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プリンセスブライト・ウォーロード 第19話

「振り返って、その顔を確かめるまでもない」

 

1,「あなたは人に頼るのではなく、頼られる存在なんだから」


 南部軍勝利の一報が届いたのは、昨晩のことである。
 アンリは今、枢機卿リュシアンと共に城の中庭を散歩していた。といってもシテ城はそもそも小さく、いくつかある中庭もそれに則した狭さではある。同じところを何度も回る、ないしは往復するというのは、あるいはリュシアンのこれまでの、ここに赴任してからの心境を顕していたのかもしれない。
 多忙の枢機卿だが、昼食後の三十分程は、大抵誰とも会わずにこうした散歩によって思索を深めていたそうだ。そんな一人の、職業的にも神聖な時間とも言える散歩に先日、アンリは誘われた。以来二、三日に一度は、こうしてリュシアンと中庭、周囲の回廊を歩き、言葉を、意見を交わしていた。
 二人きりの時もあるが、今日は道化師のコレットも同行していた。初見の時と違い、あれから縞模様の帽子、スカート、タイツと、それらしい格好をしている。
 その道化師の少女は人の、主にアンリの心を読んでいるかのように、一人になりたい時は姿を消し、傍にいてほしい時はいつもそこにいた。見張っているわけではないのは、彼女が一人でいたり、誰かと話しているところを何度か見かけているので知っているわけだが、それゆえにやはり不思議な感じだ。いてほしい時が、それとなくわかるのだろうか。これこそが、コレットの才ということなのだろう。後で、訊いてみても良いかもしれない。
「期待通りの活躍だったそうですね、リッシュモン卿は」
 枢機卿が、いつものやわらかい笑みを浮かべて言う。
「詳報はまだだが、大きく兵力を落とすことなく、ベラックのクリスティーナ元帥を破ったそうだよ。最後にリチャード王の騎馬隊が介入し、クリスティーナの捕縛こそ叶わなかったようだが、まずは大勝利といってもよいと、アルフォンス元帥は書簡で伝えてきている」
 言って、アンリはその書簡をリュシアンに手渡した。
 軍事に疎いアンリでも、下級貴族のアルフォンスを、いきなり元帥職につけたのは、賭けに近い人事だったとわかる。リッシュモン、ゲクラン両将軍が強く推薦したことでその運びになったが、宰相のポンパドゥールは、それに渋い表情を浮かべていたものだ。
「今後は城郭を一つ一つ、取り戻していくという方針だ。失地回復の第一歩は、南から始まったようだね」
「奪い返した領地から、再び税収が得られます。宮廷に入るものは御料林のものが主になってしまい、大した額にはなりませんが、再び禄を得られる諸侯は増え、こちらからの援助は徐々に少なくしていくことができるでしょう」
 秋も深くなり、中庭の木々は葉を散らし始めたものもあるが、今日はやけに日差しが強く、初夏のそれを感じさせた。回廊を挟んで、ブークリエ河の流れが見える。川面の光がいつもより眩しく感じるのは、パリシ解放以来の朗報が、アンリの気持ちを照らし出しているからか。
「南部戦線は、危機的戦況からの逆転劇だ。これで当面は、アングルランドの南からの脅威については一息つけるだろう。パリシもこうして僕たちの手に戻った。北と南、両面から攻められ、かつ押されていた今までとは違う。もっとも年が明け、遅くとも春になる頃には彼らの反攻は始まっているだろうけど」
「わずかな時ではありますが、多少はこちらも落ち着けます。そろそろどうでしょう、戴冠式の準備を始められては」
 即位という形を取り、アッシェン国内ではアンリは公的に王という存在だが、まだ戴冠式という、教皇から直々に王冠を授けられる儀式を行っていないので、実のところアンリは対外的に正しく王という存在ではない。
 アングルランド人はアンリを既に王と呼んでいるそうだが、彼らの公式文書ではアンリはキングではなく、プリンスと記されているはずである。王の子、王子を指してプリンスと呼ぶことは多いが、それは彼らが教会ではなく王の任ずる封王である、ないしはその予定であるからであり、王、キングを対外的にも名乗れるのは、レムルサの教皇庁から正式に戴冠の儀を受け、祝福された者だけである。
