前のページへ  もどる  次のページへ

 セシリアと共に、礼拝堂へ戻った。
 ネリーとフェルサリは、先に戻って来ていたようだ。アネッサが手を振ると、二人はほっとした様子で微笑んだ。実を言うと、アネッサもセシリアと二人きりでいることから解放されて、ほっとしている。アネッサはセシリアに一定の好意を抱いてはいるが、二人きりになると、どうしようもない圧力を感じることも、少なくはなかったのだ。
「二人とも無事で何より。こっちは、大丈夫だったよ。ま、セシリアといるから不安はなかったけど」
「施療院だったわ。当時の様子はわかったけど、特にめぼしいものはなし。そっちは?」
 セシリアが聞く。
「あ、あの、こっちは、客殿でした。玄関ホールがあって、ええと・・・」
「寝室に、施錠されたチェストがいくつか。慌てて避難した泊まり客のものだろうね。以上だよ」
 言い淀むフェルサリを遮り、ネリーがあっさりとまとめてしまった。
「敵との遭遇はなしね。次もそうあってほしいわ」
 セシリアが、残る二つの扉に目をやる。
 アネッサは、礼拝堂の中央にそびえ立つ、フォティアの像を見上げた。石像は魔法の青白い照明に照らされ、天を仰いでいる。
「次は私とフェルサリ、ネリーとアネッサの組み合わせにしましょう。疲れてるなら少し休憩入れるけど、どうかしら?」
 アネッサは首を横に振る。ネリーとフェルサリも、疲れは感じていないようだ。
「じゃ、さっきと同じで、二時間後を目安に。早くても構わないけど、見るべきものは見てらっしゃいね」
 言い残して、セシリアとフェルサリは、北西の扉の奥へ消えていった。
「はい、これ。あらためて、お近づきの印に」
 ネリーが、クッキーを差し出してきた。
「ありがと、ネリー。こちらこそ、あらためてよろしくね」
 クッキーはバターをよく練り込んだ、甘くてコクのあるものだった。
「ん、おいしい。どこで買ったの?」
「えーとね、古物通りを南に向かって進むと・・・」
 アネッサは、小柄な魔法使いに続いて、扉を潜った。土砂に埋もれかけた、回廊を進む。
 話終えたネリーは、鼻歌を歌いながら、何の警戒もなく歩いていた。
 この魔法使いは、"引き寄せ"ネリーの名で、冒険者の間では知られている。だが、どんな能力を持っているかまでは、はっきりしなかった。他の面子に比べるとあまり武勇伝のようなものはなく、パーティの補助的な役割を担っているのだと推測される。
 しかしセシリアは先程、冒険者としては半人前のフェルサリと、ネリーを組ませた。戦闘力はあると思っていいのだろう。アネッサはまだ、ネリーの魔法に関しては、魔力付与といった、基礎的な魔術しか見ていない。そして先程の戦闘で見せた魔法銃の狙撃は粗雑なもので、とても一流の冒険者のものとは思えない。何か、その名に由来するような、魔法の技を持ってはいるはずだ。
 突き当たりの扉にチョークで印をつける。ネリーに続いて、建物の中に入った。
 ここに入るのは初めてだが、アネッサはここが、戦士の血脈の者たちの住居であることを知っていた。広い玄関ホールの壁際に居並ぶ甲冑と、二十枚くらいの肖像画。玄関ホールの吹き抜け等から、ネリーにもここが住居、屋敷であることがわかったようだ。
「うわあ、あの鎧、さっきみたいに動いたら嫌だなあ」
「ふふ。フォティア様の使いが現れたら、当然そうなるでしょうね」
「綺麗な鎧だもんねえ。この肖像画の人たちが着てたこと考えると、壊したりしたくないなあ」
