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 フェルサリとネリーが、目の前で対峙していた。
「じゃ、早撃ち勝負だよ。三つ数え終わったら、振り向いて撃つ」
「は、はい、わかりました」
 ネリーは魔法銃、フェルサリは飛礫を使うらしい。魔法銃についてセシリアはネリーに注意したが、殺傷力のある弾は使わないそうだ。当たり前の話である。それよりも、音を心配したのだ。近所に銃声が響き渡ると、過去何度かあったこととはいえ、印象が悪い。地下でやりなさいと言ったが、ネリーは今にも撃ち出しそうな気配だった。ロベルトにまた、気苦労をかける。
「それじゃ、始めるよ。あたしが数を数える」
「はい」
 勝負は目に見えている。二人が背中を合わせて立った。同時に、歩を進める。
「いち・・・にぃーのぉー、さんっ!」
 飛礫が、ネリーの額を捉えた。
「うぎゃうっ!」
 情けない悲鳴を上げ、ネリーが大の字に倒れる。銃を抜く間もなかった。フェルサリは力を入れずに投げたので、帽子と巻き付けられた髪が緩衝材となり、ネリーに怪我らしい怪我はないだろう。何よりもこの庭で銃声を響かせなかった、フェルサリに喝采を送りたい。
 フェルサリが慌ててネリーに駆け寄る。抱き起こすと、ネリーは頭を振って、フェルサリに言った。
「いたた・・・いやあ、フェルサリも、腕を上げたねえ」
「い、いえ、そんなことは。気をつけて投げましたけど、大丈夫でしたか?」
「なんの、これしきの傷。戦塵に生きてきた身よ」
「何が戦塵よ。まったく」
 セシリアはまだ温かい紅茶に口をつけた。薔薇の香りが鼻をくすぐる。
「フェルサリはあなたが思っているよりも、ずっと強いのよ。ま、剣では元々敵わなかったとは思うけど」
「本当に、そうだねえ。フェルサリ、強くなったねえ」
 フェルサリは、戸惑いの表情を浮かべた後、セシリアとネリーを交互に見つめ、顔を赤くして俯いた。
 ロベルトが、再び道場を抜けてきた。紅茶のおかわりにしては、早い。見ると、手紙を携えていた。依頼については今夜ゆっくり吟味するつもりだったが、急なものでも入ったのだろうか。
「お館様。例の発掘許可が下りたみたいですよ」
 急ぎのものではなかったが、別の意味で大事な案件だった。
「あら、早かったわねえ」
 聞いて、二人もこちらにやってくる。
 発掘許可。探索許可といってもよかった。永世中立都市ゴルゴナの地層に埋もれた遺跡の発掘、探索権利である。
 フェルサリはもちろんのこと、ネリーにもこの件について詳しく話してはいなかった。
「さてと、どこから説明したものかしらね・・・」
 二人が席に着くのを待ち、セシリアは話し始める。
 ゴルゴナは、シレーナ海に浮かぶ島で、田園風景も多いものの、島全体がひとつの都市となっている。この都市は、島の中央にある火山の噴火により過去四度、街のほとんどが火山灰に埋もれた。そして噴火の度にその上に都市を築いてきたので、常に都市部の下に、広大な地下遺跡を抱えているのである。
「発掘作業は、今も至る所で続けられているわ。前回の噴火で埋もれた、第四層の発掘がメインだけどね。で・・・」
 掘削作業が進むと、自然、大きな歴史的建造物や、魔法使いの研究所、今は失われた信仰の神々の神殿、それらに到達する。
「第四層は、第四世界帝国時代、歴史上最も魔法が栄えた時代よ。大魔法時代とも言われる。今では考えられないくらい、魔法と関わりあるものが世界に溢れてた。使い魔やゴーレムの類を見ることも、日常の光景として、当たり前にあったそうよ」
「今のあたしたちが、蒸気機関車や懐中時計、銃を見ても驚かないのと同じ感覚だったと思うよ。そりゃまあ、田舎の方は今も昔もそういうものに疎遠かもしれないけれど、そういうものが街に溢れてるって聞いて、びっくりするような人はいないよね」
 ネリーの補足に、フェルサリもうんうんと頷いている。ロベルトが話の後を継いだ。
「それで、掘削作業が魔法的な障害があるかもしれない建造物、遺物に行き当たった時は、我々のような冒険者が先陣を切って安全を確認、ないしは確保するというわけです」
