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 連裝機銃で、殴り倒した。
 あの半エルフである。周囲に音を聞かれたかもしれないが、すぐに大騒ぎにはならないだろう。ジャクリーヌは、そっと扉を閉めた。
「シ、シルヴィー様には、指一本触れさせませんっ!」
 あのメイドがシルヴィーの前で、ほうきを構えていた。
「うるせえな。大声出すなよ。周りがなんだと思うだろ?」
 そのメイドも、連裝機銃でなぎ倒す。どさりと音を立てて倒れ、メイドは気を失った。確か、アンナという名前だったか。
 寝台から飛び下りるようにして、シルヴィーがメイドに駆け寄る。そのまま倒れ込み、アンナの身体に覆いかぶさった。
「お願いです。アンナの命は・・・」
「取らねえよ。用があるのはシルヴィー、お前だけだからよ」
 シルヴィーの、秋の空のように薄い瞳。似ているな、とジャクリーヌは思う。
「わかりました・・・でも、ひとつだけ聞かせて頂いてもいいですか?」
 内心恐怖に震え上がっているかと思ったが、銀髪の少女のたたずまいは、恬淡とした、というよりどこか堂々としているようにも見えた。人物なのだ。ユイル商会の跡取り娘。先代は立派な人物だったと聞く。娘にも、その血はしっかりと受け継がれていたようだ。何か貴いものに触れているという気さえした。初めて会った時も、どこか圧倒されるような気持ちになったことを、ジャクリーヌは思い出した。
「言ってみな」
「私が死ぬことで、誰かが救われるということでしょうか」
「ほう。逆に聞きたいな。なんで、そんなこと思ったんだ?」
「人は、自分だけの為に、そこまで必死になれないと思ったんです。今あなたの目を見て、そうではないかと思いました。セシリアさんたちのように強い人を相手に、あなたは・・・」
「もういい、黙ってろ!」
 ジャクリーヌは、強く目を閉じた。なんで、この娘なんだ。この娘じゃなくちゃいけないんだ。神は残酷だ。生まれ育った村を離れたあの日から、どこまでも、いつまでも、ジャクリーヌを苦しめる。
「今からお前を抱えて、ここを離れる。外に出たら、好きなだけわめきな。その後は・・・」
 猛烈な殺気に打たれ、ジャクリーヌは飛び退った。たった今自分の首があった空間を、銀閃の斬撃が駆け抜ける。
 セシリア。
「チィッ!」
 すぐに連裝機銃を構えたが、なんとセシリアは、立ち上がりかけていたシルヴィーを盾にした。えげつない。続けて飛んできた飛刀を、かろうじてかわす。ここはジャクリーヌが戦うには狭すぎる。
 迷わず、ガラス窓をぶち破った。
 庇に腰をぶつけ、通りに落ちる際に、膝をしたたかに打った。連裝機銃を取り付けたまま二階から落ちる衝撃は半端じゃなかったが、強引に痛みを振り払う。ジャクリーヌは右足の車輪を回した。内燃機関が唸りを上げる。
「ったく、カンのいい連中だぜ」
 人の行き交う通りを、場違いな白狼が駆けてきている。テレーゼだ。
「出直すぜ。今のあたしに、二人相手はキツいからな」
 逃げ切れるか。
 できなければどうなのだ、とジャクリーヌは思い直した。

 

 昨晩からの、ひどい雨だった。
「じゃ、出発しますわよ」
「はい。道中、よろしくお願いします」
 寝台に腰掛けているシルヴィーが、頭を下げる。昨日あんなことがあったのに、シルヴィーはどこか凛とした様子だった。自らも死の影におびやかされているにも関わらず、アンナとフェルサリの怪我の具合をさかんに気にしていた。怖くなかったと言えば嘘だろう。ジャクリーヌの襲撃の後、青い顔で震えていた。抱き寄せると、テレーゼの胸に顔を埋めて、ほんの少しだけ泣いた。
 馬車の扉を閉め、テレーゼは西の空を見上げた。あちらの空は、晴れている。昼前にはこの雨もやんでいるはずだった。
 ジャクリーヌは、取り逃がした。町の中をさんざん追いかけ回したが、どこかの建物に入ったらしく、それで見失ってしまった。"招かれざる者"の呪いを受ける、この身が恨めしい。あの賞金稼ぎのことだ。テレーゼにそういった呪いがあることに事前に気づいていたか、少なくとも今回のことで確実に把握したことだろう。が、ここから海までは野外の旅が続く。その弱点を利用されることもない。
 西の城門から、ミュラセの町を出る。行く手前方、西にはさほど高くない山並みが城壁のように地平線を遮っており、南側には高い岩壁。その岩壁はそのまま西の山並みと丁字に交わっているが、二つが交わっているように見える場所には、馬車が通れるくらいの道があるという話だ。今は、霧に煙っていてよく見えない。
