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プリンセスブライト・ウォーロード 第17話
「感謝の土台の上にしか、誇りという城は建たないのだな」

 

1,「私ここでなら、いてもいいんだって思えそうな気がします」


 この幕舎も今後しばらくは使わないな、とアナスタシアは思った。
 当面外の、新生霹靂団相手に商売をする為に集まった者たちの天幕は依然として残るだろうが、団が仮の軍営として使っていた幕舎のほとんどは、もう片付けられていた。今アナスタシアが使っているこれも今日には畳み、新しく出来た兵舎の倉庫に運び込まれることになる。
「ああ、これ、団長好きなんじゃないかと思って、買ってきました」
 木皿に湯気の上がる蒸かしたじゃがいもを乗せ、アニータが入ってきた。
「気が利くじゃないか。お、バターもたっぷり乗せてあるな」
 行軍用ストーブの上に乗せたやかんが、ぴいぴいと鳴き声を上げ始めたので、アナスタシアも紅茶の準備をした。この薪ストーブもつい先日まで単に湯を沸かす為だけに使っていたが、そろそろ本来の、暖を取る為の役割を取り戻しつつある。それに両手をかざしながら、アナスタシアは言った。
「私の分も残しておけよ。私が好きだと思って買ってきたのだろう?」
 バターたっぷりのじゃがいもは、既に半分近くをアニータに平らげられている。
「あ、あの、シュゾンです。面談の件で・・・」
 幕舎の外から、か細い声がする。アナスタシアが入室を促すと、先日の選抜試験以来の、長い黒髪の少女が入ってきた。
「そこに、掛けてくれ。身体の具合はどうだ」
「血を、失っていただけのようです。もう、大丈夫です」
 相変わらずその表情は沼の底を見つめるように沈んでおり、何より、目に光がない。だがこのシュゾンは、一度の長駆で、兵の心を掴んだ。体格に恵まれてはいないが、中々希有な才能を持っていると、アナスタシアは評価していた。
「まだ名と出身、年齢ぐらいしか聞いてないからな。今日の面談で、お前のことを教えてもらう。質問や希望があったら、都度、聞こう」
 小柄で華奢な少女は、こくりと頷く。
「何を、話せばいいですか」
「何でも。聞いた話の内容で、今更落選ということはないよ。ではそうだな、まず入団希望の理由を聞かせてくれ」
 シュゾンは俯きながら、何度も口元に指をやっている。慎重に言葉を選んでいるのだろう。
「その・・・自分で死ぬ勇気がなくて、あの、ここなら、意味のある死に方ができるんじゃないかと思いました」
「お前みたいな娘が言うと、重たいな。老兵が、死に場所を求めて口にするような台詞だ。自殺を考える程、お前を苦しめていることがあると思っていいのかな。ただ、私は部下にたやすく死ねというような命令は出さないよ。それでも、そうだな、死ぬ時は多少それに意味を持たせてやることは、できるかもしれない」
 ちゃんと、会話が噛み合っているだろうか。シュゾンのこれまでの言葉は大抵言葉が少な過ぎて、これまでもはい、いいえ以外の言葉はほとんど聞かなかった気がする。
「話せる範囲で、お前を苦しめている事柄について教えてくれないか」
 顔を上げたシュゾンの視線は、横で書き付けを行っているアニータの方へ向かった。気づいたアニータも、顔を上げる。
「アニータは、私の副官だ。基本的に、情報は共有している」
「あーでも、シュゾンさんが望むなら、席を外しますけど」
「残っていろ。シュゾン、何もお前の過去をほじくり返して、それを酒のつまみにしようというのではない。知らずお前に無理なこと、苦手なことを押しつけないよう、できないことはある程度把握したいと考えている」
「・・・はい」
「私とアニータだけじゃなく、今後の指揮官たちにも共有してもらう話だ。なので、本当に話せる範囲で構わないよ」
「い、いえ、話せます。あの、ええと・・・」
 アニータがさりげなく、シュゾンの前に紅茶と小皿に分けたじゃがいもを出していた。
「肩の力を抜いてくれ。ただでも重い話なんだろう。それを食べて、一息ついてからでいい。ああ、じゃがいもは食べられるか? アッシェン人はこれに抵抗がない者がほとんどだが」
「食べられます。いただきます」
