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列車を下りた。 列車の旅は嫌いではないが、外に出ると、やはりそれなりの開放感はある。大きく身体を伸ばし、フェルサリが下りてくるのを待つ。 グランツ帝国南部の、東の国境にあたる地域だ。魔法連合領の西側の境としては、かなり北の方になる。帝国はその大部分が森である。駅を挟み、西の森が帝国領で、東の原野が魔法連合領。鉄道及び各駅は、例外的にゴルゴナの支配下にある。セシリアは地図を広げた。 大陸の西部は様々な地域を回ってきたが、魔法連合領に来るのはこれが初めてだ。スキーレ・ペッカートル領へはここから少しばかり北東へ進むことになるが、街道は南北、及び東の方角に伸びており、ペッカートル領を避けているようでもある。街道沿いに旅を続けようとすると、北と東、どちらでも大きく迂回することになる。 「あ、切符ほしかったのよね。私の分も持ってて。後でロベルトに一度預けてね」 何故か妙におずおずとした様子で、フェルサリは両手を差し出して切符を受け取った。本当にこれが好きなのだと、セシリアも思わず笑みをこぼす。 この駅で乗り降りする人間は、大陸鉄道利用者の中では決して多くない。一応駅の体裁は大陸鉄道の駅らしく立派なものだが、建物自体は、私鉄の駅かと思うほどにこぢんまりとしている。 「魔法連合領は、鉄道が通ってないのよ。ここからは、馬か馬車しかないわね」 フェルサリに説明する。さて、ここからどうするか。急な案件の上、セシリア・ファミリーとしてはほとんど未開の地といってもいいので、情報は今後のパーティの為も含めて、自分で集めていくしかない。駅馬車が集まっている広場に行き、御者の一人から話を聞く。 「な・・・馬車だと、一週間もかかるの?」 地図だと、直進すれば歩いても一日くらいなのだ。山や、大きな河が進路を遮っているわけでもない。まっすぐ目的地に向かえない以上、迂回もやむなしと思っていたが、これでは時間がかかりすぎる。 急いでいると伝えると、余っている馬があるかもしれないと言われた。早速ギルドに行き、馬を借りたいと伝えると、小さな荷馬が二頭、余っているだけだった。セシリアたちは、その内一頭を借りることにした。その際に地図を見せ、この地域の話を聞く。賊や、怪物が出るという話はあまり聞かないようだ。 町の食堂で、早めの昼食を取った。焼いた鶏とパン、塩気の多い野菜のスープである。両手でパンを持って、ちょっとずつかじりついていくフェルサリを見て、小動物のようだと、セシリアは思った。 「さて、ようやく出発ね。歩いて行くことになっちゃったけど」 「はい。道中何事もなければと思います」 荷馬に鞄を載せ、それを引いて町を出た。一度、野営することになるだろう。数日分の準備は整えてある。 時折木立は見えるが、基本的には原野である。遠くの方に、山や森は見える。水は用意したが、新鮮なものはそこで手に入るだろう。野営も、その辺りのどこかでやることになる。 「ずっと先の方に、靄がかかっていますが、せり出した岩壁・・・崖のようなものが見えます。何か建物が張り付いているようにも見えるので・・・あの辺りでしょうか?」 「そのはずよ。見えるのねえ、すごいわ」 さすがに、フェルサリはエルフの血を引いているだけある。セシリアには、地平線の辺りは、ただの原野にしか見えない。鞄から望遠鏡を取り出すまでもなかった。フェルサリの方がずっと見えるくらいなのだ。 「本当のエルフなら、もっとはっきり見えたとは思いますが・・・」 「そういう考え方は駄目よ。エルフでも人間でもなく、あなたはフェルサリ自身なんだから。何か変わったものが見えたら、私にも教えてね」 いささか型にはまった物言いだったが、こくんと頷くフェルサリを見ると、真意は伝わったと思う。 ほとんど踏み固められただけの頼りない道が、少し蛇行しながら、北東へと続いている。 