 しかしそこには、町を追い出された者たちが作っている集落があり、随分前から賊のような存在になっているという。南からの隊商はもちろん、ごくまれに西の山を越えてくる行商に襲いかかっているそうだ。無理に通るとなれば先日のゴブリンの関所のように、大勢を殺すことになるかもしれない。相手が人間なので、その道は避けることにした。人を殺したくはないというのももちろんあるが、人間の方がゴブリンたちより遥かに狡猾である。その道しかないのなら仕方ないが、別の道があるなら避けた方がいい。シルヴィーとアンナに危険が及ぶかもしれないし、何より二人にあまり人の血を見せたくはないという気持ちが、テレーゼやセシリアにはあった。
 もうひとつ、西の山にはつづら折りの道があり、テレーゼたちの馬車で行くこともできそうだという。割合大きめの荷車で移動ができるということなので、おそらくこの馬車でも大丈夫だろうということだった。整備する者がいなくなって久しい悪路ではあるが、今回はこちらの道を取ることにした。
 雨は、町を出てすぐに小降りになった。
 今御者台に座っているのはセシリアとフェルサリだ。馬車から降りて歩いているのはテレーゼとネリー。ネリーは怪我人だが、馬車の揺れが傷に響くらしく、負傷してからは徒歩で移動していることが多い。おしゃべりなネリーだが、十分も話さないうちに息切れし始めるので、ネリーの方から話しかけてこない限り、テレーゼから話しかけることは稀だった。無口なネリーは、やはり変な気持ちがする。振り返ると、にんまりと笑って首を傾げた。左手の親指をぐっと突き立てて大丈夫と伝えているが、無理をしているようにしか思えなかった。負傷した当初に比べれば、随分血色はよくなっている。手は尽くしてあるので、後は時間が経つのを待つしかない。
 馬車の窓が開かれた。シルヴィーとアンナの話し声が聞こえる。外の景色について、話しているようだ。
「あの山を越えたら、海まですぐですわよ」
 窓越しに、二人に話しかける。
「とても楽しみです。山の上からでも、海は見えるでしょうか?」
「わたくしやフェルサリの目なら見えますわね。シルヴィーなら、どうでしょう。ぼんやりと、水平線くらいは見えるかもしれませんわね」
「もう少し高い山だったら、私にも見えたかもしれませんね」
「ふふ。でしたら、馬車で越えていくのは無理でしたわよ」
「なるほど、それもそうです。でも、山の上から見てしまうより、やはりすぐ間近で見てみたいので、よかったのかもしれません」
 シルヴィーが、にこりと微笑んで言った。
 おそらくセシリアも察しているだろうが、シルヴィーは一見元気になりつつあるように見えるが、同時に死の影も濃くなり始めている。アンナも、気づいているだろうか。
 この娘がどうしても生きたい、あるいは不死者になってでも海を見たいと、さらにその先を生きてみたいと願うなら、テレーゼには自身の吸血鬼の血を分けてやろうという気持ちがあった。しかしそれは、決して気軽な誘いでできるようなことではない。実際、テレーゼも人のまま死んでおけば良かったと思うことは、しばしばあった。
 どうしてもと願う者がおり、こちらもこの人ならと思える時、それ以外は決して分けられない血であった。確実に、人ではない道を歩むことになる。暗く、果てない道だ。
「海に着いたら、夜まで待って、シルヴィーの見たいと言っていた花火を打ち上げて差し上げますわよ。実はオルニエレの町で、こっそり仕入れておきましたの」
 その時まで伏せておこうと思っていたが、つい話してしまった。希望の薪をくべ続けなければ、シルヴィーの命の灯が消えてしまうような不安にかられたからだ。聞いたアンナが、手を叩いて喜ぶ。
「うわー、それはサプライズですねえ! 海辺で見る花火なんて、とってもロマンチックです」
「本当・・・素敵です。今から待ち遠しいです。青い海を見た後は、夜の海で花火まで見られるなんて。一度に二つの夢が叶ってしまいそうです」
「叶いますわよ。そう考えると、シルヴィーが羨ましいですわねえ」
「あ、そうそう、海を見た後は、南に下って、そこから船でレムルサに行って、セシリアさん家にお邪魔していいんですよね? それもすっごく楽しみだって、シルヴィー様とよく話してるんです」
 アンナが元気いっぱいに言う。その話は初耳だが、セシリアがそう言っていたのだろう。
