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4,「私たちは、何を守ってきたのでしょうか」


 東からの攻略は難しくないというのは、結論というより確認だった。
 そもそも、平地のベラック城は、元々難所というわけではない。周辺に十の砦があり、城との連携が図れるようにはなっているが、一度ここに籠って敗れているアッシェン軍からすれば、堅城でないことは身をもって知っていた。加えて、十の砦の大半は西からの侵攻に備えたものであり、東からの侵攻に連携できる砦は、北東と南東の二つしかない。
 今アルフォンスたちが拠っているこのラステレーヌにしても、北に急峻な岩壁を持ち東西は鬱蒼とした森と、一見すると堅城ではあるものの、南側しか他の砦との連携は取れず、しかし敵はその南側から攻めて来るということで、救援待ちの時間稼ぎとしては打ってつけだが、余所からの援軍が期待出来ないのなら、閉じ込められてしまうだけの城だった。アッシェン南部戦線に今、大きな援軍は期待できない。敵もそうである今は堅城だが、この先の敵の動きによっては、見た目程の安心感はないなとアルフォンスは思っていた。
「んま、ここら一帯は、大昔の、対怪物の城ばかりだからな。怪物の集団が襲って来る、しかし周囲は全て味方ってのを想定してるのが多くて、人間の軍相手じゃ、うかうか籠城もできねえってわけだ」
 リッシュモンが口にものを含んだまま言った。副官のフェリシテも同席している、昼食を兼ねた、軽い作戦会議である。パンを千切りながら、リッシュモンの視点は地図のもう少し南を指していた。
 そこはこの南武線戦よりもさらに南、デルニエールとの境の辺境伯領であった。海岸から内陸までおよそアッシェンの横幅と同じくらいの何百kmに渡る長城が、今は対怪物の最前線である。なので南部戦線の城は防備に置いて無用の長物になりつつあり、ゆえにこの戦線ではあまり、攻城戦が行われてこなかった。
「そういやアングルランドから、捕虜返還の要求があったそうだな。もう一戦カマすまでは、一人も返さないんだろう?」
「一人だけ、返還に応じようと思っています。選定は、これからですが」
「意地が悪いねえ。何も知らない奴を帰して、敵さんを惑わすってわけか」
「まあ、こちらは一人も捕虜を取られていませんからねえ。次の一戦までは、大人しくして頂こうかと」
 食事を終えたリッシュモンは、楊枝をくわえて窓際に座った。あの歯並びだと、食べかすを取るのも一苦労だろう。こちらに口元を見せず、彼女はさかんに楊枝を動かしていた。その仕草がなければ、陽の光を覗き込みながら長い赤髪を背中に揺らすその光景は、深窓の令嬢といった趣さえある。
 一方こちらも優美さでは負けず劣らずのフェリシテが、副官らしく話を継いだ。
「アングルランドは、まだ本格的な増援を出す気配はないそうです。もっとも今からでは、次の戦に間に合わせることはできないわけですが。その分、ノースランド叛乱の鎮圧に力を入れるとの見立てです」
「それは、助かる。青流団がこちらにやってくるとしたら、その話だけでも次の戦を手控える必要が出てきたかもしれないからね。そうなれば、相手はベラックすら放棄して、さっさと西へ後退していただろうし。もっとも、先の話になるけど後顧の憂いがなくなったアングルランドが、どれほどの強敵になるのかは、考えたくもないけどね」
「今の内に、押せるだけ押す。それ以外ねえだろ」
 戻ってきたリッシュモンはしかし、紅茶を注ぐとそのカップを持ったまま再び窓際に陣取った。
「フェリシテ、こっちは最終的にどれだけの兵になりそうなんだ?」
「五万一千。一ヶ月以内の戦なら、これが限度かと」
「敵は」
「四万と・・・五、六千といったところではないでしょうか」
「それをさらに、半分以下に減らす。これが次の目標かね。布石は打ってるが、簡単な話でもない」
