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プリンセスブライト・ウォーロード 第9話
「これこそが、霹靂団の戦なのだよ」

1,「いそうもない人間がひとりくらいいても、不思議ではないな」

 丸二日、戦場は膠着に近かった。
 目の前の戦況は、ほぼ互角。しかしそれは戦略的には勝っているに等しい、とエイダにはわかっていた。
 ライナスとエイダの迎撃軍七万を撃ち破り、かつパリシに控えるダンブリッジの包囲軍五万を破るのが、アッシェン、パリシ奪還軍の役割なのである。颯爽とエイダたちの軍を壊滅に追いやり、今頃はパリシに相当接近しているようでなければ、とてもではないがパリシの奪還は不可能であった。しかし戦線は膠着し、それどころかこの迎撃軍が、奪還軍を返り討ちにしそうな気配なのである。無論、エイダはそのつもりでいる。
 三日前からの戦場であるが、初日の稚拙な用兵の反省はあったのだろう、次の日から、奪還軍の動きが明らかに変わった。全体の指揮は敵右翼、アヴァラン公ボードワンが執っていると思われる。いきなり、全体が守りの戦になったのだ。
 アヴァラン公はこの百年戦争において、最も戦歴の長い勇将である。耐えに耐え抜いて、渾身の一撃を繰り出す、守りの名将と名高い。攻め入る隙は今の所、誘いを感じるようなものを除いては、見当たらない。だが父ライナスとの共闘でなければ、エイダは誘いに乗ってやってもいいと思ったかもしれない。大きな動きのない戦場は、退屈である。
 加えて、上手く説明できないが、嫌な予感もしているのである。原因は何だろう。やはり、未だ動きなく、遥か北東の町に駐屯している青流団の存在だろうか。
「放て」
 長弓隊の指揮官が、声を上げる。次いで、喇叭の合図。三秒程の短い演奏が終わると同時に、矢が一斉に放たれた。一斉に放たれる矢は、奪還軍にとっては致死性のにわか雨である。
 ただ、敵の両翼にはほとんど損害がないようだった。中央のレザーニュ軍と違い、アヴァラン、辺境伯の両軍は、練度が高い。矢避けの大盾を、上手く中段、後段の兵にも回していた。上から降り注ぐ長弓の矢は、防ぐのに経験やコツがいるのだ。その辺り、両翼はさすがというべきだろう。既に対応を知っていたアヴァラン軍はもちろん、辺境伯軍も何度目かの斉射から、自分たちなりに対応していた。今では即席の大盾を作り、上手く射撃をいなしている。両軍とも、盾をすり抜けた矢によって負傷する者はいるようだが、ほとんどは自力で陣を離脱している。彼らは後方の本営で手当を受け、おそらく明日には戦場に復帰しているだろう。
 一方で、中央のレザーニュ軍は、それなりの損害を出しているようだ。こちらは兵の練度が低く、人数ばかりの寄せ集めである。初めて徴兵された者が多いのだろう。上手く射撃を防いでいる部隊もあるが、とにかく質がばらばらだった。
 頬に冷たいものが当たり、エイダは空を見上げた。暗灰色の、曇天である。当初予期したものより遅れているが、ここもそろそろ雨雲に覆われることだろう。地面がぬかるむ前に騎馬隊で一暴れしたいところだと、エイダは思った。戦略的に優位とはいえ、敵左翼、眼前の辺境伯軍に痛撃を与えないと、勝ったという気がしない。勝利の実感を得るには殺し足りないと、どうしても思ってしまう。辺境伯ラシェルと直接やり合うような戦は、初日以来やってないのだ。
 もっとも、敵左翼に突撃をかけるには、中央のレザーニュ軍が邪魔である。初日とは違いやや後方に下がったレザーニュ軍は、こちらが辺境伯軍とぶつかっていると、五千程の部隊を出して側面を取ろうとしてくる。実に定石通りなのだが、それゆえにこちらができることは限られていた。定石とは、過去幾千もの戦場によって取捨選択されてきた、ほぼ間違いのない一手なのである。
