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プリンセスブライト・ウォーロード 第8話
「あの傭兵は、一体どんな魔法を使ったのだ」


1,「これから、アッシェンの命運を賭けた戦が始まる」

 卓上の、地図。
 顔を寄せ、あるいは腕を組んで覗き込む面々を見て、頼もしいなと、ライナスは思った。
 パリシ包囲軍の、幕舎の中である。目の前にいるのは、本作戦の指揮官たちだった。右隣に堅忍不抜の将、ダンブリッジ。左には見事な体躯のエイダ。手塩にかけた指揮官と、いつの間にか心身ともに大きく成長していた愛娘。他の指揮官たちも、実力は充分である。
 人に恵まれているなと、あらためて思う。ここにいなくとも、いずれは頭角を現してくる者たちは少なくはないだろう。そのように、国を形作ってきた。
 ともあれ、今ここにいる面々が、パリシ包囲軍十三万を束ねる者たちである。
「以上が、本作戦の概要だ。後は、敵の動き次第といったところか。先程述べた通り、私含め数名は東進、細かい指示は出せなくなる。以後、包囲軍の指揮はダンブリッジ中将に任せる。兵力は減ることになるが、これまで通り包囲を続けてくれ」
「お任せを」
 ダンブリッジのいらえは短い。余計なことを言わないのは、この男の美徳のひとつだった。そしてダンブリッジの三人の息子たちも、指揮官としてこの場に出席している。
 このままパリシ包囲を続けるのに必要な兵力は、三万と見積もられていた。パリシに籠る王都軍の士気は、沈み切っている。ただ油断はできず、包囲軍には五万を残すことにした。万が一にでも、こちらの張る戦線を突破した奪還軍がいた時の為だ。
「では各自、持ち場についてくれ。エイダ、私がここを出次第、進発できるよう頼む。私は例の者を、もう少しだけ待ってみることにする」
「オッケー、宰相。すぐに出られるようにしとく」
 砕けた物言いで、エイダは答えた。父さん、と言わなかっただけ良しとすべきか。筋肉の盛り上がった愛娘の大きな身体が、覇気に満ちている。
 それで、散会だった。
 幕舎を出て行く指揮官たちの背中を眺めながら、ライナスは奥にある長椅子に腰掛けた。小姓に葡萄酒を頼み、楽な姿勢で、ライナスは手にした書類の束をめくった。
 本日付けでここに配属されることになった、新しい副官のものである。シーラ・クーパー。面識はない。"冷眼星"などという、通り名まであるらしい。マイラの推挙により、南の戦線から急遽、ここへやってくることになった。幾分急な話だったので、今日ライナスの元にやってこれるかは微妙だったが、昼までは待ってみるつもりだった。間に合わなければ、進軍中に合流してくれればいい。今日中にここに来れるということだが、二、三日の遅れは構わないとも伝えてあった。
 クーパーの名が示す通り、稼業は桶屋のようである。寒村出身。結婚は十五歳で、既に子供もいる。そこまでは田舎の娘の典型的な人生だが、何故か十八歳で常備軍に志願している。家庭に問題はないようで、それだけに少し変わった経歴の持ち主とも言えた。夫や子に先立たれて、軍に志願したわけではないのだ。
 紙巻き煙草に火をつける。紫煙が、ゆっくりと幕舎の中を漂った。それは目で追えるが、一秒後の行き先はわかっても、五秒後にどこにいくかはライナスにもわからない。ふっと、宙に消えたりする。きっと人生も、そんなものなのだろう。
「失礼します、中将。クーパー中尉、到着とのことです」
 ライナスは懐中時計に手をやった。散会から十分程しか経っておらず、午前十時を回ったところだ。かなり飛ばして来たのだろう。が、幕舎の中に入ってきた若い女は、実に涼しげな表情で敬礼した。
「シーラ・クーパー中尉、只今到着しました」
「ご苦労。私が、ライナスだ。急な辞令ですまない。長旅で、疲れたことだろう」
「いえ。たまには思う様、馬を駆けさせたいと思っていましたので」
 南の戦線の、膠着しきった戦況と掛けて言っているのだろう。知性は高そうだった。口元に笑みをたたえているが、目の冷たい女である。寒村出身という情報が事前にあったせいか、想像していた姿とは、大分違う。透き通るような白い肌に薄い金髪、瞳の彩度も低い。色素の薄い娘で、少し浮世離れした雰囲気を漂わせていた。
 その淡い視線が、束の間、卓上の地図の上を泳いだ。
「先程まで、軍議を開いていたところだ。手短になるが、一度説明しておこう。その前に、これまでの戦況をどう見る?」
「レヌブランを動かしたところまでうかがっております。アヴァラン公の軍を分断、警戒させるのに、最適の軍略と感じました。兵力だけでなく、イジドールという優れた指揮官も、領土に戻らざるをえなくなるでしょう。これでゲクランの動きを抑える何かがあれば、我が軍の勝利は揺るぎないかと」
 あと一手。既にそこに思考が向かっている。いささか才気走るところもあるようだが、戦略眼はすこぶる高い。
 マイラの推挙なので能力に不安はなかったが、それでもいくらかライナスの予想を超えていた。この指揮官が抜けたことで、逆に南の戦線に不安を感じるほどである。
「よく、わかっているようだ。ゲクランには、陛下自らが当たる。外部に漏れる危険があるので、陛下の部隊がどう動くか、先程の軍議まで知っている者は少なかった。本来、私は人を試すのが好きではない。しかし、私はお前のことをまだよく知らないし、何故か試したい気分でもある。そうだな、陛下の部隊、騎馬のみの五千という、特殊な部隊だ。お前なら、どこに配置する?」
 シーラは再び、卓上に目を落とす。そして迷うことなく、地図の一点を指差した。
「ここが、よろしいかと」
「合格だ。シーラ、今からお前を、第一の副官とする」
「宰相の意に添えるよう、尽力致します」
 努めて冷静に振る舞ったが、ライナスは内心この女に驚いていた。リチャード王の部隊をどこに配置すべきか、考えに考え抜いた。状況が整っている今は戦略が見えやすくなっているとはいえ、何の逡巡もなくライナスの考えを見抜いたことは、驚愕に値する。この軍略は、おそらくゲクランの上を行っているはずなのだ。
「意に添うより、意を汲む方が得意そうだな」
「前の上官にはそれで疎まれていた、という気もしています」
「私にとっては、心強い。あらためて、よろしく頼む。やはりお前だけは、試したくなる。どこまでできるのか、見てみたいな」
「それこそ意に添いますよう、努めたいと思います。宰相、どうぞこれから、よろしくお願いします」
 シーラの表情は、変わらない。
 しかしその微笑が、ほんの少し輝きを増したように、ライナスには思えた。