 この魔法使いは嫌いになれない。セシリアや、フェルサリにしてもそうだ。皆共通の、何かあたたかいものを持っている。もっと早くにセシリアと出会い、このパーティに入れてほしいと願い出たら、肩を並べて戦うこともできたのだろうか。そんな未来もあったのかもしれないと思うと、胸が締め付けられた。そうなのだ。見えなかっただけで、あるいは見ようとしなかっただけで、そういう選択肢もあった。だが先刻、一度だけでも共に戦う機会があった。それだけで良かったのだと、アネッサは思い定めた。人の縁であり、宿運というものだろう。
 ネリーはどんどん奥に入っていき、特にめぼしい物はないと判断したのか、すぐに戻って来た。アネッサはまだ玄関ホールの鎧と、そのすぐ横の肖像画を眺めていた。ネリーもそれらを見始めた。
「色んな人が、いたんだねえ」
 二十枚ほどの肖像画の中の剣士は、性別も年齢もばらばらである。
「本当・・・でもやっぱり、血が繋がってるのはわかるね。ここにあるのは歴代で、特に優れた剣士たちってとこかな」
 額縁の下方に、名と生没年を記した金属板があるが、両隣を見ると、いくらか年代は飛んでいる。
「私、もう少しここを見ていたいんだけど、いいかな」
「いいよ。じゃああたしは、上の方を見てくるよ。お互い何かあったら合流を図ろう」
「うん。ごめんね」
「いいよいいよ。あんま顔色も良くないし、休んでたら?」
 言って、ネリーは元気良く階段を駆け上がっていった。
 アネッサは、おそらくはこの血筋最後の鎧と肖像画の方へ行った。
 何度も、見たことのある顔。女性の戦士だった。目が開いているのを見るのは初めてで、抜けるような青い瞳が印象的だった。髪の色は、淡い金。そうだったんですね。アネッサは、小さくつぶやく。
 手前の鎧。すぐ横に立つと、大きさ的に、アネッサにぴったりだと思った。儀式用の華美な甲冑だが、充分実用に耐える作りでもある。
 アネッサは、吹き抜けを見上げた。微かに、ネリーの歩き回る音が聞こえてくる。不意に、先程もらったクッキーの味が、ネリーの舌の上で甦った。
「・・・ネリー、ごめんね」
 もう一度だけ、アネッサは呟いた。

 セシリアが、身を屈めて引き出しの中を漁っていた。
 手際がいい。セシリアはここに入って、すぐにここが巫女の血脈の者たちが暮らしていた住居だと当たりをつけた。フェルサリにはまったくわからなかったが、セシリアの説明を聞いていて、なるほどと思った。屋敷と同じような作りをしていて、一階を軽く見て回った二人は今、二階の執務室と思わしき部屋にいた。
 四方の壁の上部に、小さな肖像画が飾られていた。おそらくは巫女の血筋の者たちだろう。多少面立ちは違っているが、それぞれ血が繋がっていたのだろうと思う。ただ、壁の端と端を見比べると、もう同じ血脈の者同士だとは思えない。そこに、歴史の重さを感じる。
 セシリアが、勢いよく引き出しを締める。フェルサリは思わずびくりとなった。
「あ、ごめんなさいね」
 セシリアは立ち上がり、フェルサリの髪を優しく撫でた。
「わ、私も、すみません。ただこうして、突っ立っているだけで・・・」
 まず何をすべきか。それがわからないと言うのも甘えだと思って考えていたのだが、正直、わからないとしか言えないのも事実であった。
「そんなことないわよ。見てたんでしょ、あれ」
 居並ぶ肖像画の方を見回して、セシリアが言う。
「はい。見てました・・・でも私、何もやってなくて、か、母さんの手伝いをしなくちゃって・・・」
「私は、あなたの邪魔をしないように黙ってたのよ。鎧の音は、うるさかったと思うけど」
 言って、セシリアは自らの着るミスリルの鎧を、指先で叩いた。確かに音はしていたが、この鎧は構造がそうなのか材質がそうなのかわからないが、音はかなり小さい。ただ、さすがに無音ということはない。
「す、すみません! ええと、私も何か、お手伝いを」
