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プリンセスブライト・ウォーロード 第6話「そうか。私は、傷ついていたのか」


1,「そうなると、もうどちらが強いかではなくなってしまうから」

 潮合。
 満ちるのを待ち、アナスタシアは両の手に力を込めた。
 セシリア。金の髪が風に揺れ、しかし身体も、こちらに向かって構えられた剣先も、微塵も動いてはいない。
 踏み込む機。満ちたと感じたそれは、そう思った瞬間には引いていく。寄せては、返す。視界がぐっと、狭くなる。再び顎の先から、汗が滴り落ちるのを感じた。森の木々が、葉をこすらせる音も聞こえる。
 いつの間にか、セシリアはアナスタシアの間合いに入っていた。もう、突き出した戟を引くこともできそうになかった。引いた瞬間に、懐に飛び込まれる。このまま大きく踏み込み、その勢いでこの至高の剣士を突き倒すしかない。
 どれほどの時間、対峙していたのか。一分かもしれないし、一時間かもしれない。
 あらためて、感じる。目の前で剣を構えているセシリアは、アナスタシアがこれまで立ち合った中で、一番の使い手だった。
 父ヴラジミルも参戦した、十二年前の武闘会。セシリアの剣を見て、アナスタシアも剣の道に生きようと決めたのだった。それより以前から、父に剣を教わってはいた。しかしそれは児戯のようなもので、セシリアの戦いを見て初めて、自分も武の道に進むのだと腹を括れたのだった。
 セシリアの容姿は、あの頃とほとんど変わってはいない。新世界秩序との戦いで失った右腕を除いては、全く同じだと言ってもよい。ひとつの象徴だった白銀のミスリルの鎧こそ着てはいないが、それでもあの頃の白い輝きが今、目の前にあった。
 セシリアの口元。わずかに微笑んでいるようにも見える。自分は今、どんな顔をしているのか。
 戟が、剣先と触れそうになる。その圧力に、アナスタシアは耐えた。受け流すこともできないほどの、強い気。
 不意に、心気が澄んでいくのを感じた。斬れるか斬られるかはわからないが、どうなるにせよ、その時はすぐそこまで来ている。いや、これは、斬られるな。そうとも思う。
 一歩。踏み出した時、何かが二人の間に飛び出してきた。
「い、いけません! お母様を、これ以上傷つけないで下さい!」
 ふっと、満ちていたものが遠ざかっていくのを感じる。煙のように、そしてそれはもう二度と、手の届かないところに行ってしまったのだと悟った。
 アナスタシアは、視線を落とした。二人の間に割り込んできたのは、小さな女の子である。六、七歳くらいだろうか。いや、艶のある金髪と青い瞳は、セシリアとよく似ていた。これがセシリアの娘セリーナだとすると、十歳くらいだということになる。その割には、幼くも見えた。あるいは、セリーナではないのだろうか。父はあの冒険王リチャードということになるが、この娘にあの男の怪物じみた面影はない。
 少女は小さな両手をいっぱいに広げて、セシリアの盾になろうとしていた。既に構えを解いていたセシリアが、軽く肩をすくめる。アナスタシアも戟を下げ、空を見上げた。小鳥が数羽、森の木々の中に入っていく。
「アナスタシア、でいいのかしら?」
 セシリアが口を開いた。ただただそれを、懐かしいと感じる。
「はい。お久し振りです。いささか、無礼な再会となってしまいました」
「斬ってほしい。そんな気を漂わせているから、斬るべきだと思った。でも、この子はそうは思わなかったみたいね」
 セシリアは身を屈めて、少女の頭をある方の手で撫でた。少女はセシリアに抱きつきながらも、じっとこちらを見ていた。その目には、涙が溜まっている。
「そちらはやはり、ご息女の」
「ええ、セリーナよ。ほらセリーナ、挨拶なさい。もう、大丈夫だから」
 セリーナは二人を交互に見た後、やや覚束ない足取りでこちらにやってきた。ぺこりと頭を下げ、まだ赤くなった瞼で、にこりと微笑む。
「はうぅ、セリーナです。ようこそおいで下さいました」
 どうやら、やはりこの娘はセリーナのようだった。初見である。母の面影はあるが、父の血は感じない。あるいは何か、目に見えない何かを受け継いでいるのか。
「先程は失礼した。アナスタシアという。セシリア殿の、古い知り合いだ。といっても、過去に一度会っただけなのだが。私がセシリア殿に会ったのは、ちょうどセリーナ殿と同じくらいの年頃かな」
 セリーナは頷き、アナスタシアの手を取った。そのまま屋敷の方に引っ張ろうとする。促されるまま、アナスタシアは屋敷に向かった。その横に、セシリアが並ぶ。
「セシリア殿は、本当にお変わりない。あのまま踏み込んでいたら、私が斬られていたことでしょう」
「どうかしら。私が斬られると思ったけどねえ。さすが、現役の大陸五強ってとこかしら。引退した身には、少し荷が重い。斬られるかもしれないなんて感覚、すっかり忘れていたしね」
「不思議です。私こそ、確実に死ぬと思ったのですが」
「あなたは、少し自分を小さく見てるのかもしれないわね」
「そうでしょうか。ただ・・・」
