cecilia3pba1b

プリンセスブライトアウェイキング

第1話「Bloodwork Candy Rain」ブラッドワーク・キャンディレイン

 

 

 闇だった。
 浮かび上がってきたのは、男の顔だ。左半分を潰された、父の顔。口髭の先から、血が滴っている。顔全体も、血にまみれていた。
 父が、手を伸ばしてくる。殺意に満ちた指先が、宙を掻く。
 殺すしかない。セシリアは、右手を大きく振りかぶった。あの指先が、この身体に触れる瞬間。その一瞬を逃せば、殺されるのは自分だった。
 父が、哀切に満ちた叫び声を上げた。長く尾を引く、嫌な叫び。向かってくる。殺しに、来る。
 撃ち抜け。
 セシリアは、その顔に、もう一度掌を・・・。

 目を覚ました。
 それで逆に、束の間眠っていたことに気がついた。頬杖をついていた、顔を上げる。どうやら、人の気配で目を覚ましたらしい。近づいてくる足音が、扉の向こうで止まった。控えめなノックの後、乗務員の声が聞こえた。
「セシリア様、間もなくレムルサでございます」
「ん。今、支度するわ」
 車窓の外では、夜の街の景色が流れていた。もう、市内に入っているようだ。少し疲れているのかもしれないと、セシリアは思った。街の灯を見て、ほっとしてしまったのだ。荷物をまとめている間も、全身に、重さとしかいえない何かを感じていた
 蒸気機関特有の騒音を吹き上げながら、列車は減速し、駅構内へと入った。車内の、そして構内の人の喧噪。大陸鉄道の主要な駅はどこも人が多くこんな感じではあるのだが、特にこの駅の場合、賑やかと言える色合いが強い。ラテン都市同盟の言葉が、そう感じさせるのだろう。言葉そのものの響きではなく、ここに暮らす人々の持つ、生来の活気のようなものである。
 荷物の入った鞄を両手に持ち、セシリアは列車の個室を出た。この便が今日の最終だったが、構内には光が溢れている。ガラス張りの天井で、その光は再び駅構内に降り注ぐ。天井の奥の、夜空は深い。
 具足姿のセシリアを見て、何人かが声をかけ、あるいは手を振っていた。いずれも知らない顔だったが、セシリアは笑みを返した。こちらが知らなくても、この街の人間は、大抵セシリアを知っている。
「チェチーリア、馬車まで荷物、持っていってやるよ」
「悪いわね」
 人混みをかき分けて声を掛けてきたのは、灰色の帽子を被った、汚い身なりの少年だった。この駅では、荷物を持つのは大抵この子供だった。名前を聞いたことがあるような気がするが、あまり覚えてはいなかった。今晩はもう一人、同じくらいの背格好の少年を連れていた。新入りか、とセシリアは思った。ただ、女の子のような顔立ちで、そのことをセシリアは、少しだけ気にかけた。
「ほら、こいつがチェチーリア・ファミリアのチェチーリアだ。よく覚えておけ」
 この二人が所属するギルドは闇のギルド、本人たちの前で言えば物騒な話になるが、俗にいう盗賊ギルドである。セシリアは既にギルドに充分な挨拶金を渡してあり、セシリアとその家族がこの街でスリや強盗に遭うようなことはない。それどころか、庇護の下にあるといってもいい。庇護下にあることを喜んでいるわけではないが、事を構えれば血が流れる。無駄な血は流すことはないだろうと、セシリアは思っていた。
「よ、よろしくお願いします」
 気弱そうな新入りの少年は、両手を胸の前で揉みしだき、一生懸命にセシリアの顔を覚えようとしていた。微笑を投げかけると、その顔が少し紅潮した。
「顔色悪いぜチェチーリア。少し家でゆっくりしろよ」
 帽子の少年は、いつの頃からか、セシリアのことをチェチーリアと呼ぶようになっていた。この街に来て数年経つが、誰かの家に嫁いだわけではなく、永住を宣言したわけでもない。そういった人間をラテン語の発音で呼ぶ者は珍しく、大抵は自分のことをセシリアと、母国の名前で呼ぶ。他所から来た人間で、ラテン語よりは共通語で話すことの多いセシリアを、それでもどこかで認めているということなのだろう。
「あんたこそ顔色悪いわよ。ちゃんと食べてるの?」
「チップを弾んでくれりゃ、腹一杯食えるってもんだよ」
 二人の少年は大きな鞄を胸に抱えたまま、セシリアの後をついてくる。そのまま駅を出て、馬車の停留所まで向かった。乗り合いのものに混ざって、セシリアの家の馬車も停まっていた。御者台に座ったままだったロベルトがセシリアの姿を認め、手を振っている。
