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プリンセスブライト・ウォーロード 第20話

「他人だから、友となれるのさ」

 

1,「困った時に駆けつけてくれた者を、私は友と呼ぶ」

 小高い丘の上に、その灰色の城はあった。
 先触れは、出してある。ウォーレスと、その兵千が城に近づいたところで、周辺の村々に警戒した様子はなかった。無論、緊張や恐怖感という、軍隊に対する人々の一定の距離感はある。だがむしろ、アングルランド軍にいた時よりも、歓迎されていると感じるくらいだった。正式な通達はないものの、噂という程度では、ウォーレスがハイランド公と手を結ぶという話は、この辺りでは共有されているようだった。
 ティアとの会合から、二週間が過ぎている。麾下も含め、兵たちはウォーレスが予想していたより遥かに多くの者が、アングルランドに叛旗を翻すことに同意した。ただ躊躇し、周りに流されそうになっている者たちには、あくまで中立を貫くよう言い渡し、それぞれの故郷に帰した。もちろん、反対の意を示した者たちもである。
 そのままアングルランドに属すると明言してしまえばウォーレスという直接の主に背いてしまうことになり、ウォーレスにそのまま従うと決めれば、剣を捧げた相手ではないものの、国という大きな存在に弓を引くこととなる。どちらかにつけば、必ずどちらからか裏切り者扱いされる。これまで共に戦ってきた者たちに、せめて汚名を着せないやり方としてと、彼らに中立に立つことを勧めたのだった。
 ウォーレスに付き従うと言った者たちにも、もう一度よく考えてくれと言い、一週間の時間を与えた。対アングルランド、ウォーレスは当然勝つつもりでいるが、負ければウォーレスの死後、その者たちは叛乱の罪に問われることとなる。
 元は五千いた将校と兵の内、それでも二千がウォーレスに仕えると言った。兵力は半数弱に落ちたが、それでもこの数は、ウォーレスが考えていたよりもやはり大きい。せいぜい五百、あるいは一人もついてこないことも、考えていたのだ。
「父さんは、自分を過小評価するところがありますね」
 とは、娘のセイディの評である。ただ、強いだけの男。ウォーレスは自分をそう捉えていたが、兵たちにはそれ以上の何かを、ウォーレスに見出していたということか。もちろん、死地を共にくぐり抜けてきたという、絆はあるだろう。働きに応じて、出せるものは出してきた。が、諸侯としての義務以上のものを、自分は出してきたか。叛乱に加担するだけの覚悟を引き出せるだけの何かが、ウォーレスにあったということか。
 おかしな話かもしれないが、これだけ多くの者がついてくる、あるいは慕ってくれていると知っていたら逆に、ウォーレスはハイランド公との同盟を、考え直していたかもしれない。
「ノースランド人そのものと言っていい者もいた。が、アングルランドに恨みや憎しみを持つ者は、この叛乱に加わってほしくないとも伝えた。その思いは、俺に預けてほしいと。実際、それで帰した者がほとんどだ。どうしてもという者が、五十人程いるが」
「何故、ノースランド人たちの多くを帰したのです?」
「迫害されてきた当事者たちを、矢面に立たせてはならない。問題は、アングルランド人にあるのだ。でなければ、迫害されてきた者たちに責任があることになってしまう。ならば、アングルランド人同士で決着を着けるのが、筋だとも思う。その本筋を貫くなら、俺の領地のノースランド人は全て帰し、かつハイランド公という、まさにノースランド人たちとの共闘はむしろ避けるべきだったのだが、そこは一人では出来ぬ、戦という現実もある。ハイランド公の配下ではなく、同盟としてくれたことはいくらか救いだな。俺の考えに同調してくれる者も少なからずいたのか、俺の元に残った将兵は、生粋のアングルランド人が多い」
「皆、父さんの背中を見て戦ってきた者たちです。騎士とは、軍人とは、そして人とは何たるものか、それを見てきたのです」
「少し、大袈裟に感じるな。世間では大陸五強に数えられた。強さだけは認められているだろうという、自負はあったのだが」