魔法連合領は、遥か昔に魔法使いたちが打立てた、ゆるやかな連合体である。国というほどのしっかりしたものはなく、領主でもある魔法使いたちが、その領土としたところにお互い干渉しない程度に領地を持ち、それぞれ自給自足が可能な程度に独立している。どこの領土にも属さない、権力上の空白地帯は多くあり、今二人が歩いている辺りも、特に誰を領主としているわけでもないようだ。もう、駅も見えなくなっている。 早馬だろう、一度、ものすごい勢いで馬が駆けて行った。呼び止めてもよかったが、特に聞くこともないので、そのまま道を開けた。ただ、そういうことも二度三度とあると、少しは気になる。今まで、セシリアたちと同じ北東に向かう者が二頭、逆にあちらから来たのが一頭。四頭目は、北東の方からやってきた。フェルサリの話によると、他にも数頭、そういうものがいるそうである。 「ちょっと、いいかしら」 馬を半ば竿立ちにして、男が馬を止めた。歳は三十代半ばというところで、左腕の肘から先がない。 「なんだ、急いでいる」 少し横柄な口ぶりだったが、それでも馬を止めてくれたのだ。セシリアは微笑んで言った。 「さっきから、何度かあなたたちみたいな人見かけるけど、何なの?」 「それを、お前たちに言う義務があるのか」 「私たち、スキーレ・ペッカートル家に、キメラ狩りで招かれてるのよ」 言い方ほど、男に悪い印象は抱かない。目の光が、優しい。急ぎの用事で、焦っているだけだろう。この先にはスキーレ・ペッカートル領しかなく、自分も関係者だと、伝えたつもりだった。 「ああ、キメラ討伐の関係者でありますか。その出立ちを見て、あるいはと思ったのですが。ご苦労様です」 男の口調が急にあらたまったが、印象そのものは変わらない。 「しかしその件に関しては、特に託かっていることもありませんので」 「そう。そのことで何かあって、こんなに頻繁に馬を走らせているわけじゃないのね?」 「さあ、他の早馬については知りませんが、概ね私と同じような任に当たっていると思いますよ」 「内容については、聞ける?」 「は、はあ、それは・・・」 男が、ある方の手で無精髭を掻きながら、ばつの悪そうな顔をした。 「金融関連かな? 投資、株かしら?」 少し驚いたような顔をした後、男が苦笑する。大体そんなところだろう。 「引き止めて悪かったわね。お務め頑張って」 「は、はあ。二人とも、今晩は野営ですか」 「その予定だけど」 「ここから少し行った所に、野営にちょうどいい場所があります。森沿いに歩くと、一カ所木立が薄い所があって、そこから小川が見えます。すぐにわかりますよ」 「ありがとう」 男は馬首を返し、そのまま南西へ駆けて行った。 「親切な方でしたね」 「ああいった人のいい人間が働けるのは、悪い所じゃないってことよ」 「あの人の仕事は・・・」 「スキーレ銀行の人間ね。投資や株は情報の速さが命だから。オルガが飛ばす指令を、ああいった人間が運んでるってとこじゃないかしら。あるいは、報告を受け取る」 「大変ですね」 「左腕がなかったでしょう? 話し振りもそうだけど、元は軍関係者じゃないかしら。片手で馬をよく乗りこなしてたし、口調があらたまった時、馬から下りかけたのよ。習性ね。除隊した後に、いい働き場所を見つけたってところかな。怪我して軍を辞めた人間の働き場所は、そうそう見つからないからね」 「なるほど」 「私たちが乗ってきた列車の中にも、ああいった人たちは乗ってたでしょうね。今のところ、鉄道以上に速くて、確実な交通手段はないわけだから」 フェルサリが、何かに打たれたような顔をした。 「わ、私・・・私たちが乗っていた列車の中にも、色んな人たちが乗っていたんですね。それぞれに、それぞれの仕事や、目的があって」 「それぞれの、人生を乗せてね」 調子に乗って感傷的な言葉を付け足すと、フェルサリは顔を真っ赤にしてうつむいた。尖った耳の先まで朱に染めている。 