「はっきりと言わせてもらうと、ほぼ全ての遺跡は、魔法のガーディアンに護られているわ。ほとんどが自分の意志のようなものは持たず、ひたすら今は亡き主人の帰りを待っている連中だから、中に入れば争いごとは避けられないわねえ」
 フェルサリが、緊張の面持ちで頷いている。
「発掘された空間は基本的に市に帰属されるんだけど、発掘権を買い取った場合、その場所に踏み込んでから二十四時間、踏破した場所は発掘権を買い取った者の物になるのよ。土地、空間だけでなく、中にあるものも全てね」
「中には、とんでもないお宝が待っているかもしれないねえ。セシリア、どんな場所買い取ったの?」
「フォティア神の神殿。火の神、かまどの女神、フォティアね。今はごく僅かな信奉者が残っている程度だけど、当時はメジャーな神の一柱だったそうよ。神殿も、地図によれば、それなりに大きい」
「ふええ。いくらで買い取ったの?」
「金貨三百二十枚」
 フェルサリが、息を呑んだ。前回のオルガの依頼で金貨二十枚の報酬を手に入れたフェルサリだが、やはりこれが大金であることには変わりはないだろう。セシリアも、軽い気持ちでした買い物ではない。
「一応、私のポケットマネーで落としておいた。収支がきちんと出たら、経費で落とさせてもらうわね」
 発掘権の競りは、際どいものだった。思い切って三百と言った直後に競合者から三百一枚と言われ、三百二十枚でとどめをさした。相場的に二百八十枚くらいと踏んでいたので、少しばかり余計な出費をしたことになる。
「セシリアの見込みでは、儲けが出るの?」
「土地の権利、中にあるものを学術機関や研究施設に売るとして、大体金貨四百から四百五十枚くらいを見込んでいるわ」
「へええ。この三人で行くとして、一人金貨十五枚くらいを見込んでるのか。悪くないねえ」
「そうね、儲けの半分はパーティに入れるから、一人頭、金貨十五枚以上。二十四時間以内に終わる案件としては、いい額だと思うけど?」
 フェルサリの顔を見る限り、今までの話で大体のところはわかったようだ。が、微かだが、疑問の陰もちらついている。
「フェルサリ、質問は?」
「あ、ええと・・・手に入れたものは、全て、売却するのでしょうか・・・?」
 なるほど、悪い質問ではない。
「欲しいものがあったら、持っていっていいわ」
「え? あっあ、でも、それだと・・・そういう意味じゃ・・・」
「あ、ちょっと私も言い方が悪かったかもしれないわね。でも欲しい物があったら、持って行っていいってのは本当。もちろん、回収したものは一度メンバーに見せて、今回の場合は私とネリーだけど、合意の上で、欲しいものがあったら持っていっていいわ。基本的には、そこで見つけたものは、私たちの物なんだから」
「例えばあたしに役に立つようなもので、他の人に役立たないものだったら、あたしが持っていっても、多分誰も文句は言わないよ。逆に言えば、あたしが魔法の金槌とかもらっても、しょうがないもん。それが研究に役立てば別だけどさ」
「今回の遺跡探検に関わらず、基本的に、私たちが取り分で揉めることって、ないわねえ」
「みんな、あんまりガツガツしてないからねえ」
「というわけで、欲しいものがあったら、一度二人に見せてくれれば、持っていっていいわ。あんまり値が張りそうなものだったら、報酬からいくらか差し引かせてもらうかもしれないけど。今回売却を前提に話したのは、多分私たちに役に立つようなものはないだろうからってことで、よ。神殿自体、手に入れても仕方ないしね。それを必要とする、然るべき買い手の手に渡るべきでしょう」
「はい。わかりました」
「基本、あるべきものを、あるべき場所に、よ」
 フェルサリが納得した様子で頷く。
「さてと、ちょうどネリーもいることだし、明日にでも出発しましょう。急ぎでもないけど、ぐずぐずしてると他の案件に差し障ってくるしね。私、ネリー、フェルサリの三人で行くことにする。ネリーは帰ってきたばかりだし、ゆっくり休んで頂戴。私たちは、装備の買い出しにでましょう」