「テレーゼさんの部屋は、武器でいっぱいだって聞きましたよ。そんなんで、部屋が爆発しないんですか? ほら、テレーゼさんって煙草吸われるじゃないですか」
「あるのは銃器で、火薬は本当に最小限のものしか置いてませんわよ。人の部屋を火薬庫や武器庫みたいに言わないでくれます?」
「あ、そうなんですかー。私、壁一杯に並んだ銃が全て装填済みで、部屋のあちこちに火薬の樽が転がっているのだと思ってました」
「そんなわけないでしょう、まったく。あ、でもいつも、これだけはすぐに撃てるようにしてありますわね。一丁でもそういう銃があると、あながちアンナの言うことも的外れではないかもしれませんわねえ」
 テレーゼはいつも腰に下げている、愛用の三連発銃を指さした。名を、バルギルという。前の世界で親しくしていたドワーフの職人の名だ。今も、数少ない友人の一人だと思っている。
「一応定期的に火薬は入れ替えてますけど、特殊な機構で、あまり火薬が湿気ませんの。わたくしの、宝物ですわね」
 この銃の真価はそんなつまらないことではなく、テレーゼの技の為に作られた、唯一無二の銃というところにある。この銃で、テレーゼは弾道を曲げる技を完全にものにした。他の者には決して真似ができない。あまりに頑丈に、そして完璧に作られているというだけで、機構自体は滑空式の銃身を持つ、ただの拳銃なのだ。機構自体が特殊で、撃てば誰にでも弾道を曲げられるというものではない。
 シルヴィーが興味深そうに、テレーゼの話を聞いていた。ただ話を合わせている振りをしているのではなく、シルヴィーは自分の知らないことだったら、何にでも興味を示す性格のようだった。好奇心が強いというよりも、何か器が大きいという気がする。狭量で浅い知識を、世界の全てだと思う類の人間では決してない。
 子供の頃は、一日中本を読む生活だったそうだ。病を持たずに生まれていれば、父の後を継いで、立派な、いや恐ろしく物流自体に影響を持つ商家の主となっていたのではないか。物静かなたたずまいの中に、有り余る才能と、限りない未来が待っているはずだった。
 そういえば、セシリアがシルヴィーに接する時の態度は、彼女が認めた人間にしか示さないような、彼女独特の何かがあるような気がする。相手が王侯貴族でもあのどこか周囲を圧するような態度は同じなのだが、時折セシリアは、認めた相手を眩しそうに見つめることがある。彼女もおそらく、自分と同じような気持ちになっていることだろう。
 一代で商家を起こした才気あふれる父の血と、魔物巣食う地を踏破していった冒険者の母の血。そこに、テレーゼが持つ、強力な吸血鬼の血を加えられたら。
 テレーゼは、考えを追い払うように首を振った。
 何か察するところがあったのか、シルヴィーは悲しげな瞳でテレーゼを見つめていた。

 

 つづら折の道の登り口は、南にあるようだった。
 そちら側に馬車を向け、セシリアは空を見上げた。
 雨はすっかり上がり、空は今晴れ渡っている。雨で上りの道は多少ぬかるんでいるだろうが、もし車輪がはまってしまっても、テレーゼの怪力でなんとかできるだろう。人外の膂力は、旅先ではいつも心強い。
 そのまま南下を続け、麓の登り口に着いた。ここから西の山を上っていくわけだが、南にある岩の絶壁は、近くで見ると中々の壮観だった。高さは、五十メートルくらいだろうか。その岩壁の下を、川が流れている。先程までの雨のせいで、水量は多い。普段は穏やかな流れと聞いたが、今はごうごうと音を立て、川岸に水しぶきを飛ばしている。
 川岸には道と言って充分な幅の平地がある。ここを西に直進するのが最短だが、谷にはミュラセを追放された人間が賊徒と化して集落を作っている。ここは迂回することに決めていた。
 山越えは、一日ばかり余計にかかるが、致し方ない。シルヴィーの身を案じる一方で、あるいはその方がシルヴィーをあと一日でも長く生きさせてやることができるのではないか、という嫌な考えもある。結果、何がどうなるかはわからない。ただ、シルヴィーにはこちらの道を選択することは伝えていた。
 一刻も早く海に辿り着かねばと思う一方、一日でも長く旅を続けていたいような気持ちにもなる。
 少し難儀しながら、馬車が山の道を上っていく。このまま斜面に沿って北上し、道を曲がり、また南に引き返す。そして北への道。繰り返している内に、山の頂上に着く。下りも同様のつづら折りの道があるということなので、時間さえかければ大きな危険なく山を越えられる。想定していたよりも道幅がありその点は楽だったが、道自体は多少ぬかるんでいるので、折り返しの道の部分では、テレーゼの力を借りることになるかもしれない。馬も、途中で休めてやる必要があるだろう。夜には山の上に着けると判断した。そこで、夜から野営の準備ということになるが、今晩は仕方ない。
