pbwtop24

プリンセスブライト・ウォーロード 第24話

「あたしらにも、帰れる家があるんだな」

 

1,「お前の間合いに首を差し出してやってるんだよ、ジュニア」
 

 結局、同盟締結の会談に三日を要した。
 それから、さらに三日。二剣の地を西へ向かって駆け、ジルは今、サンカンタン城の包囲軍と合流することになった。森や木立の点在する地域だが、城の周囲は開けている。
 レーモン、ヴィクトールを伴い、包囲軍の東に置かれた本陣の幕舎へと入る。地図を広げた卓の前では、老ゲオルクとアーラインが、将校たちに指示を飛ばしている最中だった。ジルたちの姿を認めると、諸侯たちから一様に歓迎の声が上がった。
「遅かったのう。わしらだけで既に、城下を落としてしまったぞい」
「すまん。それと、助かる。戦況は?」
「落城交渉に応じず、見ての通りじゃな。城は、完全に包囲している。兵力は、包囲前でこちらが六千。城に籠っとる連中は千」
 地図の上に置かれた兵を模した駒の一つ当たりが、兵百人といったところか。城にいる十体の駒の周りを、何重もの駒の列が、しっかり囲んでいる。
 この城の奪取が、レヌブランの第二戦である。戦略的にはさらに西のピカルディを目標としているが、まずは守りの堅いこのサンカンタンを落とし、その橋頭堡とする狙いである。
「それと、これが辞令じゃ」
 ゲオルクから渡された辞令によると、ジルを大将、レーモンとヴィクトールを中将、ゲオルクとアーラインが少将、以下、各諸侯及び将校の名が連なっていた。
「そういえば、ハーマンとモイラは、どうしてる。ここでは、少尉となっているが」
「東門の現場で指揮させとる。いずれは、おぬしの副官候補じゃろう? 攻城戦とはいえ、実戦指揮は多い方がいい」
「それも、助かる。にしても、軍の序列はアッシェン式か」
 平時から指揮官の階級が決まっていたアングルランドと違い、アッシェンは戦線が構築される度に、その序列を決めていく。常備軍が実質存在せず、召集を掛けてみなければ実際に各諸侯がどれだけの兵を集められるかが不透明なために仕方がないが、アングルランド式に慣れた身としては、多少寄る辺ない感じがしないでもない。編成が為されるまで自分が軍でどの地位にいるかわからないわけだが、これはこれで、アッシェン人で構成されるレヌブランとしては、仕方ないとも言える。
「慣れんか。慣れろ」
「だな。総督府の書類で馴染んでいたというだけで、そもそも私に軍人としての経験は少ない。ともあれここからは、私が指揮を執るわけか。レーモンとヴィクトールが同格だ。レーモンを私の副官として傍に置き、現場指揮をヴィクトールに任せたい。両名、どうだ」
「仰せの通りに」
「俺も、了解です。ええと、ちょっと細かい編成見せてもらいますかね。攻城塔も使えないようなアヴァランの山間の砦ばかり相手にしてきたせいで、平地の攻城戦は俺も初めてです。勝手のわからないことも多い。まあ、いい練習になるでしょう」
 ヴィクトールが大きな手を卓につき、地図と横の報告書に目をやる。諸侯の視線はジルよりも、彼の方に向いていた。ここにいるおそらく全員が、バルタザールの跡取りはこの男と見ている。それだけにジルは、この戦から彼が指揮を執るものと考えていたが、中央ではもう少し、この男の血筋を隠しておきたいようだ。
 あるいは、アングルランドの王女の一人であるジルが、そのアングルランドに叛旗を翻したことの意味を、しばし利用したいという面もあるかもしれない。ジルにしては長く暮らしたレヌブランに、そのまますんなりと受け入れた為に意識してこなかったが、リチャード王の娘が、そして大陸五強の一人がアングルランドを裏切ったことの衝撃は、あちらでは思ったよりも大きいのかもしれない。
