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 この城塔からなら、厩の屋根が見えた。
 藁葺きの、燃えやすそうな屋根だ。石造りの頑丈な建築物が中心だが、中庭にある建物は、燃えやすそうなものが多い。
 持ってきた油に矢を浸し、火打石で火を起こす。部屋にあったぼろ布の上に火口を落とし、布が燃えるのを待った。
 小さな火が揺らめくのを見つめながら、自分は何をしているのだろうとフェルサリは思った。今なら、夜陰に乗じて砦を脱出することもできる。時間をかけ、セシリアたちと合流することもできるだろう。つまり、逃げられるのだ。
 逃げたくはなかった。つまらない意地ではなく、賊を一人でも多く、苦しめたかった。
 ディオーティマの為? 違う。まして、ジドーニアの為でもない。自分の為だ。仇討ちでも正義でもない。どうしようもない程の怒りと悲しみが、今のフェルサリを衝き動かしていた。
 もちろん、一人でこの砦にいる賊を皆殺しにはできない。それでも一人でも多く、道連れにしてやる。
 火が、大きくなった。
 油につけた矢尻を火に近づける。すぐに、火がついた。勢いはないが、とりあえず火矢として使えそうだ。
 弓を引き、厩の屋根に放つ。矢は藁葺き屋根に突き刺さったが、それですぐ火がつくというわけでもない。突き刺さった箇所から、白い煙がわずかに上っている。
 フェルサリは次々と矢をつがえ、屋根に放った。十本。最後の矢を放つ頃には、火はそうとはっきりわかるくらいに、勢いを増していた。すぐに、炎の舌が屋根の上を舐め回す。
 束の間フェルサリの胸の内に、何か懐かしいものが広がった。火矢を放つこと自体は初めてだが、久しぶりに一矢一矢に魂を込めるような、そんな射撃だった。そうだ。狩人をしていた頃は、こんな風に、その一矢に気持ちを込めていた。
 しばらくの間フェルサリは、賊たちが慌てて厩から馬を引っ張り出しているのを眺めていた。ただ呆然と眺めていたのではなく、この城塔の部屋にある、矢の束をかき集めながらである。大半の賊たちは、馬に鞍をつける余裕がなかったみたいだ。
 馬を出し終えたのを確認してから、フェルサリは馬の尻に矢を放った。数少ない、鞍をつけた馬だ。その一頭が暴れ出す。もう一頭。それも乗り手を振り落として暴れ出すと、厩の前は大混乱になった。必死に馬を止めようとしている賊にも、矢を放つ。一人、二人、三人。
 不意に気配を感じ、フェルサリは矢をつがえたまま振り返った。
「ま、待て」
 兵の身なりをした男が、慌てて両手を上げる。フェルサリがさらに弓を引き絞ると、男が言った。
「お、俺はジドーニア様直属の兵だった。ひとつだけ、聞かせてくれ」
 兜の下をよく見ると、見覚えがあった。というより、この男のことは忘れようがない。
「ジドーニア様を殺めたのは、エックバルト殿か? そんな噂が流れている。ジドーニア様のご遺体を見た。埋葬する間もなくこの騒ぎだが。傷口を、何度も踏みつけられたような跡があった」
 フェルサリは頷く。あの光景は、これからもずっとフェルサリの夢に出てくるだろう。
「わかった、もしあんたがエックベルトを殺すってんなら、手伝ってもいい。どうだ」
 難しい判断だった。いつ、この男が裏切るかもわからない。しかしフェルサリは、自身とこの男の実力を天秤に測った。多分、この男の方が、剣の腕では上を行く。後ろからいきなり斬りつけられなかったのは、僥倖だったということだ。
 運の良し悪しは、流れのようなものだと、以前セシリアが言っていた。良い流れが来たと思ったら、乗れ。
「わかりました。協力して下さい」
 若い兵は安堵の溜息をもらした。この男としても、一人でエックベルトを相手にするのは心細かったのだろう。
「こっちだ。隣りの城塔の地下に、宝物庫がある。大した物はないそうだが、それでもいくらか金目の物はあるらしい。エックベルトが一人でそっちに向かうのを見た」
 フェルサリは黙って兵の後に続いた。この狭い通路では、長剣よりも使い慣れた短刀の方がいいだろう。剣帯から長剣を外し、二本の短刀を抜き身のまま両の手に持つ。飛礫があれば。中庭にはいくらでも転がっていそうだが、城塔に続くこの回廊には、適したものはない。
