前のページへ  もどる  次のページへ

 駅の前で、馬車が停まる。
 フェルサリは大きく息を吸って、馬車から飛び降りるように、下りた。レムルサ駅の駅前には酒場が連なっており、この時間でも明るく、人通りも多い。ロベルトがフェルサリの緊張を解くように、ぽんぽんと背中を叩いた。
「なに、危なくなったらお館様の背中に隠れていれば大丈夫ですよ」
「い、いえ、私が母上を守ります・・・え、ええと、盾代わりになるという意味ですよ」
 ロベルトは笑いながら、荷物を受け取りにきた少年たちに鞄を手渡していた。一人は、屋敷に何度か遊びにきた少年だ。灰色の帽子を目深に被っていたので、声をかけられるまで誰だかわからなかった。
「お、フェルサリだっけか。今回は、あんたもチェチーリアについていくのか」
「う、うん」
「あんまチェチーリアの足引っ張んなよ。その格好、似合ってるぜ」
 言われて、フェルサリはシャツの裾を引っ張り、腹を隠そうとした。そんなフェルサリの様子を見て笑った少年は、もう一人の、ちょっと女の子っぽい少年と共に重い鞄を抱えて構内に入っていった。一瞬、そんな子たちに重いものを持たせたことに気が咎めたが、これが彼らの仕事なので、余計なことをするべきじゃないと思い直した。
 具足姿のセシリアは、駅前の屋台で、瓦版数枚と、パニーノを買っていた。四つ。一つをフェルサリに渡すと、残りを持って駅の中に入っていく。片手で二人分の切符を見せるとそのまま改札を潜ってしまったので、フェルサリも慌てて後を追う。
 フェルサリは、あまり列車というものに乗ったことがない。普通の人間は、あまり乗る機会がないだろう。フェルサリも、セシリアに出会ってここにやってきた時と、たまに永世自由都市ゴルゴナに遊びに連れていってもらう時くらいだから、数えるほどしか乗ったことがない。
 構内は、駅前よりもさらに明るい。ガラス張りの天井が、中の光を反射させている。まぶしい。自分のこれからの旅路を、照らしてくれているようにも思える。
 もう個室に荷物を運び終えたらしい少年たちに、セシリアはチップとパニーノを配っていた。
「たまにはおごってあげるわよ」
「いつも悪いな、チェチーリア」
 どこか噛み合ない会話をしているが、少年たちは満面の笑みでセシリアを見上げていた。
 少年たちに見送られ、セシリアとフェルサリは、列車の中に入った。通路を歩き、予約している個室に入る。狭いが、淡い色の調度品で彩られた、品のいい部屋だった。窓側に備え付けられた机と長椅子、壁際に二段の寝台がある。揺れがあるので、部屋のものは固定してあるか、落ちないような工夫が凝らされていた。
 個室に入るのは、セシリアと出会った日以来だ。あの時の自分は、言葉を失っていた。そんな自分を気遣って、セシリアはあまり話しかけてこなかったが、絶えず優しい笑みを投げかけてくれていた。パーティの他の者も別の客室を取っていたのでそちらで楽しくやることも出来たはずだが、セシリアはずっと自分の面倒を見ていてくれたのだ。
 その時の印象より、ずっと苛烈で厳格な面を見てきた。それでも、フェルサリはセシリアが好きだった。自分の方がずっと年上だが、セシリアはいつも、はるか仰ぎ見る存在だった。
 蒸気を吹き上げ、列車がゆっくりと走り出す。街並が、流れていく。見知った街並も、列車の窓から見ると、まるで別の景色だ。
 客室乗務員に紅茶を頼むと、セシリアは具足を脱ぎ始めた。フェルサリもそれに倣う。パニーノを頬張りながら他愛のない話をしていると、家にいる時とあまり変わらない気がしてくる。フェルサリの緊張を見て取って、気遣ってくれているのだと思う。
 列車は、かなり速度を上げている。明日の午前中には下車するそうなので、就寝時間を含めると、あまり時間に余裕があるわけではないだろう。セシリアがキセルに火をつけたところで、フェルサリは今回の冒険の話を切り出した。
