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4,「こんな健気な娘を泣かせておいて、何が騎士道か」


 新しい御料林長官は、若い男だった。
 ジャンヌの考案した組み立て式家具の注文は、その後ここに行商が訪れるようになったこともあり、順調にその数を増やしていた。ドナルドたちは日々、それらの製作に追われている。蓄えていた材木も既に底を尽きそうだったので、新たな伐採の許可を取ろうとしていたところだったのだ。その意味で、御料林長官自らがこちらにやってきてくれたのは、都合が良かった。
 が、長官自ら村に来るということは、定期の報告や抜き打ちの査察以外にはなかった。今は定期の、森の状態や切り倒した木の数の報告の時期ではなく、抜き打ちの査察かと思ったが、話を聞くに、そのどちらでもないようだった。
「この村の領主、お前か、騎士ドナルド。お前の村がこれまで優良な材木を産出し、かつこれまで大きな不正もなかったことは、聞き及んでいる」
 書類の束をめくりながら、長官はその中の一枚をドナルドに手渡す。設計図であった。
「それを、作ってもらいたい。いや正確には、組み立てはどこか別の所でやる。それに使える材木を伐採、製材してもらいたいのだ」
「マントレ・・・ですかな。組み立ては、現地になるかと」
「そうか。私は戦については何も知らん。とにかくその材を、この村が担当することになった。御料林の持ち主であるアンリ十世陛下にレザーニュが交渉し、陛下の材をレザーニュが買い取る形になったのだ。私は陛下の代理だが、その陛下のお許しにより、レザーニュ伯の命令を伝えている。わかるか」
 この若い長官は、手続きと責任の所在を曖昧にしていない。それは悪いことではなかった。レザーニュ伯の命で、の一言で済む話ではあるが、細々と手続きについて述べてしまうのは、新任ゆえの慎重さだろう。広場の柵に寄りかかった態度は少し横柄にも見えるが、虚勢を張りたいだけの、余裕のなさかもしれない。
「わかりました。どの程度の分量が必要でしょうか」
「そのマントレとかいうものを、百枚程、用意してもらいたい」
「実際に切り出してみないとわかりませんが、試作も含め、四、五十本は必要になるかと」
「全て、レザーニュ側が買い取る。不満か」
「いえ。ただ、森をかなり削ることになりますが」
「構わん。何本伐採したかは、事後報告でいい」
「そういうことでしたら。しかしこの村の御料林だけでは、森を傷めます。オッサという隣村の者と、相談してもよろしいでしょうか。私の甥の、シャルルという騎士が管轄する村です」
「見た所、南の森には無数の木が生えているようにしか見えないが。まあ、いいだろう。どれどれ・・・この、東の村だな。質は、落ちないのか?」
「同じものが生えています。間引く程度の、管理はしているはずです。あちらで切り出してから、こちらで加工する形になりますが」
「わかった。ついでに、ここの森を査察していく。ああ、あれは酒場か。一杯ひっかけてから行こう」
 長官は連れの二人の役人と共に、酒場へと入っていった。
「なんかこう、嫌な感じの役人さんですねえ。ぴりぴりしてて、痩せた鳥みたい。前の人の方が良かったのに」
 ジャンヌもドナルドのすぐ後ろに控えていたのだが、従者だとは思われなかったらしい。二人とも平服なので、特にジャンヌは仕方なかったとも言えるが、自分に一言も話を振られなかったことに、ジャンヌはいくらか臍を曲げているようだ。丸い顔の頬を、さらに膨らませている。
「今度は、ちゃんと紹介しよう。まあ、回りくどい言い方をする割には、話そのものは早い長官だった」
「挨拶もろくにせず、一方的に要求ばっかり吹っかけてくるからですよ。酒場行く時間あるなら、初対面なんだし、挨拶なり世間話なりあってもいいじゃないですか。こっちはただでも家具作りでかなりの本数間引いたのに、さらに四、五十本じゃ、間引きじゃ済まなくなりますよ。おじさんの言う通り、森が傷みます」
「かなり南の方まで、木を切りに行くことになりそうだな。それでもやはり、シャルルのところにも掛け合ってみよう」
 東の小山一つ越えたところがシャルルの村だが、南の森はその山を迂回するようにして繋がっている。