 一口それを頬張ると、ちょっと不思議なものを見るような目で、シュゾンはカップに手を伸ばした。紅茶が珍しく、かつ食事前に軽く十字も切らないというのなら、相当に下層の出自なのだろうと推測できる。それらを飲み込んだ後も中々シュゾンが口を開かないので、呼び水として、アナスタシアは自分のことを話すことにした。
「では、私が先に。いくらか知っている話もあるかもしれないが・・・私の父はここより遥か北の地で傭兵団の団長をしていてな。娘の私に後を継がせる気はなかったようだが、幼い私はあることをきっかけに剣に憧れを抱くようになり、いくらかの時を経て父に認められ、入団した。下働き、輜重隊と少しずつ階を上っていき、指揮官を務める頃に、父を失った。そしてそのまま後を継いだというわけさ。それが前の霹靂団で、今私は、その想いを継いだ傭兵団を起ち上げようとしている」
「その・・・どうして、剣に憧れたんですか」
「強い者に、憧れたのだな。単純な理由だ。あれは私が八歳の頃だったかな。当時の大陸五強とそれに匹敵、あるいは凌駕する者たちが一同に会した武闘会があってな、父も出ることになったので、私もそれが行われるゴルゴナまでついていったのだ。そこに同じく出場していた、セシリアという剣士に、感ずるものがあったんだ。大会の前後やゴルゴナで何をしたのか等の記憶は曖昧なんだが、次の日から父に、剣を教えて欲しいとせがんだそうだ。もっとも父も出ていたことを考えると、父とセシリア殿が剣を交えていたら、私の想いもちょっと違ったものになっていたかもしれないな」
 当時のことをあまり覚えていなくとも、大会の全ての試合の攻防は、今も克明に覚えていた。シュゾンに話してあらためて、あそこが自分の原点なのだと実感する。
「剣士としては、”掌砲”セシリア殿。傭兵としては”北の戦鎚”と呼ばれた父ヴラジミルの背中を、今も追い続けている。セシリア殿は半ば剣を捨て、父は既に故人だが、この想いはずっと変わらないだろうな」
 これまであまり人と目を合わせなかったシュゾンだが、この話はこちらの視線を受け止め、真剣に聞いている様子だった。いや、この娘に不真面目さのようなものは感じたことはないので、本当は何事に対しても真剣なのかもしれない。ただ、心に影が差す時に、俯く癖はあるようだ。
「私の、話は・・・あまり気持ちのいいものではありません。それでも、聞いて頂けますか」
「聞こう」
「私は・・・その、父が、生まれた時からいませんでした。私が三つか四つの時、母が再婚して・・・その義父が、私を、その、痛い目に遭わせてきました」
「虐待に遭っていた。そう捉えていいのかな」
「はい。母も私も、よく殴られました。そして、犯されました。初めはそれが何かわからなくても、ひどいことをされていることはわかっていました。それに義父はよく、知らない男を連れてきては、私たちを犯させ、金を受け取っていました」
 膝の上に置かれた拳が、強く握られる。またも長い沈黙が下りたが、アナスタシアは辛抱強く、次の言葉を待った。
「三年前、母が義父の暴力で、死にました。でも見ていたのは私だけで、警備兵が調べにきても、母は事故で死んだのだと言い張りました。私も義父が怖くて、義父の話に合わせました。そして義父が無罪と決まった日に、私の中で何かが毀れたような気がします。私はその晩、父を殺しました」
 そんなことまで語る必要はなかったが、今更話を止められる雰囲気でもない。先日の長駆といい、走り出したら止める間もなく危ういところに飛び込んでしまうのが、このシュゾンの特徴のようだ。
「だから私は、裁かれなくてはいけないはずです。けれどそれが怖くて、パリシを出ました。でも本当に逃げてはいけない気もしていて、パリシ周辺の町や村で、身体を売って生き延びていました。なので、その、ここまでお話しした以上、私はここにいてはいけないのかもしれません」
 そう言って目を伏せたシュゾンに、アニータが少し作った、明るい声を掛ける。
「ここには、その、結構な犯罪歴を持った荒くれ者たちも集まってますから、シュゾンさんでも、大丈夫ですよ」
 随分な言い草ではあるが、一応アニータの言いたいことはわかる。