「お帰りなさいませ、お館様」
「その言い方も板についちゃったわね。ん、ただいま」
 ロベルトは執事のようなスーツを着ていて、今ではそれがすっかり様になっている。整った顔立ちに均整の取れた身体は、近所の娘たちの胸を焦がしていることだろう。
 少年たちが、鞄を馬車に積み込んでいる。二人にそれぞれ、銀貨を渡した。
「お、今日はやけに羽振りがいいなあ」
「それで、お腹いっぱい食べてきなさいな」
「おお、そうしてやるぜ。じゃ、俺たちまだ仕事残ってるから」
 もう一人の少年は、恐縮そうにうつむいていた。相場よりは高いが、驚くような額ではない。帽子の少年に引っ張られるようにして、二人は駅の方へ走っていった。うまくいけば、あと二、三人の荷物を運べるだろう。
「お館様、大分お疲れのようで」
「今も顔色悪いって言われたばかりなのよ」
 気遣うようにゆっくりと、馬車が動き出す。駅周辺の街並はまだ眠りについておらず、むしろこれからさらに活気が出てくるだろう。宿を兼ねた酒場が多い。吟遊詩人の歌声や、言い争うような声が響いている。その灯が徐々に遠くなり、やがて車輪が石畳を転がる音しか聞こえなくなった。
 街路樹の色合いが、この街にも春の訪れを告げている。前にここを通った時には、雪が積もっていたのだ。五分ほど、石畳の硬い揺れを感じていると、セシリアの邸宅が見えてきた。一階の灯りがついている。
「あら、まだみんな起きてるの?」
 馬車を降りながらきいた。
「ええ、今日はお館様が帰ってくると聞いて、皆心待ちにしていますよ」
 屋敷に入ると同時に奥の扉が開き、子供たちが一斉に駆け寄ってきた。
「ママー!」
「お母さん、お帰りなさい!」
 年齢も性別もまちまちの子供たちに囲まれ、玄関ホールは再会の空気に華やいだ。皆、セシリアが旅の間に出会った子供たちだ。身寄りがなく、今後もそれが期待できそうにない、あるいは放っておけば路頭に迷い、遠からず命を落とすような子供は、できるかぎり引き取ってきた。どこにでも孤児院があるとは限らない。皆、セシリアの養子、養女である。手続き上はそうでも、母と思えと言ったことはない。それでもセシリアを母と慕ってくれている子供たちだった。実際の年齢では、弟や妹と言った方が良い者も多い。ただ、母という言葉は、単に母親であるといった意味以上のものを持っている。
 一人一人に声をかける。自分が旅に出ている間、特に大きな問題はなかったようだ。
 一人だけ、輪に入らなかった娘がいた。壁にもたれかかって立っているのは、ハーフエルフのフェルサリである。目が合うとフェルサリは笑顔を向けてきたが、その目にはどこか切迫した光があった。遅れて玄関ホールに現れた剣術師範のナザールと、何か話し込んでいる。
 そのナザールが、こちらにやってきた。
「さあみんな、セシリア様は長旅でお疲れだぞ。続きは明日にして、もう寝なさい」
 ナザールが言うと、子供たちは渋々といった様子で、寝室の方へ散っていった。
「お帰りなさいませ、セシリア様」
「ん、ただいま」
 ナザールが、頬を引きつらせて笑う。頬に、大きな傷がある。それで、笑うとそんな表情になるのだった。口髭を蓄えてからは、あまりそういったものが目立たなくなってはいる。
「何か、あったの?」
 一人ホールに残り、まだ壁にもたれかかったままのフェルサリに目をやりながら、ナザールに聞いた。
「フェルサリに教えられることは、当分の間なさそうです」
 剣のことだろう。フェルサリの腕がナザールを超えたということはないはずだ。この男は、強い。しかし武術もある程度のところまで行くと、それまでの鍛錬では乗り越えられない壁に突き当たる。そろそろだろうと思っていたが、セシリアが旅に出ている間に、そこまで達してしまったようだった。再びナザールがフェルサリに何か教えられることが出来るのは、その壁を越えてからということになる。
 フェルサリが歩み寄ってきたが、いつも通りの軽やかな足取りにも、わずかな逡巡の色はある。
「母上、無事で何よりです」
「ただいま、フェルサリ。何か話したいことがあるようね。後で部屋にいらっしゃい」
「はい。では」
 フェルサリの背中を見送りながら、ナザールは小さく溜息をもらしていた。