「しなくていいわ。それにあなたは今、何もやってないって言ったけど、既にやってるのよ。この部屋に入って、最初に目に止まるものを観察してた。私は見終わって、次の作業に移っていたってだけ」
「あ、母さんは、もう見終わってたんですか・・・!」
「ええ。それに、何から調べ始めるか、そのこと自体に正解はないわ。ごめんなさいね。時間があれば、ひとつひとつ、ものの見方を説明してあげてもよかったんだけど」
「は、はい」
「あえて正解があるとすれば、よく観察するということ。時間はかけても、かけなくてもいい。あなたはまだこういうことに慣れていないし、慎重な性格でもある。だから、焦らなくていいのよ」
「・・・すみません。注意して、よく観察します」
「慣れれば、ぱっと見ただけで、必要な情報は入ってくる。無駄な情報を抜き取る技は、言葉では上手く説明できないものよ。私は私なりの方法を持ってるけど、個々人が経験で養っていくのが一番だから」
 フェルサリは、強く頷く。
「もし時間があれば、私のやり方くらいはレクチャーできたんだけどね。ま、こういう機会は今後もあるでしょうから、いずれね。じゃ、引き続き、お願い」
 セシリアは肖像画の方を見て、冷たい笑みを浮かべる。それを見て、セシリアは肖像画から、何かを見つけたのだとわかる。
 セシリアは再び身を屈め、別の引き出しを漁り始めた。中には巻物が何本も入っており、ひとつひとつ広げてはまた丸め直し、床に並べている。
 フェルサリは再び天井付近に並ぶ、肖像画に目を戻した。年代順に見ているわけだが、最後の方まで見るには、もう少しかかる。ふと、セシリアはこの部屋に来た時に、周囲を見回しながらもほぼ真っすぐに執務室の奥に行き、それで引き返してきたことを思い出した。直近の年代の肖像画を見に行こうかと思ったが、ここまで来たら、もうすぐそこだろうと思い、やはり年代順に追っていくことにした。間違っているのかもしれない。しかしセシリアは、間違っているとは言わなかった。自分の方がこの薄暗い魔法の照明の中でも絵ははっきり見えているはずだし、遠くのものも見える。視力ではなく、ものの見方とはそういうものなのだろうと、フェルサリは思った。
 セシリアが口を開く。手は休めていない。
「物語は、常に多重性を秘めているわ。この遺跡の探索にも、私とあなた、ネリーとアネッサの、四つの物語がある。それぞれが意識しているかは別としても、それぞれの真実を追いかけてるのよ。そしてこの場所には、この場所の物語がある。ここで暮らし、泣いて笑った、全ての人たちの物語がね」
 その引き出しの最後の一本を広げ、セシリアはふうとため息をつく。手早く床に置かれた巻物を元に戻すと、次の引き出しを開ける。そこにも、巻物がぎっしりと詰まっている。
「た、たくさんの物語が、あるんですね・・・」
「ふふ。真実へつながる一筋の細い糸。それらが織りなす一枚のタペストリーを見渡すことが、冒険をするってことかもしれないわね。自分に都合のいい物語を探しているだけでは、織りなされたものはいびつになるし、何よりもこの商売で、長く生きていくことはできない」
「は、はい・・・気をつけます」
 不意に顔を上げたセシリアは、フェルサリを見て、目を細めた。
「あなたは自分の悪い所、足りない所によく目が行く。あなたがただの街の娘だったら・・・あるいは、私の娘、それ以外の存在でなければ、そんな悪い所に目をやらず、明るく前向きに生きろと言っていたわ。でもあなたは自分の至らない所に目が行っても、そのことでどれだけ傷ついても、決してあきらめないのね。負けず嫌いとは、また少し違う。負けることを、受け入れてしまうから。何なのかしら。私には測りがたいものを、あなたは持っている。あなたの決意や覚悟のようなものだけで、私はあなたをパーティに受け入れた。でも本当は、違っていたのかもしれないわね。決めた私にも、わからない理由。それが何だったのか、いつか私にも、わかる日が来るのかしら?」