 やはり、レザーニュ軍から叩くべきだろう。裏のかき方としては裏と言えないくらいの戦術だが、仕方ない。両翼はとにかく孤立させないことには、潰しようがない。そして今度は辺境伯軍に側面を取られないよう、気を付けなければならない。いや、両翼は突出している為、中央を攻めれば確実に側面を取られてしまうわけだが、取られることを前提とすれば、対処の仕方はあるのである。しかし、長い時間は攻められまい。
「中央を、狙いますか」
 副官のクレメントが、苦笑混じりに言った。エイダの胸の内を読んだ一言だが、それくらい察してもらわないと、エイダの副官は務まらない。
「やめておけって顔してるけど」
「それはもう。ですが、お気持ちもわかります」
「でも、このままだと何か嫌な感じがしない? 青流団が原因かしら」
「一つ、どうしても理解できない動きがある。確かにそれは、嫌な感じがするのだろうと思いますな」
「何か、他人事ねえ」
「目の前の戦に集中するのが、私の役目ですから」
 言って、クレメントは長い口髭に手をやった。副官は副官の仕事をする、大将は大将の仕事をしろということなのだろう。こういった、どこか突き放した態度を取るようなことが、クレメントには時々ある。エイダの幕僚はエイダを崇拝、ないしは隷属的な忠誠を誓う者が多いが、この男は、少し違う。こうしたところも、エイダがこの副官を気に入っている原因の一つなのかもしれない。この男といると、どこか落ち着く。
「機を見て、仕掛ける。その間、何としても辺境伯軍を止めて」
「了解です」
 引き締まった顔で頷いたクレメントだが、内心はやはり、肩でもすくめているのだろうと、エイダは思った。

 何か、見落としている気がする。
 後方で指揮を執るライナスの胸裏には、常にそういった感覚が毒蛇の如くとぐろを巻いていた。
 青流団である。
 動きは、逐一囀る者たちから報告が入っていた。マイラが、直接青流団に張り付いている。その青流団五千が、マロン川を挟んで北東の町ノルマランに駐屯しているのは、今も変わらない。
 町に入ってすぐ、大規模な徴発を行ったらしい。集めたのは、大量の木材である。それも建築に使うような製材されたものではなく、加工前の丸太であったそうだ。近隣の村や森からも、取り寄せていると聞く。
 その時点でもやはり狙いはわからなかったのだが、昨日入った報告では、その丸太で仕掛けのある馬防柵を作っているらしい。両端を尖らせ、地面に斜めに刺して設置するという点では、長弓隊が敵騎馬隊の突撃に備えるものと、同じように思える。が、それら通常の馬防柵と異なり、まずは地面にそれとわからないよう埋め、綱を引くことで、不意の罠となるといった仕掛けだそうだ。その為、通常の馬防柵よりも、長い。
 何もない原野から、いきなり無数の槍が飛び出す、そうマイラは報告してきていた。中々、怖い仕掛けだ。青流団の練度をもってすれば、不意を討たれた騎馬隊の一部隊くらいは、一瞬で殲滅させられるだろう。上手く嵌れば、あのリチャードの騎馬隊すら、かなりの損害を受けるかもしれない。
 やはり、青流団の狙いは、今もゲクラン領を進軍するリチャード隊なのだろうか。ライナスたちの軍の方が遥かに近い位置にいるが、未だこちらの側面を取ろうという動きはなく、そもそもこちらの不意を討つには遠過ぎる。不意打ちを仕掛けられる前に、必ず捕捉できる距離なのだ。その仕掛けのある馬防柵も、強力な騎馬隊に対してのものだろう。
 が、やはりその戦法には無理がある。リチャード隊がノルマランを攻めなければ、意味がないのだ。そして本来戦場に想定すらされていなかったノルマランには、戦略的な意味はまるでない。リチャードはもちろん、ライナスもそこを攻める気は毛頭ない。城壁は近く、おまけに町の南側は波止場になっている為に防壁すらなく、取ったところで守ることのできない町なのである。
