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 この身に流れるのは、誇りである。
 ペッカートル。自ら罪人を名乗るこの一族の血を、しかしオルガは恥じたことはなかった。先祖がやった失敗を、どうでもいいとは思わない。その責任を、オルガは背負おうと思ってきた。これからも、そうだろう。しかし心の奥底では、自分に責任のないことだと思っていた。それでもオルガは真剣に打ち込んできた。金を稼ぎ、魔法使いとしても、修練を重ねた。生涯、それらに打ち込んできた。先祖ができなかったことを、自分はやっている。子供だったからといって、無邪気に遊んでここまで生きて来たわけじゃない。この身に溢れる才能を、ただ指をくわえて見ていたわけじゃない。普通の人間ができないことを、いくらでもやってきたのだ。
 呪文の詠唱。始まるとすぐに、稲妻の円蓋が、オルガの周囲に張り巡らされる。償いの槍は、攻防一体の魔術。円蓋の中は絶えず稲妻が駆け巡り、敵をたやすくよせつけない。オルガは落ち着いて、呪文の第二節を口ずさむ。
 右手。激しく電流の火花を飛ばしながら、羽ペンほどの小さな稲妻の槍が現れた。父が、この魔法を使うところを見たことがある。父は最大でも、ダーツの矢ほどのものしか生み出せなかった。魔力を、与え続けてもだ。オルガはほくそ笑んだ。自分はこれを、名前通り槍の長さまで大きくすることが出来る。
 魔力を、注入する。
 来た。あえて視覚化すれば、赤い宙に浮かぶ黒い卵に、同じような黒いかぎ爪が迫ってくる絵図。オルガの心を、魔力が、魔法そのものが、握りつぶす。しかしその卵の殻は、長い修練で、鋼のように硬く、頑丈になっていた。
 償おう。オルガは、そう思っている。先祖の罪を、合成獣に喰い殺されてきた、全ての人々に詫びよう。自分にはできる。失われた命が帰ってこなくても、同じ数の命を、いやそれ以上の命を、自分は救おう。
 槍。構えた。円蓋の一部が開き、その向こうに、あの巨人喰らいがいる。
 不意に、胸が締め付けられた。いや、身体の痛みではない。魂を表すオルガの黒い卵が、予想外の力で締め付けられているのだった。落ち着け。まだ大丈夫。大丈夫のはずだ。
 卵に、ひびが入った。恐怖。心が、壊れてしまう。まだ大丈夫。いや、もう駄目だ。オルガの気持ちは、激しくせめぎあった。駄目かもしれない。いや、ぎりぎりのところで。
 殻が、割れる。今まで鍛え上げてきた、心の鎧が、砕け散る。
 槍を、投げた。
 すさまじい勢いで、槍は突き進んだ。
 もう、駄目だ。今日は無論のこと、今後一切、この魔法は使えない。この魔法を使う為に必要だったものが、たった今、壊れた。心を、危険に晒す。その危険から身を守る為に、長い間丹念に練り上げてきたものが、たった今壊れたのだ。
 代償として、これまでで最も凶暴な合成獣を倒す。オルガが放つ、最高にして最後の槍。当たれ。
 予想もしなかった俊敏さで、巨人喰らいは宙に舞った。まさか。
 外れた。
 そう認識できたのは、どん、どんと音を立てて壁を突き抜けて行った槍が消え、遅れて響く、建物の倒壊する音が、オルガの耳に虚しく響いてからだった。