 ジルの頭には今も、アングルランド主流派ではないことの象徴、青薔薇の髪飾りがついている。母が死に、宮廷に招かれた時に着けたもので、いずれは主流の赤薔薇になる予定だったが、その前に旅に出て、今もそのままである。総督府に着任する際に赤薔薇を薦められたが、しばらくしたら旅に戻るつもりだったこと、そして何より父リチャードに対する反発心で、同じものを着け続けていた。今ではこの青薔薇は、どこか反骨の証のようで、今更ながらに気に入っている。何年これを頭に乗せていたのかという話にもなるが。
「そういえば、アッシェンとの交渉はどうなった。レヌブラントには、早馬を飛ばしてあるんだよな」
 携行用の薪ストーブの前で茶を淹れていたアーラインが、三人分のカップを手に、こちらにやってくる。充分に広い幕舎だが、ケンタウロスの彼女がいると、天井を低く感じた。
「ああ、その辺りは問題ない。アッシェンとの同盟は、アヴァラン返還後の年明けから、三年となった」
「少し、短い気がするな。アンリ王の失地回復の悲願が、邪魔をしたかな」
「そんなところだ。それとアッシェンの助言役として、アナスタシアが同席していてな。出鼻を挫かれた。知恵の回る御仁だと思ったよ」
「そうか。が、してやられた割には、嬉しそうな顔をしている。彼女と、話せる時間があったか。そしてお前は、アナスタシアを気に入ったと見える」
「アーラインには、何でもお見通しだな。彼女と会えて、よかった。もっと長く、話せたらとも思った。冒険者時代に、スラヴァルに行ってるんだ。その時に遠目だが、一度彼女を見ている。目鼻立ちまではよくわからなかったが、距離があっても尋常ではない女と、すぐにわかったものだよ。その時にでも近づいて、話しかければよかったかもな」
「そこで意気投合していたら、お前は今頃、霹靂団にいたかもしれないぞ」
「ハハ、そんな未来もあったかもしれない。ただ当時の私は、一つ所に停まろうとは思ってなかったし、そもそも彼女と交流を持ちたいとも考えてなかったからな。話し掛ければ良かったとは、今にして思うことだ。なるべくしてなった、今なのだろう」
 熱い茶に口をつけ、あらためて地図と向き直る。ヴィクトールは各指揮官から、それぞれの担当場所の、細かい話を聞いていた。
「そういえば守兵千は、こちらも半ば不意打ちだった割には、少し多い気がするな。さりとてこの地の潜在兵力からすれば、充分に少ないわけだが」
 ジルが言うと、ゲオルクが応える。
「わしらがアヴァランを落としたように、兵を潜行できたわけじゃない。この軍はわしが合流するまで、堂々と街道を南下してきたのじゃ。サンカンタンには四、五日程、周囲から兵をかき集める余裕があった。宣戦布告は開戦直前じゃが、どんな阿呆にも侵攻の意図は明白だったろうて」
「なるほど。そう考えると、守兵千は妥当か。他の地域から、援軍は?」
 太鼓と地鳴りのような音が、天幕越しに聞こえてくる。いくつかの、波のように重なる歓声。城攻めに、少し大きな動きがあったのかもしれない」
「先週からサンカンタン男爵の次男坊が、領内で兵を募っておるという話じゃ。早ければ今日中にも、城の救援にくるぞい」
「そこは、備えておかなくてはな。レグル修道院から、供回りの五百騎を連れてきている。歩兵は、包囲軍から千五百程を出せるか?」
「それなら、北門を攻めあぐねている連中を中心に編成するのがいいでしょう。そこから千、残る三方から百六十強」
 卓から顔を上げ、ヴィクトールが応えた。地図上の駒では、四方は同一の兵力で編成されている。
「この地図で見た限りじゃ、さほど難所に見えないんですがね、今聞いた話じゃ勾配がきつく、攻城塔が取り付くには、それなりの犠牲を覚悟せにゃならんみたいで。おまけに、城外の家屋も多いときた。全部ぶっ壊せば、その後の住民の態度は硬化するでしょうし」
「サンカンタン男爵を、決して逃してはいけない戦でもないよな。逃げてくれるなら、これ以上の犠牲なく城を手に入れられる。なら北門は半ば放棄して、敵の援軍に備えよう」
「救援到着時に、中から出てくる、そして挟撃の可能性もありますが」
「それを、誘いたい。可能ならそちらを叩き、救援を城外で孤立させたいのだが。レーモン、どう思う?」