 これからのことを考えると、普段であれば恐怖に震えていただろうが、今のフェルサリは奇妙なくらい冷静だった。
 肚の底に溜まった怒り。黒い獣。それを飼いならすには、自らがそれ以上の獣になることかもしれなかった。肚の中の獣に負けない、強さ。それだけを考えていた。
 元より、迷路のような砦である。誰もいないと思ったところでいつ思わぬ遭遇があっても不思議ではないが、辿り着いた城塔は、不気味なほどに静まり返っていた。中庭の喧騒も、遠い。それとは別に、砦全体はどこか慌ただしい雰囲気にも包まれていた。窓の外、別の歩廊を、駆けている賊がいる。
 それで、気づいた。この砦の騒ぎは、自分だけが起こしているのではなく、別の何かが、この砦で賊たちと戦っているのではないか。
 それを前方の兵に聞こうした時、兵は身を折って膝をついた。そのさらに前方。エックベルトが石弓を投げ捨て、こちらに向かってくるところだった。
「ハーフエルフを連れて、何だ? 俺を裏切ろうというのか?」
 あいかわらずの淀んだ目つきは、フェルサリに本能的な恐怖を沸き上がらせる。何をしでかすかわからない怖さ。そして実際に、エックベルトは人を殺すことに何のためらいもない。怒りや悲しみではなく、自分の都合次第で、どんな人間でもあっさりと殺してしまう怖さだ。
 この男は、絶対にここで殺す。フェルサリは腹の下に力を入れ、短刀を構えた。
「エ、エックベルト殿、ひ、ひとつ、聞かせて頂きたい・・・」
 兵は苦しそうに腹を押さえながらも、抜剣して立ち上がった。
「ジ、ジドーニア様を手にかけたというのは、本当ですか」
「ああ、そんなことか。お前は、あいつに惚れていたのか?」
「そういうことを、言っているのではない!」
 兵が、渾身の斬撃を放った。たやすく、エックベルトはかわす。それで、エックベルト自身もまた、相当な猛者であることがわかった。
 フェルサリは右に回り込み、エックベルトの腕に斬りつけようとした。途端、鋭い振りが来て、慌てて後ろへ飛び退る。エックベルトの今の得物は、鎚矛だった。まともにくらえば、骨が砕ける。
 城塔の中、一応兵と二人でエックベルトを追いつめている立ち位置になるが、逆に追いつめられているようにも感じる。いや、とフェルサリは思い直す。立場としては、やはりこちらが圧倒的に有利なはずだ。兵と呼吸を合わせられれば。
 兵の突きを、エックベルトがかわす。フェルサリは突っ込み、足払いをくらわせた。尻餅をつくエックベルトに襲いかかろうとするが、下からの突きに、素早く後ずさる。立ち上がろうとしたところに、兵の斬撃。かわし損ね、エックベルトの左腕が血を吹いた。途端、鎚矛の一撃が兵の頭を捉えた。ひしゃげた兜が、宙を舞う。
 決定的な瞬間だった。既に後ろに回っていたフェルサリは、エックベルトの背に短刀を突き刺した。浅い。しかし振り返ったエックベルトを、袈裟に斬り下げた。手応え。胸から腹に駆けて大きな血しぶきを上げ、エックベルトは倒れた。
 しばらく、エックベルトの様子を見る。腹を押さえているが、白目を剥いており、全身は痙攣していた。この傷では、遠からず命を失うだろう。
 フェルサリは倒れている兵の元へ向かった。腹の矢傷もひどいが、顔面は左半分が潰れていた。鼻と口から、とめどなく血が流れている。
 咳き込みながら、兵が言う。
「エックベルトは・・・」
「死にました」
「そうか・・・こ、これで、あの方も、浮かばれる・・・」
「いいえ。あなたは」
 フェルサリは胸当ての下から短刀を滑り込ませ、兵の心臓を貫いた。
「こんな風に、ディオーティマさんを殺しましたよね。私は、あなたを許せません」
 伯の長女と同じような小さな溜息を残し、兵は息絶えた。
 何かが、終わったような気がした。
 不意に、フェルサリは途方もない疲労を感じた。倒れ込みそうになる。
 が、振り返ったフェルサリは、全身の毛が逆立つのを感じた。
 倒れていたはずの、エックベルトの姿がない。