 つづら折りを六往復半。直進するところはまったく問題なかったが、引き返す所は、四頭立てではかなり難儀した。ジャクリーヌたちの馬車は、川沿いの道を選ばざるを得ないだろう。時間も体力も、かなり使ってしまっている。馬が保たなくなってきたので、一度、休憩を取ることになった。
 セシリアとフェルサリで、馬の手入れをする。一通り終えて、セシリアは立ったまま軽食を口にした。テレーゼがシルヴィーたちと、ネリーの様子を気遣っている。セシリアは辺りを見回した。
 山に生えている木は幹が太く、そのせいで上る前に見た時より、大分まばらな印象があった。ただ、空のほとんどを緑が覆い尽くしている。時折涼しい風が、セシリアの頬を撫でる。木漏れ日が、馬車の上に降り注いでいた。
「ほら、私たちが来た道が見えるわ」
 フェルサリに言って、下方を指さす。この辺りは特に木々の間隔が広く、斜面を道が何重にも、左右に広がっているのが見える。麓の道も、ここからなら見えた。洞窟の出口のように、そこだけ直接太陽の光が当たっていた。
「歩きだったらこんなに時間をかけず、一気に駆け上ってこれそうね」
「はい。ちょっと、大変そうですけど」
 フェルサリが、少し困った顔で頷く。遮る地形がなければわずか数キロの距離でも、山越えとなると一日がかりの旅程となる。
 唐突に、麓に六頭立ての馬車が姿を現した。
 いや、ジャクリーヌたちが追ってきていることは充分想定していたのだが、ここまでの近距離で接触することは考えてなかったので、全くの不意打ちだった。
 びっくりしたのは、麓にいるユストゥスも同じだったようだ。こちらに気づくと慌てて馬車を止め、中に向かって声を上げている。すぐに、ジャクリーヌが飛び出してきた。連裝機銃は整備中だったのか、銀の義手に、長銃を小脇に抱えている。火薬と弾丸の入った幅広の帯を、走りながら腰に巻き付けていた。
「迎え撃つわよ! テレーゼ、銃を借りるわ」
 三連発長銃と弾薬を手に取り、テレーゼと二人、前方の巨木の陰に入った。フェルサリとネリーには、馬車を盾に後方で待機させる。ジャクリーヌがそちらに向かった時の備えだ。
 セシリアは、素早く長銃に弾を込めた。同じく木々に隠れているジャクリーヌを探す。微かに、木の葉を踏む足音はする。まだ距離はあり、こちらが山の三合目辺りだとすると、一合目付近か。
 ぶんぶんという、以前にも聞いた羽音がした。ユストゥスと対峙した時に見た、例の機械仕掛けの小兵器だ。人の頭ほどのそれが二機、半透明の羽を羽ばたかせて、こちらに向かってくる。
「あれは、目の部分から魔法の矢を飛ばしてくるわ。威力はないけど、気をつけて」
「了解ですわ」
 言い終わるよりも早く、テレーゼはその内一機を撃ち落とした。しかし一度地に落ちかけたその球体は、再び上昇を始める。弾丸は確かに命中し、球体の下部に穴を穿っていたが、運動性能が落ちた様子はない。
「あら、意外とタフですのね」
「目と羽の部分以外は、重要な機関じゃないのかも。実際、下部は空洞だったみたいね」
 球体が木の陰に入るのを見やりながら、テレーゼは今撃った銃身に弾を込め直す。全て撃ち終える前に弾を込めるのは危険だが、テレーゼは手元も見ずにそれをやっていた。さすがに何百年も銃を扱っていただけはある。まるで淀みのない動きは、呼吸と同じようなものなのだろう。
 セシリアは腰を落として駆け、別の木の陰へと移動した。あの絡繰りはテレーゼに任せ、ジャクリーヌを警戒する。彼女が再び移動した音は聞こえたが、音が木々に反響し、あるいは降り積もった木の葉に吸い込まれ、正確な位置はわからない。それにあの絡繰りの羽音がうるさかった。雑音が木々の間を拡散する。
 気づくと、ジャクリーヌの位置を、完全に見失っていた。振り返り、身振りでテレーゼに問いかけるが、彼女も小さく首を振っている。
 不意打ちで準備不足だったとはいえ、それは向こうも同じだった。これまでもそうだったが、ジャクリーヌは与えられた環境と状況を利用して戦うのが実に巧みだ。本来それはセシリアの得意分野と自負している為、少し苦々しい思いもある。
「囮になるわ。位置を特定して」
 テレーゼに向かって言う。吸血鬼は心配げな眼差しを寄越したが、一応頷いてはいる。