「切符の手配を致しましょうか?」
 ロベルトが聞く。
「ん・・・いいわ。近場だし、普通の客室で行く」
 セシリアは立ち上がると、庭の中を歩き、空を見渡した。風はなく、流れる雲も止まって見える。
「いい天気。しばらくこんな陽気だとすると、一日でも、地下に潜るのがもったいない気がするわねえ」
 セシリアが呟くと、すぐ横で、フェルサリの頷く気配がした。
 気配だけで、そういうことが伝わってくる。

 車窓から見える景色が、速い。
 一面海原なのだが、不思議と、この列車がかなりの速度で移動していることはわかる。
 列車は、大陸とゴルゴナを結ぶ橋の上を走っていた。窓に顔を近づけて眼下を覗き込むと、はるか下方にある海の上を、飛んでいるかのようだ。
 個室の旅ではないので、他の乗客たちの姿も見える。それぞれの卓で、思い思いのことをしていた。話している者、寝ている者、本や帳簿をめくっている者。皆、どういう経緯で、どういう気持ちでゴルゴナに向かっているのだろうかと、しばしフェルサリは思いを馳せた。
 冒険の旅に出ているのだと思うと、胸が締め付けられるような緊張感がある。同時に、何度目かのゴルゴナ行きを楽しみにしてしまっている自分もいる。何か不謹慎な思いもあり、フェルサリは自分の気持ちを持て余していた。
 台車に乗せて、昼食が運ばれてきた。隣りに座っているネリーは大喜びで皿を受け取り、向かいのセシリアは優雅な手つきでそれらを受け取っていた。
 トマトソースのパスタに、ビーフシチュー、えびの入ったサラダ。今食べるには少し重い気がしたが、幸いそれぞれの量は多くはない。
「どうしたの? 複雑そうな顔をして。好き嫌いはなかったと思うけど。列車に酔った?」
「あ、違うんです。あ、ええと・・・」
 フェルサリは、自分の気持ちを正直に打ち明けた。
「・・・いいんじゃない? 確かに家を出てから冒険は始まっているとも言えるけど、同時にほとんどの冒険は数日、長ければ何ヶ月もかかる長丁場なわけだから。立ち合いのようにずっと気を張りつめていたら、一日と保たないわ。気を入れる時と抜く時。気持ちの切り替えも重要よ。のっぴきならない状況の時に、気が散ったりおかしなこと考えられても困るわ」
「あたしなんか、戦闘中でもお菓子のこと考えてることあるよ」
「あなたは少し緊張感を持ちなさい」
 二人のやり取りに、思わず、笑みがこぼれた。そんなフェルサリの様子を見て取って、セシリアも口元に笑みを浮かべる。
「遺跡に潜るのは、明日の朝。ゴルゴナに着いてからは、夕食の時に待ち合わせるとして、それまでは自由行動よ。あまり時間があるとは言えないけど、好きなことしてらっしゃい」
「あ、ありがとうございます」
「御礼を言うことじゃないのよ。確かにここでは私がリーダーで、指示にも従ってもらう。それ以外の、個々人がやりたいことに関して、リーダーとして干渉することはないわ。仮に私が何かいうことがあるとしたら、それは私個人の意見として聞いて頂戴」
「そうそう、好きにやればいいんだよ」
 ネリーが言うと、サラダを口に運びかけていたセシリアは、ふうとため息をつく。
「ネリーみたいに、私がリーダーとして言うことにも、ちゃんと耳を傾けない者もいるわ。私の意見に反対があったら、フェルサリもちゃんと言いなさい。意見を交わすことで、初めて辿り着ける正解もあると思ってるわ」
「結局冒険者って、個人の集まりだからさ。それぞれがパーティの利にかなうよう、ベストを尽くせばいいんだよ。それができてれば、文句を言う筋合いも、言われる筋合いもないんだよ」
「・・・ま、そういうことね」
 前回の、初めての冒険では、フェルサリはセシリアの後を付いて行くだけだった。ただ、あの巨人喰らいとの戦闘では、その時の状況に応じて自然に動けていたという気がする。追いつめられていたというのもあるかもしれないが、つまりは常時、気負うことなくそうあればいいのかもしれない。
 皿が下げられると、セシリアはキセルに火をつけた。煙を吐き出しながら、窓の外に目をやる。
