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 セシリアが、キセルに火をつけた。
 フェルサリは針と糸を湧かした湯で消毒し、慎重に手に取る。それで、アネッサの傷を縫っていった。傷は深いものもあるがきれいなもので、ほとんど傷痕も残らないだろうと、セシリアは煙を吐き出しながら言った。
 傷の縫合に関しては、前回の冒険から帰ってきた後、一週間もなかったが、その間ずいぶんと練習した。鳥や豚の肉を買ってきて、切れ目を入れ、それを縫うのである。セシリアに言われて始めたのだが、彼女自身も、そうやって練習したのだという。
 アネッサが時折びくりと身をすくませると、フェルサリもつられてびくりとしてしまう。さらに血がにじみ始めると、中々冷静に作業することはできない。獣を捌くのは得意でも、逆のこととなるとそうそう簡単にはできないものだ。
「で、この後はどうするの?」
 フォティアの大広間を見上げながら、セシリアは言う。アネッサに聞いたのだろう。
「・・・しばらくはまた、旅に出ようと思う。フォティアの民が各地に散らばってるから、その人たちと会って、話し合うこともあるし」
 縫い終わった傷に当て布をし、包帯を巻く。全て終わると、上着を羽織り、アネッサは微笑んだ。
「ありがと、フェルサリ」
「あ・・・あ、いえ・・・」
「で、その子・・・じゃなかった、フォティア神は?」
 セシリアが聞くと、小さな女の子の姿となったフォティアは、アネッサの袖口を掴んだ。
「フォティア様も、一緒に。本当に長い間、ずっとここにいらっしゃったけれど、外の世界も見てほしくて」
「そう。ま、私たちみたいに、振り回さないであげてほしいものね」
「セシリア・・・ごめん」
「・・・まあ、これであなたの気も済んだでしょう? 聖堂騎士を呼んで欲しかったみたいだけど、思惑通りにはいかなかったわね」
「・・・そうだね。こんなことになるなんて、夢にも思わなかったよ。ううん、夢には見てたかな。あなたたちと出会って、もしかしたらって、ちょっぴり思ってた」
「こちらとしては、死にに行くって言ってる人間を、ほっとくわけにはいかないからね。夢に出るわ」
 ネリーが笑顔でチョコレートを差し出すと、フォティアはよちよちとした足取りで、そちらに歩いて行った。
「ふふ、あなたたち、強いのね。びっくりした。まあ、セシリアは私よりずっと強いと思ってたけどさ」
「あなたも、捨てたもんじゃないわよ。ただ、やり方がまずかったわね。ややこしいこと考えないで、最初から私たちに頼めばよかったのよ」
「いやいや、飛び入りでパーティに混ぜてもらったのに、さらにこんな大事に巻き込めると思う?」
「まあ、それもそうかもしれないわね。色々言いたいことはあるけれど、小言はやめておくわ」
 セシリアが言うと、アネッサは弾けるような笑みを浮かべた。こんな笑い方もできるのだ。フェルサリは、そう思った。
「・・・セシリア、ありがとう。あなたたちのおかげで、本当に助かった」
 セシリアはよくわからないというように、軽く首を傾げた。オルガの時にも見せた、セシリアなりの返礼だった。
「もう歩ける? 私たちはそろそろ引き上げるけど」
「うん。でも、もう少しだけ、ここにいたいんだ。まだ、ここの探索時間は残ってるでしょう?」
 セシリアはフォティアの間の一番奥に赤いチョークで印をつけてたら、懐中時計を取り出した。
「充分。六時間しか経ってないもの。あと、十八時間もあるわ」
「ん・・・」
 アネッサは頷き、目を閉じて微笑んだ。何かを、懐かしむような表情だった。
「思い出に浸るのは、いつでもできるわ。もちろん、今はあなたの邪魔をするつもりはないけど」
 セシリアは、隠しから、折り畳まれた封筒を取り出した。この場所の権利書だ。それを、座ったままのアネッサに差し出した。
「はい。あなたのものでしょう?」
「え・・・?」
 アネッサは大きく目を見開いて、セシリアを見上げる。
「ったく、びっくりするほどの大損よ。私のポケットマネーでやったことだから、パーティに損失出なくてよかったけど」
 優雅な手つきでキセルをしまうと、セシリアはアネッサに背を向けた。
「じゃ、もう行くわね。持ち主が見つかってよかったわ」
「こんな、ど、どうして・・・」
「あるべきものを、あるべき場所に、ね」
 セシリアは大扉の方に歩いて行った。ネリーもアネッサとフォティアに手を振り、後に続いた。フェルサリも残る二人に頷き、セシリアたちを追う。アネッサの目に、光るものがあった。
 螺旋階段に足をかける前に、フェルサリは広間を振り返った。俯き、肩を震わせているアネッサと、こちらに向かって手を振っているフォティアの姿が見える。
 フェルサリも笑顔で、もう一度手を振った。

