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 深い縦穴は、地の底まで続いているように見えた。
 大きい。直径は百メートルほどあるのではないか。向こうで動いている昇降機が、小さく見える。フェルサリには中にいる人の顔が見分けられるが、人間の目では難しいだろう。
 昇降機が、下り始めた。運転するドワーフと、フェルサリたち四人が乗っている。穴の縁を、ゆっくりと下降していった。
 発掘現場では、実にたくさんの人々が働いていた。人間やその他の種族の姿もよく見かけるとはいえ、大半は背が低くがっしりとしている、ドワーフたちである。レムルサにもドワーフはいるが、こんなにも大勢のドワーフを一度に見ることは、なかなかない。
 空が、遠ざかっていく。底についた時には、両手で作った輪の中に、収まるくらいの大きさになった。
「第四層でも特に低い所だから、随分下ってきた印象はあるわね」
 横にいたセシリアが言う。
 穴の底から、放射線状に広がる通路の一つに入る。通路の入り口には番号が振ってあり、分かれ道にも同様の看板がある。セシリアは紙片に書かれた番号を見ながら、一行を先導していく。
 トロッコの線路も敷設してあり、時折それを動かすドワーフたちとすれ違った。トロッコには、土砂が満載されている。
「あの土は、どこに運ばれていくんでしょうか・・・」
 ふと浮かんだ疑問を口にすると、アネッサが答えた。
「あら、フェルサリは、ゴルゴナの耐水セメント知らないの?」
「耐水・・・セメント? 水に強いんですか?」
「それだけじゃなくて、水で固まるんだよ。練って、しばらく乾燥させなくちゃいけないのは普通のセメントと同じなんだけど、乾燥し始めたら、あとは水をかけた方が、かえって速く固まるの。当然、水にも強い」
「へえぇ・・・」
 セシリアが紙片から顔を上げ、アネッサの話を継いだ。
「その耐水セメントを作るのに、ゴルゴナ山の火山灰が必要なのよ。遺跡の発掘だけじゃなくて、火山灰の輸出も兼ねてるってわけ。というより、それありきで発掘が行われてるって話もあるわ」
 物事が成り立っている背景には実に様々なものが絡んでいる。フェルサリは、以前はそういうことにあまり関心がなかったが、オルガの話を聞いてからは、こういうことにも興味を持ち始めていた。
「アングルランドの南の海峡や、シレーナ海を抜けてずっと西にある海賊諸島。この二つの海域では、岬ではなく、海の上にぽつんと佇む灯台をよく見かけるんだけど、これは耐水セメントがなかったら建造すること自体ができなかったでしょうね。昔は、それらの海域には喫水の深い船は出入りできなかった。岩礁だらけでね。今は灯台があるおかげで、ある程度安全に航海できるわけだけど」
 そこでセシリアは、くすりと笑った。
「そもそも海の上の灯台を作る為に、耐水セメントが開発されたって話もある。ま、ここの掘削作業が過去の遺跡を発掘する為に行われてるのか、耐水セメント生産の為に掘り続けられているのか。いずれにせよ、物事が当たり前に動き出してしまうと、因果関係はぼやけてしまうわね。そもそも何の為に、という流れは、見失いたくないものだわ」
「全ての物事には道理がある。なんつってね」
 ネリーが笑って、話を締める。
「そうですね・・・それが不思議で、胸がいっぱいになります」
 いくつかの角を曲がると、どうやら目的地についたようだった。広い空間が確保されており、篝火と、十人ほどのドワーフの姿も見える。
「遅くなったわね。予定より一人増えたわ。問題ないでしょう?」
「おお、セシリア殿ですか。赤チョーク代、一本追加で銀貨一枚ですぞ。まずは、書類を拝見」