 もっとも、アングルランドは国教会という独自の宗派を起ち上げており、レムルサの教皇に戴冠の儀を行ってもらう必要がない。大司教から祝福された者が王であり、その最初の王が現王リチャード一世である。
「今でも重そうにされている冠を、さらに大きくされるんですか?」
 コレットがいつも通りの怯えた表情で、それでいて辛辣なことを口にする。この落差が、どんな皮肉でもアンリの素直に胸に響く、一種独特の演出になっていた。
「まあ、そう言ってくれるなよ。コレットも正式な王の道化になった方が、何かと形になるだろう?」
「私は、今の王様で充分です。その略式の王冠がなくなったって、陛下は私の王様なんですから。ええ、今から丁稚の小僧に戻っても、私はずっと王様についていきますとも」
「やれやれ、素直に喜んでよいものか、悩む言い草だな。僕がもっと大きな冠を被っても、ついてきてくれるかい?」
「ええ、ええ。頭に鶏を乗せていても、国を乗せていても、ついていきますとも。王様がちゃんと、お給金を払ってさえくれれば」
 アンリの苦笑につられて、リュシアンも笑った。コレットの言葉はいつも、見過ごせない真理を含んでいる。
「戴冠式は、ランスだったな。それよりも、教皇庁に話は通してあるのかい?」
 ある意味これが、リュシアンという教会側の人間が、宮廷で重要な地位を与えられている第一の名目でもある。
「それこそ、数日でランスまで来られましょう。大陸鉄道のない時代では、何ヶ月も掛けての旅路となったことでしょうが。ともあれ、話はつけてあります。今日中に使いを出せば、一週間と経たずに、陛下は対外的にも、王という存在になられます」
「善は急げという。財務大臣としての仕事に忙殺されているところ悪いが、当日までの段取りも頼む。しかし、これで本当の意味で王様になってしまうんだな。実感は、今でも希薄だっていうのに」
「立場が、人を作るとも。もっとも陛下は、初めからその資質を受け継いでおられます」
「そうあってほしいと、自分に期待するしかないね」
「それでは、早速。夕刻までに、段取りの叩き台を持ってお伺いします。陛下、また後ほどお会い致しましょう」
 優雅な一礼、そして赤い外套を翻し、枢機卿は中庭を去っていった。
「今日は、心地がいい。僕にも時間がないが、少し、陽に当たっていこうか」
 微かに頬を上気させ、コレットが頷く。中庭の端で控えていた小姓を呼び、茶の支度を命じた。
「王様、今、頼もうとしていましたね」
「意識しないと、命じるなんてとてもできないよ。けど彼らにとっては、命じられる方が楽なんだって、いつも自分に言い聞かせてる。同じ立場だったら、僕だってそうだろう」
 コレットはアンリより三つ歳上の十五歳だが、幼さを残した容姿と立場の高低から、同年代の友人の様に接していた。庶民であった頃は、このくらいの年代の娘はお姉さん、あるいは大人の女性といった印象だったが、この宮廷道化師とはもう少し、気持ちの距離感が近い。
「陛下、ゲクラン元帥が、お目通り願いたいとのことですが」
 小姓の一人が、こちらに駆けてきて言う。
「パリシに来ていたんだね。議会は、明日だったか。構わない。来てもらってくれ」
 しばらくしてゲクランは、一人中庭へと入ってきた。日差しこそ強いものの、肌寒い季節であることには変わりないのだが、相変わらず大きく胸を露出した服装をしている。胸自体もアンリがこれまで会ってきたどんな女性よりも飛び抜けて大きいので、遠目でも彼女とすぐにわかる。
「陛下、ご機嫌麗しゅう。あら、そのかわいらしい道化師さんは?」
「コレットという。先代宮廷道化師の娘だ。先代とは、元帥も面識があるのでは?」
「ああ、あのコレットなのね。ちょっと見ぬ間に、娘らしくなっちゃって。陛下、これなるコレットとも、面識はあります」
「二人は知己だったか。茶を命じたところだよ。しばらく、ここで過ごそう」
 ゲクランが、口元を押さえて苦笑する。
「随分と、逞しくなられました。僭越ながら、立派に大任を務められているようで、何より」
「元帥と共に各地を巡り、ここパリシに潜入したことが、何年も前のことのようだ。不思議だな、半年も前のことじゃないのに」
「声変わりされましたね。あの時よりも、身も心も、成長されている。何より、度重なる環境の変化が、時の流れをそう感じさせているのでしょう」
