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3,「強い相手など、この戦斧でいくらでも屠ってきた」


 行軍中の朝は、いつだって慌ただしい。
 既に身支度を整えたラシェルは、朝焼けの中、兵が出発の準備を整えるのを、幕舎の傍に立って眺めていた。
 ジョーヌプレリーを離れて十日。あと一週間ほどで、アッシェン王の指示した合流地点へ到達する。ここまでの行軍の速度は、かなり順調な方だと思う。
 ラシェルを含む辺境伯領に、アッシェン王より救援要請があったのは、一ヶ月ほど前だった。即位して間もない現アッシェン王からの救援要請は初めてだが、先代、先々代と、辺境伯領には度々王の使いがやってきていた。いずれも対アングルランド戦、いわゆる百年戦争への参戦要請である。
 申し訳程度のわずかな出兵を除いて、基本的に辺境伯領はその要請を断り続けた。辺境伯たちはアッシェンの南端に長城を構え、南の地デルニエールから押し寄せるオーク、トロールといった怪物たちの侵攻の、防波堤の役割を担っていたからである。
 怪物は、話し合いの通じない相手だ。人間が相手の戦なら外交でどうとでもすればいい。これが、基本的な辺境伯領の姿勢だった。そもそも怪物相手の戦いに手一杯で、援軍を出す余裕などないのだ。
 が、今回辺境伯領が援軍を出すことにしたのは、今までとは少し事情が違うからである。
 それは、アングルランド軍による、王都パリシの包囲だった。
 さすがに同じアッシェン人としてこれは見過ごせないのではという話になり、辺境伯たちによる参戦是非の投票が行われた。結果、僅差で王の要請に応えることとなる。
 投票で参戦是非を決めたのは、結果がどうなろうとも、双方がある程度納得する必要があったからだ。辺境伯同士の繋がりは強く、またそうでなければならない。また、後に禍根を残さないため、多数派は少数派の出す条件のいくつかを、必ず飲まなければならないという、古い約定もあった。
 不参戦派の代表は、辺境伯領自体の代表格とも言える、ドゥーソレイユ辺境伯だった。投票の結果は参戦で決まった為、ドゥーソレイユ伯からいくつかの条件が提示される。
 その一つ目は、要請に応える辺境伯は、一人のみというものだった。これは、ラシェルにも納得できる話だった。参戦する辺境伯は、主力の兵を引き連れ、領地を留守にする。穴の空いた防衛線を残りの辺境伯たちで埋めることとなり、複数の辺境伯が参戦してしまえば、防衛線を維持できない。ラシェルの考えでは二名までは出しても大丈夫だと思っていたが、一人だけなら長城の防衛は、まず問題あるまい。
 二つ目は、不参戦派に派遣する辺境伯を選ばせること。これにはラシェルが選ばれた。参戦派のラシェルは派遣軍に立候補していたので、むしろ願ったり叶ったりだった。他に立候補していた辺境伯たちは不服だろうが、ラシェルはその者たちの分まで奮戦するつもりだった。
 三つ目は、不参戦派の選んだ将校を、派遣軍の副官にすることだった。この者を通して、戦況は逐一辺境伯領に届けられる。こうしてラシェルの元にやってきたのは、ドゥーソレイユ伯股肱の臣、闇エルフのブランチャだった。この闇エルフの女将校は、辺境伯領では知られた将校だった。ラシェルはこれを肯んじた。
 そのブランチャは今、ラシェルの傍で書類の束に目を通している。副官、部隊ごとのそれではなく、総大将の副官は、仕事が多い。軍によっては大将の副官を数名つけるのが当たり前だが、ラシェルの軍の副官は、一人のみである。
「全軍、きちんと合流できているか?」
「概ね。三名が、病で離脱しております」
 書類の文字を目で追いながら、ブランチャは答えた。今見ている報告と別の質問をしたのだが、部下からの報告はしっかり頭に入っているようだ。
 辺境伯領は人の出入りが少なく、控えめに言っても保守的な土地柄なので、兵の多くは闇エルフの将校に嫌悪感を抱いているだろう。しかしラシェルは、この闇エルフを気に入っていた。結局のところ将校は、有能かどうかが全てである。
 今のブランチャの話では三名欠けたということだが、ラシェル軍のほとんどが、上手く集結できたと言ってもいいだろう。
 ジョーヌプレリーを出た兵は一万で、これを四千、三千、三千の三隊に分け、別々の順路で進発させた。補給は部隊が小規模なほど円滑に進む上、同じように進軍の速度も大幅に上げられる。しかしアッシェン王より指示された最終的な合流地点ではなくここで一度全軍を集結させたのは、今のアングルランドとの国境線が、ここから西方、さほど遠くはない所にあるからである。この先の道中、場合によってはアングルランド軍との戦闘もありうる。部隊を分けていると、急な襲撃に対応することができない。
 しかしこれもまた全体から見れば一軍の合流に過ぎず、本当の目的地はここから北北東にある。ゲクラン元帥を筆頭としたパリシ解放軍が、そこに集結することになっているのだ。
 いつの間にか、ブランチャが姿を消していた。しかし探す間もなく、一人の男を連れてこちらにやってくる。
「ラシェル殿、輜重隊の者が直接報告に」
 ラシェルの軍は一万ということになっているが、正確には一万と五百である。五百は、補給担当の輜重隊だ。
 ここまでの報告を受ける。万事滞りない様子だった。
「ご苦労だった。この先は三百でよかろう。戦に向かない二百を選び、故郷に返してやってくれ」
 ここからは軍を一つにまとめるので、輜重隊の人数を減らすことができる。同時に輜重隊そのものがアングルランド軍に襲われる可能性も出てくる。輜重隊には本隊で負傷し、以後の戦闘に耐えられなくなった者も多くいるので、そういった者たちは帰らせることになる。
「ここまでは、問題なしだな。これからも、問題なしだといいのだが」
「はい」
 ブランチャは、余計なことを話さない。ラシェル好みの軍人であり、ドゥーソレイユ伯は、良い将校を推薦してくれたと思う。
 既に幕舎は片付けられている。兵たちも部隊ごとの配置についたようだ。
「準備、整ったようです」
「よし、進発する」
 ラシェルは愛馬に跨がり、軽く馬腹を蹴った。