 眼鏡をかけた髭の白いドワーフが、セシリアから権利書を受け取った。不備がないか確かめると、アネッサの名を聞き、それを書き足す。書類の下の方に自分の署名をすると、インクを砂で軽く乾かし、慎重に封筒の中に戻す。
 周囲を見回すと、この辺りが過去、本当に街の中にあったことがわかる。土の表面に、半ば埋もれた家の壁や、扉が見えた。足元も、所々石畳であるようだ。奥には、大きな扉が見える。装飾の施されたその扉の向こうが、フォティア神殿なのだろう。
「それじゃ、最後の準備をしましょ。各自装備のチェック。全員終わったら、ネリーの魔力付与ね」
 フェルサリは、背嚢の中身を確かめた。ランタンとランタン油。火打石と火口。針と糸、それらを消毒するのにも使える小さな金属製のカップに、包帯と当て布、消毒薬と傷薬。小さなスコップと、敷き布。水筒と軽食、ハンカチ、ちり紙、ロープ。紙片に書き記したものと、ひとつひとつ見比べる。他に必要なものは、セシリアとネリーが持っている。
「チェック、終わりました」
「こちらもよ」
「あたしも、大丈夫そう。もっとお菓子いっぱい持ってくればよかったかな」
「あははは。ネリー、私が少し持ってるから、足りなくなったら休憩の時に分けてあげるよ」
 二人とも、加えてアネッサも、問題はないようだ。
「じゃ、ネリー。お願い」
「はいよ。アネッサも、武器出して」
 それぞれの得物が、地面の上に置かれた。ネリーはその前に跪くと、房になったお下げ髪の中からひとつ、ほのかに緑色の光を発する珠を取り出した。魔力を、溜めておく魔具なのだという。今取り出した珠は拳くらいの大きさだが、それ自体に重さらしいものは、ほとんどない。以前にも触らせてもらったことがある。
「えーと、威力重視じゃなくて、持続重視でいいのかな?」
「威力は、まったくなくていい。一日保つようにして」
「あ、フェルサリ、飛礫もひとつくらいおまけでやっとくよ」
 言われて、フェルサリは鞄の中から飛礫をひとつ取り出した。一番手に馴染むものだ。
 ネリーが、左手を珠の上に乗せ、呪文の詠唱に入る。普段の抑揚のある話し振りとは裏腹に、低く抑えた、つぶやきのような詠唱だ。機械的な動作で、それぞれの得物に手をかざしていく。
 魔力を付与された武器は、ネリーの珠と同じく、微かな緑色の光を放っていた。振ると、燐光の尾を宙に残す。
「みんな、斬れ味とかはまったく変わってないから、気をつけてね」
「魔力を付与された武器は、そう簡単に刃こぼれしない。まして壊れるなんてことはね。気をつけなくちゃいけないのは、壊れないということで、手に予想外の負担がかかるということよ。本来だったら刃が欠けたり壊れたりすることで逃げるはずだった衝撃が、全て自分の腕にかかる。特に、肘と手首」
 セシリアが言うと、アネッサはしげしげと自らの長剣と短剣を見つめる。
「冒険の初心者が、こうした武器でよく怪我をするわ。私も気をつけていることでもある。今回の魔力付与は、あくまでそういった武器でしか傷つけられない相手がいた時の、予防措置だと思って頂戴。これを手にしたことで、強くなったわけじゃない。逆はあるにしてもね」
 セシリアは主に、冒険の初心者たるフェルサリに対して言っている。フェルサリは強く頷いた。
 フェルサリは二刀と魔法のつぶてを収めた。アネッサと自分が明かり持ちなので、ランタンに油を注し、火を灯す。
 ドワーフの係員から、それぞれに小指ほどの赤いチョークが配られる。これで印をつけた地点までは、踏破したということになるそうだ。
「それじゃ、行くわよ。時間のカウント、お願い」
 セシリアは懐中時計に目をやる。ドワーフの係員も、自らの懐中時計に目をやった。
「大陸歴三九九八年四月三日、午前九時三十五分。これより二十四時間、セシリア・ファミリーが踏破した場所は、権利者に帰属することになりますぞ。よい冒険を」
 セシリアは巨大な扉に手をかけると、両手でそれぞれを強く押して行った。