 アナスタシアは、小さなセリーナに目をやる。少女はアナスタシアの手を握ったまま、こちらを見上げた。
「私が、この子を手にかけるようなことがあれば」
「あなたを、殺していたでしょうね」
 即答だった。アナスタシアは納得し、そしてなぜか安心した。
「そうなると、もうどちらが強いかではなくなってしまうから」
「なるほど。わかるような気がします」
 アナスタシアは、後ろを振り返った。繋いでいなかった愛馬は、三人に向かってそろそろと歩を進めていた。招かれているということが、わかるのだろう。
「まあどちらが勝ったにせよ、もう人は斬りたくないと思っていたところよ。その意味でも、セリーナに助けられたわ」
 言って、セシリアは笑った。つられて、アナスタシアも笑う。セリーナは二人の様子を見て、にっこりと微笑んだ。
「遠い所から来たのよね。しばらく、泊まっていくんでしょう?」
「どうでしょうか。正直、ここで果てるつもりでしたので、今後の予定はないのです」
「なら、しばらくセリーナの遊び相手になって頂戴な。それで、さっきの不調法はなかったことにしてあげる」
「ありがたい話です」
「お馬さんの世話をしてきますね」
 セリーナは、馬の方へ駆けて行った。手を伸ばして轡を取り、屋敷の裏へと先導していく。
「大丈夫でしょうか。セリーナ殿は、まだ小さい」
「あなたも、あのくらいの背丈の頃から、馬の世話をしていたんじゃなくて?」
「確かに。それにしても何から何まで、申し訳ない」
「あの子なりに、一生懸命あなたをもてなそうとしているのよ」
「本当に、ありがたい話です。時にセシリア殿はもう、外の世界との交わりを断っているとの話ですが」
「昔、名が売れたからね、おかしな人間が近づいてこなければいいと思っているだけよ。ここを見つけられる人間なら、歓迎するわ。それだけの、縁があったということだろうから・・・それにしても、大きくなったわねえ。ヴラジミルと同じような気を漂わせていなかったら、あなただとわからなかった」
「身長は、ご覧の通りあれからさほど伸びなかったのですが、横だけは大きくなりました」
 扉を開けたセシリアに続き、屋敷の中に入る。邸内は、思っていたよりも狭い。玄関ホールの吹き抜けのようなものはなく、町中にある商家の家のようだった。セシリアは玄関の横に無造作に立てかけてあった鞘に、剣を納めた。
 二階の部屋に、案内される。しばらく使われた気配はないが、手入れは行き届いていた。具足を脱ぎ、服を着替えて階下の居間に行くと、セシリアが茶を淹れて待っているところだった。扉のいくつかは開け放たれていて、厨房でセリーナが踏み台に乗り、食事の仕込みをしているのが見える。セシリアは少し身体を傾け、アナスタシアの顔を覗き込んだ。当初思った通り、あまり目が見えていないようだった。
「どうしたの? そんな顔して。お茶が冷めちゃうわよ」
「すみません。おかしな顔を、していましたか」
「厳密に言えば、多分表情は変わってないわね。それが普段の顔だって気がする。ただ、今にも泣き出しそうな様子だったから」
「そうですか。いや、全てがあまりにもさりげないので、お二人に歓迎されていることに、戸惑っているのかもしれません」
 セシリアは笑いながら、義手の手で器用に煙管の火をつけた。アナスタシアもソファに腰掛け、パイプを取り出す。
「確か、ヴラジミルの後を継いで霹靂団の長になったと聞いていたけど。外では、色々あったのかしら? ここに来る話は遅くてね。それもよほど大きな話じゃないと、耳にする機会もないから」
 促されるまま、アナスタシアは先の戦のこと、霹靂団を失ったことを語った。いつの間にかセシリアの横に座っていたセリーナが、その青空のような瞳から、ぽろぽろと涙の粒をこぼしていた。
「なるほど。じゃあやっぱりあなたは、ここに死にに来たのね」
「・・・そうかもしれません。どこか投げ槍になっている自分を、自覚してもいました」
「ここで生き直せるかはわからないけど、やはりあなたは、しばらくここにいるべきかもしれない。まあ、あまり堅苦しいことは考えずに、楽にしてたらいいわ。今後どうあるべきかは、そう遠くない日に見つかるような気もする」
「そうですね。ではお言葉に甘えて、しばらくご厄介になろうかと思います」
「色んなお話、聞かせて下さい」
 目を輝かせて、セリーナが言う。アナスタシアは頷いた。
「私の話でよければ、いつでも。セリーナ殿にもしばらく世話になるな。よろしく頼む」
「はい!」
 セリーナは元気よく頷くと、厨房に小走りで戻っていった。セシリアも立ち上がり、セリーナの後を追う。もう、夕食を作り始める頃合なのだろう。
 しばらくしてパイプを吸い終えたアナスタシアは、何か手伝えることはないかと席を立った。厨房。開いたままの奥の扉から、外にある井戸が見えた。セリーナが、しゃがみ込んだセシリアのある方の腕、左手を洗っている。母の世話をすることが無上の喜びであるかのように、笑いかけながら、両の手でセシリアの手を包み込んでいる。
 なぜかこみ上げてくるものをぐっと抑えて、アナスタシアはその光景を、目に焼き付けた。