「うーん、せっかく起動に乗り始めた家具販売も、一旦お休みですかねえ。こういう商売は、初動が大事なのに」
「そちらは、マントレ程に木材を消費しない。それこそ、シャルルのところから、いくらか買い取らせてもらおう。あちらの御料林は、最低限の間引きしかしてないので、基本的に手つかずだ」
「木もそうですけど、労働力ですよ。家具作りは今でもほとんど村人総出でやってるじゃないですか。農場の人たちにも、空いた時間に手伝ってもらってるくらいですし」
「そろそろ、農作物を収穫する季節労働者たちが、冬の職を探し始める頃合だ。ここはもちろん、近隣の村の
たちにも声を掛けてみる」
 伐採まではこちらがやり、主に運搬や雑用を手伝ってもらう。人集めは、村長であるジャコに任せよう。そんな計画を頭で練っていると、ジャンヌは役人から渡された設計図に目を通していた。
「これ、マントレっていうんですね。戦に使うもののようですけど、どうやって使うんです?」
 マントレ、可動盾は、車輪を着けた大型の盾とも、分厚い木の防壁とも言えるもので、2m四方に繋ぎ合わせた厚めの木の板を、横に着けた車輪で押していく。所定の位置につけたら少しこちらに倒れ掛かるように、板を斜めに固定する。
「この、後ろの棒を組み合わせたもので、倒れないようにするんですね。矢狭間があって、ここから敵の城の胸壁に向かって、射手が矢を放つと」
「これで敵兵を下から射倒すのは至難の業だが、数を打つことで威嚇や牽制にはなり、攻城塔や破城鎚が前進するのを援護するといったところかな。攻城戦の兵器だ。これ自体に敵を殺める力はないが」
「へええ。おじさん、使ったことあるんです?」
「二度ほど。けど私はお世辞にも弓が上手いとは言えないからな。胸壁の方へ射つので精一杯で、牽制になっていたかは少し疑問だ」
「仮組みできたら、私も練習してみようかな。弓自体しばらく触ってないですし。この隙間から、胸壁に隠れてる人の腕や肩を狙えばいいんですよね」
 本来はこの狭い矢狭間から城壁の上部に向かって矢を放つだけで大変、まして胸壁に隠れる敵の射手を射倒す等ほとんど不可能と言ってもよいのだが、ジャンヌだったらそういった、敵の命を奪わないような一点射撃が可能なのかもしれない。まだジャンヌが弓を使っているのを見たことはないが、使えるという話は聞いていた。ジャンヌの”使える”はつまり、達人の腕前である。
 酒場の方から、アネットが歩いてきた。珍しく、太い眉を下げて、苦笑を浮かべている。
「どうした。御料林長官と話したか」
「ええ。給仕の娘と間違われました。酒を注げと。この格好でそう勘違いされたことに、笑ってしまいましてね。まあ、長官の機嫌を損ねないよう、適当にあしらってきました」
 アネットも平服であるが、めかしたものではなく作業着に近いもので、さすがに給仕と間違われる服装ではない。ただ給仕は酒場の親父ギュスターヴの女房がやっており、単に若い娘に声を掛けたかっただけかもしれない。
「アネットさん、酒場でお昼、済ませてきたんです?」
「いや、通信販売の目録を見に行っただけだ。カウンターに寄りかかっていたので、店の者と間違われたのかな。昼は、昨晩のシチューに、そこのパン屋のものでいいだろうと思っていた」
「もうすぐ、パンも焼けそうだな」
 村には一つだけ、パンを焼くことを許可された店があり、この時間になると上手そうな匂いを存分に周囲へ漂わせていた。何人か、焼き上がるのを待っている村人もいる。
「私、パン買ってきますね。二人は、家に戻っていて下さい。
 ジャンヌは軽い足取りでパン屋へ向かった。ドナルドはすぐそこに見える家に戻りつつ、アネットに例の設計図を手渡した。
「マントレの材を、こちらで作ることになった。しばらく、今以上に忙しくなる」
「そんな話を、長官が話していましたね」
「武器ではないとはいえ、戦の道具だ。ジャンヌには引き続き、家具の方を任せようと思っているのだが」
