
「ああ、あの。娘がいたんだっけか。ぱっと見ただけで、とんでもない怪力だとわかる。そこ抜きにしても、桁違いの強さだな。お袋みたいに、冒険者を?」
「いや、この人に付いてた方が、面白そうでね」
「なるほど。で、シュザンヌ、用件を聞こうか。今のあたしにゃあんたのような大商人が必要だが、あんたがあたしを指定して会いに来た理由は、さっぱりだ。売り込む相手は、元帥のアルフォンスか、城主のザザのはずだしな」
「ジャクリーヌのことを、聞きに来た。”美手”の。あなたの外見、言動、ジャクリーヌによく似ているって話だけど」
「え、ジャッキー姐のために、わざわざ? あんたの拠点は、パリシだろ?」
「この南部にも、ユイル商会の傘下や、繋がりのある商会は多いわ。大体近場だけで物を行き来させても、大きな商売にはならないでしょう?」
「言われてみりゃ、そうだ。運ぶ距離が長い程、相手にとっちゃ価値のある商品になるわけだしな。あんたの、剣も握ったことのないような外見から、事務所に籠ってるばかりのお嬢さんかと思った。そういや、馬には乗り馴れてる感じだったな」
「実地を訪れるのは久し振りだけど、ここも私の流通網の一本よ」
 エンマが馬の鞍袋から、折りたたみの椅子や飲み物、軽食の類を出してくる。軍で使う物より小さいが、携帯用の薪ストーブまである。用意の良さから、シュザンヌは気まぐれな主で、エンマもそれに振り回されている、いや振り回され慣れているといった様子だ。そもそもリッシュモンにしても、見知らぬ人間にこんな場所に呼び出されて、話をする機会なんてない。
「シルヴィー・ユイルのことは、知っている?」
「あんたを見て、思い出した。ジャッキー姐が、命を狙ったことのある娘だな。”掌砲”セシリアと、やりあった時の」
「他人行儀な言い方ね。セシリアとは、以前に何度も会っていると聞いたけど?」
「そういうことも、調べ済みかい。で、ジャッキー姐の代わりに、あたしに復讐しに来たってか」
「まさか。あなたはジャクリーヌに憧れていた、けれど赤の他人でしょう? それでも私は、シルヴィーお姉ちゃんが最後にどんな旅をしたのかを、知るための旅をしてきた」
「なら、生憎だな。あたしもその旅の話は、断片的に聞いただけだ。今思えば話しづらそうにしてたのに、大陸五強とやり合ったって聞いて、それと一番大切な人を失ったって知って、ごちゃごちゃと訊き散らかしただけだよ。子供ながらに、ジャッキー姐の心の傷を、なんとか癒してやりたいとも思ってた。話して、楽になることもあるからな。シルヴィーのことも、あんたとユイル商会が有名になった時に、あの時の娘の親類だったんだなって、奇妙な繋がりを感じた程度だ」
「子供の時に聞いた話で、今の私と話を繋げられる人間は、そういない。記憶力がいいのか、単に頭がいいのか」
「結構、忘れっぽい。ただジャッキー姐から聞いた話は、あたしがあたしでいる為の礎になっている。忘れかけても、不意に鮮明な記憶となって甦ってくることがあるよ」
 手渡された金属製の水筒の、茶はまだ温かい。おまけにいつ以来かという程の、高級茶葉だ。次いで差し出された、焼き菓子もつまんだ。
「ジャッキー姐のことなら、わかる。シルヴィーのことなら、他を当たりな」
「もう、当たるところには、当たった。気軽に話を聞ける相手は、あなたが最後よ」
「けっ、気軽とは言ってくれるな。他は、誰に?」
「シルヴィーお姉ちゃんのメイドだった、アンナ。あの旅を共にし、後にジャクリーヌと結婚した、ユストゥス。それと、セシリアね」
「なるほど、その面子と並べられちゃ、あたしが気軽にってのも頷ける。そういや、デルフィーヌは元気か? しばらく、あの娘とは会えてねえ。もう、大きくなってるんだろうな」
「元気よ。でもその生まれ持った赤髪を除いては、あなたの方がジャクリーヌに似てる、いえ、話し方や考え方は、ジャクリーヌそのものだって聞いてきた」