 ごごご、と音を立て、扉が、ゆっくりと開いていく。


 空気は、あまり淀んでいなかった。
 どこかに隙間があり、ここまで掘削作業が進んだ時点で、空気はある程度入れ替えられていたのだろう。
 扉を開けた先は、神殿の前庭のようだった。両側に何本もの柱が列をなしているが、両端のものは半ば土砂に埋もれていた。折れたまま、土砂で固定されたものもある。
 両側の斜面が今にも崩れてきそうな感じがして、セシリアは少しだけ肝を冷やした。殺意を持った対象、いわゆる敵と言える存在なら、大抵の場合はなんとかできるだろうという自信はある。しかし土砂崩れや落盤のようなものは、どうしようもなかった。ランタンを手に斜面を見つめているフェルサリの顔は、橙色の光に照らされてなお、青ざめて見えた。
「中に閉じ込められるようなことがあっても、二十四時間後には、さっきのドワーフたちが他に多くの兵を引き連れて、助けにきてくれるわ。もっとも、連中の仕事は私たちの救出よりも、私たちがしくじった後の処理をしにくるんだけどね」
 眉を下げ、フェルサリも苦笑する。
「そういうことに、ならないといいですね」
「本当、そう願うばかりだわ。ただ、切り拓ける場所は、自分で切り拓きたいものね」
 エルフの血を引いているフェルサリは、夜目が効く。遠方を見る視力と同じく、その力はエルフの半分くらいだそうだが、わずかな明かりでも、相当な部分が見通せるのだろう。見えていない部分が多いセシリアたちよりも、恐怖の度合いは増しているかもしれない。
 ネリーはけろりとした様子だ。この魔法使いならば、こうした状況で起こる危機に、いくらでも対処できる。
 アネッサは平静こそ装っているが、周囲を見渡す視線はせわしない。
「どうかしら、ここに足を踏み入れてみて」
「・・・何とも言えない気分になる。不思議ね。でも、感慨深いわ。ここに来ることを、ずっと夢見てきたから・・・」
 奥の扉。チョークで印を付け、力を込めて開けた。
 廊下だった。左右の壁の窪みに、等間隔で、先端に球状のものを刺した、細い棒が並べられている。今の建物で言えば、松明を立てかける感じか。あるいは燭台。
「これは、魔法の照明装置ね。こうした神殿は当時、夜も光に満ちていたという話よ。きっとどこかに、明かりを灯す装置があると思う。まずはそれを探しましょう」
 アネッサが言う。セシリアはそれよりも、左右に伸びる通路の奥に、戦士の石像が跪いていることの方が気になった。手前の大きな窪みそれぞれに、全身鎧も飾られている。鎧はそれぞれ十体ほど、合わせて二十体といったところか。板金の色そのままだが、炎を意識した意匠が凝らされている。
「あれは、何かしら?」
「石像の方、おそらくはフォティア様を守る守護戦士の像。手前は神殿守護兵士って感じかしらね。ここが埋もれる前は、司祭の命令ひとつで動く、魔法の番兵という感じだったらしいわよ」
「私たちは、侵入者扱いかしら? 遺跡荒らしと思われても仕方ない感じではあるけれど」
 セシリアは抜剣し、甲冑のひとつを剣先で叩いてみた。乾いた金属音が響き、鎧を立たせているであろう心棒を除いては、中は空洞だということはわかる。
「うーん・・・そのことなんだけど」
 アネッサは顎に手をやり、考え込む表情で続けた。
「これらは、正確にはフォティア様の使い、フォティア様のご意向を受けて動いていたものらしいの。それで、そのフォティア様なんだけど・・・」
 セシリアは、この古い神について、詳しくは知らない。家と、ゴルゴナの図書館にあった数少ない資料に、一応目を通したくらいだ。というのも、残存する資料のほとんどは、まさにここにあるはずだからだ。
 一つ確認しようと思っていたことがあったが、どうしてもわからない点があった。それについて、この語り部は知っているようだ。
