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 夢から、覚めた。
 随分長い夢を、見ていた気がする。オルガは寝台から身を起こそうとして、突いていた手を滑らせた。身体に、上手く力が入らない。
「起きたばかりで、まだ無理よ。しばらく横になってなさいな」
 セシリアが、窓辺に腰掛け、キセルをふかしていた。右腕を吊っている。白い、ゆったりとした服を着ていた。もうオルガには興味がないとでもいうように窓枠に肘を乗せ、煙を口から吐き出している。
「あ、あんたがどうしてそこにいるの」
「怪我人にひどい言いようね。見舞ってる私の方が、よほど重傷なんだけど」
 そう言って、吊っている右腕を上げる。
「い、いや、そういう意味じゃなくて」
「他に、どういう意味があるのよ」
 なんとか上体を起こして見渡すと、やはりオルガの寝室だった。白を基調とした色調と、優雅さよりは機能性で選んだ調度品。旅に出る前と、変わった所はない。窓の外を眺めているセシリアを除けばだ。
 扉がノックされると、いいわよ、とセシリアが返事をした。誰の部屋だと思っている。オルガは思った。入ってきたのはフェルサリだった。半エルフの少女は寝台の縁まで小走りに向かってきたが、オルガに触れる時はおずおずと手を伸ばし、やがて包み込むように抱き締めてくれた。
「よかった」
「ん、あ、ああ・・・あ、あの時は、ああありがとね」
 かなりつっかえていたが、それでもこんなことを素直に言える、自分に驚いていた。身体は鉛のように重いが、心ははっとするほど、軽かった。
 ロサリオンとジネットも入ってきた。父も、顔を出す。皆が、オルガを労っていることが、不思議な気がした。こういうことに、慣れていないからかもしれない。あれから一週間、オルガは寝たままだったらしい。
 小姓に風呂を用意させている間も、セシリアとフェルサリは部屋に残っていた。
「セシリア、右手大丈夫なの?」
「ああ、そうね・・・」
 セシリアの右手は吊られていて、添え木がされている上に、指先から肘まで包帯が巻かれている。その手を軽く上げ、指をくいくいと動かして見せる。
「あと、二、三日はかかるみたい。まあ十日くらいで治っちゃうことに、驚いてはいるんだけどね。もう元通りにはならないと思ってたから。ジネット、すごい魔法使いね」
「うん・・・本当に、そう。私も、あんな魔法使いになりたい」
 セシリアは一瞬驚いた顔をした後、大きな声で笑った。
 傍らに座るフェルサリの手に、そっと触れてみた。この手。償いの槍を使う時に心の中に現れていたかぎ爪。それはそんな禍々しいものではなく、細く優美な指先だった。オルガが口を開かずにいると、フェルサリも黙って、触れるに任せていた。目が合うと、優しく微笑む。頬が熱くなって、オルガは咳払いをした。
「そ、そういえば、あんたたち、いつまでここにいるの?」
「すぐに出てくわよ」
 セシリアがそっけない調子で返す。
「そ、そういう意味で言ってんじゃないわよ。ええと、まだ午前中だってね。お昼ご飯くらいは、一緒に食べて行くんでしょう?」
「まあそのくらいなら、いてもいいわね。ここで食べるの?」
「城内に大きな食堂があるから。あんた、普段いいもの食べてるだろうけど、こんな田舎だと思って、舐めないことね。ちゃんとしたもの用意させるからね。あ、でも、私が寝てる間、いつもここで食べてたのか」
「たまにはね」
「母さんは、下で食べることが多かったから」
 フェルサリが言う。城下町のことだろう。
「へえ。そうなんだ」
 風呂が用意できたとのことなので、オルガはフェルサリの力を借りて立ち上がった。普段は隣りの部屋で済ませることが多いが、大きな浴場もあるのだ。今は、そちらに入りたい気分なのである。
「大丈夫。一人で行けるから」
 二人を残して、オルガは部屋を出た。角をいくつか曲がり、辺りに誰もいないことを確かめる。
 オルガは、泣いた。
 自分でも驚くくらい、大きな声で泣き続けた。

