pbwtop11a

プリンセスブライト・ウォーロード 第11話
「戦のない世など、訪れませんよ。人の愚かさが、それを許さない」

1,「わかろうとして、あなたを傷つけてしまった」


 執務室には、レーモンとキャシーがいた。
 レヌブラント城内、ジルの私室と隣接した広間である。他にも何人かの、ジルを補佐する役人の姿もあった。壁にはユーロ地方全域の地図が、そして卓の上にはこの地方の地図が広げられていた。
 レーモンは対アヴァラン軍を解散した後、数名の供回りと共に、帰還するジルについてきた。レヌブラント伯バルタザールへの報告の為だ。この男がレヌブラントに滞在するのは珍しく、再び任地に帰ろうとするこの老将を、ジルは呼び止めたのだった。
 また"囀る者"の一人、キャシーも城を訪れていたので、同席してもらった。忍びのキャシーは、前回と同じく商家の娘のような出立ちだった。
 茶を飲みながら、地図を囲む。議題はいかにして東の国境で対峙するアヴァラン領を落とすか、である。
「アヴァランから見て、国境の警備は万全というのが、これまでの認識だが」
「アングルランドからの大量の援軍がない限り、落とせますまい。奇策は、かえって足元をすくわれます」
 レーモンが言う。こちらから見て東の国境は南北に山並みが走っており、軍が通行できるような箇所は限られている。アヴァランはその全てに、堅牢な砦を配してあった。先の戦も、そんな山の麓のひとつで行われたものだ。キャシーも、地図から目を離さずに頷いた。
「東への進軍はやはり難しいか。では、北からは」
 両国境とも、北は海である。
「アヴァラン領の海軍は、少数ながら精鋭です。こちらもやはり、本国からの援軍なくしては無理でしょう」
 これには、キャシーが応える。本国、という言い回しに、元はアッシェンの将軍だったレーモンは、その白い眉一つ動かさない。主はアッシェンという国ではなく、あくまでバルタザールという認識なのだろう。レヌブラント伯がアングルランドの軍門に下って後は、自分もアングルランドの将と思い定めているのか。
 一応、レヌブラントはアッシェンから独立した一つの国であり、それをアングルランドが支援、監督するという形になっている。はっきり言ってしまえば、植民地だ。その大使と総督を兼ねているのが、ジルである。兼任するには重い両職だが、所詮はお飾りともいえる。非嫡出子含め、王の子供たちは多いが、無限にいるわけではない。それぞれ要職についているか宮殿から離れており、冒険者として名を知られつつあり、どこか旅に倦んでいたジルは、お飾りとしてでも声を掛けるに丁度良かったということだった。
 が、大使はともかく、総督の任については、それなりに仕事らしいものをしているつもりだった。大使としての仕事は、キャシーやマイラの運んでくる宰相の意向を、ただ伝えるだけでいい。
「レヌブランの海軍は、いかにも少ない。レヌブラン防衛で、精一杯といったところか。この増強は、何故進まない? それなりに、予算をつけてやっているのだが」
 金の動きは、大体把握している。レーモンが、こちらを見た。
「海軍は、なかなか育たないのです。将校は、既に経験のある者を余所から引き抜くこともできますが、船乗りはそうも行かず、どの国も喉から手が出る程欲しているでしょう。よって、余っている人間は少ない。海は陸よりも、経験が必要なのです。元より優秀な人間でも、一朝一夕で優れた船乗りにはなれないのです」
「なるほど、陸の兵は、素質があれば短時間で育つからな。造船は?」
「大型船を建造できるのはレヌブラントだけですが、こちらは一応滞りなく。先に数だけ揃えたいのであれば、エスペランサが良い取引相手になりそうですが・・・」
 そこでちらりと、レーモンはキャシーに目をやった。
「エスペランサとの関係は、微妙なものを含みます。できないことはないですが、余程のことがない限りこれ以上の関わりを持つのは危険、と宰相は考えています」
「これ以上、とは?」
「本国との貿易は盛んに行われていますが、同時にエスペランサは、ハイランド公とも取引しています。ノースランドに、大量のイチイを輸出しているのです」