「フォティア様はおよそ二百年に一度、正気を失い、人に仇なす存在となるの。頭から二本の角が生えていてね、この内一本を斬り落とすと、フォティア様は正気に・・・というか、穏やかな存在になるのよ。それで私たち下々の者たちにも、火の力を分け与えてくれるようになってわけ」
「・・・じゃあ、大噴火でここが埋もれていた約千年。フォティア神も大層困った状態になっているということかしら」
「そうね・・・そこについて、あまり楽観的なことは言えないと思う」
 セシリアが何よりも知りたかったのは、フォティア神が今なお、存在しているかということだった。いれば、現在でもフォティア神より賜った力を行使できる、神聖魔法を扱う司祭がいてもおかしくはないのだ。ただ、そういう存在が今なおいるという話は、資料でも、今まで聞いた話でも、ついになかった。無論全ての神が神聖魔法の力を与えてくれるわけではないのだが、過去の話では、フォティアはそういった力を人々に与えていたようなのだ。
 よって、フォティアの力を扱える司祭がいない今、フォティア自身ももうこの世界にはいない、あるいは干渉できない存在になっている可能性が高いと、セシリアは思っていた。
 しかしアネッサは、根拠も希薄な中、フォティアはいると言っているように聞こえる。根拠は伝承に詳しいこの娘だけが知っているのか、あるいは自らが信仰する神の存在を、否定したくない気持ちから来ているのか。
「火が、付き合い方を間違えば、家を、森を焼いてしまうのと同じよ。私たちフォティアを信仰する者たちは、フォティア様が猛っている、あるいはお怒りになっている状態と認識しているわ」
「・・・なるほど。今でも他に、フォティアを信仰する者たちそれなりにいるわけね。その中に司祭・・・ないしは現状で、フォティアの神聖魔法を扱える者はいるのかしら?」
「残念ながら、いないわ。大噴火後に、フォティア様のお力を、神聖魔法という形で賜っている者はいない。秘儀そのものは、ずっと継承されてはいるけれど・・・私たちにお力を貸して頂けるような状態には、ないんだと思う」
 ここで神の不在を突きつけることもできたが、それはやめておいた。不在の証明は難しいし、検証したところで、それは所詮この探索の成功確率を探るための論議にしかならない。セシリアはどの神に対してもあまり信心深いとは言えず、アネッサのような敬虔な信者の気持ちを踏みにじるようなことも、できればしたくはなかった。
 アネッサの話を真に受ければ、フォティアはこの世界にいるが、信者にすら干渉できる状態ではないということになる。それはセシリアの想定外の状況でもあった。さらに言えば、この先にいると言っているようでもある。フォティアを守る、戦士たち。
 その可能性に気づいてか、ネリーもフェルサリも、神妙な顔で、じっと黙ったままである。
 一行はそのまま進み、次の大扉に辿り着く。チョークで印を付け、扉に手をかけた。
「やれやれ、少し予定が狂いそうね。元より無理するつもりもなかったんだけど、考えていたよりも、踏破出来る場所は狭まるかもしれないわねえ」
 何かの間違いで、猛るフォティア神と出会ってしまう。それは避けたかった。
 フォティアは下位神という位置づけだが、力はそれより小さく、地母神といったところか。川ごとに異なる川の神がいるのと同じで、火の神だからといって、あらゆる火の根源というわけではない。かまどの女神と言われていることからもわかる通り、力は限定的で、火そのものを全て束ねるのではなく、そのまさに神的な力が、火に関係しているといった感じだろう。
 ただ、その力がいくら弱いと言っても、人の身で倒せるような存在ではありえないだろう。所詮、セシリアも人の身である。