 全てがいつも通りで、滞りがない。
 受け取った補給物資に、遺漏はなかった。帳面に署名をし、アイオネは町へ帰っていく輜重隊の列を眺めた。
 アングルランド王リチャード麾下、五千の野営地である。原野に無数の幕舎が張られており、日が落ちるまで、兵たちは調練に明け暮れている。遠くの、歓声。そちらに目をやると、旗の奪い合いに成功した部隊が勝鬨を上げていた。土埃が風で流され、先頭の騎馬が赤い旗を掲げているのが見える。
 方々で、小規模な部隊に分かれた調練が行われいた。部下が次々とアイオネの元に報告にやってくる。
 アイオネは、このリチャード麾下の軍の、副官を務めていた。
 激しい調練を行う兵たちの勇姿はもちろん、居並ぶ幕舎の数だけを見ても、中々の壮観である。結果、自分がこの軍をまとめていることになるが、やはり頂点はリチャード王その人である。自分が、アングルランドにおいてその用兵を高く評価されていることは知っている。が、全ては王あってのもので、平民上がりのアイオネでは、王の寵愛、宰相の評価なくしては、そもそもこういった部隊の指揮官の一人となることすら考えられなかったであろう。
 いや、とアイオネは苦笑混じりに考え直す。このリチャードの軍は、貴族の子弟こそ混じっているが、多くは腕自慢の平民上がりから成り立っている。弱い者では、この部隊の調練についていけない。自分も、王の世話役として宮殿に出入りできなかったら、いずれはこの部隊に志願していたという気がする。回り道でも、いつかはリチャードの元に辿り着いていたはずだ。たまたま、アイオネの選んだ道が、最短だったというだけだろう。その意味では運があったが、辿り着くまでが早いか遅いかの違いだけだったとも言える。
 アイオネは野営地の中央、一際大きな幕舎に目をやった。リチャードの幕舎である。王としての威厳や調度品の多さといったことで、幕舎が大きいわけではない。実際リチャードの私物というのは驚くほど少なく、威光を振りかざすようなところは、微塵もない王だった。それでもなお、リチャードを前にした人間は、この男こそ王であると、直感で認識するに違いない。アングルランドの王としてよりは、人としての王としてである。幕舎が一際大きいのは、単にリチャードの身体が人並み外れて大きいからであった。
 小姓が一人、アイオネの元に駆けてきた。リチャードが、呼んでいるとのことである。アイオネは頷くと、調練の統轄を部下たちに任せ、王の幕舎へ向かった。
 幕舎の中は、むっとするほど暑かった。まだ日は高く、寒いと感じる気候でもないが、数日前からリチャードは、どうしようもない寒気に襲われているようだった。幕舎用の小さな薪ストーブが、炎の舌をちろちろと出している。
「おう、アイオネか。寒い。寒いぞ」
 巨体を大きく折り曲げて、リチャードが寝台に腰掛けていた。長い白髪と髭に埋もれて、大きいはずの顔が、ひどく小さなものに見える。露出した部分だけ見れば、雪に埋もれて助けを求める小動物のようにも思えた。
「もう一台、ストーブを用意致しましょうか、陛下」
「うむ。それと、腹が減った」
「すぐに、何か食べる物を用意させましょう。それと、お召し物をそろそろ洗った方が良いかもしれませんね」
「むむ、俺は寒いと言っているのだ。ひどいことを申すのう」
「陛下、少しの我慢ですよ。ついでに、お身体もよく拭いて差し上げますから」
「うぅむ、仕方ないのう」
 子供のように拗ねた表情を見せながらも、老王は頷いた。
 小姓を呼び、食事と盥、湯の用意を指示した。既にリチャードについては勝手知ったる者たちなので、準備は早い。
 リチャードにはいくつか人を困らせる性癖があるが、その一つは、その時に気に入っている服以外には着ようとしないというものがあった。下着にしてもそうだが、服を着替えるという習慣がない。なので服を洗っている時は、常に全裸なのである。
 かつてリチャードが"冒険王子"として各地を旅していた時代、従者として仕えていた今の宰相ライナスは、服を洗っている間に全裸で徘徊しようとするリチャードに、かなり手を焼いていたらしい。
 同じように今のアイオネが盥で服を洗っている間に、小姓が食べ物を乗せた大皿を持ってきた。リチャードはそれを膝の上に乗せ、無心に食べ始める。野営地の為、手の込んだ料理ではないが、リチャードは何でも美味いと言って食べた。ばりばりと骨を噛み砕く音が聞こえる。骨つき肉を、骨ごと食べているのだ。
 肉は肉を作り、骨は骨を作る。アイオネがリチャードの世話役になって間もない頃、肉を骨ごと食べる様子にアイオネが動揺していると、彼はよくそう言っていたものだ。普通の人には食べられませんと言うと、普通である必要などないと返されたものだ。
「この羊は、特に美味い。お前も食うか?」
「では、ひとつだけ残しておいて下さいな」
 洗った服を、ストーブの前に干す。一カ所、綺麗に裂けているところを見つけた。鋭利な刃物の一撃を受けたといった感じだ。先日、アッシェン辺境伯の軍とぶつかった時のものか。討ち洩らしたが、あの闇エルフの指揮官の腕前には舌を巻いた。リチャードと、何十合と渡り合ったのだ。その間に、こちらの進撃は大幅に食い止められた。