 一体、何なのだ。ノルマラン周辺に罠を仕掛けて、何になる。突如として現れるだろう無数の槍は、想像すると怖い戦法だが、そんな周到な仕掛けをして戦場から遠く離れたあの町を守って、何になるのか。
 ノルマランとアナスタシアには、確かに縁がある。以前アナスタシアが放浪を続けていた際、最も長く逗留した町なのである。その町にある蜜蜂亭という小さな酒場に通っていたことも、報告を受けている。実際今回の駐屯でも、彼女はそこに足を運んでいるようだ。
 戦という観点から見れば、どうでもいい些末な話ばかり入ってくる。青流団に関してはだ。マイラも、報告書の作成には苦慮していることだろう。
 ノルマランに、アッシェン王アンリを移動させるというのはどうか。それなら、こちらも攻めないわけにはいかない。が、いくら罠があるとはいえ、守りにくいノルマランに、アンリを移動させるのはやはり下策か。
 そもそもアンリは遥か北、ゲクラン領でも最も堅固なゲクランの居城で守られている。それもあり、今回の作戦でライナスたちはアンリの捕縛までは考えていない。パリシ奪還軍本隊に、王都奪回をあきらめさせるだけの痛撃を与えることが、今回の戦なのである。
 二度とパリシが奪回できないとなれば、アッシェンは瓦解する。ゲクランは孤立させ、降伏に追い込むか、無力化する。そこまでが、今回の戦である。アンリが捕縛できれば大きいが、そこまで敵も馬鹿ではあるまい。なので、戦略目標には入っていない。
 戦場だが、ライナスは紙巻き煙草に火を着けた。後方で指揮を執るという立場だが、実際の指揮は新しい副官の、シーラに任せてある。あの冷たい目をした有能な指揮官は、今もアヴァラン公相手に、実にそつのない戦をしていた。犠牲は最小限にという指示を出していたが、その通りの用兵である。いずれは一軍を任せるべきと、あらためてライナスは思った。
 やはり、何か見落としている気がする。
 それでもノルマランにアンリを移動させ、仕掛けた槍の原野で、こちらに痛撃を与える。考えられるのはそういったことだけだが、やはり軍略として稚拙に過ぎる。そのような罠があるとこちらにわかった今では、尚更である。仮にこちらがノルマランを攻めなくてはいけない事情ができたとしても、仕掛けは既に看破されている。多少の犠牲があっても歩兵を前面に出し、罠を排除していけばいいだけの話だ。
 青流団は最終的な防衛線を、あの町と思い定めているのだろうか。それほど都合良く、あの防御に適さない町がそうなることが、ありえるのだろうか。
 アナスタシアのことが、読めない。
 どこかで負けたような気に、ライナスはなっていた。苦笑する。何故遠く離れた部隊一つを、そこまで警戒しなくてはならないのか。
 両軍の距離が少し開く度に、長弓隊の一斉射撃が繰り返される。かつては対アッシェン戦で多大な効果を上げていたこの戦法だが、近年はかなりアッシェン側も対応力を高めており、さほど損害を与えられていない。中央のレザーニュ軍にはそれなりの効果を上げているようだが、あの軍はそもそもの兵力が高い。千、二千と仕留めたところで、全体の一割にも満たないのだ。離脱した兵が、確実に死ぬというわけでもない。
 もう一度、激しいぶつかり合いをしてもいいのかもしれない。堅牢な両翼を潰す為に、まずは中央。多少の危険はあるが、このまま定石通りの戦をされると、この戦線を押し上げるのに、時間をかけ過ぎる。
 こういった攻撃は、奪還軍も予測はしているだろう。大きく、激しく戦を動かす機は、しかし今をおいて他にない。数時間後には、天候は大きく崩れる。
 見ると、エイダの騎馬隊が中央に向かっていた。娘も、同じようなことを考えていたらしい。ライナスは、エイダの突撃の第二波として動くことに決めた。
 五千程の騎馬隊を、集結させる。