 強いということだけに、自信はある。ただそれに何の意味があるのかと、考え続けた人生と言っていい。もう、四十二歳になる。武人としての頂点で居続けることができるのも、保ってあと数年といったところか。老いの兆候は、幸いにして今のところなかった。見えないところにそれはあるのかもしれないが、若い頃よりむしろ増えた鍛錬の量が、それを塗りつぶしているのかもしれない。
 道中、娘とはこれまでになく多くの話をした。
 ハイランド城はアングルランド半島、その北部中央に位置している。今もティアがハイランド公を名乗っている通り、歴代ノースランド王が居を構えていた城である。ノースランド本島からは飛び地に当たり、距離的には本島とロンディウムの中間にある。ノースランドがまだ独立した王国であった頃はその最前線、そしてアングルランドに屈服させられてからは歴代ハイランド公を監視するのに、格好の立地となっていた。ノースランド本島に叛乱の兆しあれば、王都からさほど遠くないこのハイランドを囲んでしまえば良いというわけだ。
 思えば先代ハイランド公の頃から、公は度々この地を空けていた。ティアとその姉アナベルの生地は、本島のオーガスタだったはずだ。ティアの話と合わせれば、叛乱の芽はその頃から育ち始めていたということだ。ノースランド独立は、今では姉のアナベルの悲願とも言っていたか。
 ティアがノースランド人の間で今も語り継がれる英雄、復讐の女王ブーディカを名乗り、叛乱の狼煙を上げてから、周囲、特にハイランドより北の領土を制圧、ないしは中立の立場に置くまでは、驚く程に早かった。アナベルはティアに夢を託す以前から、おそらくその父の代から、周到に準備を重ねていたのだろう。病弱なため今も本島からは動けないそうだが、知恵者であることは間違いない。本音では、陣頭に立ちたいという思いもあったことだろう。
 そして実際に叛乱が起きた先日、ノースランド軍の実際の兵数、そして戦略的な仕掛けがどこまで成されているのかわからない中、このハイランド城を包囲するのは早計と、アングルランドは判断することとなった。実際に包囲するアングルランド軍をさらに包囲、そこまではできなくとも間断なく包囲軍に攻撃できるだけの兵力は、用意していたと考えられる。
 今振り返ると、そこまで事態が悪化するまで、宰相ライナスがこの叛乱を感知できなかったというのも、少し不自然な気がする。大きな視点では、これもライナスの戦略の内か、あるいはそう詰めていった、アナベルの戦略か。ウォーレスにはわかりようもないが、水面下では相当な駆け引きがあったと思われる。ウォーレスも戦略眼を持っている自負はあるが、戦場の絡まない、いわば血を見ない戦に関しては、素人と言ってもいい。アングルランドに議会の席はあるが、自領の統治以外に、政治的なものから距離を置いてきたのだ。
 陽が弱くなり、くすんだ灰色の城壁が、淡い黄色の光を反射している。ハイランド城は古城ではあるが、二重の堀、側面の半分は急峻な崖であり、中々の堅城だ。地形上堀に水を通すことはないが、深く掘られたそれは、攻城兵器を遠ざけるには充分だ。攻城側が堀を埋め立てる際には、相当の犠牲を覚悟する必要がある。中に籠る兵に対して最低四倍、この城を落とすのに必要な兵力をウォーレスは見積もった。
 跳ね橋は下ろされており、その重い城門が開く。中から十騎程を伴ってウォーレスを出迎えたのは、ハイランド公ティアその人だった。
「よく来てくれた。さあ、我が城へ。皆、ウォーレスと会えるのを楽しみにしているぞ」
 白い歯を見せ、同じように白いドレスを身に纏った少女が笑う。
「俺についてくることになった兵は、二千となった。内千を、ここに連れてきた」
「期待していたより、ずっと多い。ウォーレスの人柄かな」
「自分で、その良し悪しについては判断できないさ。ただ、ここにいる者たちは、俺に命を預けた。それは、決して軽いことではないと受け止めている」