口数が少なく、何を考えているのかわからないところもあったが、感受性は強い娘なのだ。それを良い方向に導いてやるのが自分の役割だと、セシリアは思っていた。 フェルサリは自分の倍近い年齢だとはいえ、それでもセシリアよりずっと、長い人生を歩むことになるだろう。セシリアに、どれだけの時間が残されているのかわからない。それでも伝えられることは伝えておきたいと、セシリアは思っていた。それは、母が子に伝える思いとどこか重なり、その意味でも、二人は親子なのかもしれないと、あらためて感じる。 森を右手に、進むことになった。ほどなくして、先程の男に言われた、野営の出来そうな場所が見つかる。日が落ちるまで大分あるが、野営の準備を始めた方がいいだろう。この先はまた原野が広がっており、当分寝床を確保できそうにない。ここはよく使われているのか、焚き火をした形跡がそこかしこにあった。石を輪に並べた、風よけの竃も作ってある。 馬から荷を下ろし、二人で野営の支度を始めた。セシリア一人の時は簡単なもので済ませてしまうことがあるが、意外にも猟師をしていたフェルサリには野営の経験がなかったので、食事の作り方ひとつにしても、ひとつひとつ丁寧に教えていく必要があった。 竃に集めてきた枝を入れて焚き火をおこし、川から水を汲み、鍋で大麦の粥を作る。言葉にすれば簡単だが、焚き火に適した枝の選び方から教え始めると、話すことは多岐に渡る。 「じゃ、火加減は私が見てるから、そうねえ、フェルサリには、お肉でも調達してきてもらおうかしら」 「うさぎでよいでしょうか」 「ん。二人で食べるにはちょっと多いけど、それ以上小さい獲物を探すのも大変でしょう。余った肉で、保存食も作れるわ」 獣の姿は見かけていないが、元は猟師であるところを、見せてもらおうと思った。とはいえ、見つからなかったら無理をしなくていいと言い足そうとしたが、既にフェルサリは森の中に入ったようだった。 鞄の中から、読みかけだった瓦版を取り出す。それを手にした時点で、うさぎを仕留めたフェルサリが帰ってきた。 「早いわねえ」 「飛礫で・・・猟師をしていた時より、ずっと上手くなっていたので」 以前は隠れて獲物が仕留められる機を探っていたそうだが、今回は見つけるや否や、飛礫を放ったらしい。眉間を一撃。きれいな仕留め方だった。うさぎの方も、自分に何が起こったのか、わかる時間もなかっただろう。 川原へついて行き、フェルサリがうさぎを捌く様子を見守った。血は、他の鍋で受けておく。久しぶりだと思うが、実に手慣れた様子だ。三十年以上、猟師をしていたというだけある。 「どこまで使いますか」 「食べられる所は、全部」 少し手伝おうと思ったが、セシリアは様子を見守ることにした。臓物を洗い、鍋の中に落としていく。セシリアと目が合うと、フェルサリは恥ずかしそうにうつむいた。あまりきれいな仕事をしているわけではないという気まずさと、自分が得意としていることを見せている誇りで、心中は複雑なものがあるだろう。 少し残酷な考え方をすれば、フェルサリは今までの人生で、多くの生き物を殺している。生きていくことが殺していくことだと、感覚的にわかっている。 良い所に生まれ、充分な才能と時間があり、剣にかけては一流と言ってもよいほどの若者が、そういった部分でつまずくのを、何度も見てきた。斬った怪物の腹から臓物がこぼれ落ちるのを見て、いつまでも悪夢にうなされる者や、手についた血の匂いが、何度洗っても落ちないと口にする者もいた。 何一つ口にするのでも、それが殺すという行為の上に成り立っていることを、その者たちは自覚することなく生きてきた。それが理解できても、所詮生きることは殺すことだとおかしな達観をして、闇の社会に姿を消す者も少なからずいた。 多くの犠牲の上に、今、自分が生きている。そのことの尊さを理解できている人間は、どれほどいるのだろう。 フェルサリがうさぎを捌く様子は、実に丁寧である。そこには、命に対する敬意のようなものが、はっきりと感じられた。 