 しかめ面が基本のレーモンだが、最近は一緒にいる時間が長いせいか、この男の笑う顔を見る機会も多い。苦笑しながら、副官は言った。
「これは思ったより早く、ジル殿は指揮官として独り立ちしそうですな。私も、その作戦でよろしいかと」
「中から出てきた部隊を叩くのに手こずると、包囲軍に犠牲が出るかもしれない。ただ先程見た限り、包囲の後衛は出番待ちで、敵増援の襲撃に、ある程度備えられると感じた。ここまで言って何だが、城から部隊が出てくる可能性は、正直少ないと思う。ならばそれはそれで、援軍を迎撃すればいい。ただ実地での指揮は少なく、初めての攻城戦でもある。こんなやり方でいいのかと、まだ自信は持てないのだ。このように口数が増えているのが、不安である証左だな」
「それらは、今回覚えていけばいいことです。何よりその作戦で良いと、ここに集まっている面々は認めているようですぞ」
 気づくと、先程までヴィクトールに注がれていた視線は全て、ジルを見つめている。総大将が話し始めたので当然とも言えるが、どの瞳もジルに何かを期待するように輝いていた。あらためて見回すと、バルタザールの戴冠式では見かけなかった面々が多いが、彼らもジルを総大将として、認めてくれているのだろうか。
「おぬしはどんなことでも面倒くさく頭を捻らせて、自分なりの答えを導き出す。だから総督なんて役人の中でも特に難しいことを、経験もないくせにソツなくこなせたんじゃろうよ。軍人として指揮官として、戦についてはこれまでも色々と考え込んできたのだろう?」
 既に卓から離れて茶を啜っていたゲオルクが、腰を擦りながら言った。
「それはまあ、考えはするさ。責任があるからな」
「考え込む対象が、自分というちっぽけな器から、大勢の人を動かす大きな器となった。元々、向いておるんじゃろうて。地位や権力に驕らず、相手の理解を得て人を動かすのが」
「そうなのかな。ずっと、自分本位で生きてきた。だから余計に、人一人でも命を預かると、責任を重く感じるのだ。全権大使の時に初めて部下という存在を持ち、総督として多くの人間の生活を預かった。そして戦は全てを兼ね、言葉一つであっという間に大勢の人間が死ぬ。ここのところこれまでになかった程に、どうすればいいかということは考え込んでしまうよ」
「そういうのを、責任感があるというんじゃ。さ、話は終わりだ、皆の衆。迎撃軍を編成はこちらに任せて、現場に戻ってもらうぞい」
 ぱんと手を叩いて、ゲオルク自身も立ち上がった。その号令を下すのは自分の役割だったかもしれないとジルは思ったが、総大将は大まかな方針だけ伝えて、後はそれぞれの判断で動いた方が良いのかもしれない。目標の共有を行うのがこうした軍議であり、それは今、この場で為されたといっていい。
 外に出ると、雪がちらついていた。手の甲で受けるとすぐに溶けてしまう粉雪だが、一晩振れば大地がぬかるみ、攻囲に支障が出ることが懸念された。援軍を撃破することで、一気に落城と持っていきたい。
 伝令が飛び交い、迎撃軍が編成されていくのを横目に、ジルはまだ傍にいたヴィクトールに言った。隣にいるだけで寒風が和らぐような、あらためて頼りがいのある偉丈夫だ。二人ともここまで乗ってきた足の速い馬ではなく、頑丈な軍馬に鞍が乗せられるのを待っている格好だ。
「今聞くことじゃないかもしれないが、ヴィクトールはいつ王太子として擁立されるのか、決まっているのか?」
「いや、決まってませんね。俺も聞かされてないんです。年明けまでは、動きはないかもしれない。表向きは唯一の後継者である、イポリートの兄貴がパリシにいる方が、政治的な意味合いは大きいでしょうしね」
「お前は当然、ずっとあの男のことを知っていた。イポリートは、お前のことは知らない様子だった」
「兄貴には、悪いことしましたね。ま、俺の立場は今も、陛下の隠し子ですから。評判はずっと聞いていて、まあ兄貴に国を任せるのは無理だと思ってました。俺も、俺の他に陛下の血を継いだ者がいるかもしれないと、自分を鍛え続けましたがね、先日聞いた話じゃ、俺の他にはいないってことで。まあ何ていうか、気が抜ける思いと身が引き締まる思いで、心がばらばらになりそうです。いずれ、気持ちの整理はつくでしょうが」