「元帥は、私の恩人だ。報いることができる立場に、やっと立てたという気がする。もっとも心の方は、まだあの時のままだよ。こうやって口調だけでも変えて、必死に王を演じようとしているんだ」
「それはまあ。他に人目もないわ。ちょっと、言葉を崩してもいいかしら?」
「ぜひ。いや、僕もこんな調子でゲクラン殿と話すのは、やっぱり居心地が悪いものです」
 公の場ではない。見ているのはコレットと、遠くで控えている小姓だけだ。昔と感じてしまうわずか数ヶ月前の二人に、今は戻ってもいいだろう。
 この中庭はたまに茶会を開くもうひとつのそれとは違い、長椅子がいくつかあるだけだ。そこに並んで腰掛け、ゲクランは運ばれてきた茶を、二人に注いで渡した。
「どう、王様は? 何かあったら、頼ってもいいのよ」
「これまでも、頼り切りでした。先程言った通り、今度は僕が助ける番です」
「いいの? そんな安請け合いしちゃって。私がここに来た理由、わかってる?」
 悪戯っぽく笑うゲクランを、たまらなく魅力的な女性と感じる。少し垂れ目で下膨れ気味の彼女は、特段美人というわけでもなく、ふくよかな胸が好きなアンリにしてもゲクランの乳房は巨大に過ぎたが、それでも彼女に惹かれるのは、その生来の強さ、機知、そして優しさによるものだろう。
 ゲクランには性的なものよりも、顔も覚えていない母の影を感じているのかもしれない。幼い頃は、自分に姉がいればとも思っていた。何かそうした、強い女性に守ってもらいたいという願望は、昔からあった気がする。現実は伯父に男で一つで育てられ、あまりそういったものに縁がないこれまでであった。
「西進の、援助を得る為に来たのでしょう?」
「あら、本当にちゃんと王様やってるのね。半分は、当たり。けど資金的な援助をしてもらいたいわけじゃないわ。そうするけど文句はないわよねって、釘を刺したいだけ。借金だらけの宮廷と違って、私のところは潤沢な資金があるからね」
「王様は、財布の底に穴が開いてるんです。ゲクラン様、どうか王様を助けて下さい」
 それまで黙って聞いていた、コレットが口を開く。ゲクランに助けてほしいと考えていたわけではないが、アンリの本心はそうだったのか。この道化師は、アンリの心の、奥底を覗き込む眼力がある。
「コレットがそう言うんだから、やっぱり良い状況ではないのね。本当にまずい状況になったら、私から何らかの名目でお金を出すことはできる。だからアンリ、そこについては不安になりすぎないで。だけど今は、足掻けるだけ足掻いてみなさい。あなたは人に頼るのではなく、頼られる存在なんだから」
 不思議と今は、その言葉が重圧にならなかった。そういう機を掴んでか、彼女の人柄によるものかはわからない。
「ありがとうございます。けど本当に、ゲクラン殿を助けたいと思ってるんですよ」
「その気持ちだけで充分。あ、社交辞令じゃなく、本気で言ってるのよ。あなたが味方でいてくれるだけで、私も何かとやりやすいわけだし」
 カップを口に運んでから、ゲクランは片目を閉じてみせた。
「ではゲクラン殿が、今回の議会に来られたもう半分の理由は?」
 宮殿仕えの大臣格だけで行われる小議会と違い、季節ごとに開かれ、集まった諸侯やその代理の意見が飛び交う本議会で、最終的に国の、四半期ごとの執行予算は決定される。王になったばかりのアンリはまだ出席の経験がなく、その概要をポンパドゥールに聞いているのみである。百年戦争開戦前には、長い議会が年に一度、開かれていただけとも聞く。
「ボーヴェ伯と会って、今後のことを話し合いたいのよ」
「軍務大臣の。彼とはまだ、きちんと話をしたことがありません。小議会の時に、挨拶をする程度で」
 若い頃は戦場でかなりの武勲を上げたと聞く、強面の男である。ゲクランと近しい仲であることは、それとなく知っていた。ゆえにか、ポンパドゥールたちが形成する一派とは、控えめに言って政策的に対立することもあるようだ。
「私の父と、轡を並べた男よ。父ベルトランとは、義兄弟のような絆があった。血の繋がりはないけど、私にとっては親戚みたいな関係ね。私が故郷を追われ、この地域を拠点とする時にも、尽力してくれた。今の宮廷で、私が最も信頼している人間。とっつきにくいだろうけど、国として私の助けが欲しい時は、彼を通した方がいいわ。手続きは大事だしね。今はあなたを長い間庇護したって実績があるからいいけど、この先もずっと直接、閣僚でもない私に話を持って来られると、人間関係で政をやっていると、陰口を叩かれかねないわよ。愚昧な君主は、友を連れてきて組閣する。賢明な君主は逆に、組閣された者たちと友になる」