「最初から城に籠られたら嫌ですね。勝ち負けより、凄惨な戦になりそうで」
「だな。敵を殲滅させられるかもしれないが、こちらも相当な犠牲は出す。ま、一度は野戦で出て来ると思う。ああでも、相手が籠城するってんならあの手はいつかの機会に取っておいて、こっちもここに籠って冬を越すのもアリかな。ただ仕切り直しとなると、やっぱこっちが不利になるかね。こっちは徴兵で来てる兵が大半だけど、あっちは常備軍が残る。うーん、ここは犠牲出しても、速戦でいくべきか・・・」
 やはり、アングルランド常備軍の存在は、厄介である。よく訓練されているというのもそうだが、駐屯地に長く居続けるというのが、徴兵期間に戦を縛られるこちらに比べて、確実に有利な点なのだ。先方も徴兵された兵が主ではあるが、ほぼ全てがそうであるアッシェンとは違う。ただこちらにもリッシュモン軍という、故郷を持たぬがゆえに戦場に留まる軍をひとつ、手札として確保はできている。
 書類の束をめくりながら、フェリシテは眼鏡の位置を直し、艶のある唇を開いた。
「リッシュモン殿もご存知の通り、ベラックから西には、万単位の兵が籠城できるような城塞は、トゥールやポワティエくらいまでありません。アングルランドも兵力を分散させざるを得ず、ここで間違いなく戦線を押し返せるかと。それに今後しばらくはこちらも大きく兵力を落とすでしょうが、長期的に見て互いに徴兵勝負となれば、元来アッシェンであるこの地でそれを成せる我々が有利です。アングルランドは本国で徴兵をしても、それを船でこちらに運ぶ必要があり、どうしても時間はかかります。ここまで来る速度もそうですが、徴兵期間の点でも、やはりこちらに分があると」
「船で運べるってだけで、ホントは大したもんなんだけどな。制海権を握られてるってことだし。ああ、アッシェンに強い海軍があればなあ。対抗できるだけでも、敵はあっという間に、南じゃ干上がっちまうんだがな。言っても仕方ないことだけどよ」
 今や二剣の地と呼ばれるアッシェン北西部の緩やかな離反、そしてそもそも西の港を制圧されたことによりアングルランドが南の戦線を構築できたことを考えると、北の海岸線にいくつかある港湾都市にしか、アッシェン海軍と呼べるものはなかった。北部は、パリシ解放にも尽力した老アヴァラン公を除くと、アッシェン本国にあまり協力的とは言えない諸侯が多い。もっともそれは本国に対する忠誠心の低さというよりも、それよりも北や東に対する国々に対しての防備で手一杯で、こちらに兵を寄越す余裕などないというのが本当のところだろう。
 王家に剣を捧げているとはいえ、諸侯はまず自領の安寧に努める義務がある。国境付近の諸侯はよって、本国に対して非協力的なのも、仕方ない話であった。その最たる例はここからさらに南の辺境伯領で、彼らは日々、南からの怪物たちの侵攻に備え、また実際に戦っている。辺境伯ラシェルがパリシ解放に参戦したのはだから、彼らなりに相当な無理を押してのことだったのである。
 ちなみにこの南部戦線では当然ながら、過去に幾度も辺境伯領に援軍を要請している。つい最近もそれがなされたが、どちらかというと好意的な返答をもらえたのはそのラシェル伯のみで、彼女にしても、今は怪物の侵攻を止めるのに精一杯だということだった。時期が良ければ、あるいは辺境伯領での会合次第では、ラシェル本人か、負担を分担できそうな辺境伯の参戦もあるかもしれないということだった。ただ日付や期間的なことは一切明示されておらず、ラシェル自身はアッシェンの危機に再び救援の手を差し伸べたい意志があったとしても、社交辞令的なやり取りしかできないのが現状というわけだ。