二つの鍋の火を弱めて、手早く水浴びを済ませることにした。日が落ちてからだとさすがに寒いし、即席の風呂を作るにも、足りないものが多い。あえてやらなくてもよかったが、安全にできる時はやっておきたい。女だとそれなりに身だしなみにも手がかかり、こういったことにあまり時間をかけずに、それでもきちんとしたものに仕上げるのには、多少のコツがいる。 全て済ませ、下着を洗っていると、不意に肌が粟立った。 セシリアは、素早く川原の剣を手に取った。抑えているが、相当の気の持ち主だ。こんなに近づかれるまで気づかなかったのは不覚だが、それだけ、相手が遣えるということでもある。 これは。あるいは、勝てないかもしれない。そんなことが頭をよぎった。何故、こんな所にこれだけの使い手が。一瞬だけ考えたが、それどころではなかった。フェルサリだけでも、逃がす。セシリアは裸のまま、川原へ上がった。 「や、これは失礼。まさか女性だと思わなかったもので・・・」 茂みの奥から、男の声がした。害意はないと示すように、あえて大きな鎧の音と、がさがさと茂みをかき分ける音を立て、気配が遠のいていく。 フェルサリを振り返ると、両肩を抱いて震えていた。少し遅れて、川原に置いてある短刀の方へ向かっていたことがわかる。彼女も、そういった気は感じ取れるようになっている。 次いで、茂みの奥から、小太りの老婆が姿を現した。こちらに武術の心得はないらしく、気のようなものは放っていない。何か、拍子抜けするような気分だ。 「驚かせてしまったみたいで、ごめんなさいね。野営の準備がしてあったので、よければご一緒にと思ったんだけど、あの人が、何かとんでもない気を放つ人がいるって、それで様子を見にきたの。茂みに隠れて近づくなんて滅多に言わない人なので、私も身構えちゃって」 老婆は、魔法の使い手だろうか。つば広の帽子と、星の意匠が散りばめられた、特徴的な格好をしている。 「あちらで、火に当てさせてもらっていいかしら?」 「ええ。私たちもすぐに戻るから、火を強くしてもらっても構わないわ」 「ふふ、あの人にはいい目の保養になったかもしれないわねえ」 ころころと笑った老婆が去ると、フェルサリが聞いてきた。 「な、なんだったのでしょうか」 「さあ。ま、向こうに敵意はないみたいだし、戻ったら聞いてみましょ」 用事を済ませると、着替えに袖を通す。一瞬、具足姿で戻ろうかとも思ったが、やめておいた。 「いや、先程は失礼しました」 戻ると、先程の老婆と並んで、青い具足姿のエルフの男が火の傍に腰掛けていた。秀麗な顔立ちで、笑うと白い歯がまぶしい。老婆の方も、穏やかな笑みを浮かべている。 「まさか、これほどの使い手と出会うことは滅多にないので、つい身構えてしまいました」 「それは、こっちの台詞よ。私も、勝てないかもしれないと思う相手に出会ったのは、いつ以来かしら」 「名乗るのが遅れました。私はロサリオンで、こちらが妻のジネットです」 ロサリオンにジネット。ひょっとしたらと思ったが、こんな所で出会うのは、まさかだ。セシリアはため息をついて、肩をすくめた。 「"青の円舞"ロサリオン。そして奥さんのジネットね。お会いできて光栄だわ。私はセシリア」 「あ、ああ・・・」 向こうにもこちらがわかったようだが、ロサリオンはしばし視線を宙にさまよわせた。 「ええと、あの、竜殺しの」 「"掌砲"、でいいわよ。気を使ってくれて感謝するわ。それにしても」 セシリアとフェルサリも、二人の対面に腰を下ろした。座るのにちょうどいいように、大きな石の上に布がかけられている。二人が用意してくれたものだろう。 「まさか、大陸五強の一人と、こんなところで鉢合わせするなんてねえ」 「それこそ、こちらの台詞というものですよ。まさか私も、こんな所でと思いましたが、先程の気も、セシリア殿と聞いて、納得できます」 そう言って、ロサリオンは笑った。立ち上がるとセシリアの手を握り、次いでフェルサリの手を取った。