「デルフィーヌに、ジャッキー姐の記憶は、ほとんどない。母親代わりは無理にしても、どんな人だったかはあたしを通して見せてやりたいし、語って聞かせることもしてきた。だな、あいつは外見は結構ジャッキー姐の血を引いてるってわかるんだが、あの水色の瞳や、表情、考え方なんかは、親父のユストゥスの血が濃いんだよな。まあ、ずっと親子二人でいるってのが、大きいんだろうが。不思議とデルフィーヌを見ていても、あまりジャッキー姐のことは思い出さない。本当にジャッキー姐とユストゥスの間の子、二人の半々なんだなって感じる。って、あたしに聞きたいのは、こんな話じゃないだろう?」
 思えば、シュザンヌの瞳も、ユストゥス、デルフィーヌと同じような水色である。血は繋がっていないが、ジャクリーヌがセブリーヌという大切な人の命を救う為に、シルヴィーの心臓を狙ったというのは、こういう体質であったことが要因なのだと、この女の瞳を見ていて頷ける。確か、体内に魔力を取り込みやすい体質とか言っていたか。セブリーヌはその病に冒されており、ジルヴィーの心臓が必要だったと聞いている。
「いえ、そんな話でいいのよ。私は今、あなたからジャクリーヌという人間を感じてる」
 どう返していいかわからず、こいつはいつもこんな調子なのかと、立ち上がって遠くを見ている、エンマの方を見た。エンマは赤い眼鏡の縁を直しながら、葉巻を咥えて、調練中の兵たちを眺めているだけだ。改めてその立ち姿に目をやると、身長は180cm弱か。鍛えた身体から感じるそれもあるが、発せられる気が半端じゃない。こちらの話に興味がないのか、その振りをして聞き耳を立てているのか。ただなんとなく、二人の関係性が伝わる気がした。
「エンマ、お前今、いくつだ?」
「え、私? 十六歳だけど」
「へえ、マジか。二十代半ばだと思った。けどそれだと、ニコールの娘として不自然か。それによく見りゃ、肌が若い。羨ましいねえ」
 照れているのか、エンマは淡い金髪の頭を掻いた。はにかむ表情は確かに、十代の娘のそれだ。
「血がどうこうって話じゃ、私は母のニコールと、そっくりなんだよ。肖像画と、ゴルゴナの魔法技師が撮った写真ってのが残ってて、それを見た時、私は私であることが理解できた」
「地味に、哲学的な言い回しで締めたな。眼鏡は、伊達だろ」
「母さんの、形見。レンズはただのガラスにしてある。目は、むしろいい方なんでね。母さんも、怪我で悪くしただけで、元々は良かったらしい」
 リッシュモンに血の繋がりはないが、ここにいる三人は”新世界秩序”と戦った、あるいは当時多くの英雄譚を紡いだ冒険者たちの、いわば”滂沱の時代”の第二世代と言えるのかもしれなかった。前の世代からエンマは血を、リッシュモンは魂を受け継いだ。シュザンヌは、何を受け継いだのか。ユイル商会、というのは浅い見方だろう。普段はあまり意識しないそれを、ひょっとしたら彼女だけが今でも追い求めているのかもしれなかった。そうでなかったら、ジャクリーヌの話を聞くだけに、わざわざこんな遠い所にやってくるはずがない。
「あなたとジャクリーヌを知る者は皆、あなたが彼女とそっくりだと言う。逆にあなたから見て、彼女と似てない部分って、ある?」
「外見で言えば、まず歯並びはこんなに悪くなかったな。まあ、これに似てる奴なんていないだろうか。目の色と、目元。瞳は同じ紫だが、あたしの青味がかったそれと違い、赤味がかってたな。それと垂れ目のあたしと違って」
 リッシュモンは、目尻を指先で押し上げた。
「吊り目って程じゃあないが、多少キツい目元をしてた。眼光鋭いっていうのかな、元からそんな目つきだったよ」
「中身の方は?」
「あたしは多感な時期に彼女に憧れて、こんな性格になった。今じゃ真似してるって自覚もないし、そうなっちまったとしか。ただジャッキー姐は、誰に憧れるでもなく、ジャッキー姐だった。そこの違いはあるだろうな。義手、義足は彼女の後天的なもんだが、大元の性格を変える程でもなかったんじゃないかな。冒険者を始める前は身売りみたいな感じで修道院の小間使いをやらされてて、その時はひどく虐げられていたとか言ってたかな。彼女に後天的な強さがあるとすりゃあ、その時に身に着けたのかもな。あの忍耐強さだけは、真似ができない。あたしは、結構せっかちでね」