 小さな女王に先導され、城内に入った。いきなり広い中庭であり、町の施設は全て城下に移している。が、酒保や日用品を購うことができる露店は、いくつかあるようだった。
 下馬し、厩へ向かう。ウォーレスの麾下は、基本的に自分の馬は自分で世話をする。なのでティアたちにはしばし待機してもらい、ウォーレスたちは鞍を外し、その馬体を拭った。
 厩に飾ったところはなかったが、風通しもよく、清潔だった。足りない物はないが、余計な物もなく、ただ大きい。どこか、ハイランド公の人柄が、そこには反映されているようにも感じた。
 兵たちと共に、城の大広間へと案内される。宴席が設けられるのはここだけではないそうだが、謁見室を兼ねたこの広間は、ウォーレスと千人の将兵が入るのに充分でもある。壁際にはずらりと、ハイランド公の配下たちが居並んでいる。
 壇上にウォーレスとセイディが上がり、ティアの横に並んだ。少女はその小柄な身体から発せられたとは思えない大きな声で、広間に集まった者たちに語りかける。
「今日ここに、我らの同盟者としてロウブリッジ伯ウォーレスと、その娘セイディ、そして千を数える勇士たちが集ってくれた。私は彼らを、友と呼ぼう。新たな勇士たちよ、どうか私やその配下のことを友と呼び、気兼ねなく接してほしい。やってきてくれたその多くは、ノースランド出身者や、その血を分けた者ではないとも聞く。そんなおぬしらが我らの為に立ち上がってくれるとはなんと慈悲深く、公正で、そして勇気溢れる戦士たちなのだろう」
 そこで、ティアは一つ、大きく息を吐いた。目の端に、光るものがある。
「感謝する。自分たちだけの為に立ち上がった我らに、その強さの、思いやりの一欠片でもあっただろうか。話が合うからではない。気が合うからでもない。困った時に駆けつけてくれた者を、私は友と呼ぶ。ウォーレス、セイディ、あらためて感謝する。そして新たな勇士たち、今宵は我らの歓待を、どうか快く受け取ってほしい。友となってくれた御礼を、我らからの感謝を、受け取ってほしい」
 広間にいた全員が、歓呼の声で応える。中には剣を振り上げている者もいた。このような場で帯剣を許していることも、ティアの信頼の証だろう。人は、自分を信じてくれている者には、必ず応える。
 広間の外にも、大勢の兵が集まっていた。大きな卓は端に寄せられ、所々に小さな円卓のある、立食の宴となった。壇上から下り、酒の用意されている場所へ向かうとノースランドの将兵たちが次々と訪れ、軽く挨拶を交わすこととなった。集まった皆が一斉に喋り出したこともあり、ウォーレスも相手も、少し大きな声で話すこととなる。
 その中の一人、ドワーフをそのまま大きくしたような、あるいはバイキングを思わせる長い髭面の男が、どうやら軍の実質的な総大将らしい。名を、マドックといった。
「おう、ウォーレス。お前は変わらないなあ。といっても、お前は俺のことを覚えていないだろうが」
「”雄牛の”マドックか。どこかで、聞いたことがあるような気がするのだが」
「南の戦線に、何度か召集されている。もっとも、ノースランドの軍人はいつも軍議の席では末席だったが。俺のことは覚えていなくて当然だ。こうして言葉を交わすのは初めてだからな。お前が南部軍の総大将だった時に、名簿の端に俺の名前を見た程度だろうよ」
「これは、すまないことをした。余所の諸侯の指揮官一人一人に声をかける程、俺は出来た男ではなかったのでな。が、今回は俺が末席でいい。マドック殿の指揮に、俺は全力で応じよう。どうか、よろしく頼む」
 ウォーレスが頭を下げると、マドックは口髭についたビールの泡を飛ばしながら、豪快に笑った。
「そう硬くなるな。歳も同じなのだ。俺、お前と呼び合う仲で、いいじゃないか」
「そうか。そう接してくれると、俺としては気が楽なのだが」
「友であろう? おかしな遠慮はするな。戦場では指揮の関係で上下を決めるが、こうした席では上も下もない。ティアがそう言ったように、少なくとも俺たちは、お前を友と思っている。何、俺もお前に友と呼ばれるよう、これから信を示していこうではないか」