「至言です。ボーヴェ伯とも、よく通じておきます」
「で、彼に相談というか、聞きたいことがあったのよ。私の考えていることが可能かもしれないとなれば、直接議会で私が提案するつもり」
「内容は、今聞いてもいいですか」
「アッシェンの、常備軍」
 アングルランドに、それがあることは周知の事実である。対して、アッシェンにはそれがない。あえていると言い張れば、城の守兵などはそう言えるだろう。が、その数はあまりにも少ないし、城仕えの騎士が、事前に登録してあった民を集めてそれに当たることが多く、職業的な軍人と言えるのは中核の騎士たちだけだ。
 アングルランド軍が強いのは、徴用兵を主力とするアッシェンと違い、国が直接面倒を見る職業軍人の多さによる。ただ、設立にも維持にも、相応の金が掛かる。
「可能でしょうか、今のアッシェンに」
「無理ね。だからこれは、ちょっと先の話。アッシェンの財政が今より正常化しても、多分無理」
「けれどその口調から察するに、やりようはあると」
「西進ね。私の故郷・・・旧ゲクラン領モン・サン・ミシェルまでの長い道程で、その途上にある二剣の地のアングルランド直轄地、これを全て手に入れたとして・・・と、ここまで、絵図は描ける?」
「二剣の地を横断し、かの地を南北に両断することになります」
「その南の土地で、アングルランドの直轄地になってるところ、あなたが手に入れなさいな。信頼できる諸侯を見つけて、その彼か彼女に軍を指揮させればいい。分断された二剣の地の、大半はアッシェンに靡くはず。取り残されたアングルランド直轄地もほとんどが孤立するから、落としていくのはそう難しくないはずよ」
「なるほど、戦略というわけですね。そしてそれらを王の、アッシェンの直轄地としていけば、充分な税収を得られると」
「そこまでやったとして、それでアッシェン常備軍なるものが可能なのかどうか、ボーヴェ伯に現状と展望を聞こうってわけ。可能とあらば、私は私の西進の予定だけじゃなく、今言った展望について、明日の議会で発言するわ」
 そこでコレットが、またも際どい問いを投げかけた。
「それらも、ゲクラン様が支配していったらどうですか? 今でもアッシェン随一の領主様です。二剣の地の南も手にしたら、ゲクラン様が王として立たれても、諸侯はおろか教皇様もそれに賛同すると思いますが」
 これには、さすがのゲクランも吹き出した。
「コレット、あなた才能あるわね。周りが口にできないことを、たやすく言ってくれる。けどそうね、私に王たる資質はない。謙遜で言ってるんじゃないわよ。嘘っぽく聞こえないよう、あなたにだけ本心を教えてあげる。アンリに出会わなかったら、それもちょっと視野に入れてた。でも私の代で、私より若くて、王になるべき人間が王になったのよ。だったら私は、忠臣でいた方がいい。私の目標は、あくまで”故郷”を取り戻すこと。王になったら、先頭切って戦に出れないじゃない。私はね、私自身の力で、私の故郷を取り戻したいのよ。父と暮らしたあの城を、なんとしても奪い返したい」
 ゲクランに連れられて彼女の領地を転々としていた際、いつも聞かされていた話だ。なのでアンリは、ゲクランの戦の動機が野望ではなく、切望であることを知っている。
「先王はそれなりに出来た王ではあったけど、野心が強く、おまけに愛妾のポンパドゥールを宰相にまで引き上げた。幸い彼女にその資質はあったけれど、融通が利かない上に、私に敵対的ですらあった。だからその時はコレット、あなたが言った通り、王までいかなくとも、アッシェン王を凌駕する力を手に入れようかと、半分本気で考えてもいたわよ。けど、状況は変わった。私に力を貸したいと言ってくれる人間が、王になったのよ。なら私は忠臣になって王を支えつつ、私の願いを叶える。それらを両立できる絶好の機会を得たと、私は思っているわ」
 何度か頷いた道化師の娘は、今度は別の角度の質問をした。
「そういうば王様とゲクラン様はこう、ずっと以前からのお知り合いなのですか。王様が王都を脱出した後、二人が新ゲクラン領を転々とされていたのは知っています。けれどその数ヶ月で親密になったにしては、王様がゲクラン様を、信頼し過ぎているような気もするのです。まるでずっと以前から、友だちだったみたいな」