 扉を開けると、あまり広くはない、控えの間であった。すぐ目の前に次の大扉がある。これも今まで通りの両開きだが、半ば開かれたままだ。奥はおそらく、礼拝堂だろう。
 この控えの間には、長椅子や机の類があるだけで、特にめぼしい物はなさそうだ。床には倒れたカップや食器、朽ち果てた何かが散乱しており、大噴火当時の混乱が、色濃く影を残していた。死体がなくてなによりだ。
「アネッサ、あなたを連れてきてよかったわ」
 礼拝堂へ向かう。フェルサリとアネッサが明かりを掲げると、浮かび上がってきたのは高さ四メートルほどの、巨大な石像だった。
「これがフォティア様かな? 綺麗な人だねえ」
 ネリーが言う。
 ゆったりとした古代の服を身に纏う、美しい女性。このキトンとヒスティオンという着物は、第三世界帝国期あたりまでは、この地域でも着られていたものだ。今でもオリエンスの一部では、相応の身分の者、あるいは庶民でも祭や儀式の際に着ることがある。
 長く波打った髪の間から、二本の角が生えている。左の角は、半ばから折れていた。両腕を、天に向けて広げるような格好をしていた。
「アネッサ、フォティアについて、もう少しレクチャーして頂戴」
 軽く咳払いをして、アネッサは微笑んだ。
「・・・これが、フォティア様。実際のお姿は、燃えるような赤い髪をお持ちよ。片方の角が折れているのは、さっき話した通り、フォティア様が怒りの業火に飲み込まれず、私たちに力を与えて下さっている状態」
「二百年に一度、角を斬り落とすと言っていたわね」
「ええ。フォティア様には傍に仕える二つの血筋の人間、フォティア様のお力を借りる神官たちを束ねる"巫女の血筋"と、そのお力の暴走を抑える"戦士の血筋"の者がいたの。その戦士の血筋の者が代々剣の技を受け継いで、猛りそうになったフォティア神の角を斬り落としていたのよ」
 何か、色々と見えてきそうな話ではある。フォティアの伝承もそうだが、このアネッサという娘についてもだ。
「フォティア様の角を斬り落とすには、熟練した剣の技はもちろんのこと、何よりも斬り落とされたフォティア様の角から削り出した剣、"フォティアの剣"が必要なの。そしてそれを扱う為の、巫女による使用の承認。要は、戦士の血筋の者がフォティアの剣を手にし、巫女の承認を得る。これらの手順が必要になってくるわ」
「ふうん・・・あ、角は、その角から削り出した剣じゃないと斬り落とせないとすると、最初の角は、どうやって斬り落としたの?」
 ネリーが、中々に面白い質問をする。
「最初の角は、他の神々との争いの際に折られたの。人が斬り落とすにはその剣が必要ってことで、神そのものだったら、そういう力に頼らなくてもいいわけね。この話はフォティア様の物語の中では、結構面白いものなのよ。私の十八番だし、こんな状況じゃなければ、ぜひ語らせてもらいところ。もっとも、聞かせる前に、オチを話しちゃったけどね」
 そう言って、アネッサは肩をすくめた。
「あ、あの・・・」
 今まで黙って聞いていた、フェルサリが口を開いた。
「フォティア神の信者さんは、今もいらっしゃるんですよね。巫女と戦士の血筋の方々は、今はどうしているんでしょうか」
 それについては、セシリアも聞こうと思っていたところだ。少しずつだが、フェルサリはただセシリアの後ろをついて回る立ち位置から、足を踏み出しつつある。
「残念ながら、今の信者の中に、二つの血筋はないわ。大噴火前に、二つの血筋の行方はわからなくなっているの」
「そうなんですか・・・」
「へええ。あたし、さっきの話聞いて、アネッサがどっちかの血筋の人かと思ってたよ。ていうか、戦士の血筋の人かと思ってた」
 鋭い、ネリーの感想だった。ネリーに相手の剣の腕を察するだけの武術はないが、ネリーなりにそういった推論はできたのだろう。
 アネッサは苦笑いを浮かべ、もう一度肩をすくめた。