「いや、不思議だな。もう、お前を友と思い始めている自分がいる。戦友と呼べる者は部下に多くいても、俺には共に並び立つ、友と呼べる存在がいるのかどうか、疑わしいとも思っていたのだ」
「ウワッハッハ! ここにいる者全て、お前の友だ。戦じゃ、禿げ上がる程に思い悩むことになる。それ以外では、難しいことを考えるなよ」
「そうだな、できるだけ、そうしてみることにしよう」
 ウォーレスに続いて、セイディもマドックと固い握手を交わす。
「その戦じゃな、俺はお前の副官的な立場に就くのがいいと思っている。現場の指揮じゃ、セイディに並ぶ者はいないだろうが、ノースランドの将兵とその性質、土地勘じゃ俺の方が勝っているだろうからな。表立っての総大将はティアだがな、実質的な大将のお前の補佐役は、俺に任せておけ」
「俺が、いきなりその立場になってよいのか」
「一番戦の上手い奴が、戦場で一番上に立つ。文句が出るどころか、皆もそれを望んでいるだろうて。まあ、その辺の話は後で良かろう。おっと、あまりお前を独占しても、他の者に妬かれる。ウォーレス、セイディ、他の者にも声を掛けてやってくれ」
 言って、マドックとその腹心たちは広間の人混みの中に消えた。
 こちらからも声を掛けた方が良いかとも思い、大広間を歩いていると、前回の戦場で直接矛を交えた、騎馬隊の指揮官の姿を見つけた。
「そこのお前、ラクランか」
「ああ、あれ以来だな。あんたがこちらについてくれることになって、俺も嬉しい」
 目元に言い様もない暗さを持つ男だが、笑うと屈託のない表情を浮かべた。一度戦場で懸け合った分、ラクランには既に軍人としての繋がりを感じている。
「俺は戦に関しては素人同然でな。なので剣も槍も覚えたてだが、しかしここで一番強い男になってしまった。時間のある時にあんたに稽古をつけてもらえると、俺としては助かるんだが」
「構わない。調練の後にでも、立ち合ってみるか」
 明らかに武に天稟を感じる青年だ。こうして話してみると朗らかで、気持ちのいい男だとわかる。怖いもの知らずは若さからか、遠慮のない男でもあった。
「父さんが忙しい時は、私が」
 傍にいるセイディが言う。
「”鉄面”セイディか。本当に、表情が変わらないんだな」
 一瞬、ウォーレスは身を硬くした。悪気があっての言葉ではないだろう。しかし気にしていないかと、娘の顔を覗き込む。が、やはりその表情に動きはない。
「変わりません。変えてくれると、ハイランド公は私に言いました」
「ハハッ、ティアなら言いかねない」
「あなたなら、どうですか」
「俺か? さあな。代わりに笑ってやることができる、そんな程度だろうさ」
「その言葉も、ハイランド公は言いました」
「どこか、ここにいる連中は似てくるのかもな。そのくせ、一人一人の個性は強い。あんたも親父に違わず強そうだ。俺もようやく、そういうことが感じ取れるようになってきた。こいつは、俺より強いってな。稽古の方、お前にもよろしく頼む。手加減はなしだ。好きなだけ、俺を叩き潰してくれ」
 セイディが、僅かに目を細める。笑っているのかもしれないと、ウォーレスは思った。
 こちらの将兵とノースランド人たちが、肩を叩いて笑い合っている。その後も何人かと軽い挨拶を交わし、二人は広間を出た。少し、外の冷たい空気に当たる。
 盛大な篝火の焚かれた中庭の一角では、兵たちが射撃の腕を競っているようだった。さすがに、ここに集まった者たちで酒を過ごすような者はいないようだ。髭の周りに泡を着けているような者たちは長椅子に座り、的を遠巻きに眺めている。
 一人の長身の女が弓を取ると、そこにいた者たちの注目がさらに集まった。女は矢をつがえると、目を見張る早さで次々とそれを放っていった。弦から手を放した瞬間には、もう次の矢羽根に触れている。まだ震える弓弦に、それを素早く正確につがえていた。その理屈は理解できたが、ウォーレスでもあそこまでの速射で正確に的の真ん中を射ることはできないだろう。あっという間に、矢筒の矢が消えていった。
 ウォーレスが手を叩くと、女が振り返った。少し、顔を赤くしている。
「ウォ、ウォーレス様ですよね。あ、あの、グリアと申します。お目にかかれて、光栄です」