 さすがに、こういったところの洞察力はいい。どちらが話すかゲクランと目を合わせたが、語り口はこちらに譲るというように、ゲクランは手ずから自分のカップに茶を注いだ。
「あれは、何年前だろう。四、五年以上前かな、ゲクラン殿が僕の元に訪ねてきたのは。伯父としばらく話をした後、二人きりで少し話したんだっけか。その時の細かいやりとりは覚えてないけど、僕が本当に困った時は、助けてくれる。そう言ってくれたのは覚えているよ」
「ウソウソ。コレットの前だから、照れてるの?」
 煙管に火を着けながら、ゲクランが笑う。
「あなた、私と話している時に、貴族の偉い人なんですかって。そういう人が会いに来たということは、僕もそうなのかって。で、そんなところよって答えたら、私に何か困ったことがあったら、その父を頼れって」
「あれ、話が逆じゃないですか」
 先程からコレットもゲクランに対抗するように、鞄から取り出した筒状のものをくわえている。紙巻き煙草の形状に似ているが、甘く爽やかな香りがした。ミントと、甘味の香料を混ぜたものだろうか。煙はない。
「だから、照れてるんでしょうよ。アンリが自分の父親が誰かも知らずにそんなことを言うもんだから、私もあなたが困ったら守ってあげるって、約束しちゃったの」
 僅かだが自分の頬が熱くなっているのを、アンリは感じていた。
「思い返す度、二重三重に恥ずかしい話です。父が王と知っていたら何を偉ぶっているんだって話だし、下級の騎士なら思い上がるなという話で」
 ゲクランが意地悪そうな笑みを向けて来るので、アンリは話の主導権を彼女に譲った。
「そういえばアンリは、自分の父親が先王だと知ったのは、いつ?」
「先王、相次いで王子が暗殺された、あの時ですよ。初めてマグゼ殿から自分の出自を聞いた時も、現実感がなくて」
「本当? マグゼは、当時のあなたにあまり動揺した様子はなかったと言ってたけど」
「だから動揺し過ぎて、反応ができなかったんですよ。いや、その頃にはもう、自分がそれなりの地位の貴族の隠し子だって、勘づいていました。ゲクラン殿のみならず、マティユーさんやシモーヌさんが、当時はお二人とも偽名を名乗っていましたが、ちょくちょく僕の様子を見に来ていましたからね。伯父ともよく、長く話し込んだりして。ゲクラン殿と初めて会った時は、騎士、運が良ければ準男爵くらいの隠し子かも、と期待していました。けれどお三方が度々僕を訪ねるので、これは男爵、ひょっとしたら伯爵くらいの線もあるかもって、夢も見ました。この頃には、貴族の序列も大体わかってましたからね」
「さすがに、王の子だとは思えなかったのね」
「思えば僕が生まれてから移転したという伯父の印刷所は、このシテ城に近かった。目の届く所に、置いておきたかったのでしょう。反宮廷的な新聞や小冊子、ちょっと教会が眉をひそめるような、たとえば同性愛を扱った物語を取り扱っていたのは、煙幕のようなものだったのですね」
「どうして、目くらましだと思った?」
「伯父が、進んでそういう印刷物を取り扱うような人間ではないからですよ。どんな仕事でもやるし、選り好みする余裕はないと伯父は言っていましたが、少々反体制的なものを扱っていれば、敵の忍びの目をくらませることができると、そういうことかと。王家に縁のある人間が、そんな所で働いているとは誰も思わないでしょうし」
「その通りよ。王に非嫡子とはいえ、直接の血を受け継いだ息子がいることは、なんとしても隠し通さなくちゃいけなかった。その存在すらね。先王の醜聞を隠す意味合いもあったけど、もし先王がアングルランドに暗殺されることがあったら、三人の王子もきっと同時期に殺されるだろうって、私やマグゼたちは思ってたからね。アングルランドの忍び”囀る者”は、今もパリシ中にいて、僅かな違和感も見逃さない。なので物理的な距離は保安上近づけなくちゃならなかったけど、存在自体をできるだけ王家から離さなくちゃならなかった。私も含めて何人かの貴族があなたを訪ねた時も、そこに暮らしている人にはそうとわからないよう、それでいて超がつくほどの厳戒態勢だったのよ。それこそ通行人の十人に一人は、王の忍びだったくらいにね」
「そこまでだったのですか。どの方も客の振りをして来たので、お忍びだとは思っていましたが」