 四人を見送るため、城の門にいる。
 昼食の時に、巨人喰らいのことは聞いた。償いの槍で、跡形もなく消し飛んだのだという。残っていた合成獣も、それを見てばらばらに飛んで逃げたそうだ。群れを作る心配は、当面ない。寝ている間にアルクサからの使者が来て、礼の品を置いていったという。オルガはそれを返すか、相当するだけの財貨を渡すつもりだった。それどころか、合成獣に襲われたことは、一族の罪といっていい。アルクサが完全に復興するまで、オルガには支援し続ける義務がある。失われた命。オルガの胸は痛んだが、自分に出来ることを、精一杯やるしかないとも思う。
 門の前でロサリオンに何度も礼を言った。兵の中で怪我人は多く、ジネットの魔法をもってしても、半数は今後剣を持つことは難しいそうだ。しかし、あれだけの激戦の最中、命を落とした者は誰もいなかった。それは驚くべきことであり、何よりも感謝の気持ちでいっぱいだった。謝礼に上乗せしたいというと、その分は兵たちに配ってほしいと言われた。オルガも、それに同意した。
「ジネット。私、あなたみたいな魔法使いになりたい」
「もう、ずっと大きなものになってるわよ」
 そんなことはないが、ジネットにそう言われると、自分のことを誇ってもいい気がした。忘れていた、あたたかいもの。ジネットには多くを与えられた。抱きつくと、ジネットはころころと笑った。
「セシリア、助かったわ」
 憧れの剣士。吊っている右腕以外は、白い具足姿である。
 謝礼の上乗せを持ちかけると、セシリアは快諾した。上乗せ分で、例の私鉄の株を買うそうである。
「ふふ。これであの株も、少しは上がるってもんね」
「あんたね。その道の達人たる私の話も、少しは聞きなさいよね」
 しかし本当は、セシリアがやりたいことを、オルガはわかっていた。株は本来、買うことでその企業を育てるのである。損得ではなく、そういう付き合い方もあるのだと、あらためて教えられる。
「フェルサリ、また会えるかな。ううん、私の方からそっち行くこともあるから。近くに行ったら、寄ってもいい?」
「うん。楽しみにしてるね。あ、いなかったら、ごめんね」
 フェルサリももう、立派な冒険者である。そういうことの方が多いだろう。
「大丈夫よ。そっちの方にはよく行くから。いつかは会えるでしょ? そうだ、手紙書いていい?」
「うん。楽しみにしてるよ」
 フェルサリが微笑む。オルガに出来た、初めての友だちなのかもしれない。
 もう一度、セシリアに向き直る。
「セシリア、ごめんね。私、あなたと旅が出来て、本当にうれしかった」
 あの時言えなかった言葉を告げると、セシリアは首を傾げた。上手く伝わらなかったみたいだが、それでいいのかもしれない。もうひとつ、大事な話もある。
「セシリア、私・・・その、償いの槍を使う時に・・・」
 巨人喰らいの目。怯え、怒り。あの目は、当分忘れられそうにない。
「少し、その、かわいそうだと思っちゃったのね。これは、おかしいというか、まずいことなのかな」
「別に。まあそういう気持ちがあるってことは、少しは冒険に向いてたのかもしれないわねえ」
 セシリアが、ちょっと皮肉そうな笑みを向ける。
「まあ、汚れ役はそれを専門にしてる人間に任せたらいいのよ。私たちみたいなね。私に、株で儲けろったって、無理な話でしょう?」
 本当は、セシリアにもそれができる。オルガにはわかっていた。
「あなたは、いい冒険者になれるのかもしれない。でも今は、自分のやれることをやりなさいな」
 そうなのだ。ずっと憧れていた人にそう言われて、オルガもそれでいいのだと思った。
「そうそう、中々言う機会なかったから、忘れてたわ。私が今回の依頼を受けたのは、お金じゃなくて、あなたに伝えたいことがあったからなのよ」
「え、私に?」
 セシリアとは、接点がないと思っていた。ずっと気になっていたオルガからはともかく、少なくとも、セシリアの方から自分に何かあったというのは、驚きである。
「私は旅の先々で、身寄りのない子供の面倒を見ることが多いのよ。怪物に襲われる村なんかに、そういう子は必ずいるからね。本当にどうしようもない時は私が引き取るけど、大抵は、近くの街の孤児院に預かってもらうよう手配する。無論、その孤児院がどうしようもない所だったら、やっぱりウチで引き取るんだけどね」
 孤児院と聞いて、胸がざわついた。オルガの慈善事業の、核となる部分である。
「あんたのとこの孤児院、どこも評判いいわよ。子供たちが、楽しそうにしてる。それで、そこの子たちにね、ここを建ててくれた人に会う機会があったら、お礼を言ってほしいって。みんな、楽しく暮らしてるって」
 初めて、報われたという気がした。オルガは人目をはばからず、泣いた。涙が、止まらなかった。
「外に出る時は、たまにはそっちの方にも顔出してやりなさいよ」
「そ、そうする・・・!」
「やれやれ、泣いてばかりね、あんたは。そういう時は首を傾げて、そうなのかしらって顔してればいいのよ」
「う、うるさいわね・・・!」
 それで先程、セシリアが首を傾げた理由もわかった。そのことでも、オルガは泣いた。
「あ、ありがとう、セシリア。あなたに会えてよかった。道中、気をつけてね」
「あなたもね。よい旅を」
 旅。執務室に籠っていることの多いオルガの日常も、また旅なのだろう。
 後ろ手に手を振って、セシリアは仲間たちと共に、城下町へと歩いて行った。
 オルガは城内へ戻った。病み上がりとは思えず、何か、今までにない力がわいてくる。
 途中、スキーレ銀行の人間と会った。歩きながら話す。
「例の件、あのまま続けるわよ。あと、株の方は、以下のものを追加で注文して」
 いくつかの、銘柄を上げた。
「それは、まずいでしょう。会議でも、それらの銘柄は当分見送るという結論を出したではありませんか」
「わかってる。なんで買うのかは、後で話す。ちゃんと、わかってもらえるまで説明するから」
 男は眼鏡を直しながら、ため息をついた。
「どうしてもわかってもらえなかったら、あきらめる。あなたたちの意見を尊重するから」
 男の顔が、驚きの色に変わる。今までは、オルガの決定には逆らえなかったのだ。それが反撥を招いていたことは、今のオルガにはわかる。
「理屈じゃなくて、気持ちで話すわ。わかれとは言わない。でも、私の気持ちは感じてほしいの」
 呆気にとられた様子の男を残し、自分でもわかるくらい軽やかな足取りで、オルガは執務室へと向かった。