 

 見上げた空は、よく晴れ渡っていた。
 舌打ちを煙管で抑えながら、ゲクランは流れる雲をじっと見ていた。どこかこんもりとした、夏の雲である。この村の喧騒も、あの空までは届かない。
 レザーニュ近郊の、農村にいた。軍議に使う石造りの建物の横で、長椅子にもたれかかり、ゲクランはワインのグラスを傾けていた。苛つきで、多少飲み過ぎても酔えそうにない。もっとも今から軍議なので、酔っている場合ではなかった。すぐ後ろで、今回副官を務めるパスカルが、部下に細かい指示を出していた。
 苛つきの原因は、いくつもある。
 最大のものは、どうしてもわからなかったリチャード王の部隊の、その配置である。報告を受けた時、ゲクランは思わず耳を疑った。まったくの予想外で、そして完璧な軍略だったからである。やられた。その言葉が、何度も脳裏に谺した。戦は何が起こるのかわからないのでまだ勝ち目が消えたわけではないが、そこまでをいかに有利に進めるのかが戦略である。その点で負けたと、はっきりと自覚した。この負けが実際の敗戦とならぬよう、ゲクランは後手に回らざるを得なくなった。攻めるはずの軍が、既に守りに入っている。
 このことを、今日集まる指揮官たちに説明しなくてはならないと思うと、憂鬱である。これも、苛つきの原因だ。
 最後の苛つきは、レザーニュ伯の到着の遅れである。ここから、レザーニュ城は見えている。軍議は正午からと通達してあったが、二時を回った今になっても、伯があの城を出たという報告はない。嫌なことはさっさと済ませたいゲクランである。普段なら笑ってやり過ごせるような気持ちのさざ波も、今は酒と煙草で紛らわさざるを得ない心境だ。この二つがなかったら、子供のように暴れ出したいくらいである。
 紫煙を間断なく吐き出しながら、ゲクランは周囲に目をやった。村は、さながら祭のような活気である。七万を超える軍の集結に加え、この村の者はもちろんのこと、近隣の村からも多くの人間が集まり、兵たちに物を売ったり、歓待したりしていた。急ごしらえの屋台が、至る所に作られている。この辺りの民にとっては、臨時収入の絶好の機会なのだった。
 すぐ近く、建物の傍に、青流団のベルドロウとルチアナが立っていた。老ドワーフは目を細めて村人たちの様子を見ており、ルチアナは睫毛の濃いぎらついた目で、じっと地面を睨みつけている。二人の青い鎧が、陽の光を照り返している。
 そこに村人たちをかき分け、木皿を手にしたアナスタシアが姿を現した。屋台で買ったのか、皿には蒸かしたじゃがいもが、山と盛られている。具足姿で芋を頬張る彼女は、これがあの陥陣覇王かというくらい、とぼけた佇まいである。
「うん、これは美味いぞ。ルチアナも、食うか?」
「いえ、結構です。昼食は摂りましたので」
 アナスタシアは表情を変えないまま、ぼんやりと木皿に視線を落とした。いや元々、この娘は表情に乏しい。いつも、ぼんやりとした顔をしているのだ。
「では、わしが。ふむ・・・これは、いけますな」
「このバターが、効いている。スラヴァル人も、これなら食べてくれると思うのだがなあ」
 じゃがいもは、寒冷地での栽培に適している。が、北方、アナスタシアの故郷スラヴァルでは、じゃがいもは嫌われていて、一部の者しか食べないのだと聞く。
「アッシェンでは、何でも食材にするといった印象だな。ルチアナもここの暮らしに慣れてきたと思うが、じゃがいもは嫌いか?」