 ノースランドは、ハイランド公ティア、通称ブーディカを中心に、アングルランド北部で叛乱を起こしている。イチイはノースランド兵が使う、長弓の材料だ。つまりエスペランサは、ノースランドの叛乱も支援している形になる。
「狸なのかな。商売上手という気もするが、それに対して、本国は抗議しないのか?」
「表立っては。揉めると、海にまで戦火が広がります。これ以上の戦線の拡大を、宰相は望みません」
「エスペランサの、無敵艦隊か。ただ海の向こう、開拓地の方ではやり合っているんだろう?」
「互いに私掠船を使い、かつ海賊や現地の民を中心とした、代理戦争です。ええ、確かにエスペランサと事を構えていますが、今はぎりぎり、両本国が直接矛を交える事態には至っておりません」
 先日のパリシ戦線で敗れたとはいえ、まだアングルランドは、対アッシェン百年戦争を、優勢な形で進めている。が、情勢は複雑であり、一歩間違えば瞬時に転覆しかねないという気がする。その意味でもパリシ包囲戦での敗北は痛いはずだが、なんとか今は、パリシ包囲前の状況を保っている。これはやはり、宰相ライナスの知謀なのか。
「ともあれ北、海からアヴァランを攻めるのは、当面無理か。東からとなると敵地を通過しなくてはならないし、南は、ゲクラン領か。宰相はアヴァランを攻めるにあたって、何か言っていたか?」
「レヌブランからの侵攻は、難しいと。周辺を押さえて後、東から攻めたいと」
「やはり、そうなってしまうのかな。ん、こうして見ると、アヴァラン領とゲクラン領は、共に首邑が近いのだな」
 ゲクラン領の北辺と、アヴァラン領の南。それぞれの居城は、馬で一日くらいと、かなり近い。
「ここの領主同士は、代々友好的なのです。今は西から落ち延びたゲクランがこの地の盟主となっていますが、以前からこの二つの勢力は、共闘関係にあります。ゲクランは、あくまでその関係性を引き継いだという形で。先の戦でもゲクラン元帥とアヴァラン公には、強い絆がありました」
「の、ようだな。南からなら、東よりも侵攻は容易に見えたのだが」
「まず、ゲクランを倒さなくてはならない。先程周辺と申し上げましたが、南からの侵攻は考えておりません。なぜならゲクラン領こそは、アッシェン制圧の、最後の最後となるからです。アッシェン最強の将軍、ゲクラン元帥の領土ですから。逆に、ゲクラン領を攻める為に、その北のアヴァラン領の占領が必要と、宰相府では考えております」
「なるほど。単に近いから第一の戦略目標とするのは早計なのかな。ところで、話が飛んで悪いのだが」
 先程ふと、疑問に思ったことだ。レーモンとキャシーという知恵者がいる内に、聞いておきたい。この総督府には多くの有能な事務方がいるが、戦略的な視点をもって、ジルの質問に答えられる者はいない。
「ノースランドは、何の産業でエスペランサと取引しているのだ? 錫や鉄が採れるようだが、本邦に比べて、規模ははるかに小さい。にも関わらず、それなりの規模の貿易が成り立っている。要は、入ってくる物は多いのに、ノースランドが出しているのは、少ないように思える」
 レーモンが、茶を口に運んだ。ここでも、答えたのはキャシーである。
「それが、わからないのです。ただ、ノースランドは大量の現金を持っていると聞きます」
「何で、現金を得ているのかがわからないのだな。ノースランドと交易が盛んな国は、他にあるか」
「それこそ、周辺はほぼ。ここレヌブランは勿論、アッシェンもそうです。ただいずれも小規模な商家同士の商いで、国が全面的に支えているようなものは、何も」
 言ったキャシーは、しかし口元に微笑をたたえている。
「どうした?」
「いえ、ジル様も総督らしくなられたと。これは、失礼でしたか」
「いや、与えられた場を全うしたい、非才なりに、そう思っているだけだよ」
 ジルも、笑った。この知性に満ちた女に認められている。そんな気がしたからだ。
「それで、ノースランドが大きく儲けるような交易をしているところは、ないのだな」
「見た所は。しかし、結果として大量の金は集まっている。どこかが多額の資金援助をしていることは間違いがなく、それがエスペランサかアッシェンなのか、まだ尻尾は掴めずにいます。グランツ帝国辺りも、候補に入っていますが」