「叔父上、あまりジャンヌを子供扱いするのもどうかと思いますよ。もしくは、女扱いも。戦場はまだだったとはいえ、私もあの年頃には剣を振っていました。そしていつでも戦場に出て、叔父上の力となる覚悟も持っていました。ジャンヌは一度、戦場を経験しています。従者と認めた以上、今後も戦に伴うことになるでしょう。確かに、年齢的にも体格的にも、ジャンヌは子供です。けれど中身は、私たちが出会う前から大人なのかもしれませんよ。子供である、娘である、そんな理由で彼女の居場所を奪うことは、私たちのどちらにも、できないことだと思っています」
 この姪が、今のジャンヌより幼かった頃のことは、今でもよく覚えている。昔から、騎士に憧れていた。ジャンヌと同じ年頃はまだ剣を教えるだけだったが、それから二年と経ずに、練習で一本取られるようになり、五年、十六歳になったアネットに、ドナルドはもう敵わなかった。ドナルドにそれを見抜く目はなかったが、武に天稟があったということなのだろう。姪の身長も、その頃にはドナルドより高くなっていた。
「私も、古い人間なのだな。女子供は、どうしても守るべきだと思ってしまう」
「それをこじらせて、女子供は黙っていろとならないところが、叔父上のいいところだと思っていますが」
「矛盾するようだが、好きに生きてほしいという思いもあるのだ。その好きが戦場だったりすると、こうして戸惑ってしまうわけだが」
「あの子が道を外れたら、それを正すのは私たちでしょう。確かに、あの年齢で戦場を目指すのは、あまり健全とは言えないでしょうね。ですがそもそもジャンヌは、故郷の人間を兵に取らせまいと、叔父上たちの前に現れたのですよね。誰かの命を守る為に命を張るというのは、やはり尊いことのように思えるのです」
「そうだな。そしてその思いに、女も子供もない。お前が、それを証明してくれたしな」
 少し顔を赤くして、アネットは頷いた。
 家に入り、暖炉に火を入れる。昨晩のシチューが煮詰まらないよう、水を足し、ゆっくりとかき回した。上手そうな香りが居間に満ちる頃には、ジャンヌが焼きたてのパンを抱えて帰ってきた。三人分の、さらに三食分をこの時間に買ってくることになるので、それなりの量になる。
 美味しそうにシチューを頬張るジャンヌの笑顔には、屈託がない。戦さえなければ、いや、せめてもう少しその頻度が低ければとも思う。ジャンヌとこうして出会うこともなかったかもしれないが、彼女が戦にでることもなかったのではないか。
 剣聖と、ヴィヴィアンヌの娘である。何かしらの方法で世に出たとは思うが、ゴルゴナや、他の平和な地域では、運動競技で金を稼ぐ者たちも少なくないと聞く。できればそういった世界で、脚光を浴びてほしかった。この人懐っこい笑顔と相まって、人気の選手になったのではないか。
 片付けが終わると早速、ジャンヌが可動盾の設計図とにらめっこをしていた。先日町で買った手帳に何か書き付け、難しい顔をしている。
「これは、完全に職人の仕事ですよねえ。組み立て式の家具だけでも、村のみんなの知恵を出し合ったのに。専門の道具も、必要になってくるかもしれません」
「先日お前も町で話した、あの工具を扱う行商が来てくれれば良いのだが」
「先にレザーニュ城に行くとか言ってましたから、ちょっと先の話になりますよね。うーん、人の命を預かるものですから、いい加減には作れないですしねぇ。ああ、そうだ」
 立ち上がったジャンヌが、手帳を手に扉へ向かう。
「あの嫌味な長官だったら、当てがありそうですよね。やっぱ一人でも木工の職人さんがいないと、私たちだけでは手に負えませんよ。車輪の覆いなんかは、特に。まだこの村にいますよね。早速、掛け合ってきます」
 扉を開けたジャンヌに、アネットが声を掛ける。
「茶が、入ったところだぞ」
「冷める前に、帰ってきまーす」
 開けた窓から、ジャンヌが目にも止まらぬ速さで村の広場を駆け抜けていくのが見えた。ただの子供なら走ると危ないと言いたいところだが、あの状態で飛んでくる矢も避けられそうなジャンヌである。不要な心配だろう。
「車輪の覆いもそうですが、この、支えを組み合わせる部分ですよね。これだけ深く正確にくり抜くのは、確かにこの村の道具と技術では、難しそうです」
「まあ、ジャンヌなら、岩に指で穴が開けられるような子だ、小さな鑿一本で正確にやれそうな気がするが、しかしそれだと、あの子にかかる負担が大きすぎるな」