 

 賊の死体の顎を持ち上げ、ニコールが呟いた。
「絞殺。でも殺すのに苦労してる。死体はまだ温かいわ」
 セシリアは、もうひとつの死体を見た。喉を掻き切られている。倒れ方で、殺し方は推察できた。腹か股間に一撃、身を屈める相手の動きに合わせて後ろに回り、背に跨がりながら首を一閃。なかなか見事な殺し方だ。
「いきなり、手際が良くなったわね」
 やったのは、フェルサリだろう。床に、ほどけた縄が落ちている。
 少なくともここにいた時点では、フェルサリは生きていた。そして一人で脱出の糸口を掴んでいる。単独で、この砦から脱出できたことを願う。
 セシリアはほっとすると同時に、何かを失ったような気持ちになっていた。冒険者を続けようというのなら、いつかこういう日が来るとわかっていた。最後に会った時には、とても血塗られた道を歩めるようには見えなかったのだが。
「子は、親がいなくても育つって言ったでしょう?」
 ニコールが口の端を上げて言う。セシリアは肩をすくめた。
「やだ。とても子供を産んだばかりの親の台詞とは思えない」
「フェルサリはもうずっと昔から大人だった。幼くして、あの子の父親が死んだ時からね。あなたと出会って、短かったであろう子供の時を、生き直していただけ」
「そうね。もう少し、子供でいさせてあげたかったけど」
「まずは、あなたが大人になることよ」
 言われたセシリアは、もう一度肩をすくめる。今回の旅では、ニコールに頭が上がりそうにない。
 何かやるせない気持ちになり、セシリアはキセルに火をつけた。それをくわえたまま、扉の向こうへと進む。
 ニコールがどういう心境かはわからない。
 が、彼女も同じように葉巻をくわえていた。

 

 血痕を辿り、フェルサリは慎重に廊下を進んだ。
 厩のある、正門近くに逃げるのかと思ったが、点々と続く血の跡は、それとは逆方向に向かっていた。
 おかしい。そう思った途端、血痕は途切れていた。一瞬、混乱する。そしてこの状況はまずいと思った。
 城塔の中。ここにはこれまでの部屋以上に、木箱や樽、麻の袋が乱雑に散らばっていた。
 周囲を見回す。箱や樽に、血痕が付着している。向かいの扉。取っ手に血は着いていない。エックベルトは、この部屋にいる。が、見つけられない。
 殺気を感じ、フェルサリは横へ飛び退いた。わずかだが、遅かった。左の肩に衝撃を感じ、フェルサリは体勢を崩した。背中に、さらなる衝撃。
 壁に叩き付けられたフェルサリは、何とか後ろを振り返った。血まみれのエックベルトが、鎚矛を抱くように構えながら、フェルサリをじっと見つめている。その身体が、驚くべき俊敏さで動いた。
 転がりながら、振り下ろされる鎚矛の連打をかわした。ばりばりと音を立て、床板が砕け散る。
 立ち上がると、不意に左手の力が抜けた。短刀を落としてしまう。先程の一撃で、左肩が抜けてしまったようだった。関節を入れ直している暇はない。まだ少しだけ、左腕は動く。
 鎚矛をかわしざま、フェルサリは短刀を腰だめに構えて体当たりした。ずぶりとした感触、刃はエックベルトの腹を貫く。
 獣のような咆哮を上げ、エックベルトはフェルサリを突き飛ばした。さらに血を失ったからだろう、ごとりという音と共に、鎚矛を落とした。
 それでも、両手を突き出して掴みかかってくる。狭い部屋の中、咄嗟に身をかわせなかったフェルサリは、押し倒された。エックベルトの指が、フェルサリの目をえぐり出そうとする。右手は使えたが、左手はあまり力が入らない。左の目に、エックベルトの指が入る。
「ぐううぅっ!」
 エックベルトの右の親指。フェルサリの口にかかっていたので、渾身の力で噛み切った。歯の間で、舌の上で、骨の砕ける感触。悲鳴を上げてのけぞるエックベルトを、跳ね飛ばす。立ち上がりざま、両手をついていたエックベルトの顔面を、つま先で力一杯蹴り上げた。足の先に確かな手応え。それでも、この男の獣性は収まらない。起き上がり、こちらへ向かってこようとするところを、フェルサリは抱きつくように押し倒し、馬乗りになって血まみれの顔面に拳を叩き込んだ。唸りを上げる怪物に、何度も右の拳を叩き込む。その度にエックベルトは上体を上げ、起き上がろうとした。
 恐怖に、フェルサリはおののいた。身体が、自分のものではないみたいだ。血が、口の中に入る。どちらの血かもわからない。
 腹に突き刺さったままの短刀。引き抜き、胸に突き刺した。
「あああぁっ!」
 エックベルトは死なない。フェルサリは悲鳴を上げながら何度も短刀を突き刺した。股の下で暴れる、血まみれの肉塊。死んでも、殺しても、襲いかかってくる。
「うあああぁぁっ!!」
「もういい」
 すぐ近くで、声がした気がする。短刀を握りしめた右手。何かに強く掴まれていた。手首が、折れそうだ。
 まだだ。まだこの男は、死んでいない。
「もういい」
 もう一度、声がした。耳元。
 後ろから、フェルサリの首を掴むものがある。ほっそりとした、冷たい指。首の両側を、優しく、それでいて決して抗えない強さで掴む。ニコールの手かもしれないと、フェルサリは思った。
 目の前が、急速に暗くなっていく。いや、光に包まれたようだった。
 白く、白く・・・。