 アングルランドの敵を利して喜ぶ国というと、むしろ枚挙に暇がない。友好国と言える国自体がなく、絶対中立のゴルゴナ以外は全て、アングルランドの覇権侵攻に神経を尖らせているだろう。むしろこの状況で、アッシェンとはっきりとした同盟を結んでいる国がないことが、ひとつの僥倖のように思える。これは、各国に飛んでいる大使たちの力もあるのだろう。アッシェンに肩入れすることを、相当牽制しているはずだ。
「国ではなく、ひとつの勢力という見方では、どうでしょう。例えば、ハンザ同盟は?」
 それまで黙っていたレーモンが、口を開く。
 ハンザ同盟は独立した商業都市の連合であり、その都市と周辺部を除く領土を持たない。実体は、商家の集まりと言ってもいい。その複雑かつ広範な販路を領地のようなものとすれば、その勢力はユーロ全域に及んでいると言っても過言ではない。
「それも有力な候補として上がっています、レーモン将軍。特にユイル商会のシュザンヌは、先日我が国のパリシ包囲に対して、実に挑戦的な態度を示しました。しかしその後、彼女自身は行方をくらませています。なんでも、南の長城を越え、デルニエールに入ったのだとか。そこから先の足取りは、何も」
「"銀車輪"シュザンヌか。ハンザ同盟が関わっていれば、ノースランドの叛乱を資金面で支えうるのだな」
「本当に、関わっていればですが。ただ、同盟自体の結びつきは、互いに利が得られない限り、薄いのです。なのでユイル商会の独断専行、という線でも探っています」
 話に出口が見えなくなったので、ここで散会となった。
 本来自分もそうだが、レーモンとキャシーも暇なわけではない。が、今回のような話し合いは、多く持ちたいと思った。俯瞰で現状を話せる相手は、そう多くはない。ゲオルクとアーラインとはよく話すが、あの二人は軍事以外にあまり関心を持っていない。レヌブラントの客将以上の立ち位置には、決していかないのだ。
 それにしても、とジルは思う。キャシーは"囀る者"なので当然かもしれないが、普段は宮廷に出仕していないレーモンも、意外なくらいに情勢を知っていた。中央から遠くなったとはいえ、かつては、いや今も、バルタザールの右腕と呼ばれる男である。戦だけではなく、多くのことに精通しているのだろう。この老将に次に会えるのは、いつになるのか。
 午後は書類に目を通し、決済することに費やした。無味乾燥な文面から、そこで何が行われているのかを想像する。いつの間にか、総督の生活が身についていた。強者だけを求めて彷徨っていた旅の空が、遠い。
 終業となり、日が暮れる前に鍛錬を積もうと愛刀に手を伸ばした時、一人の来客があった。領主バルタザールの一人息子、ジルにとっては忌まわしきイポリートである。
「先日は、すまなかった。私も総督に嫌われていることを自覚していたので、少々苛立っていたのだ。これは、詫びというほどの物ではないが」
 いつになく神妙な様子でイポリートが差し出したのは、一本の高級なワインである。ジルの好みとは違うが、これが相当に高価なものであることはわかった。ジルの好みを忖度しないところがこの男らしいが、謝罪の意は伝わってきた。
「どうしたのです、急に」
「先日の戦の話を聞いて、総督が将軍としても優れていることを聞いたのだ。私も、態度を改めなくてはならないと思った。総督はレヌブランを守った。そのことに、感謝したい」
 一体どんな話を聞いたのだろう。こちらから侵攻したので、戦場で分けたということは、つまりアヴァラン軍の勝利と言っていい。ジルが敵将イジドールの驚異的な狙撃をかわしたことで、話に尾ひれがついたのだろうか。戸惑いもあったが、この男ですら自分のことを認めたのだと思うと、少しだけ胸が熱くなった。
「どうだろう、この後一緒に夕食でも。ジル殿とは、是が非でも関係を修復したい」
「用事があります。が、お気持ち、確かに受け取りました。私も、殿下には謝罪しなければなりません。いずれまた、晩餐の席ででも、お互い歩み寄れれば。それでは、失礼」
 イポリートを置いて、ジルは部屋を出た。
 対アッシェンという点では負けたが、ジルはあの戦で持ち場を全う出来た。周囲が急速に、自分のことを認め始めているように感じる。わずかに口角が上がりそうになる自分を感じて、ジルは口元を引き締めた。今の自分はいつもよりさらに、怖い顔になっているかもしれない。
 それでも胸にあたたかいものを感じながら、ジルは城を出た。

 