 セシリアは、少女のような顔で、加えて泣き出しそうな眼差しで、にこりと笑った。すぐに引き出しに視線を落とし、作業の続きをする。
 胸が締め付けられる感覚を受け入れながら、フェルサリは考えた。自分に、あるもの。あるいは自分にあってセシリアにないもの。耳と目は、エルフの血が混ざっているだけあって、セシリアよりずっといい。そんなつまらないことを考えて、フェルサリは自分を殴りたくなった。この目は見えていても見てはいないし、聞こえていても、聞いてはいない。
 気を取り直すべく、フェルサリは肖像画に視線を戻した。楕円形の額の下部に、小さく名前が記されている。もう少し大きい額縁だったら、生没年も記されていたのだろうか。フェルサリは椅子を運んできて、肖像画の一つを手に取ってみた。裏面を見ても、特に何が書かれているということもなかった。
「アネッサ・・・という名前の人が、何人かいますね」
「フォティア教の聖人の一人よ。他にも同じ名前を持つ人が何人かいるけど、大体そんな感じで、聖人から取ってる。聞いたこともない名前もあるけど、それは私が不勉強なだけでしょう。フォティア信仰について私は、たまに話に出る、今はなき神々の一柱くらいの知識しかなかったから」
 事前に手に入る資料は見てみたものの、ほんの断片的な知識しか手に入らなかったということだ。アネッサという名前は、特に珍しい名ではないということもわかった。だからあのアネッサは、"かまどの語り部"と名乗っていたのだろう。
 セシリアの背後を通り過ぎる形で見る、最後の一列。ひとつひとつを眺めている内に、徐々にうなじの毛が逆立っていくような感覚があった。何か、重要なことに近づいてきている。あえてセシリアがこの部屋の探索について何も指示しなかったことが、わかった気がした。真実は、自分の目で発見しろということだ。
 長い、血脈。肖像画が飾られているのは、神々の時代から続くこの信仰の歴史ではごくごく最近のものなのだろうが、それでも長い歴史を旅したような気分を、フェルサリは味わっていた。それが今、終わろうとしている。魔法の照明が照らす肖像画の青白い顔は、段々と、見知った顔に近づいていく。
「か、母さん・・・!」
「こっちも、探していたものが見つかったわ」
 二人で、肖像画の最後の一人に目をやった。名前は、違う。
 それでも間違いなくその顔は、"かまどの語り部"アネッサのものだった。
 魔法の照明器具が、何かに抗うように激しく瞬く。
 そして、部屋は闇に包まれた。

 それを、空と呼んでいた。
 本当の空は触れられるものではなく、羽ばたく鳥も、風にそよぐ木々も、自分たちと同じように、動いているのだということは知っている。空に触れられないのなら、それはどこまで続くのだろうと、いつも思っていた。果てがないから飛べるのだと、父はよく言っていた。
 幼い、と言ってもいいのだろうか。生まれたばかりの頃は、立ち上がり、歩く練習をよくしていた。およそ、三年くらいか。眠っている間のことはわからなかったので、もっと長かったのかもしれない。
 父や、たまに来る者たちと同じような動きが出来るようになると、剣を教えられた。時折、身体が上手く動かなくなったり、擦り剥けて出来た傷から、血がいつまでも止まらないことがあった。そういう時は父がすぐに駆けつけてきて、身体を隅々まで見て回った。適切な処置が済むと、すぐに剣の稽古を再開した。