「大分昔の話になるけどさ、アングルランドがリチャード王と宰相ライナスの新体制になって、最初に落としたのが、レヌブランだろ? あれをやられたことで、アッシェンは海での力を失ったんだよな。レヌブランの海軍が特別強かったって話でもなかったようだが、北部最大の港にしてアングルランドへの玄関口を失ったことで、アッシェンの海軍は北と西に分断されちまった。当時は今程アングルランドの国力があったわけじゃない。それでも死力を尽くしてあそこを落としたライナスってのは、やっぱ大した軍略家だよ。あれがなければ南の戦線は随分昔にこちらが奪い返していただろうし、パリシに攻め入られることもなく、かつ二剣の地なんてのも、今の半分もなかったんじゃないかね。難攻不落と言われたレヌブラントを一発で落とし、レヌブランを傘下に置いた。最初に一番キツい賭けを乗り切ったアングルランドは、以後は戦線を拡大させつつも、国力の増強に邁進できた。さらに軍制改革で、アングルランド軍を一枚岩にできた。あらためて、凄い奴だなあって」
「そのライナス殿が、今は北の叛乱に注力することに決めた。南部戦線絶好の機であり、しかし残された時間はあまりないのかもしれませんね。あ、ありがとう、フェリシテ」
 横着にも席に座ったまま紅茶のポットに手を伸ばしていたアルフォンスだが、フェリシテはわざわざ立ち上がって、それをこちらに運んできた。戻り際の微笑に、なんともいえない圧力を感じる。一転して凛とした表情で、フェリシテはリッシュモンに言った。
「今は目の前の戦に集中しましょう。リッシュモン殿、野戦の想定はもうお済みですか? 両城の間には、前回のように双方全軍で対峙できるような戦場はありません。次回はこちらも攻城兵器を持参するとなれば、組み立ては現地で行うにしても、輜重隊の規模は増大します。少なくとも本隊は、街道をまっすぐ西進することしかできないわけですが」
「それでいい。そこにあたしとアルフォンス、それにブルゴーニュ親子の内どっちかが付いてくれば、形にはなる。残りは二つに分けて、北と南から迂回、ベラック北東、南東の砦へ向かわせる」
「今度は一見、真っ当な攻め口に見えますね。中央が破られるようなことがあれば、目も当てられない戦になりそうですが」
「敵が籠城なら、やれることは少ないし、絶対に勝つ。クリスティーナとその幕僚が馬鹿じゃなければ、必ず一度は野戦を仕掛けて来るさ。そうなると、どうなるかわからない部分は出て来るからな。両砦にどれだけ兵を割くかで、クリスティーナたちの器量も測れる」
「ただその形ができれば、本来のリッシュモン殿の策が発動するというわけですね」
「本当は、ここでやりたかったんだけどなあ。それなら今頃、アングルランド南部軍なんて壊滅してたんだけどな」
 あまり戦について話すことの多くなかった以前と違い、今はリッシュモンとこうして作戦について話す機会は多い。かつては常に前向き、ないしは自信に溢れているように見えたリッシュモンだが、こうして話してみると、意外と過去についての悔恨が多い将だと気がついた。言っても仕方ないこととも言えるが、この反省が次に活きるというのなら、後ろ向きというのとも少し違うのだろう。これだけ愚痴めいたことを言っていてもくよくよとした様子に見えないのは、リッシュモンの個性とも言える。
「ベラックで同じことをやるが、逃げ道が多い分、効果は最初の想定程大きくはない。皆殺し、ないしは全員降伏ってことにはならなそうだが、かなりの兵力を削った上で、潰走はさせられると思うよ」
 大きく伸びをしながら欠伸をするリッシュモンはどこか猫を思わせるものがあるが、その凶暴性では獅子と感じるべきか。
「そういやベラック取り戻せたら、アルフォンスの領地まではそう遠くないよな。そろそろ娘に会いたい頃だろう。もう大きくなってんだっけ? 前に見た時は赤ん坊だったけど」
「まだ三歳ですから、大きくはなってないですよ。けどその時期ですから、日を追うごとに成長してるんでしょうねえ。元気だと頼りは届いていますが、もう半年近く会っていません」
「なら、そろそろパパの顔を忘れてる頃か」
「やめて下さいよ、そういうの。冗談になってませんから」