 次に、リチャードの身体を、湯を絞った清潔な布でよく拭った。きちんと髪を洗うのは、町に寄った時でないと、できそうにない。あるいは、こうした寒気に襲われていない時か。真冬でも凍りかけた川に飛び込んで身体と髪を洗う時があるが、今の様に、初夏の暖かさでも凍えてしまう時もある。

 老王の、伸ばした腕に目をやる。筋張っていて、ほとんど皮と骨に近い。それでも腕が太く見えるのは、骨そのものが太いからだ。アイオネが世話役を始めた頃はまだ、はち切れんばかりの筋肉に覆われていた。今は新世界秩序との戦いで受けた呪いのせいで、当時とは比較にならないくらいやせ細ってしまっている。先日からリチャードが寒いと口にしているのも、この呪いの影響である。逆に身体中燃えるように熱いとこぼすこともあった。
 戦場に復帰したものの、リチャードの身体は、まだ呪いに蝕まれたままだった。
 胸の奥を、締め付けられる。その苦痛に思いを馳せながら、アイオネは丹念に老王の身体を拭い続けた。
 下半身を洗う為、リチャードに立ち上がってもらう。
 初めて目にする者は怪物と間違えるほど、リチャードの身長は高い。二メートル二十を、わずかに超えている。
 股間の辺りを拭っていると、見る見るうちに、男根が屹立してきた。それも、丁寧に拭う。
「うぅむ、服が乾くまで、お前を抱いていることにするぞ」
「わかりました。でも、もう少し辛抱して下さい。それでは御御足を綺麗にしますので、もう一度腰掛けて下さいな」
 再び、リチャードが寝台に腰掛ける。足を入れた盥の中に、汗が一滴落ちた。アイオネの、顎の先から落ちたものだ。
 この部屋は、暑い。いや、アイオネの身体が、もう老王を欲しくて仕方がないのかもしれない。
 ふっと、抱きかかえられた。リチャードの両腕に支えられているが、身体は宙に浮いたような感覚だった。一方で臍の下が、何か別の生き物が暴れているかのように、熱い。
 舌を絡めて貪り合っている内に、具足と服を、半ばまで脱がされていた。
「いけません。せめて、私も身体を」
 言いかけては、口を吸われる。リチャードの白く豊かな髭はやわらかく、頬ずりしたいほどに心地よい。愛おしい。老王の全てが、狂おしいほどに愛おしい。
「せっかく綺麗にしたのだ。まずは、お前で汚したい」
 リチャードの舌が、乳房を、下腹を、強く、優しく愛撫する。
 私も、あなたで汚されたい。
 言おうとしたが、吐息と喘ぎに押しつぶされ、それは言葉にならなかった。

 

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