「義父を殺した件は、パリシ、つまりイル・ダッシェンで起きたことなので、ここ新ゲクラン領で裁かれることはない。が、清算しておいたほうが良い案件でもあるな。ここはパリシに近い。そうだな、今までの話から、正当防衛か、それに近いものが成り立つだろう。一度法廷に立つ必要があるだろうが、こちらでお前の立場は守ってやれると思う。罪悪感があるとすれば、それはこちらではどうしようもないが。義父のことは、心底怖かったのだろう?」
 シュゾンは彼女にしては珍しい、泣き出しそうな顔をしている。
「いつか、母さんみたいに殺される。そう思って、殺しました。母さんの、復讐だとも」
 今の言葉は、こちらが引き出した。前段の言葉だけを通せば、この話は比較的すんなりと片付くだろう。弁護士を雇う必要があるが、実はこの手の話は戦乱続くような場所では珍しいものではなく、こういう案件を手がける弁護士は苦労せず見つかるはずだ。
「つらい経験だっただろう。死に切れないとは、このことか」
「自分を失くしてしまいたい時に、男に抱かれていたような気がします。苦しくても、これが自分の罪だと思うことで、なんとか自分を保っていられます。ただ、いつか自分の罪は、何かしらの形で償いたいと、そう思って生きてきました」
「そのまま義父殺しの罪を認めると、なにかその男に最後まで振り回された形になるからな、すんなりと自首したくなかった気持ちもわかるよ。それにお前のような者の多くは自傷癖を持っているが、お前の場合、男に抱かれることでそれを為しているのかな」
 短い袖から露になった若くて白い腕には、目立つ形での、傷らしいものはない。この手の苦悩に身を焦がす者は、大抵手首や肘の裏側に刃物で傷をつける癖があるが、シュゾンは違った。逃避か、自罰か、助けを求めているのか、ともあれ自分を傷つけずにはいられない時に、身体を売っているということはわかった。
「一番やりたくないことを、それゆえに、やらずにはいられない時があるのだな。先日、酒保の方で身体を売っていたという話も聞いたが」
 再び、シュゾンが俯いた。手は、震えるくらいに強く握りしめられている。
「それをせずに済むよう、我々も努力する。が、抑えきれなくなった時は、私に止める権利はないな。とはいえ兵舎でそれをやられるのも困る。酒保に娼婦たちを束ねる者がいたな。彼女の方に、私から話は通しておこう。その形で良いかな」
 口元を両手で押さえたシュゾンは、しかし溢れ出す涙を止められずにいた。
「すみません。こんな話をしたら、追い出されると思っていました。私でも、ここにいていいんですか」
「ここで傭兵をやる環境は、こちらである程度整えてやれる。お前が兵としてどこまでやれるのかは、お前次第だな」
「ありがとうございます。本当に、精一杯努力します」
「と言っても、お前はやり過ぎるきらいがあるからなあ。限界ぎりぎりまでやって欲しいと思っても、その限界をたやすく乗り越えてしまう危うさは、充分見せてもらった」
 アナスタシアは笑ったが、シュゾンはいつまでも涙を拭っていた。
「明日も動ける、その辺りまでは自分を追い込むことを許す。まずは、余力を残すことを覚えろ」
「はい、そうします」
「あ、なんか話まとまりそうですけど、私からもいいですか」
 アニータがどこに隠していたのか、クッキーを頬張りながら言った。それを飲み下しながら、三人のカップに紅茶を注ぎ足す。
「最初に言ってた、意味のある死に方っていうのは、どういうことなんです?」
「・・・私はこれまでの生き方に、意味があるとは思えませんでした。初めて自分で死のうと思った時にそれを怖いと思ったのは、死そのものより、何もないまま、ただつらい、怖いだけで終わるのが、すごく嫌だと。悔しいとも、思いました。義父を殺して彷徨っていた時も、身体を売るしかできない私は、家で怯えていた時と、何も変わりがありませんでした。意味のある死というのはあえて言葉にすればそうだというだけで、何かひとつでも、人に感謝されたり誰かの命を救ったり、とにかくそういったものをひとつでも残さないと、死んでも死に切れないって・・・」
 一気にまくしたてたシュゾンだったが、ふと、何かに思い立ったようだった。
「わ、私、わかりました。どうして行く先々で、皆が私を嫌ったり、蔑んだりするのか。私さっきから、いえずっと以前から、自分のことばかり考えていますね。だから私、嫌われるんですね」
 思わず、アナスタシアは吹き出した。つられて、アニータも笑っている。