 何艘かの船が、海を行き来していた。ここからは小さく見えるが、実物はセシリアの家よりも大きい輸送船もあるはずだ。多くの人が乗り込み、より多くの人々の元へ、荷を運んでいる。
「んで、フェルサリは、ゴルゴナ着いたら行きたいとこあるの?」
 ネリーがくりくりと目を輝かせて聞いてきた。
「ええと、古い切符・・・とか、そういったものを売っているお店に、行ってみたいです」
「ああ、そういえば、そういうの好きなんだよねー。いいよ、あたしが街を案内してあげる。セシリアは、発掘権の手続きだとか、その後のお楽しみで、忙しいでしょ?」
「ん・・・まあ、そうね」
 少し眉間に皺を寄せながら、セシリアが言う。お楽しみ、の部分は、フェルサリも気になった。
「とりあえず必要なものは書類も含めてこっちで用意しとくわ。あなたたちも、楽しんでらっしゃい」
 それからは、ネリーに聞かれ、前回の冒険の話をセシリアと二人ですることになった。やはり同じ魔法使い同士だからだろう。ネリーは特にオルガについて興味があるようだった。無論、ジネットに関しても同様だ。
「ホント、世の中には色んな魔法使いがいるもんだねえ」
 当の本人が言っているのだから、まさしくそうなのだろう。
 ゴルゴナが、近づいてきた。島の姿が大きくなるにつれ、フェルサリの胸も高鳴っていった。

 この街には、何通りもの呼び方がある。
 永世中立都市、永世自由都市。永世、の部分を、絶対と言う者もいる。金が全ての街、なんて言われているのを聞いたこともある。しかしフェルサリは、蒸気と鉄道の街ゴルゴナ、という呼び方が、ぴったりだと思っている。
 具足に着替えたセシリアを追って、広い構内を歩く。駅、というよりは、城や宮殿といった感じだ。天井は厚いガラスで覆われており、日のある内は建物の中とは思えないくらいに明るい。行き交う人々の数は多く、構内には様々な店や施設がある。レムルサの駅をより大きく、複雑にしたもの。大陸鉄道すべての始発となるこの駅は、豪華さも、巨大さも、あらゆるものが抜きん出ていた。
 知った顔に会ったのだろう、セシリアが誰かに手を振っていた。よそ見していてもセシリアの歩みは淀みがなく、立体的な迷路としか思えない道を、慣れた足取りで進んでいった。
 人だけでなく、周囲には亜人種も多い。エルフ、ドワーフ、ハーフリング。そういった種族はレムルサでもたまに見かけるが、全身毛で覆われている獣のような種族、鱗に覆われた蜥蜴人たちの姿さえ見かけることがあった。
 種族のるつぼ。世界の中心。そう呼ばれる街であるということも、あらためて思い出される。
 階段を上り下りし、何本もの通路を進んでやってきたのは、小さな列車の停まっている、小さなホームだった。
 先頭車両の形は大陸鉄道の他の列車とそう変わらないが、それをそのまま小さくしたような作りで、白い髭をすすで汚したノームの運転手が、列車に跨がるような格好で座っていた。客車部分は箱形でなく、長椅子を二つ、背中合わせに固定したようなもの。それを一車両として、十車両ほどの長椅子車が連なっている。
 フェルサリも、これには何度か乗ったことがある。街の内部を網の目のように走る交通網の一つで、馬車感覚で乗るものだ。馬車は馬車でこの街にもたくさん走っているのだが、ゴルゴナといえばやはりこれだろうとフェルサリは思っていた。停車駅分の運賃を支払ってもいいが、大抵の者は、半銀貨一枚で、どの路面列車にも一日乗り放題の切符を買うそうだ。小さな青い台紙にこの街の紋章である人魚の絵と、日付が印刷されている。簡素だが、フェルサリはこの切符も好きだった。小さくてかわいらしいのだ。
「お嬢さんも、一日券で?」
「は、はい」
 二人に続いて半銀貨を渡し、青い切符を受け取る。
「それでは、出発進行!」
 ノームの運転手が、陽気な声で言う。乗客はまだ自分たち三人だけだが、この列車の速度は歩くよりは早く、走るよりは遅いといった感じなので、停車駅どころか走行中に、走って乗り込む人間の方が多いくらいなのだ。