 フェリシテは表情を変えずに二人の話を聞いているが、内心笑っているのだろう。カップを持つ手が、少し震えているようにも見えた。
 大口を開けて笑うリッシュモンに、これから始まる戦の凄惨さを感じさせるものはない。いや、その鋸のような歯列は悪魔的なものを感じさせなくもないか。
 リッシュモンがこちらの席に戻り、地図に目を落とした。ここからは、少し詰めた話になる。
 夜までに終わるかと考えながら、アルフォンスは呼び鈴を鳴らし、小姓に紅茶のお代わりを頼んだ。

 

 あの会談から、一週間と経っていない。
 それを考えれば意外だが、逆にハイランド公はすぐ近くにいたことを考えると、軍事的には当然の帰結とも言えた。
「ハイランド公ティアを中心とするノースランド叛乱軍、街道の北に集結中です。その数、およそ二万」
 愛娘であり副官でもある、セイディが告げる。ちょうど今日の調練前だったので、両名とも既に具足姿である。幕舎の外に出ると、主だった指揮官たちもウォーレスの元に集結しつつあった。
「エドナ元帥の軍は」
「既に伝令を飛ばしています」
 エドナの軍は、隣町に駐屯していた。東へ5kmほどの場所だ。その弟のラッセルの軍は、さらに東。知らせは飛んでいるだろうが、おそらく出番はない。自陣の兵を分割し、エドナがいる町の防衛に兵力を回すことになるだろう。もっともこの辺りの判断は、エドナの職掌である。
「さしあたって、我が軍だけで対峙する。敵の出方を探ろう」
 敵。その言葉に既に、違和感を感じつつある。ハイランド公とは先日密会し、その臣下となることは拒んだものの、どこかで通じ合うものはあった。初見だったが、以前は共にアングルランドを支える諸侯同士であったという繋がりもある。そして何よりも、ウォーレスの血の半分は、ノースランドのものである。
 すぐに、行軍の準備は整った。エドナからの伝令もあり、こちらに急行しているとのことだ。
 郊外の野営地から北進、街道に向かうと、すぐにノースランド軍の姿が見えてきた。何度かそうであったように、森を背にしている。ただ、その陣構えはいつになく整えられたものだった。
 前列に広がる三百両ほどの二輪戦車部隊。その後ろに方陣を組んだ歩兵、両脇に騎馬隊。森を背にした展開は一見背水に見えるが、ノースランド軍は必ず、騎馬はおろか戦車隊をも通過できる道を森の中に作るか、見つけるかしている。追えば、おそらく先行した弓隊か、伏兵が待ち受けていることだろう。なので敵が森の中へ撤退した場合、追撃できないのが常だった。
 もっとも、侵攻部隊であるにも関わらず、その作戦は常に守り、あるいは逃げることを想定している。つまるところ、まともにぶつかり合う気は最初からない。軽く干戈を交わらせた後は、いつも通り撤退することだろう。
 目的はあくまで、ノースランド軍ここにありと、周辺の民に知らしめることだった。戦術ではなく、戦略の戦だった。
 こちらも軍を展開させ、街道を横切る。行商や旅の者たちが、遠くからこちらを見ていた。とりあえず、巻き込む心配はなさそうである。町の方から、野次馬の集団もやってくるようだ。
 ハイランド公ティア。今は戦車隊の中央で、純白の装束に身を包み、腕を組んでこちらを睨みつけている。ノースランドの伝説の女傑ブーディカを名乗る、若くて小さい、叛乱の女王。
「さて、どうしたものかな」
 ウォーレスは、早くも戦場の上で螺旋を描いている鴉たちを目で追いながら、呟いた。
「エドナ元帥の軍が来るまでに、ひとつ、手合わせ願おう。そんな構えに見えます」
 応えるセイディの、動くことのない表情。ただ見立ては情緒的で、仮面にも似た無表情の裏には、豊かな感性が息づいていることがわかる。
 ウォーレスの先日の密会の相手が、あの中央で見栄を切っているハイランド公その人だと言ったら、少しは娘も表情を変えてくれるだろうか。他愛無い考えに、ウォーレスは一人苦笑した。