「あなたたちは、戦士でもある。戦い方の違いは?」
「そりゃ当然。ジャッキー姐の義手は、魔法銃に取り替えられたんだぜ? ただ普段の、人の腕を模した義手でも、射撃の名手だったな。狙撃はもちろん、走り撃ちが得意だった。あれはそうそうない才能だな。あたしの飛び道具は、主に飛刀だ。ただ今話してて気づいたんだが、これもあたしの才能か。飛刀ってのは実は難しいもんだって、他の連中を見てて気がついた。あたしは、これを」
 懐から一本、飛刀を取り出した。
「エンマ、あたしの後ろ二十mのとこに、木が三本あるだろ。どこか的を指定してくれ」
「んー、じゃあ一番右の木、頭の高さくらいで幹が二つに分かれたところに、親指くらいの窪みがある」
「わかった」
 振り返らず、肩越しにリッシュモンは飛刀を放った。エンマが、口笛を吹く。
「すごいね。奇術師だ」
「それ、褒めてる? ん、ちゃんと当たってるな。まあこんな感じで、当てたい時に、当てたい場所に当てられる。飛刀はそれ自体回転するからな、当てるとこまでは訓練次第で誰でもできても、あんな感じでちょうど刺さる角度と回転数を計れる奴は、そういない。かくいうあたしも、計っちゃいない。感覚だな。この感覚は生まれつきで、ジャッキー姐と血の繋がりのないあたしにしちゃあ、偶然の共通項ってとこか。飛び道具の才能って意味でな。銃の走り撃ちに、近いもんだと思ってる」
「あなたたちみたいな武術の達人の凄さは、私にとってそれがどれ程のものか、漠然としかわからない。その感覚があることに、どうして気づいたの?」
「ジャッキー姐に武器の扱いを色々教わってる時に、飛刀はモノになりそうだって言われた。手首に、独特の感覚があるそうだ。あたしが戦場で、鋸状の刃を使ってることは知ってるかい? この歯並びの悪さと掛けた遊びみたいなもんだったが、あれが思いの外、手に馴染んだ。普通の奴はあんなもんで敵の剣や鎧を斬ったら、まず手首がいかれちまう。手首の頑丈さとは、少し違う。柔軟性に近いかもしれないが、ともかく怪我をしないよう、自然と角度がわかるんだろうな。武術で名を上げられる奴は大抵どっかしら、他人に説明しづらい、常人とは違う感覚を持ってる。そこのエンマは母親譲りってんなら、握力だな。指と、前腕の力。あたしは手首で、ジャッキー姐は目だった」
 シュザンヌも、人とは違う感覚を持っているだろう。商売の世界では、大陸五強と言ってもいい異能の持ち主だ。
「あんたが聞きたいのは、こんな話か? 大して面白くもなかったろうが、あの冒険の話は重ねて、あたしの聞き方がまずかったせいで、ひどく断片的なものなんだ」
「いいのよ。さっき言ったでしょう? あなたを通じて、ジャクリーヌと会いに来た。そしてあなたは、パズルの最後の1ピースだったのよ。どんな人がシルヴィーお姉ちゃんを追っていたのか、どうしても知りたかった。敵だったセシリア、夫だったユストゥスとは、また違った景色を見られた」
 言って、ほんの少しシュザンヌは目元を綻ばせた。
「景色っていやあ、シルヴィーはあの旅の目的として、母親の残した絵の、青い空と海を見たいって話だったよな。ジャッキー姐は、シルヴィーを取り逃がした。彼女は、それを見れたのかい?」
「岬には、辿り着いたそうよ。吸血鬼のテレーゼに背負われて。海も空も、こんなにも青いのかと、それがお姉ちゃんの最後の言葉だったそう」
「へえ。悲しい話だが、最後にそれが見れて、良かったのかな」
「お姉ちゃんが岬に着いた時、日はもう沈みかけてたんだけどね」
 状況を察し、リッシュモンは強く目頭を押さえた。こみ上げてくるものを煙草を咥えてごまかし、紫煙と共に吐き出した。
「お姉ちゃんの最後の足跡を追う私の長い旅も、これで終わりね。ようやく、私自身の一歩が踏み出せるような気がする」
「最後って、それがあたしのこんな話でいいのかい?」