 眠る時は、いつも大きな水槽の中だった。それが段々、父と同じような寝台で眠れるようになった。背中が痛くなり、慣れるのに時間はかかったが、それでも、うれしかった。やがて他の人と同じように料理を作ったり、本を読むようにもなった。生活、言葉については生まれた時からぼんやりと覚えていた。父たちと、生活している。それが、とても幸せなことだった。
 眠りから覚め、朝食の支度をして食卓につく。剣の稽古をし、また食事をして、書見をする。さらに身体を動かした後に、食事と入浴。後は、ぐっすりと眠る。毎日が単調だが、充実しているとも思った。剣の腕は日に日に上がっていて、父が連れてくるどんな剣士にも負けなくなったし、本に関しては、読んでも読んでも、新しいものが運ばれてきた。
 父たちが、フォティアという火の女神に仕えていることは知っていた。フォティア神についても、充分に学んできた。二百年に一度執り行われる、角を斬り落とす儀式。
 それを自分が執り行うと聞いた時は、驚いた。それは巫女と戦士の血脈の者がやるとばかり思っていたのだ。無論、自分がここにいるということは、儀式に関わるということだと、推測はできていた。それぞれの手順も、今となっては習得している。だが、もしもの時に、どちらかを補佐する程度だと思っていたのだ。
 自分たちが住む、この場所。螺旋階段を一番下まで下った場所に、フォティア神はいるのだという。一度だけ、そこに行ったことがある。
 以前、身体が思うように動くようになった頃、階段の手すりに跨がって滑る遊びをよくしていたのだ。見つかる度に、叱られた。言っていることは、わかる。落ちたら、大怪我をするだろう。事故を防ぐため、吹き抜けには何カ所か網が張ってあったが、勢いよく落ちれば、網の上でも怪我をするだろう。最悪、破ってしまうこともあるだろう。そんなことになったら大変だ。それでも、父の目を盗んでよくやっていた。楽しかったのだ。
 その日は、螺旋階段の途中にある、立ち入り禁止の柵が、開いていた。手前で手すりから降りたが、何の気なしに、本当に何も考えず、柵の向こうの手すりに跨がった。今思い返すと、何かに呼ばれるような感覚だったのかもしれない。最下層には、すぐに着いた。そこにあったのは、両開きの巨大な扉だった。
 ちょうど、父が扉を閉めているところだった。最悪の瞬間に鉢合わせしてしまい、こっぴどく叱られた。それから数日、父はほとんど口を聞いてくれず、もう二度と、こんなことをしないと思ったものだった。
 あの扉の向こうに、フォティア神がいる。それはこの世界のどこかで、自分たちを見守ってくれているのだと思っていた。いや、どこか、がすぐ近くだったというだけか。
 来るべき日が、近づいてきていた。儀式自体は、困難なものではないのだという。ただ、儀式を執り行うべき巫女と戦士。本来二人が執り行っていたそれを、自分一人でやることになる。重圧を感じるだろうと言われたが、そんなものは微塵も感じなかった。それをやるためだけに生まれた。話を聞いて、その自覚がはっきりと芽生えていたからだ。
 剣の置かれている場所に行き、それに触れた。今はまだ、黒い刀身を持つ、ただの刃だ。これが本当の力を持つのは、巫女の承認に加え、フォティアの角が、充分に伸び切った時。少なくともその角がこの刀身と同じ長さにならないと、角同士は共振しない。だが、その時は近いのだろう。刀身は、わずかな熱を持っている。振ってみると、一振りで、この剣が自分の手に馴染んでいることに気がついた。
 巫女としての修練は積んだが、あくまで儀式に必要なものだけで、フォティア神から得られる奇跡の力を扱う、神聖魔法の修行はしなかった。時間がなく、剣と魔法、両方までは間に合わなかったのだ。今自分がこうして他の人々と同じように生活している。それだけでも充分な奇跡なのだと言われた。魔法以外の、巫女としての修練は積んでいる。自身が奇跡の力を扱えなくても、それをあの剣から呼び起こす手順は知っている。後は、実践だけだ。