「いずれにせよ、ただの語り部ってわけじゃなさそうね。狙いは何?」
「・・・狙いってほどのものはないわ。ただ私は、中がどうなっているか知りたかっただけ。フォティア様はまだここにいらっしゃるのか、私はいると信じているけど、何せこの千年間、ここは地層に埋もれていたわけでしょう? 確かなことは何も言えないじゃない。ただの語り部として現れたことが、おかしな誤解を招いたようだったら謝るわ。でも私が語り部としても、ここを訪れたかったというのは本当。私は伝承を受け継ぐ語り部として、フォティア様のその後がどうなったのか、正確に、最初に知る義務があると思ってるの」
 そう言って、アネッサは悲しそうに笑った。その笑い方に、嘘はない。
 思っていたより手強いのかもしれない。
 セシリアは、そう思った。

 アネッサの言葉に、セシリアは冷たい笑みを返した。
 よくはわからないが、セシリアには何かしら、思う所があったのだろう。少し険悪な空気が流れかけたので、どうしようかと気を揉んだが、やがてそういったものは霧散し、フェルサリは安堵のため息をついた。
 だが、この神殿で、怒れるフォティア神に出くわしてしまったらどうするのだろう。フェルサリはそれをアネッサに聞いてみた。
「え? そりゃもう、とんずらするに決まってるでしょう。私たちでどうにかできる存在じゃないよ。神様だよ?」
 もっともな話だ。セシリアも口を開く。
「その通りね。いずれにせよ、探索はもう少し続けましょう。まだ入ったばかりだし、成果らしいものもほとんどないわ。入り口から礼拝堂までの権利を売ったとしても、金貨五十枚くらいにしかならない」
 金貨五十枚でも大金だが、ここの探索権には、三百二十枚がかかっている。セシリアは壁の一つに向かい、赤いチョークで印をつけた。それを隠しにしまうと、いきなり抜剣する。
「あと、そうね、最低限の危険は排除しておかないと、地価が下がるわね」
 視界の隅に何かを見たような気がして、フェルサリも抜刀した。石像の台座にランタンを置き、もう一刀も鞘から抜く。
 青い、炎。微かにちらついていたそれは、徐々に大きくなり、フェルサリたちの周囲を、値踏みするようにゆっくりと旋回した。
「アネッサ、あれを斬って、バチは当たらないかしら」
 セシリアが聞く。アネッサも、二刀を抜いていた。
「あれがおそらく、フォティア様の使い。フォティア様の角を折るのと同じ、こっちは爪を切って差し上げるって感じだから、その行為自体で、怒りを買ったりしないよ。それにバチなら、今まさに当たろうとしてるんじゃないかしら」
「・・・やれやれね。いくら下位神や地母神の類とはいえ、神に喧嘩は売りたくないんだけど。おっと、今のはフォティアを馬鹿にしているわけではないので、あしからず。というより、穏便に済ませる方法はないの?」
「怒りにその身を焼かれていないフォティア様は、温厚なお方だよ」
「怒りに触れてしまったみたいね。というより千年間、怒りっぱなしなのかしら」
 炎はもう、人を飲み込めるほどの大きさになっていた。フェルサリたちが来た方向に、ゆっくりと浮遊していく。不意に、それが大きく爆ぜた。
「っ・・・!」
 目を開けると、炎は無数の、小さな火の玉に分かれていた。それらは速度を上げて、通路の奥へと消えて行く。
「乗り移って、来るわ」
 通路の奥から、がしゃんがしゃんという音がする。鎧の音。あの甲冑に乗り移って、こちらに来るのだろうか。足音の数は、多い。
 すぐに、予想が当たっていることがわかった。甲冑の戦士たちが抜剣し、こちらに向かってくるのが見えたからだ。その後ろから地に響く足音がして、鳥肌が立った。あの石像も、こちらにやってくる。