「ただ、目標があって、努力してきた。王太子になりたかったのだろう?」
「俺個人でいうと、まあどちらでも良かったですね。けど、お袋の顔を立てたいとは思ってました。もうとっくに天国に召されちまってますが、俺を身籠ったことで、宮廷から出ることになった。田舎騎士の娘から女官になった、優秀な人だったそうで。陛下の妃は既に他界してますし、名のある貴族の娘でもなかった。俺が王太子になればお袋は、あるいは新たな妃として宮廷に戻れたはずです」
 目の前、東の攻囲軍で、鬨の声が上がった。投石機の一つが、胸壁の一部をまともに破壊したようだ。こちらから見える敵城の東部は、本丸の前に巨大な盾壁がそびえ立っているのだが、手前の城壁は攻城兵器で充分攻略できそうな雰囲気である。攻城塔が三棟、既に組み上がって出番を待っていた。
 首邑レヌブラントを出てから、アヴァランのノーデキュリー城を急襲、落城を見越して兵を出していたレヌブラン軍が、そのままアヴァランを占領するのを見届けて、二剣の地へと飛んだ。
 毎晩遅くまで続いたアッシェンとの交渉を三日で終わらせ、この地へ急行。レヌブラントを出てからここまで、ジルに休息らしいものはない。この城を落とした後は、しばし羽を休められるのだろうか。もっともそれをジルが求めているわけでもなく、多感な時期のほぼ全てが旅暮らしだったせいか、これはこれでかえって気持ちが落ち着く面もあるのだ。じっとしていると、また考え込み過ぎる癖が出てきてしまう気がする。
 交渉もまた血の流れない戦であったと考えると、速戦の、かつ連戦である。思うにバルタザールの戦略は、一つ一つの作戦が速い。アングルランドのライナスや、アッシェンのゲクランが用意周到な戦を企図することを考えると、その全てが速すぎるように見えた。が、レヌブランが実に二十年近くその野心をひた隠しにしてきたことを考慮すると、実は準備に掛けてきた時間は、途方もなく長かったのだとも思える。
 アヴァラン攻略は、ジルの発案である。が、それすらもまた、バルタザールの手札の一枚だったのかもしれない。さすがにゲクラン領を素通りして直接ノーデキュリー城を叩く、今振り返っても賭けに過ぎる作戦は頭になかったようだが、そこまでの支援、本国からの同時侵攻を考えると、アヴァランに何かしらの混乱があれば、すぐに落とせる手札が用意されていたことは明らかだ。
 ジルはアヴァランを落とすことしか考えてなかったが、これを元手にアッシェンとの同盟を結ぶなど、並の戦略家に思いつく手ではないだろう。バルタザールの戦略は、一体どこまで深いところを見ているのか。対アングルランドに、どんな手法を見せてくれるのか。早く、あの男に会いたいと思った。惚れているというのが大きいが、もっと別の部分でも、あの男に惹かれている。
 ヴィクトールが先に現場指揮へ向かい、入れ違いでレーモンが、副官らしく傍に立った。
「今日で、四日目か。私たちがレグル修道院でアッシェンの使節団と向かい合っていた頃には、もうこの戦は始まっていたんだな。見てみろ、東はもう保ちそうもない。兵が攻城塔の通れる道を作ったら、日暮れまでに東門を攻略できそうだ」
 兵たちが灌木や大きな石の類を排除し、でこぼことした大地を整地している。あの攻城塔の高さなら、対して幅のない堀を、充分に超える橋を渡せるだろう。ハーマンとモイラがその指揮をしているのが見えて、ジルは微笑した。
 そこで両手を頬にやり、ジルはレーモンに問いかけた。
「今の私は、微笑を浮かべていたか」
「横目には、そのように見えましたが」
「ちゃんと、笑えていたか」
「ええ。はっきりと見たわけではありませんが、それが何か」
 首を傾げ、レーモンは白髪混じりの顎髭に手をやった。
「レグルで、私はアナスタシアに、笑い方を褒められたのだ。だが私はいくら鏡で練習しても、そんな笑い方をついぞ見ることはなかった」
