前のページへ  もどる  次のページへ

 大きな、縦穴だった。
 内部を、長い螺旋階段が走っている。直径は、三十メートル弱か。巨大な塔の、内側にいるような感じだ。ただし、階の区切りはない。
 フェルサリは手すりに手をかけ、下を覗いてみた。深い。しかし底がないということはない。熱気は、底の方から吹き上がってくる。
 もう一度辺りを見回す。壁面には、外の景色が描かれていた。青い空、白い雲、森、山の稜線。近景として描かれた木々からは、鳥が飛び立っていた。
 地面は、螺旋階段に沿って描かれていた。つまりは、景色が螺旋を描いているのだった。向こう岸を見ると、地面の、階段の下に、また次の空が描かれている。
 だが大半は、黒くすすけていた。
 フェルサリは、そのことにいい知れぬ哀しみを感じた。描かれているものが美しいだけに、胸が締め付けられる。
 セシリアを先頭に、一行は階段を下りた。セシリアは背嚢から水筒を取り出し、軽く口を付けた。それを見て、フェルサリも喉がからからだったことに気がついた。背嚢に手を伸ばす。
 中途には、いくつもの扉がある。ひとつひとつ、見て回った。かつてここには、何人かの人が住んでいたようだ。寝室と思わしき部屋、倉庫、食料の保管庫。
 狭い書庫。セシリアはざっと辺りに目を通し、机の上にまだ置いてあった本を手に取った。
「フォティアについて、今から勉強してる時間はないわね」
 冷たく笑うと、そのまま部屋を後にする。書庫や寝室は、他にもあった。いずれも大噴火で逃げ出したであろう人たちの、混乱の痕跡は残っていた。
 中程まで下ってきた所で、少し気になる部屋があった。
 その部屋は、他の部屋に比べて広めに作ってあった。壁際に、剣が並べられている。本物の剣、刃を入れていないもの、木剣。武術の鍛錬を行う為の部屋だろうか。
 フェルサリは、剣の一つを手に取った。肉厚で、わずかな反りのある刀身。一般的な長剣より、二割ほどは重い。錆や変色した部分はあるが、かつてはよく手入れされていただろうことがわかる。
「鍛錬の期間は、結構長かったみたいね」
 セシリアが、床の一角を指さす。削られたか押しつぶされたか、石畳の床に、はっきりとした窪みがある。見渡すと、そういうものが所々にあった、
 セシリアが抜剣し、窪みのひとつに足を乗せた。そこから三歩ほど先まで、へこみはある。
 剣を真っすぐ突き出し、左手をだらりと下げた。この構えは。セシリアは独特の歩法で前進しながら、凄まじい速さの突きを次々と繰り出した。唸り、空気を切り裂いているかのような突きは、とても目では追えない。ぶれた残像がいくつも重なって見える。
 エスペランサ流剣術。というより、先刻の戦闘で見た、アネッサの動きそのままだ。
「どう、似てたかしら?」
 そう言って、セシリアは笑った。ネリーがけらけらと笑いながら手を叩く。
 アネッサは、ここで長いこと剣の修行をしていた。そのことはわかった。
 わかって、フェルサリの肌は粟立った。
 この遺跡自体、千年近く、地に埋もれていたのではないのか。
「まだ、当時は踏み込みが甘かったみたいね。この時から長い間、修行にいそしんだのね。頭が下がるわ」
「か、母さん・・・!」
「驚くような話かもしれないけど、やっと物語の整合性はつきつつある。後は、確証を得ましょう。この下に、それがあるはずよ。全て灰になっていなければの話だけど」
 アネッサが、大噴火以前の人間であることに、何の疑問も抱いていないのか。いや、その疑問を解くために、下へ降りるのだ。セシリアもネリーも、事実と疑問に、動揺していないだけだ。
 意識せず、飛礫を強く握っていた。ネリーによって魔力を付与された、たったひとつの飛礫。手を開くと、それは淡い、緑色の光を放っていた。
 いくつかの部屋を見て回りつつ、一行はさらに階段を下った。
 途中、柵があった。開いてはいたが、ここから先に立ち入ってはならない、今でもそう訴えているかのようだった。仮に閉じていても、手すりの上に乗れば、簡単に向こう側へ行けるだろう。そう思って、フェルサリは階段から下を覗き込む。大分下ってきたが、底まではまだ大分ある。誤って落ちれば、まず助からない高さだ。