「話を戻すとコレット、そんなわけで、アンリと私の付き合いは、それなりに長いのよ。まあ私も最初は、王家の跡目争いに混乱が起きた時に、何か使い道のある手札の一枚になるかもと思って近づいたんだけど・・・」
 まぶしい笑顔をこちらに向け、ゲクランは続ける。
「これがまあ、子供ながらに大したタマだと思ったわけ。人を見る目には自信があるからね。ああ、これは将来、主として仰ぐべき人間になるなって、そう直感したわ。だからあの時の約束は、本心よ。何かあったら助けると、私はあなたに誓った。アンリも、私を守ると言った。あの時にもう、アンリがそれなりの地位を得ることがあったら、主従関係になると決まっていたわけ」
 アンリに、その自覚はなかった。ただ、アンリが最初に得た家臣は、まぎれもなくゲクランなのだった。
「コレット、どう? あなたが私を警戒する気持ちもわかるけど、私とアンリはそういう関係。パリシ奪還に本気で当たったのも、そういうわけよ」
「はあぁ。王様の為だったら、命を懸けてもよいと」
「気持ちはね。ただ、私にも守るべき領民がいる。パリシ奪還が頓挫したら、アングルランドに降伏して自領を守り、旧ゲクラン領を取り戻す交渉ができないものかと、考えてもいたわよ」
「その場合、王様はどうなっても良いと?」
「いえ、助命の嘆願はしたでしょうよ。その時だけじゃなく、恒久的な庇護をね。引き換えに、そうね、宰相ライナスは、私にアッシェンの残党を率いる元帥職を提示していたでしょうね。癪だけど、そうなったら、引き受けざるをえなかったと思う」
 ゲクランは、自分が負けることも見越して、身の振り方を考えていたということだ。どんな結果になるにせよ、アンリだけは守るという形で。
 今のアンリも、まだ枢機卿と宰相しか知らないことだが、一つ、同じようなことを考えている。それはその時まで、他の誰も知らなくていいことだ。ゲクランに相談することもできるが、余計な心配を掛けたくはなかった。アンリもまた、ゲクランを守りたいのだ。
「思ったより、話が長くなっちゃったわね。アンリも、忙しいんでしょう?」
「一応、決済は自分で理解して、ということにしています。署名をしていくだけなら簡単に終わる仕事なんでしょうが、それひとつに多くの人の人生が懸かっていると思うと、どうしても周りの者の手を煩わせることになってしまって」
「自分の仕事の意味がわかっているというだけで、あなたは立派な王よ。ホント、さっきの話、何かあったらボーヴェ伯に相談してみて。私自身も、議会がなくともパリシに来ることは頻繁にあるわ。ここにいる時は、いつ呼び出してもらっても構わない。じゃ、明日の議会で会いましょ。あの場では、こんな砕けた話し方はできないけどね」
 言って、ゲクランは中庭を後にした。こちらも見ずに、手をひらひらと振っている。
「それじゃあ、僕も執務室に戻るとしよう。コレット、この後の予定は?」
「王様が必要になられた時に、お傍に参上致します」
「いつも不思議に思うんだが、どうして君にはその時がわかるんだい?」
「一応、その日の予定には目を通してますよ。それを見て、こことここは私を必要とするかもしれないって、予測を立ててるんです」
「そうなのか。まるでタネがわからない仕掛けで、これも手妻の一種なのかと思ってた」
「手妻にも、技量とそれを高める鍛錬が必要です。私はずっと、宮廷道化師として復帰した時の為に、その鍛錬を怠らずに生きてきたのですよ。ああ、この歳ですので、たかが数年の話ですけど」
 先王の不興を買って、下女に落とされたコレットである。しかしその後もずっと復帰できることを信じて、ひたすらに技を磨いてきたのか。当時は今のアンリと同じかそれより下の年齢だったと思うと、ちょっと考えられないくらいの執念である。
「だから、王様にはとても感謝しているんです」
 真っ赤になった頬を擦りながら、コレットが言う。
「ゲクラン様に負けないくらい、私も王様にお仕えしますよ」
 コレットは逃げるように、そこから駆け出して行った。
 ゲクラン、リュシアン、ポンパドゥール、そしてコレット。
 自分は家臣に恵まれているのかもしれないと、アンリは思った。

 

 

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