「作り笑いが、できないのでしょう。私も不得手としておりますので、いくらかわかる気がします」
「鏡の中の私は、とても見れたものじゃなかった。目と口が、まるで調和しなくてな。こんな気持ちの悪い笑い方しかできないのなら、いっそいつも鬼の面でいいと諦めていた」
「本当に笑う時は、ちょっと切ない笑い方をされますね。あの落差がいいなどとは、城仕えの者たちの話題になっていたそうで」
 肩に積もりかけた雪を払いながらも、ジルは赤面している己を自覚していた。
「そ、そうなんだな。ちゃんと笑えているのなら、それでよかった。それにしても、意地の悪い連中だ。アナスタシアに指摘されるまで、私はそんな自分も知らなかった」
「私もこうしてジル殿と長い時間を共にするまでは、与り知らぬことでして。兵たちには、よく言い聞かせておきます」
「いや、やめてくれ。意識すると、本当におかしな笑い方しかできなくなりそうだ。だがゲオルクとアーラインには一言、言っておきたいな。私のことを、長く見続けていたのだ。悩みも、それなりに打ち明けてきたのにな」
 陣の間を縫うように、斥候が駆け戻ってくるのが見える。
「西の街道、10km程の地点に、二千程の軍影あり。旗は無数にあり、まだどれが敵大将のものか判然としませんが、サンカンタンの旗を見たという者もいます」
「先の話にもあった、サンカンタンの次男坊か。旗の数が多いとは、レーモン?」
「思うように徴用兵が集まらなかったものの、騎士や家士は集められたのかもしれません。それと、小規模な傭兵隊を、多数かき集めたか」
「農閑期だ。むしろ徴用兵は集まると思っていたが。長く、戦乱に巻き込まれなかった地でもある」
「働ける者の大半は、町や領外に出稼ぎに行ってしまったのかもしれません。この地域は土地に恵まれている割に、民が貧しい。税が高いことは、事前に確認してあります」
 第二、三報が入る。どうやら大将はやはりサンカンタンの次男であること、そしてレーモンの予想通り小規模な傭兵が多いとのことだった。
「もう少しで、この城は落とせそうだ。それだけに、救援は絶好の機で駆けつけてきたな」
「迎撃部隊を出動させましょう。ゲオルク殿とアーライン殿に、任せますか」
「いや、私が行こう。私の拙い用兵で犠牲を出したくはないが、懸け合いの経験は積んでおきたい。それが将来の大きな犠牲を防ぐと、割り切りたい」
 既に騎馬五百、歩兵千五百の迎撃部隊は、ジルの背後に整列している。幕舎の中から、ゲオルクたちが出てきた。
「おう、敵援軍とな。わしらでちゃちゃっと蹴散らしてこようかのう」
「私が行く。本陣は頼んだ」
 ジルも鞍に跨がり、兵を進発させた。
 城攻めは投石機を中心に間断なく続けられており、ジルに気づいた最後尾の兵が、敬礼を寄越してくる。返礼の形のまま、ジルは兵を進めた。北門付近の兵は大半がこの部隊に取られており、点在する攻城兵器の周りに、それを守る小部隊がいるだけだ。城壁の前はなるほど、斜面に沿っての家屋が多い。
 西門へ回った。激しく城を攻めたてる味方を守る形で、ジルは兵を展開させた。
 遥か西に、敵影。遠眼鏡で覗き込むと、敵軍がかなりの勢いでこちらに駆けて来ていた。
「士気が、高そうだな」
「後方の砂塵が、遠い。傭兵でしょうか、歩兵が、置いていかれている。騎士どものこけ脅しでしょう。この城に近づいてから、急に勢いがある風を装っている」
「私でも、蹴散らせそうかな。ここを占領できれば、近郊の騎士の多くはレヌブランに恭順の意を示すだろう。その意味で、あまり無駄な血を流したくない。いっそ素通りさせて、北門から城の者たちが脱出するのを、見届けてやってもいいかなと思い始めた」
「兵力差だけでここを落としたと思わせると、次のピカルディでは徴用兵の大量動員が考えられます。あくまで敵の一手を潰し、手強い相手と思わせる。ここではそれが肝要かと。警戒心が高まれば次に動員されるのは騎士や家士が中心となり、軍費的にも徴用兵は少なくなると思われます。後のことを考えても、民はあまり殺したくはありませんな」