「フェルサリ、うれしそうな顔しちゃってえ」
「えっ? そ、そうですか?」
 ネリーの言葉に、思わずどきりとさせられる。自分で思っているよりも、気持ちが表に出ているのかもしれない。以前は、表情が読み取りづらいと言われていたし、自分でもそうだろうと思っていた。
 列車が、ゆっくりと動き出す。構内を出ると、いきなり建物と建物をつなぐ、橋の上だった。三階分くらいの高さだろうか。
 思わず腰を浮かせかけて、次いで、笑みがこみ上げてきた。ぐっとこらえたつもりだが、セシリアはそんな自分を見てだろうか、くっくっと小さく笑っていた。
 次の建物の中に入ると、列車はゆっくりと下方へ向かい、再び日の光の元へ出る時には、地上の上を走っていた。
 目の前を、すぐ横を、人が、あらゆる種族の者たちが行き来している。フェルサリたちと同じような、一目で冒険者とわかる格好をしている者も少なからずいる。閑静なレムルサの住宅街を歩くのも好きだが、こうした猥雑な街並も嫌いではなかった。
 高低もさることながら、それぞれ形のまったく異なる建物が立ち並んでいる。店の看板の高さもまちまちで、すぐ上に洗濯物が干されていたり、その横で見たこともない備え付けの機械が、黒い煙を上げたりしている。
 フェルサリは、空を見上げた。高い建造物のおかげで、空が、高く見える。あの塔のてっぺんより、空はずっと遠くにあるのだ。街中至る所で吹き上げられる蒸気と煙が風に流されると、白い雲が、目にも鮮やかに飛び込んでくる。
 路面の線路は、ゆるやかに蛇行している。実際は逆なのだが、列車が人の波を避けながら走っているようだ。何人かが運転手に切符を見せ、思い思いの席に飛び乗った。他の列車とすれ違う度、運転手同士は帽子を上げて挨拶する。
「ふふ、見ていて飽きないわね」
 そっと、フェルサリの肩にセシリアの手が置かれた。
「はい・・・」
「こことは違うけど、ヴェルジナも見ていて飽きないわよ。ゴンドラに乗って、一日中街の水路を行ったり来たりする」
 行ったことはないが、ラテン都市同盟の東の方にある、入り組んだ水路の街については、聞いたことがある。
「今度そっちに行く機会があったら、帰りにでも寄ってみましょうか。旅先でも、のんびりできる時はした方がいいわ」
「は・・・はい!」
「ふふ。しばらく行ってないから、私も楽しみにしているわ」
 ふとネリーの方に目をやると、他の乗客たちと話しているようだった。フェルサリのような屈託に満ちた半エルフの心にも、すっと入り込んできたのだ。出会ったばかりの人間と親しく話すくらい、造作のないことなのだろう。
 引き寄せネリーと呼ばれているそうだが、むしろネリーの方が色々なものに引き寄せられているようで、見ていて不思議な、それでいてあたたかい気持ちになる。
「さてと、着いたわよ」
 宿は、淡い色調の、それでいて豪華さと品格を感じさせる作りのホテルだった。赤い絨毯の玄関ホールは、ゴルゴナ駅とは違った意味で、宮殿という感じがする。すぐに屈強な荷物持ちがやってきて、フェルサリたちの鞄を抱え持った。階段を上り、案内された部屋に入る。三人だけでは大きすぎる、広くてお洒落な部屋。ゆっくりしてもいいかなとも思ったが、夜には戻ってくるのだ。三人は最低限の荷物だけ持って、すぐに外に出た。
「明日は一日探索に費やすけど、明後日、もう一日くらい、ここにいてもいいかもしれないわねえ」
「あらあ、せっかちなセシリアさんが、急にどうしたの?」
「フェルサリの様子を見ていると、つい、ね」
 自分が夢中になって周りの景色を楽しんでいた時に、セシリアはそんなことを考えながら隣りに座っていたのかと思うと、フェルサリは気恥ずかしさに、俯いてしまいたくなる。セシリアは懐中時計に目をやった。
「七時に東西亭に集合。場所はネリーが知ってるわね。じゃ二人とも、羽を伸ばしてらっしゃい」
「はい!」
「はーい」
 背を向けて雑踏の中に入っていったセシリアは、白い具足姿が目立つはずなのに、何故かこの街の景色に馴染む。振り返ると、もうその姿は人の波に消えていた。