 吐き出した紫煙が、ゆっくりと部屋を漂う。
 風呂上がりにブランデーとキセルを嗜むのが、セシリアの楽しみのひとつである。
 地図や資料に囲まれたこの部屋では、何人かと卓を囲むことが多いが、今晩は一人である。何人か、というのはいわゆる冒険者仲間で、この屋敷を拠点としている仲間たちは、セシリア・ファミリーと呼ばれていた。この辺りはマフィアが多く、特にパーティの名前など決めていなかったセシリアと仲間たちは、自然とそう呼ばれるようになった。マフィアのファミリーと同じような感じである。
 キセルに再び火をつけ、地図と依頼をまとめた書類に目を通す。
 ここ最近はパーティとして全員が行動をともにするというのではなく、二、三人ずつで分かれて行動している。全ての依頼を受けるわけではないが、それでも人手は足りなかった。セシリアだけが単独で行動するが、必要があれば、誰かの帰還を待つということもあった。強い、ということだけではどうにもならず、人数が必要な依頼も少なくないのだ。
 予定ではすぐに帰ってくる面子はいないようなので、セシリアは単独でこなせそうな依頼を探していた。ロベルトが、留守の間にこうした書類をまとめてくれている。ロベルトには屋敷の管理、子供たちの世話、その他諸々の屋敷のことの、大半を任せている。元は冒険者として出会い、武術もそこそこに遣える。しかし、本人がすすんでこの役を買って出たという形だ。パーティの面子は、子供たちの世話や屋敷の管理が不得手な連中の方が多い。大変なことを押し付けているような気後れはあるが、執事のような格好でそれをこなしているロベルトを見ると、これでいいのかもしれないと思ってしまうこともある。
 ロベルトには、趣味と呼べるものがあった。機械細工をいじることである。特にスミサ国にあるような、ドワーフの機械技術から、繊細さを抜き出したような技術だ。セシリアはアングルランド出身ということもあるのだろうが、そういった絡繰りにはあまり興味がない。ただ、ロベルトが夢中になっているという点でいくらか興味はあるし、スミサやその周辺に行くことがあれば、彼の求めている機械の部品を買ってくるようにしている。
 扉がノックされた。フェルサリだった。
 少し緊張した面持ちで、半エルフの少女は向かいの席に座った。つぶらだが、同時に怜悧さを感じさせる瞳で、じっとセシリアを見つめてくる。思わず、笑みをこぼした。初めて出会った時も、こんな目でセシリアを見つめていた気がする。他人を拒絶するような、それでいてたまらなく救いを求めるような、そんな目である。
 フェルサリの年齢は、実はセシリアの倍近かった。セシリアは二十三歳だが、フェルサリは四十五歳なのだ。出会った時のフェルサリは、打ちひしがれ、ほとんど言葉を失っていた。見た目は、人間ならば十五、六歳に見える。引き取ってしばらくして、フェルサリは言葉を取り戻した。他の子供たちに混ざって「お母さん」と呼びかけたのだ。年齢は、その時に知った。今は「母上」と呼ぶようになっている。この街の登録上は母と子のままで、心の結びつきも、母と子である。共に解消しようと思ったことがあるが、フェルサリはあくまでセシリアを母と思い定めているようだった。奇妙な親子関係でセシリアにも戸惑いはあったが、今はこのままでいいと思っている。
 しばらく見つめ合っていると、耐えかねたようにフェルサリが口を開いた。
「ナザール殿が、もう私には教えることがないと言われました」
「強くなったわ。嬉しいけれど、少し不安でもある」
 フェルサリの武に、天稟はない。それは、出会ってすぐに気がついた。
「私は、これ以上強くなることが出来ないのでしょうか?」
「今のままで、充分強いわよ。歴戦の戦士でないかぎり、あなたを傷つけることはできないでしょう。どこに行っても、厄介事に首を突っ込まなければ、あなたがそういったことで命を落とすことはないでしょうね」