 ひゅう、と場違いな口笛が聞こえた。
 セシリアが、冷たい笑みを浮かべて路地の陰から現れた。
「外れたわねえ」
「外れましたねえ」
 ロサリオンが調子を合わせる。ロサリオンのそれには、皮肉ではなくあきらめと、労りの色が濃かった。オルガはやるだけやった、という感じだ。二人ともひどくのんびりした口調で、フェルサリが今見たものとは、別のことを話しているような気がした。
 オルガは、呆然とした様子で、座り込んでいる。フェルサリは、その手を掴んだ。
「あ・・・あ、う・・・」
 オルガは弱々しくフェルサリを見上げたが、その目はどこか遠くの方を見つめていた。両肩を持ち、身体を揺すっても、曖昧ないらえが返ってくるだけだ。
 心が、触媒だと言っていた。フェルサリは魔法のことをよく知らないが、心を触媒にするということは、こういうことなのかもしれないと思った。オルガの心は、壊れかけている。抱き締めたが、何をされているかわかっている様子はない。フェルサリは心の内で呟いた。よく、がんばったね。
 宙を舞う巨人喰らいを見上げて、セシリアが話していた。
「さてと、そろそろ兵たちにも、本格的に働いてもらおうかしら」
「そうですね。仕方ありません」
「私が、あのデカブツの相手をする。余裕ができたら、加勢して」
「逆の方がよくありませんか? 危険ですよ」
「兵の指揮なら、あなたの方が得意でしょう? 私も軍に剣術師範で招かれる時は、指揮をやらされることもあるけど、所詮はお遊びだから。殺し合いで兵を動かしたことはないの」
「セシリア殿の指揮、いずれ拝見したいものです。わかりました。聖堂の方は、私が兵たちと共に守りましょう。出来る限り他のキメラを引きつけますが、可能な限り、そちらの加勢もしようと思います。まあ、やはり気が引けますが」
「譲ってよ。レディファーストでお願い」
「そう言われると、なんとも」
「私の後は、あなたが相手するのよ?」
「そうならないよう、尽力するだけですよ」
 フェルサリはオルガを担ぎ上げた。ロサリオンと共に、聖堂の地下へ向かう。振り返ると、剣を掲げたセシリアが、瓦礫の山の頂上で待ち受ける、巨人喰らいに向かっているところだった。

 暗い水の底から、顔を出した。
 オルガの知覚は、急激に元の感覚を取り戻しつつあった。曖昧だったものが、はっきりしていく。地下。明かり。人々の泣き声、うめき声、祈りの声。すえた埃っぽい空気と、血の匂い。
 上で、大きな音が立て続けに響いた。獣の咆哮と、兵の叫び。あれから、どのくらいの時間が経ったのか。
「み、みんなは・・・」
 矢の束をつかみ取って矢筒に入れている、フェルサリに声をかけた。
「あ、気がついたんだね」
 頭から、血を流している。血は顔の半分を汚していて、オルガに微笑みかけた表情が、ひどく痛々しく見えた。
「まだ、みんな大丈夫だよ」
「頭の、傷・・・」
「あ、うん、大丈夫だよ。ちょっと痛いけど」
 ちょっとどころではないだろう。フェルサリの淡い金髪は左半分が朱に染まり、頭につけた羽飾りの先からは、ぽたぽたと血が滴っているのだ。
 軽く水袋に口を付けると、フェルサリはオルガに微笑んだ。再び、死地への階段を上って行く。
 兵がいなくなった地下室は、がらんとしていた。街の人たちがすすり泣く声が聞こえる。ジネットが手術用具の用意をしていたが、一度手を止め、慰めて回っていた。
 オルガの戦い。何だったのだろう。いや、戦ってすらいないのだ。昨日、初めて合成獣と出くわした時も、兵に何の命令も出せぬまま、ただ腰を抜かしただけだった。次こそは。そう思って臨んだ先程も、ただ失態を重ねただけだ。それも、充分なお膳立てをしてもらった上でだ。
 オルガは膝を抱えた。やはり、自分が来たのが間違いだったのだ。一撃必殺の大魔法。それを習得した時から、戦士たちと共に戦うのが夢だった。いや、憧れのあの戦士と、共に戦いたかった。あれはスキーレ銀行の頭取になる前だったから、自分が十二歳の時か。あの人は、まだ駆け出しの十六歳。父が三十歳になるまで習得できなかった魔法を、十二歳で習得した。有頂天だった。自分は天才だ。できないことは、何もない。
 責務を果たすため、自身が戦闘に出るよりも、報奨金を上げた方が多くの合成獣を倒せると思ったのは、すぐ後だった。この魔法は破壊力こそすさまじいが、汎用性がない。危険も大きい。自分が戦闘に参加するのは、雑魚相手ではなく、大物がいい。振り返れば、そんなことを考えていた時から、夢はねじ曲がっていたのだ。
 もう一度、あの魔法を。
 魔力は、尽きかけている。詠唱の途中で、力尽きるだろう。魔力のない状態で詠唱を続ければ、自らの肉体も薪とせねばなるまい。いや、その前に。
 オルガは強く、目を閉じた。
 剥き出しの心を、あのかぎ爪の前にさらすことになる。怖い。あの恐怖に立ち向かう。そんなことはとてもできない。
 そんなことをするくらいだったら、全財産を差し出した方がましだ。そう、オルガは思った。