 頭を腕甲で庇い、セシリアは三本先の木に向かって駆けた。銃声。横腹と、頭を庇っている腕に被弾した。ぞっとするような、正確な射撃だ。
 セシリアは再び木を遮蔽物とし、大きく息をついた。ミスリルの鎧を貫ける武器などそうそうないが、衝撃は相当なものだ。被弾箇所は、金槌で殴られたように痛む。後で大きなあざになっているだろう。鋼の板金鎧と比べて衝撃を吸収するミスリルでもこれだ。かなり、威力の高い銃を使っている。それでいてこの精密な射撃だった。
 斜面の上の、テレーゼの方を見上げる。何か言いかけたテレーゼだったが、銃口でジャクリーヌの位置を指し示す。遠い。距離を詰めることも考えたが、セシリアはもう一度、来た道を全力で引き返した。腹に、もう一発被弾した。ジャクリーヌの長銃が三連発なのは見ていたので、それ以上の被弾は心配せずに駆け戻った。滑り込むようにして、テレーゼの元へ辿り着く。
「まったく、無茶しますのねえ」
「こちらも、利用できるものは利用しようと思ったのよ。骨は折れてないと思うけど、正直かなり痛いわ。顔を庇ってて見えなかったけど、何か気にかかることがあったみたいね」
「二つ、気になりましたの。一つ目は大したことではありませんわ」
「言ってみて」
「ジャクリーヌは、ウチのピーター並みに射撃が上手いですわね」
 ピーターとはセシリアのパーティの狙撃手で、長銃の扱いは群を抜いて上手い。実際、セシリアはピーター以上の狙撃手に出会ったことはない。
「あらやだ。それは深刻な事態ね。あなたが言うんだから、間違いなさそうだし」
「長距離で、ピーターほどの腕前があるかはわかりませんけど。でも彼女、走りながらあなたを撃ちましてよ」
 駆け撃ちは、自らが静止して射撃するのに比べ、要求される技量は遥かに高い。対象が動いていれば尚更だ。テレーゼの言う通り、銃の射程ぎりぎりの射撃にどれほどの腕があるかはわからないが、こと駆け撃ちに関しては、ジャクリーヌの技量はピーター以上なのかもしれない。セシリアが被弾した箇所は、もしミスリルの装甲がなかったら、即死していてもおかしくはない場所だ。
 斜面の下の方から微かに、込め矢が銃身をこする音がする。もう、三発目を装填し終わっているだろう。
「嫌になるわねえ。で、もうひとつは?」
「一度もあの木から顔を出さなかったのに、あなたが出てきた瞬間に、射撃を始めたということですわね」
「正確に、私の位置を把握していたということね」
 セシリアに比べ、ジャクリーヌの聴力が飛び抜けていいということだろうか。目視という部分では、セシリアはジャクリーヌの位置を特定できなかった。林立する木を遮蔽物として利用してきたつもりなので、こちらが見えなかったということは、あちらからもよくは見えなかったはずなのだ。
「わたくしが思うに、あれかしら」
 テレーゼは、羽音を響かせて飛び回る機械仕掛けを指さした。緑色に光る目を明滅させ、セシリアたちとジャクリーヌの位置の中間位を、ゆっくりと飛び回っている。セシリアは、その動きを注視した。先程セシリアがいた木の辺りでは、あの機械仕掛けはこちらを見てはいなかった気がする。あれで見ている、というのはいかにもありそうな話ではあったが、そうではないだろう。
「いや、違う。でもあれが何故こちらに飛んでこないかわかった。また撃ち落とされるのを警戒してるってのもあるだろうけど、あれはジャクリーヌに何か信号を送っているのよ。目が、チカチカと光っているでしょう?」
「こちらの位置の特定自体は、別の手段があるということですの?」
「あれをユストゥスが操っているということで、肝心なことを忘れてたわ」
 テレーゼにも、セシリアの考えていることがわかったようだった。
「まさにユストゥス、ですわね。彼がこちらの位置を把握し、あの機械仕掛けでそれをジャクリーヌに知らせてた」
「多分ね。透視の魔術でこちらを見ているのかもしれない。あるいは、透視の魔術は知覚の魔術に属するようだから、他の感覚器官、そうね、耳で得た情報かもしれない。後者なら、この話も筒抜けよ」
「どちらにせよ、思ったよりピンチですわね。二丁の銃で一丁の銃に負けたとあっては、いい恥さらしですわ」
 話は、ここまでだった。
 セシリアは、麓に向かって、駆けた。
 頭を庇わない。全速で駆け下り、目標の木の根元に滑り込む。ジャクリーヌからの一発が、肩をかすめる。どの木に隠れているか、はっきりと見た。