 あえて罠にかかりに行くようなものなので、さすがのライナスでも多少は緊張した。ただどこか静けさを感じるこの戦場を、もう一度血の海に変えたい。
 その先にアナスタシアの存在を感じながら、ライナスは前方に手を伸ばした。

 空高く放たれた、無数の矢。
 もう、何度見たことだろう。次の瞬間にそれらは鋼の霰となって、ドナルドたちに降り注いだ。
 支給された大盾だけではとても間に合わないので、ドナルドたちは有り合わせの木材で、矢避けの大盾を作っていた。それでも部隊全てを覆うには程遠く、二日間で、この部隊から既に二十人程が脱落していた。内五人は腹に矢を受けており、彼らが内蔵を深く傷つけてしまったのなら、助かる見込みは少ない。
 兵はなるべく密集させているが、石弓の直射と違い、曲射で空から降り注ぐ攻撃は、防ぎ切るのに限度があった。何度も百年戦争に従軍しているドナルドだが、今回の敵の長弓兵は、練度がすこぶる高い。さすがに、宰相ライナスが直接率いる精鋭ということか。今ではドナルド自身も馬を下り、盾の下に身を屈めていた。
「おじさん、おじさん」
 兵の間をすり抜けて、ジャンヌがすぐ後ろまで来ていた。
 下がっていなさいと言いたいところだが、この射撃では部隊の後ろにいたところで危険さは変わらない。ドナルドは自分の大盾を少女の頭上にやりながら、半身で振り返った。咄嗟に、ジャンヌがどこか怪我をしていないか確認する。
「どうしたんだい」
「いや、おじさんが心配になっちゃって」
「私は、大丈夫だ。そうだな、この射撃が収まったら、戦場から離脱しなさい。脱走兵とならないよう、後で私がしっかり話を通しておくから。本営の方に行くといい」
 ここレザーニュ軍は各部隊入れ替わりで両翼の援護に入っているが、二日目以降の動きは少なく、ドナルドたちはまだ敵と直接干戈を交えていない。出動は二度目だが、一度目はこちらが前進するだけで、敵は距離を置いたのだ。
 そしてこの二度目、今度は敵と直接ぶつかる気配である。ドナルド隊を含む数部隊が、集結する。敵軍の中央、歩兵の後ろに、騎馬隊が集結している。見ると、中隊全体を統括する上級将校が、前進の合図を出していた。
 ジャンヌが、常識はずれの武術の使い手であることは、わかっている。それでもドナルドは少女に傷一つつくようなことがあってはならないと思っていた。加えて、この少女が手を汚すようなことがあってもいけない。実際、歩兵とのぶつかり合いでは、二、三人くらいはすぐにその槍で突き倒す力を、この少女は持っているだろう。
「いいかい、繰り返すが、機を見計らって、君は・・・」
「大丈夫です、本当に。おじさんを守る為に、私、ここまで来たんですから」
 いつも目元に笑みをたたえているジャンヌだが、今は初めて見るくらい、その眼差しは真剣である。青く大きな瞳が、じっとドナルドを見つめる。
「アネットさんでも負傷しているんですよ。今日の一斉射撃は時に激しいから、私がおじさんを守らなくちゃって」
「私のは、かすり傷だ。ジャンヌが心配するようなことじゃない」
 すぐ横にいるアネットが、振り返らずに言った。
 曲射で放たれる長弓の矢の威力は凄まじく、盾の間をすり抜けた矢が具足の一部を弾き飛ばし、アネットは右の二の腕を負傷していた。昨日のことだ。出血は少なく、三針縫うだけで済んだ。だが見た目よりも傷は深かったらしく、姪は左手一本で大盾を掲げていた。
「また、来ます」
 ジャンヌの言葉が終わるやいなや、またも部隊に矢の雨が降り注ぐ。後ろの方で悲鳴が聞こえたが、恐怖の為か負傷したのか、ドナルドの位置からは見えなかった。
 隣りの部隊に、ドナルドたちにもはっきりわかるほど、動揺が走っていた。指揮官が、矢を受けてしまったのだろう。
 既にこの戦全体のことなど考えられず、ドナルドはいかにしてジャンヌを戦場から離脱させるかばかり考えていた。