「むしろ、良かった。それをあなたが、わかる必要はない」
「嫌な言い方をする奴だな。エンマ、こいつはいつもこう?」
「だね。素直じゃないんだ。けど、御礼をするときは素直なもんだよ」
「じゃ、礼は小麦一袋でいいよ。どっかから融通してくれ。こちとら城攻めを前に、麦ひと掴みでも欲しいところなんだ」
「兵糧不足は、知ってる。あなたが飛刀を上手く扱い、その策で戦場を負け知らずで生き抜いてきたように、私は帳簿で世界を見てるのよ。その土地の商会の一週間の帳簿を見れば、どこが何を欲しているのか、わかる」
「さすが、その指先で世界の経済の半分を回すって言われる、流通の女王だ。同時に、あんたが戦に関与しないって話も、よく知ってる。そこをなんとかってわけにも、いかないかね」
「ええ、いかないわね。だからこれは、あくまで私からあなた個人への御礼。ついてらっしゃいな」
 歩き出したシュザンヌの波打つ銀髪を追いかけ、リッシュモンも立ち上がった。
「なあエンマ、あいつ何をくれるんだ? あの丘を越えると荷馬車十台に、小麦の袋がぎっしり詰まってたりする、サプライズ?」
「みたいなもんだね。かわいいところ、あるんだよ。リッシュモン、あなたをこの時間のこの場所に来てもらったのにも、訳がある。城の方には、もう知らせが行ってるかもしれないね。早馬が二騎、さっき城の方へ向かっていった」
「聞こえてるわよ、エンマ。余計なことは言わないで頂戴」
 丘を上り切ったところで、リッシュモンは眼下の光景に目を剥いた。
「ちょ、ちょっと待て。何だこりゃあ。一体、どこまで・・・」
 小麦の袋だろう。それを満載した荷馬車が、街道を長蛇の列で埋め尽くしている。この車列がどこまで続いているのか、いくつもの丘を越え、およそ地平線までそれは途切れていなかった。全ての馬車が、ここポワティエを目指している。
「トゥール包囲軍十三万の、一ヶ月分の兵糧にはなると思う」
「お、おいおい。つまんねえ話ひとつ聞かせた礼にしちゃあ、桁が外れてるぞ」
「あなたに上げるのは、荷車一台分ね。後は、ポワティエの倉に収める。その許可は、今頃使者がザザ伯爵に伝えているところよ」
「あんたは、戦に関わらないって話じゃあ・・・」
「関わらない。ただ、戦の、それもキザイアとかいう将軍が、近隣の物資をトゥールに集めてしまったせいで、小麦が高騰の気配を見せている。私はパリシ攻防戦でも、物価高騰を抑える動きをしたわ。あの時はアングルランドの検問があって、自己満足以上の成果は得られなかったけど」
 一体どこから、そしていつからこんなに大量の小麦を仕入れていたのか。兵糧不足はリッシュモンでも、キザイアが城を捨てる際にようやく気づいたことだ。近隣で一気に買い集めたら、それはすぐに値に出る。昨晩話し合った通り、少し足を伸ばした場所では、小麦の値段は大して変わっていないのだ。とすると、これだけの物資を短期間で、それも物価も変えずにかき集めてきたシュザンヌの手腕は、リッシュモンの理解を超えていた。
「魔法じみてるな、あんたのこれは。どこから手に入れたんだ。タネも、仕掛けもあるのかい?」
「キザイアが城を出る際、倉を空にするという話が町の商人の話題になり、買い占めが始まった。小麦の高騰は、すぐに予想できる。ただ、希少なものを買い集めようとするのは、商人としての当たり前の習性だし、時に美徳でもある。けど、人が日々必要とするものの値を不当に吊り上げるのは、私の美徳が許さない。すぐに離れた場所、それも収穫量が多い場所を調べさせ、余剰分は全て買い取り、こちらに流すよう手配したわ」
 そこでシュザンヌは、ふんと鼻を鳴らしてこちらを振り返った。
「”白い手の”アルフォンス、”鋸歯の”リッシュモン。アッシェンが誇る二大知将といっても、こういうことには素人なのね。ラステレーヌより東は、小麦が暴落するくらいに余ってるわよ。あの一戦であなたたちがブルゴーニュ公領近くまで後退すると見た近隣の商人が、先物取り引きしてたのよね。自分たちの支配領域の値の動きくらい、きちんと把握しておきなさいな」