「甲冑の戦士たちだけど、半幽体の魔法生物が、鎧を着ているようなものね。魔力付与された私たちの武器なら干渉できる。鎧ごと断ち割ってもいいし、鎧の隙間から刃を滑らせてもいい。中にいるヤツを傷つければ、それで仕留められるわ」
 セシリアの顔は涼しげだ。フェルサリは、その横顔に勇気づけられた。
「私は、あのゴーレムの相手をする。それに集中できるよう、アシストして。一体一体は大したことないけど、囲まれればまずいことになるのは、どんな相手でも一緒。あなたたちもいっぺんに何人も相手にしないよう、うまく立ち回るのよ」
 言いながら、セシリアは扉の脇に陣取った。そちらに向かう甲冑戦士以外は、やり過ごす格好だ。
「うーん、こういうごちゃごちゃの相手にすんの、苦手なんだよなあ。セシリア、ゴーレムはあたしがやっちゃおうか?」
「この先まだ何があるかわからないから、魔力は温存しといて。それにあんたが暴れると、神殿がめちゃくちゃになる」
 二人のやり取りを聞いていると、自分が無駄な恐怖感を抱いているのかもしれないと思ってしまう。加えて、ネリーにはゴーレム二体を相手に出来る魔法があるようだ。重力。どんな魔法なのか、想像もつかなかった。ただ、ここではネリーの魔法を当てにはできないようだ。
「フェルサリ、ここは私たちでなんとかしましょ」
 にこりと笑ったアネッサが、二刀を構える。
 長剣と短剣。長剣をまっすぐ前方に突き出し、短剣を持った左手は、力なくだらりと下げられている。一見不均衡なこの構えは、最強剣術のひとつと名高い、エスペランサの剣士が使う構えだ。構えは簡素でも、そこから繰り出される動きは、並の腕では真似もできない。この構えが伊達でなければ、アネッサは、フェルサリなどでは足元にも及ばない、相当の使い手だということになる。
「は、はい・・・足を引っ張らないよう、努めます」
「うん。油断しなければ、フェルサリの腕なら、大丈夫」
 駆けてくる甲冑戦士の一人に、アネッサは何の気負いもなく、そして構えを崩さずに、歩を進めた。猛然と迫る甲冑戦士が、その勢いのまま、剣を振り下ろす。
 いきなり、すさまじい金属音が、鼓膜を打った。突き。目にも止まらぬとは、まさにこのことだった。一瞬で、何発の突きを放ったのか。アネッサは、のけぞった戦士の首に短剣を差し込み、あっさりとその首をはねる。
 感心している場合ではなかった。フェルサリの方にも、戦士は駆け寄ってくる。
 振り下ろされた刃を、二刀を交差させて受けた。目の前で火花が散る。そのまま二刀を相手の刃の先端近くに走らせ、てこの原理で押し返した。力は、人間の男と同じくらいか。胸に前蹴りを放ち、のけぞったところで、首に短刀を突き出した。そのまま一気に短刀を薙ぐ。
 血が噴き出すように、青い炎が吹き上がった。すぐに火の勢いは弱まり、鎧が崩れた拍子に、火の粉は宙へと消える。
 次の敵。二体が同時に襲いかかってきた。銃声。二発三発と続き、束の間、左の敵の動きを止める。
「とどめはフェルサリが刺して。足止めくらいならできそう!」
 ネリーの魔法銃が、次々と火を吹いた。威力は火薬を使う銃より大きく劣るという話だが、素早い連射がきくというのは、大きな強みである。
 剣。かわしざまに、脇に突きを入れた。手応え。炎が噴き出し、鎧が崩れ落ちる。すぐ横で、別の鎧が火を吹いた。アネッサはもう、十体近い甲冑戦士を倒していた。フェルサリに軽く笑みを投げると、次の獲物に向かう。
 奇妙な和音に続き、地を揺るがす衝突音が鳴り響く。セシリアが、石のゴーレムの拳を、音壁で受けていた。返す刀で、隣りのゴーレムを、渾身の一撃で斬り下ろす。激しく火花が散り、金属で石を斬る破壊音が、大気を震わせる。身体を両断されかけた石の戦士は、そのままどうと後ろに倒れた。
 フェルサリに向かってくる戦士。立て続けに、飛礫を投げた。魔力を付与された飛礫ではない。それでも充分だった。動きを止めた戦士に、身体ごとぶつかった。勢いで、甲冑の中にまで刃は到達している。足をかけて刃を引き抜く。燃えながら、戦士は動かなくなった。