「みんなで作りたいのだと、家具の時に言ってましたよ。私たちがいなくても、この村の人たちだけで作れなきゃ、意味がないと」
「それもそうだ。村の将来を見据えた視点だ。ジャンヌの方が、私などより余程ここの領主としてふさわしいとも思う」
「そういうところは、叔父上の駄目なところですね」
「そうか。こんな私でも、頼ってくれているのだものな。ジャンヌの前で口にしないよう、気をつけよう」
 熱いが薄い、出涸らしの茶を飲む。ジャンヌだけではなくアネットにももう少し、贅沢な暮らしをさせてやりたい。前回の戦で手に入れた人馬の身代金は、村人と分け、さらに戦死した家に見舞金として出したことも相まって、もうほとんど手元にはない。今後入ってくる組み立て家具の売り上げで、この茶を濃くしたり、飯にもう一品加えることも、それどころか軍馬を一頭、新しく買うこともできそうだ。しかしそれは一時的な収入増で、いつまで続くかわからない。もっと根本的に、二人にはその才能に見合った場を与えてやりたいと、ドナルドは常々思っていた。
 やはり、戦なのか。
 家士も従者も、仕える騎士の武勲が上がれば、自然と地位も生活も向上する。弱く、野心も持ったことのないドナルドに、それができるだろうか。
 パイプに、火を着ける。葉は、中級の味のいいもので、一度これを、安い葉に変えたことがあった。しかしアネットとシャルルに、元に戻せと言われた。上の者がおかしな節約を始めると、下の者が贅沢できなくなると、嗜められたのだった。確かに、一理ある。
「自分が何かを我慢することで、相手を幸せにできないのだなあと、思うことがあるよ」
「どうしたんですか、急に」
 アネットが、笑う。
「でもそうですね、叔父上が何かを我慢している様子は、私たちの胸を締め付けます」
「野心は、持って来なかった。しかしそれを掴める機会があったら、ためらうべきじゃないとも思ったよ」
「そうですね、叔父上にはもっと、欲深くなってほしいものです」
「じゃないとお前たちも村の者も、浮かばれないよな」
 もう一度、アネットが笑う。
 軽く頷いただけで、姪はそれ以上の言葉を返してこなかった。

 

 セイディが軍から消えて、二週間が経とうとしていた。
 その日、小姓の一人がウォーレス宛の書簡を見つけた。見つけたというのは、ウォーレスの部隊にまとめて送られてくる郵便物の中に、切手も貼られていないそれがあったからだった。忍びの仕事だろう。
 セイディからのものだった。筆跡も、おそらく娘のそれと思われる。蜜蝋の封も、娘に与えた、ロウブリッジ家の指輪のものだ。実質、次期当主のものでもある。
 自分の天幕で一人、封を開けた。文は短く簡潔で、一枚、略式の地図が挟んである。
 この場所に、一人で来てほしい。地図は近郊の村にほど近い、川沿いの小屋のようだった。
 しばし、罠であることを考えてみる。が、敵対するノースランドの忍びとは既に知り合ってしまったし、その女ビスキュイはウォーレスに仕えたいとまで言っていた。
 その首魁ハイランド公ティアからは二度、仕官の誘い、いや共闘を持ちかけられた。はっきりとそう言ったわけではないが、その誘いは断っている。
 この手紙に限れば、罠であり、暗殺を狙ったものである可能性は、客観的に見て小さくはないだろう。セイディが彼女らに捕まり、この文を書かされた。そう考えるのも自然に感じる。セイディはたやすく剣を奪われる人間ではないが、何らかの弱みを握られることもあるだろう。
 ここまで考えてなお、ウォーレスにはティアたちがそんな手を打つようには、どうしても思えなかった。別れ際の、あのティアの瞳。自暴自棄とは違う、それでいて戦場で散らしてほしいという、何かを諦めた眼差し。今更ウォーレスを暗殺して、少しでも戦局を有利に運ぼうという執念はあるだろうか。捕縛し、アングルランドに人質、ないしは身代金を要求することもできるが、ティアがあの時あきらめたのは、そうした小さな足掻きではなかったのか。
 セイディがあの二人と接触し、何らかの動きがあった。そう考えた方が、やはり自然だという気がする。それが何かは、現地に行ってみなければわからない。そうでなければ、ここで用件を書いているはずでもあった。