 儀式まで一ヶ月を切ったその日。
 ものすごい揺れで、目を覚ました。部屋から出ると、父の他に、何人もの人間が、螺旋階段を行き来していた。大半は、書物を抱え、上に向かっている。
「剣は、目覚めないのか」
 父の怒声が、響き渡った。
 駆け寄ると、父は険しい顔で、外に出ろと言った。外。外の世界だということは、すぐにわかった。
 吹き抜けを覗き込む。火。穴の底で、火がとぐろを巻いていた。
 外の世界で、大噴火が起きたのだと、別の男が言った。外の世界の中心にある、大きな山。それが火を吹いているのだという。火。
 大噴火とフォティア神の関連については、書物で読んだことがある。もしそれが起きれば、フォティア神にもなんらかの影響があるのではないか? 儀式に支障を来す恐れもある。そういった考察の本だった。角の暴走が、早まるかもしれない。いや、きっと。
 現実に、それが起きている。
 悲鳴と怒号。ここにいた人間たちは、次々と上へと逃げていった。父だけが、下に向かっている。誰もいなくなった踊り場でどうしたらいいかわからなくなっていると、しばらくして、父の戻ってくる姿が見えた。
「ここから逃げるんだ。いや、お前だけでも逃がさねば。お前が、最後の希望なのだ」
 手を引かれ、階段を駆け上る。
「ここの封印を為した後、私はあの部屋の封印を試みる。いや、やらねばならん」
 父の目は、遥か下方に向いている。あの部屋。まさか、フォティア神の眠る、最下層のことか。見下ろすと、そこは炎に包まれている。
「無理だよ。父さん、一緒に逃げよう!」
 駆けながら、父が振り向いた。微笑み。
 こんな悲しい笑顔は見たくない。ただ、そう思った。

 ランタンに、火を灯した。
 闇の中でも、そう難しいことではない。火に照らされ、不安げなフェルサリの顔が浮かび上がる。
「明かりを、お願い。私が知った事は、後で話す。ここにもう用はないわ。戻りましょう」
 広げた巻物にもう一度目を走らせ、セシリアは立ち上がる。フェルサリは頷くと、ランタンを手にセシリアを先導した。
 夜目の聞くセシリアであるが、エルフの目を持つフェルサリのそれには、さすがに遠く及ばない。フェルサリの目は、完全な闇の中では何も見えないそうだが、ほんのわずかな光があれば、光が届かない場所でも、日中と同じように見通せるそうだ。光を増幅させて見ているのだろう。
 礼拝堂へ戻る。お下げ髪に仕込まれた魔力の珠を発光させている、ネリーの姿が見える。帽子に巻き付けた髪の珠を、光らせているようだ。ちょうど、魔法の照明装置に、もう一度魔力を送り込もうとしていたところのようだ。
「あら、あなた一人?」
「そうなんだよー。アネッサとはぐれちゃって。探して、声かけて回ったんだけど」
 向こうでは、途中から別行動だったようだ。ちなみに、ネリーたちが向かった先は、戦士の血脈の者たちの住居だったらしい。
「心配だねえ・・・」
 フェルサリはアネッサの離脱に衝撃を受けたようだったが、ネリーはアネッサのことを心配しつつも、そのこと自体にさほど驚いてはいないようだった。
「今は、アネッサのことはいいわ。というより、この先探索を続けていくのなら、嫌でも会うという気がする」
 扉とは別に、礼拝堂には上層の張り出しの廊下に向かう階段もある。階段を上り、通路の奥、部屋を一応見て回ったものの、特にめぼしいものはなかった。
「母さん、アネッサさんは・・・」
「彼女は、彼女の物語の決着をつけに行ったのよ」
 フェルサリは戸惑いながらも、こくりと頷く。
「そういえば、ネリー、成果は?」