 北の訛りが強い。二十代の、半ばくらいだろうか。後ろにまとめた髪と同様の薄い金色の瞳は、その瞳孔を強く見せる。いわゆる鬼目という奴で、少し怖い瞳をしていた。が、その見た目の印象と裏腹に、やや内気な娘でもあるようだ。
「あまり、構えないでくれ。マドックに、俺もそう言われたよ。気軽に、ウォーレスと呼んでくれ。これは、娘のセイディだ」
 うなじの辺りを掻きながら、グリアが頷く。
「そうですね、ウォーレス、セイディ。ああ、せっかくですから、私の特技を見ていきませんか。挨拶代わりに、見せている芸があるのです」
「今の連射だけでも、充分見るものがあった。が、興味はある」
「ありがとうございます。これは、あくまで曲芸ですので」
 グリアが身を屈めて、長靴を脱ぐ。冬の気配漂い始める季節にしては極めて薄着、まるで下着か水着のような革の衣装に身に纏う彼女だが、そのせいでひょろりとした身体に、まるで無駄のない筋肉を備えていることがわかった。女らしい脂肪もそこかしこにあるが、戦では贅肉のない兵はすぐに体力が尽きる。その意味でも、グリアは兵として洗練された肉体を持っていると言えた。
 地べたに腰掛けたグリアが、足の指で弓を引いた。真っすぐに放たれた矢はこれもまた正確に、既に何本も矢が刺さっている的の中心へと吸い込まれていった。
 周囲から、歓声が上がる。驚きの声はなく、これは彼女がよく見せている芸なのだろう。
「グリア、もう一つのも見せてくれ」
 兵の一人が声を上げ、同じような掛声が続く。グリアは一度こちらを見上げ、どこか恥ずかしそうに頷くと、腹這いになって的を見つめた。
 そこから腰と脚を、海老反りにして上げていく。足先はさらに弧を描き、グリアの顔近くまで下りてくる。その様は、蠍のようでもある。かなりの柔軟性だ。思った刹那、足の指で弓と矢を拾ったグリアはそのまま弓を引き絞り、またも腕で扱うかの様に精密な射撃を行った。的の中心から、既に刺さっていた矢の何本かが零れ落ちる。もう一度、大きな歓声が上がった。
「中々、すごいものを見せてもらった。どこで、そんな技を」
 内気だが、それでいて人と接したいという気持ちは強いのだろう。恥ずかしながらもこんな技を見せるグリアに、ウォーレスは好意を持った。人に喜んでもらいたいという、純粋なものも持っている。
「子供の時に、遊びで。手を怪我した時に、退屈だったもので、足でもできないものかと。楽しんでもらえましたか」
 紅潮した頬を擦りながら言う彼女に、むしろ大きな反応を示したのはセイディだった。
「グリア、すごいです。弓に、触れさせてもらっても良いですか」
 グリアが手渡し、セイディが弓を引く。ウォーレスが感じていた通り、かなりの強弓であるようだ。対称で、二重に湾曲しているにも関わらず、合成弓ではなく、一本の枝から作られているようだ。
「イチイですか。ただ、この辺りに生えていたものや、エスペランサから輸入されているものより、大分硬いですが」
「町にいる者たちからすると、これもイチイの一種だそうです。私の故郷にはよくある木で、神の宿る木だと言われています。実際に、森の妖が住みつくこともあるのです。仰る通り硬いですが、どこまでもしなりますよ」
「どの辺りまで引いても良いですか」
「思い切り引かれても」
 セイディはその強弓を、大きく限界まで引き絞った。並の兵では半分も引けないだろうが、そこはウォーレスの娘である。
「強い弓です。力も技量も、大抵の者には扱えない業物ですが」
「はい。ただその力量が達してさえいれば、後は使い手を選ばない、癖のない弓です。セイディとウォーレスにとっても、扱いやすいはずです。長弓の方も、触ってみますか」
「はい。ぜひ」
 おそらく内向的であろうグリアと、あまり口数の多くないセイディが、身を寄せ合うようにして弓について談義している。ウォーレスは内心ほっとした。名の聞こえた自分に対して人が近づいてくることは、そう珍しいことではない。が、娘がその陰に隠れて、あるいは添え物の様に扱われることを、ウォーレスは常に危惧しているのだ。