 具足を着、剣を佩く。護身というより、何かその場には武人として立ち合わなければならないという気がしたのだ。
 ついてこようとした麾下たちを制し、ウォーレスは単騎、野営地を出た。
 しばし、馬を疾駆させる。ただ風と、大地だけを感じた。
 街道を外れ、森の小道に入った所で、脚を落とした。見える範囲の周囲に、人の姿はない。
 わずかながら、追ってくる気配も感じる。近づいてきたそれはやがて離れ、消えたと感じるとまた、濃密な気配を放つ。見回しても、風が黄金の葉を舞い散らせているだけだ。木々は大半の葉を既に散らせており、森の割に見晴らしは悪くなく、移動する人馬が姿を隠すのは難しいだろう。時折常緑樹の木立があるので、それらを飛び石のように駆け抜けているのか。
 どこの忍びかわからないが、あまり友好的な尾行とも思えなかった。忍びの暗闘に適した、このような土地である。一人も逃さず斬り伏せることは、難しいだろう。が、矢やその他の飛び道具が飛んできたところで、ウォーレスにはそれを弾き返せる自信もあった。伊達に、長く戦塵に生きてきたわけではない。
 戦うということについて、迷ったことはなかった。どう戟を振り、どう指揮を執るか。どう勝ち、味方の潰走が敗北を確定させた時、いかに犠牲を減らして撤退するか。それらについて、ウォーレスは逡巡したことがない。
 しかし生き方については、いつも迷いがあった気がする。麾下や自領の民たちを、友と思い定めてきた。同国の将軍たちとは、あまり深い付き合いができなかった。横に並び立つ者たちを友と思えたのなら、もっと豊かな人生を送ってこれたという気もする。ウォーレスは若い時から武勲を上げ続けたこともあり、仰ぎ見られるか、妬まれることがほとんどであった。同じ軍人として対等の付き合いが、できなかった。ウォーレスから距離を縮めようと思っても、先方は恐縮する者ばかりだった。が、その者たちに、非があるとは思っていない。ウォーレス自身がどこか武人という殻に、閉じ籠っていただけだとも思う。
 いつの間にか、こちらを追う気配も消えている。地図によるとこの先に小屋があり、その辺りは少し開けているようだ。目印となる集落や打ち捨てられた砦を抜け、ウォーレスは地図の場所へと辿り着いた。
 そこだけどこか、春の佇まいを保った緑地。赤や黄の木々に囲まれているが、開けた地面には白い野花が一面に咲いていた。ウォーレスは馬を下り、適当な枝に繋ぐ。草地の奥に、小川。その手前に炭焼き職人のものだろうか、三つ並んだ煉瓦作りの小屋がある。草の刈り取られた場所に、円錐状に組み上げられた丸太もあった。
 小屋の一つから、旅装のセイディが姿を現した。剣を佩いており、人質に取られたという様子ではない。続いて同じ小屋から、ティアとビスキュイが出てくる。小屋に、他に人の気配はない。炭焼きに扮したビスキュイの手下が、普段使っている隠れ家なのだろう。
「父さん」
 なんと返してよいかわからず、ウォーレスは頷いた。ティアとビスキュイが、その横に並ぶ。ティアは、戦時に兵を鼓舞する純白のドレスではないものの、白い服に略式の王冠を被っていた。ビスキュイは相変わらずの、黒頭巾である。
「ハイランド公たちの、話を聞きました。彼女とその側近たちが父さんをたぶらかしているようだったら、斬るつもりでもありました」
 何の弱みも握られていないのなら、セイディには、それができる。今後ウォーレスを超える遣い手が現れるとしたら、それはこの愛娘以外にありえないと、ウォーレスは思っていた。
「私は、セイディに嗜められた。私より二つ上だったか。良い娘を持っていると、そう感じたよ」
 ティアが言う。肩を落としているが、それに反して何かを決意したような、強い目の光を放っている。セイディが、再び口を開いた。
「私は、父さんがアングルランドを裏切ってノースランドに下ったとしても、ついていきます」
「そういった話も、もう済ませてあるのだな」
「けれどこのままアングルランドに忠義を貫くのなら、私は二人を、この場で斬り伏せます。少なくともハイランド公には、父さんの決意次第では、それを望んでいる節があります。ビスキュイは、私の剣を逃れて本来の主の元に帰るのかもしれませんが」