 再び礼拝堂に戻って聞く。
「戦士の血脈は、大噴火の四十年前に途絶えてたよ」
 普段はおそろしく無駄口が多いが、こういう時の報告は、実に簡潔で、的を外さない。そして真実をぴたりと見据えている。
「最後の一人は?」
「名前はイェラカ。二十歳で亡くなってる。死因はわかんなかった。肖像画と鎧が残ってたよ。金髪碧眼で、背格好はアネッサと同じくらい」
 まだ真相は見えていないものの、こちらが見つけた謎と、かみ合っていた。
「巫女の血筋も、大噴火四十年前の、三〇一〇年に絶えてる。死因は不明。名前はアエトサ。背格好まではわからなかったけど、顔は、アネッサそのものだったわ」
 珍しく、ネリーが顔をしかめた。いくつかある可能性の一つに、感じるものがあったのだろう。
「母さん、一体・・・?」
「それを確かめる為にも、アネッサを追わなくちゃいけないわね。彼女に聞くか、彼女が目指したものに、辿り着く」
 セシリアは、礼拝堂から真っすぐ伸びる、帰路に目をやった。遠方に、わずかな明かりが見える。ドワーフたちが、待機しているのだ。先刻戦闘があったことを知って、兵も集まってくるかもしれない。すぐそばにある、別世界。
 外に、助けを呼ぶか。しかしそれは、アネッサを刺激することにはならないか。ただこの先何があるにせよ、退路は確保できているのだ。最悪の事態が起きてもネリーとフェルサリは逃がすことができると、判断した。
 セシリアの、肚は決まった。ネリーとフェルサリを見ると、二人は力強く頷いた。
「やれやれ。ここまででも充分元は取れるんだけどね。踏み込めば、金貨三百二十枚かけて、ただ命を失うようなことになりかねない」
 ネリーが、石像の裏の照明装置に、魔力を注ぎ込んだ。礼拝堂が、再び光を取り戻す。
 セシリアは、付近を捜索した。土埃。移動した所には、微かな痕跡がある。礼拝堂の北側にある、仕切りのある瞑想室。扉はなく、朽ちかけた布が垂れ下がっているだけだ。木の椅子と、向かいの壁面に石の棚。
 わかりやすい場所にあるので、仕掛けは難しいものではないはずだとセシリアは思った。ここで暮らすような人間なら誰でも知っているが、一般の信者には知られたくない、その程度のもの。
 石棚に手をかける。ぐらつきを感じる。動きそうだ。底に手をやり、上に向かって力を入れると、その必要もなかったくらい、あっさりと棚は上がり、壁面に地下へと続く階段が現れた。
「さてと、行くわよ」
 階に足をかける。少し下ると、後は真っすぐな通路だった。魔法の照明の間隔は広く、今まで以上に薄暗い。そして心なしか、熱気のようなものを感じる。突き当たりの扉に近づくと、それははっきりと感じられるようになっていた。
「大丈夫?」
 振り返って、フェルサリに言う。頬が紅潮し、多少息を乱している。
「え、あ・・・大丈夫です」
 得体の知れない恐怖から、鼓動が激しくなっているのだろう。一方のネリーはぱたぱたと、手で頬を煽っている。
 大きな両開きの扉には、古く、どこか禍々しさを感じる浮き彫りが施されていた。火、炎、爆風。そういったものが、象徴的に描かれている。左の扉に巫女、右の扉に戦士と思しき人の姿もある。
 もうひとつ、実質的な、そして奇妙な特徴としては、かんぬきをかける支えがあるということだろう。すぐ脇に、これがかんぬきだろう、金属製の棒がある。
 つまりは、こちらが内側なのだ。
 あるいは、中にいるであろう何かを、閉じ込めておくためのものか。
 鉄の輪の取っ手を掴む。重い。力を入れて引いていくと、熱気が頬を打った。
 かまどの中。
 そんなことを考え、セシリアは額を流れる汗を拭った。

 

前のページへ  もどる  次のページへ

inserted by FC2 system