「そういう話じゃなかったんだがな。まあ、ここじゃお前を嫌う奴はほとんどいないだろうさ。これまでがそうだったとしても。だがそれに気づけるだけ、お前は真っ当だよ。なに、そこまでつらい人生を送ってきたのなら、まず自分の身を守ろうとするのは自然なことさ。そんな弱い立場の人間が他人の為に尽くそうと思ったなら、今頃間違いなく命を落としている。たとえ自分だけの為であれ、お前の一生懸命さは間違いなく、あの場にいた連中の心を動かしたぞ。医者の所に運ばれる時、大勢の者がついていっただろう?」
「・・・はい。不思議でした。今でも、理由はわかりません」
「確かにそれは誰の為でもなかったかもしれない。ここに身を寄せたい一心で、お前はお前の為だけに走った。そのひたむきさに、私自身も胸を打たれたよ。ああ、ここまでの情熱や必死さをもって、私はこの新生霹靂団を旗揚げしたのかと、突きつけられるものがあったな」
「私もちょっと、今まで以上に気を入れてやらなくちゃって思いました」
 アニータも同意する。終盤共に駆けたことで、より感化された部分は大きいだろう。
「お前のような者がいるべき場所を、ちゃんと用意してやらなくちゃいけないなと、あらためて思ったよ」
「私、ここにいたいです。初めはちゃんと傭兵ができるかどうかなんて考えず、ここならひょっとしたら私にも剣を持たせてくれて、ちゃんと殺してくれるかもしれないって、それだけを思い詰めてて」
「死ぬ奴が多いが、傭兵団は、死ににくるところじゃないよ。私がお前に教えるのは、生き残る術だ。ただ、お前の屈託はお前だけのものだ。誰のそれが軽いか重いかではなく、しかし傭兵なんて、所詮そんな者の集まりかもしれないな」
 アナスタシアがもう一度笑いかけると、シュゾンの暗い瞳にも、僅かな光が灯った気がした。
「ああ、そうだな。私も前の霹靂団が壊滅した後、頭のどこかで死ぬことばかり考えていた。最後にあのセシリア殿に、憧れた人に介錯してもらおうと、その一心で、彼女の静かな暮らしに土足で踏み入った。ただ、あの場所で私は、生まれ変わったんだと思う」
 パイプに手を伸ばした。火をつけている間にセシリアの娘、セリーナの顔を思い浮かべる。
「にも関わらず、ゲクラン殿とアンリ王にほだされて青流団を率いて戦をし、次はこのアニータにそそのかされて、新しい傭兵団を起ち上げようとしている。戦に、取り憑かれているのかな。何かやり残したことが、まだ戦場にあるような気がしているんだ。軍人として、早く燃え尽きたい。さもないと私は、自分の本当の夢に対して、きちんと向き合えない。なあ、自分の酒場を持ちたいと今ではその修行までさせてもらってる者が、その夢の前に大勢の人間を殺さなくちゃいけないというのは、傍から見れば大分おかしな話だろう?」
 頷くべきかわからないのだろう、シュゾンは挙措に戸惑いを見せつつも、アナスタシアをじっと見つめていた。
「このアニータなんて、姉に復讐したい一心で、私を地獄への道連れにした。ひどい奴なんだよ」
「うわ、言い方。シュゾンさん、団長はいつもぼうっとしてるように見えますけど、口を開けばこんなです。どこか、頭のネジが外れてるんですよ。あまり、見た目に騙されないように」
 シュゾンはアニータの圧力に負けて、ためらいがちに頷いた。目元に宿るどうしようもない暗さが少し晴れ、この娘の本来の器量の良さが垣間見えた。
「死にたいなんて気持ちは、そう簡単に変わるものでもない。けど私は、お前とお前の仲間に、少しでも生き残ってほしいと願うよ。さあ、話はこのくらいにしておこうか。先程言ったように、お前の話は今後指揮官たちである程度共有する。義父の件までは話さないが、虐待を受けたつらい過去がある、くらいだな。その話をしたくなるくらい信用のおける仲間が、できるといい。ここまでの話で腰が引けていなければ、私たちはお前を歓迎する。どうだ」
 シュゾンが、力強く頷く。ほんの少しだけ口元が上がったのは、この娘なりに笑おうとしたのかもしれない。いずれ、本当に笑えるようになればいい。
「よろしくお願いします。初めてです。私ここでなら、いてもいいんだって思えそうな気がします」
「そうか。あらためて、よろしく頼む」
 手を差し出す。おずおずと手を伸ばしたシュゾンは、アナスタシアの手を、何か大切なもののように両手で包み込んだ。