「さ、行こっか。ええと、古い切符とか売ってる店だよね。その店自体は知らないけど、あたしも銃を列車の形にするくらいには好きだからさ。あんま詳しくないんけど。これを機に、あたしもちゃんと勉強してみるか。ともあれ、そういうのありそうな地区だったらわかるよ」
「あ、ありがとうございます。でも、ネリーさんの行きたい所もあるんじゃないですか? よければ、そちらを先に・・・」
「ああ、あたしは露店で食べ歩くのが好きだから。そういうの、どこでもあるでしょ。行く先々で、おいしそうなもの見つけるよ」
「あ、ありがとうございます」
 普段だったら、ありがとうより先に、謝罪の言葉が口をついてしまう。が、ネリーといると多くの場合、謝罪よりも感謝の言葉が口をつく。
 手近を走っていた路面列車。二人で切符を見せ、後ろの席に飛び乗った。セシリアの元を離れて行動するのは、レムルサで散歩や買い物に行く時くらいなので、これもちょっとした冒険気分である。普段は一人でいることの多いフェルサリだが、考えてみるとセシリアが屋敷にいる間は、常に近くにいたのだと思う。
「そういやさ、フェルサリって、もう恋人いるの?」
「っ!? い、いないです・・・」
「ふうん、ロベルトとは、どうなの?」
「え、ええと・・・わからないです。大切な家族だとは思っていますけど・・・」
 いきなりこんなことを聞かれ、フェルサリは動転しかけた。
「そうかあ。あたしが帰ってきたらいきなり冒険者になってたからさあ、ちょっと留守の間に、他にも色々あったかもって思ったんだけど」
「うーん・・・でも私に関して言えば、実戦を経験することで、いくらか気の持ちようは変わったかなと思っています」
「列車の中でも聞いたけどさあ、そりゃいきなりそんな修羅場に放り込まれちゃあねえ・・・」
「そ、そういえば、ネリーさんは、恋人さん、いらっしゃるんですか?」
「お、言うようになったねえ。ふう、駄目よ。あたしの魅力のわかる男が、中々見つからなくてさあ・・・」
 セシリアだったら一つ二つ突っ込みを入れるところだろうが、フェルサリはネリーを魅力的な女性だと思っていた。掴み所はないが、心の底に、あたたかいものを持っている。
 自分は、異性からどう思われているのだろうか。束の間、フェルサリは考えてみた。
 よく一緒に子供たちの面倒を見たり、食事や洗濯をしているからだろう、ロベルトと自分が、周囲からお似合いだと思われている気配は、それとなくある。が、ロベルトが自分に異性としての興味を持っているかについては、違うという気がする。ロベルトは、セシリアに対して崇拝に近いくらいの愛情を持っているのだ。好みにしても、自分のように子供っぽい感じよりも、年上や、年下でもお姉さんといった雰囲気を持った女性に、惹かれているのだ。ロベルトはセシリアより年上だが、大人っぽさではセシリアはまさしくロベルトの理想に当たる。
 フェルサリ自身は、どうだろうか。ロベルトに愛を迫られれば、断らないという気がする。しかし本当に好きかと問われれば、異性としてよりも、兄のような存在として見ているという側面が、やはり強い。
 ただ、充分自覚していることだが、フェルサリは周りから思われているよりも、情欲が強い。性欲を持て余してしまうことが、よくあるのだ。こういう部分は、人間の血を強く受け継いでいるのだと思う。エルフは性欲がひどく弱いという話で、それは先日ロサリオンからも直接聞いた。ロベルトに迫られれば、好きとか嫌いを除いても、まず情欲が勝って、身体を許してしまうという気がする。
「あらあ、フェルサリ、鼻の下伸ばして、何考えてんの?」
「えっ・・・!」
 慌てて口元を隠すと、ネリーは手を叩いて喜んだ。
「ええぇ!? ちょ、ホントにそんなこと考えてたの?」
「かっ・・・からかわないで下さい!!」
 大きな声に、行き交う人々が一斉に振り返る。フェルサリは頬がとても熱くなるのを感じながら、ただ俯くだけだった。
 そうこうしている間に、列車は小物や骨董品の店の立ち並ぶ一角に入っていた。席から飛び降りるネリーに続き、フェルサリも走っている列車から飛び降りた。