 向こうもそれに気づいたのだろう。木の葉を巻き上げながら車輪を走らせ、隣りの巨木に移動した。セシリアも三度、引き金を引く。二発が命中したが、翻るスカートの先だった。
 互いに、素早く弾を込める。先に装填し終わったジャクリーヌが、こちらに向かって駆けてくる音が聞こえる。セシリアが半身を乗り出して銃を構えると、手近な木の陰に姿を隠す。
 薬を使っている気配もないのに、いい闘争心だった。自分のパーティで、セシリアとテレーゼが揃っている時に喧嘩を売ってくる人間はそういない。あえてそうしてくるのは余程の馬鹿かこの業界に疎い者だけで、ジャクリーヌはそのどちらでもない。
「あなたを好きになりかけてきたわ、ジャクリーヌ。殺すのは惜しい」
「言ってろ」
 銃声が、木立の間に響く。テレーゼが、絡繰りの一機を撃ち落としたようだ。もう一機。セシリアの位置から狙える。
 セシリアは慎重に狙いを定めた。引き金を、引く。
 機械仕掛けの緑の目が火を吹き、それは力なく地に落ちた。まだ羽ばたいている羽が、木の葉を巻き上げている。
「やるじゃねえか」
「"目"を、二つとも潰したわよ」
「替えはいくらでもあるんだよ。つっても一機こしらえるのに金貨で五枚かかる。どんどん出してたら、スッカラカンになっちまうな」
 新たに二機の機械仕掛けが、麓の方から飛んできたが、ジャクリーヌはあれに頼るのをやめたのか、既に移動を始める気配がある。
 これで五分の勝負のはずだった。が、ジャクリーヌ相手に銃の撃ち合いをするというのなら、やはりセシリアの方の分が悪い。
 外套を、木の枝にかけた。ジャクリーヌが大体どこにいるかの見当はついている。風になびく外套の端は、あちらから見えているはずだ。その反対から飛び出す素振りを見せ、実際に半身を出す。すぐに外套をかけた側に戻り、身を乗り出して銃を構えていたジャクリーヌを撃った。
 もんどりうって倒れたジャクリーヌはしかし、呻き声一つ上げずに元いた場所に戻った。姑息な手だがこれでひとつ、気持ち的に有利な形に持っていけた。
 どの程度の負傷だったのか、セシリアは耳を澄ませて反応をうかがった。例の減らず口が飛んでくるかと思ったが、代わりに投げて寄越してきたのは、火のついた発煙筒である。
 思わず舌打ちし、セシリアは外套を掴んで別の場所に移動した。風は麓から吹き上げており、みるみる視界が覆われていく。
 まずい状況だった。視界がなくなるのは互いにそうであるはずだが、逃げるのではなく追ってくるはずのジャクリーヌがこれを使うということは、視界のない状態でも攻撃できる手段があるということだ。
 こちらの馬車の方を見上げると、白いドレスを翻し、テレーゼがそちらの方に駆け戻っているところだった。一度馬車の後ろに戻ったテレーゼだったが、戻って来た時には大筒を小脇に抱えていた。そのまま腰だめに、発射態勢に移る。何を狙っているのか。
 砲が火を吹き、轟音が木立を揺るがした。
 砲弾は一度斜面を跳ね、唸りを上げて麓の馬車に命中した。
 中にいるであろうユストゥスを狙ったのかもしれないが、当のユストゥスは、別の場所から現れた。セシリアもそうだが、テレーゼにもそれは予想外だったらしい。麓近くの木に隠れていたユストゥスが、馬車の方に駆けて行く。
 しかしそれよりも予想外だったのは、同じく銃を投げ捨て、煙幕の中から斜面を転がるように駆け戻って行くジャクリーヌの姿だった。戻ったことも予想外だが、それ以上に、セシリアのすぐ近くにいたのだ。気づかなかった。テレーゼの砲撃があと一歩遅かったら、セシリアは今頃背後から致命傷となる一撃をくらっていたのではないか。
「すぐに、馬車を出して」
 セシリアは言い、再び歩み始めた馬車を追いかけた。麓を振り返る。
 前輪を破損した六頭立ての馬車が、均衡を失い、今にも前に倒れそうだった。ジャクリーヌが車体を背中で支えながら、ユストゥスに何か叫んでいる。
 その光景も、霧のように立ちこめた発煙筒の煙で、すぐにかき消された。

 

 

 馬車の中で、夕食を取っていた。
 シルヴィーとアンナ、そしてフェルサリの三人だ。他の三人は、外で焚き火を囲んでいる。山の頂上まで来ていた。険しい山ではなく、勾配のきつい丘といったところで、今いる頂上の辺りも、なだらかな台地といった感じか。月が、出ている。
 日が落ちてから、シルヴィーの容態が、悪くなっていた。寝台から立ち上がれなくなってしまったのだ。