「わかった。あれを派手に蹴散らし、城の降伏を待とう」
 騎馬を、前衛に回した。ジルはレーモンと最前列に並び、敵の到着を待った。使者の旗が上がる気配はない。200m程か、両軍が対峙する。矢を警戒し、騎馬はいつでも左右に散れる形にしておく。
 背後の歩兵が矢避けの盾を用意しているのを目で追っていると、レーモンが声を上げた。
「大将でしょうか。一騎だけ、こちらにやってきます」
 大柄な男を乗せた馬が、両軍の彼岸、その中央へ進み出る。男は、ここまで聞こえてくる大音声で言った。
「我こそはサンカンタン男爵レーモンの息子、レーモンなり。腕に覚えのある者、我と一騎打ちで勝負せよ。それともレヌブラン軍には、腰抜けしかいないのか!」
 身の丈程の両手剣を天に突き上げ、男は大見栄を切っている。
「男爵の名がレーモンというのはさっき書類で見たが、息子もレーモン、レーモン・ジュニアとはな。どうだ、こちらのレーモンの方が強いことを、世に知らしめてやるか?」
 面頬を下ろした兜の中で、古強者の副官が苦笑する声はくぐもっている。
「同じ名の者を斬るのは、あまり気が進みませんな。無論、ご命令とあらば私が出ますが」
「冗談だ。私が出よう。斬るのと捕縛、どちらが良いかな。それにしても今時、接敵前の一騎打ちとは。百年戦争当初は、よくそういうことが行われていたと聞くが」
「百年、あまり戦をしてこなかった地です。時代に、取り残されているのでしょう」
「だな。まあここは相手に乗って、受けてやるとしよう」
 ジルが単騎で敵へ向かっていくと、背後から大歓声が上がった。皆、ジルに期待しているのだろう。そのことに、少し驚かされる。
 先日のアナスタシアが、自身が大陸五強の一角であることの自覚をあまり持っていなかったことが意外だったが、ジルも似たようなものかもしれない。五強の一角である自負はあるが、レヌブランの兵がここまでジルを受け入れているという自覚はなかった。所詮は外様、敵国の王の娘などと思い定めていたが、バルタザールの戴冠式に参列した一人でもある。あの場に居合わせることができたという時点で、あの場にいなかった、レヌブランの将兵はジルを受け入れていたのか。身近な者はともかく、兵などジルの鬼面を見たことのない者も多いだろう。
「小娘を寄越してきたか。恥知らずな連中め。そこそこ出来るのだろうな。娘、名は何という」
 剣先をこちらに突きつけ、レーモン・ジュニアが言う。
「レヌブラントの、ジル。聞いたことはあるか」
「そんな名など・・・いや、貴様、その悪相、”弾丸斬りの”ジルか」
「悪相とは、酷いじゃないか。気にしてるんだ。謝れよ。謝罪したら、捕縛でこの場を収めてやる。それとも不細工な女には何を言ってもいいとか考えている、ただの下衆なのか?」
 こうして斬る相手と話していると、冒険者だった頃を思い出してくる。記憶というより、身体がである。口調もどこか、当時に近くなっているような気がした。
「経験を積む為に、兵同士の懸け合いを期待していた。だが、まあいいか。お前を斬ったら、後ろの兵たちはどう出るのかな。私が陣に戻る前にやってこられると、面倒なんだが」
 頭にも乗った雪を払いながら、ジルは続けた。レーモン・ジュニアは、顔をどす黒くなるほどに紅潮させている。その心境は読めなかったし、興味もなかった。全身鎧が、カタカタと音を立てて震えていた。寒いのかもしれない。少なくともジルは、凍えそうだった。
「怖じ気づいているのか、ジル。俺を斬ったら、連中がお前を生かして帰さないと」
「そうなると、面倒だと言った。味方が到着するまで、かなりの数を斬らねばならないし、その後は乱戦となるだろう。兵の指揮の練習にならない」
 顔の半分を覆う髭面の為に老けて見えるが、年齢は三十歳前後か。剣士としては脂が乗り切っている、この男の全盛期だろう。実際に、この男はある程度できる。その個人としての力量以上に用兵が巧ければ、部隊同士の戦では、ジルもそれなりに苦戦していたかもしれない。