 表情ひとつ変えず、つまりいつものセイディが、淡々と告げる。が、平板なその口調に、あるかなきかの微妙な揺らぎを、ウォーレスは感じた。
「お前に、それをさせたくない」
「ハイランド公は、もし私がノースランドで共に戦うのなら、一つ約束しようと言いました。それを聞いて、私の心はどうしようもなく揺さぶられました。表に出せないだけで、怒っていたのだとも思います。できもしない約束を、そう私は言いましたが、彼女の言葉が、どうしても耳から離れてくれません」
 ビスキュイが、頭巾を目深に被って表情を隠した。この忍びも、その場に居合わせたのだろう。
「お前に、どういう約束を」
「ハイランド公を斬った後に、お話しします。あるいは・・・」
 あるいは、ウォーレスがノースランドについた時か。
「ハイランド公。俺の娘に、嗜められたと言っていたが」
「ああ。素直になれと。酷なことを言う。女王としての、責があるのだ。体面も、守らなければならないものもあるのだ」
「もうその重荷を、一人では背負えない。そう見えるが」
「ああ、ああ、そうだとも。だがセイディの一言で、目が覚めたかもしれない。どこかで、格好をつけていたのだなあ。皆の役に立てないと、いつも輝ける存在でないと、私は見捨てられるとも思っていた。先日も話した通り、本当はちっぽけな、空っぽな娘なのだ、私は」
「それでも、誇りを持っている。人々に、感謝されたのだ」
「それすら、今の私には重い。だからあの時の言葉を、恥も外聞もかなぐり捨て、今度こそ本心で言う。誰の為でもない、ただ私を救う為だけに、私は言おう」
 ウォーレスの手を握り、叛乱の女王は両膝をついた。細い肩が、震えている。顔を上げたティアの瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。
「頼む、ウォーレス。私を、助けてくれぇ・・・」
 少女の、涙。ウォーレスが、一番避けたかったもの。
 悩んでいた。答えを見つけられないでいた。騎士道とは、武人とは何だったのか。ウォーレスもまた、空っぽの軍人だった。虚しく、宙を舞うだけだった問い。しかし答えは、彼女と出会ったその時から、既に出ていたのではないか。
 ウォーレスは片膝をつき、ティアを抱き締めた。
「戦おう。ただお前の為に、俺は戦おう」
 ティアの身体が一度、大きく震えた。小さく、儚い身体つき。こんな健気な娘を泣かせておいて、何が騎士道か。
 少女が、大きな声で泣いている。ウォーレスの身体にしがみつき、これまでの全ての重荷を解き放つかのように、泣いていた。
 それから、どれほどの時が経ったのかは、わからない。不意に、ビスキュイが指笛を吹いた。その音のあまりの鋭さに、木々に停まっていた鳥たちが、一斉に空へと逃げ出す。
「み、みなざん、気をつけて下さいぃ・・・」
 既に短刀を抜き放っていた忍びは、三人を守るように前に出、森の奥、ウォーレスが来た方向をじっと睨んでいた。しばらくして、背後の森から五人の男が駆け出してくる。ビスキュイの手下か。異形の忍びが振り返りもせずに指示を出すと、男たちはビスキュイと並んで、短い剣を構えた。
 小道の奥からやって来るのは、二人。一人は徒歩で、もう一人は騎乗している。馬には枚を噛ませており、嘶かせずにこちらへ近づいてきたことがわかる。下馬し、それを外したのは赤髪の指揮官だった。
「元帥」
 エドナ。もう一人は、黒革の忍び衣装を着た、マイラである。
「その様子ではウォーレス殿、ノースランドにつくことを決められたのか」
「何故、そう思う」
「顔に、迷いがなくなっている。我々の来訪に険しい顔をされているが、それでもなお、貴公の顔はどこか、晴れやかに見えるのだ」
 確かにもう、迷いはなくなっていた。
「俺たちを、ここで斬るか」
「まさか。いくらマイラがいるとはいえ、貴公の他に、セイディと忍びたちがいる。なそうにも、なしようがない」
「ならば、何故姿を現された」
「ウォーレス殿、貴公に謝りに来たのだ」
 エドナが、絞り出すように言う。このエドナだけが、孤立するウォーレスを庇い続けてきた。