 シルヴィーたちは馬車の中で食事を取ることになったのだが、せっかくだからということで、フェルサリが馬車の中に招かれた。むしろシルヴィーとアンナ、二人だけの方が気兼ねなく過ごせると思ったのだが、せっかくの誘いを断るのも悪い気がして、フェルサリはここで食事を取ることにしたのだった。シルヴィーは体調が悪いといっても痛みや吐き気があるわけではなく、ただ、うまく身体が動かせないのだという。食欲はあるのだと言っていたが、ひょっとしたら自分たちの作る料理を楽しみにしていて、それで無理をしているのではないかとも思ってしまう。食事を持って馬車の中に入ると、銀髪の少女がいつもの微笑を浮かべてフェルサリを待っていた。
 スープの入ったカップを、寝台の上の机に置いた。シルヴィーがにこりと微笑む。アンナがその横に座り、甲斐甲斐しく食事の世話をする。慣れた手つきだった。過去にもこのような感じで、一人で食事をできなかったことがあるのかもしれない。
 今晩の食事は、フェルサリの好きなオニオンスープだった。中のバゲットの上にチーズが乗せてあり、それがほんのりとスープの中に溶け始めている。
「・・・すごく、おいしいです。好物と聞きましたが、フェルサリさんは狩人だった頃、よくこれを?」
「チーズは時折といった感じでしたが、オニオンスープはよく食べていました」
「なんか、私が作るのより味が深いですねえ・・・しかも、結構食べごたえあります。この味、覚えました。今度は私が作りますよ、シルヴィー様!」
 バケットを指でつまんでチーズの糸を口の端から伸ばしながら、アンナが元気よく言った。
 このシルヴィーお付きのメイドは、ほとんどの行動が大雑把でいい加減だが、料理の腕はすこぶる良い。旅の間、何度かアンナが調理を担当した。どれももう一度食べたくなるような、いい味だった。セシリアの作ったこの味も、すぐに再現してみせるだろう。
 二人きりになった時に、料理の話になったことがあった。フェルサリが聞いてみると、おいしいものを作ると、シルヴィーはたくさん食べてくれたのだそうだ。たくさんと言っても、一口しか食べられそうにない時も二口、そんな程度だったが、それでも良い物が作れた時は、シルヴィーはいつもより食べた。それで、料理をする時は本当においしいものを作れるよう、心がけているのだという。アンナがシルヴィーの食事を作り始めたのはつい最近、使用人たちが屋敷を離れていってからで、つまりはわずか数ヶ月で料理の達人になったということだった。それまでは料理らしいものはほとんど作ったことがなく、自分一人の食事なら、パンとチーズの欠片があればいい、といった感じだったらしい。
 ひょっとしたらアンナは自分に似ているのかもしれないと、フェルサリは思った。フェルサリがセシリアに尽くしたいと思っているように、アンナはシルヴィーのことが大好きなのだ。
 そしてフェルサリは、この二人のことが好きになっていた。
 フェルサリは、壁に掛けられた絵に目をやった。海の絵。岬を描いたものなのかもしれないが、海が主題の絵だと、フェルサリは感じている。どこか荒々しくも、同時に繊細さを感じさせる筆致は、シルヴィーの母の性格を表しているのかもしれない。
「あ、私、食器お片づけしてきますね」
 アンナが三人分の食事をまとめ、外に出て行った。
「・・・アンナさん、いい人ですね」
「本当に。彼女みたいな友だちに出会えたことを、とても幸運に思っています」
 表向きは主人とメイドという形を取っているが、二人は友だちなのだ、とフェルサリは思った。
「素敵な友だちですね」
「みなさんのことも、そう思っていますよ。もちろん、フェルサリさんも」
「わ、私なんかは・・・」
「では、私の片思いということにしておきますね」
 ふふ、と笑って、シルヴィーは言った。何故かフェルサリは、その言葉に安心していた。不思議な気持ちだった。
「私も、アンナさんみたいにシルヴィーさんのお役に立てたら」
「役に、立ってくれていますよ。本当はそんな言い方はよくないんですけど。一緒に旅をして、私を守ってくれて、こうして私の傍にいてくれる。私は今、とても幸せです」
「でも、私はみなさんの足を引っ張ってばかりで・・・」
「フェルサリさんを見ていると、元気と、勇気をもらえます。今日も、頑張って生きていこう。そんな気持ちになれます」
 気遣いもあるだろう。しかしフェルサリは、シルヴィーがそんな目で自分を見ていることに驚いた。
「フェルサリさんの夢はなんですか? 俯きそうになりながらも、いつも何かを夢見ている。そんな印象です」