「母上、依頼主のスキーレ・ペッカートル家とは、どんな方たちなのでしょうか?」
 セシリアは足を投げ出し、ゆっくりと紫煙を吐き出している。
「魔法連合領の、名門。でもちょっと、いわくつきの家柄でね・・・」
 セシリアは深く、横になるように長椅子に身を沈める。
「この辺りじゃ滅多に見ないけど、キメラって怪物の話は聞いたことがあるでしょう? 北に行くと、そうそう珍しい怪物でもないんだけど、あれを魔法で生み出したのが、この一族なのよ」
 合成獣。獅子の身体に蝙蝠の羽を持ち、背中には山羊と竜の頭、獅子のものと合わせて、三つの頭が並ぶ。尻尾が毒蛇。これが最もよく見られる形らしい。家にある図版で見たことがある。ただ中にはこれから逸脱した姿を持つものもいるのだという。
 レムルサには、動物園というものがあり、獅子や他の多くの生き物を、この目で見た。さすがに竜を見たことはないが、山羊はもちろんのこと、獅子という動物については知っている。フェルサリは猟師であった時に、野性の獣の恐ろしさを知っている。それだけに、合成獣というのは想像するだに恐ろしい怪物だと思っている。
「単に魔法で生物を生み出す、あるいは組み合わせるというのは、大きな魔術師の一族や、力ある魔術師なら、やっていてもそうおかしな話ではないのよ。ただ、スキーレ・ペッカートル家は、つがいでそれらを作り、繁殖も試みた。魔法で作られた生き物というのはすごく繁殖力が低いから、当時としては意欲的な実験だったんでしょうね。けどある日、実験中の事故から、キメラたちを逃してしまったのよ」
 ふう、と肩をすくめて、セシリアは形の良い脚を組み替えた。
「で、キメラたちは野に放たれて、大繁殖。これが千年くらい前の話で、以来、スキーレ・ペッカートル家はキメラ討伐に血道を上げてるってわけ。まあ一族がそうしていると言っても、彼らだけでどうこうできるわけじゃないからね。彼らが実地に赴くことも過去にはあったそうだけど、実際は、キメラの首に報奨金を出してるってわけ。その管理が主な役目。それと、資金調達の為に、一族はある時期から金融業を営んでるわ。各地で狩られるキメラ討伐の報奨金は莫大なものになるだろうから、当然と言えば当然ね。今は世界各地にある、スキーレ銀行の元締めが彼らよ。ま、実際は親子二人しかいないんだけど」
 フェルサリは街に暮らすようになったが、まだ人の営み、社会というものの理解は浅いと自覚していた。金融、という言葉の響きにどこかきな臭いものを感じてしまうのも、そういうことだろう。
「そんな繁殖力のある怪物を生み出しておいて皮肉に思えるかもしれないけど、魔力を扱う者たちは、一般的に子を成しづらいと言われているの。あくまで統計的なもので、はっきりとした因果関係は今になっても解明されてはいない。そう考えると、繁殖力のある魔法生物の創造は、彼らにとってもそういう意味合いがあったのかもしれないわねえ」
 セシリアが、冷たい笑みを浮かべて言った。
「なるほど、わかりました。それで、母上が彼らに興味を持ったというのは、何故なんです?」
「一族というより、次期当主のオルガって娘に興味があるんだけどね。ちなみに、その子が今のスキーレ銀行の頭取。まだ二十歳にもなってないって話よ」
「すごいですね、その若さで」
「天才というヤツかしらね? しかも頭取になったのは五年前で、彼女の代になってからそれまで地方の一銀行だったものを世界中に広げただけでなく、かなりの規模の慈善事業にも力を入れているの。それこそ、血道を上げるといった具合にね」
「はあ・・・ええと、いい人なんですか?」
 くすくすと、セシリアがおかしそうに笑った。