「貴公からは、多くを学んだ。南で、何度も命を救ってもらった。なのに私は、貴公に何も返せていない。そしてこの地でも貴公を守りきれず、そちらへ追いやってしまった。すまない。本当に、申し訳なかった」
 エドナが、頭を下げる。ウォーレスの出自のせいで、こんな彼女の姿は何度も見てきた。
「元帥が、謝罪されることではない」
「いや、謝罪させてくれ。この場を離れれば、もう貴公と轡を並べることもないのだ。戦場で対した時にわだかまりなきよう、ここでは私の謝罪を受け入れてくれ」
 傍のマイラも、沈痛な面持ちをしている。
「俺こそ、すまなかった。元帥の期待に応えることができなかった。あまつさえ、元帥の敵となってしまった」
 エドナが、頷く。その視線は、ハイランド公へと移る。
「ウォーレス殿を、頼む。稀代の武人だ。公に、扱いきれる度量があるといいのだが」
「まさか。私とウォーレスは、共闘関係だと思っている。扱うなどど」
「ロウブリッジとの、同盟か」
「いや、理解者だ。私を理解し、手を差し伸べてくれた御仁だ。私より上ということはあっても、下であろうはずがない」
「そうか。私に足りなかったのは、それだとわかったよ。立派なものだ。その齢にして、既に王たるにふさわしい。ハイランド公、貴公と戦うことになって残念だったと、あらためて思う」
 リチャード王の第一子であるエドナは、王位継承権第一位でもある。未来のアングルランド女王であるかもしれないエドナと、叛乱の女王たるティアはしばし、何かを目で語り合った。それが何なのか、ウォーレスには推し量ることができない。二人の王にしか、通じ合えない何かがあるのだろう。
 エドナはそれ以上何も言わず、外套を翻して馬に跨がった。その轡を持ったマイラは、一度だけこちらを振り返り、やがて森の奥へと消えていった。
 ビスキュイが短刀を収めると同時に、ティアが膝から崩れ落ちそうになる。その身体を支えたのは、セイディだった。場合によってはティアを斬る、そう言っていた彼女だが、今は小さな女王を労るように、その腰に優しく手を回している。
 頭巾を跳ね上げ、ビスキュイが大きく息を吐いた。
「あああ、危ながっだです。あの森の奥に、大勢の”囀る者”たちがいまじだぁ」
「俺たちを見逃したのは、元帥の餞別だったのだろう。武人同士、俺とはあくまで戦場で決着を着ける、そういうことだと思う」
 結果的に、エドナをまた、つらい方へ押しやってしまった。感謝と同情と、悔悟。しかし今のウォーレスは、呼吸一つでそれらを切り捨てることができた。同時に、双方の味方となることはできない。そしてウォーレスは、より弱く、守るべき者の側に立つと決めたのだ。ティアだけではない。虐げられてきた、ノースランドの民全てである。そう考えるとこの決断は重く、ティア一人に背負わせるのは、やはり酷だったとわかる。
 エドナには、感謝しかない。彼女も、感謝していると言っていた。こういう別れも、またあるのだと思うしかなかった。
「俺一人、ハイランド公の臣下になるつもりでいた。しかしティア殿は俺を一人の領主として、同盟に迎え入れようというわけか」
「そうありたい。それなら貴殿の兵に、いらぬ迷いが出ることも少なかろう。民は、どうであろうか」
「徴用兵は全て故郷へ帰し、あらためて志願兵を募れるか、検討してみよう。麾下の兵たちとも、じっくり話し合うつもりだ。同意できない者に、叛乱の汚名を着せるわけにはいかない。あくまで俺についてきてくれる、あるいはティア殿の思いを汲み取ってくれる者だけを、麾下とするつもりだ」
 細かい部分は、これからセイディと詰めていくことになるだろう。中核となる兵力は確実に落ち、ほとんど素人集団のようなノースランドの兵たちと共に戦うことになる。今更ではあるが、険しい道だった。
 ノースランドには同盟者がいるということだが、グランツ帝国やエスペランサのような、大きな勢力ではないだろう。ティアがウォーレスを必要としている時点で、国という規模の同盟者ではないことがわかる。ただそう言えるだけの、有力な諸侯の一人ではあるはずだ。
 セイディが、鱗雲の流れる空を見上げていた。
「お前の心を揺さぶった、ハイランド公の約束とは、何だったのだ」
 愛娘が振り返る。できもしない約束をと、セイディは憤った。ティアを斬るとまで言っていたその言葉は、何だったのか。