 中庭の長椅子に一人、その娘は座っていた。
 パリシの宮殿の中でも特に中央に位置するこの中庭までは、街の喧騒も届かない。アンリにとってこの小さな中庭は、白い石の回廊に囲まれているにもかかわらず、森の中の開けた空き地のようであった。
 アンリが近づくと、娘は顔を上げた。慌てた様子で、長椅子に広げていたカードをかき集める。娘の名は、ユーフェミア・オブ・アップルヒル。アッシェン王家アルパジョンとアングルランド王家ランカシャー、双方の血を受け継ぐ娘である。歳はアンリより八歳上の、二十歳。つい最近までパリシで丁稚の小僧をしていたアンリから見ると、女性の二十歳というのは華やかさの象徴であり、胸をときめかせる憧れでもあったが、この娘にはその華やかさのようなものが、欠片もなかった。歳上のお姉さんではなく、同年代のようにも感じる。
「カード占いですか。どうですか、吉兆でも?」
 言って、アンリは軽く咳払いをした。自分ではわからないのだが、周囲の話を聞く限り、どうやらアンリは声変わりが始まっているらしい。
「いえ、その・・・」
 ユーフェミアはカードの束を膝の上に置いたまま、俯いた。その横に腰掛ける。ユーフェミアは、目を伏せたままだ。
「僕の方からは、ひとついい知らせを。先程、解放の交渉がまとまりました。ユーフェミア、あなたはもう自由の身ですよ」
 娘が、顔を上げた。化粧をしていないので、眼鏡とそばかすの印象が強い。
 ユーフェミアは、アングルランドのパリシ包囲軍の中にいた。ダンブリッジ将軍が青流団に撃ち破られた際、戦場に取り残され、その身柄を確保された。捕虜となった別の将校に聞くと、パリシ占領の際には、ライナスの采配でこの街の市長になる予定だったという。
 以来虜囚となっていたがつい先程、身代金についてアングルランド大使との交渉がまとまったと、アナスタシアに聞いた。
「この後、茶会があるのです。ご一緒したいのですが、いかがです?」
 娘は少し思案している様子だったが、顔を曇らせ、またも俯いてしまった。迷っているのか拒絶されたのかわからず、アンリは言葉を続けた。
「ああ、茶会には、アナスタシア殿も来ます。あなたへの扱いは丁重だったと聞きますが、やはり敵将が同席では、気まずいでしょうか。ラシェル殿も来られますが」
 ユーフェミアは、首を振った。何に対してそれをしたのか、アンリにはわからない。パリシの城下町の、最も活気溢れる街角で育ったアンリには、歳上、大人の女性たちとの交流が多かった。かわいがられていたと思う。なので子供なりにだが、大人の女性とのやりとりには慣れているつもりでいた。しかしどうにも、このユーフェミアという女性は、やりづらかった。何を考えているかわからず、それでいてただ拒絶の意志だけは伝わってくるのだ。
「それは・・・その、陛下の命令でしょうか」
 ぼそりとされたその返答に、アンリはどきりとした。アンリを一人の少年としてではなく、王として見ていることはわかった。しかし今の返答には、アンリがただの少年だとしても憤りを覚えたかもしれない。上手く言えないが、目の前にいる自分から、逃げ出したように思えたのだ。
「いえ、あなたはアングルランドの人間です。僕は命令できる立場にはない。あなたの自由です。それとも僕の態度に、威圧的なところがあったでしょうか」
 一言多いとわかっていながら、アンリは傷ついている自分を感じていた。誘いを断るにしても、言い方というものがあるはずだ。怒り、傷つき、そしてそんな自分を傲慢だと思ってしまう。何より、こんなことを考えている自分に、アンリは驚いていた。目の前の人間と向き合おうとしないという彼女の態度に、動揺してしまう。
 口の回る小僧と周りに見られていたアンリにとって、やりづらいと感じる相手は珍しい。そして小さな嫌悪感が、頭をもたげてくる。表面的な礼儀作法ではなく、何か根本的なところでこの娘は無礼なのではないかと思った。立場が逆でも、そう感じていただろう。
 いや、とアンリは思い直す。自分の接し方にきっと、おかしなところがあったのだろう。軟禁生活にあった彼女の気持ちに、もっと寄り添うべきだ。怒りを覚えかけてしまった自分を、アンリは恥じた。