 

 列車の揺れは、まだ肋に響いた。
 横になったまま、セシリアは車窓の外を眺めていた。
 それまで黙っていたフェルサリが、向かいの席のニコールに声を掛けた。
「あ、あの・・・」
 声音はしっかりしてきたものの、まだどこか弱々しい。目を上げたフェルサリの顔は、あざだらけで見ているのもつらい。頭に巻かれた包帯。方々にひどい打撲もあり、左肩も脱臼していたが、こうしてある意味五体満足で生き残ったのは奇跡的だと、セシリアは思っていた。いや、それは彼女の力、生きようとする力を、過小評価していたのか。
 何か話そうと思ったまま、しかしフェルサリは言葉を飲み込んでしまった。再び、言葉を失ってしまったわけではない。砦から出た後、フェルサリは囚われてからセシリアたちが駆けつけるまでの顛末を、訊かれるままに、ぽつりぽつりと話していたのだった。
「どう? 人を殺した気分は」
 逆にニコールが、フェルサリの胸の内を見透かして訊く。彼女独特の言い回しだ。
「・・・わ、わかりません。うまく折り合いが、つきません」
 鼻をすすりながら、フェルサリは言った。今にも、泣き出してしまいそうだ。
「折り合いなんか、誰にもつかない」
 ニコールが言う。
「・・・じゃ、じゃあ、ニコールさんは、その、今まで・・・」
「たくさん人を殺してきたんじゃないかって? それは、とてつもなく重いことなんじゃないかって?」
 フェルサリは頷く。今欲しいのは、答えだろう。切実に、それを求めている。
「笑える」
 実際に鼻で笑いながら、ニコールは葉巻をくわえた。フェルサリは、身を震わせる。
「笑うしかない」
 もう一度言って、ニコールは、席を立った。飲み物でも取ってくるといった調子で、そのまま客室を出た。
 セシリアも、訊かれたら同じように答えただろう。その重みは、自分で背負うしかない。気安く他人に背負わせてはいけないものだ。そしてそれを正義や大義で覆い隠そうとするのは欺瞞だ。
 逃げ場も、許してくれる何かもなく、だから、笑うしかない。
 フェルサリはきつく目を閉じている。やがて涙の溢れる瞳を、セシリアの方へ向けた。セシリアは寝台から身を起こした。
「まだ、続けられる?」
「・・・わ、わかりません。もっともっと、強くならなければいけないと思いました」
「どうやって?」
「これ以上みなさんに甘えないよう、一人で旅に出ることも必要だと思いました」
「危険よ。それに駆け出しの冒険者が、一人でこなせる仕事は少ない」
「そうですよね。そ、そんなに甘くないことは、わかっています。でも、ニコールさんに、みなさんに、認めてもらえるような・・・」
 セシリアは、フェルサリのことを認めている。他の仲間がどう思うかは、それぞれが判断することだった。
 ニコールに、突き放されている。今の、人の死の重みを知ったフェルサリには、つらいことだろう。奪った命。目の前で奪われた命。重過ぎて、誰かと一緒に背負ってほしい。しかしそれはやってはいけないことだと、フェルサリは気づいてしまったのかもしれない。
 今すぐ、フェルサリを抱き締めてやりたかった。その衝動を、セシリアは必死に抑えこんだ。
「じゃあ、一人で旅をしてみる?」
「はい・・・そうした方が、良いのだと思います。でも・・・」
 耐えきれず、フェルサリの青い瞳から、大粒の涙がいくつもこぼれ落ちた。
「でも、母さんたちと、別れたくない・・・こんなわがまま言ってる場合じゃないのに・・・別れたくないんです。ずっと、一緒にいたいのに・・・!」