 ドナルドの心中を察したわけではないだろうが、アングルランド長弓隊が、それぞれ馬防柵を抱えて後方に下がっていくのが見えた。
「今だ。ジャンヌ、後方に」
「もう逃げるわけにはいきませんよ。ほら」
 ジャンヌに促されるまま、再び前方に目をやる。
 敵歩兵の後方、土煙を上げて騎兵隊が突撃してくるのが見えた。まず前方で壁になった兵がこちらの石弓を受けると、歩兵は二つに割れ、その隙間からさらに速度を上げた騎馬隊が、決壊した川の流れの様にこちらに疾駆していた。
 大地が揺れる。ドナルドの心臓は、跳ね上がった。
 これまでの軍歴で、騎馬隊の突撃は何度も受けてきた。しかしこればかりは、何度経験しても慣れることができない。いや、何もわからなかった若い頃よりも、恐怖の度合いは増している。あの突撃をくらったら、かなりの犠牲が出ることがわかっているからだ。突撃してくる騎馬隊の槍をまともに受ければその穂先は胴鎧など簡単に突き破ってしまうし、その槍をかわしたところで、馬に轢かれれば骨折だけでは済まないことが多い。今まで運良く生き残ってきたが、ここで死んでもおかしなことではない。大盾を通常の盾に持ち替える手が、震える。
 何としてでも、生き残る。槍を握る手に力を込め、死の恐怖に抗う。有無を言わさずジャンヌを背後に押しやり、ドナルドは兵の先頭に立った。石突きをしっかりと地面に固定し、切っ先が馬の首に当たるよう、調整する。強く握る手の震えはごまかせても、槍の穂先が震えていた。口がからからに渇き、唾さえも飲み込めない。
 敵の最前列。身の丈程の巨大な剣を持った敵将が、まっすぐこちらに迫っていた。馬殺しのエイダだ。速い。その巨剣が振られると、騎馬隊が横に大きく広がった。形を持った死が、その黒い翼を大きく広げている。地響きと心臓の鼓動がほとんど同期しているのを、ドナルドは感じた。思わず横に立つアネットに目をやると、姪は大きく目を見開いて軍馬と鋼の奔流を睨みつけながら、決死の形相で歯を食いしばっていた。
 皆、生き残ってくれよ。
 神に祈り、ドナルドは再び前方に目をやった。騎馬隊。もう、すぐ目の前にいる。最前列の騎兵が、こちらに槍を構えた。
 ほとんど、風のようにしか感じなかった。
 ただ何かがドナルドの脇を駆け抜け、まったく同時に、眼前の騎馬三体が横倒しになった。
 一瞬、死んだ娘がそこにいるのかと思った。やはり、後ろ姿がよく似ていたからだ。そういったありえないこと、そして場違いな錯覚を起こすくらい、ドナルドが見たものは現実離れしていたということか。起こったことの驚きが、束の間ドナルドから正常な思考を奪っていた。
「ジャンヌ!」
 アネットの叫びで、ドナルドは我に返った。ジャンヌ。槍を舞のように振り回し、突撃してくる騎馬の脚を払い上げていた。
 少女が槍を振り上げる度、ふわりと浮いた馬が、乗り手ごと横倒しになる。起こっていることはそういうことだが、ほとんど手妻を見ているようにしか見えなかった。長い金髪が右へ左へと大きく流れ、その度に馬が跳ね上げられる。
 すぐ近くで、絶叫が聞こえた。兵たちが倒れた騎士に殺到し、無茶苦茶に槍を突き出している。騎士は片足を馬体に挟まれており、次々と繰り出される殺意に、悲鳴を上げている。穂先はまだ胴鎧を刺し貫いていないが、なぶり殺しにされるのは目に見えていた。軽騎兵の騎士なので、鎖帷子のようなものは着ていない。
「違う! 殺すな、捕えるんだ」
 ドナルドは兵たちに、用意していた縄を投げた。周囲で次々と上がる怒号と悲鳴で、かえって冷静になっている自分がいる。辺りを見渡すと、いくつもの倒れた馬体が壁となって、敵騎馬隊の突撃は、これ以上こちらにやってこないようだった。ここだけが戦場の空白地帯であるかのように、ドナルド隊は無事だった。奇跡だ、と誰かが泣きながら叫ぶ。
「なんとか、この場は切り抜けられましたね。けど、引き続き油断はできません。他はほら、大変なことになってます」