 今となっては、既に知る由もないのだが。
「一騎打ちというのは、どうやって始めるんだ? お互い一度距離を取って、馳せ違えばいいのか? あるいはこの位置で、斬り合うのか? 初めてなんだ。教えてくれよ。それより、謝罪はまだか。このままだと、お前を斬ることになる」
 レーモン・ジュニアの顔は赤くなったり、青くなったりを繰り返していた。やがて食いしばった歯の間から、耳障りな声を絞り出す。
「既に、始まっている。舐めるな。サンカンタン史上最強と謳われた俺が、貴様みたいな小娘なんぞに・・・!」
「そうか。なら先に打ってこいよ。わからないのか。さっきから、ちょうど・・・」
 ジルは自分の首元を、指で叩いた。
「お前の間合いに首を差し出してやってるんだよ、ジュニア」
 レーモン・ジュニアが気合いの入った雄叫びを上げ、大剣を振り下ろす。
 その剣ごと、ジルは男の首を斬り飛ばした。高く上がったジュニアの首が落ちてきたのは、随分と経ってからのことである。
 しばし戦場を、沈黙が支配した。首を失った大将を乗せた馬が、所在なく立ち尽くしている。それを横目に、ジルは敵の方へ向けて馬を進めた。
「他に、やりたい奴はいるか? 一人ずつじゃなくていい。死にたい奴から、まとめてかかってこい」
 ジルが血の滴る刀を突き出すと、敵軍は大きく動揺した。後方の傭兵が、いつでも逃げ出せる格好になっている。あれはそれなりに経験を積んだ傭兵団だと、ジルは思った。こちらの戦力を正確に推し量り、生き残るのに最善の構えを、瞬時に取っている。
 残る騎士たちに、レーモン・ジュニア以上の使い手はいないようだ。それぞれが顔を見合わせ囁き合いつつも、近づくジルに対する怯えを隠せていない。
「まともな戦にならなくて、残念だ。副官か、あのレーモンの次に指揮権があるのはどいつだ。あの城を諦めて、撤退してくれると助かるのだが」
「わ、私はサンカンタン男爵に、御恩があります。ここで退くわけにはいきません。お覚悟!」
 若い騎士が一人、剣を振り上げながら突進してきた。
 ジルはその剣を叩き折り、鎧の縁に手をかけて、すれ違う馬上から放り投げた。
「剣先が、恐怖で震えていたぞ。が、その勇気は称えたい。義理堅さ、かな。命一つ分の、恩には報いたと思う」
 男は俯いているが、面頬の外れた兜から一粒、涙が零れ落ちるのが見えた。
「他に向かってくる者がいないのなら、撤退してくれ。それが早い程」
 背後の城を、親指で差す。
「あそこで流れる血が少なくなる。救援が敗れたとなれば、開門以外にないだろう」
 誰が最初の一人だったか、騎士たちは旗を下げ、一人また一人と、馬首を返して西へと引き返していった。
 ジルが自分の部隊へ戻ると同時に、ヴィクトール自身がが馬を飛ばしてやってきた。
「サンカンタン男爵から、降伏の使者です。やりましたね。一度、こちらの兵は下げさせます」
「今の私たちの様子を、あの天守から見ていたのだな。降伏は、受け入れよう」
 部隊を本陣へ戻らせている間、兵は誰もがジルの姿を認める度、歓呼の声で迎えていた。それらに軽く手を振りつつ、ジルは本陣の幕舎へ戻った。
「寒い。あまり身体を動かさなかったからな。誰か、熱い茶を。ゲオルク、犠牲はどれ程だった」
「五百強、といったところじゃな。まだ報告が上がっとらん所もある。ただこの内五十人は、既に死んでおる」
「そうか。予想より犠牲は少なかったとはいえ、一人一人の命だ。残りの者は」
「大半が、生き残るじゃろうて。五、六人危ない奴がおるとのことじゃが、大怪我を負う前に下がらせた者が多いそうじゃからの」
 敵を斬るのに、今更心が揺らぐことはない。が、味方が、それも自分の手の届かない所で死んでいくのは、胸が痛んだ。この先どれだけの血が流れるかと思うと、溜息をつかずにはいられない。
 しばらくして、サンカンタン男爵が連れてこられた。その次男坊とは似ていない、痩せた男である。