 底の壁面にある、扉。今まで見てきたこの神殿の大扉の中でも、抜きん出て大きい。いくつかの穴から鎖が伸び、蛇のように絡まっていた。何重もの鎖で、扉そのものを縛り付けているようだ。扉の脇に、レバーがある。そのすぐ下に、何か、黒い塊。
 フェルサリは、見えたものを二人に話した。
「底に辿り着いてしまう前に、なんとかしたいものね」
 いつもの冷たい笑みを浮かべながら、セシリアが言った。

 柵を潜ってからの、扉の数は少ない。
 今目の前にあるものと、底部の壁面にあるものだけである。底にあるものはおそらく、フォティア神そのものを封印しているのだろう。だとするとこの扉の向こうにアネッサの、いや、フォティアの民全ての秘密が眠っている。
 この扉はここ、"かまど"の中に入る時と同様のかんぬきがあるが、それが下ろされている点は違う。ただこれも、こちら側から下ろされているという点は、やはり異常に感じる。ここを守るための扉ではなく、ここにあるものからこちらの世界を守っているのか。そこまで大袈裟ではなくても、少なくとも、中にいるものがここから出るのは困難だろう。
 かんぬきが下ろされている以上、アネッサがここに到達している可能性は低い。急いでいたのでちゃんと見ていない部屋は多くあった。その中の一つに潜伏して、セシリアたちをやり過ごしたのか。あるいは彼女しか知らない隠し部屋か、死角があったのか。いずれにせよ、どこかで追い越している可能性は高い。
 かんぬきを上げ、中に入った。奥に続く長い部屋で、魔法の照明器具はない。突き当たりの方に、青白い光を放っている何かはある。光源はそれだけで、闇に近い部屋である。
 この中に、何を閉じ込めておく必要があったのだろうか。今のところ、殺気のようなものはない。しかし断続的に、一定の間隔で、物音は聞こえる。何かの機械音か。後ろのフェルサリが唾を飲み込むのが聞こえる程度の、小さな音。
 手前には、木箱や、使わなくなってのであろう器具が並べられていた。整然とではなく、この部屋自体も、雑然としている。奥に向かって、幕のかけられた箱が並んでいる。その内一つの、幕を上げてみた。
 大きな、ガラスの箱だった。身を屈めれば、人が一人入れるだろう。基部には、いかにも魔法の装置と思われる、管や金属板が並んでいる。箱の中には、干涸びた何かの死体があった。ネリーの方に視線をやる。
「ホムンクルスじゃないかな」
「ホムンクルス・・・?」
 フェルサリが聞く。
「人造生物。これは人を模した形に作ろうとしてたんじゃないかな。でも、失敗に終わっちゃったみたい。原因はわからないなあ。これだけ古い装置は、大学でも見なかったから」
 部屋の奥に向かって続く箱の列を、ひとつひとつ見て回る。箱は、水槽のようなものだ。明らかに人型の生物の死体とわかるものもあれば、身体の断片、あるいはよくわからない塊になっているものもあった。フェルサリの顔は青ざめている。セシリアも、見ていて気分の良いものではない。それに、墓を、ひとつひとつ暴いているような、暗い気持ちになる。
 蓋がしっかりとしており、箱の内部にまだ濁った液体の残っているものもあった。中を見て、さすがにフェルサリは悲鳴を上げた。わずかな明かりでも、見えてしまったのであろう。セシリアの目ではこの部屋の暗さでよくわからなかったし、それでよかったのだと、フェルサリを見て思ってしまう。彼女には気の毒なことをしてしまったのだが。
「ホムンクルスは魔法から作られた生命体なんだけど、長く、あるいは恒久的に実体化させるには、生き物の身体から組成されたものが必要なんだよ。じゃないと、この世界に干渉しづらい、ただのエーテル体でしかないからね。使い魔と違うのは、別の世界から意志のある生き物を呼び出すんじゃなくて、まさしくそこに生命を生み出すってところだね。小さな小さな生命体から始めて、胎児が赤ん坊になるみたいに、大事に育てていく。やがて成長し、人みたいに意識ある生命体に育てるの。ただ自我みたいなものはほとんどないことが多いかな。知識としてはあたしもこの辺のことを知ってはいるけど、やったことはない・・・なんか、かわいそうでさ」