 いつの間にかジャンヌは、ドナルドの脇に立っている。
「君は」
「大丈夫ですよ。本当、おじさんは心配性なんだから」
 真剣な眼差しを崩さない少女が、一瞬だけにこりと笑った。

 感じたのは、わずかな違和感だけだった。
 すぐ隣りの部隊なので、たまたまそれがわかっただけだ。
 レザーニュ軍に突撃をかけた際、エイダの左手の部隊が脱落した。ごく稀にだが、先頭の馬が足を滑らせて、その後ろの馬たちが巻き込まれてしまうことがある。そういった不運な事故があったのだろうと、エイダは違和感を打ち消し、レザーニュ軍に刃を振るった。
 実際に当たってみると、木偶のように歯ごたえのない軍である。三人程を吹き飛ばすと、周囲の兵はあっという間に恐慌状態になった。逃げようにも周囲が邪魔で身動きが取れない者たちを、部下が突き倒していく。
 エイダは得物の巨大さゆえに部下から数騎分先行して突撃するのだが、すぐに兵が背後まで追いついてしまった。レザーニュ軍のあまりの統率のなさに、かえって脚を止められる格好になったのだ。強引に進もうとすれば、死体や腰を抜かした兵に馬が脚を取られて、転倒しかねない。
 泣き叫ぶ敵兵の頭をさらに三つ程叩き潰してから、エイダは一旦退くことに決めた。一気にレザーニュの指揮官の首を獲りたいところだったが、それは欲のかき過ぎというものか。
 本来の意味とはまるで違う意味で、この軍は懐が深い。兵が弱すぎるので、あっという間に死体が壁になってしまうのだ。無理に兵を進めても、泥の中を騎馬隊が進むようなもので、いかにレザーニュ軍が弱兵でも、こちらの犠牲は避けられない。脚を止めた騎馬隊は、歩兵の格好の餌食である。一気に断ち割るのではなく、浅く、間断のない突撃を繰り返すのが上策だろう。
 後方の指揮官。指揮はレザーニュ伯ジェルマンから妻のフローレンスに代わったというから、おそらくあれがそうだろう。面頬のない兜の奥に、怯えた女の目があった。エイダと視線が合うと、女は恐怖に抗うようにこちらを睨んできた。強がる娘は、嫌いではない。できれば生かして捕えて、自分の足元で這いつくばらせたいと、エイダは思った。
 引き返す際に、再びあの違和感が肌を刺した。
 レザーニュ軍、騎馬隊が脱落した辺りの一部隊だけが、妙に整然と隊列を維持していた。
 単に無傷だったということだろうが、おかしいな、ともエイダは思う。馬が足を滑らせて突撃に失敗したのなら、もっと部隊が浮ついていてもいい。脚を折った馬が、倒れていてもいい。どちらもないことに、拭いようのない違和感がある。見ると、部隊の中でこちらの兵が何人か、捕縛されていた。馬も鹵獲されている。乱戦ならともかく、こうした秩序立った突撃時に兵があれだけ捕縛されることは、ほとんどないはずだ。
 自陣に向けて駆けると、ライナスの騎馬隊がすぐそこまで来ていた。騎兵の間隔を空け、避けることなく父の騎馬隊と入れ替わる。ライナスの部隊もエイダと同じように横に広がって突撃を仕掛けたが、今のエイダの戦い振りは見ていたのだろう、エイダよりもさらに部隊を広げ、一撃離脱の格好をとっている。エイダは嬉しくなった。前の部隊の動きを見るのは当然なのだが、直接父の役に立った実感があったのだ。
 第三波を仕掛ける為、騎兵を整列させる。その間、エイダは先程までの違和感の、その正体を垣間見た。
 例の部隊のいた場所。馬が数頭、次々と浮かび上がっている。何だ、あれは。
 その光景が目新し過ぎて、何が起きているのかを考えられなかった。ただ、ひとつだけはっきりしている。何か、とんでもなく強い兵が、あそこにはいるのだ。
 ライナスの部隊が、かなりの速度で引き上げてくる。入れ替わりに再度の突撃の構えをとると、父が手を前に出して、こちらを止めているのが見えた。ライナスは速度を落とし、単騎でエイダの元にやってきた。