気さくな男のようだ。 「あの、フェルサリです」 「冒険者の卵ってとこ。優しくしてあげて」 「ハハハ。フェルサリ、よい師をお持ちで、羨ましいかぎりです」 「フェルサリ、ロサリオンが大陸五強の一人だってことは知ってるわよね」 フェルサリが頷く。ロサリオンに目をやると、同じように頷いた。本人にべらべら喋らせるよりは、セシリアが紹介した方がいいだろう。 旗揚げから六百年以上の歴史を持つ、最強の傭兵隊の一つ、青流団。ロサリオンはその初代団長で、六十年前まで、その団長であり続けた。 「正確には、五十八年前ですね。妻が十五歳の時です」 ロサリオンが口を挟み、ジネットが頷いた。 「ふふ、もうそんなに経つんですねえ」 ロサリオンはジネットと出会い、青流団を抜けた。それから二人は旅に出て、やがて結婚する。 フェルサリは口を開け、そういった話に聞き入っていた。大陸五強は生ける伝説とも言われるが、およそ六百年、その座を守り続けているロサリオンこそが、言葉通りの生ける伝説といっていいだろう。 「いや、他の方ならともかく、私に限っては大袈裟でしょう。ただ、長く生き延びた。それでいつまでもそう言われているというだけです」 「またまたご謙遜を。ロサリオン殿、お会いできて光栄ですわ」 「やめて下さいセシリア殿。あなたは竜すらも倒しているではありませんか。私にはとても真似はできませんよ」 フェルサリとジネットが、切り分けたうさぎの肉を、串に刺していた。鍋を囲むように、それを火の周りに並べていく。ジネットは、さすがに慣れた手つきである。旅の多い人生だったのだろう。 「若竜だったのよ。そういうあなたこそ、何度も竜を討伐しているじゃない」 「それは、青流団にいた頃の話ですよ。それにしたって、犠牲は小さくなかったのですから」 「ともあれフェルサリ、この人はそういう凄い人なのよ。私も、会えて幸運だと思ってる」 「わ、私もお会いできて光栄です、ロサリオンさん」 ロサリオンが、困った笑みを浮かべる。思っていたよりずっと話しやすい男で、セシリアはどこかほっとしていた。衝突するような男だったら、双方ただでは済まないだろう。 聞くと、ロサリオンたちも、合成獣討伐の呼びかけに応えてここまで来たらしい。ここで会ったのは偶然ではなく、仮にこの場所でなくても、あちらで顔を合わせることにはなっただろう。 ジネットに目を向けると、彼女はにこりと微笑んだ。 この、伝説の英雄と言ってもいいほどの男の妻については、あまり知られていない。二人が一緒になってからは、ロサリオンはその肩書きや実力に見合う冒険をほとんどしていないのだ。英雄の心を射止めた幸運な娘。吟遊詩人の物語ではその透明性が都合よく、名家の娘だったり、ロサリオンに匹敵する女剣士だったりする。 「ジネット、あなたは魔法が使えるの?」 「ええ。本当に、少しだけね。嗜んだという程度よ」 「妻は傷を癒したり、剣に魔法の力を与えたり、そういうことができます」 「傷を・・・」 治癒魔法。俗に"癒し手"と呼ばれる、負傷を癒す魔法の使い手は、非常に希少な存在である。実際に、これだけ世界を回ってきたセシリアにしても、出会ったことがあるのは片手で数えるほどしかいない。 「ジネットは、癒し手だったの!?」 思わず大きな声を出すと、ジネットは困り顔で手を振る。 「違いますよ。私の魔法は傷を癒すのではなく、傷の回復を助けるだけよ」 「一ヶ月、全治にかかるような傷でも、妻の魔法にかかれば、三日ほどで完治します」 串に刺した肉の脂が、火の中に落ちてじゅうと音を立てた。匂いもそうだが、こうした音も食欲をそそる。 「そうねえ、回復力は人にもよるけど、その人の持つものの、十倍くらいかしら」 「へええ。確かに治癒魔法とは違うけど、それも凄いじゃない?」 優しく微笑みながら、ジネットは鍋の火加減を調節した。 日も既に暮れ始めている。