 他の兵たちと言葉を交わしながら、その兵たちの中に混ざる。セイディの表情は平板だが、グリアはそれに対する戸惑いを見せず、弦や矢尻について、一生懸命に説明している様子だ。二人の姿を見て、セイディにも友と呼べる存在が出来つつあるのかもしれないと思った。
 軍に入るまでは、セイディの周囲の者は彼女の決して変わらない表情を見て、気味悪がったと聞く。妻、つまりセイディの母もまた、セイディを遠ざけ、世話係だった侍女たちだけが、話相手だったのだ。城下でも、ウォーレスの娘であるにも関わらず、子供たちに石まで投げられた。当時のセイディの孤独を思うと、胸が張り裂けそうになる。軍に入ってからも副官としての仕事が忙しく、兵たちは温かくセイディを迎えたものの、気の置けない友人というのは、いた気配がない。
 グリアが口元に手を当てて笑い、セイディが何度か頷く。その表情こそ変わらないが、娘も笑っているのだと信じたい。
「おお、そんなところにいたか。ウォーレス、私の兵たちは、どうだ。馴染めそうなら、うれしいのだが」
 ティアが一人、ウォーレスの傍らに立つ。ドレスの袖をまくっており、スカートの裾には肉汁らしき染みがあった。兵たちに混ざり、大いに飲み食いしていたのだろう。
「ここに来て、良かったと思う。皆、俺を友と呼ぶ。正直言ってまだ戸惑いもあるが、一つだけ、手放しで喜べることができた」
 ウォーレスの視線の先には、セイディとグリアの姿がある。ティアもそれを見て、口を開く。
「感情豊かとはいえ、もう少しおとなしいとも思っていた」
「セイディのことか。あの様子から、わかるのか」
「これ以上なく、はしゃいでいる。あんな姿を見ることがあるとは、思わなかったよ」
「わかるのだな、ティアには。情け無いことに、俺にはよくわからなかった。きっと楽しんでいるはずだと、それだけはわかるのだが」
「実の娘だ。距離が近過ぎて、見えぬこともあるだろう。他人だから、わかることがある」
「他人か。少しティアらしくない、突き放した言い方にも聞こえるが」
「他人だから、友となれるのさ。家族では、友となれないだろう?」
「そういうことか。なるほど、他人であることも、悪くはないものだな」
「だが、親子にしかわからぬ絆もあるだろう。先日のおぬしらには、まさにそれがあるように見えた」
「そうだな。娘とは時折、顔を見ずとも深いところで通じ合うことがある」
 ウォーレスは、ティアの方を振り返った。その存在を大きく感じてしまう為、つい身体的な目線も近く感じてしまうのだが、ティアは矮躯であり、傍に立つ彼女を見ると、銀のティアラの乗った、小さな頭頂部しか見えない。篝火に、橙色の髪が明るい光沢を放つ。そのティアが、こちらを見上げた。
「まだ、主立った将校たちで、挨拶を済ませていない者もいるだろう? ついてきてくれ。おぬしを心待ちにしていた者は、多いのだ」
「そうか。それにしてもここの連中の気さくさも、いいものだな」
「本当は、人見知りな者も多い。ただそれが相手の気まずさに繋がらないよう、気を配っているのさ。どこか、優しいのだ。そこは、ウォーレスについてきた者たちにも言えるんじゃないか」
「そうだな。それを表に出してきたかの違いはあるが、本質的には似ているのかもしれない」
「そういえば先程の、一つだけ手放しで喜べることとは?」
「娘にも、友と呼べる者ができつつある。それは俺にとって、唯一の救いに感じる」
 これが、戦に臨む者たちの宴でなければ。そう思ったが、平和な世では、セイディは友を得られなかったかもしれない。複雑な心境だが、セイディが自ら選んだ道でそれを得たのなら、これが宿運だったということなのだろう。
 ティアと二人、城内に戻ろうとすると、セイディが振り返った。こちらに小さく手を振り、またグリアと、輪になりつつある他の兵の話に耳を傾ける。
 これで良かったのだともう一度感じ、ウォーレスはその場を去った。

 

 

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