 自分の中にある屈託と、どうしても目を逸らせないまぶしいもの。この少女には、もっと早く出会って、もっと色々なことを話しておけばよかったという気がする。
「・・・母さんの力になれれば、と思っています。あまり何かを夢見て今の暮らしを選んだのではなく、そう思い続けてきた今の連続が、今日だったのかもしれません。でも夢といっていいのなら、そうありたいと思います」
 言葉が、淀みなく胸からこぼれ落ちる。
「先のことよりも、今をしっかりと見つめてるんですね。そういうところは、私と近いのかもしれません。私たち、似た者同士かもしれませんね」
 言われると、そうかもしれないという気がしてくる。少し前は、自分はアンナに似ていると思っていた。やはり不思議な人だ、とフェルサリは思った。フェルサリはシルヴィーを見つめた。
「・・・私には、夢ができました。母の描いた海を、私の目で見て、感じる。その時何か思うことができたなら、私は母さんに出会うことができるのだと、そう思っています。私は、母さんに会うことが夢なんです」
 形見の絵の場所に行きたい。海を見たことがないので見たい。シルヴィーの願いはただそれだけのことと思い込んでいた自分を、フェルサリは恥じた。
 シルヴィーの夢は、まだ見ぬ母に、出会うことなのだ。
「叶わないから夢、叶わないから美しい。そう思い定めてきました」
 フェルサリは、シルヴィーの細い肩に目をやった。少し前までふわふわとした美しい銀の髪が、その肩にかかっていたのだという。シルヴィーは、窓の外を見ている。
 窓際に、小さなぬいぐるみが二つ、こちらに背を向けて並べられている。アンナが作ったシルヴィーとアンナのぬいぐるみで、シルヴィーを模したそれは、長くやわらかな銀の髪が、腰の辺りまで伸びている。二つのぬいぐるみが、星の瞬く夜空をじっと見つめていた。
「・・・でも、叶う夢も、きっと美しいですよね。そういうものだと、みなさんに教えてもらいました」
 窓の外では、アンナが三人と話をしている。シルヴィーはそちらに目を向け、まぶしそうに目を細めた。
「この旅の途中、アンナに夢はあるかと聞いたんです。私が幸せに生きることが夢だと言ってくれました。だから私は、あと少しだけ、わがままに生きてみようと思っています」
 たった今、何かわかり合えそうだと思っていたシルヴィーが、不意に手の届かない存在になった気がする。フェルサリは首を振った。いや、気のせいだと言い聞かせる。
「アンナには、たくさん苦労をかけました」
 焚き火の前のアンナは、頬を膨らませ、拳を振り上げていた。ネリーが腹を抱えて笑い、セシリアとテレーゼは、やれやれといった表情で紫煙を吐き出している。旅の間、何度も見てきた光景だ。懐かしいものを見るように、シルヴィーはそれを見つめている。
「その分、これからは幸せになってほしいと思っています」
「アンナさんは、今でも幸せだと思います。シルヴィーさんと、一緒にいられますから」
 フェルサリが言うと、銀髪の少女は寂しそうに微笑んだ。
 屋敷から人がいなくなった後、逆にアンナがシルヴィーを養うような形になった。アンナが、何をして日々の糧を得ていたのかは知らない。それは人には言えない、聞いてもいけないことだったのかもしれない。
 そしていつかそれを、フェルサリはアンナに聞くべきなのかもしれない。
 シルヴィーの目を見て、フェルサリはそんなことを考えた。
 アンナが、馬車の中に帰ってきた。シルヴィーの方を見るなり、慌てて、それでいて慎重な手つきで横にならせる。気がつけば、シルヴィーの呼吸は荒くなっていた。
 フェルサリが馬車を出ようとすると、その手が握られた。シルヴィーの手だ。
「あなたの夢が、叶いますように」
「今の私の夢は、シルヴィーさんに海を見せることですよ」
「ありがとう。本当に」
 その手が、シーツの中に戻される。呼吸が、段々と規則的になっていく。
 何か大切なことを、お互い言い出せなかったような気持ちに、フェルサリはなっていた。シルヴィーの伝えたかったこと、フェルサリの伝えたかったこと。しかし言葉に出さなかっただけで、今はまだわからないというだけで、伝えるべきことはしっかり伝えたのかもしれない。
 アンナが、初めて見せるどこか大人びた眼差しで、シルヴィーのことを見守っている。
 気がつくと、何か安心したような顔で、シルヴィーは眠りについていた。

 

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