 手続きを済ませ、宿へ戻った。
 権利書はアネッサに渡したので彼女に優先権があったが、探索の書類ではセシリアということになっていたので、後で齟齬がないよう、修正して申告しておいたのだ。
 とりあえず熱い風呂で汗を流してから、楽な服に着替え、もう一度街へ繰り出す。
 路面列車をつかまえて、一行は東西亭へ向かった。昼食は取らなかったが、もう日は沈みかけ、蒸気の街を橙色に染め上げている。
「もうお腹ぺこぺこだよう」
 ネリーが、なんとも情けない声で言う。
「あなた、探索中も、お菓子食べてたでしょうに」
「お菓子は別腹だって。ね、フェルサリ?」
「えっ? わ、私ですか・・・?」
 東西亭に入り、メニューに目を走らせる。ヒノモトのそばは、今日もメニューにはないようだった。まだ早い時間で客の入りは少なく、暖炉の近くの席に腰を下ろした。
「さてと、あなたたちの報酬に関しては、どうしようかしらねえ」
「あ、あたしはいいよ。ていうかあたしとセシリアで、フェルサリの分の報酬を出そう。あ、私カレーね。ナンじゃなくて、ライスにして」
 ネリーが女給を呼び止めて言う。インドール発祥のカレーはナンで食べるのが普通だが、ネリーは米にかけて食べる。
「私は、子牛のステーキに春野菜のサラダ、パンの盛り合わせ、あと黒ビール。ステーキはレアでお願い。うーん、ネリーがそう言ってくれるのなら、その線で行こうかしらねえ」
「わ、私は、報酬は、いいです。前回のだけでもお金、使い切れないくらいですし・・・あ、私は、ラーメンにします!」
 フェルサリはなぜか後半に力を入れ、女給をひるませた。
「うーん、二人がそう言うかもしれないと思って、それが頭痛の種でもあったんだけど。あんたたち、そんなに人がいいと、いつか足元掬われるわよ」
「いやいや、そのお言葉、セシリア殿にそのままお返ししますって」
 ネリーの言葉に続き、フェルサリも遠慮がちに頷いた。
「やれやれ、あんたたちも言うようになったわねえ。ま、じゃあ今回は、お言葉に甘えさせて頂こうかしら。ここのお代と、宿泊費くらいは私に払わせてね」
 三人の飲み物が運ばれてくる。セシリアはビールのジョッキ、ネリーとフェルサリは水の入った木のカップだ。セシリアはジョッキを上げる。
「お疲れさま。乾杯」
 容器が打ち鳴らされ、笑顔が弾けた。
 宿に戻ると、届け物があるとのことだった。部屋に入ると卓の上に、いくつかの麻袋と、手紙が置いてあった。
 袋はどれも、ずしりと重い。口を開けてみると、中身は全て金貨だった。セシリアは手紙に目を通す。二人の為に声を出して読んだ。
「あるべきものを、あるべき場所に。正式なお礼は、いずれまた。今回は手持ちの資金、金貨三百一枚でどうかご容赦を」
 三百一枚。半端な金額に、しかしセシリアは思い当たることがある。あの遺跡の発掘権を得るための競売。三百枚と言ったセシリアに、三百一枚と最後の抵抗をした者がいた。壮年の男だったが、おそらくアネッサの意向を受けた、フォティアの民だったのだろう。知らなかったとはいえ悪いことをしたという思いもあるが、探索権を得たアネッサが単独でフォティアの間に赴いていれば、今頃消し炭になっていただろうとも思う。
「追伸。今回の顛末、私の物語のレパートリーに加えてもいいよね? 三人とも、格好よく演出させてもらうわ。いつかまた、会える日が来ると信じてる。あなたたちに、フォティアの加護のあらんことを。"かまどの語り部"アネッサより」
 二人とも、目を閉じて聞いていた。
 やがてネリーがにこりと笑うと、フェルサリも、弾けるような笑顔を見せた。