 見回すと、甲冑戦士の最後の一人を、アネッサが倒すところだった。
 ネリーは既に、セシリアの援護に回っていた。魔法銃でゴーレムの気がそがれた直後に、セシリアが袈裟に斬り下げ、同じ軌跡をなぞるように、下から斬り上げた。斬撃で削られた深い溝から、青い炎が吹き上がる。石の戦士は胸に手をやったまま、後ろに倒れた。勢いで身体はばらばらになり、土煙と魔力の残滓が、宙へと舞い上がり、消えて行った。
 音高く、セシリアが納剣した。
「やれやれ、最初からこれじゃ、先が思いやられるわね」
 フェルサリは、自分の戦いで精一杯だった。セシリアの見立てでも、楽な戦いではなかったらしい。
「これ以上の危険を感じることがあったら、引き返す。もっとも、今のが最後か、一番敵の壁が厚いところだったと思うけど。同じ規模の敵が近くに潜んでいるとしたら、戦闘中に駆けつけていたはずよ。小出しの援軍は最も悪い手だから。各個撃破されないよう、ここに集まっていたと考えましょう。といっても、何か大事なものを護るため、持ち場を離れなかった連中がいるかもしれない。慎重に行きたいところだけど、あまりぐずぐずしているわけにもいかないのよね。うーん・・・」
 セシリアは、おそらくこれもフェルサリに対しての説明だったからだろう、長口上を述べた後、キセルに火をつけた。そのまましばらく、考えにふける。ランタンの火のちらつきに、その横顔の影が揺らめく。
「あ、こっちこっち。これで、明かりがつくんじゃない?」
 フォティアの石像の後ろに回っていた、ネリーが言う。三人も、そちらへ向かった。
 石の台座に、人の頭ほどの水晶玉が据えられている。その横には、錆び付いたレバー。
 ネリーは水晶に手を置き、呪文を詠唱した。魔力を送っているのだろう。水晶が、内側から光を放っていく。
 レバーを倒すと、聖堂内部に光が灯った。先程の照明装置が、至る所にあったのだ。フェルサリにとっては充分明るいが、他の三人にとっては薄暗いと感じるかもしれない。ただ、これで充分な照明となってはいるだろう。フェルサリは元々ランタン程度の明かりで、日中と変わらない程度の視野を確保できていたので、問題はない。
 礼拝堂からは、入ってきた南の扉とは別に、東西に二枚ずつ、計四枚の扉がある。
「ここから、二手に分かれる。まずは南よりの二カ所から探索するわ。途中、敵と出会って戦闘になるようだったら、二人で相手に出来るのか、よく吟味して。まずいと思ったら、必ず引き返すこと。二時間後にここに集合ってことにするけど、探索が終わったと判断したら、早く戻って来てもいい。場合によってはもう一組との合流を図ってもいいけど、二時間後には必ずここにいること。いいわね?」
 三人が同意する。まずはセシリアとアネッサ、ネリーとフェルサリという組み合わせにするようだ。南東の扉をセシリアたちが、南西の扉をフェルサリたちが探索する。別棟に続いているはずだと、セシリアは言う。
 セシリアと離れる不安もあるが、先程の戦闘を思い返すと、戦力的に最も劣るフェルサリは、セシリアかアネッサと組んだ方がいい気がする。だがセシリアは、自分とネリーの組み合わせでいいと判断したのだ。
 セシリアたちは手を振ると、扉の向こうへ消えて行った。
「じゃ、あたしたちも行こっか」
 言いながら、ネリーは背嚢の中をごそごそと漁り、小さな包みを取り出した。ぱきりと音がして、指先ほどの欠片を差し出す。チョコレートだった。
「甘いもの食べると、少し落ち着くよ?」
 弾けるような笑顔で、ネリーは言った。

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