「使役のために生み出す。嫌な言い方すれば、奴隷として生まれさせるわけだからね」
 うんうんと、ネリーが頷く。
「しかも、あたしたちが奴隷になるのと違って、万が一にもそこから解放されるってことはないわけだからね。お金で身分を勝ち得たり、偉い人がそこから解放してくれる可能性も、まったくないわけよ。奴隷という境遇で生まれるっていうよりは、まさにそういう命として、作られるわけだから」
 自分が奴隷として生まれるのも絶望的だが、そこから逃れようとする思考自体が最初からないのでは、同じ奴隷でも状況は全く異なる。
「ここにあるものは、今の所、いずれも失敗したものなんでしょう? ホムンクルスを作ろうとしたこの誰かは、腕が悪かったのかしら。直感で、どうも私にはそうも感じないんだけど。魔法使いとしては、どうなの?」
「セシリアの言う通り、腕は悪くなかったね。むしろ、相当いい。ただ、すごく高度なことをしようとしてたんじゃないかな。多分、自我を与えようとしてた。ううん、それ以上かな。ここにいた人は、かなり困難なことをしようとしてたんじゃないかなと思う」
 それ以上のこと。ここまで来れば、おおよそのことは推測できた。
 この部屋で唯一、光を放っていたものの傍へ向かう。棺のような形をした箱が、二つ並べてあった。金属で出来た、やや丸みを帯びた二つの棺。蓋はガラスのような透明の物質で出来ていて、中は青く発光している。近づくに連れ、冷気が足元を漂ってきた。
 中にあったのは、奇妙な死体だった。一つは、首から下がない。目を閉じた女の首には、所々霜が下りている。もう一体。こちらは逆に、首がなかった。残った身体の一部は欠損しており、それでも充分、この身体が女のものだとわかる。
「こ、この、首だけの人は・・・」
 フェルサリが聞くと、ネリーが呟くように言う。
「イェラカ。戦士の血脈の、最後の一人だよ」
 もう一人、首のない死体は、最後の巫女、アエトサだろう。
 部屋の突き当たりには、台座があった。その上に鎮座しているのは、抜き身の剣。刀身は黒く肉厚で、反りがある。セシリアは慎重に、柄を握ってみた。重さは、調練場にあったものと、同じくらいだ。
「きっと・・・」
 ネリーが、棺と剣を交互に見つめながら言った。
「ここで作ろうとしていたのは、巫女と戦士、ふたつの身体を持った、そんな生命体、ううん、人間だったんだろうね・・・」
 不意に、肌に触れてくるものがあった。
 セシリアは、抜剣した。

 間一髪、間に合わなかった。
 後方。フェルサリの首に短剣を当てたアネッサが、燃えるような瞳で、セシリアたちのことを見つめていた。
「近づかないで」
 言いながら、フェルサリを引きずるように、距離を置いていく。
「その剣を、こっちに投げて。ふふ、あなたの剣じゃなくて、フォティアの剣の方だよ」
「その前に、聞きたいことがあるわ」
 アネッサはフェルサリの首から刃を外さずに、小さくため息をついた。
「お察しの通り、私は巫女と戦士の身体、その二つから作られたのよ・・・これ以上、話すことはあるかしら」
「語り部だもの。あなたの物語、もっと聞かせてもらいたいものだわ」
「ふふ、今は時間がなくて、片手も塞がってるからね。あらすじだけでいいかしら?」
 アネッサは微笑した。口調こそ強いが、見ているこちらが悲しくなるような、寂しい笑い方だ。
「・・・儀式を執り行うことが決まってから、私は色々なことを、父に教えられた。二人の身体から、ホムンクルスを作る、それは失敗したわ。というよりも、生まれてくる身体に、どうしてもふたつの力を宿すことができなかった。そこで」
 アネッサは、空いた左手で、赤いスカーフを軽く上げて見せた。ぎざぎざとした傷痕が、白い肌の上を走っている。
「わかるでしょう? 二人の身体を、繋ぎ合わせて、命を宿らせた。ホムンクルスの技術を応用してね。晴れて、巫女の資格と戦士の資格を持った肉体が生まれたってことよ。めでたしめでたし」