 

 もう、四人の姿は見えなくなっていた。
 執務室の窓から、オルガはセシリアたちの帰った方角を見つめていた。
 扉がノックされ、兵が一人入ってきた。
「お呼びでしょうか」
 男の顔には、頬まで短い髭がたくわえられている。
「もう、お腹の傷は大丈夫?」
「ええ、まあ。腹一杯にビールを飲める程度には」
 オルガは笑った。そんなに笑ったわけでもないのに、目頭が熱くなってくる。
「あの時は、ありがとう。あなたは命の恩人ね」

 初めて合成獣に襲われた時、咄嗟にこの男が庇わなければ、オルガは死んでいた。
「はあ。一応仕事ですので」
 そっけない男の言い方に何故か腹が立った。オルガは手を伸ばし、男の髭を引っ張った。やわらかい。
「そうだ、私が寝ている間、セシリアたちがどこでご飯食べてたか知ってる?」
「ああ、岩山亭でしょう。あそこにはよく行きましたから」
 この兵も、一緒に行っていたのか。少し、羨ましい気がする。店の名前は、知っていた。この町が出来た頃からある店だが、あまり利を上げていない。他に思い出せることは少ない。帳面上のことでしか、その店のことを知らないのだ。
「どんな店なの?」
「小さい店ですよ。大きな、ふかしたじゃがいもに、バターをたっぷり乗せてあるものが、定番メニューになっています」
 美味そうだ。今すぐにでも、食べに行きたい。
「あなた、結婚してるの?」
「いえ、まだですが。というより、もうあきらめていますが」
 男は、四十をいくらか過ぎたくらいだろうか。後で書類を見れば、わかるはずだ。
「今晩、その店に連れて行きなさい。奥さんがいると悪いから、一応聞いてみただけ。私も、その・・・色々聞いてみたいから」
「はあ。視察ですか。護衛の任務ということで、よろしいでしょうか」
 以前だったら、ごまかしたり、何を言っていいかわからず、ただ腹を立てていただけだろう。今も、何を言うべきかはわからない。頬が熱い。顔は真っ赤になっているだろう。
 男の朴訥とした様子に、無性に腹が立つ。
 オルガは拳を握り、男の腹を思い切り殴りつけた。

 

 

 

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