「さあ? 銀行だけじゃなく、企業と言われる大きな会社が、どうして慈善事業をするか知ってる?」
「い、いえ」
「多くは、税金対策なのよ。儲けが多くなれば、支払う税も増えるでしょう? 孤児院を建てたり、そこを経営するのは、企業全体からすれば細かい金の出し入れで、ひとつひとつの資本の規模は小さいのに数だけは増やせるから、資金の流れも管理しやすい。しかもその地域の人たちに喜ばれ、社会的なステータスも上がる。税の支払い額をそうやって調節できるから、一石二鳥、いや三鳥って感じかしら。ま、中には熱心なセイヴィア教の信者で、純粋な善意、信仰心でやってる経営者も、いるにはいるんだけどねえ」
 紅茶に口を付け、セシリアが続ける。
「と、ここまでは普通の企業の話。スキーレ銀行がちょっと違うのは、その規模が銀行の利を吸い取るほどだってこと。頭取のオルガが、そういった類の熱心な信者だとは聞かないわ。それに本業の銀行業の方は、悪どいと言っていいほどの、際どい投資を繰り返してる。それは投資というより、投機といっていいほどにね。その一方で、融資、金貸しの方では、さほど厳しい取り立てを行っているとも聞いてない。なんかこう、矛盾してるのよね。経営自体が傾きかけたことが何度かあった。その度にオルガの才覚で乗り越えてきたって話だけど、このオルガ、ちょっと面白いと思わない?」
 なるほど、セシリアは単純な合成獣討伐の依頼としてだけで、この話に乗ったわけではないらしい。
「スキーレは知る、という意味で、ペッカートルは罪人よ。スキーレ・ペッカートルで、知識ある罪人といったところかしら。元々はスキーレ家だったんだけど、キメラの件で、ペッカートルをも名乗るようになった。ま、興味あるってだけで、今回はおかしなちょっかいは出さないわ。でも、中々会えるような人間じゃないし、これを機に、ってわけよ。会って、伝えなくちゃいけないこともあるしね。紅茶、冷めちゃうわよ?」
 慌てて、フェルサリは紅茶を飲み干した。セシリアは一度部屋を出て、紅茶の追加を頼みにいった。
 冒険。初めてのそれで、自分はセシリアの力になれるだろうか。窓の外の暗い原野を眺めながら、ふと思った。おこがましいことなのだろう。セシリアはこの冒険を通じて、フェルサリに多くのことを教えようとしているのだと思った。単純に傭兵のようなことをしたり、依頼に応じて怪物を倒すだけではない。ロベルトがかつて言っていた。そんなことの繰り返しで、セシリアが短期間で今のような地位にいるわけではない。
 やはり自分にとっては仰ぎ見る存在で、こんな身近で、母上などと呼んでいいのかとも思う。
「そうそう」
 セシリアが、ポットとカップを持って帰ってきた。自分で運んで来たようだ。
「これからは、母上と呼ぶのやめにしなさいな」
 フェルサリの心を見透かすように、セシリアは言った。
「ではなんと・・・し、師匠ではどうでしょう?」
 セシリアが紅茶を吹き出しかける。
「違う違う。もう同業者なんだから、あんまり下から目線はやめなさいってことよ」
「でも・・・そんな、いきなり・・・」
「そうねえ。いきなりセシリアって呼び捨てにさせるのも、あたの性格じゃあ難しいかもしれないわねえ」
 優雅な手つきで、セシリアは二杯目の紅茶を注いだ。
「か、母さんではどうでしょう?」
「変わってないじゃない。んー・・・ま、最初の一歩だから、そんなもんでいいかな。その言い方の方が、少しは、硬さも抜けるかもしれないしね」
 セシリアは、駅で買ってきた瓦版に目を通し始めた。フェルサリは机の隅に置かれた、二枚の切符を手に取る。
「母う・・・母さん、使い終わった切符は、どうしてるんでしょうか」
 大陸鉄道の切符。フェルサリはこれが好きだった。瓦版に目を落としたまま、セシリアが言う。
「ああ、あなたそれが好きなんだっけ。列車を下りた後も経費の計算があるから一度家に持って帰るけど、後は好きにしていいわよ」
 今目の前にあるものは、薄い桃色の厚紙に、簡略化した地図が描かれたものだ。ラテン都市同盟からグランツ帝国領に入り、南部を東寄りに進む順路。駅の名前の横に丸い点があり、乗車駅と下車予定駅には、パンチという道具で穴が開けてある。
「個室の予約だと、こんな感じの、地図や絵が描かれたものになるのよ。普通の座席だと、ちょっとした絵に、行き先が印刷されたものだったりするわ。まあ、あれはあれでかわいいわね」
「すごく、綺麗です」
「そうねえ。私なんかは見慣れちゃってあまり意識してなかったけど、これはこれで、ひとつの芸術品かもしれないわねえ。実際シーズン毎に、切符のデザインは実力のある芸術家が起用されてるって話よ」
 これからの冒険。生き残ればたくさんの切符を手に取ることができるだろう。
 一枚でも多く、これを集めてみたい。切符の美しさもそうだが、行き先しか書いてないものでもいい。一枚一枚に思い出が詰まってるはずだと、フェルサリは思った。

 

 

前のページへ  もどる  次のページへ

inserted by FC2 system