 兵を鼓舞しながら、ウォーレスは自陣の前を往復した。応える鯨波が、わずかに震えている。今のウォーレス軍にかつて南の戦線で戦った兵は少なく、若い者が中心となっていた。ゲクランとの過酷な南部戦線を戦った者たちは、生き残っても身体や心に傷を負った者たちが多い。今はなんとかかつての日常を取り戻しつつある者も少なくないと聞くが、彼らをもう一度戦場に引きずり出そうとは、ウォーレスはどうしても思えなかった。今も戦場に出ている古兵は将校か、ウォーレスの麾下に組み込まれている。
 常備軍の大半がエドナの方へ配備されているので、今のウォーレス軍はその残った常備軍を合わせても、四千。ノースランド軍とは五倍の兵力差だが、ウォーレスは目の前の二万に負ける気は、まるでしなかった。ただ、経験の浅い兵からすれば、敵は圧倒的なものに見えるのかもしれない。
 もっとも、あの戦車部隊との戦は、噛み合ない。追えば矢を放ち続けながらひたすら逃げ続け、追いつければ大した抵抗もなく御者や射手を殺せる。どこか、まともな戦いになりづらいのだ。そもそも二輪戦車部隊は高速移動する弓箭兵であり、接敵する兵科ではない。一応歩兵の列に破壊力のある突撃はできるが、一度足を止められてしまうと、軽騎兵以上に脆い。
 しばし、睨み合いとなった。
 セイディは供回りと共に歩兵の中に入り、全体の指揮を執る。ウォーレスの指揮が優先だが、ここは娘に任せ、ウォーレスは麾下五百騎と共に駆け回るつもりでいた。ここのところ開戦と追撃の有無以外で、セイディに指示を出すことは少なくなった。
 それにしても、とウォーレスは思う。これから殺し合うというのに、胸の内に恐怖も、昂るものもない。長く、戦塵に生き過ぎたか。大陸五強と呼ばれるようになった頃は、まだ戦に対する恐怖はあった気がする。ゲクランとの南での戦にもある種の恐れはあったが、それは自軍の兵が殺されてしまうことの恐怖だった。ウォーレス自身が死ぬと思えなくなったのは、いつの頃からだったのか。淡々と戦場に臨んでしまう自分に、どこか後ろめたさにも似た感情はある。
 個人としてウォーレスより強い者は、今のパンゲアにいるのだろうか。同じ大陸五強に数えられる者なら、あるいはそうかもしれない。ロサリオン、ジル。ただ、敵に回っているのは”陥陣覇王”の異名を持つアナスタシアだけか。彼女と戦場で当たる機会があれば、あるいはウォーレスの中にもう一度、昂るものが見つかるかもしれない。
 上げた手を、振り下ろす。背後に角笛と軍靴の響きが聞こえるより前に、ウォーレスは麾下と共に突撃を開始した。密集し、部隊を小さく固める。
 ティア。号令一下、その戦車隊は弧を描きつつこちらから見て左、西へ直進を始めた。ウォーレスを相手にせず、こちらの歩兵隊に矢を浴びせる動きだろう。
 敵歩兵。五百騎だけで突っ込んできたことに虚を衝かれたのか、部隊に少なくない動揺を感じる。最前列にいた長弓隊が、一矢も放たずに後方へ下がった。
 一万五千程か。中央を断ち割ることは難しくない。兵力差がどれだけあろうが足を止めなければ結局、相手にするのは手の届く範囲の敵のみとなる。
 が、ウォーレスは直前で旋回し、槍の並ぶ前列をかすめるようにして東へ向かった。先程、こちらの動きにいち早く呼応した、敵騎馬隊のひとつが気になったからである。
 二千騎。ウォーレスは縦隊を指示し、敵の中央を突き抜けた。馳せ違い様に一騎、馬上から吹き飛ばす。殺しても良かったが、もうひとつ気が乗らなかったのだ。いや、やはりどこかに同胞という意識はあったか。もっとも、落馬の仕方によっては命を落としているだろう。
 敵も反転して縦隊を取り、二匹の蛇が互いの頭に噛み付くように、両騎馬隊はぶつかり合った。ウォーレスは一度、感嘆の声を上げた。ノースランド軍にここまで練度の高い騎馬隊がいることを、これまで知らなかった。
 一人二人と敵を突き落としていくと、指揮官と思われる者が一騎、ウォーレスに馬体ごとぶつかってきた。