夕食は、セシリアたちが用意したものと、ロサリオンたちが駅で買ってきた、肉と野菜を挟んだパンを分け合うことにした。 「肉が、余ってるみたいね。よかったら、明日の朝食に使わせてもらってもいいかしら」 「ええ、構わないけど」 ジネットは、荷物の中からつぼを取り出した。ジネットと同じくらい、年季の入ったつぼだった。そこに水、米に小麦粉、豆、野菜、香草にバターを入れて、焚き火の中に入れた。余った肉と内蔵に、軽く下ごしらえする。それも、無造作につぼの中に放り込み、軽くかき混ぜる。 「煮込みね。おいしそう」 「妻のつぼ料理を食べられるなんて、あなた方は幸運ですよ」 言ったロサリオンを見て、セシリアは目を細めた。この男は、本当にジネットのことが好きなのだ。 大陸五強などといっても、こうして見ると一人の男だった。あまりそういうことに頓着しないセシリアでも、熱いものはこみ上げてくる。 つぼの火加減を見ているジネットを残して、三人で川原に向かう。近くの木の枝には、セシリアとフェルサリの下着が干してある。フェルサリはそのことをさかんに気にしている様子だが、ロサリオンは特に気にかけている様子もなかった。ジネットとの旅暮らしもそうだろうが、長く傭兵隊を率いていたのだ。男女で長く野営していれば、そういうことは日常である。セシリアも男女で旅をすることは多いので、それくらいでどうということはない。 「ロサリオンたちは、今までどこに?」 「帝国領で、羽を休めていました。といっても、毎日忙しくしてはいたのですが」 ジネットが、医者をやる。医者はどこでも貴重である。それでどこに行っても忙しくなるそうだ。医者にしてもそうだが、ジネットが、困っている人を見ると放っておけない性格らしい。町で医者をやっている時に、オルガの使いに会って、声をかけられた。他にも傭兵や冒険者たちに声をかけていたそうだが、向こうもまさか声をかけた相手がロサリオンだったとは思わず、聞いてひどく驚いたらしい。 「じゃ、今回の討伐には、それなりに腕の立つ連中が集められてるってわけ?」 「どうでしょう。その男の話では、非常に短期間で、特に腕の立つ連中を集めていたそうですから。難しい話でしょうね。特に相手がキメラの群れと聞けば、そうそう話に乗る者がいるとも思えません。私もその気はなかったのですが、妻が行くと言いだしたもので。まあ一ヶ月くらいかければ、ある程度人数は集まったとは思うのですが」 「じゃ、私たちだけ?」 「いれば先に着いているか、この野営地に来そうなものですが。ここはしばらく使われた様子もなかったので、向かっているのは我々だけかもしれませんね。ただ、スキーレ・ペッカートル家の兵士たちもいるそうですよ。でも五強の内二人が揃っているのですから、特別数が多くなければ、充分でしょう」 中級の冒険者五、六人で一頭を相手にできるかどうかという合成獣だが、セシリアもロサリオンも、合成獣くらいであれば一人で相手をできる。囲まれたらまずいのは、それが弱いとされる怪物でも同じことである。ただ、こちらの人数が少なければ、討ち倒すのにもそれなりの時間がかかるかもしれないし、何よりも討ちもらす数が増える。逃げられると、追うのは至難である。身体の重さから長距離の飛行はできないが、それでも相手は飛べるのである。 洗い物を済ませると、ロサリオンを残して焚き火に戻った。入れ替わりに、ジネットが川原へ向かう。ロサリオンは向こうでも火の準備をしていたので、二人は湯で身体を洗うのだろう。 「もう少し、母さんと二人でいたかったのですが・・・」 寝床の準備をしながら、フェルサリが呟く。 「でも、あの二人に出会えたのは、すごく幸運なことですよね」 「そうね。旅をしていると、こういった思わぬ出会いがあるわ。そういった縁は、冒険で得られるどんな宝よりも、大切なものよ」 それを聞いて、フェルサリはうれしそうに微笑んだ。
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