 三日進んだ所で、斥候から報告があった。
 西、十五キロ。一万のアングルランド軍を発見した。東に向かって進軍してきており、そのまま国境を越えてくるようなら、北北東に前進を続けるラシェル軍の側面、あるいは背面を衝かれる格好になる。
 次に入った報告は、ラシェルを驚かせた。
 一万の内半数の五千が騎馬、その五千騎を率いているのはなんと、アングルランド王、リチャードその人かもしれないという。
「いきなり、大物が釣れたではないか。偶然だろうが、僥倖でもある」
 ラシェルが言うと、隣りのブランチャは微かに頷いた。
 アングルランド王リチャード一世。冒険王リチャードの通り名は、かつてのあだ名が冒険王子だったということに由来する。そして冒険王子と呼ばれていた頃は、あの大陸五強の一角でもあった。
 新世界秩序崩壊後に呪いを受け、数年間生死の境を彷徨っていたという。しかし死地から甦った王は、形相も体格も変わってしまったとはいえ、以前と同等かそれ以上の力を手に入れたという噂だ。
 噂は、耳半分で聞くべきだと思っても、少なくともリチャード王が、かつて大陸五強と呼ばれていた頃に近い力を取り戻していても不思議ではない。ラシェルはそう思っていた。現に今のように軍を率いるようになってから、リチャードは一度として戦場で敗れていない。その全て、相手を打ち砕くかのような圧勝である。
 ラシェルは地図で周囲の地形を確認した。西に南北に伸びる低い丘を除いては、平坦な地形である。丘に布陣することも考えたが、相手は騎馬が半数と、機動力に長けた部隊である。丘の奪い合いをしている間に、逆落としをくらっては少々分が悪い。ならば逆落としの勢いを持続するには遠過ぎる、今の位置で迎え撃つのが得策だろう。どっしりと腰を据えた戦は、ラシェルの得意とするところである。
「ここで迎え撃つ。本格的なぶつかり合いは明日になろうが、敵の近さから夜襲も充分考えられる。陣を張り、篝を焚け」
 ラシェルは呼び寄せた将校にそう伝え、細かいことはブランチャが指示していく。
 軍全体が、西に向かって陣を張ろうとしている。ラシェルは東、後方に下がり、その様子を見守った。全体としては緩やかな方陣である。敵の出方によって、陣形は柔軟に変えるつもりだった。
 日が、段々と傾き始めた。いつの間にか、顔の傷に触れていた。ラシェルには右目の上から左頬にかけて、長い傷痕がある。
 斥候から次々と報告が入る。リチャードの軍は騎馬を前面に、そのまま進軍を続けているのだという。
「ここでリチャードを討ち取れれば、戦局は大きくこちらに傾くな」
 両国主力を率いての決戦ではない。仮にリチャードを討ち取ってもパリシの包囲がすぐに解かれるかは不透明である。現王が死んでも、時を経ず次の王が立つだろう。
 一番良いのは、リチャードを捕縛することだ。人質交渉で、パリシ解放のみならずおまけがついてくることだろう。しかしそれができるほどに、甘い相手だとは思っていない。本気で殺しにかからねば、勝利すら危ういものとなる。兵力はそれぞれ一万と、互角なのだ。
 ラシェルの武勇、少なくともラシェル個人に限れば、辺境伯領随一と自負している。飛竜に乗った、オークの大族長の首を落としたこともある。リチャードの強さはあれと同等か、それ以上か。できれば後者であってほしい。強い相手とやり合えると思うと、胸が高鳴る。
 そして強い相手など、この戦斧でいくらでも屠ってきた。