 聖堂の階段を、駆け上った。
 飛翔していた手負いの合成獣が、驚いたようにこちらを振り返った。飛べば、安全だと思ったのだろう。わずかに残った壁面の階段をあがり、セシリアは合成獣との間合いを空けさせなかった。駆け上がる。
 力強く羽ばたき、合成獣が高度を上げる。
 逃がさない。セシリアは最後の階を蹴り、宙を舞った。
 斬り上げる。一刀で、内蔵のあるところを通過し、肋を破壊し、心臓を両断する。仕留めた。これで何匹目か。
 飛んだ勢いを失い、セシリアの身体は落下しはじめる。あの聖堂の上から落ちるのだから、およそ七階分の高さだろうか。眼下の光景は、さすがに肝が冷える。実は、高いところが苦手なのだ。
 音壁。一枚を出し、その上に着地した。
 城の方が、派手な戦いを続けていた。あちらに行く合成獣も少なくはなく、連絡は取れていないものの、連携して戦っているような感じではあった。向こうも、こちらの様子が見えているのだろうか。
 跳躍しながらあと二枚。それで、向かいの建物の上に辿り着けるだろう。
 セシリアは音壁の縁を蹴り、再び宙に身を躍らせる。
 ごう、と大気が震え、巨人喰らいが迫っていた。速い。その速度は、セシリアの予想していたものを、遥かに超えていた。血走った目が、爛々と輝いている。狙っていたのだ。先程のオルガの魔法をかわした時に思ったが、この合成獣は、頭がいい。いや、極限まで研ぎ澄まされた、戦いの本能なのだろうか。
 音壁が、間に合わない。あちらに出せば、セシリアの落下を止めるものがなくなる。出した後にもう一枚出せるが、連続で出す場合はわずかに間を置かねばならず、それだと落下距離がありすぎる。宙に出した音壁の上で墜落死するのは、笑えない光景だ。だが、あの巨体にまともにぶつかられれば、地上へ降り立つ前に、絶命しているかもしれない。
 この、無理な体勢で放てば。
 セシリアの頭は一瞬だけ逡巡したが、身体はもう最適解を出しており、宙で身をひねり、右腕は大きく振りかぶられている。
 巨人喰らい。来た。引きつける。
 撃ち抜け。