「二つの血脈は長い歴史の中で徐々に先細り、最後に残ったのは女二人だった。それぞれの両親は高齢と病で既に子を成せる状態ではなく、さらにそれぞれの資格を持つものに、懐妊の気配はなかった。血を繋いでいくとしたら、いずれは訪れる問題だったのかもしれないわね。仕方なく、フォティアの民は、別の魔法の力に頼り、搦め手に出ることになった。それも、二人がまだ、充分な力を残しているうちに。行間にあるのは、そんな物語かしら?」
「さすが、仰る通りよ、セシリア」
「アネッサ、早まっちゃ駄目だよ!」
 ネリーが大きな声で言った。
「フォティア神の暴走を、止めに行くんだよね? あたしたちも手伝うし、外に行けば、たくさんの人たちが協力してくれるって!」
「駄目よ!」
 ネリー以上に、アネッサは声を荒げた。
「ほとんど信仰が絶えた、古の神が遺跡の地下で暴れようとしている。本当は慈愛に満ちた神様だって言ったところで、誰が信じてくれるの? 忘れ去られた邪神が、今目覚めようとしてる。そうとしか取られないに決まってるでしょう? 誰に話したって、噂はすぐに広まる。セイヴィア教の聖堂騎士なんかに知られたら、軍隊が討伐に来るわ。確かに、私一人で挑むには、フォティア様は荷が重い相手かもしれない。それでも、魔法の力を持った軍隊がやってきたら、本当に殺されちゃうような、弱い存在なんだよ! そんなこと、絶対にさせない。それに・・・」
 息を整えて、アネッサは続ける。
「これは、私の使命なの。ここで失われたたくさんの命のためにも、私はその全てを背負って、あそこに行かなくちゃいけない。そんなことにあなたたちを巻き込みたくないし、それに、あなたたちにはやってほしいことがあるの・・・」
 フェルサリは、何かに耐えるように、強く目を閉じていた。首に当てられた刃に恐怖しているのではなく、アネッサのことを思って、悲しんでいるのだ。そういう娘だった。
「万が一、私が失敗するようなことがあったら、ここを封印してほしいのよ。上の扉、あれにかんぬきをかけてくれれば、それは成されるわ・・・何ならあなたたちの内二人と組んで下に行き、残る一人にその役を頼んでもいいわね。でもその一人は、ここに残った二人の安否も確かめずに、あっさりとここを封印してくれるかな? だから、あなたたちは一緒にいて頂戴。三人でここを出て行って、外に被害が出ないようにして」
 万が一ではなく、おそらく失敗すると思っているのだろう。成功の可能性が、万が一なのだ。それがわかっている、アネッサの口調だった。ただ、賢いやり方とはとても言えないと、セシリアは思った。
「殉教するつもり? それは、あなたの意志なの? それとも・・・」
「私の意志よ! 作られた命でも、私には自我がある!」
 はっきりと、アネッサは言い放った。
 そうなのだろうと、セシリアは思った。にも関わらず、絶望の縁を滑走するこの娘を、止める術がない。
「あなたがフォティアと戦っている間に、私たちが下に行くって可能性もあるでしょう?」
「そうだよアネッサ! こうなったら、あたしたちも頑張っちゃうよ!」
 ネリーも加勢する。しかしアネッサは、悲しげな笑みを返した。
「失敗するにしても、五分以上は頑張れると思う。この部屋のかんぬき、あれには特に封印の魔法とかはかかってないわ。私がこの部屋を出てく時にかんぬきを下ろしたとして、ネリー、あなたの魔法については知らないんだけど、内側から扉を開けるのに、どのくらいかかる?」
「うーん、見えない対象をどうにかするのは難しい。直接触れられるわけでもなく、回路繋げてもないなら・・・五分から、十分くらいかな」
「じゃ、私の狙いと大体合うわね。あなたたちをここに閉じ込めっぱなしにするつもりはないから、ただの時間稼ぎよ。かんぬき下ろして、ここで餓死とかされちゃうようなら、もっと面倒なことを考えなくちゃいけなかった」