 雀が一羽、中庭の芝生の上を歩いていた。アンリと目が合うと、雀は忙しなく空へと飛び立っていった。
「申し訳ない。占いの、邪魔をしてしまったのですね」
「いえ・・・その、結果はもう、出ていましたから」
「なんと?」
「その・・・」
 少し会話のきっかけが掴めたような気がして、アンリは身を乗り出した。
「言いづらい結果でしたか」
「運命の人と、出会うと」
 ユーフェミアは、わずかに頬を上気させている。
「それは、吉兆ですね。茶会には・・・僕以外の男性はいませんね。ああ、ひょっとして、女性の方に興味がありますか」
「いえ・・・その辺りは、大体普通だと思います」
「大体?」
 ユーフェミアは、再び首を振った。なんとなく、ユーフェミアの挙措は、過去に知り合った娘たちの何人かに、共通するものがある。
「もしかすると、自身のことよりも、男性同士の恋愛に興味があるとか?」
 ユーフェミアは、大きく目を見開いた。これは、当たりだったのだろう。ようやく、この娘と会話ができそうだった。
「僕はこの間まで、パリシの印刷所で見習いをしていたのです。ビラや、大衆向けの物語などを扱っていて、何度か、そういう作品を目にしたことがあります」
「パリシにも、そういう作品は売っているのですね」
「後で、街で見てみるといいでしょう。よろしければ、そういう作品を多く扱っている店をご紹介しましょうか。パリシには、実に多くの本屋があるのです」
「いえ、その・・・結構です。自分で、探しますから」
 アンリは落胆した。さすがに王となった自分にそんなことをさせてはいけないと思ったのだろうか。いや、もっと根深いところで、この娘は様々なものを拒絶している。
 しばらく、そのわずかな糸口を頼りに、ユーフェミアと話をした。乗りかけるが、乗らない。会話は、そんな調子に終始した。
 やがて、ユーフェミアのこれまでの生活についての話になった。それまでの話と違い、この話に彼女は饒舌だった。
 ここに来るまでは、修道院に入っていたらしい。が、どうも話を聞いていると、おかしなところがあった。出家したにも関わらず、院内で好きにやっているらしいのだ。そのことを指摘しようと思ったが、やめた。修道院については聞きかじりの知識しかないし、アングルランド国教会の修道院は、こちらとは勝手が違うのかもしれない。
「でも、周りはみんな意地の悪い人たちばかりで・・・」
 果たして、それは本当だろうか。アンリは疑問を挟まなかったが、どうもこの娘は大事な何かを根本的に勘違いしているような気がする。やがてその話し振りは段々と、熱を帯びてきていた。人の批判には、口数が多くなるようだった。他人の悪いところばかりが目につくのだろうか。少し怖くなって、アンリは話を途中で遮った。
「差し支えなければですが、ユーフェミア殿はその、周囲が皆、敵のように感じていませんか」
 言ってから、これはまずいかなとアンリは思った。
「私は、周りに良くしようと、いつも思っています。なのに、周りは私をわかってくれないんです」
 その眼鏡の奥に、憎悪の炎が揺らめいている。ほんの十分前とは、別人のようだ。いけないと思いつつも、アンリの中にも再び怒りが渦巻いていた。が、何に対して怒っているのだろう。この娘の考え方にか。それとも、わずかな時間で豹変した、彼女への恐怖か。
「わかってくれないのは、あるいはあなたが周りをわかろうとしていないからかもしれない」
 さらに口にしたのは、やはり失策だっただろう。ただ、言わずにはいられなかった。
「あ、あなたのような子供に、何がわかるというんですか」
 その一言は、確かにアンリを傷つけた。言ったユーフェミアもしまったと思ったのか、口に手を当てて、その瞳を潤ませていた。
 しばらく、二人は見つめ合っていた。自分がどんな顔をしているのかはわからないが、ユーフェミアの顔には猛る怒りと、それと矛盾するような、今にも泣き出しそうな動揺が同居していた。
「すまない。確かに僕には、あなたがわからない。わかろうとして、あなたを傷つけてしまった」
 ユーフェミアは何か言おうとしていたが、その言葉を飲み込んだ。
 そして彼女は軽く頭を下げると、カードの束を胸に抱いたまま、中庭から走り去っていった。

 

もどる  次のページへ

inserted by FC2 system