 路面列車に乗るのも楽しいが、曲がりくねった路地を歩くのも、楽しい。ガラス越しに陳列されている商品を見て回るだけでも、胸がときめくのだ。凝った年代物の筆記用具を売っている店、世界中の貨幣が飾られている店、見たことのない動物の剥製が並べられている店。店内に、あるいは店先に並べられているそれらは、フェルサリに時を忘れさせた。
「ああー、この店なんか、それっぽくない?」
 ネリーが指さしたのは、鉄道関連の古物を中心に売っている店のようだった。"ギア・クラシック"という店の看板がかかっている。
 何故か無駄な緊張感に押しつぶされそうになるが、意を決して扉を開ける。鈴や鐘ではなく、汽笛のような呼び鈴が頭上で鳴り響き、それだけでフェルサリは腰から砕けそうになった。
「いらっしゃい」
 店の主人だろう、白髪の混じった黒髪を後ろに撫で付けた、やせた男が言った。フェルサリたちの方を見ようともせず、神経質そうな手つきで眼鏡を拭いている。
 横幅は狭いが、奥行きはある店だった。他に客の姿はない。奥の方に窓はなく、全体的に暗い雰囲気の店だったが、いくつか立てられた蝋燭の揺らめきが、かえってフェルサリにはあたたかいものに感じられた。
 鉄道関連の様々な古物の他に、まだ古くはなさそうな、小さな模型のようなものも売られている。中央の卓に作られた池の縮小情景の周りに、小さな列車が並べられていた。他に鉄道開通記念の旗、銅版画、制服。額に収められた数枚の、ひどく歴史を感じさせる切符。その下の引き出しが、切符の棚のようだった。
「あの・・・開けて見てもいいですか?」
 主人が頷いたので、引き出しに手をかける。あらゆる種類の切符が、束になって入っていた。真剣に、ひとつひとつを吟味する。
 ネリーは切符にはほとんど関心を示さなかったが、店内にあるもの自体には興味があるようだ。模型に興味を示した後、自らの魔法銃を主人に見せ、あれやこれやと話している。無口な主人だと思っていたが、ネリーとはよく話していた。鉄道関連の話題になると、言葉を尽くすようだ。
 いつの間にか、日が暮れかけていた。フェルサリは選んだ数枚と、機関車の小さな玩具をいくつか手に取り、カウンターに向かった。商品を並べると、主人は少し怪訝そうな顔をした。
「これは・・・どうしてこれらの切符を選んだのかね?」
 何か、おかしなことや、失礼なことをしてしまったのだろうか。いずれにせよその筋に詳しいわけではない。フェルサリの選んだ切符は、地域も値段もばらばらだった。
「ええと・・・絵が、かわいらしいと思って・・・」
 言うと、主人は軽く口を開け、やがて目を細めた。
「なるほど・・・そうだな。こういったものに、女の子が興味を示すことは珍しいんでね。確かに、どの絵柄も美しい」
「特にこれが・・・まだ動いている鉄道だったら、ぜひ乗ってみたいです」
「ああ、これか。これだったら、この列車だよ」
 フェルサリが持ってきた玩具の一つを差し、主人が続ける。
「一昨年、開通したばかりでね。スミサから帝国を通って、騎士同盟領に繋がっている」
「そ、そうなんですか。わ、私、最近こういうの好きになったんで、全然わからなくて」
「ゴルゴナの人間かい?」
「い、いえ、レムルサに住んでます」
「そうか。近いな。またゴルゴナに来る機会があったら、寄るといい。色々と教えてあげられることがあるかもしれない」
「は・・・はい! 色々教えて下さい!」
 主人が、まぶしいものを見るように、フェルサリを見つめた。
「長くこの商売をやっているからか、列車を、機能性や歴史で見てしまう。切符の絵柄の良し悪しというのは、あまり考えたことがなかった。いや、私も勉強させてもらったよ」
 代金を数え終わった主人が、釣り銭を渡した後に、もう一度手を差し出す。フェルサリは、その手を握った。
 主人の手は冷たかったが、あたたかい気持ちが、フェルサリの胸を溢れそうだった。

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