 アネッサに、フェルサリを殺す可能性は、まったくといっていいほど、ない。しかし話をややこしくしない為に、おとなしくしている他なかった。それに油断していないこの剣士を、一瞬で、しかも無傷で捕えるというのは、セシリアにも難しい話だ。
 じりじりと、アネッサは、フェルサリを連れたまま、扉の方に向かって行く。
「アネッサ、死ぬ気なのね」
「・・・どうかしら。ひょっとしたら、上手く行くんじゃないかと思ってる。最悪、刺し違えるくらいのことはできるんじゃないかしら」
 そうなのだ。もしセシリアたちがアネッサを置いて上に向かった場合、残されたアネッサはどうなるのだという話になる。生きていようが死んでいようが、彼女はここに残る、いや、もう帰らないつもりなのだろう。
 どこかで、理屈を超えてしまっている。理屈ではなく、もはや情の問題なのだろう。自分がフォティアと直接対峙しなければ。この人たちを巻き込めない。外の人たちにまで被害を広まらせたくない。セシリアからすると、おかしな話だった。その全てを同時にやるには、何かが大きな犠牲を払わなくてはならない。
 セシリアたちがこの後外に出たとして、このことをセイヴィア教の聖堂騎士たちに報告しないと思っているのだろうか。いや、その可能性も充分考慮している。そうなった場合、それはつまり、アネッサが使命をしくじった時であり、最後の有資格者が死ぬということでもある。そうなったら、もうフォティアを止めるには、殺すしかない。殉教ではなく、どうなるにせよ、フォティアと心中するつもりなのだ。
 アネッサの考えは、フォティアのことだけ、自分の使命だけ、そしてその責任だけを考えるならば、この状況化で、最善を尽くしたと言えるのだろう。アネッサが角を折るのに失敗しても、最悪、聖堂騎士たちならばフォティアを殺せるとまで伝えてきた。言わなくてもいいことを言ったのは、実はセシリアたちにそうしてくれと言っているのだろう。
 あるいは、こうも考えられる。セシリアたちが外にこのことを漏らさず、封印は永遠になされたままになるかもしれない。
 何がどう転んでも、おそらくフォティア神がこの街の人間に、大きな被害を与えることはない。ここで悪役を買って出たのも、セシリアたちを、これ以上巻き込みたくないからだろう。
 言っていることと真意が、微妙に違う。自分が戦っている間に、外の人間にこれを知らせて。つまりは、そういうことだろう。最も常識的で、被害も少ない。しかしフォティアに関しては、アネッサの気持ちの、背負ってきたものの整理を着けに行く。アネッサの行動自体の成否は、およそ外の世界の情勢に関係がないのだ。偏りが激しいが、ある意味で、穴のない話でもあった。
 しかしそこには、悲しいくらいに、自分がない。
「ふふ、あなたたちが逃げる時間を確保するためにも、十分以上はがんばりたいわ。五分くらいだと、逃げる時間がなくなっちゃうからね。ここ、結構階段急でしょ? 手すりも滑りやすいしさ。昇降機くらいつけてほしかったよね」
 セシリアたちがアネッサを追ったのではなく、アネッサが自分たちを呼び込んだ。上で、離脱した後に魔法の照明を消した動機が何だったのか、考えていたのだ。混乱させようとしたのではなく、追ってくるよう仕向ける、誘いだった。狙いは事実を教え、まずは上のかんぬきを下ろさせることだ。中に入ってしまったアネッサには、それができない。
 上手いこと、はめられたものだ。しかしそれは、アネッサが死ぬ為の筋書きなのだ。
「・・・少しだけ、あなたのシナリオに付き合ってあげるわ。それにこの剣は、あなたにしか扱えないものだから」
 セシリアは、フォティアの剣に手を伸ばした。
「アネッサ、あなたにフォティアの加護のあらんことを」
 剣を、投げる。ずしりと重い剣だが、アネッサは伸ばした手で、ぱしりと柄を握りしめた。
「皮肉じゃないよね? ありがとう。あなたたちとはもっと早く、出会いたかったよ」
 フェルサリを突き飛ばし、アネッサは扉を閉めた。
 かんぬきの下ろされる音が、重く、室内に響き渡った。

前のページへ  もどる  次のページへ

inserted by FC2 system