「”熱風拍車”ウォーレスだな。ラクランという」
 一合、二合と戟と槍が交錯し、火花を散らす。ほほう、とウォーレスは再度、声を上げずにはいられなかった。初めて聞く名だが、これはと思わせる使い手である。一撃で斬り伏せるのが、惜しい相手でもあった。兜の代わりに、鉢金を巻いている。二十代の半ばくらいか。暗さはあるが殺気に満ちた、いい目をした青年だった。
 七合目。ウォーレスは敵の槍を絡めとり、宙高くそれを放り投げた。流れのままに石突きで胸甲を打ち、馬上から吹き飛ばす。
「いい槍だ。次に会う時までに、腕を上げておけ」
 言い残し、ウォーレスは何度目かの反転をし、本隊の方へ戻った。馬の足は、充分残してある。敵騎馬隊には、こちらを追う力は残っていないようだった。
 ティアの戦車隊が、こちらの歩兵に矢の雨を浴びせ続けている。セイディは大盾で上手く凌いでいるが、戦車隊の矢の数は、見た目に反して半端なものではない。さすがに、犠牲は出しているだろう。
 こちらに気づいた戦車隊が、一斉に本隊の方へ逃げ帰る。最後尾に、ティアがいた。目が合うと、ハイランド公は弓を構えた。短弓だが合成弓で、威力は相当なものと推測できる。
 ティアはその矮躯にそぐわぬ裂帛の気合いで弓を大きく引き絞り、放った。
 ウォーレスがその矢を弾き飛ばすと、はっきりと、小さな叛乱の女王が笑うのが見えた。
 犠牲を覚悟すればティアの首を獲る、あるいは捕縛できたかもしれない。しかし強行すれば今まさにこちらの背後に迫る、先程の青年の騎馬隊に強烈な一撃をもらうことは確実である。
 反転し、その騎馬隊とまともに激突した。振り返ると一騎、こちらの兵が原野に倒れていた。麾下に犠牲を出すのは、北に駐屯してから初めてのことである。ちょうど、あの青年のいた辺りで馳せ違った兵だ。
 倒れていた兵は、しかしすぐに立ち上がって自分の馬を追った。既に整列し終えている敵騎馬隊の中央。あの青年、ラクランがこちらを見て、軽く槍を掲げる。あるいは、先程ウォーレスが彼の首を獲らなかったことに対する意趣返しかもしれない。だとしたら、味なことをする奴だ。
 残る騎馬隊同士が、牽制の駆け合いをしていた。若い兵が多いとはいえ、ウォーレス自身が鍛えた兵である。まだ本格的にやりあっていないようだが、相手の騎馬隊の方が消耗は早いだろう。こちらの騎馬隊が敵歩兵に襲いかかるのも、時間の問題だ。そしてセイディ率いる歩兵隊も、敵の矢を搔い潜ってこちらに歩を進めていた。
 ふと、東の街道脇の丘に、十ほどの騎影があることに気がついた。黒の軍服で、アングルランド正規軍の斥候だろう。遠眼鏡で、こちらの様子を窺っているようだ。思ったよりずっと早く、エドナの増援隊がやってきそうな気配だ。騎兵だけで先行しているのか。
 ノースランド軍もそれに気づいたのか、こちらに槍を向けたまま、ゆっくりと森の方へ下がっていった。ウォーレスは手を上げ、追撃を控えさせた。ただでも寡兵なのだ。罠とわかっていて飛び込む程、敵将の首にこだわる戦ではない。
 馬に乗り換えていたティアが、じっとウォーレスを見つめていた。何か言ったようだが、さすがにこの距離ではわからない。ただ森に消える前に、あの人懐っこい笑顔を向けられたような気がした。
 ノースランド軍が森に消えるのと入れ違いに、エドナの先行部隊が到着した。全て騎馬である。
「ウォーレス殿、どうだった」
 いつもは調練の際にも化粧を施している彼女だが、今は素顔で、相当急いでここに駆けつけたことがわかる。兜を脱ぐと緩い癖毛が、いつになく乱れていた。
「二万と、これまでで最大の規模だったが、いつも通りの瀬踏みに終始した戦振りだった。互いに、犠牲はほとんど出していないと思う」
「そして相変わらずの神出鬼没っぷりだな。騎馬三千はこちらでも捕捉していたのだが、どうしたものかと昨晩話し合っていた矢先に、これだ」