 セイディは、ハイランド公の方を見た。小さな女王は指で頬を掻きながら、困ったような顔で笑った。
「セイディ、お前の笑顔と泣き顔を、私が与えてやる。ええと、そんな感じだったかな」
「そう言いました、確かに。約束するとも」
「驚いた。ハイランド公には、何か手立てがあるのか」
「今のところは、何も。ただそれを、為さねばならんと思った。父である貴殿が誰よりも知る通り、セイディは、本当は感情豊かな娘だ。だからセイディが心の中で笑っている時は共に笑い、泣いている時は共に泣こうと思った。そんな日々を送れれば、その奥にある素顔を傷つけず、”鉄面”を割ることが出来る、そんな気がしたんだよ」
「この人は時折、ひどく無責任なことを言います。女王失格かもしれません」
 言ったセイディの口調は平板で、怒っているのか笑っているのか、窺い知ることはできない。ただセイディは、少しだけ眩しそうな顔をした。笑っているのだと、ウォーレスは思った。
 それにしても既に、セイディとティアの間には、確かな絆が出来つつあるようだった。つい先程まで、ことによっては斬ると口にしていたとは思えない。そのつもりは、初めからなかったのか。いや、そんな単純な話ではなかったのかもしれない。
 ビスキュイが、部下たちと共に小屋の中から荷物を運び出していた。どこに隠していたのか、馬も数頭、既に用意されている。
「もう少し北に、私たちの軍を隠している場所がある。私はそこに戻るが、ウォーレス殿は、どうされる」
「軍に戻る。先程言ったように、兵たちと話し、一度彼らを領地に戻すことになろう。兵力に関しては、あまり期待しないでほしい」
「こちらには、まだアングルランドに見せていない精兵がいる。ウォーレス殿から見れば、素人に気が生えた程度だろうが」
「兵は、鍛えられる。近々、ティア殿の許しあれば、その者たちの面倒は俺が見よう」
 不意に唇を振るわせたティアが、目元を拭った。
「ああ、本当に、ウォーレス殿が、私に力を貸してくれるんだなあ。今頃、実感が湧いてきた。けれどまだ半分、夢を見ているような気がするのだ」
「夢ではない。そう呼ぶには、あまりに険しい道だ。その先に、本当の夢がある」
「そうだな。まさしく、その通りだ。気が向いたらでいい、私のことは単にティアと呼んでくれ。配下の将にも、私をそう呼ぶ者は多い。なに、自ら名乗っているだけの女王だ。現実は、叛乱を束ねているだけの首魁に過ぎない」
「そうだな。いずれハイランド公を陛下と呼べる日まで、俺もお前をティアと呼ぼう。ティアも、俺のことはウォーレスと呼び捨てにしてくれ」
「そうする。よろしくな、ウォーレス」
 たまらない笑顔を浮かべ、ティアはひらりと馬に飛び乗った。入れ違いに、ビスキュイが馬を寄せてくる。
「一両日中に、連絡役をそちらに向かわせますぅ。以後は、その者たちを通じで。そ、それどぉ」
 忍びはぎょろりとした目を僅かに下に向け、顔を赤くした。
「か、間接的ではありまずが、あの、お仕えできて、うれじいです。わ、私は、幸せでずぅ」
 頭巾を目深に被り直し、ビスキュイはティアの後を追った。ティアが一度こちらを振り返り、何かを言っていた。聞こえる距離ではないが、ありがとう、そう言っていることが、今はわかった。
 ウォーレスは、馬に跨がった。手を伸ばし、セイディを後ろに乗せる。回してきた腕に、軽く手を置いた。
「これで、良かったのだな。あらためて訊いたのは、何かお前に乗せられたような、そんな気もするのだ」
「この場を用意したのは、私ですから」
「ティアを斬る。そんな選択もあったのだな」
「どうでしょう。ただ父さんの迷いは、断ち切るつもりでいました」
「そうだな。おかげで、迷いを捨てられた」
 セイディは、ウォーレスの背中に頭を預けた。馬を走らせると、胸に回された手に、わずかな力がこもる。
 この世で最も愛おしく、大切なもの。
 愛娘もそう思ってくれていることが、今のウォーレスにはわかった。
 振り返って、その顔を確かめるまでもない。

 

 

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