「いえ、好き嫌いではなく、もう食事は済ませたと言いました」
 ルチアナの強い目で睨まれたアナスタシアが、少し肩を落とした。相変わらず表情は変わらないが、しょんぼりとしているらしい。そんなやり取りを見ていて、ゲクランは苦笑した。和む、とはこのことか。
 どよめきと人混みをかき分け、こちらにやってくる者たちがいた。堂々たる体躯と威圧的な赤い具足姿の女は、否が応でも人目を引く。やって来たのは、辺境伯のラシェルだった。その後ろに控える副官も、注目の的であったことだろう。闇エルフのブランチャである。
「あの、陥陣覇王と名高い、アナスタシア殿でしょうか。お初にお目にかかります。辺境伯領よりやって来た、ラシェルという者です」
 声を掛けられたアナスタシアが、これもまた茫とした仕草で振り返った。咀嚼したものを飲み下した後、その通り名の威厳の欠片もなく、ゆっくりと頷く。
「ああ・・・あの、"辺境の槍"として知られる」
「この名を耳にして頂けていたのですか。あいにく、得物は斧ですが」
「アナスタシアです。ラシェル殿の名は遠くスラヴァルまで鳴り響いておりました。お会いできて光栄です」
 アナスタシアがこういう人間だと知らなければ、どこか下手に出た応答に、違和感を感じただろう。まごうことなき、大陸五強の一角である。が、この娘には気取ったところが微塵もないのだ。この数日で、ゲクランはそれを知ることとなった。手についたバターを腰の辺りで拭い、アナスタシアが手を差し出す。大きなラシェルは身を折り曲げ、その手を両手で包み込む。顔に傷のある女丈夫が、さかんに頭を下げていた。何か全てがちぐはぐに見えて、ゲクランは笑った。
 二人はしばらく、討ち取った怪物の話をしていた。なるほど、この二人には兵を率いて怪物を倒してきたという、共通点がある。数日前、ゲクランとの初見では実に堂々としていたラシェルが、アナスタシア相手に腰を低くしているのは意外に思えたが、この将は以前から陥陣覇王に深い敬意を抱いていたのだろう。ゲクランも領内に出没した怪物を屠った経験があるが、言うなれば狩りの延長のようなものだ。この二人は竜や飛竜といった、大物を相手にしている。
 辺境伯の傍に立つブランチャは、白い布で右腕を吊っていた。先日ラシェルの軍がリチャードの奇襲を受けた際に、負った傷らしい。ラシェルたちを逃がす為、あのリチャードと馬上でやり合ったのだという。既に大陸五強時代の強さを取り戻したと言われる老王相手に、大したものだった。感情の起伏が小さいのか、アナスタシアとはまた違った意味で、表情のない指揮官である。
「殿、レザーニュ伯が到着したようですよ」
 パスカルが言う。いつも皮肉めいた笑みを口元に張り付かせている男だが、今もそれは変わらない。
 ゲクランは立ち上がった。思わず溜息が出てしまい、しかし気分はいくらか晴れていた。
「すぐに、ここに来るよう伝えて頂戴」
 伯の到着を知ったのか、アヴァラン公の親子も、こちらにやってくるのが見える。アナスタシアとラシェルに声を掛け、軍議に使う建物の扉に手を掛ける。
 これから、アッシェンの命運を賭けた戦が始まる。そう思えないくらい、その扉は軽かった。

 

 

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