 ほとんどの人間が、あの人には敵わない、そう言うだろうものは、既に身につけている。そこから先は、戦うことを生業にしている者の領分である。フェルサリは視線を落とし、黙っている。
「まだ、この家でやれることは残っているわ。読み書き計算は習得したみたいだけど、もっと専門的なことを学べるようにもなっている。大学に行きたいと思うなら、それもいいと思うわ。あるいはどこかで働きたいというのなら、口添えくらいはできると思うけど」
 フェルサリが、顔を上げた。
「私も、母上に付いていっては駄目でしょうか」
「そういう聞かれ方をされたら、駄目と言う他ないでしょうね」
 また、フェルサリは視線を落とした。拳を強く握りしめているだろうことは、机の下を見なくてもわかった。セシリアは、グラスにブランデーを注ぎ足した。
「一体どうすれば、私は母上に付いていけるのでしょうか」
「どうすればよいかというより、ことあなたに関して言えば、私が許可するかどうかということの方が、おかしな聞き方のような気がするわね」
「私は、どうすれば」
「らしくないわね。あなたが決めたことなら、私が口を挟むような問題じゃない。ただ、私はそれを望んでいないし、思い直してほしいとも思う。冒険者にする為に、あなたの面倒を見てきたわけじゃないのよ。でも一方で、好きな道を歩んでほしいとも思う。つまり、私には決められないということよ。あなたの生き方なんだから」
 誰でも、セシリアのパーティに入れるわけではない。むしろ他のパーティと比べても、その基準は圧倒的に高いといっていいだろう。未経験だが、フェルサリは充分その基準に達している。
 フェルサリはしばし、強く目を閉じていた。そうしていると、さらに幼く見える。
「わかりました。私は母上と共に、冒険者になります」
 思わず、溜息をつきそうになった。しかしここは、笑顔で迎えるところだろう。
「わかった。これからもよろしくね」
 手を差し伸べた。強く、握り返してくる。自分はうまく笑えただろうか、そんなことが気にかかった。
「正直、心配になるわ。子供として、この屋敷で面倒見てきたからかしらね。あなたが倒れることに、耐えられる自信がない」
「私が、母上を守ります」
「口で言うのは簡単よ。まあ、私と一緒に行動してる時は、大丈夫でしょうね。ちゃんと私の言うことを聞けばの話だけど」
「どんなことでも、聞きます」
「またまた。今も、私の言うこと聞いてないじゃない?」
 ようやく、フェルサリの顔に笑顔が戻った。
「まあ、同じパーティだからって、いつも一緒というわけにもいかないから。最初は私が付き合うとして、一通り、他の面子とも組んでみて頂戴。後は相性みたいなものや、その依頼で何が必要とされてるかで、編成が決まる。私がいる時は私が決めるけど、留守の時はロベルトの指示に従って」
 この辺りのことは、わかっているだろう。ただ、念を押す為に、言っておいたというだけだ。
 それからは、フェルサリの武具について、二人で話し合った。良い装備を揃えられる店を紹介する。金貨の小袋を渡した。セシリアとナザールで、一通りの戦い方は教えてあるのだ。装備の候補はいくらでもあるが、後は本人次第である。
「明後日からまた出かけるけど、一週間くらいで帰ってくるわ。その間に、装備は整えておいて頂戴」
「もう旅に出られるのですか」
「近場よ。半日で行ける所だから、何かあったらすぐに駆けつけることはできる」
「そうですか。少し、休まれた方が良いのではないですか」
「また言われた。まあ今度の依頼は楽なものだから、向こうでゆっくりするわ」
「そうですか・・・」
「今日は少し喋りすぎたわね。飲み過ぎかしら?」
「母上とたくさんお話しできて、うれしかったです」
 思わず、胸を衝かれるような言葉だった。
 フェルサリが出て行った後も、セシリアはしばらく、グラスを見つめたままだった。

もどる  次のページへ

inserted by FC2 system