 その晩も、いつもの通り、蜜蜂亭で働いた。
 帰り道、城へ向かうアナスタシアの傍に、いつの間にか歩調を合わせている人間がいた。忍びの技か、直前まで気配を感じなかった。
 上げた頭巾。月の光を照り返す銀髪は、自分の頭もこんな風に見えているのだろうかと思わさせられた。
「早いな。北は、どうだった」
 黄金の瞳は、どこか笑っているようにも見えた。新生霹靂団の忍びとなった、ラルフである。
「概ね、あんたの言う通りに。二人を除いて、生き残った霹靂団の者たち、あるいはその遺族たちに接触できた。居残った者を含めれば、二千を超える。俺が実際に会ったのは五百に満たない。が、金が用意でき次第、全員にとあんたがこだわっていた、恩給を出せる手筈は整えてある」
「助かる。お前たちに渡す金も、少し弾まなくちゃな。二人接触できなかったというのは、どこかで命を落としていると考えていいのか」
「いや、一人は行方不明だ。戦場でも死体を見かけた者はいないそうだ。フーベルトに、連れ去られたという噂も聞いた」
「ニーカ、で合っているか」
「その女だ。引き続き、安否を探ってみる」
「頼む。最後の場にもいなかったので、死体の山に埋もれていたかと、半ば諦めてもいた。死を確実にできなかったのなら、生きている可能性を信じたい。グリゴーリィと並ぶ、私の副官だったからな」
「もう一人はその、グリゴーリィだ」
「ああ、パリシのスラヴァル人地区で、噂を聞いた。あの後宮殿に乗り込み、女帝を激しく糾弾、投獄されたとの話だが」
「捕縛され、城の地下牢に幽閉された。現時点での生死はわからない。生きているとわかれば、こちらも相応の準備をして救出に当たれる。やるなら、多くの人員を割くことになるが」
「あの城の地下牢か。私も何度か行ったことがあるが、一か八かで、突入できるところじゃないな」
「その通りだ。こちらで一人、その近辺で働くことができないか、試している。急げば、犠牲は避けられないだろう。無論、それでも急げと言われれば、やるつもりでいる」
「いや、今は生死の確認に専念してくれ。しかし、残りの者には接触できたんだな」
「ああ、そこであんたに一つ、朗報がある」
 その気もないだろうに皮肉っぽい笑みに見えてしまうのは、この忍びが生きている暗い世界がもたらす、傷痕のようなものか。
「生き残り、戦える者たちは、既にこちらへ向かっている。百名程だ。率いているのは、副団長のボリスラーフ」
 ふっと、胸が熱くなる。生き延びてくれただけでも充分だが、もう一度、アナスタシアの旗の元に馳せ参じてくれるのか。
「ありがたいな。お前にも、彼らにも、神にも感謝したい」
「俺は、またお前が傭兵をやると伝えただけさ。皆、お前が再び旗を掲げるのを待っていた」
「そうだったか。アニータにそそのかされるまでは、本当に剣を捨てるつもりだったのだが。この時ばかりは、今の選択で良かったと思えるよ」
 旗揚げの話が広まれば、何人かはアナスタシアの元を訪ねてくることもあるだろうとは思っていた。あの時生き残ったのは、百五十人。二千から、ほとんど全滅と言っていい数字だ。不甲斐ない指揮をしたことに、今でも後悔の念が絶えない。それでも何人かはアナスタシアを見捨てずにいてくれるかと、自嘲したくなるような、それでも捨てきれない甘い期待はあった。が、こちらにやってくるのが百名とは、あの場で生き残り、かつ今後も戦えそうな者たちの、ほぼ全員である。
「ボリスラーフから、言伝はあるか」
「共に、新たな霹靂団を作り上げたい、だとさ」
「不思議だな、懐かしい面々と、新たなことを始めるという感覚は」
「なるほど、あんたもそんな笑顔を浮かべる時があるんだな」
「笑っていたか。ああ、うれしいよ。あらためてありがとう、ラルフ」
 銀髪の忍びは、肩をすくめた。この程度は、朝飯前の仕事なのだろうか。
「俺は、しばらくこの町に残る。スラヴァルの連中と、なにより俺らの給金の話があるからな。その手筈が整うまで、ここを出るつもりはない」
「すぐに、手配するよ。パリシから、スキーレ銀行の人間に来てもらう。明日、書簡を出そう」
「俺が直接行った方が、早そうだな」
 言って、ラルフは今度こそ、屈託ない笑顔を見せた。

 

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