「縄をほどいてやってくれ。男爵、貴公の降伏、受け入れた。私物や、一族の宝を持って、ここから立ち去るといい。一晩やる。死んだ兵たちの埋葬も、こちらで引き受けよう」
「寛大なご処置、有り難く存じます」
「表を上げられよ。所詮は侵略者だ。そこまで畏まられることもない。ただ、この地の歴史は、責任を持って受け継ごう」
 男爵が涙を溜めた目で、ジルを見上げた。
「息子は・・・レーモンの最後は、どのようなものだったのでしょう。遠眼鏡越しには、ジル殿が一刀で斬り伏せたように見えました」
「私を私と知って、なお逃げなかった。勇気というより、この地とあなたを救おうという気持ちが勝ったのだろう。雄々しい男であった、そう思う」
 頷いた男爵が、兵に連れられて幕舎を出ていく。ちょうどジルの前に、茶が置かれるところだった。
「お見事です。大将としての器、ジル殿にはおありだと、確信致しました」
 レーモンが脱いだ兜を胸に手を当て、厳かに頭を下げる。
「よしてくれ。それに私はいずれ、ヴィクトールの下につくのだ。バルタザール殿から預かっている手前、先のアヴァラン戦からここまで、彼の身を案じて胃が痛くなるほどだった」
「ハハ、お袋みたいに俺のことを心配してくれてたわけだ。こりゃ参った。けどあんたは、俺の手に余る指揮官にならないか、こっちとしても心配ですよ」
 ヴィクトールが笑うと、周りもつられて笑った。へつらった笑みではない、本当の笑顔だ。周囲の人間が共感する何かは、間違いなくこの男にあると、ジルは思った。
 幕舎の外に出ると、前線の兵たちが攻城兵器を下げ、後衛は野営の準備を始めているのが見えた。粉雪は本降りになっていて、今晩は一層冷えそうな気配である。
 東の陣を回り、攻城兵器兵器の片付けを指揮しているハーマンとモイラを見つけた。ちょうど、工兵長との話し合いが終わったところらしい。
「お前たち、無事だったか」
 二人ともジルの姿を認めると、満面の笑みを浮かべて敬礼した。
「私の側を離れても、レヌブランの兵たちはお前たちを受け入れてくれているか」
「はい。けどジル様のおかげです。みんな、良くしてくれています」
 ハーマンが、屈託なく笑う。モイラに目を向けると、彼女も頷いた。
「あの、ハーマンが他の人たちの輪に入っていくのが上手いので、その、私も一緒に、仲間にしてくれています」
「そうか。お前たちは私たちよりも、強行軍だった。疲れが溜まっているだろう」
 アヴァラン戦までは、行動を共にした。その後は二剣の地に停まったジルたちと分かれ、ゲオルクたちと、残った兵を本国へ戻す任に就けていた。次いでこの軍と合流し、攻城戦を指揮した。歴戦のゲオルクたちと違い、実戦経験の乏しい二人には大変な旅だったことだろう。走破距離だけならジルたちよりも長く、かつ動き続けていた。
「さすがに、お尻が痛くなっちゃいました」
 大きな尻を擦りながら、モイラが小さく呟く。
「レヌブラントを出てからは、ほとんど鞍の上で過ごしたからな。ご苦労だった」
 モイラは顔を赤くし、頷いた。長い前髪で目元はほとんど見えないが、口元やその挙措から、感情の動きがわかりやすい娘だ。
「ジル様、俺なんかよりモイラの方が、ずっと指揮に向いているかもしれません。俺がぐずぐずしてる時には、いつもモイラが適切な助言をくれました」
「そ、それは、ハーマンがいたから・・・」
 ジルは、顔を仰け反らした。二人の仲睦まじさは、妬けてくる程である。
「いい経験が出来たな。しばらく、この地に留まる。落ち着いた時に、またゆっくり話そう。思えば行軍中は、作戦に関するやり取りしかしてなかったからな」
 二人に手を振って、ジルはその場を離れた。しばし、他の陣を見て回る。
 攻城兵器が、解体されていく。兵は皆笑顔だが、医療用の天幕では、生死の境を彷徨っている兵たちが大勢いる。
 一つ大きく息を吐き、ジルはそちらへ足を向けた。

 

 

次のページへ  もどる

 

 

inserted by FC2 system