 地を揺るがす爆音とともに、ものすごい勢いで、巨人喰らいが吹き飛ばされて行く。
 フェルサリは声を失った。丸々一区画分を瓦礫の山に変え、怪物の巨体は地に叩きつけられた。
「ほほう。あれが"掌砲"ですか」
 ロサリオンが、合成獣の身体から剣を引き抜きながら言った。
「すごい・・・あれが・・・」
「フェルサリ、あなたも見るのは初めてですか。それにしても、すごい音です」
 ロサリオンは耳を抑えながら苦笑する。確かに、目の前で大砲が発射されても、あのような爆音にはならないだろう。フェルサリも、まだ聴覚は鈍くなったままだ。
 土煙の中に、再び巨大な輪郭が浮かび上がる。巨人喰らい。獅子の顎は外れているが、大きく首を振り、聖堂の上を睨みつけている。
「そ、そんな。あんな一撃をもらっているのに」
「今のは、手打ちでした。地に足をつけ、充分に体重を乗せられていれば、結果は違っていたでしょう。惜しい。実に惜しい」
「もう一撃入れれば」
「いや、難しいでしょう。あまりに無理な体勢で撃つ破目になりました。あのような破壊力を持つ技です。おそらく充分な体勢でしたら、日に五発、十発と放てたのでしょうが・・・」
 撃った反動で、セシリアは聖堂の方へ戻されていたようだ。崩れかけた壁から身を乗り出し、巨人喰らいを見つめている。だらりと下げられた右手からは、ぼたぼたと血が滴っていた。
「負担が、大き過ぎましたね。あの技は、もう当分使えないでしょう。ジネットの魔法なら数日で回復する傷かもしれませんが、今から数日、セシリア殿をかくまうことが、我々にできるかどうか」
 難しい。兵たちと共に一日、あの魔物から地下室の入り口を守ることも難しい。下水の方に立て篭ることもできるかもしれないが、全員が隠れれば、あの怪物の頭の良さから考えても、地面を掘り返すか、生き埋めを狙ってくる可能性が高い。
「"砲"とはよく言ったものです。あの音は、空気の壁を破壊する音なのでしょうね」
 ロサリオンの観察力は、やはり半端ではない。フェルサリには、セシリアが掌砲を使い、巨人喰らいが吹き飛んだことしか見えていない。セシリアの負傷の状況、今後の展開、このエルフの英雄の目には、様々なものが見えているようだ。気さくで、飄々としているが、やはり別の次元の戦士なのだと、あらためて思う。
「空気の壁?」
「あまりに速く動くものは、周りの空気が付いて行かず、壁のようなものを感じるそうですよ。それでも加速すると、空気の壁を壊すことになるのだとか。そしてそれは大きな負担になる。昔知り合った、魔法使いの言葉ですが」
 その"壁"を突き破るから、大きな音が出る。それはわかった。そしてそんなことを不十分な態勢でやれば、人の身体は壊れてしまうのである。ただでも、無理なことをしているのだ。
 兵たちの声で、振り返った。合成獣が地下室の入り口に殺到しているのだ。ロサリオンは、もう合成獣の背後に回っている。
 聖堂を見上げた。セシリアの姿は、既にない。

 肘の辺りを、強く縛り上げた。
 血は、いくらか止まったようだ。手の平や指の内側の血管はほとんど切れてしまっているが、特に掌底から手首にかけては、見ていると胃がむかつくような壊れ方だった。手首は、微かだが骨が見えてしまっている。まだ無事な血管が二本、脈打っているのも見える。生き残ったら、ジネットの魔法で回復できる傷だろうか。聖堂の壁にもたれかかりながら、セシリアはぼんやりとそんなことを考えた。
 ただ、右手は思ったよりもしっかりと動く。半ば血を止めているため痺れは大きいが、ある程度強く握ることもできそうだった。掌底から手首にかけても強く布を巻き、セシリアは立ち上がった。
「あれは、ちょっとしたヒントになりそうね。ロサリオンたちも、見ていてくれたかしら」
 崩れかけた窓枠に手をかけ、セシリアは通りの向こうにいる、巨人喰らいの姿を見下ろした。獅子の、顎と頭蓋骨を繋ぐ骨。そこを、粉々に打ち砕いた。セシリアが傷の手当をしている間に、その部分にかなりの回復があるだろうとは思っていた。しかし今の状況は、偶然とはいえ、かなり良い方向に予想外だった。
 顎が、外れたままなのである。おかしな形で再生してしまったのだろう。いっそ顎を斬り飛ばされた方が、ちゃんとした形で再生できたかもしれない。再生力が、強すぎる。骨が元の位置に戻る前に、それぞれの部位が再生してしまったのだろう。逆手に取れば、思わぬ収穫があるかもしれないと、セシリアは思った。
 左手でも、掌砲は撃てる。しかし威力は右に比べて弱く、負担も大きい。先程のような撃ち方をすれば、肘から先がなくなってしまうだろう。それなら、一撃の威力に頼らず、まだ剣を振った方がましである。
 階段を下りて、聖堂を出る。セシリアの姿を認めた巨人喰らいが、他の合成獣を跳ね飛ばしながら、突進してくる。地鳴り。あらためて向かい合うと、その大きさ、迫力に胸が震える。
 音壁。少し上方に出した。とてつもない衝突音を響かせ、怪物の巨体は大きくのけぞった。
「さすが、魔法生物。その身に魔力を帯びているのかしら」
 音壁の魔法の盾に、ひびが入っている。
 ひびが入るものなのか。セシリアは思った。

 

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