 アネッサは、ひたすら羽ペンを動かしていた。
 どうも自分は、語り部としては忘れっぽい。創話能力の欠如に加え、これもまた問題だった。数えきれないほど語ってきた物語でも、書き付けてきたものを頻繁に読み返さないといけないくらいだ。
 今は、丘の上の大きな木の下で、今回の冒険で起きたことについて、必死に備忘録を取っているところだった。アネッサの知らないところで起きたことについては適当に創作しようと思っていたが、いずれ三人に聞いてもいいと思った。会いにいく、理由にもなる。
「アネッサ・・・少し、休めば?」
 辺りをおぼつかない足取りで歩いていたフォティア神、いや、フォティアが、こちらを振り向いて言う。白い服と赤い髪が、風を受けて大きく波打った。
「あ、ちょっと待って下さいね。今、大事なところなんで」
 しかし、フォティアも手持ち無沙汰なのだろう。アネッサは鞄からクッキーの入った包みを取り出し、一枚を手渡す。丸い手でそれを受け取ったフォティアは、小さな口でそれにかじりつく。アネッサも、一枚を口に放り込んだ。
「おいしい・・・」
「ネリーに教えてもらった店で買ったんですよ。このクッキー、バターたっぷりで、おいしいですよね?」
「クッキー? バター?」
「もう、フォティア様、そういうことは何もご存知ないんですよね。何か、不思議な気分です」
 だが、言われる通り、少し休んでもいいのかもしれない。アネッサは立ち上がり、大きく伸びをした。傷口が開きかけ、思わず身を屈める。
 天気が良かったので外に出てみたが、もう宿の部屋に戻ってもいいだろう。クッキーを食べ終わると、フォティアはまたすぐに、手持ち無沙汰になる。
 フードを被らせると、少女の手を取り、アネッサは宿への道を歩いた。フォティアはよちよちとした足取りで、宿に着く前に陽が暮れてしまいそうだ。ここに来るまでにそうしたように、途中からは抱きかかえた方がいいだろう。
 これからの自分について、アネッサは考えた。巫女の血と戦士の血。その血が自分で最後だということを考えると、何らかの手を打たないと行けなかった。アネッサに、懐妊する能力はない。魔法連合領に行って、自分の身体の一部を使って、次の代を生まれさせることはできるのだろうか。いや、何としても、そういった手だては見つけなくてはならない。
 フォティアを神殿から連れ出したことについても、フォティア神を今でも信仰する者たち、フォティアの民と話し合わなければならない。いずれはあの神殿に戻るつもりだったが、フォティアをあの広間に閉じ込めておくのは避けたかった。聞くと、それはフォティアの意志であったのだという。しかしこの少女は、もっと広い世界を旅してもいいのだと思う。外の世界に連れて行くと伝えると、とてもうれしそうな顔をしたのだ。
 火は、全てを焼き尽くす。しかしそのことを恐れてはいけないのだ。まして、火に属する神の一人が、それを心配するべきではなかった。自分たちは、火に助けられてきた恩を、返すことだってできるはずだ。かまどの火を、それを危険と疎んじるのではなく、手を取り合って生きることが、できないはずはなかった。
 何よりも、火よりも無垢な輝きを持つこの少女を、あの地下室に閉じ込めておくことは出来ない。
 やるべきことは、山のようにあった。あの神殿で死ぬつもりだったので、あまりその後のことは考えていなかった。夢は見ていたが、今まさに、夢に見ていたその後の日々を、歩み出しているのだった。
 新しい物語も、早く完成させたい。思って、アネッサはなんともむず痒い気持ちになった。数多あるフォティアの伝承に、自分自身が主役となって登場してしまうのだ。
 アネッサには、長い時がある。それでもぼんやりとしていると、時などあっという間に過ぎ去ってしまう。責務とはまた別の心持ちで、やりたいことができた。いくらか、焦るような気持ちもある。
 フォティアがつまずきかけ、アネッサは慌てて手を引いた。唇を尖らせたフォティアが、しかし笑顔を取り戻して言う。
「アネッサ、もっとゆっくり歩こうよ」
 言われて、いくらか胸を衝かれる思いだった。
「そうですね・・・本当に、そうです。ゆっくりですね、フォティア様」
 アネッサは空を見上げた。慌ただしく煙と蒸気を吐き出し続けるゴルゴナ市街地を遠景に、鳥の群れが、ゆっくりと大空を旋回していた。
 ゆっくりと、動いている。
 アネッサは、小さく呟いた。

 

 

 

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