 立ち上がり、セシリアはフェルサリの頭を撫でた。
「ニコールは、あなたのことを認めているわ」
「み、認めてません! 認められるはずが・・・!」
 フェルサリが、自尊心を満たしたいが為に認められたいと言っているわけではないというのはわかった。セシリアの屋敷で束の間の安寧を味わい、それがセシリアたちの働きによるものだとわかり、その時にフェルサリができる目一杯の覚悟をして、冒険者になりたいと決意した。旅の仲間のいる場所。今のフェルサリにとって、帰る家はここであり、守るべきものもまた、ここなのだ。セシリアたちの背中を追いかけ、いつか肩を並べたいと思う、夢追いかける日々。
 故郷では、爪弾きにされ続けた。世界の大半はこれからも、半エルフのフェルサリをのけ者にし続ける。
 片隅でいい。見向きされなくてもいい。ただ、そこに、この仲間と共にいてもいいと一言言ってもらえることが、フェルサリにとっての救いなのだ。
 セシリア一人が認めていると言ったところで、今はあまり意味のないことなのかもしれない。
 ニコールが戻って来ても、フェルサリは黙ったままだった。俯いて、時折肩を震わせていた。
 レムルサ駅に着く頃には、日も落ちかけていた。
 いつもの鞄持ちの少年たちに、帰りの馬車を拾ってもらう。すぐに見つからないのなら、ロベルトを呼びに行かせてもいいかもしれない。ちょっとした用事を言いつけて、チップを弾んでやりたい気分なのだ。帰りがいつになるか知らせていないので、ロベルトが待っていているということもない。
 ニコールは家がすぐ近くだが、律儀に待っていてくれている。退屈そうに葉巻を吹かしていた。フェルサリは下を向いたまま、寂しそうに佇んでいた。
 駅前の酒場から、レムルサの中隊長が出てきた。こちらを見つけて、手を振りながら近づいてくる。そういえばここを出る時にも、この中隊長と顔を合わせていたのだった。
「おやおや、ハーフエルフの娘さん、ひどい怪我じゃないか」
 フェルサリは俯いたままだ。代わりにセシリアが答えた。
「負傷はしましたが、それでもごらんの通り、生きて帰ってきました。無事ですよ」
「そうかそうか。よかった。こんなかわいらしい娘さんに何かあったらと、いや、私にできるようなことはあまりありませんが。ええと、彼女は・・・」
「ああ、彼女の名を、まだご存知ないのですか?」
 そばに来たニコールが言った。フェルサリが、びくりと身を震わせる。
「紹介しますよ。彼女の名はフェルサリ。私たちの、新しい仲間です」
 何かに打たれたように、フェルサリは顔を上げた。唇を震わせた後、顔をくしゃくしゃにして、嗚咽をこらえようとしている。それでもとめどなく、涙は溢れている。
「みっともない。そんな顔するもんじゃないわよ」
 言って、ニコールはフェルサリの頭を抱き寄せた。
 こちらを見た中隊長に、セシリアは軽く片目を閉じてみせた。
「そういうわけで、今後ともよろしく」
 フェルサリは、大きな声で泣き続けている。赤ん坊のように、すぐに泣き止む気配はなかった。
 道行く人々が驚いて、こちらを振り返る。フェルサリはニコールの胸に顔を埋めて、泣き続けている。
「本当に、みっともない」
 ニコールが呟く。
 それでも泣き止むまで強く、優しく、ニコールはフェルサリを抱き締め続けていた。

 

 

 

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