「大半は、民に紛れている。二輪戦車も、直前になって組み立てる形が出来上がっているのだろう」
「奴らからすれば、アングルランド軍と正面切って戦った、という事実だけがあればいいのだ。あまつさえ、噂話に一歩も引かなかったなどという尾ひれをつけてな。ノースランドに迎合する町がさらに増え始めていると、”囀る者”たちから報告があった。そういった領主たちには表向きの反抗がないので、こちらとしても糾弾するわけにもいかない」
「町ぐるみ、集落ぐるみで兵を隠されたら、捕捉できる数は限られて来るだろう」
 一人の将校が、エドナに馬を寄せる。何を話しているのかわからなかったが、やり取りの最後にエドナがもうよせ、と声を荒げたことで、周囲の注目はこちらに集まった。
「すまない、つまらないことをこいつが言ったものでな」
「つまらないことではありません!」
 将校が、声を張り上げた。あまり見ない顔だが、以前幕舎でエドナに叱責されていた男と、同じような顔をしていた。そう、何かを嫌悪し、それを正当化しようとする人間の顔だ。
「私は、見ていました。ウォーレス卿は、敵と通じています。先程の戦でも、卿はあえて敵にとどめを刺さず、敵もまた、同じように振る舞っていました」
「貴様、まだそんなことを」
「いや、彼の言うことは、半分は正しい。俺はノースランド軍と通じていないが、可能なら彼らの命を奪いたくないと思って戦っていた。ハイランド公の捕縛ができればと思っていたが、彼女を殺そうとは、やはり思えなかったのだ。敵将校にしても、同様だ」
 二人が何も返さなかったので、ウォーレスは続けた。
「俺の身には半分、ノースランドの血が流れている。俺の領民にも、似たような者は、あるいはノースランドから移住してきた生粋の者も少なくない。何故、こんなことになっているのかとも思う。つい先日まで、ノースランドもまた、同じ旗の下に集う仲間だったではないか」
 口に出してしまったが、後悔はない。あるとすれば、もっと早く、こういった話をするべきだった。
「聞きましたか、元帥。卿はやはり叛乱軍と・・・」
「黙れ」
 今度は冷静な、それでいてたっぷりと怒気を孕んだエドナの言葉に、将校は怯んだ。その怯えをごまかすように、今度はウォーレスを睨みつける。
 この手の噂話は、先日の密談の際に出会ったハイランド公の忍び、ビスキュイが流したと聞いた。が、元々の火種がなければ、そんな噂話が瞬く間に広がることもないのだ。
 将校の顔を見ていて、今更ながらに気づく。生粋のアングルランド人は、ノースランド人を憎み、蔑んでいるのかもしれない。他領の人間、特にその民とはあまり接してこなかったウォーレスに、見えていないものは多かったのだろう。
 今はティアの気持ちが、叛乱の女王となった覚悟が、わかるような気がした。ウォーレスたちが生まれるずっと以前、ノースランドを併合したアングルランド人は彼らの王家を廃した。宮廷での議決権を奪ったことに飽き足らず、なおもノースランド人を蔑み続けたのか。平時彼らがあらゆる場面でそれを感じていたのなら、ノースランド人たちの心中は察するに余りある。
 エドナはその将校と共に、軍を下がらせた。
「ウォーレス殿。貴殿にとって、この戦はつらすぎる。ウォーレス殿の気持ち次第だが、私は貴殿の配置転換を、宰相に具申したいと思っている。私が動かせるのはあくまでこの戦線のみなので、南の戦線やロンディウム防衛となると、宰相に相談せねばならないのだ」
「それも、いいかもしれない。俺はともかく、俺の民に同族を殺させるのは、今更ながら、気が引ける」
 エドナが頷く。髪をかきあげ、眉根を寄せた顔は、ひどく疲れて見えた。
「俺のことが負担になってしまっているのなら、本当にすまない」
「いや、私も兵たちのあんな行動を、戦が始まるまで予想できなかった」
「俺からも、提案がある。講和の使者が立てられないか、宰相に聞いてみてはもらえないだろうか」