「あれは・・・」
 珍しく、ブランチャが感情のこもった声を洩らした。その目は、大きく見開かれている。
「どうした」
 ブランチャは答えない。ただ紫色の瞳が、丘の一点を凝視しているだけだ。
 視線の先。ラシェルにもようやく見えてきた。
 南北に長く伸びる丘。その稜線に、無数の騎影が並んでいた。中央の一際大きな騎影。リチャードか。
「馬鹿な。斥候は何をしていた」
 その大きな騎影を先頭に、騎馬隊が丘を駆け下りてきた。速い。だが距離はある。逆落としの勢いはここまで保てまい。そう頭で考えていても、心理的な圧迫感はその唐突な登場とあいまって、半端なものではなかった。
「全軍迎撃態勢。敵はもう迫っているぞ」
 丘を駆け下りたリチャードの騎馬隊は、平地に下りると、さらに速度を上げた。丘を駆け下りる時はむしろ速度を緩めていたのだと気づき、先程の疑問はたちまち氷解した。あのように速過ぎる騎馬隊では、こちらの斥候など簡単に追い抜いてしまったことだろう。
 あれがリチャードか、などと確認の必要もないだろう。巨躯である。聞いた話では、身長は二メートルと十センチか、二十センチか。馬も巨大だ。具足らしいものも大して身につけず、ぼろぼろの外套が風をはらんで激しく暴れている。怪物だな、とラシェルは思った。
 そして今、リチャードその人を先頭に、陣形らしい陣形もないまま、騎馬隊がこちらに突っ込んでくる。
「騎馬だけで突出してくるとは、舐めてくれるではないか」
 ラシェルは各部隊に、円陣を組ませた。強固な守りの陣形である。とにかくあの騎馬隊の足を止め、こちらの騎馬隊で側面を衝く。来た。
 馬腹を蹴ろうとして、ラシェルは愕然とした。最初の歩兵の円陣が、まるで土の団子を鉄の棒で貫くように、打ち砕かれている。先頭のリチャードが、その巨大な身の丈と同じくらいの大剣を振るう度、兵が数人、まるで別のもののように吹き飛ばされていた。長く伸びた白い髪と髭を振り乱し、死体の山を築いていくその様は、まさに悪鬼であった。
 前線はたやすく崩壊し、既に兵は潰走している。あっという間だった。リチャード配下の騎兵たちも、すこぶる強い。これまで戦ってきたどの怪物の群れよりも、この騎馬隊は強い。今やラシェルも、そのことをはっきりと認識していた。
 最後の陣を爆砕し、リチャードがこちらに向き直る。笑っている。楽しんでいるのか。
「お前が、大将か。少しは骨がありそうだ」
「お、おのれ」
 頭にかっと血が上り、顔の傷が焼けたように熱を持った。再び馬腹を蹴ろうとしたラシェルを、しかし鋭い声が制した。
「あれは、化け物です。一度退き、軍の立て直しを」
 ブランチャだった。褐色の腕を伸ばし、ラシェルの馬の手綱を握っている。
「その手を離せ。あの老王の首、今すぐ落としてくれる」
「頭を冷やされよ。あなたには、至急この軍を立て直す義務がある」
 それだけ言うと、ブランチャは騎馬隊を率い、リチャードに突進していった。
「くそっ」
 鞍を叩き、ラシェルは馬首を回した。
 少し駆けた所で、振り返る。一合、二合と、リチャードとブランチャが打ち合っていた。あの化け物と打ち合えるブランチャの腕に舌を巻いたが、力の差は歴然としていた。
「どうか、死んでくれるなよ」
 それだけ呟き、ラシェルは東に向けて馬を飛ばした。

 

つづく

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