「これ以上の突撃は、やめた方がいい」
「馬が、跳ね上がってたとこ? あそこに、強い奴がいる」
「お前がそう言うと思ったからだ。特にあの部隊には、向かうなよ」
「なんで」
「どの兵がそうだか、わからないからだ。お前の突撃を見ていて自ら確認しようと思ったが、わからなかった」
「ともかく、強い奴がいる」
「その通りだ。ただ、頭を冷やすきっかけにはなったかな。私たちは、焦れていたのだ。話は後だ。一旦下がるぞ」
 互いに麾下の数百のみを連れて、後方に下がる。振り返ると、両翼の軍が前にせり出しており、あれ以上中央に突撃を繰り返せば、犠牲も大きかっただろう。自分としたことが、あの異様な光景に目を、心を奪われ、両翼の動きに目が行かなかったのか。そのことを、エイダは恥じた。常に周囲に目を配り、視界が遮られている時も、それを感じ取るよう努めたきた。新兵や猪武者の様に視野が狭くなっていたとすれば、猛省以外にない。自分の馬鹿な判断で、父から預かった兵を殺すわけにはいかない。必要のない犠牲は、一兵たりとも許せなかった。
 共に部隊は将校に任せ、最後尾に回る。両軍の歩兵同士が、本格的なぶつかり合いをしていた。騎馬同士が、牽制の駆け合いを始めている。
「セシリア殿と、ニコール殿が出会った当時の話は知っているか」
「"掌砲"セシリアと、"掴みの"ニコールの話ね。二人は確か、ニコールが傭兵隊の副長をしていて、そこにセシリアが入ったんだっけ?」
 かつての大陸五強、特にセシリアの話は語り部や舞台劇の定番になっているし、読み物も多く出ている。エイダもその手のものは読んだことがあるし、何よりライナスから当時の貴重な話も聞いている。セシリアは現アングルランド王リチャードの子を産んだという縁があるが、そのリチャードの冒険者時代の従者が、ライナスだったのである。
「そうだ。ニコール殿は当時、既に若くしてその名を知られた傭兵だったが、入隊直後の、一兵卒のセシリア殿は、まったくの無名だった」
「つまり、まだ無名だけど、そんな化け物が、さっきの部隊には紛れ込んでいたってわけ?」
「そういうことだって、あるという話さ」
 何か思い立ったように、ライナスは懐から折り畳んだ地図を取り出した。しばしそれを眺めた後、口元に笑みをたたえる。
「そうか・・・アルク山が、レザーニュ領には入っていたか。いや、まったくの見当違いかもしれないが・・・そもそもまだ、幼過ぎる」
「アルク山・・・剣聖がいるっていう山ね。父さんも、会ったことがある」
「あの"反射"のヴィヴィアンヌ殿と、子を成したという噂だ。二人の子なら、とんでもない素質を持っていることだろう。しかしその子はまだ、十歳を少し過ぎたくらいのはずだ」
「まさか、そんな小さな子が、あそこにいたってわけ? あれが剣聖の技なら、その子じゃなくて、弟子ってことはあるんじゃないの?」
「確かに、そうかもしれない。それにそもそも、アルク山とは無縁の人物かもしれない。しかし馬が跳ね上がるのを見て、懐かしい気がしたのだ。ヴィヴィアンヌ殿なら、ああいった手妻めいたことができるだろうとな。彼女本人が参戦していれば噂にもなるし、こちらの密偵が気づかないわけがない。そしてヴィヴィアンヌ殿が立ち上がったのなら、それだけでも兵は鼓舞され、士気は大いに上がったことだろう。レザーニュが、それを利用しない手はない。あそこにいるのは、ヴィヴィアンヌ殿ではないだろう」
 父の目は束の間、昔を懐かしむように細められた。
「ともあれここには、両軍合わせて十万を遥かに超える人間がいるのだ。いそうもない人間がひとりくらいいても、不思議ではないな」
「そんなものかしら」
「そんなものさ」
 言って、ライナスは楽しそうに笑った。

 

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