「う、じゃあこれも、ラステレーヌの東から?」
「それは、あなたたちでもできるでしょう。ここよりずっと南、辺境伯領からあなたが城を取り返して回ってた辺りまで、食料の値が落ちてるところを隈無く回らせて、かき集めた。これは、素人ではできないからね。東の麦は素人のあなたたちでも、楽に買い取れるでしょうし」
「素人素人って、うるせえな。が、これはマジで助かる。大助かりだ」
「言ったでしょう? 私の仕事は必要品の値を正常に戻し、少なくとも私の流通網が及ぶ範囲の人々が、商人の手で生活に困るような事態を避けることよ」
「いや、あんたのそういうとこは、わかった。けどこの規模は、大商会の力があったとしても、圧巻だ。それなりに、苦労もしたろうしよ」
「あなた、あの飛刀を当てるのに苦労した?」
 先程の木を指差し、シュザンヌは言う。
「してないね。あたしにとっちゃ、当たり前のことだ」
「なら、私にとっても当たり前のこと。あなたたちが日々剣の稽古をしているように私は帳簿の頁をめくり、駆けるようにして人を走らせる。いくつかの指示を出して、市場でだぶついた食料は全て、ポワティエに回せ、そう命じただけよ。私がここに辿り着く前にってね。ああ、心配しなくても安く卸させてもらうわよ。経費を込みでも、安く卸す。食料品の値を馴らすのは、私たちが今後ここで健全な商売をする為の、必要経費みたいなものだから、収支は多少赤字でもいい。私自身の見返りとして、あなた個人にはあの中の一台分をあげる。満足でしょう?」
「あ、ああ、わかった。なるほど、こいつに付いてると面白いって、エンマの言葉も頷ける。エンマ、シュザンヌってやっぱ、いつもこんな感じ?」
「気まぐれだけど、まあ見ての通り。これでもさ、北からこっち向かう道中、面識もないあんたを呼び出して、忙しい中話を聞くのに、どんな贈り物だったら喜ぶかって、真剣に悩んでた。そこで、ポワティエの現状を聞いてね。これだったらって。ね、かわいいとこあるでしょ? しかもやることが、でかい。見ててクセになるんだ、これが」
 聞いて、シュザンヌはエンマの向こう脛を、思い切り蹴り上げた。
「おいおい、戦以外で、暴力は感心しねえなあ」
「ごめんごめん。避けても良かったんだけどさ。用心棒失格だね」
 笑って応えたのは、エンマである。蹴ったはずのシュザンヌは爪先を押さえて、うずくまっている。
「リッシュモン、あなたにとっちゃ、不意の来訪の小話だろうけど、こっちとしちゃパリシ解放前から、デルニエールまで横断した一年がかりの旅の、終着点なんだ。フィナーレくらい派手に飾りたいっていう、こっちの自己満足だと思ってくれていい。それとあくまで、ここらの窮状が重なったってだけのこと」
「わかった。にしても、圧巻だな。地の果てまで荷馬車の列が続く、この光景は。一足早い、クリスマスプレゼントってとこだ」
「喜んでもらえて、私もよかった。ま、ここから先はあんたらが勝とうが負けようが、関係ない。ただこうした出会ったリッシュモン将軍の武運は、祈っておくよ。じゃ、私らはこれで。城に寄ったら、退散するよ。ユイル商会、今後ともご贔屓に」
 言うと、エンマはうずくまったままのシュザンヌをひょいと抱き上げ、馬の方へ戻っていった。帰り際、事態が飲み込めないザザに、先程と同じような話をしていくのだろう。
 先頭の荷馬車が、緩やかな丘を上り切る。具足姿で将校の一人と判断したのか、御者台の男が軽く帽子の鍔に手をやり、会釈を寄越す。それに手を上げて応えながら、リッシュモンは紙巻き煙草に火を着けた。
 武の道を極めた奴は、何人も見てきた。怪物だな、と今でも思う。用心棒エンマもまた、そうした怪物の一人だった。
「商売の世界にもいるんだな、そういう化け物は」
 独り言でこの世界の認識を改め、リッシュモンは紫煙を風に飛ばした。

 

 

 

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