「ウォーレス殿が、まさか」
「俺しか、アングルランドとノースランドの間には立てないと思っている。似たような出自の諸侯も北にはいるが、いずれも爵位は低い。伯の俺が行けば、向こうにも顔が立つ」
「そんなことまで考えさせてしまったか。まったく、私は至らぬ大将だな。私もできれば、先日までの同国人相手に血を流したくはない、そんな思いが、私に怯懦の戦をさせていたのかもしれないな」
 顔にかかる赤髪を耳の後ろに回し、エドナは溜息をついた。
「私には、先程の将校が感じるような、おかしな差別感情はないと思っている。が、私はあのような者たちを内心蔑んでいるから、やはり似たようなものなのかな」
「出自と言動を蔑むのでは、意味合いがまるで違う」
「きっと、そうなのだろう。アッシェンを併合したら、彼らはやはりアッシェン人を見下すのだろうか。我々軍人はどんな大義があろうが、所詮は人殺しであり、侵略者だ。しかし侵略者なりの最低限の矜持は持ちたいと思っている。戦が終わったら、そこに住む民には豊かに、安らかに過ごしてほしいし、新たな庇護者として、それを為す責任があるとも思う。侵略した相手を尚も見下し、痛めつけようとするのなら、我々はオークやゴブリンと何が違うというのだ」
「まったくだ。やはりエドナ元帥こそ軍の頂点にふさわしいな。軍人がそういう考えを持っていれば、命令される側も安心して命を預けられる。少なくとも、俺はそうだな」
 光の加減か、エドナの顔はわずかに紅潮しているように見えた。
「私も、ウォーレス殿が傍にいてくれて、心強いことこの上ない」
 言って、エドナは馬首を返した。ウォーレスも号令を出し、軍を反転、引き上げさせる。並列の一番奥に、先導するセイディの後姿が見えた。
「私が連れて来た正規軍の兵は、しばらくここに駐屯させておく。退いたと見せかけての、奇襲があるかもしれない。それにこの町の城主は、ノースランドの叛乱に対して強硬な姿勢を貫いていると聞く。ハイランド公は、そういった町は容赦なく落とすからな」
「我々だけでは心許なくなってしまった。すまない」
 エドナは首を振ったが、ウォーレスはここの城主に疎まれていると感じていた。先程のウォーレスを糾弾した将校の顔を、思い返す。同じような表情を、時々ここの城主はその微笑の上に浮かべるのだ。ここに来た際、城に用意された居室を使わず、兵と共に城外の幕舎で過ごすと伝えた時の、あの城主の下卑た笑顔に、今なら納得がいく。
 その城主が、城門の前に立っていた。老齢に達したこの男は戦場に出ないが、その分、ウォーレスの軍に対して資金と輜重隊の供出をしている。
 一応、戦捷ということなのだろう。この町を、ノースランドの侵攻から守ったということらしい。近場で起きたことゆえ凱旋と呼べる程のものではないが、町を通り、本城の方まで行進することになった。報償金と、この町の勲章のようなものが授与されるらしい。固辞するのも、礼を失することになる。
 城主とエドナの先導で、ウォーレスとセイディ、そして兵たちが大通りを進んでいく。
 っぽい目抜き通りの両側に、人だかりができている。手を叩いたり口笛を吹く者もいるが、どこか民衆は冷めていた。こちらも手を振って応える、という雰囲気ではない。
「手ぶらで帰ってきたか、役立たずが」
「無駄飯喰らいが、いつまで俺たちの町に居座るつもりだ」
 わずかだが、そんな声も聞こえてくる。城主がこちらを振り返って、困ったような顔をした。しかしその目は、笑っているようにも見える。
「私たちは、何を守ってきたのでしょうか」
 不意に、セイディが口を開いた。声も表情も平板で、しかしそれはいつもの彼女の様子と、どこか違っているようにも見えた。
 何と返して良いかわからず、ウォーレスは思わず天を仰いだ。

 

 

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